はてなキーワード: 操作とは
ってか俺普段は鉄拳やってて、このモダンクラシック論争見てて思うんだけど
鉄拳ってキャラにもよるんだが、コンボって基本モダン操作と同じなんだよ
技の種類は多いけど、弱中強の打ち分けがないし、コンボルートなんて壁床の有無くらいしかないから
このタイミングで6☓押して□押して、最後に66ってして△みたいな、そんな感じ
だからモダン否定派みると鉄拳否定されてるみたいでムカつくから、クラシックおじさんはどんどんモダンにボコられて煮えて血管キレて死ねばいいと思ってる
でも普通なら右、下、右下と数フレーム使って入力する昇竜拳をボタン一発1フレームでできるってもはやこれはお手軽を超えてる。
同じ土俵に立ってると思わない。
でもゴールドなど、ある程度のランクになったら使えないようにしてほしい。
それができないならモダンと当たらないように設定できるようにしてくれ。
シャー芯とシャーペン、鉄砲弾と拳銃、フィルムとカメラ。「本体」は前者で、「消耗品/付属品」は後者に見える。
シャー芯は言わずもがな、単体でもつまめば文字は書ける。弾だって筒に入れてトンカチで叩けば撃てる(らしい?)。フィルムだって最悪専用のカメラがなくても映像を焼き付ける事は出来る。
逆に「本体」だけあっても目的は全く果たされず、ただの文鎮と化す。「本体」だと思われがちなものは、むしろ最終的な目的に向けた補助器具でしかなかったりもする。
シャーペンがなくてもシャー芯で文字は書ける。(専用の)銃がなくたって銃弾は飛ぶ。
だったら肝心要なというか、最終的な機能に作用する部分を「本体」と呼んだって良いんじゃないかすら思う。
でもそれらは使い捨てであったり操作する手元から離れた所にあったりで、どこか軽んじられてる節があるかもしれない。身体の拡張が云々とか、そういう話をしてる哲学で既に言及されてたりするんだろうか。
得てして補助器具に過ぎない「本体」の方に心血が注がれる事も少なくない。
高いカメラを買い漁る人は珍しくもないけれど、本体もそこそこにフィルムの性能に対して徹底的なこだわりを見せるという人はお目にかかったことがない。
このボールペンは良いですよ。書き心地が実に素晴らしい。
なんて高価な文具のセールストークがあったとして、おれは少し違和感を抱く。
確かに操作性、握り心地というのは無視出来ない。無視できないが、ペン先の引っかかりやインクのノリいった筆記具としての重大要素は消耗品である軸が担っている。
軸は消耗品、ある意味独立した存在であって、本体の魅力の説明に含むのには少々違和感がある。汎用の軸でどのボールペンにも適合するというのなら尚更だ。
こういうのってなんか不思議というか、面白いなって思う。別にあってもなくてもいいようなブルシットジョブの方が実入りは良くて、いわゆるエッセンシャルワークの方が無きものにされがちみたいな話とちょっと似てるかもしれないなって思う。なくても困らないにしたって、あった方が心は豊かになるかもしれんしね。ならないかもしれんけど。
2ヶ月前、夏季休暇に地元の京都に帰った際、たまたま会った高校の後輩だった子と関係を持った。
妻のことは愛しているし、後ろめたさもあった。
だからこそ、絶対にバレないように、すべての決済を現金で行なっていた。髪の毛や匂いにも気を使い、とにかく証拠を残してこなかったつもりだった。
仕事柄休日に出張することも多く、不自然ではないと思っていた。
しかし、京都で会うたびに良いお店やデート先を探していたからか、Instagramの広告やおすすめの投稿にやけに京都のカフェやホテルなんかが表示されるようになってしまっていたようだ。
広告なんて普段目に入ってもすぐに飛ばしていたため、妻に見られてはいけないものだとは全く思っておらず、警戒をしていなかった。
Instagramに証拠となるようなものを何も残していないという自信があったから、むしろ安心感を与えたく、私の画面が見えるように操作してすらいたように思う。
