はてなキーワード: 連れ合いとは
次女が4月から小学生になる。このたび連れ合いが会社で昇格して忙しくなるらしく、次女の小学校まわりの準備をやらせてもらうことにした。
プリントに目を通し運動着やシューズを買い揃えた。小学校の事前説明会に2回とも参加したし、健康状態の調査票も母子手帳を見ながらなんとか書いた。仕事と家事の間になんとか隙間を見つけて入学式の日にもってこいというものを一通り揃えた。小学校のプリントって同じようで微妙に違うような内容が色んなとこに書いてあってわかりづらくて苦労した。
4月になって、連れ合いがプリントには書いてないサブバッグやら着替えやらを用意し始めた。なぜか小学校にやってくる新しい先生の経歴情報や子供のクラス人数、男女比、入学式の注意事項まで知っている。
配布されたプリントに載っていないそれらの情報をどこで情報を仕入れたのか尋ねると、入学前に既に全員女性の母親LINEグループが存在しており、そこで知ったという。サブバッグと着替えは長女の経験からも知っているとのこと。そりゃそうだ。
次女の小学校準備は任されたものと認識していたので、教えてくれればやったのにと抗議したところ「知らなかったのはあなたの不備」「知らなくて当然という態度で怒るのがおかしい」と反論された。
全員女性のLINEグループに飛び込む勇気はないし参加したところで場をピリつかせるだけだ。小学校の準備やお世話は連れ合いにLINEグループ情報を聞いたり経験を頼ったりするわけだが、重要な情報をすべて握られており自分は何もできない無能という烙印を押された気がしてとても落ち込んでいる。
でも連れ合いはこんな大変な仕事を一人で何も言わずにこなしてきたわけで、有能だしそりゃ昇格もするわと思った。今後も無能なりに謙虚な気持ちで教えてもらいながら小学校の準備お世話をしていきたいと思う。
というより「結婚・出産を否定しないフェミ」の方がおかしいのだが。男と番って家父長制再生産してるやーん、加害者としての男児、被害者としての女児を再生産してるやーん、って思う。
他の男と違ってアタシの連れ合いだけはフェミニズムに理解ある彼くんだから法律婚しても家父長制の強化には加担しない、自分の息子は絶対にフェミニズム的にコレクトネスな女性を加害しない男に育ててみせる……バカじゃねぇの?
たいてい自分より稼ぎの良い(少なくとも腕力は強い)夫に庇護されながら妻が子を産み育ててる時点で愛というオブラートに包んだ家父長制なんだっつーの、個人的なことは政治的なことなんだっつーの!
息子を絶対にフェミニストに育てるとか、そこまで子供を親の思い通りにできると思う傲慢が怖いわ。そんな抑圧的な母親に育てられたら、高確率で女すべてを憎むミソジニー・モンスターが生まれるわ。
少なくとも妊娠したのが男児だったら中絶すると言えないフェミは信用に値しない。
もし子供を産み育てるにしても、オスは種だけ絞って殺す、男児が産まれたら殺す、女児だけ育てる、女だけの町で生きる、というアマゾネスであるべき。
結婚初期に連れ合いに「何を考えているのか分からない」とよく苛立たれた→「気持ちを語る」ということがどういうことか分からなかった話
https://togetter.com/li/1649741 のコメント欄
「そうじゃなくて私が作った、今食べてるカレーについてどう思ってるの?」
「そうじゃなくて味について!」
「何怒ってるの?俺何か間違ってること言った?」
を読んで、「ああ、こうなるな」って思ったので。「塩味が強い」「甘い」はちゃんと分かるけど、それの「好き/嫌い」を考える前に「食べなきゃ生きられない」という気持ちがある。
「まずい」を「味のバランスが悪い/悪臭、腐ってる」として、じゃあまずくないなら美味しいのか? って言われるとそれもまた違う気がする。
照明の無い部屋で、もそもそと焼いてもいない食パンとか白米とかを、おかず味付け調味料を無しに、ただ食べる事にストレスを感じないので、「明かりつけて、目でも食べなよ」って割と言われる。
「美味しい」を言い換えるなら、「もっと食べたい」「これが好き」「味のバランスがいい」あたりだと思うのですが、「もっと食べたい」は空腹、生存欲由来で自身の感情である自信がないというか
みなさんは自分の「美味しい」はどんな感情で構成されてますか?
