はてなキーワード: おざなりとは
現代語として考えた場合、両方に共通している部分は、「いい加減な対応だ」ということです。そして異なるのは、「おざなり」は「いい加減ではあるにせよ、何らかの対応をする」のに対して、「なおざり」は「多くの場合、何の対応もしない」という点にある、と言うことができます。
まず、それぞれの語源について見てみましょう。
「おざなり」は、「御座(敷)の形<なり>」を縮めたものです。このことばは19世紀初めには使われ始めていますが、宴会の席(御座敷)などで表面的に形ばかりを取り繕った言動のことを指したものと推測されます。
いっぽう「なおざり」はもう少し歴史の古いことばで、10世紀には使用例が見られます。このことばの語源にはいくつか説があるのですが、その1つに「なほ(直・猶)+さり(去)」というものがあります。「なほ」は「そのまま何もせずにいること」、「去り」は「遠ざける」という意味がありますから、ここから想像すると「なおざり」は「何もしないで距離を置いておく(放っておく)」というのが出発点だった、と言えるかもしれません。
次に、現代語での話として考えてみましょう。
「おざなり」の場合は、いい加減ではあってもひとまず教育をする、という意味になります。いっぽう「なおざり」の場合は、教育らしきことはほとんど何もしない、という意味になります。
また、文の形を少し変えるとどうなるでしょうか。
この文の場合、前者は「いい加減な教育を施す」ということで問題はありませんが、後者は「何もしないという教育を施す」ということになってしまい、意味が通りません。
PCのスペックが上がったことや、Unityのような比較的作りやすい開発環境の整備がされたからか。
それは構わないんだが、そういう付加価値を加えたものは肝心なエロがおざなりになりがち。
TPSエロゲとかいうどうみても自作のTPSを作りたかったけどオリジナルだと誰も買わないから仕方なくエロぶっこみました感満載なジャンルとか。
はっきり言うと、確かにエロゲじゃなかったら見向きもしないよ。同じ金使うならシージに使うわな。
でもその「仕方なしエロ感」はこっちにも伝わるんだよ。そういうのって抜けないし、てめーが作りたかったアクションパートのほうも中途半端な出来で、同じ時間費やすならPUBGやってるほうが有意義なんだよ。
エロゲはエロゲなんだよ。何をブレンドしてもいいけど、主体はエロであることを忘れてはいけない。アクションパートはエロ一切無しで、エロはボーナスCG3枚ぐらいとか、アイテム購入で開放なんて最もあってはならない。製作者諸君はそこんとこ、よーく理解しておいてもらいたい。
私見だが写真集がいけなかったんだと思われる。コミケは表現の場であるのに対し、交流がメインの目的で肝心の創作物が写真集では片手間に作ったと思われても仕方がない。
もちろん写真集が何が何でもいけないわけではない。彼女のSNSやブログは詳しく知らないが、日頃から写真をアップしてたり写真について語ってたり、表現者として写真に真摯に向き合っていたならまた違った反応があっただろう。創作物として写真を選んだのは、写真撮るの簡単だから作る感があふれていた。
コスプレ写真ならどうか?という意見があったが、原作なりアニメを見てない叩かれるから駄目だと思われる。一般のオタクなら作品を知ってて当たり前なのでわざわざ「その作品知ってるの?」などと確認は入らないが、外部の一般人がコスプレしてたら確認が入るのは仕方がない。
写真撮るのだって簡単じゃないというのは分かるが、ここで問われているのは姿勢だ。交流してもいいけど創作物を発表する場なのだから、それをおざなりにしてはいけない。
荷揚げ屋という職業をご存知だろうか。
石膏ボード、PB、ベニヤ、鉄筋や木材など、建設現場で使う重量物を指定の場所までひたすら運ぶだけのお仕事である。
あらゆる下請けのそのまた下請けという、これ以上無いだろうというくらい弱い立場だが、その弱い立場を微塵も感じさせない屈強でイケイケな男たちが腕を奮って仕事に励んでいた。
どれくらいイケイケかと言うと、サブロク(畳一畳の大きさ)12mm厚の石膏ボード6枚(大体80kg)を横に抱えて走って運んで涼しい顔してるくらいのイケイケっぷりである。
石膏ボード運びはその需要の高さと、見た目の華やかさもあって荷揚げ屋の花形であった。YouTubeで動画がたくさん上がっているので、参考にして欲しい。
それはさておき、私は数年前、そのイケイケ集団の中に混じって一年ほど荷揚げ屋をしていた。