妻に「最近京都とか行った?」と問われた時も2秒前まで画面に表示されていた広告を念頭に置くことすらできていなかった。
だから、動揺を隠しつつ「もう何年も行ってないね」と返してしまった。
「じゃあ何でさっきから表示されてる広告は京都ばっかりなんだろうね」という妻からの問いが意外すぎて面食らってしまい、何も答えることができなかった。
それ以上は無理だと観念し、洗いざらい吐き出した。
その子ともう関係を持つことはないだろうが、一度裏切ってしまった以上、もう今までのようにお互いを善意に基づいて信頼することはできないだろうと言われた。
2度としないと誓ったし、実際もうこんなことはしないつもりだが、一度亀裂が入った2人の関係はどれだけ頑張っても元に戻らないのだなと思うと苦しい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/7-24blog.com/archives/22979976.html
を見て結構アンチいる?そんなに面白くないのか?と思って、アニメの最初の2時間枠見たら、自分好みだったので期待大です。
で、本題だけど、私のいる世界線ではまだ葬送のフリーレンの連載始まってない。ジャンプ系で言うと、鬼滅も約ネバも絶賛連載中だ。ルフィはワノ国で暴れてる。
その前の年くらいからそれまで買っていた紙の雑誌とか単行本をほぼ電子へ移行したのが原因。場所を取らなく、いつでも読めると思ったら、全然読まなくなった。たまに頑張って読んでるが、連載の続いてる世界線についていけなくて、どんどん差が開いている。
Comic Daysは設計がうまかった。2ヶ月しか読めないが、どうせ紙の雑誌買ってた時も読み終わったら処分していたので、その時分と変わらない。お陰で講談社系は連載の続いてる世界線に乗っている。
マガポケ。UIは全然好きじゃないが、雑誌で購入したマンガは単話でも購入したことになっているのは良い点。アニメの始まったシャングリラ・フロンティアは、お陰で第1話から最新話まで読めた。雑誌として読む場合は、連載から連載への遷移がスムーズじゃなくて嫌い。タブレットで読んでるのに、マンガ開くまでのUIはランドスケープ(横長)に対応してないのはひどい。オフラインで読めるが、UI的にそれに気がつくのは困難。
サンデーうぇぶり。葬送のフリーレンが連載してるやつ。これも操作画面がポートレートのみの対応なのはいただけない。オフライン対応してないのもどうにかしてほしい。オフライン対応してないせいもあって、積読になっちゃうと思ったら、すごくわかりにくくダウンロード対応してた。複数台ログインさせないのもひどい。「次へ|前へ」ボタンを押すと、次週・前週のサンデーに移動するのもおかしい。普通は、同じ冊子の次のマンガだろ。スキップしたい作品があったら、いちいち目次を開かないといけない。すべての連載が読んでもらえると思うなよ。
ジャンプ+。わかりづらいけどオフライン対応してるのが素敵。操作画面もランドスケープ対応してるし。「⬅︎|➡︎」ボタンも期待通りの挙動(次の作品・前の作品)。マガポケ、サンデーうぇぶりは見習ってほしい。
各社、うざいポップアップが多すぎる。Comic Daysのはあまり気にならない。
Comic Days。ほとんど文句はない。雑誌はオフラインも対応。UIはランドスケープOK。曜日ごとの無料マンガも毎日別の連載雑誌があるみたいな感じで嫌いじゃない。イブニングとか消された雑誌の連載作品たちがこの毎日無料更新枠に移動してる。少女ファイトとかたまにしか更新されないので読み逃しそうになる。時々雑誌連載に追いついちゃったので、って毎日更新枠で連載が終わっちゃう作品もあるけど、ちゃんと課金しましょうってことで。単話での購入もしやすい。
雑誌系ではないがついでに
Kindle。シェアにあぐら書いてるのか知らないが、タブレット用のリーダーをもうちょっとがんばってほしい(マンガ視点で)。Kindleしか知らない人はこんなものかと思ってるかもだけど、正直劣っている。
