はてなキーワード: あやふやとは
他社へのビジネスメールの言葉遣いが分からなかったり、上司や社長と喋る時、いつもパニックになって言葉遣いもあやふやになってしまう。
もちろん敬語は知識として知ってるけど用法が身についてなかった。
メールで困るたびに「聞く 敬語」とか「催促 敬語」とか「お悔やみ 上司」とかをググりまくってひとつずつビジネスメール語彙を自分のものにしていった。
言葉遣いについては、言葉遣いが綺麗だなと思う人の言い回しをマネした。
「かしこまりました」「承りました」あたりがスッと出ると美人っぽい(?)
笑顔で「ありがとうございます」は多めに。
パワーポイントだとしたら、まずテンプレートを使うのをやめた。
ベタだけど「ノンデザイナーズ・デザインブック」などを読んで近接、整列などの情報のまとめ方を知り、後は十分な余白の取り方を学ぶ。
配布資料は字を大きくしすぎない(印刷なら見出し12pt、本文10.5ptで十分)、文字を詰め込まない、ページを適切に分けて、情報を混ぜない。
この辺を気にすれば後は慣れ。
でもこんなことを時間かけて学べるのは最初だけ。特権だと思って時間かかっても自分の糧にする方を優先しちゃおう。
頭の回転が速そうなので、最初は出来ない自分にイライラするかもしれないけど、
社会人フィールドにおけるレベル上げだと思って、ひとつひとつの雑務を馬鹿にせず、必要十分な速度とクオリティでできるようになる方法を考えながら取り組んでみてください。
私はその企業の企画部門に同期の女の子1人と2人で配属されることになった。
企画部門と言っても1年目は採用された企画のサポート業務がほとんどで企画会議には出席して企画プレゼンをする事ができるが、1年目だという理由だけで箸にも棒にも引っかからないのが普通だった。
今までそんな1ヶ月目の新人が企画を通す事は前例がないらしく、正直すごい嬉しかった。
企画を実現させていくために様々な所へアポをとることになった時、私は気づいた。
私には常識が欠落している。
他社へのビジネスメールの言葉遣いが分からなかったり、上司や社長と喋る時、いつもパニックになって言葉遣いもあやふやになってしまう。
企画用の資料も見にくく、作り方も分からなければデザインのセンスも全くないし、そのうえ時間がめちゃくちゃかかってるいる。
資料は作るの早いしとても見やすい。ビジネスメールも完璧ですごい丁寧だ。
決して妬み嫉みは全く無いが、彼女をみると自分が嫌いになってきた。
日は過ぎ、私が通した企画は無事成功し社内でも割と好評な結果となった。
しかしそれからというもの、私と彼女はまた企画のサポート業務に回されたのだが、彼女には少し技術が必要だったり既に先輩たちがやっているような業務を少し任されるようになった。
対して私は、猿でも出来るような雑務ばかり回されるようになった。
正直、とても苦痛だった。
私は早く1人前になりたいのに、重要な仕事はほとんど彼女に任せられている。
しかも、彼女の周りにはいつも先輩たちがおり常に雑談をして楽しそうに喋りながら仕事をそつなくこなしている。
しかし、私は1人で黙々を雑務をこなし誰とも喋らず職場で孤立している。
先輩たちとほとんど喋らないので、雑務が終わってやる事がなくなった時「他何かやる事がありますか?」と聞く事ができない。
普通に聞けば仕事を任せれて成長できるのだと思うけれども、まだ関係性や距離が分からずグイグイいくと「煙たがれるかも…」と思い、結局聞けずにずっとネットサーフィンをしている。
そして、先日同期の彼女と2人でご飯にいくことになり、私は思いの丈を全てぶちまけた。
常識がない事、ビジネスマナーがわからない事、作業も人より時間がかかってしまう事、彼女が優秀で羨ましいということを全て伝えた。
すると彼女は「企画通したんだからすごいよ!私のほうが増田さんのこと尊敬してるし羨ましいよ!」と言われた。
私は「ありがとう」と言ったが、正直企画なんて通そうと思えば通せるし、実際に会社でやっていくには人間関係が良いほうが楽だろ。私はすごい苦労しているぞ。と思ってしまった。
みんな、隣の芝生は全て青く見えている。それは私も彼女も同じなんだろうなと感じた。
しかし、そう思いながらも彼女は今日も先輩と楽しく仕事している後ろで、私は1人で猿でもできる業務を黙々とやり孤立し心で泣いている。
