はてなキーワード: 名門校とは
日本のいわゆるエリート層は、子供の時からいかにして「他の人が作り上げて完成した内容をより効率よくやるか」によって人間としての価値を決められて来るからな。
「日本にGoogleを作る」発言も、既にGoogleという完成されたビジネスモデルがあるからそれを効率よくやれば同じように成功できると信じて疑わないんだろう。
アメリカの名門校では経済的多様性を重視してすげー貧乏な片親家庭でも入学枠を設けているけど、日本の名門校じゃ金持ち自慢の成り上がりがコネで子供を押し込めてるから個性どころか自分たちが所属している所得者層以外のことなんてハナから視野に入ってない。
時々フィクサーみたいにコミュ力が異常に高い貧乏家庭出身の人間がそういうやつらの中に取り入ることはあるけど、そういう層に入った途端にもといた貧乏人層を卑下して搾取する側に回ってしまう。
一流の大学が全てなんか小学生から血の滲むような努力をしないと無理、そうじゃなかった奴らは一生底辺ww
みたいな言説を見ると、自分の周りの東大とか言った人がそうでもない人だらけな現実とくらべて違いすぎるだろうと思ってた。
そもそも勉強が足りずに落ちたような人も、東大が第一志望の層だけあってわりと結構なところに行ってる人が大多数な現実もあるし。
公立中学に普通にいって、公立上位なり、私立の外部進学なり行って、難関大に受かってる人なんて田舎ではかなり聞くし、
たかだかちょっとサボったぐらいで即一生底辺レベルにしかなれんとか厳しい強い言葉を言うのが好きな人は
いろいろと間違ってると思う。
昔バイトで知り合った人がいる。
容姿端麗でセンス抜群。異性にもモテる。頭が良く超名門校中高一貫から名門大学へ進学。某超有名大企業へ就職して出世コースの花形部署に所属。現在も出世街道を駆け上っている。ついでに言えば、親は金持ち。
アルバイトという垣根のない場所で会ったのだが、なんでか馬があい、バイトを終えお互いに就職した現在も年に数回会っては飲んでいる。
完璧超人すぎて「変人」て言われていたり、自己愛が強かったりするのだが、
その他のスペックがべらぼうに高いのでなんの痛みもないし、ウィークポイントにもならない。
自分はわりと温厚で人を嫌いになったり妬んだり、恨んだりしないタイプだと思っていたが、
どうにもそうではなくなってしまった。
自分が一生かけても手に入らないものを当たり前のように享受し、
知らなかったし、知りたくなかった。
桐蔭学園。
かつては文武両道の名門校と呼ばれていたが、近年、凋落の一途を辿っている。理由は明白である。
「生徒は強引に従わせるべき、奴隷同然の存在である」という、戦後の軍隊教育さながらの教育マインドが、現場で延々とまかり通っているからだ。
教師が生徒を過剰に怒鳴る、叩く、長時間椅子の上に立たせる、といったパワハラ、モラハラは日常茶飯事で、教師が生徒を「学校を辞めさせるぞ」「進学させないぞ」と脅す事も当たり前。
桐蔭学園に通う生徒達にとって、この学校で過ごす時間は、刑務所同然なのだ。
当然、苦痛に耐えられず、大事な受験期で不登校になったり、学校を辞めていく生徒も続出する。ある年では、成績下位の生徒複数人に、学校側が脅しをかけ、自主退学を促した事実もある。そして学校側は無論、辞めていった生徒達の人生に対しては何の責任も取らない。
それどころか、成績上位の生徒のデータだけを抜粋して、さも学校全体の進学実績が伸び続けているかのように偽装して保護者に配ったプリント冊子もある。
また、ある年では、学校上層部の一方的な思想で、「高校の卒業アルバムからピースサインを全て削除しろ」という要請を強引に通し、生徒のピース写真が全て強制的に切り取られた事もあった。卒業アルバムが実際の証拠だ。
さらに、某教師が電車内で泥酔痴漢した事件など、学校側がこれまでに起こした不祥事は枚挙に暇がない。
校長は教師を、教師は生徒を縛り付け、保護者からは法外に高額な学費を納めさせ、現場の教師は薄給でこき使われ、不祥事は校長が揉み消す。
皮肉にも、「エリート教育」と称して、この学校で実際に行われているのは「奴隷教育」に他ならない。
もし、検察側が介入したら、間違いなくあらゆる問題が明るみに出るだろう。
学校上層部や教師陣による、生徒に対しての組織的な人格抑圧、人権侵害、思想弾圧。
その負の連鎖を、一刻も早く断ち切るべきだと断言できる。
そして、もしこれを読んだ貴方にご子息がいらっしゃったら、ここではない別の、思いやりがあって、温かな雰囲気の学校にどうか通わせてあげて欲しい、と切に願う。
「名門校進学を巡る裁判が示した、「エスカレーター式」の真実」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49632
本当にこんなことで訴える親がいるんだろうか
そもそも、私立大学係属の小学校をや中学校を受験させる親は「そこに入れば大学に無条件で進学できる」と思って受験させているのか?