honto。25%オフクーポンが定期的にばら撒かれる。リーダーが使いやすい。リーダーそのものも使い勝手が悪くないが、あえて挙げると管理機能で読みかけの本が一覧できるのが好き。あと、ライブラリから要らない本を完全に消せるのもいい。一部無料みたいなので読んで気に入らなかった作品とかがいつまでもライブラリに残ってるのが嫌なので。最近は、紙の単行本のカバーの裏表とか、カバーを取った状態の本体の表紙なんかも電子版に服まているが、これがhontoだけなのか、他社でもやってるのか比較してないので把握してない。hontoの欠点は購入書籍数が多くなったせいか、同期が重たいことと、同期しないとダウンロード済みの作品も開けないことがあること。バグだと思う。
このプログラムは、Pythonのようなインタプリタ型のプログラミング言語を使用しています。提供されたコードは関数と変数の組み合わせで、カウンターの機能を実現しています。以下にその説明を詳しく説明します。
let キーワードを使用して、内部のカウンターを定義しています。カウンターは cnt という名前の変数で初期化され、値は0に設定されています。このカウンターは、外部から直接アクセスできないように、ローカルスコープ内に存在します。
:reset というキーを持つ場合、カウンターの値を0にリセットします。
:incr というキーを持つ場合、カウンターの値を1増やします。
この無名関数が counter 変数に代入されて、カウンターオブジェクトが作成されます。
.reset メソッドが呼び出されると、カウンターの値は0にリセットされます。
このプログラムは、カウンターの値を増加させたりリセットしたりするシンプルなカウンターの実装例です。Pythonなどのプログラミング言語では、関数やクロージャを使用して、このような動作を実現することができます。
PCが壊れたので、父親のPCを使い、メモを取ろうとした。しかし、様子がおかしかった。
見知らぬOSがインストールされている。パスワードがわからないため、ゲストログインというところを操作する。
私はメモ帳を開いて書こうとするが、タイプするときにバグっているのか、文字が思ったように入力されない。
私は「だめだこりゃ」といってPCを閉じた。ふと、部屋の鏡を見たくなったので見たら、驚くことが起きた。
そこに映っているのは私ではなかった。いや、正確にいうと、鏡の中に映っている顔が認識できなかった。
「これは...怖い」と思ったので、部屋に戻って、使えるかどうかわからない自分の2つ目のPCを立ち上げると、なんとか使えたので、作業の続きをしようとした。
私は"keiko"という文字を入力しようとしていたが、一瞬意識が遠のく。気がついたらkeikoreanと入力していた。
夜中、目を覚ますと、なんとなく下の部屋でテレビを見たくなったので階段を降りた。
階段を降りる途中、突然意識がなくなり、転げ落ちそうになったが、意識を取り戻した。
テレビをつけると、奇妙なニュースをやっていた。心臓麻痺の死亡者が沢山出現しているというニュースだった。
そのとき、何者かが部屋に向かって歩いてきた。母親のようにも見えるが、顔が違う。
「ほら、やろうと思えばこういうこともできるのよ」とその人物は言った。
私が「お母さん...?」と聞くと、その人物は部屋を去っていった。
2023/10/04 追記: この日記は週刊少年ジャンプにて連載中の「アスミカケル」の感想文になりますが、以下のような特徴がありますので先に注意点をば。
【注意点】
悪い言い方をすれば、何も考えずに脳死で書いてると言っても過言ではないです。
特に何が良いとか悪いとか考えず、ただ見て感じたものを書いてるだけなので、場合によっては褒めてるように見えたり、逆に貶してるように見えるかもしれませんが、どちらでもないです。