【追記】
昨日の夜、なんとなく確認したら人気エントリに上がっていてめちゃくちゃびっくりした。
企画が通ったのはラッキーパンチだったと思うし、自分はプライドは無いほうだと思っていたがそうではないっぽい事にも気付かされた。
ビジネスマナーとかは本を買って勉強はしてたのだが、正直まじでムズイ。。。
この思いをずっと誰にも話せず、同期や上司には話せないから自分の中でモヤモヤしていたが、今やっと吐き出せてすっきりしたよ。
ありがとう、頑張ってみる。
具体名挙げてしまって著者には申し訳ないのだが「未来からのホットライン」の核融合炉の施設内部の描写がてんで理解できない。説明が緻密なのがむしろネックになってる感じで、キャットウォークとかトンネルとか配線とかの位置関係が三次元的に脳内に構成されていかないんだよ。本当に上下左右という程度の確度でしか把握できない。
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小説は漫画とかと違ってイメージが押し付けられないのがいいという意見を聞くことがある。個人的にはこれはイメージという単語の前に「自分が気に食わない(特に人物の容姿)」という文言が省略されているように思える。
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想像することって、はっきりいえば単に手間でしょ。小説は想像することを楽しむものって手段と目的が逆転してる感じで、本来は「筋書きを楽しむもの」だと思う。筋書きさえ面白ければ、そして挿絵とかが適切なら、想像しなくて済むのならそれに越したことはない。
くだんの小説も建物の「構造」について図があるからといってイメージを押し付けられたと感じる人は例外的だと思うから、文章で全て言い尽くそうとしないで見取り図ぐらい添付してもよかったと思うんだよね。
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私と同じ考え方っぽい人を二つ挙げとく
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https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/02/21/090746exit
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1514063554/exit
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そしてどうしてもこれだけは抜粋しときたい(5chのレスから)
文章だけで考えてると「この馬はどこから走って来てどこに行ったの?
なんでそんなとこから馬が走ってくるの?」
みたいな変な部分が必ず出てくる
読む側からしてもまさしくそういう感じで、結論としては始点と終点が一致したループだと言っていても、今までも風景の説明から本当にそのことが導けるのだろうかという感覚になることがある。
各部分の描写から全体を統合できない感じで、整合性を認められないことがある。
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前記の小説の施設を見学するシーンでも各区画を主人公たちの足取りに沿って説明していってるのだが、いつのまにか前いたところが主人公達の頭上にあることになっている。
確かにエレベーターで地下に降りる描写はあったけど、上下の関係で足取りが立体交差できるような文章だったか。
区画という各部分の風景だけは十二分に頭に浮かび上がってくるんだけれど、ジグゾーパズルでいうならそれはピースの凹部や凸部があやふやになっている状態にたとえられる。
なのでそのパズルを組み合わせる=建物全体の構造を把握することもできないとなる。これが読後感にもやもやを生む。
そもそも自然言語というものはねじれの位置とか含めた抽象的な位相関係を表現するのに不向きなのかもしれない。
そうでないにしてもせめてPISAとかは単純な論理パズルで読解力を測るんじゃなくて風景の説明文に対して、少なくともこれは与えられている文に矛盾しないという図を選択させる問題も導入してほしい。