色々事情が重なってまとまった金が必要だが、確たるスキルも無い私にとって、身一つで稼げる荷揚げ屋は天職の様に見えた。実際、昼夜無く働いて月70万稼いだこともあった。
私が荷揚げ屋を始めてちょうど一年経った頃、東京五輪の開催が決まった。
建設現場はその話題で持ちきりだった。やれこれからは景気が良くなるだの、都内にマンションがたくさん建つだの。
少なくともその頃は、現場でネガティヴな意見はあまり聞かなかったように記憶している。
しかし、私は東京での五輪開催に、当時から否定的な立場だった。それは別に斜に構えてるとか、厭世家的な気取りでもなんでもなく、荷揚げ屋をやりながら、建設現場の実情を目にしていたからだ。
まず、職人さんに若い人が本当に少なかった。60代70代を超えたような歯ボロボロのお爺ちゃんが、5000万程度の中産階級向けマンションの建設現場の職長を平気でやっている。特に左官系に顕著であった。
次に、建設現場の労働環境も酷かった。週休1日は当たり前で、元請けが発する工期短縮の音頭のもと、終盤には一月丸々休みなしというのもしばしばあった。
狭い土地に高い建物を短い納期で建てる都合上、どうしても休憩スペースや仮設トイレ、仮設水道などの管理がおざなりになり、形容のし難い濁り方をした水が地面を流れてるわ、副流煙で視界は真っ白だわ、歯抜け爺は固まったモルタル缶やらグラスウールやらを平気で近場の可燃ゴミのカゴに放り込むわ、はっきり言ってカオスだった。
また、たまに若い人がいるなと思ったらアジア系の外国人労働者で、現地語のラジオを大音量で鳴らしながら作業をしていたりする。これは内装屋に多かった。
中層マンションの現場でそれなりに高い給料を貰えているのは元請けの現場監督と、エレベータの設置作業員くらいなものだ。後はほとんどが日給で、たくさん稼ぐにはとにかくたくさん働くしかない。
私は荷揚げ屋という仕事は嫌いではなかったのだが(身体も鍛えられるし、色んな地域に出かけられるし、女の子にもモテたから)、建設現場がどこも上述の様な雰囲気で、東京五輪を前にしながらどの元請けもそんな現状を変える気がさらさらなさそうなのが気に食わなくて、辞めてしまった。
もう数年経つが、今の建設現場はどんな感じなのだろう?やっぱり歯抜け爺や、外国人労働者や、現場内不法投棄が蔓延ってるのだろうか?
ちょっと気になる。
https://togetter.com/search?q=%E4%BD%90%E5%80%89%E8%89%B2&t=q (参考)
一部でも話題になった色紙1600枚事件(そんな風に世間で呼ばれてるかどうかは知らない)の当事者である佐倉色氏の描いたエッセイ漫画を読んだ。
というのもたまたまトゥギャッターでねとらぼの反論記事に関するまとめを見て本分に何が描かれていたのか興味が出たから。
問題の記事だけだと何があったのかさっぱりだし、周囲の反応も漫画の方を読まずにあっちが悪いこっちが悪いと勝手な推論を言ってる人が多くてこりゃあ漫画の方も読まないと何がなんだかわからないぞぅということで即購入。本の内容自体も面白そう(笑える方面じゃなくて好奇心を刺激される感じで)だったので。
で、読んだ感想としてはまあ色々ある。編集者さんヤバイなとか。
ただそのあたりは正直一般的な感想として出尽くしているので、今回は場外乱闘的な部分であるねとらぼとのあれそれに絞って言う。ねとらぼという会社としてはともかく問題の記事を作成した個人の方とはあまり関わりあいになりたくないなあという結論。
問題の記事を「整然とした反論だ」と言っている人を見かけたけど、別に整然とはしてない。主張そのものは理解しやすいけど。
漫画家(兼業作家)の佐倉氏は、当時の担当であるボーノ氏(仮名)との間にトラブルがあり、精神的にかなり疲弊していた。(このトラブルの顛末をまとめたのがタイトルにも入れてるエッセイ漫画)
そして編集とのトラブルで疲弊していた時期に起きた「本来の問題とは直接的に関係があるわけではないけれど、関連して起こったプチ騒動」がねとらぼの件になる。
佐倉氏は度重なるストレスから自身のツイッターやブログで「色々あって疲れたので(今回問題にする部分とは関係ないので詳細は省く)商業から暫く距離を置くつもりでいる」という話をした。それを見たねとらぼ側が『「桜色フレンズ」の佐倉色先生が商業マンガ家引退を表明 月刊少年エース担当者とのいざこざが原因』というタイトルで記事にした。
佐倉氏は該当の記事に関して不満があり、直接電話で意見することになった結果、最終的に該当記事については削除されるに至った、というのがまあごく完結で客観的な事実と言えると思う。