(追記)
感情を説明することが難しいという話に対する詳しい説明 anond:20210109213515
書いて投稿したら「わかる~」ってのが上がってた。付いたブコメ・トラバの「美味しいは挨拶相当」は、なるほどだけど、自炊の場合挨拶相手がその場に居ないんだよなあ(メーカーとか農家)
先日、ガス点検に来た作業員さんが夫のことを「ご主人」と言ったことについてガス会社にクレームを入れるのなんのという話が盛り上がっていた。
根本問題として、夫妻と特に親しくもない第三者が(おそらく目の前に居る)夫妻の夫の方を指す適切な呼び方がない。
親しいなら「(下の名前)さん」、目の前に居ないなら「家の方」あたりだろうか? 「お連れ合い」は旅のボックスシートでみかんを渡すくらいの距離感ならありだがガス点検は違う気がする。「お連れ様」は家に上がり込んで言うのはなんか変。
そもそもガス点検という状況を前提とすると夫婦とか家族であるかはどうでもよく、ガス契約の契約者あるいは家の設備管理の責任者と話したかったんだろう。そうだとしても責任者が夫であろうというのはアンコンシャス・バイアスというのは否めないか。
もっと言うと発端の方は事実婚なので夫・妻として扱われることに好意的か否かも人によって違いがあろう。言われてみればガス点検で行った先にその家の人として男女が居た時に法律婚の夫婦とは限らないよな。親子だったり兄弟だったり他人だったり色々する。
というのを枕として。
おそらく、今後相手の属性を類推して語りかけるのはタブーになるだろう。肩書き呼びも男女の呼びかけも。また、よほどの目的意識がなければカップルを男女の組み合わせに限定することもなくなるだろう。例えば店に二人組で来て欲しいなら男女ペアに限定せず言えば良い。それらは多様性という観点から良いことだと思う。今まで顧みられていなかった人を救うことにも繋がる。
となると何が起きるか。自分が愛好する、付き合っていない男女が周りからそう見られていることに気付き相手を意識し始めるというシチュエーションが発生しなくなる。
今まで各種フィクションで頻出していた――男女カップリングを取り扱う二次創作だと必ずといっていいほど見る――カップル席に案内される・カップルならおまけがつく甘味をすすめられる・モブに「素敵な彼女/彼氏/奥さん/旦那さんだね」「この商品彼女/彼氏/奥さん/旦那さんにどうだい」「お似合いのカップル/夫婦」と冷やかされる、あたりのことだ。そのイベント時に起こる心の揺れ動き、むきになって否定するのも心証悪いか? このままやりすごす? 外からはカップルに見えるのか。でもまんざらでもない自分もいるぞ。カップル扱いされた相手の反応はどうだろう? 自分にとってこの人の存在って一体……! みたいな内省をも伴うやつ。そのイベント後相手を直視できずにぎこちなくなるのもよし。わーってなった後に落ち着きを取り戻しクールに振る舞うもよし。混乱している時に相手にさっと助けられさらに惚れるもよし。恋心を自覚して堂々と振る舞うもよし。自覚してじんわり暖かくなるのもよし。これは好意じゃないと断じるもよし。動揺して千々に乱れる登場人物を見るのが好きなのだ。登場人物の感情はぐるんぐるんにかき回してこそ。無自覚カップルだと外部から力を加えないと自分の心に向き合わないから、これくらいフルスイングで揺さぶりかけるのは手っ取り早いんだろうね。便利なシチュエーションである。
いやまあ、現実で発生しなくなるって言ったってもともとフィクション度高いシチュエーションだけれど。現実で「なかなか見ない」から「ありえない」になると心の距離がもっと離れるというか、二次元限定イベントになるというか。