だとしたら、それは大きな間違いで、実際には進級や進学のための条件を満たせなくて退学や転校を勧められている生徒がいることを知らないのだろうか?
進学実績を見ても分からないのだろうか?
「勉強が好きで、そのためにいい小学校や中学校に入学したい」という意思が本人にあるならいいけど、「この学校に入れば無条件で大学まで行ける」という親のエゴのためにまだ自分の意思もない子供に受験をさせるのはどうなんだ
http://anond.hatelabo.jp/20160904003739
どんよりした気分になった。
ハゲ、ニートに該当する29歳の増田だが、確かに行けないなと思った。
ハゲてなく、確実に話せる友人の参加を確認できれば行くことはできるかもしれないが、
帰り道、どうしてもどんよりした気分にはなるだろう。
彼らとの明らかな差の部分の方がより大きなネックなのかもしれないが。)
超絶美男美女に変貌を遂げたならまだしも、スクールカースト底辺とか、
そもそも母校に何の思い入れもない人が同窓会に行ったところで楽しめないのは当前としても、
それなりに楽しい学校生活を送れ、それなりに同級生の顔も思い浮かぶ俺みたいなやつが
同窓会に参加したら、適当に当時の話をしてそれなりに楽しめるはずだと思う。
想像だが、名門校を卒業した人のその後の人生は主にS級の上、中、下に振り分けられ、
A級じゃ恥ずかしすぎて同窓会に参加できなくて、本当におかしくなってしまった数名がCやDに振り分けられる
といったかんじなのではないだろうか。
A~Fまで多様にそろっている。
その中で自信のある連中が同窓会に参加するのは確かにそうだと思う。
そうだと思うが、本来参加すれば楽しめる自信のない俺みたいな連中は
「同窓会に参加する連中の最低ラインはCとかDぐらいの人生を送っているはずで、自分は……」
みたいな妙な計算をしだして、そこから導き出した結果によって参加できないのかな
なんてことを見ていて思った。
いざ、同窓会が始まったら自慢合戦になってしまうとしても、積極的に同窓会に参加できる連中が
参加を決める時は、自慢してやろうなんてことを思わず、単純に旧友に会いたいとか
STAP小保方事件では小保方さんが利用したというAO入試が随分と叩かれていた。
AO入試は意欲態度などを重視するあまりに基礎学力が保障されないから問題だという。
小保方さんはその好例とされたようだ。
確かに、小保方さんの学力がかなり低いということは誰もが承知していることではある。
あんな程度の人間が腐っても名門の早稲田大学に入学して博士までとってしまったことは驚きだ。
週刊誌情報によると中学時代から成績優秀で高校でもそれなりだったそうだ。
そんな小保方さんでもAO入試の弊害が表面化したケースとされてしまっている。
少なくとも高校の時点で小保方さんは同世代の中ではかなり優秀な部類に入っていたはずだ。
それなら「最低限度」は担保されると考えるのが普通じゃないのか?
その信用の上に意欲を重視して選考を進めることは間違いなのだろうか?