今回エッセイ漫画の中で騒動中の一幕としてこのねとらぼの記事や実際のやり取りに関する話題も触れられており、ねとらぼ側はそれに対して「事実と違う」と反論記事を上げた、という流れ。
参考にできるものがリンクできるところにないため解説。これは実際の漫画を読んで自分なりに解釈した内容になるので、気になる人は一次資料になる漫画を読んでもらった方が早いとは思う。
そもそもとして佐倉氏がねとらぼの記事に気が付いたのはボーノ氏からの電話によってであり、彼と話をしながらサイトの記事を読んでいた状況であることが描写されている。ここは割と重要。
まず、佐倉氏自身は自分のブログでの発言について当時の心労や混乱、なるべく穏便に事を済ませたいといった様々な思惑から『「批判」と「フォロー」 「辞める」と「辞めない」が入り混じった不思議な文章を書綴っていた』としていて、本人自身が分かりにくい点のある文章だったと認めている。
その上で、言いたかったことは『商業を撤退。少なくとも当分はこりごり。もし縁があったら商業復帰したいけど当分は休みたい』であるとしている。
だが、ねとらぼの記事ではタイトルのインパクトの強さや記事の要約の仕方から、この記事では本意が伝わらないだろう、ブログを読めば分かってもらえるだろうが記事を見た人がわざわざブログまで確認することは少ないだろうと判断。
(補足:この時点で佐倉氏には「記者の人は本当に自分のブログを読み込んだのだろうか」「ざっと呼んだだけでセンセーショナルな話題だからと大雑把な纏め方をされたのではないか」といった不信感があったのでは?と思われる。)
また、ナイーブな話題であるのにブログの記事だけを元にされていて、発言の裏にどんな意図があったのか、ブログの記事は事実なのか、といった詳細を確認しなかった、佐倉氏とは直接コンタクトを取ろうとしなかった点について『本人に事実確認もせず記事にする』と認識している。(補足:出だしの時点でねとらぼに対してよい印象を持っていなかったことがわかる)
こうして記事に対して不満を抱えていたところに、ボーノ氏がブログに掲載していた画像を使っていたことについてほのめかし、著作権に明るくない佐倉氏の画像を使ってよいものなのかという疑問に対して『普通にナシですよ』と発言。
(補足:著作権的に引用の範囲であれば無断で画像を使っても問題ない。問題の画像が引用の範囲だと認められるかどうかはそれこそ権利に詳しくないと難しい、素人では判断ができないのではないかと思う。が、逆にそんなものを「普通にナシ」と軽々しく言ってしまえるあたりボーノ氏も著作権に明るくないと思われる。)
(さらに補足:この適当な説明のせいで佐倉氏はねとらぼに対して「人の真意を汲み取らずおざなりな要約記事を掲載した上に普通にナシである画像転載までしたのか」とマイナスの印象を強めたと思われる)
そんな中で佐倉氏はボーノ氏にお願いされた「画像の取り下げ」(本人としても下げて欲しかったとは思う)を依頼するために直接ねとらぼへ電話。
(補足:佐倉氏がまず気にしていたのは大げさなタイトルと記事だけでは氏の真意を汲み取れないことだったので、目的である画像取り下げとは別に個人の思惑として記事そのものについてもどうにかして欲しいという思いはあったと推測できる)
会話の内容については
という流れだったとしている。
なお、折り返しの連絡を待っている間の描写の中には明らかに焦点のおかしい自身の絵や、善意の気づかいの言葉すら悪意に取ってしまうほど追い詰められていた、と自身が正常ではなかったことの説明も含まれている。
(補足:つまりこの時点で、電話の時も作者が冷静ではなかったことが読者に伺えるつくりになっている)
折り返しの連絡は編集長から(最初に電話をした人とは別人)であり、「許可は取っていない。今回の記事は削除する。しかし記事タイトルは残す」という内容。
それに対して佐倉氏は漫画内で『私の希望は無断転載された画像の削除と事実と違うタイトルの変更です』としている。
(補足:最初の電話の部分ではタイトル変更を希望したということは描写されていない。タイトルを誇張だと認識していることは描写されている。)
しかしこちらの主張は聞いてもらえず「(記事は消すが)画像は無断転載ではない」ということを何度も言われ、『半ば怒鳴りつけるような強い口調』だったと描写されている。
画像の利用については佐倉氏の認識としてはお礼漫画(2ページ)全部を丸々掲載されたという状況で、これが無断転載でなければ何なんだろうと疑問に思っている。
また、記事の削除理由として佐倉氏から要請があったためと説明すると再三確認され、最終的に一方的に電話を切られた、という流れだったとしている。