ネックが読者側にあるかもしれないかもしれないのにその問題が十分には剔出すらされていないように思われるから。
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「船べりに足をぶらぶらさせていた」文学事典に載ってるような作家の手になる表現だ。しかし「船べりに」とは一体どういう状況なのか。
「船べりで~」であれば人がデッキの手すりでも背にして寄りかかって片足をぶらつかせる風景が想定される。
この話は作家自身の航海記であって大西洋を横断できるような鉄の船の話だから「船べりに」何かをするにはへりは高すぎると思われる。和船の小舟のように足をへりに置けるような状況じゃない。
たとえれば無理に腰よりも高い塀の上に片方の足を足の裏を外側に向けて乗せるイメージでただでさえ不安定な姿勢だから、せいぜいへりをかかとで擦るようなことはできても、重力に逆らってぶらつかせるとは描写として不自然と言わざるをえない。
思い込みで文章を書くとそういうことになると聞いたことがあるから、ちゃんと正確に書いてほしい。
正確に書けば書くほど想像の余地が少なくなるから小説としてつまらなくなる、というものではない。
想像する楽しみと小説の楽しみ方としては二次的なものだとは前にも書いた。限定的で端的な例だが、泥のように眠るという慣用句を小石のように眠るとアレンジすることで生まれるような詩的な妙味を味わうことも小説の楽しみ方の一つだ。
酒などを希釈しないで飲むことを生一本といっても、水で薄めずにといっても、神の創りたもうたままにといっても、どれも全く「希釈しない」という全く同一の事態を指しているうえでにその同一性こそがその描写が正確であることを示す必要条件でもあるわけだが、こうした同義のフレーズが畳みかけられている箇所にも、同じ事態の概念への落とし込み方の多様さに面白みが認められるだろう。
俳句は小説じゃないけれど、あれなどは兼題写真があるのが普通だ。写真というこれ以上なく正確な像を前提としているからといって、そこから派生される俳句の数々に「想像の余地がないからつまらない」と批判する人間がいるだろうか。
むしろ想像の喚起を重視する人のブログとか見ると「容姿の描写ほとんどされてないのを逆手にとってわざと金髪美少女のイメージで読んだ」とか言ってるような人もいて、想像するのを楽しむというやり方は小説をカップ麺の重しにするのと同じぐらいひねくれた本の使用法なのではないかとさえ思えてくるわけだ。筋書きを楽しむ、表現そのものを味わうというのが文句なく一義的な意義であるとすればなおさらだ。
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必要だと思ったとこだけ読み込んで不必要だと思ったところは読み飛ばせばいい、授業だって教師の言うこと全部覚えてない、それと同じだというような人もある。
しかし授業内容と違って小説は内容を問い合わせることができない点で致命的に異なる。
不十分だと思って読み込もうとした箇所も独力では一生かかっても理解できないかもしれない。
作者は思い描いた風景を必死に文に落とし込もうとしたかもしれない。作者は情景を読者と共有したがってる。なのに十分に伝わらない。こんな悲惨なことがあっていいのだろうか。
小説には攻略本もITの専門書にありがちなサポートダイヤルもないんだ。
二重回しとか大島紬みたいな名詞の指すものが単に想像できないとかだったら画像検索すれば済むことだけど、実際に読んでてつまづくことが多いのは文や文章という総体がどういう具象や抽象を指し示しているかとことで、でもこうなったときには打つ手がない。
人工知能は与えられた文章をイメージに接地させずに意味を理解できるが、人間としてはイメージに還元できないことには文章を味わうことはできない。
もちろん読者側の能力の問題かもしれないからそこは見極めなければならない。
先述のようなPISAなどの結果によりそういう能力が不十分と分かれば、出版業界に小説には抽象的な構造に関して図解を挿入するよう働きかけるか、さもなくば教育を刷新するか、そういう判断の指針が得られる。