千葉県下有数の名門校出身者の基礎学力が信用できないというなら、今の日本に十分な学力を持つ学生というのは殆どいないのではないか。
元増田が貼ってる記事は編集が入っててどこまでが専門家の言ったことが分かりにくいので、コメントがそのまま載っているオリジナル記事の追記部分を元にざっと訳出
http://gizmodo.com/teen-discovers-lost-maya-city-using-ancient-star-maps-1775735999
David StuartさんのFacebookを引用。元増田が貼っているものなので省略。
https://en.wikipedia.org/wiki/David_Stuart_%28Mayanist%29
Thomas Garrisonさんのコメントを掲載。USC(南カリフォルニア大。1880年設立の名門校)所属の人類学者であり、リモートセンシングの専門家でもある。
I applaud the young kid’s effort and it’s exciting to see such interest in the ancient Maya and remote sensing technology in such a young person. However, ground-truthing is the key to remote sensing research. You have to be able to confirm what you are identifying in a satellite image or other type of scene. In this case, the rectilinear nature of the feature and the secondary vegetation growing back within it are clear signs of a relic milpa. I’d guess its been fallow for 10-15 years. This is obvious to anyone that has spent any time at all in the Maya lowlands. I hope that this young scholar will consider his pursuits at the university level so that his next discovery (and there are plenty to be made) will be a meaningful one.
(意訳)若者の努力は素晴らしいことだ。しかしこの結論はちょっと。リモートセンシングができるなら、この画像はトウモロコシ畑の跡地だとはっきり分かる。おそらく10年から15年間、休閑地になっているところだろう。マヤ低地を調べた経験があれば、誰でも分かることだ。私としては、この若者が次は有意義な発見ができるよう、大学に行って勉強して欲しいと思っている
Garrisonさんはよく似た地形が写っている画像もギズモードに提供している。耕作放棄されてから間がない分、もとの画像よりもはっきり形が分かる
Ivan Šprajcさんのコメントを掲載。スロベニア芸術科学アカデミー所属。人類学者であり、天文考古学を研究している。
Very few Maya constellations have been identified, and even in these cases we do not know how many and which stars exactly composed each constellation. It is thus impossible to check whether there is any correspondence between the stars and the location of Maya cities. In general, since we know of several environmental facts that influenced the location of Maya settlements, the idea correlating them with stars is utterly unlikely.