赤い色を赤いと言うようなレベルで稚拙な見たままの直観を出しているものと考えて頂ければ幸いです。この山は大きいなぁとか、そのレベルです。
たまに「あっこの川、深いッ!」みたいな多少の感情は乗るかもですが、基本フラットな自分にとって快不快を問わず感情が乗るのは良い作品だと思っています。よろしくお願いします。
上記の通り脳死で書いてるため、連想ゲーム的に他作品(他の漫画とかアニメとか)の内容やセリフなどを引用したりする事がありますが、比較のためではありません。
つい「この人の髪型ハンバーグみてーだなぁ……」みたいな事を言うかもしれませんが、その人やハンバーグを貶めたり、逆にそれを理由に名作と引っ付けて評価を上げるような意図とかも無いです。皆無にして絶無です。
そのような比較や同一視は両方の作者や作品に対して失礼であり、あくまで自分の中では全く別のものだけど連想してしまったに過ぎないので、あくまで個人の感想である事をご留意して頂けませば幸いです。
③同様に、何かしらキャラや演出などについての評価をする事もありますが、それ自体は特に作品や作者の評価ではないです。
もし仮に私が「このキャラ不快だなぁ」と言ったからといって、それが即ちその作品や作者が不快という事でもないです。不快なキャラを出すことで、相対的に他のキャラの株が上がる事もあります。
世の中にヤベー人間がいるからといって、即ち世の中がヤバい訳ではないように。その作中世界や世界の中の"もの"と作品との評価は全く異なるものであり、なんなら邪悪な人間しか出てこない邪悪な世界の作品でも面白い場合もあるかと思います。
世界最高のコントラバスと世界最高の尺八奏者と世界最高のDJがコラボしたところで、どうひっくり返っても「世界最高のジャズ」が生まれるなんて事はないように。要素同士の相性が良くなければ作品はチグハグになります。
演出とか構成とかストーリーとか諸々の要素が全て満点でも、それらが噛み合ってなければ作品として成り立たないように、あくまで要素と作品全体の評価は別物であると認識して頂ければ助かります。
④また、自分の目線はどちらかと言えば創作者目線気味で「自分が作者だったらこうするかなぁ……」みたいな事を考えがちな傾向がありますが、だからといって作者へのリスペクトが無いわけではないです。
そもそも自分は創作者というより鑑賞者なので、岡目八目で「ああすれば良いのに」「こうすれば良いのに」と言ったところで自分自身が実際にそれを出来るかどうかと言えば答えはNoです。
あくまで読者としての視点でしかないため、実際に締め切り(納期)通りに同等以上のものを仕上げれるわけではないですし、実際その作品と同じテーマを自分が表現するとしたら、それは作者の出す作品とは全く別物になると思います。
素人や読者の視点というのは独り善がりなものであり、あらゆる創作者には個性があるし個々の事情もある。その全てを重んじ、リスペクトしていきたいと自分は考えています。
アスミカケルを電子版ジャンプのバックナンバーにて読む。概ね1p毎に気付いた事などを書いていく。
とりあえずざっくりカラーの1p目(ジャンプ本誌3p目)。最初の「痛いのは嫌いだ」「苦しいのも嫌いだ」「強いから何だってんだ何の意味がある」「怖い…なのにどうして…」「戦わずにはいられない…!!」
この部分で恐らく作品テーマを開示している。要するに、不快さやデメリットを抱えると分かっていても「人が戦う理由は何か」が主題であると思われる。そのため、最初の掴みとして「殴られたり極められる人」を描き、「それでもなお血の滴る道を進む」という事を示唆している。
どうも火ノ丸相撲の人が描いてる漫画であるらしい。火ノ丸相撲もそうだが、格闘漫画それ自体が自分にとっては基本的に相性が良くない。ただし、これはリアルに起因するものなので無視しても良い。表紙については前述のページと同じく、一部を除いた全員が前方向を向く事で戦いにポジティブな要素を示唆しているものと思われる。