忠臣蔵の仇討ちみたいに、過去には存在したらしいがこんにちでは見かけないイベントになるというか。
それもまた時代の流れ。
我々は先入観を持って相手に向き合ってはならず、また自分自身も外界の評価をスタート地点に自分の心に向き合うのではなく自発的に自分の心に向き合うことが求められているのだろう。
最初に言うが、これがそういうタイトルの増田文学で、全部単なるフィクションなんてことはない。紛れもない事実だ。
私は今年で40になる。これはちょっと嘘。±30歳ぐらいの範囲で嘘をついてると思って欲しい。
そこそこ安定した業界の安定した職場で正社員をやっている。給料は良くない。
ぶっちゃけこの仕事は嫌いだ。まず面白くない。労働時間も長めだ。スキルの身につきも悪く同業他社への転職だって苦しいだろう。なまじ安定してるせいで変な人間だけが居着いて、ちゃんと他所で生きていける人間は逃げていく。
こんな妄想にいつも取り憑かれている。
夜中にアイディアをひらめいてプロットエディタに設定を並べて、次の日見たらつまらなすぎて消したことが10回ほど。
それとパロディ小説が流行っていた頃に、真似事をしようと匿名掲示板の書き込み欄に妙なものを打ち込んで5分後に完全に飽きて消したのが3回ぐらい。
ハッキリ言って、この小説を書く以前の行為の段階で自分には才能と呼べるものがないことがハッキリしている。
アイディアは思いつかないし、文章力はないし、情熱も続かない。
小中学生の頃は青い鳥や角川の文庫をよく読んでいたので同級生よりはちょとばかり文章は上手かったが、それでも読書感想文の賞すら貰ったことはない。
ある時提出した宿題の出来が良かったのか論文コンクールへの応募を薦められ、好きにしてくれと教師に伝えたら後日参加賞をそっと渡されたことはあった。惨めだった。
ブログの投稿内容を10年前と見比べると露骨に語彙が減ってきたなと感じる。
そんな状況なのに、私は今でも「私はいつか作家になるのだ。超売れるのだ。そして仕事をやめるのだ」と思い込んでいる。
信じられるかい?
ツイッターで面白い(と自分では思っていること)を呟いた時にいいねが2個ついたら喜ぶような人間が、作家として大成する可能性があるのか?
もうこんな妄想ぐらいしか自分には残ってないからなんだろうな、と。
あまりにも毎日が惨めすぎるから何かしら妄想に縋ってないともう限界なのだろう。
たとえばこれが「仕事で大成功する」とか「エンジニアとしての才能に目覚める」だったりすれば、きっとそれはもっと生々しい実感を伴って日々何も積み重ねていない自分の姿を映し出すことになるのだ。
「小説家になる」というアホみたいな夢だからこそ、本当に何もしてないままでなんとか夢を見続けられているに違いない。
なにせこうやってどうでもいい言葉を書いたり読んだりするだけでも「読み書きの練習」だと言い張れるんだから。
インプットはともかくアウトプットにはそれ相応の労力が必要になる。
昔ネットにプログラマーにもイラストレーターにもなれない奴が小説家を目指すというフローチャートが貼られたが、そのどうしようもなさがいい方向に働いているのだ。
とにかくこの妄想は私が死ぬか、次の妄想に取り憑かれるまで続くのだ。
むしろ、私の人生を貶めるような妄想から私を守ってくれているのがこの妄想と言える。
宗教や薬物や恋愛に人生の逆転を求めてのたうち回らぬようにするためのものだ。
自分の人生に余計な劇物を混ぜ込まれないよう、なにかコントロールしづらいものが始まらぬよう、不活性な夢を詰め込んで空虚なままにしているのだ。