(補足:佐倉氏は名前を出すことを再三確認されることの理由がわからず、もしかして脅されているのではと受け取った)
そして記事は削除されました、という流れでねとらぼに関する描写はだいたいこのくらいだと思う。
これは全文参照できるので直接見るのが早い。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/10/news018.html
あえて重要と感じた部分を要約すれば
といったあたり。
これらを確認した上での個人的な推測を述べる(もしかしたらこういうことなのではないかという話でこれが真実だと言うつもりはもちろんない)。
まず、前提として確たる証拠が出ておらずどちらも当時の記憶を頼りに話しているのだろう、という判断しかできない以上、どちらの発言も「主観的事実に基づいたものであり、一定の事実性はあるけれど真実を語っているわけではない」と考える。
まず、佐倉氏はねとらぼに電話をした。主目的としてはもちろん依頼された「画像の取り下げ」である。
しかし、氏はねとらぼ編集部に対してかなりマイナス印象を持っており、個人的には画像の取り下げよりもこちらの意図が伝わらないと思われる記事の内容の方が問題だった。
そしてまず記事の作者と話をした。話の内容として恐らく
(2)佐倉氏は次のように主張しました。「1:自分に断りなく記事が掲載されている」「2:画像は無断転載である」「3:文章もブログからの無断転載である」
ここは間違っていないと思う。漫画での主張(会話の内容としてと言うよりは本人の認識部分)とも一致しているからだ。
そもそも漫画の会話内容は実際の会話の要約だと思われる(あんな短い会話で話が済んだわけがないと思うので)だろうから、全体としてまとめたらそういう話にはなるだろう。
ではその主張を元にどのような会話が繰り広げられたのか。
繰り返すが本人も認める通り佐倉氏は著作権に詳しくなく、編集部として直接取材はしていないことも画像の利用に許可を取っていないことも認めている。であれば「裏取りもせずに勝手に画像を使ったと認めるんですね。であればこちらに断りなく使用した画像を消去して下さい」と依頼して何の不思議もない。それが主目的だし。
ただ、ここで画像に絞って主張したかはかなり怪しい。繰り返すがボーノ氏の希望である画像の削除とは別に作者自身の希望として記事内容そのものに不満があったのだから。
というか二度目の電話の時にタイトルの修正が希望だと言っているので、一度目の電話の時に画像の削除と一緒にタイトル修正も主張したと考えた方が妥当。
で、無断利用したものを消して欲しい、という希望に対して、もし仮に「いやこれは著作権的にこれこれこういう理由で別に消さなくてもいいものなんですよー」とか「今回の記事は転載ではなくて引用の範囲なのでー」という話になったのであれば別だが、ねとらぼ側の主張を見るにそういった説明をしたという記述はない。あくまで「事実だから報道したまで」「転載はしていない」という主張である。
無断で利用したことを問題視しているのに、「そうですね無断です」と言えば「じゃあどうにかしろよ」と言われるのはある意味当然の流れでしかない。
ここで「無断ではあるが無断であることは問題にはならない」ということを説明できれば話は違ったかもしれない(佐倉氏が冷静ではなかったのでその説明に納得してもらえたかどうかは分からない)が、ねとらぼの主張ではそれを説明したようには見えない。こじれるのも残当である。(文面と漫画だけで判断するなら)
「無断で使ってるんだから消して下さい」(誤った著作権への認識と心労による疲弊による主張)→「事実を書いただけです。転載はしていません」(引用なので法的に問題はない)→「いや、さっき確認取ってないって言いましたよね?なんで消せないんですか?」(法的に問題ないことの詳しい説明がなされないため主張の意味が分からない)→「いやですから、転載をしたわけではないので……」(著作権には違反していない)
といったような堂々巡りがあったのではないだろうか。それならお互いに「話が通じない」という認識になるだろう。
あと、電話内容の(4)についてだが、「商業引退ではないのか」と聞いても作者は「いや距離を置くだけって書いてあるやん」としか思わなかったのではないだろうか。佐倉氏の言う真相とはもっとブログに書かれていない情報を引きだそうとする努力はないのか、編集者の行動が事実だったのかの確認はしないのか(漫画で「漫画家の一方的な主張を元に記事にするの?」という疑問を持っていた)という意味である可能性があるので、この部分は認識の違いのような気がする。