(訳)もともと、特定されているマヤ文明の星座は非常に少ない。それに、星座が分かっていても、それぞれの星座が、正確にはどの星を組み合わせたものなのかは分かってない。したがって、星の位置とマヤ文明の都市の位置が一致しているかをチェックすることは不可能だ。また、マヤ文明の居住地の位置決定に影響を与えた環境的な要素はある程度分かっている。それに星が関係するというのは、まずありえない
休憩室では他の従業員も休んでいて、僕と同じように食事をしていたり、談笑していたりなど思い思いのことをしていた。
一際目立つのは、従業員たちの間でも特に人気のあるA崎さんと副店長が、二人で何か会話していることだろう。
「……ほんと大変です。もし理想の相手と出会えても、相手が私を選んでくれるかは別の話ですし」
「『選ぶ側』と『選ばれる側』、二つの側面を同時に考えないとアカンからなあ」
聞き耳を立てるつもりはないのだが、僕の近くで会話をしているものだから嫌でも内容は耳に入ってくる。
「なかなかいい人と出会えないんですよねー。そこまで選り好みしているつもりないんですけど」
A崎さんは現在、婚活をしているらしく、相手に求める条件やらで副店長に相談しているようだった。
この職場で既婚者は店長と副店長くらいなので、妥当な相談相手だろう。
「まあ『選ばれる側』でもある以上、条件が緩いからってそう簡単にはいかないやろ」
「それはそうなんですけど、別に『高学歴高収入』とか高望みしているってわけでもないのに、こんなに出会えないんだなあ、て」
「ふうん……ちなみにどんな感じの条件?」
「ザックリいうなら、私と同じくらいのスペックでいいんですよ。そこそこルックスよければ言うことなしなんですけど」
「ほ……ほぉ~」
「……あ! そういうのがどうでもいいと思えるような人格者なら、実のところスペックとか関係ないんです。ルックスとかが決め手になるわけじゃないんですよ、本当に」
「そ、そうですよね。『見た目で選ぶなんて酷い奴だ』みたいに思われたんじゃないかと焦っちゃいました」
「思わへんて。外見がどうとか中身がどうとか、判断基準に是非なんて求めへんから」
「とはいっても、『だけ』で選んだらさすがにアレですよねえ?」
「まあ悪いとかは別として、単純やとは思うな。その『だけ』に入る言葉が何であれ」
「やっぱり今の条件くらいが丁度いいんでしょうか」
「それはA崎さんが決めようや。未来のもろもろ考えるんやったら、納得のいかない相手と結婚したって後悔するのは目に見えとるで」
「うーん……あ、もうすぐ休憩終わりですね。そろそろ持ち場に戻りますね。相談ありがとうございました」
A崎さんは会釈をすると、早足で休憩室を出て行った。
副店長は、A崎さんの出て行った方角を見ながら、僕の近くにあるイスに腰掛けた。
「難儀やなあ……」
「え……ああ、何がですか?」
「いやね。アタシが結婚したきっかけは見合いなんやけど……相手は叔母ちゃんからの紹介で、まあお節介ってやつや」
「やから、結果的に感謝はしとるよ。でも、あの子はその『お節介』を、金を払ってまでして貰っているわけやろ?」
「なんかなあ。自由な恋愛や結婚が認められた社会になってきてんのに、結局はそういう需要もあるんやなって」
「そうなんか……しかし、A崎さん分かっとんのかなあ」
「?」
「『私と同じくらいのスペック』って、つまり学歴だとか収入だとか、他にも容姿だとか趣味だとか、諸々の相性を合算した条件やろ」
「健全ではあるけれど、A崎さんが思ってるほど緩い条件ちゃうで。各ハードルが高くなくても、数が増えれば難易度は上がっていくし」
「種目がハードル飛びじゃなくて、ハードル走になっているわけですか」
「高いハードルのほうが飛びにくいとは限らない、と?」
「『スペックなんてどうでもいいから、それでも一緒になりたい人』と比較しての話や。あれはあれで厳しい条件やと思わん?」
「そんなこと言い出したら、ほとんど『高望み』になりますよ。それに出会いは水物ですから。僕たちがA崎さんの首根っこを捕まえて、『だから結婚できないんだよ!』というのは違うと思いますし」
「確かになあ……というかワタシら、他人の話で盛り上がりすぎや」
「些か下世話でしたかね。昼休みももうすぐ終わりますし、僕も持ち場に戻ります」
僕はあのときの話は忘れており、機械的な祝福を皆と粛々と行っていた。
その日の昼休み、A崎さんは結婚相手のことを周りの従業員に色々語っていた。
遠巻きにそれを眺めていると、僕の近くにいた副店長が呟いた。
僕はその言葉で、数ヶ月前にあった話を思い出す。
副店長の言葉の調子に悪意はなく、何の気なしに言った様子だった。
僕は「いやいや~」と、苦笑いしながら月並みなことを返していた。
まあ、A崎さんは幸せそうに見えたし。めでたし、めでたし。だろう。
