はてなキーワード: usbとは
PS5は性能が同じでBDドライブの付いた標準品とディスクドライブなしのダウンロード専用版の2種類に分け、Xboxは性能も落としたディスクドライブなしのSで分けた。ニーズを拾ったかどうかは不明。
Xbox GamePass月額1100円、PSPlus プレミアム(一番高いサービス)は月額1500円の年額10250円
1ヶ月だけなら箱の方が安いのだけれど、年額ならPSの方が安くなる。
嘘乙。
できるぞ。嘘乙。
できねーよ。嘘乙。
されてねーよ。嘘乙。
怪しいサードパーティ製のツール使えば繋がるけれど、もちろんps5コントローラーの機能はろくに使えないぞ。
後半嘘ばっかじゃねーか。
・PS5は在庫がない
というのはみんなご存じの通りだが、ほかにもいろいろある。
・PS5は本体がバカでかい1種類のみ。 → XBOXはSとXでうまくユーザニーズに応えた。Sはコンパクトで安い。
・サブスクサービスがXBOXのほうが割安、EA Playも入ってる。最初の1か月100円。
・XBOXはアプリを自由に入れられる。Blurayドライブも再生可能。
・Steamも月額かかるが一応プレイできるらしい。PS5よりオープンさがある。
コントローラはおそらくPS5のほうが上。
しかしXBOXはなんとPS5のコントローラもクラウドゲーミング経由で接続できるよう設計されている。
2022-07-23
Q.【セキュリティUSBメモリ】【情報漏洩対策USBメモリ】 「パスワードを5回間違えてロックがかかってしまいました。本製品内のデータを取り出してもらうことはできますか?」
【回答】
なりすましで依頼を受けるケースも想定されるため、お受けしておりません。
管理者用ソフトウェア対応型番であれば、管理者用ソフトウェア(有償)を使用することでデータを救出することが可能です。
(予めデータレスキュー機能を設定しておく必要があります。事後の設定はできません)
http://qa.elecom.co.jp/faq_detail.html?category=&page=1&id=4977
↑
これ読むと、例えば警察とかの政府機関からの要請があった場合はロックされたUSBからのデータ抽出依頼とかしそうな気もするんだけど、そうすると絶対安全とは思えなくて不安になる
これか
たとえば、同僚が使っているロッカー。
番号式のロックがある。
この番号を知ること、かぎつけること、暴くこと、犯罪者にとってこれ以上の美食はない。
ハイエナがうまそうに屍肉に食らいつくのと同じ。
犯罪者の人生とは、「仲間」を探し当て、世の中の治安を乱すことが最終目的だからだ。
仲間とはもちろん、「心にうしろめたいもの」を持った人間である。
「ああ、このために生まれてきたんだ」と思える。
つまり他人の秘密とは、彼らにとって最高のステーキであり、人生を満腹にするためのライフハックなのである。
「ああ、生きている!」と感じるだろう。
あれと全く同じである。
去年買ったテレビがやたらと「ストレージの空き容量がなくなりました。このままでは安定した動作が保証できません」みたいなメッセージを出してくるようになった。
いまインストールされてるアプリは各社との契約事なのか、消すことができない仕様になっている。
USB等に移行させることもできない。
定期配信される機能アップデートは、DLする容量がないのでもうあきらめるしかない。
メーカーの電子取説には「アンインストールできないアプリがあります」みたいなフワフワした記述がほんの一文あるだけ。
それで頼みの検索サイトでヒットする情報と言えば、メーカーや出版社に金積まれて良いこと尽くめしか書いてないレビュアーのクソ駄文だけ。
前はブログサイトなんかで「〇〇の日常日記」系みたいなオタサイトがあって、一購入者が体感したトラブルやその対処法を事細かく記してくれてる情報に辿り着いた気がしたんだけど。
直近でPCのUSB-Cポートが全然足りないから調べてたんだが、ほぼ存在しないといっていいレベルで見つからない。
海外でも碌に見つからない。聞いたこともないブランドの怪しい製品がいくつか見つかっただけだ。
USB-Cが世に出て何年も経つのになんでこんな惨状なのかちょっと考えてみた。
USB-Cにはうんざりするほどの企業の欲望が詰まっている。セットで導入されがちなUSB-PDも同じだ。
様々な機器メーカーの要求をごった煮にしてしまってるのでスペックはオプションも含めて膨大な規模になっている。
18Wと240Wの給電ポートの口を共通化するなんて愚の骨頂としか思えないが、そういうことになっている。
alt modeのディスプレイ信号も、電源供給も、データ通信レートも、群がる亡者の欲望を可能な限り詰め込んでしまっている。
個人的にはalt modeもUSB-PDも不要で単なるUSB-Cポート増やす機能さえあればいいんだが、オプション機能がないとそれが
「商品としてのマイナスポイント」になる。下らねぇ話だが、そう見えてしまうのは仕方ない。
「ディスプレイとPCをUSB-Cケーブル一本で繋げる」とか「すべての機器の充電ケーブル統一」といった見栄えのする機能は高値で売れるので
機器メーカーとして単なるバカHUBを作る動機が無いんだろう。
ポート数を増やしても大元のPCとつなぐ部分の帯域には限度があるから、通信速度も遅くなるし、電源やディスプレイ信号も処理が面倒だろう。
何でもかんでも規格に詰め込んだ結果、基本機能だけの製品が生まれづらくなっているんだろう。
笑える。
ガチでクソ規格だよ。
名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita
この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから,安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である。
初期の UNIX の歴史について興味がある向きには次の書籍をお薦めする。
Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)
和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書は The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。
また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。
元記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計の基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。
https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date
ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。
もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX の開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T の定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事で言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。
この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDF は OCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX の論文なのだ。もちろん論文の性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイの哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白い。UNIX の開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然な時代だったことは間違いない。
UNIX が認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイの論文に影響を受けた布教のためのああいう説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本で最初期の UNIX 解説本のひとつである,村井純・井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。
オペレーティング・システムは,コンピュータを使うものにとっての環境を形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性を尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIX のオペレーティング・システムとしての個性ではないだろうか。