記事自体の削除云々については、佐倉氏自身は記事の内容そのものを問題視していた(事実とは異なる、誇張された表現だという認識)ので、その認識からくる発言は記事の削除を求めるものだと受け取れるものであった可能性は高いと思う。
疲弊してパニックを起こしている作者からの電凸である。口調も実際は漫画であるような冷静な口調と考えるよりは興奮してそれなりの語気だったと考える方が自然。なので編集部が「この人話が通じないな」とおざなりな対応になってしまったとしても仕方ないというか割と当然だし、間違った認識を元に問い合わせている作者に対してわざわざ間違いを訂正する必要もない。
よってねとらぼの対応は「間違ってはいない」し、仮に漫画の内容が正しくてもねとらぼ側に不利益な内容であれば当然反論する権利はある。
ただ、「漫画家と編集者の確執を取り扱った記事を裏取りせずに記事にした(電話取材は行ったが不在で話せなかったため漫画家のブログという片方の主張しか確認できない状況なのに記事を即公開した)」のに「当人が当時の精神状況は異常だったと再三繰り返しているエッセイ漫画での記述については事実関係が違うが裏取りはしたのかと反論する」のはなんともダブスタ構造だなぁと思った。(そして漫画家の発言を一次ソースとして掲載しました、編集者側の発言は取材できなかったけど事実の報道なので問題はないです、とするならそれこそ飛鳥新社の主張と何も違わないのでは?)
いやー、何歳なのか知らないが、これだけ相手に身も心ものめりこめちゃうって、ある意味すごい。
私なんかは本当に義務的なセックスしかしてくれない相手ばかりで(私の技量の問題もあったんだろうけど)、
「えっちのときのお互いの心が混ざり合うような感覚」なんて誰も感じてくれてなんてなかったんだろうな、と思う。
「そもそもセックスの好きな女性なんて、実はAVを初めとする男の妄想の中にしか実在しないんじゃないか?」とか
「みんなこんなおざなりなセックスしかさせてくれないなら、風俗に行く方がよっぽど気持ちいいのでは…?」なんて
真剣に悩んだ時期もあった。
まぁそのうちに自分も30歳を過ぎて、そんなにギラギラしなくなったから、淡白な相手と結婚したけどね。
セックスがあんまりなくても、いつでも二人で美味しいもの食べたり、きれいな景色を見たり、
テレビ見ながらゲラゲラ笑ったりしてるだけでそれなりに幸せを感じられるもんだと、今になってみれば思う。
http://anond.hatelabo.jp/20170502083638
サクラ大戦の舞台はカーテンコールでも声優としてでなくキャラとしてご挨拶をする。
あの井上喜久子が眉間にシワをずっと寄せてるんだぜ?
コスプレ時はキャラとして、していなければ声優。徹底してる(田中真弓というキャラ崩壊も居るが)
勝手にtwitterで版権元の許可無しでなりきりとかもしない。
アイマスや昨今の声優コスプレからはそういったキャラを徹底する意識が全く感じられない。
髪型合わせる気0だし、クールキャラがはしゃいだりニコニコしたりしてキャラ崩壊も甚だしい。
あと声だけ演技して動きの演技が全くおざなり。猫背棒立ちとかすっごい目立つよ。
そのくせ自分とキャラを同一視してチヤホヤされたいという意識が透けてみえてとても嫌。
そういう「ヌルさ」「適当さ」「甘え」が蔓延した昨今の声優コスプレごっことサクラ大戦の舞台を同列に並べるのはなんか納得がいかない。
人を見下してるとよく言われる。
確かに、人付き合いはよくないし、他人から見ると理解不能な行動を取ることが多い。
だけど、ぼく自身は他人を見下してる感覚なんてなくて、他人を気にするほどの余裕がないというのが正直なところだ。
頭がいいわけでも、体力があるわけでもない自分が、それなりに生きていくには、必要な物事に集中するしかない。
それで、無くても生きていける部分はおざなりになっているだけなのだ。
もっと言うと、こんな自分にリソースを割かせるのは申し訳ないので、他人との付き合いは最小限に絞っているだけなのだ。
一見何かができるように見えて、それでいて人付き合いが悪いように見られるのは、振れるステータス値が低くて、それを極端に割り振ってるだけなのだ。
今回はやわらかスピリッツ
生活保護費を懐に入れるために生殺しにしているという、貧困ビジネスをより裏家業独自の論理で形成しているのが興味深い。
それにしても、みちたかくんってそんなに名の通っている設定のキャラクターだったのか。
「みちたかくん」ってのは恐らくコードネームなんだろうけれども、妙なネーミングチョイスだよなあ。