教育を刷新するというのは単に文章を多読すれば読解力を身に着けさせられるはずだという今の態度が不十分という意味で、一つ文を読ませたらその文が一般的に指し示すことになる図を提示するといった訓練を導入するべきだと思うということ。
単文が示す風景(あえて情景とはいわないでおく)すらもまともにイメージできないようでは複文や文章の指し示す風景もまたイメージできるはずがない。
基礎(単文)を固めることでしか応用(文章)を扱えるようにはならないということではむしろ数学と同じだ。そういう心持で読解の養成には取り組むべきだ。
たとえば百聞は一見に如かずといっても社会生活のうえでいつも文章が指し示す現物を持ってこさせられるとは限らないから、文章をイメージに還元する力は実務的な能力でもあるわけさ。
権威主義ってあれでしょ、「お国の決定には従わなきゃならん」とか「お上の言うことに間違いはねえ」みたいなやつでしょ。
……と、いうのはおいといて。
Aという主張があれば、その論拠としてBがあるのが普通で、Bがどれだけ確かなものかを確かめにいく。
んで、Bがあやふやだったりすると、Aも怪しいなあと考えるわけで、
Bが確かなものだったならば、まあ、Aも妥当性があるなあと考えるわけ。
コロナのスパコンによる飛沫シミュレーションを見て、「おお、富岳さまの言うとおりですわ、ありがたやー」ってんじゃなくて、
シミュレーションモデルは確かなんだろうか、パラメータは大丈夫?みたいに確かめにいくわけよ。
そりゃまあ、そんなことは私には無理だから、ふーん、そうなんだ、そうかもねーぐらいで、大体思っておくわけだけど。
3月末に、Twitterであぶくま君という人が「15才の時に東日本大震災で家族を亡くし、天涯孤独の身になり東京でホームレスになった話」というマンガを投稿して話題を集めた。今も更新され続けている。
自分は、震災描写への疑問と、それに反して「すごくリアル」という反応の多さに、その後もなんとなくモヤモヤしながら推移を見守っていた。ただ、はてぶでは実在を疑問視するコメントにスターが集まっていたのを見て、少しほっとした。
このモヤモヤはなんだろう、とずっと考えている。おそらく、自分にとってはまだ遠い歴史の一部と割り切れない東日本大震災が、地名も設定もあやふやなままに(※)、材料として使われて、実話っぽく描かれていること。それらが「涙が出てきます」「感動しました」というコメントを集めていること、つまりは感動ポルノのように扱われているあたりだろうか。あるいはこれがノンフィクションとして出版されたら、すごく細かい箇所で恐縮だけど、歴史改変っぽいことへの嫌悪感もあるかもしれない。
(そう言いながら、100%嘘だと言う自信と勇気はないので、100%実話なら申し訳ない。また少しずつフェイクを入れた実話だと言う可能性は否めないと思っている)
実話っぽく、と書いたのには理由がある。
肯定的なコメントをしている人たちの多くは、この物語を、「震災当時15歳の子供が家族を全員なくしてホームレスになったという実話」だと思ってコメントしているように思える。けれど、実は投稿者は一度も文字で「実話」とか「ノンフィクション」とは書いていないし、そう聞いてくるリプライにも頑なにノーコメントを貫いている。マンガの中で「これは中学生で孤児になった僕の物語だ」とは書いてあるけど、プロフィールには一つも「僕の体験」といったことは書いていない。つまり、マンガの最後に「これは実話に基づいたフィクション」と出てきたとしても言い逃れできる形になっている。
togetterだかのコメントに「こんなことがあったなんて信じられない、ってコメントしている人こそ、この物語を実話だと信じきってしまっている」というようなものがあったのが印象的だった。
震災をテーマにした創作物自体はいくつもある。あぶくま君が暮らしていたという南相馬市を舞台にしたものも読んだけど、それらに対してこんなモヤモヤはなかった(ついでに、方言もリアル)。震災を食い物にしていると感じることはあまりなかった。そもそもそれらはフィクションとして創作されているのだが。つまり、このモヤモヤはやはり実話の体をなしている(と思わせる)ことによるものなのだろう。