先日ネット上にて、星海社から発売された『ロジック・ロック・フェスティバル』が古野まほろの『天帝のはしたなき果実』の盗作であるという疑惑が生じ話題となった。
そして、その『ロジック・ロック・フェスティバル』が本日、晴れて全文公開された。
http://sai-zen-sen.jp/awards/logic-lock-festival/
そういうわけで今日は本作が本当に盗作であるかというかのを考えていきたいのだが、その前提として知っておかなければならない事実として、「盗作」とは何かということである。
ここで日本で盗作について一番詳しく書いている栗原裕一郎の『〈盗作〉の文学史』から一部引用させていただこう。
本文に先立ち、何を「盗作」と呼んでいるかをはっきりさせておく必要があるだろう。
「盗作」にしろ「剽窃」にしろ、いずれも俗語だから、明確な定義は持っていない。
したがって、「盗作」であるか否かを区別する客観的基準というものも――明白な著作権侵害である場合を除いて――存在しない(中略)「影響」も「模倣」と捉えれば、広義には「盗作」と呼べないこともない。
つまり何かが盗作であると断ずるには、著作権侵害レベルの一致がない限り難しいのである。そして、肝心の版元である星海社は盗作の件について
と、はっきりと否定。また、盗作された側である古野まほろもtwitterで
本歌取りは日本の伝統、本格の伝統です。だから、もし本歌取りを「盗作」などと貶めるなら、それはとんでもない侮辱で冤罪です。私は、元の和歌が分かるマナーのある本歌取りなら、むしろ嬉しく思います。逆なら悲しい。私は、話もせず真実も知らず、人を断罪することは、不正義だと考えます(古野)
と言っており、両者の意見が「盗作ではない」と一致しており、晴れて『ロジック・ロック・フェスティバル』が盗作ではないことが確定したのである。パチパチパチ。
しかし、それでは面白くない両者の意見をよく較べてみると、あらゆる面で一致しているわけではない。
古野側は
ですから「類似点が多い」のはどうしてか。そして、これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います。「盗作」は考えにくいから。もし本格の後継者でいらっしゃるのなら、古野とは仲間だから(島津)
という具合に、盗作とは言わないが、こんだけ類似点が多いのは偶然で済ませられないだろと主張しているのに対し、星海社側はあくまで、
本作『ロジック・ロック・フェスティバル』においては小説を構成する主要素であるところのテーマ・プロット・キャラクターにおいて、先行作品との「盗作」に該当する類似点は一切ございません。
と類似点なんてねーよと全ツッパ。
ここで難しいのは、先ほども書いたように、「盗作」というものの定義がはっきりしていないため、星海社のいう『「盗作」に該当する類似点』というものがどういったものかわからないのである。
どこまでが、『「盗作」に該当しない類似点」であり、どこからが『「盗作」に該当する類似点』というのを言ってくれないと判断に困る。
しかし、言ってくれないものは仕方ないので、こちらで勝手に検証していく。
さて、ではここで問題となっている両作品の類似点とはどういったものなのか。
まず、読者の印象に大きく残る点として、全体のストーリーの流れが挙げられるだろう。
・天帝のはしたなき果実
↓
事件が発覚すると大会が台無しになる、多数決でこれからどうするか決める
↓
↓
↓
↓
事件が発覚すると文化祭が台無しになる、多数決でこれからどうするか決める
↓
↓
↓
2chからのコピペだが、両者を読み比べた自分から見ても、この通りの展開が書かれていたし、印象もだいぶ似ていた。
これに対して星海社は、
たとえば本作『ロジック・ロック・フェスティバル』にてテーマとなっている「学園での殺人事件」につきましてはミステリーを描く上では一大ジャンルを成すポピュラーなテーマであり、ご承知の通り、先行作品を枚挙することに暇はありません。また、文化祭で殺人が起こり、その発覚によって学園祭が中止してしまうことを恐れて生徒達が独自に行動する、という本作のプロットには先行作品としてはたとえば『前夜祭』(角川書店刊/芦辺拓・西澤保彦・伊井圭、柴田よしき、愛川晶、北森鴻氏らによるリレー小説)の存在を指摘することができると思いますが、こちらの作品に関しても前段となる殺人の状況と、後段となる推理と解決へと至るプロットには、本作との密接な類似点を見出すことはできません。