次。ジャンプ本誌26pより本編開始。ここで何気なくだが、やや不自然に明日見家の全員をネームプレートに示している。これは古くは沼駿先生の「左門くんはサモナー」に於いても使われた手法だが、「左門くんはサモナー」の場合は特定の意図を持って何度も示されている事に注意したい。ここでは現状、明日見家の全員を紹介する以上の意図は汲み取れない。
家長である祖父の獏は覇気がなく、物忘れ気味な事が示唆されている。また、リフォームをした事および、その前に配偶者(祖母)を亡くしている事も先のネームプレートから汲み取れることが分かる。ただし現状、そこまで読む必要はない。次のページでは息子たる和虎をリフォーム後に亡くしている事が分かる。恐らく獏はリフォーム後に忘れ癖が出ているものとも考えられる。
ここで出ている長女と次女らしき人物は羚と三羽か?最初は二兎だと思ったが、二兎が主人公であると思しき少年であった。兄は一狼。二狼でなくてよかった(良くない)。名前の由来は原則として動物に由来するものと考えられるが、祖父が夢を食べると言われる獏なのは意図してのことか。であるとするなら、他の名前にも意図があると考えて良いだろう。次。
二兎が一般的より冴えない、やや怖がりの高校生として描かれている。ここで最初のページに示されている恐いという部分が示されているため、キャラ付けとしては重要だが、演出として主人公への広い共感を呼ぶという感じはしない。次。
そこで友人が守ってくれたり、格闘技の道について示される。友人が最初は強い(主人公を護る勇気を示す)という点では鵺の陰陽師と同じくしているが、鵺の陰陽師よりは凡庸とした見せ方ではある。逆に言えば奇を衒っていないという事でもあるので、まあ王道と言えるが、王道なりの見せ方として絵力による演出がもう少し欲しいというのは読者として欲張りだろうか。次。
そこで主人公が機転を利かせて窮地を脱するという形でキャラを示す。これも基本的には読者に共感というよりは離れていく方向の形だが、前述の「怖くても戦う」という部分を見せるためにはギャップを作る必要が出てくる。しかし昨今の読者は言うなればせっかちなので、私も例に漏れず「ここで主人公が魅せる部分だろう」という感覚がある。
引き続き、格闘技への道を示すシーンが続く。ここでも主人公はひたすらに怖さを出す。しかしキャラ付けとして一貫しているといえば一貫しているが、ややくどさも出てくる。怖さばかりをピックアップするので、恐らく意図しての事だろうと思われるが、やや強すぎるのではないかとも思う。次。
まだ主人公の弱音は続くが、ここで漸く主人公の資質を見せるシーンが出る。ただしあくまで受け身である。これもスマートに避けるとかでなく受け身なのは、やはり痛みなどを受けるという部分が思想としてあるのだろう。その上でダメージ・コントロール技術としての受け身を出すのは理には適っているが、インパクトとしては地味だ。次。
主人公が最初に示した好みのヒロインを出すページ。ここでも格闘技。これで格闘漫画じゃなかったら何なのかとなる格闘押し。もう少し展開が早くても良い。体幹の概念を出すが、ここで問題は「体幹とは何か?」というのを主人公が知っている事。逆にいうと、ここで体幹について知らない読者に「体幹とは?」と疑問を持たせる効果はあるだろうが、やや濃ゆい。
そしてヒロインの置かれている立ち位置も出しつつ、先程に書いたMMAを出す。しかし主人公が覚えていない。作中時間が経っているのは分かるが、読者としては一瞬なので「…「MMA」って何だっけ…?」は、ややくどい気もする。が、このくどさは恐らく想定する読者層によるのだろう。要は、流れで適当に読んでる読者に向けて思い出させる効果を狙うものと考えられる。そして再びの一狼。次。
物忘れ気味な「じいちゃん」によるMMAの解説と、かつ祖父のギャップ提示。これにより確実なまでに明日見家が武術一家である事を示している。わざわざ道場を別個に建ててるのだから当然そうなる。しかし、そう汲み取れない、つまり格闘系の文脈に疎い読者には「急に謎の道場が!?」となりかねないコンテクストありきの部分なので、やや不親切か?次。