「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能のコマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性を尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである。
そしてじつは UNIX の場合,布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。
UNIX は PDP というミニコンピュータ(ミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校の教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校にコンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器はコンピュータではなくコンピュータに接続するための端末装置(ターミナル)だ。端末装置のキーボードで打った文字がコンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 Unix 系 OS で CLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置のエミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。
さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥や洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっともコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥が CPU でそっちの洗濯機がハードディスク,あの机に置かれているタイプライタが管理用コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代のお話だ。
端末装置それぞれから(USB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。
結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。
当時の UNIX の評価を一言で表すと〝自由で不安定な OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由。さらに他のメインフレームやミニコン用 OS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロ用 OS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番のディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。
こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌『UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイの1986年11月号から1988年10月号掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器で1980年ごろから UNIX サイトのスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX の自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。
CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU を実質的に停めてしまうことが UNIX ではいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンドを10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに vi のカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトでログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX は破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているときに勝手をやられると非常に困るのである。当人の仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。
ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイルを自由に作ることができる。したがって,自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソール・タイプライターにエラー・メッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソール・タイプライターが一晩中エラー・メッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図も完璧に打ち砕かれてしまうのである。
そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンドを10個くらい同時に走らせ」たり「自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイトの利用者全員に UNIX の設計の基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX の伝道がより苛烈だった理由のひとつがここにあるのだ。
ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代の UNIX は Research UNIX と CSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX と記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIX のライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研で発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。
もっともそういう70年代風味の牧歌的風景はミニコン世界限定の話であった。BSD そのものはミニコン用のものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSD 系 Unix や AT&T が推し進める System V などがワークステーション市場を舞台に80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PC 用 Unix であるマイクロソフトの XENIX も当然参戦した。ミニコン世界が牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争はあくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&T と BSD 系 Unix の Sun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。
こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unix そのものや文化にも変化をもたらした。まず激しい競争は Unix の高機能化を加速した。商品として判りやすい惹句が「あれもできます,これもできます」なのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者の自由を制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix は現在の Unix 系 OS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教の必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unix のシステム管理の入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空のソフトウェアハウス(開発会社)を舞台に新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。
当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイの論文の結論部分に書かれたそれは,1973年に出版されたイギリスの経済学者エルンスト・シューマッハーの著作の題名で,中学生の英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。
Small is beautiful.