主人公のコードネームがアレなのは、依頼の窓口がデリヘルっぽいからなんだってのが分かるけれども、「みちたかくん」はどういう経緯なんだろうか。
あと、当たり前のように再登場しているけれど、生きとったんかい。
薄々感じているんだけれども、この作者、或いは編集の人の方針なのだろうか。
「フィットネス」をテーマに漫画を描きたいわけではないんじゃないかな。
或いはフィットネスにおける別の側面を主体に描きたいんじゃないかと。
でもフィットネスっていったとき、やっぱり主体となるべきは運動であって、ならばその描写をどうするかだと思うんだよね。
登場人物たちが運動をする描写がおざなりというか、どちらかというと添え物もいいところで。
しかも痩せているとかいう描写が今回あって、結構な時間が作中で経っているはずだから、本当に描写されていないだけで、結果だけ見せられているんだよねえ。
現状まだ5話なわけで、マンネリ化したから方向性を途中で軌道修正したとかでも、話に広がりを見せるために人間ドラマも描くとかではない。
仕事が好きだし、けれど、仕事が扱っている対象が好きというよりは、ゲームみたいな感覚で課題やハードルを乗り越えていくのが面白いと感じていた。
最近も、アサインされたプロジェクトでの裁量が大きくなって、求められるレベルがあがって、やりがいを感じていたはずだった。
けど、なんとなく仕事に対するモチベーションが、最近弱くなってきたきがする。
前までは業務で抱えている課題を考えるのが好きだったし、家帰ってからも考えるということが普通だったんだけれど、
なんだか億劫に感じる。
これが原因じゃないかな?っておもっているのは、最近の電通問題に端を発している長時間労動抑制の流れが、社内で強まったこと。
それまではけっこう労務管理ゆるい会社だったんだけど、今では上司の労働時間管理も厳しくなったし、残業時間を減らすように口酸っぱく言われている。
でも、残業時間をコントロールしようとした結果、それまでがむしゃらに頑張ってたり、クオリティに何が何でもコミットするっていうスタンスがおざなりになって、モチベーションの蓋をされた感覚がある。
ワーカホリックな人は働きたいのに働かせてもらえないみたいな思いを持ったりするのだろうか
https://twitter.com/piyokango/status/844361226767380481
http://www.freezepage.com/1490165400GAZZVSXBDT
である。キャッシュの freezepage ですまんが、まあいいだろ。
これ自体はハセカラ界隈のスクリプトキディが show tables かなんかを実行する jsp 一枚仕込んだというだけの話なのだと思うが、問題は JINS の対応だ。
t_jins_gmo_brandtoken_cancel_if_rireki
t_jins_gmo_brandtoken_change_if_rireki
t_jins_gmo_brandtoken_entry_if_rireki
t_jins_gmo_brandtoken_exec_if_rireki
などといったテーブル名から、おそらく GMO ペイメントトークン決済を利用しているものと思われる。これはクレジットカード番号を一切 JINS 側のサーバーに通過させなくていいような構成になっており、今回のこの事例から JINS 側が保存していたクレジットカード情報が流出した可能性は、恐らくない。
しかしながら今回攻撃されたドメイン https://www.jins.com/ にはクレジットカードの入力ページが存在している( http://s.ssig33.com/gyazo/d09c0f5915f84eab8c8712eb0d23150d )。
この為、こうしたページも不正に改造されていた場合、攻撃を受けていた期間に入力されていたクレジットカード番号が不正に流出している可能性がある。
ところで JINS 側はこうした問題を認識して今朝未明にメンテナンスを行なっていたようである( https://www.jins.com/jp/news/2017/03/322.html )。
推測するに、調査をしたところクレジットカード番号入力ページの jsp なりなんなりが改竄されていた事実はとりあえず確認できなかったので、特になんの発表もしていないのであろう。ところで JINS は 4 年前にもサイトをクラックされクレジットカード番号を流出させた経験がある( https://www.jins.com/jp/illegal-access/info.pdf )。にも関わらずこの対応はちょっとおざなりすぎではないだろうか。