再び「じいちゃん」(獏)の物忘れと、残りの家族や更に家庭環境を明示。(羚以外)。手帳が重要なものだとも示す。次。
ようやく羚の名前が出る。個々の負い目を提示するシーン。回想に入る。次。
過去回想。まあ家庭環境という感じだ。再びの不穏さを提示しながら次。
イジりからイジメに。まあ主人公の情けなさを散々に提示しているのだが、それと対象的に友人とヒロインの格が上がる。次。
ヒロインの戦闘能力に対し、再び主人公の能力を示すシーン。基本的に技を受ける事が前提で話が進んでいく。ひたすらテーマに沿わせようとする意地は分かるが、ここまでくどいと自分としては結構と気になる。
ここで舞台装置だった不良についてはスルーされ、ヒロインの家がMMAなり格闘技関係の事務である事を示唆しながら次に。
MMAジムとヒロインの目的・目標開示。一応、不良にも逃げたというフォローが入る。ヒロインが主人公を見定めている事も暗に示唆しつつ、友人が前進。次。
兎にも角にも主人公の人柄を示しまくる。リアルでなら良いが、漫画なのでくどく感じる。説明は少なすぎても多すぎても良くないが、サラッと流して欲しいのが個人的な感覚。
戦うヒロインなので眼鏡を取るのは当たり前だが主人公が割りと欲求に素直である事も同時に示される。格闘技の説明が入ったため、とりあえず一旦ここから暫くは感想を書きながらでなく流し読みで良いと判断。
どうでもよいが、遠目にヒロインを見るとシルエットだけならワールドトリガーの宇佐美栞に似ている事に気付く。閑話休題。これらの説明類は、大なり小なり格闘技に対して事前知識があるか、興味が無いと頭に入らないのではないかと思う。
主人公の体験パート。「当て勘」など格闘技のワードが続く。この場合は「距離感や位置関係の把握など、空間把握と自身の身体把握ないし操作とがズレている」と考えれば良いが、兎にも角にも主人公の魅力が地味かつ描かれないのが続く。1話も中盤に差し掛かるが、これで大丈夫なのだろうか。次。
フォローとばかり「明日見」の武術について示唆しつつ、また回想と次ページで不穏な事が起きますよというコマを使う。濫用では?次。
不良の顔も三度まで。次。
ここで漸く主人公が「強さ」を示す。
まあ一線を超えるまで強さを示さないというのも良いのだが、良くも悪くもリアルの人間という感じで創作物としては何とも。
ワンピースの1話で言うならシャンクスが酒をぶっかけられるくらいのラフさと、銃を抜いてからの豹変という所に、ここまでページをかけるのか……という感想が強い。
良く言えば丁寧ではある。そして主人公が武術を活躍するのを示唆して次に。逆にいうと、こういう「丁寧だけど驚きが無い」というのが強い特徴に感じる。火ノ丸相撲は本誌かつ序盤しか読んでいないので記憶が薄いのだが、こういう作風なのだろうか?次。
戦闘シーン。組んで、回転させて壁に衝突させ、足を抜いて相手の力を利用して投げ飛ばす。簡単に言えばこれだけなのだが、こういう限られた空間でのストリートファイトは少しコマ割りと構図に工夫をして分かりやすくしていくと有り難いか。
あと「殺れ」はガチの古武術としての教えなら分からなくもないが、MMAメインなのと主人公のキャラには合わない。ここは「躊躇うな」とか「そのための備えをしろ」だけで止めても良いとは思う。次。
ここも戦闘シーンだが、やはり武闘経験がある前提での描写が目立つ。別に理として間違った事は書いてないし描いていないのだろうが……
こういう部分が多いのは、アスミカケル自体が格闘技経験者に向けた漫画なのだとして割り切った方が良いだろう。次。
組技系の格闘家としての主人公披露。当て勘のなさや受け身など攻撃を受ける前提の描写に納得はいくが、絵的に不良のほうが目立ってしまう演出。
ここは思い切って主人公を目立つよう分かりやすく上に描いても問題は無かったと思うが、何かしらの意図があるのだろうか。よく分からない。編集者が気付かない訳がないので、まあ何かしらの演出なのだろう。次。