昔2chでみたコピペ「人生を壺に例えるのなら、小石や水を詰めてしまう前に大きな岩を入れなさい」。
あの話における岩を自分の人生に入れることも出来ず、かといって手頃な石を必死に集めて人生の価値を取り繕うのも面倒だから、風船を一つ押し込んで人生を終わらせることにしたのだ。
このままつまらない仕事を続けて、結婚もせず、大した趣味も持たずに死ぬ。
酔生夢死を夢見ながら実際にはそれなりの苦痛を緩やかに味わい続けて命が潰えるのを待っていく。
そのための連れ合いとして必要不可欠だから生まれた夢だったのだと思う。
全て忘れたい。
こんな程度の人間に生まれたことも、生きるために人波の中でゆっくり針のむしろを感じて生きる時代の中に生まれたことも。
何もしたくない。
何もせずに生きていたい。
だけど、いつか何かが起きて生きててよかったと思えるからと自分に騙されてここまで生きて、今更何もなくて終わらせるのは耐えきれない。
それで選んだ夢がこんなものか。
それで結局、何もやっていない、と。
どうすればいいんだ。
駄目だ。
自分で書いて読み返すのもキツい。
どこか書くところがないとすぐ忘れるので備忘録代わりに。追加していく予定。
「それが好きならこれも好きなはず」みたいなレスポンスがあると嬉しい。
「渡舟 2019 “テロワール”太田ノ谷 おおたのたに」府中誉(茨城)。15度:太田ノ谷産短稈渡船。蔵元あえてのスペック表示なしの販売らしく、原材料表示から純米酒だと分かるのみ。微炭酸を感じた気がするので生なのかもしれない。味はいかにも米の酒という印象。米のうまみと甘さを感じる。そこに重みを感じさせないような酸味が添えられ、瑞々しい印象を与える。好みの味。元旦からいい酒である(2101)
「まんさくの花 槽しずく 純米吟醸生原酒」日の丸醸造(秋田)。純米吟醸生原酒(加熱処理無し):16度:秋田県産吟の精:歩合55%:協会9号。加熱処理なしだからか、微炭酸を感じる。そして強い酸味と甘みとうまさ。味が濃いのに爽やかな印象。2021年の締めにこの酒を選んだのだが、よい締めであった。よい一年であった。皆にとってもそうであるようにと思いつつ。(2012)
「鳳凰美田 Black Phoenix 生酒」小林酒造(栃木)。純米吟醸生酒:16度:愛山:歩合55%。通販サイトでは「『パイナップル』のような風味」と書いてあったが、自分は洋ナシのように感じた。濃く華やかで、甘みを感じるが重くなくフルーティー。美味い。例のバイデン繋がりで売れた酒と知らずに買って飲んだのが、ノリで買った人も後悔しないだろう。これを機に日本酒を好きになってもらえたらよいのだが。(2012)
「春心 生モト純米 五百万石(無農薬・化学肥料不使用) 火入れ」西出酒造(石川)。純米:17度(原酒):五百万石:歩合70%:酵母無添加・生モトつくり。シェリー酒のような風味を感じる。実はシェリー酒は苦手なのだが、これは美味い。不思議な味わい。(2012)
「V1116」八戸酒造株式会社(青森)。純米吟醸:13度:青森県産米(通販サイト情報では麹が華吹雪、掛がまっしぐら):(歩合は通販サイト情報では麹55%、掛60%):デンマーク産白ワイン酵母V1116。香りは日本酒だが、口にすると、その酸味と甘みに、なるほどワイン酵母と思う。だが落ち着いて味わうとワインらしい果実味ではなく米の旨味を感じる。うまいし飲みやすいが不思議な味わいで、何の知識もなく飲んだら「何だこれ」となるのではないだろうか。(2009)