現実に可能性は低いと思うが、例えば以下のような可能性が考えられる。
1. ハセカラ関係者っぽく見せかけた低レベルのクラック ↑ を行なう。
2. その裏でクレジットカード番号入力ページに本気のクラックを仕掛ける
3. 1. でしかけたハセカラクラックが露見する前に 2. のクラックについては撤収して 1. の証拠だけを残しつつ 2. の証拠を消す
このようにすることで、クレジットカード情報を収集していたという事実を関係各位に認識させる時間を可能な限り遅らせ、不正な買い物などをする時間の余裕を稼ぐことができる、かもしれない。もちろんこんなことが行なわれた可能性はほとんどなくて、事実はバカなスクリプトキディが適当に遊んでいただけなのだと思う。しかしこの可能性を無視していいとは思えない。
こうした可能性について調査するには 7 時間では全く足りないし、あるいは一度外部に大々的に告知をしてサービスを停止するなどの対処も必要ではないか。
JINS は 4 年前のクラック被害から何も学んでおらずユーザーデータや資産を防護する基本的な姿勢が欠けているとしか思えない。
「描きたいシーンが先にあって繋ぎがおろそかになっている」という評価が下されがちな作品でもむしろ最近好きになる傾向が多くなってきて自分でもわりと不思議だったりする。
昔は自分も「描きたいシーンがあるのは分かるけどそこに至るまでちゃんと説得力のある描写をしろよ」と思っていた方だったのだけども。
なんか「制作側が描きたいシーン」が本当に気合の入った凄い良い場面になってるならもう周囲おざなりでも許しちゃうというか。
以前は説得力がなくて決めシーン見ても白けるだけだったアニメも見返すと「決めるところは決めてるし悪くないなあ」と感じられるようになったので、やっぱ自分の中の受け取り方みたいなもんが変わったのかなと思ってる。
きっかけがあったとすれば、信者化するレベルで本気で好きになった作品が所謂繋ぎスカスカ系だと批判されがちだったことだろうか。
そこまで繋ぎおろそかじゃないよな…と若干落ち着いた頃に見返した時、その「おろそかでない」根拠の一部が自分の脳内補完だったということに気がついて愕然としたのは結構な衝撃だった。
でも結局その見方を変えることは出来なくて、お陰様ですっかり説明されてない部分は自分の脳内で補完する癖がついてしまった。
制作側の甘えを許すダメ視聴者なのかもしれないなあと思いつつ、まあ自分にとってはアニメも娯楽だし楽しんで見れればいいかなと思って今日もアニメを消化している。
中味のないランキングや、なんの参考にもならない弱小ブログの運営報告、ブログのネタの絞り出しかたの薀蓄・・などなど
最近のはてブでは、本当に中味のないブログのブクマで溢れかえっている。
互助会って昔は、良し悪しは置いといて、もうちょっと情報量というか書き手のエネルギーが溢れてなかったかなあ。
この頃の互助会ブログって、どうしてあんなに中味のないことを書き続けるのだろう。
「1万PVこえましたー」「3ヶ月連続更新達成」「ブログネタがない時でも記事を作るコツ教えます」
・・・いや、無理しなくてもいいよ、誰もそんなの読みたいと思ってないから。アフィで食えるには程遠いじゃない。そんなの状況ひけらかして、自分に引き出しも想像力も洞察力も何もかもない薄っぺらい人間であることを改めて文字にして、何がそんなに楽しいのかなあ・・・
・・と、思ってたんです。
けど、最近なんとなくわかってきました。
あー、また互助会のブログ踏んじゃった、と気づかされるブックマークの並び。
面白かったです!⭐️⭐️⭐️
参考になります!⭐️⭐️⭐️
なるほど!そんな方法もあるのですね!!⭐️⭐️⭐️
これなんかに似てるなあ
ああ、そうだ。
これ依存性患者が集まって自分語りを共有することで依存性に立ち向かう集会でのやりとりによく似てるんだ。
今の自分をさらけ出し、それを否定されずに共有共感される場がある。それが生きる糧となる。
そうゆうことか。
ぼくはここにいてもいいんだ
おめでとー おめでとー
そう思えば、側からはおざなりの儀礼スター交換のための互助会に見えても、
本人たちにとってはコミュニティにつながっていられる貴重な、もしかしたら唯一の場なのかもしれないではないか。
うざければブロックすればいい。
そこがあることで救われる人がいるならばそれでいいではないか。
現実のホモはどうでもいい。人それぞれ事情があるだろうから法律の範囲内でお好きにやってくれと思う。
腐女子曰く「性別を超えた愛があるからBLは崇高である」と言う。