東日本大震災をネタにした、「これは本当の話です感動ポルノ」は何年も前からあった。Facebookで土砂に埋もれた親子の写真が「東日本大震災の感動実話」みたいにシェアされまくって、当時Hagexさんに「嘘を「真実」として紹介するのは大変悪質な行為」って突っ込まれていた。
でも、じゃあなぜ創作や震災ドキュメンタリーならよくて、実話「っぽく」描かれることにそこまでイライラするのかと言われたら。「創作だったらなんなんですか?」と擁護するファンに対しても、ここでも、うまく説明できる気がしない。しかも今回は一応、投稿者は一度も「本当の話です」とは言っていないし。
ちなみにTwitterではおそらく舞台の近隣住民だろうと思われるツイッタラーからのツッコミも入っているが、それに対して「黙って創作物として消費しろ」なんて返しているファンを見かけたこともある。今見たら当該ツイートは消えていた。
上手く言えないけれど、客観的に「これは本当にあった感動秘話」として消費できる者と、まだ震災を歴史として割り切れない自分との間に、決定的な温度差があるように思えてしまう。
これまでほとんど静観していたけれど、最近、そのマンガで福島への差別みたいな部分が取り上げられて再び話題になってたようなので書いた。「差別ひどい!放射能がうつるなんてバカなの!?」みたいなコメントを見ても、「問題はそんなにわかりやすい差別じゃなくて……」ってまた冷めた目で見てしまう自分がいる。福島の上辺だけを材料に使うことこそ、差別の一旦になるのに。
投稿者のアカウントには編集者と名乗る人たちもリプライを送っている。いつか、ノンフィクションの震災ドキュメンタリーとしてそのまま世に出てしまうのだろうか。
【追記】
あぶくま君のTwitterアカウントのヘッダー画像はおそらくこちらがオリジナルかと思われる。
https://blog.goo.ne.jp/scmsakou/e/f6876aae059d9b83a448c28d13b8989f
いわき市の様子とのこと。
※描写への疑問については、以下に矛盾がまとめられている。コメントも参考になる。
https://togetter.com/li/1693206
自分にとってはありがたいまとめなのだが、ただ「重箱の隅すぎるかも」という指摘もなくはなくて、擁護者からの攻撃の材料にされるのは少し悔しい。
でも、もしこれが本人の話であれば、地理的に震災描写の辻褄が合わないことが伝わるかと思う。
本人以外の取材対象の経験を描いた作品だというのであれば、事実確認に基づいた取材が行われていない可能性がある。
根拠はないんだけど、すべてが完全なフィクションというよりは、下敷きにした話はあってもおかしくないように思える。15歳で被災した人物、天涯孤独の身になった人物、東京でホームレスになった人物などが複数の人物のエピソードがあって(そして誰かは本当に福島の人かもしれない)、彼らの話を混ぜて1人の人物にしたといったあたりだろうか。
あるいは、単に辻褄が合わないのは地名が違うだけ、という可能性も捨てきれない。地名がおかしいのはフェイクだろうという擁護もあるけど、出された地域の人が怒ってるのだから実在の地名は避けるにこしたことはない。で、なんとなく、セリフを書いている人は福島の人じゃないのかな?って感じたことがある。セリフはあえて共通語にしているんだと好意的に見たとしても、一か所だけ方言にしようとして共通語でも福島でも使われない表現になっていると思われる箇所がある。
※俺の書き方が悪かったみたいで、すまない
※私刑の是非についてではなく、私刑の元になる情報が非常にあやふやなのに事が進んでしまっていることへの言及だ
ホントに胸糞悪い、被害者のことを考えると胸が痛くなる事件だ。
この事件に限った話じゃなくいつものように、加害者をつるし上げるべく善意の第三者が躍起になって情報を拡散している。
ウソだかホントだか、かなり詳細な情報まで平気でRTされている。
正気か?
ただそれは法に則って行われるべきだし、万が一にも冤罪の可能性があることを考えると情報の拡散は控えるべきだと考えている。
ウソともホントとも取れない情報を感情に従ってRTする連中は何を考えているんだろう。
そんなんなんで信用できるんだ?
なんでお前が信頼してるソイツを俺が信用できる?