「しぼりたてそのまま 無濾過 吟醸酒」加茂錦酒造株式会社(新潟)。生酒純米吟醸:16.8度:歩合60%:新潟G9号。吟醸酒らしい華やかな香り。一口目はとにかく味が濃いという印象。酒度+1.0だが辛口で甘さもあると感じ、米の酒っぽさもある。そして旨い。他の酒には「ちょっと生臭いかな」と思っていた酒盗がよくあう。(2008)
「みむろ杉 Dio Abita」今西酒造株式会社(奈良)。純米吟醸:13度:山田錦:歩合60%。一回火入れの無濾過原酒。バナナっぽい。バナナっぽい日本酒などまずそうに聞こえるだろうがこれがうまい。青い感じと、甘みと酸味が高い次元で融合していて、丁寧に作られた芸術品を飲む心地。酸味のある日本酒は苦手だが気に入った。
「Five(イエロー)」酒井酒造株式会社(山形)。純米生原酒(白糀):17度:日本晴・山田錦:歩合80%。ここ以降は、すごくうまかった、なかなかない酒だという記憶しかない。逆にいうと、そういう記憶力なのでこの記事を作った。なんとかちゃんと足していって、まともな記録にしたい。
「多賀治 山廃純米雄町火入原酒」十八盛酒造株式会社(岡山)。山廃純米火入原酒:16度:雄町:歩合58%:協会7号。山廃は燗酒以外は苦手なのだが、これは冷やで飲んでもうまかった。料理も酒も温度が大事なのだが、酒の温度はないがしろにされがちだよなぁと思う。
「朝日鷹」高木酒造株式会社(山形)。細かいスペックは記録してない。十四代で有名な蔵元だが、それよりよほどうまかった。いや、十四代もよくできているとは思っているけれども、こっちは目を見張るほどうまかった。
京都・松井酒造と城陽酒造の何かを買ったのだがまったく覚えてない。いかに旨くても記録しないとすぐ忘れる。
松井酒造は京都のデパートで試飲させてもらった時は酸味が立って値段ほどではと思ったのだが、連れ合いが気に入って購入し、食事しながら飲むとやたらうまかった。
城陽酒造はやはり京都のデパートだか駅ビルだかで試飲させてもらって、何飲んでもうまくてどれを買おうか迷って、やはり連れ合いに決めてもらった。
ある試験を受けて、今帰っているところだ。
試験帰りというものが俺は好きだ。素性も知らん奴らが無数に集まってピリピリしていた会場が、試験終了と同時にいっきに緩んだ雰囲気になる。連れ合いのいるやつらは楽しそうにあの問題がわからなかったとか難しかったとか簡単だったとか言い合いながら帰っていく。ひとりで来てるやつらは寡黙にサッサと帰るが、どことなく足取りが軽く見える。
色んなやつが色んなところから来るもんだから、当然土地勘のない奴の方が多くなる。何も見ないで自信ありげに歩くもの、立ち止まっては地図を見て歩くもの、前をいく群れにうまくついて行くもの。
行きは集まるプロセスだが、帰りは散らばるプロセスだ。試験が終わってみな気が軽くなってるからか、せっかく知らない土地だからと寄り道をするようなやつも増え、同じ駅を目指す集団すらどんどんバラけていくのが面白い。
GoogleMapの示す最適な道順に従う奴もいればデカい道を好む奴もいるし、多少遠回りになっても面白そうな道をわざわざ通るやつもいる。前を歩いていたやつがいつのまにかいなくなった…と思っていたら駅の近くで横道からヌッと出てきたときなんて、声をかけたくなるくらいだ。
自分は童貞のままお見合いで結婚して、連れ合い(妻とか嫁とか言うとケチつける人がいるから、普段は名前で呼んでいる)と1度もすること無く、不妊治療で
顕微授精で子どもを授かった。
面白いわけでも、頭が良いわけでも、足が早いわけでも無いのと、内向的な性格もあって男子とも友人関係を築けなかった。
でも結婚したくて、27から結婚相談所、サイト、婚活パーティーに参加して、7年後に結婚相談所でお見合いをした女性と結婚した。