マキルロイは『人月の神話』を引いて一定の留保をつけてはいるものの,これが UNIX 哲学の背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•cs のアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?
ひるがえって現在の Unix 系 OS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX が仮想敵とした OS そのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在「UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。
大好きな父が亡くなった
60歳代は早すぎる
今は何もかもが惜しい
ここ2ヶ月は毎日、父の様子を見るために家から電車を3回乗り継いで坂を登って実家に通っていた
容態が悪くなるにつれ、夜は泊まり込んで寝ずに父の様子を見ることもあった
話したかったことを話し、ベッドから起き上がりたい父の手を取り、トイレの付き添いをし、点滴をロックし、唯一口にできる水を何度も汲んで取り替えて渡した
ペットボトルから直で飲めていた水は、ストロー付きになり、コップになり、吸口になった
起き上がれなくなってからは排泄の手伝いをした
毎日帰り際に「また明日」と言って手を握ったら握り返してくれた
息を引き取る直前も手を強く握り返してくれた
二ヶ月間放置した家の中を片付けなければ
父と家族の写真をラミネートするために買ったフィルムと、出しっぱなしの父のラミネーター
いつ夜の番になってもいいように買った旅行用の携帯石鹸とオールインワンジェルと常用薬を入れたケース
父が書いた様々なメモ
昔の話がしたくて引っ張り出した数冊の日記帳
ガジェット好きの父からもらったUSBケーブル、タブレット、ポータブルスピーカー、大きなハードディスク、ポータブルフロッピードライブ
硬いところに当たって痛む体が少しでも楽になるように貸した柔らかめの枕
寝転んだままでも時間がわかるように貸したフック付きのアナログ時計
疲れ果てて帰ってきて捨てる体力すらなかった日の、空っぽのジンジャーエールのペットボトル
口が乾くから買ってきてほしいと頼まれたもののハッカが入っていて使えなかった口腔ジェル
湯灌の時に切ってもらった遺髪
まだまだある
片付けなければ、片付けなければと思うのに、今は片付けるどころか時間が経つのも惜しい
父が生きていた時の体から、父が亡くなって以降の体になっていくのが惜しい
父が生きていた日々からどんどん遠ざかっていく
前を向いて進まなくてはとよく言うけど、時計が進んで父がいた時間から遠ざかっていくのが寂しい
辛い
USB問題ではいろいろあるが、まあ現市長の稲村和美が市長になる前からの話でもあると思っている。
給料カットなどが含まれていたそうなので、職員のやる気が無駄になっているのではないかという批判はこの手の政治には付き物だろう。
これは尼崎だからというよりも関西圏はどこでも他人事ではないと思うが、事務所の排除には市として尽力したように思う。
ふるさと納税などもこの問題に使用されたのでわりと良い使い方だったのではないかと。
JR尼崎の開発も一定の成果がある。賑わう場所になった。ダウンタウンが住んでいた名残はほぼ無いだろう。地価もあがっている。尼崎は土地が安いんだろうとこと関西人は思っているだろうが、それはもう随分前のことだ。
よそに住んでいる男性諸君には嘆かわしいことかもしれないが、あの新地、徒歩3分かからない場所に小学校があったのだ。
流石に小学生は親に厳しく言われていたようで近寄らないが中高生と、やる気の男たち、逆にスッキリした顔の男たちが普通にすれ違っている場所だった。
商店街とも近い。チェーンのブランド店ばかりではなくあそこまで賑わっている商店街もなかなか無い。当然家族連れも多い。
それでも無くならなかったものをついに潰したのだ。
しかし潰しただけでは土地の権利関係の問題は山積みらしいし、その後の従業員たちの行先も気になるところだが…とにかく事態は動いた。
個人的に悪かったところはコロナ対策で表明などに積極的ではなかったところだろう。若く女性であるので自ら広告になる実力はあったが、あまり表に出てこないタイプでもあった。ちょっと苦手だったのかもしれない。
しかしワクチン接種率は県内で一番になる体制を作ったのでそこは評価ポイントではある。
普段長期政権を否定しているスタンスではあるが、現市長にはもう少し続けてほしかった。
去年から辞めることを決めていたらしいが、仕事をする人はさっさと政権を捨ててしまう。しない人はしがみつく。