ヒロインによる制止と事態の収束、および疑義の投げかけと解説。ここも最後のコマは示唆。……「丁寧といえば丁寧」。次。
最終的に格闘技について前向きにはなるという所で終了。
総評……非常に申し訳ないのだが、主人公が言うなれば「極力リスクを負わずに良い所だけ取っていく」という印象が強い。50点のために、解ける問題を解かないというのが事態を悪化させているまである。そこまで考えていないといえばそこまでだが、どちらにせよお調子者という感じで自分には理解し難い。
また、話運びや演出等については丁寧で王道チックだが、それ故に意外性が低く、かつ格闘技関連の説明や描写などが読者の格闘技についての知識や想像力に依存しているため、一話で読者をもぎとるには少し弱いところがあるのではと思わなくもない。それをスルーさせるだけの演出力がもう少し欲しいように思わなくもない。
どちからといえば(古い)マガジンとかチャンピオン向けの話を、あえてジャンプでやってる……という感覚が強く、火ノ丸相撲のように「相撲について分からない人でも付いていける」力があるかと言われると、少し怪しいところがあるのではないかと感じた……個人的な感覚だが、まあ格闘技経験者なら考えずに読めば気にならないのかもしれない。
主人公以外のキャラクターについては、良くも悪くも魅力的かというと何とも言い難い。ヒロイン自体は良い感じに読者を引っ張ってこれそうなキャラをしているが、同時に少しキワモノさも併せ持つ。こういったニッチだったり少々リアルな性格的要素を持ったキャラを扱う場合、週刊少年誌というより青年誌や月刊誌向きなのかもしれない感じはある。
概ねそんなところか。次話以降については、また時間のある時に読んで感想を書くかもしれないし、書かないかもしれない。ひとまず終了。
「三体」のダメなところは智子の設定に集約されている。
智子というのは三体人が地球の技術的発展をかく乱するために送り込んだ陽子一つ分のコンピュータなのだが、これの製造過程の描写に素人でも一瞬で分かる大嘘が書いてある。
三体人は粒子の次元を操作することが可能らしく(この理論的根拠は全く描写がない)、次元の数を増やしたり減らしたりして、内部に回路を作る(劇中では核力を整形してエッチングするというような説明がある)が、2次元展開した陽子が三体世界を包み込んだとき、全体が鏡面になって惑星自体を映し出す場面がある。
自分は反射の核物理的な原理を詳しく知らない。おそらく電場や磁界が電磁波の進行方向を曲げるのだと思うが、陽子一つ分のエネルギーで惑星全体を映し出す電磁波を同時に偏光させることが出来るはずがない。一つ一つの光子のエネルギーに対応するだけの電場あるいば磁界を形作る必要があるが、もし出来るのだとしたら、それはエネルギー保存則に反している。六次元空間から三次元に投影された智子に国家元首が触れると「空気抵抗」を感じるが、これも同様の理由により間違っている。
明らかに劉慈欣は次元のコントロールによって空間と共にエネルギーの総量もコントロールされうるという混淆を侵している。この混淆を取り払ってみれば、そもそも陽子一つのエネルギーで計算機を構成するというのもまず不可能な相談であるということが分かる。核力によって形作られた回路には、電子の代わりに情報を媒介する何らかの量子が必要だが、必要とされる量子、あるいは回路を構成するエネルギーは軽く陽子一つ分を超えてしまうだろう。現代では情報を伝達するには相応のエネルギーが必要なことが分かっており、実験で確かめられてさえいる。
(ついでに言うと量子もつれによってスピン状態を検知して、智子をコントロールするという話も出てくるが、もちろんこれも間違っている。量子もつれによる同期は情報を伝達しないことが分かっているのだ。もしも情報を伝達するならそれは光速度不変則に反することになる)