結婚相談所のルールの1つに体の関係を持ってはいけないとある。
もしかしたら、真剣交際(お見合いをして、双方が同意したら、仮交際【友人関係みたいなもの、他人とお見合いをしても良いし、他人と仮交際になっても良い】仮交際から真剣交際に双方が同意したら、他人とはお見合いが出来ない)に入ったら、身体の相性を確かめる人もいるかも。
入籍前にブライダルチェックをしたら、2人ともに不妊の要因があった。
入籍して、連れ合いは子どもが欲しかったので、すぐに不妊治療を開始。人工授精、顕微授精で2年半で、
不妊治療中はクリニックに頻繁に通い、嫌いな注射をしたり、鍼灸整骨院で鍼をしたりしていた。
産後も3ヶ月程実家にいて、家族3人での生活が始まっても、授乳を始め育児が大変で(自分もオムツ替えや寝かしつけなどしています)気づいたら1年経っていた。
興味深く読ませてもらいました。
女嫌いで女好きという彼の難しい内面、もし一般人だったら、寂しさ故に妥協して、流れるプールのごとく、連れ合いを持っていたのかもしれません。それが人として男として満たされるかどうかはわからないけれど、男性ならば、お金さえ稼げばあとは奥さんに子育てなり家庭なりを任せておけますよね。ただ、現実の女性は、小説や漫画、アニメのごとく、温かい家庭を無条件に与えてくれるかといえば、そうではないです。個体差もあるし、パートナーの態度によっては、女神にもなり悪鬼羅刹にもなりうるのですよ。女性も生身の人間だということ、そのことに落胆するのではなく、ある意味諦め、ある意味辛抱強く、ココマデ相手にしてもらえたら上出来という、感謝という達観が、大事なのだと、矢部氏はいいたかったかもしれないです。
コロナ禍で在宅勤務・子供の休園・休校と環境が変わっても、以前と変わらずおっとりとした感じで、それでいて家事に子供の世話にとテキパキ片付けてくれている妻を本当にありがたく感じている。
色んなご家庭で、奥さんがコロナ対策に神経質になり過ぎてコロナ離婚の危機に陥っているそうだけど、うちは夫(俺)の方が、元々潔癖症気味なこともあって、神経質になってしまっているのを妻がなだめてくれている。
俺「コロナが靴に付いて運ばれるから土足で家に上がる欧米では死者が多い可能性があるらしいぞ。うちも外から戻る度に靴と玄関を消毒した方がいいんじゃないか?」
妻「うーん、やりたいなら止めないけど。欧米と違ってうちは土足で家に上がって食事したりしないから大丈夫じゃない? あ、靴が傷みそうだから私のには消毒液かけないでね」
俺「そうだなあ、革靴痛むかもなあ。そこまでやらなくていいか」
という風なやりとりを10回ぐらいやって、俺も妻も重症化する可能性は低い年齢であり、さらに重症化しにくい子供はいっそ早めに免疫を得た方が人類と新型コロナの戦いが長期化しそうな今後の世界では有利かもしれないし、もう手洗い・うがいだけで良いというところに落ち着いた。というより妻に落ち着かせてもらった。
今はこんな達観したようなこと書いてるけど、3月の終わりごろの俺はパニックになっていて、東京がロックダウンされる前に君は子供と一緒に田舎の俺の実家に疎開するんだ、と妻に力説していた(妻の実家は都下なので疎開にならない)。
それで本当に妻が子供を連れて出て行って一人残されていたら俺は今ごろどうにかなっていたかもしれない。物事に動じない人を連れ合いにして良かったと思っている。
自分と連れ合いは平均して2日に1回しか風呂を使わなくて、買い物以外の外出の用事が無ければ3日間シャワーすら浴びないのがざらだったりするのだけど。