もしかしたら次の道が決まっているのかもしれない。
この書き込みもただの政治的応援になってしまうのかも。無所属派閥だったが次に見るときは維新になってるかもしれない。
でも尼崎市民は冷静に考えるべきだと思う。
BTOメーカーで買ったんだけど、たぶん配送中にけっこうな衝撃が加わって半分故障してたんだよなぁ。
届いた時にはCPUファン外れてたし、配線抜けててケースUSBが死んでたし。
あんまりPC詳しくないからよくわかんなかったけど、メモリ抜き差ししたらとりあえずブルスク治まったんだよなぁ。
ちょっと負荷をかけると、ずるずるとフリーズしていき最後にはブルースクリーン再起動。
昨日またメモリ抜き差しやってみたら治まったように思えるけどどうなんだろうなぁ。
前回のメモリ挿しこみがやっぱり甘かったのかなぁ。
最近グラボの値段も落ち着いてきたっていうし、もう一台買っちゃおうかなと思いつつも、
「配送事故や初期不良でしたら送り返してくれれば対応しますよ。それでいいでしょ?」って感じなんだよね。
[レビュー]Satechi 165W USB-C 4-Port PD GaN Charger をチェック 驚異の4ポート165W出力充電器の実力は?
https://xn--p9j1ayd.net/archives/53902
複数ポート使用時の出力がポート毎に固定される点、その際の出力仕様がかなり複雑になる点は「何気に使える」とは言い難いものです。
とはいえ、本製品は据え置き型の充電器であり、筆者はさほどケーブルを抜き差ししないこと、それを言い出すと極論400Wの充電器でないと不満は残る。ということを考えれば、この仕様でも現時点では必要十分にも思えます。
[レビュー]Anker 547 Charger (120W) をチェック 色々とイマイチな USB-C 充電器が登場
https://xn--p9j1ayd.net/archives/55066
3、4ポート使用時に出力使用が複雑になることは、製品の特性上致し方がないことですが、2ポートの段階から複雑さを極めるのは、あまりにも早すぎるように感じます。
これは、全く直感的でない、何気に使うと何が何だかよくわからなくなる仕様であり、あまりにも使い勝手が悪いように感じました。
なんでSatechiのは複雑でも据え置き型の充電器だから必要十分としてるのに、Ankerは据え置き型の充電器でも複雑で使い勝手が悪い扱いなの?
「【危険製品】Anker 736 Charger (Nano II 100W) をチェック どうしよう出来が悪すぎる」 https://web.archive.org/web/20220704043526/https://xn--p9j1ayd.net/archives/55794
「めちゃくちゃ危険な充電器です。デバイスの破損は覚悟して下さい 」 ttps://www.facebook.com/purudo.net/
という煽情的なタイトルの記事・呼びかけが公表され、記事本文でも「2度と Anker の充電器は買わないと誓いました」「売って良いレベルの製品ではない」とさんざんAnkerと製品がこき下ろされる。
↓
ITライター氏「やばすぎわろた」 https://twitter.com/kizuki_jpn/status/1543770603139649536
はてなブクマカ「うへー、怖い。」 ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/xn--p9j1ayd.net/archives/55794
等、記事タイトルや本文の煽情的な煽り文句に乗せられるままに驚愕・恐怖・嘲笑する反応が多数出る。
↓
「Ankerさん。ご質問などがあれば本誌のお問合せフォームからご連絡下さい。(もうここまで来ると、どうにもできない可能性が極めて高いので言いますが)」
と挑発、イキって煽り倒す。https://twitter.com/wwdc1999/status/1543818287972499461
(何が「もうここまで来ると」なのかは不明)
↓
ツイッターでは煽情的なタイトルや本文中の修飾語に流されず、きちんと記事を読み込んだUSB-PDの知識ある方から
「どこがどう仕様に違反してるのか不明。記事内では仕様のどの辺に引っかかっているのか、具体的な説明はゼロ」 ttps://twitter.com/hnpn914/status/1543951816404058112
等と冷静な突っ込みが入り始める
↓
記事執筆者氏、複数のツッコミや指摘を受けて記事の問題点を認識しだしたのか、
「寄せられたご意見とWeb上の意見をまとめて、仕様書を改めて読むと(←改めて?本当?)