なら性欲に頼るなと言いたい。友情でも博愛でも親子愛でもいいのに、結局性欲で繋がっている。他作品の友情まで性欲に変換するほど頭が湧いている。
BLは片方か及び両方の性欲によって繋がっているのにすぎない。
腐女子の願望とはこうだ。
「自分の性的な魅力によって相手の興味を引き、意のままに「拒絶」したり、あるいは上から「許容」したい」
つまり現実では性的な魅力がなく、上から、相手からくる申し出を許容したり拒絶できる立場になったことがないのだろう。
だから性別が違うのにもかかわらず相手が無条件で自分を追いかけてくれることに憧れる。
これは少女漫画と同じ構図だ。相手が王子で自分が超絶美人ではないのにもかかわらず、無条件で(あるいは代えの利かない理由で)自分だけを愛してくれる。主人公は自分の裁量で相手や男側のライバルからの申し出を拒絶・容認できる立場でありたい、と言う願望を満たすためのものというのは変わりがない。
なぜなら美人や性的な魅力を持っている人間は、追いかけられることがあるので追いかけられる苦痛の方も知っている。性欲で繋がる人間関係なんて脆いものだと言うことを知っている。
BLに本気でハマる人間というのは追いかけてもらったことのない女だ。もし彼氏がいても自分から優しくしたり、大人しかったりする人間や自信がない人を自分から誘って付き合う。
追いかけられたことのない女は自信がない。女子グループにいると、いつもかわいい別の女の子に劣等感を抱き普段はつくり笑顔だが不意に「自分はかわいくないから」と言って予防線を張り、周りに気を使わせる面倒な連中だ。
性的な魅力があって追いかけられることに慣れているBLに興味のない人間でも、彼女に話を合わせなければならない。そうじゃないと、あとで「〜さんはモテるからオタクとかキモいと思ってるんだよね」とか言い出す。自分が可哀想な人間になれば、周囲からの同情を得られるのを知ってやっている。そうするとBLが好きではないと言ったばっかりに女子グループでハブられる恐れがあるので、適当なキャラ一筋だということにしておかなければならない。おざなりでやると「○ちゃんは本当にキャラのこと愛してないでしょ!絵のネタになればそれで良いんでしょ!確かにうまいけど愛がないし、全然萌えない!!!」とか言い出す。
本人にこう話せば「ええ!全然そんなこと思ってないよ〜。BL嫌いだったの、ごめんね…キモいなら話さないようにするから」とか言いだすが、あとで私だけ抜いたグループチャットで全員に伝わり、きっちりこの件とは違う他のことに目くじらをたててそのグループチャットで畳の埃を叩くように悪いところ探しをされ、昼飯の同行がないように時間をズラされ、最終的に「みんなは黙ってたほうがいいっていうんだけど、○さん評判悪いよ」っておとなしい子がそのチャットの存在を報告してくるようになるのは目に見えてる。
美人やかわいい女性は、こういう連中のためにBLを嗜むことを強いられている。BLなんかに全く興味はない。だが無言の圧力でしかないので、誰に訴えることもできない。
というか訴えたら負けである。
固定のキャラクターを見繕って、「○様萌え〜」と言ってストラップをつけざるを得ない。
え?
ビッグワード食ってクソ下痢パクリサイトを垂れ流すバグを直せというのが超能力に値するのか?
いやーGoogleにはハードル高すぎたようですね、超能力リクエストしてごめんちゃいね~
なのでGoogle以外のエンジンも使って負担を減らしてあげようってことをお勧めしてるんだけど
君は大好きなGoogleが超難解なテーマに取り組んで5年以上なんの成果もあげてないのにこれ以上苦しめというの?
もうGoogleはパンダに疲れたんだから餌を食わすのを減らしていかないと、休めてあげないと
それが本当の愛ってもんだよ
脳みそ狂ってんのかお前は
なんで使い物にならねってとこまで言っといて介護してまで歩かせようとするんだよ
どんだけ惚れてるんだよ
真実の愛だよ(※本当の愛ではなかった)
糞塗れ同士お似合いだな
同じビックワード検索でもMSNやbingのが何倍もマシってまともな脳細胞持ってたら分かるはずなんだけど
お前の思考には何のフィルタが掛かってるわけ?詳細設定しすぎでごわす?
眼鏡を外すとドブスだったから、千年の恋も冷めて顔面に拳ぶち込めよ
鼻毛出てる上に、めっちゃ小声で「金、金、金、金、金、金、金、金…」って呟いてんぞ
お前の連れって後ろに引っ込んでローマ字で遊んでるときはイキイキしてるけど、
仕事になると露骨に不機嫌な顔になっておざなり対応して定型文を読み上げるだけだな
んで読み上げたあと満足げな顔して後ろに引っ込むと