婚活で特に男への定番アドバイスで「女性は臭いに敏感だから体臭にはとにかく気を付けろ」というのがあって、それ自体は婚活で結婚したいなら妥当なアドバイスだと思うけど、そういうのに従って婚活していたら、自分は到底結婚できなかっただろうなと思う。
妻は女性にしてはずぼらで無頓着で、男の平均かそれ以上にずぼらな自分が「自然体」で振舞っていても何も文句を言わなかったので、「この人と結婚したら楽そうだな」という理由で結婚して今のところ上手くいっている。
婚活記事の、「世間一般の異性に好かれる妥当な振る舞いをすれば結婚に近づく」という煽りは、まあ、その通りだろうなと思うのだけど、それじゃあ自分たち夫婦みたいな男女はマッチングしないんだよね。
昨日めちゃだるくて寝てた、熱は昨日は37.0~37.1度。動悸がひどいし息苦しいアラフィフ女性。一昨日以前もだるさがなかったが一瞬熱っぽい気がしてはかったらそのくらい遭ったと思うが36度台と37度台をフラフラしてて測り間違いかとおもうくらいにブレが大きい。
同居家族もだるいというが生理が来てるからかも、わからんが若いからとりあえずいつもどおり引きこもっていれば移し移されもなく大丈夫だろうというので
とりあえず症状(微熱)がはっきりとある自分から医者にいった。
ちなみに自分は普段から喘息持ちで常備薬つかって低空飛行でいきてる。熱が少し低くても濃厚接触したなら医者にかかっていい範疇の人。連れ合いはジムや会社や外食に通っていて何ら自粛しない。PCR陽性だったらさすがに行動が一変するだろうという目論見も有る。
濃厚接触者云々の都道府県ごとのサイトをしらべる。9時から電話で問い合わせできるが24時間窓口も一応ある。
息苦しくて眠れず朝5時頃からかけようかかけようかとおもってたけど夜番って疲れててつっけんどんだよね我慢して待とう
でもそうこうしてるうちに熱がちょいと上がった(37.2)し息苦しさがどうにもならんので我慢できずに七時半に24時間窓口へ。
状況をいろいろ喋ったけど熱が37.5ないのでとりあえず「かかりつけの医者」へかかれという指示。
9時から電話で受付に問い合わせて指示をうけていると書いた上かかりつけの医者へ。めちゃ混んでる。当院はPCR検査はしないと入り口あたりに書いてあった。
医者はかかりつけだけあっていろいろ話をきけた
・(S02)95%あるからいつもくらい。肺炎だともっと低い。でも脈が100こえてるのはアレだ
・(受診態度)あっマスクは外さないで(×3回いわれた、喉をみるときもはずさず顎にひっかけろといわれた)喉はキレイだな
・(受診態度)熱が4日つづかないかぎり家でじっとして療養するしかないってテレビニュースでもいってるでしょ(テレビ一切見ないです)ネットにもほら(出てないです)
・(受診態度)濃厚接触じゃないかぎりいいんだって(県内でスプレッダが出た2箇所のジムがどことどこかはどこのサイトでも具体名ふせられてます)A区のとか・・・。出てるはず(出てないと思うけど知ってれば予診で名前あげられてるし反論はしなかった)
・(検査結果)インフルはない、採血は白血球が正常範囲の上限くらいまで上がってる。ウィルス性ではなく細菌性のなにかっぽい。動悸もいつもの薬にベータ入ってるからそれじゃないの
こんな感じだった
ちなみに親世代に20年間質性肺炎でここ数年も酸素吸入していきており、介護保険でどうにかなってるけど長期停電かコロナにあったら一発死亡する人がいるので知っているのだが
コロナだったら旦那がこれからスプレッダーになるんだと思うんだけど
おわり
https://www.tokai-tv.com/newsone/corner/20200304-CORONA-Jimunosyosai.html