冤罪の可能性を注意する人がいれば、「加害者を罰せねば未来の子供たちが~」「加害者の親ですか?」「被害者も望んでいるはずです」
悲しくなった。
みんなこの事件を痛ましく思っていて現状を変えたいと思っているのに、いがみ合っている。
みんなせめて遺族の方の声を、直に聞いてほしい。
直接URLを貼ることはしないが、遺族の方のFACEBOOKがある。
決して書き込みはせずに、読むだけにしてほしい。
※この件を上記のFacebook以外で正しく遺族と意思疎通していると思われるのは、さあやちゃんを守る会~いじめ撲滅@asahikawasaayaだけだ。
文春が事件を取り上げる前、被害者が行方不明の時点から情報を発信しているからだ。
実はもう枯れてカラカラに乾いてドライフラワー状態になっている気がする
1年目は棘の色が変化するなど生きている気配があったのだが最近は変化がみえない
でも枯れたことが確認できない限りはあやふやなままなので水をやり続ける
実は容器の中の藻を育てているのかもしれん
オーナーから15分早出してくれと言われたので早出した。ある昼勤のパートさんと交代で入る時は、最近いつもそうだ。ちなみに昼勤のパートさんはいつの間にかシフトリーダーになっていた。名札がゴールドで眩しい。
以前は「15分早出で」という指示ではなく、「なるべく早く来て」というあやふやな指示をオーナーは出して来てたけど、私が「なるべく」ってどのくらいだよと思いつつも質問するとオーナーが怒るからまあ30分くらい早目に行けば良いのか? と思って二回連続で30分早出をしたら、オーナーは「15分早出で」と明確に指示出しするようになった。
どうやらオーナーは、私がいつもシフト入りの時間よりも12、3分早くに出勤しているのを見て1、2分早目に来てすぐ着替えてホールに出ればいいだけのことだろうと思っていただけのようで、私が頑張ってガチの早出出勤をするとは思ってもいなかったようだ。
シフトリーダーと交代で入る時だけ、ちょっと早めに来るように言われる。何故なのかというと、シフトリーダーには学童保育に預けているお子さんがいて、お迎え時間が18時きっかりと決まっている。少しでも遅れると月額料金に延長料金を1000円加算されるから、遅くとも17時45分には上がって店をでなければならない。だけどシフトリーダーはギリギリまで上がらずにいて、上がる時は「これじゃお迎え時間に間に合わない!」と周囲の人や物に当たり散らしながらドタバタと帰って行く。その様子をオーナーは前々から危なっかしいと思っていたそうで、交代で入る私が早くに出て来れるなら、シフトリーダーも慌てずに帰れるでしょ? ってことで私が早出を命じられることになった、はずなのだが。
いつだったか、オーナーに言われるがままに早出したら、シフトリーダーに「何でこんな時間に来たの? 出勤時間間違えちゃった?」と聞かれた。それで、シフトリーダーはお迎えの時間があるから45分には帰らないといけないんじゃないのか? と聞き返したところ、学童保育に子供を預けている日とそうでない日があって、今日はそうでない日の方だから18時まで居れたのに、と、なんか私を給料泥棒みたいな言い方をしてきたので腹立って、私はオーナーにLINEで「私に早出しろって言う前に、シフトリーダーとよく話し合ってください!」と文句言った。そしたらオーナーは、私に早出をさせる日は「ちゃんとシフトリーダーにはよく言い聞かせておいたから」と言うようになったんだが、シフトリーダーの言動は相変わらずなので、話し合ってはおらず、一方的にシフトリーダーに増田と交代して45分で上がれと命令しただけなんだろうと思われる。
この頃はシフトリーダーは子供を学童に預けるのをやめてしまったのか(お子さんもう小4だしなぁ)、45分になっても余裕の表情で、私と中々レジを代わってくれなかったり、交代をしてくれても18時になるまで何か他の仕事をしていたりする。45分丁度で上がったのに、18時になるまでのんびりお買い物をしていたりするし。なのに、上がり前にゴミ箱のゴミをして片付けなかったりする(当店にはゴミの引き継ぎ禁止というルールがある)し、一体なんなん、この人なんなん!!