確信的なことが曖昧にされているように感じた。あと、USB-PD規格にフェイルセーフの概念がないということは理解した。」
https://twitter.com/WWDC1999/status/1544200772015255553?cxt=HHwWgsDT3fWaje4qAAAA
「USB -PDの仕様書って曖昧じゃない?」https://twitter.com/WWDC1999/status/1543959475736182784?cxt=HHwWgIDUrdC9n-0qAAAA
↓
Ankerから「製品はUSB-PDの規格にのっとっています。正常な使用で危険はありません。受電側機器で規格違反があり過大な電力要求がある特殊な場合では、つられて大きな電力を供給することがあります。」 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.ankerjapan.com/blogs/news/357
と解説・声明が出る。更に返金対応に応じます、今後の出荷製品はUSB-PD規格以上の安全側に改修しますという神対応を発表。
↓
Purud.netがAnker声明を受け見解発表、Ankerの主張を認め白旗上げ全面降伏の様相 https://xn--p9j1ayd.net/archives/55987
「「特殊な」環境において試験を行い、それを基に記事作成を行いました。本誌が使用した「負荷抵抗器」と呼ばれる機材は、製品の設計時や耐久試験などに使用する業務用機材です。そのため、リリースにもあるとおり、通常では発生し得ない状況を作り出すことが可能なものです。」と自白。
「【危険製品】Anker 736 Charger (Nano II 100W) をチェック どうしよう出来が悪すぎる」
「【レビュー】Anker 736 Charger (Nano II 100W) をチェック」
にシレッと改竄。記事本文中の扇情的な煽り文句も多数削除されるが、Ankerへの謝罪の加筆は無し。
↓
「やばすぎわろた」のITライター氏、USBの規格以上に安全側に改修するというankerの措置を
「しれっと修正してるんじゃん。これあかんやつや」https://twitter.com/kizuki_jpn/status/1544258563312594944
と門前払い。より安全に改良することが何故「あかんやつ」なのか理由の説明なし。
自分を信じてまだまだ孤高に戦い続ける模様。ガンバレ、超がんばれ。
↓
ankarの解説・声明のニュースに対するブコメ欄 ttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1422649.html
では、機器と規格の仕様を理解できず(理解しようとせず)、anker製品が危険で誤ってると決めつけたまま、中国企業全体への偏見・ヘイト・中傷を表明する下記ブコメがスターを集めて上位ブコメになるという、ふだん「差別者はこの世から消えろ」と正義のポリコレ棒で他人をブっ叩いてるはてブにあるまじき事態になり、恥の上塗りをさらす。
urtz 中国企業あるあるで、リスクは最小だから実質無いのと同じでしょ、問題起きてないしって主張。事故るか事故らないかのスレスレを目指すことで中国企業は成長してきた。事故っても人口が多いので人より企業優先になる
ttps://b.hatena.ne.jp/entry/4721966618691958914/comment/urtz
2022/7/6 15:30時点
Ankerの件見て少し思ったんだけど、大勢で規格定めるのはいいけど誰が責任持って取り締まるの?
Ankerはまだ意図的に非準拠品売ったとは言いにくい感じだけど、クソ業者のゴミ掴まされて20万円のスマホ壊れたらどこに文句言えば良いの?
アマゾンのクソっぷりみてると買う側に落ち度があるとは言いづらい状況もあるでしょ。
2024年にはおそらくEUに強制されてiPhoneもUSB-Cポート実装されるだろうけど、外部画面出力って言う利があるiPadはともかく、スマホに関しては正直余計に金がかかるだけだから止めて欲しい。
「船頭多くして船山に登る」を体現したようなクソ規格が一刻も早くまともになって欲しい。