ジムの詳細公表で感染防げた可能性も…新型コロナ感染者41人は“全国2位” 問われる愛知県・名古屋市の姿勢
3月 4日
新型コロナウイルス、3日は愛知県で新たに9人の感染が確認されました。
そのニュースについて、視聴者の方から次の様なご意見をいただきました。
「新たな罹患された方の情報がありました。『尾張地方』の2人とのことですが、なぜ市町村名を公表しないのでしょうか?他府県では市町村名や立ち寄り場所なども公開していて、愛知県の少なすぎる情報に憤りを感じます」
この女性のご意見の通り、愛知県や名古屋市は感染者が暮らす市区町村や具体的な立ち寄り先は公表していません。その対応に街でも疑問の声が上がっています。
市はこのうち80代の女性3人は3月1日に感染が確認された80代の女性と面識があり、同じ場所にいたことがわかっていると発表。
しかし、会見では接点となった「同じ場所」がどこなのかは、明らかにしませんでした。
<名古屋市の会見の様子>
記者:
「もう少し具体的に発表していただきたいんですけど」
市の担当者:
「今日現在お答えできる内容というのが、大変恐縮です、分かりづらいかもしれませんけれども、こういう説明のところまでが精一杯ということでございます」
相手が他に出来る気がしないし、親も兄弟も半ば自分たちを呆れて見ている節があるので、認めてくれる人が肉親より他にいる嬉しさもあって結婚した。
人付き合いが苦手だ。壊滅的に気が利かない。それではダメだと過剰適応した結果、仕事の後はどっと疲れるし、いらない仕事を押し付けられる。それでもなんとか今までの経験を生かしながら投げ出さずに頑張ってきた。
世間で言うところの普通はこれかと勉強して時には演技して生きている。そして、こちらの綻びを付け入る人間も残念ながら僅かにいるので注意を払っている。
一番自分にとって気持ちが落ち着くのは、人付き合いを必要以上に持たないことだった。その分、注意を払わなくてすむ。子供さえ持たなければ、必死に周囲と関わる必要がない。家も賃貸でなんとかなる。車も持たなくても最小限で生きていける。
ここでわかるのは、子供を持てたからこそ、人間としての深みや度胸が出来るんだということだ。喜怒哀楽ぜんぶを注ぎ込んで、自分の愛するものを一から育て上げる。泣いた吐いた笑った立った喧嘩した。自分たちの過去と重ね合わせ、涙した。親から貰った命を我々は全然輝かせていない。人間として薄っぺらだと。むしろ、生まれてきて後悔ばっかりだと。
ここで、子供を欲しがったら子供が出来たら子供を育てたら、幸せになれると思うところが浅はかだ。人として社会生活を営むのに、なんとかしがみついて必死で、家帰ってから感情のリカバーに1時間かかる人間に、待ったなしの子育てなんて、すぐに詰む。自分の時間がない、こんなはずじゃなかったと嘆き出す。生きている人間だから投げ出すこともできない。自分たちが社会に関わった時と同じく、子供が世間に馴染めなかったら、無理やり矯正にかかるだろう。思い返せば、肉親にもなんとかやってる姿を見せて安心させていた。結婚でなんとか勘弁して、やはり子供は難しいと頭の中が堂々巡りして、子供を産むのが難しい年になり、母親を看取った。後、10年若かったら何かが違ったのだろうか。
数少ない友人にそれをいうと、みんな必死だよと言う。自分が生きてきたことを肯定しないとなりたたないと。
そうだろうな。残された人生、父や義両親、連れ合いのために生きるべきだ。子供を持って育てている人は本当に素晴らしい。こんな人間でも生きててごめんなさい。時々、申し訳なくなって、泣く。