と、夜暇になってからAさんに愚痴ったところ、Aさんが夕方からシフトに入る時にも、オーナーからは「シフトリーダーは17時で上がりで、45分からは増田さんが来ることになってるから、それまではワンオペで頼む」と言われているのに、何故かシフトリーダーは頑なに帰ろうとしないし、私と交代するのも渋る、とAさんは言った。
そんなAさんの話を聞いて初めて気付いたのだが、オーナーは17時台はワンオペにしたいと考えているのだ。でも18時前は日によって混むこともあるから、18時からの人を15分早出することで妥協したい。そういうことだったのだ。
シフトリーダーの契約はそもそも17時までなので、オーナーはあまり残業されたくもないらしい。昼勤のパート・バイトは長くて6時間労働のところ、最近シフトリーダーは本人の希望で朝9時出勤となっているのも、オーナーがシフトリーダーをさっさと定時で帰らせたい理由なのかもしれない。
ところがシフトリーダーはといえば、お金はいくらあっても邪魔じゃないから、稼げるんなら出来るだけ稼ぎたい、と自分で言ってるような人なので、夕方のシフトに丁度一人ぶんの空きがあるのに残業させて貰えないということに、納得していないようだ。
実際のところ、17時台はワンオペが出来るほど暇なのかといえば日による。平日でも全然お客様が来なくて何もすることがない日もあれば、二人体制でやっても長蛇のレジ待ち列の出来る日もある。もしかしたらワンオペでは捌ききれない「かもしれないから」ということが、シフトリーダーが自主的に残業する正当な理由となっている。
だがオーナーとしてはオーナー命令外のことで「正当な理由」のあるものは何もないのだ。
結局のところ、最近オーナーとシフトリーダーはエゴとエゴをぶつけ合って揉めている。
揚げ物とか中華まんセールの時も、オーナーとシフトリーダーはよく喧嘩をしている。オーナーは本部に言われるがままにセールを頑張るとノルマを増やされて後で面倒臭いので、売上をそこそこに抑えたい。一方、シフトリーダーはセールの宣伝がテレビでも流れていて、セール品目当ての客が事実沢山来店しているのだから、売れる時に売って店を儲けさせたい、と一歩も引かない。オーナーにもうFF商品の調理はストップでと命令されたのに、オーナーの目を盗んでは勝手に調理して山盛りのセール品で什器を充たしてから帰る。
それでオーナーとシフトリーダーのどっちが正しいのかというとそれは微妙なところで、夕方仕込まれた大量の揚げ物と中華まんが20時までにはすっかり売り捌けてしまうこともあれば、セール期間中にも関わらず、一つも売れずに大量の廃棄が出ることもある。やってみなければ分からないとしか言い様がない。
従業員には、「ここはオーナーの店だから」と割りきる人と割り切れない人とがいて、シフトリーダーは後者だ。シフトリーダーみたいな人は当然オーナーと揉めるし、他の従業員とも結構な揉め事を起こしがちなんだけど、店の売上に貢献しているかもしれないし、仕事をよく回しているから、面と向かって反論するのも憚られる。取り敢えず、私みたいな一アルバイトは、オーナーとシフトリーダーの間に板挟みにされるとかなり辛い。
日本ってのは「殺すぞ」にとても厳しい国だ
「小学校でコウナゴ(漢字表記したら俺が捕まるのでカタカナ)焼いて食べます」というイタズラですら逮捕されて、センセーショナルに取り上げられ国だ
お電話一本でSWATが誤射してムカつくやつ殺してくれて、ライフル協会とかいう人殺しが大好きで銃を使いたくて仕方ないサイコ共が幅をきかすアメリカとは違って、殺意の表明にとても厳しい国だ
さて、ならどこまでが許されるのか
冗談だって(笑)怒んなよ(笑)が通用しないラインはどこまでなのか
これはガンダムWの主人公のモノマネですと前置きしてから「お前を殺す」と言うのはダメなのか
「こ、ころぶぅ!!!あぶぶぶぶぶ!!」とガンパレードマーチのラスボスのマネしてもダメなのか
「メ凡
木又す」とぼかすのもダメなのか
のぶみさんは言っていましたね
のぶみさん、嘘をついていませんか?
出版と売り上げにこだわるのは、
出版した絵本が世の中に受け入れられるのが幸せだからじゃないですか?
のぶみさんは言っていましたね
のぶみさんが子どもの頃に感じた「お母さんにもっとかまって欲しかった、寂しかった」気持ちを
子ども達に代わって、世の中のお母さんに伝えているんですよね
「お母さんなりに頑張っていた」
「僕がお母さんの愛を受け取っていないだけだった」
と話すことが増えましたね
じゃあ、のぶみさんが伝えたい「寂しさ」って、誰の感情ですか?
なぜ、ご自分のお子さんの話になると
子どもに好かれたい、キライだと言われる、と愚痴めいたことしか言わないのですか
なぜ、
お子さんが今よりずっと幼かったころのエピソードしかお話しされないのですか
お母さんにはかなわない、じゃないんです
お母さんと子どもの愛が大きいのは、お母さんが子どもと一緒に愛を育んだ積み重ねがあるからです
「大きい子ども」
「産んだ覚えのない長男」
そんな風に呼ぶお母さんが多いそうですが、なぜでしょうか
お父さんはいつまでも心が子どものままで、家事育児に興味が持てないから?