この事実は本作が一見論理的に見えて、その実極度に倒錯的な性質を表している。なにしろ、質量の関係から智子(陽子一つ分)を送り込む必要性をあらかじめ説いたのは劉慈欣自身なのだ。質量の問題を回避するために作り出した智子の設定の方が盛大にエネルギー保存則を破っているというのは一体どんな種類の皮肉なのだろうか。無論劉自身がそのような皮肉を意図した形跡もなく、センスが悪いとか荒削りとかいうレベルをさらに下回っているとしか言いようがない。自分の課したルールを自分で破る作品に、まともな完成度を認めないのは、自分には正常な判断に思える。
この本の最大の皮肉は、馬鹿げているのに面白いジョークでもない物語が、英米SFがつまらなくなった状況(その他の国に面白い作品があるわけでもない)がゆえに耳目を集め、あまつさえ世界的なヒットになってしまったことではないか。このあたりが古いSFファンが見向きもせず(最もまともに作品を批評できる連中は残っていないのかもしれない)、根強く批判が消えない理由だと思うのだが。
今話題になってるテトリスの記事見て、スマホでテトリスやろうと思ったんだけどクソアプリしかねぇ!
テトリスのオフィシャルアプリは広告除去だけで毎月課金されるし、他は全部操作性が最悪。
これがリンクだ。
https://tetris.com/games-content/play-tetris-content/index-mobile.php
これをホーム画面に追加で十分だな。
あぶねーから近寄らないようにしてるんだけど、
電動アシスト車の乗り方というか操作方法というのか分かってなくて、
半分暴走してる奴もいる。
俺もそんな風に言われないようにしないとなあ、暫く自転車乗ってない。
今日はエネルギー、角運動量...等々のオブザーバブルの例とシュレーディンガー方程式の関係を学びました。
ところで、Twitterである操作を行うことにより、数学に関連するおすすめが多く表示されるようになりました。
そうして、とある数学者の動画が表示されたので、じっくりと視聴しました。
数学が情報として表示されると、こう言われているような気分になります「政治のことは忘れなさい。数学の問題を解いていれば趣味にもなるし、平和だ」
世の中には様々な政治的問題があります。日本国内のインフレスパイラル、地球温暖化とカーボンプライシング、ウクライナ情勢、石油価格の問題などです。
数学の問題とは違い、これらは価値判断の問題です。排出権取引に賛成する人は将来世代にも考慮して温暖化を解決しようと言いますが、反対する人は短期的に「自分が生きている間」の利益だけを考えます。
あるいはインフレの問題は、インフレを抑えようという実質値を考慮する人は賃上げに反対しますが、名目値だけを見る人は賃上げを要求するのです。
価値判断の問題は、声の大きさで勝負が決まってしまう部分があります。フォロワーだけは沢山いる自称データサイエンティストが「コイツは意識他界系だ」などと言うと、そのレッテル貼りに同調する人が出てくるわけです。
そのような政治の話には、もしかしたら関わらないほうが良いのかもしれません。政治の話を中心的に行う人をミュートし、数学に引きこもりたい気分です。
しかし、寛容さが必要だと思うこともあります。数学の話をする人の中にも、肩書や知識の量でマウントを取るどうしようもない人がいます。こういう人を「見ないようにする」よりは、自分が寛容になるほうが手っ取り早いと思うのです。
つい最近、ある政治活動家が、「各々のミツバチは、ニューロンとして見るのが良い」と言っていました。
人間社会もそういうものかもしれません。誰かがイシューを発見したり、意見したりすれば、それはニューロンのように伝達され、物事が部分的にわかってきます。
そしてその情報は保存されます。一歩々々、何か知識の塊が進化を遂げているのかもしれません。
それとも、それは退化でしょうか。ある話題で社会が二極化した場合、どちらかが間違っているのではなく、異なる前提を持つ人が価値判断で争っているのかもしれません。