でも、のぶみさんは仮面ライダーも電車も興味がなくて、戦闘シーンのある漫画も苦手だったんですよね
「お父さんと子どもの愛を大きくする方法」を考えて、それに自分で取り組むことではないですか?
今のぶみさんが一番取り組むべき課題は、お父さん業の果たし方ではないですか?
幼い頃ののぶみさんが受け取りたかった「お母さんの気持ち」や、
・党派性の強い人
味方は甘やかそう、敵はケチをつけよう、というのを端から前提にしてる。とにかく日常的に、自分が支持している言説の「味方側が勝ってる」「敵側が負けてる」発言を集めては広めていてる。さらに何かの発言を見たとき、瞬時にそれが「味方側」か「敵側」かの判断をして、色眼鏡をかけて、味方側っぽい人の話はうんうんうなずきながら読む一方(時には読む前に広めてしまう)、敵側っぽい人の話はここにがどう間違ってるのかをあらさがしだけをするように読む。そして味方側の悪いところも、敵側の良いところも、なかったことにする
・属人性の強い人
頭の中に「味方側フォルダ」「敵側フォルダ」を分類していて、そのフォルダ分類に合わせて他人の意見を判断をする。何を言ってるのかを確認しない。「○○という名前を見てそっ閉じ」みたいなことを平気で言う(←これを「こいつの言ってることはどうせ間違ってる」ではなく「私はただ単に閉じただけです」だとか、言った本人も含めて誰も信じてない言い訳はやめてね)。
・敵側には何をしても許されると思っている人
「敵側」と判断した相手への公平さを一切考慮しない。最悪のところ、デマでも誹謗中傷でもなんでも許されると思っている。平気であやふやな情報による攻撃を率先して信じ広めるし、日常から「中傷的な名前の呼び方」なども平気で行っている。
また敵側と判断した相手に対しては、その他のあらゆる部分でとにかく攻撃的にならないといけない、否定しないといけない、譲歩してはいけない――と思っている。例えばある点でとても批判的な相手が別の部分でいいことを言ったりしても、絶対に認めない。あるいはある点でとても批判的な相手の、まったく別の本業の成果などに対して、端からバイアスをかけて否定しようとする。
公平さがない。
・訂正ができない、謝れない人
一度批判した相手は敵側なので、間違ったことを言ったり、中傷的なことを言ったり、なにか言い過ぎたりしても、訂正ができない。ましてや謝れない。「敵側」に対するなんらかの譲歩的なアクションはすべて、こちら側の失点であり、敵側の加点であると考えているので、「敵に対して訂正をしたり、謝ったりするなんて、できるか」と考えてしまう。それが明々白々な間違いでも、いやそうであるからこそ、やれない。
・口汚い人
「アホ」「バカ」「間抜け」などはもはや軽いジャブ、「人のクズ」「虫けら」「ゴキブリ」等々、とにかく口汚く敵を罵る。――なお、一般論として差別用語などを使う人間を批判する人の一部も、平気でこうだったりする。人を傷つけるのはやめようと思っている(ぼくも同意する)人が、なぜそうなるのか、よくわからない。
・自分に甘い人
以上、かなりの自戒を込めて書いた。
これを読んで「自分の考える敵どもって確かにそうだな!あいつらしょうもないな!」としか思えなかったら、それはやめてって思いますね。
おまけ
当たり前だが、最近よく見かけた……というのは、それが「多い」ことを意味しない。ましてや前より増えていたりすることをや。
心理学的に、ヒトは統計数字をうまく呑み込めず、「自分が思いつくこと」が統計的に多いのだと判断してしまうものらしい。何かが何かに比べて多いとか、何かが周りより突出しているとか、そういうのの根拠に「自分や周りの体験」「ネットで見たいくつかの件」を挙げたり、あるいは何かが少なかったりないという根拠に「見たことない」を挙げるの、エラーなんじゃないかなー。
ぼくはここ数か月で街で二回喧嘩を見たが(人生でもめずらしい体験だ)、それで『喧嘩は増えている』と言ったらおかしいのだと思う。そういうこと言う人が昔より増えている。