そして、「特殊な場所への警察権力の介入を防ぐために居合わせた人間が素人探偵となって活躍する」といった本作のプロットに関してはたとえば『水の迷宮』(光文社刊/石持浅海)などの優れた先行作品を指摘することができると思いますが、こういったプロットに関してもまたミステリー界においては極めてポピュラーなものであると言えるでしょう。 キャラクターに関しても、学園の生徒会やその周辺の個性にあふれた生徒たちが登場し、事件を解決するのはいわゆる「学園ミステリー」ものの常であります。
この理屈がありならば、「少年漫画において、探偵が主人公というのは一大ジャンルを成すポピュラーなテーマであり、大人だった主人公が子供になるという設定も手塚治虫の『ふしぎなメルモ』など枚挙に暇がなく、また主人公が知り合いの博士におもしろグッズを作ってもらうのも、偽名に古今東西の有名人の名前を使うのも決して珍しいケースではないので、本作『名探偵ドイル』は完全なオリジナル作品なのです!」などという無茶苦茶な理屈もありになってしまう。
問題となっているのは、別個であるはずの2つの作品でこれだけ似通った要素が複数に渡って存在してる点なのに、それを因数分解のようにバラバラにして、よくあるケースだと主張するのはいささか無理がある。
もっともミステリなんてのは、『名探偵、皆を集めて「さて…」と言い』という言葉があるぐらい、ある種の流れが決まっているジャンルだし、このぐらいのストーリーの類似はよくあることかもしれない。だがそれ以外でも古野側が、
私はこれまで徹底して、著者の方の名誉と将来のため、具体的指摘を避けていました。また性善説に基づき、盗作説を断固否定した上で、類似点の多さを悲しみました。それすら非のない方への中傷と言われれば、非は私にあることになる。ならば、相当数あるうちの1つだけ、まずお示ししましょう(古野)
鷹松学園と勁草館高校。学校の設定を比較対照してみて下さい。 やや時間を置いた上で、その具体的指摘も行います。 できればこれに止めたいですが、私に非があるとされている間は、二の矢三の矢を射ちます。極めて不本意です。私はこの段階でも、平和裡に解決することを強く、強く希望します(古野)
と主張しているように設定面においても、両校の舞台が「藩校を前身とする名門校であり、地下に軍事施設がある」という一致を見せている。
普通、ここまでの一致はなかなか見られまい。
また『ロジック・ロック・フェスティバル』の応募時キャッチコピーが「学園ミステリーは青春に捧げる供物である」というものだったのに対し、『天帝のはしたなき果実』に対する、ミステリ作家・有栖川有栖氏の推薦文が「これこそ、虚無なる青春への供物。真正の本格にして破格のミステリ」となかなかどうして似通っている。
それ以外にも両作品の最後の一文も綺麗に対称関係となっている。
このまま順調にいけば、古野によって二の矢三の矢が射たれるはずなので、今後の展開を楽しみにしておきたい。
ただ、個人的な意見を言わせてもらえば、『ロジック・ロック・フェスティバル』において、軍事施設の設定は必ずしも必要なものではなく別の設定でも代替可能だったはずである。だから、もし作者に本当に盗作をする気があるならば、こうした部分は真っ先に変更したはずである。それにもかかわらず、このような明白な形で残っているのだから、この一致は作者によるオマージュやリスペクトの一種とみなした方がいいだろう。
しかし、オマージュであれ、リスペクトであれ、このような類似点が多数ある以上、星海社側の「完全な事実無根」や「なぜ火のないところに煙の立つような今回の「盗作」疑惑が起こってしまったのか」という発言はいささか苦しい。少なくとも根や葉や火種はあったわけなのだから。
『ロジック・ロック・フェスティバル』のあとがきによれば、本作は作者が初めて書いた小説らしい。
その点を考えれば、こうした部分はむしろ若気の至りや遊び心と言えるし、前途ある新人に対して執拗に非難するべきではあるまい。
本作を受賞させるにあたって、星海社の太田副社長は座談会でこのようなことを言っている。
この人、ミステリーの手つきが本当にいいわけ。小ネタから大ネタまで、80点以上のミステリーが次々とやってくるって感じ。飲茶のおいしい料理が次々やってくる感じなわけね。しかもなおかつ、法月綸太郎的、佐藤友哉的な青春の痛みがしっかりとあるのよ。だけど生々しく「法月綸太郎が」とか「佐藤友哉が」みたいな感じでは出さないようにしてるんですね。
また、さらにこのようなことも言っている。
うん、この人は新本格ミステリーの正統後継者だと思うよ。あの世にいる宇山さんにも読ませたいよね。そういう意味で言うと、「ありそうでなかった」っていう感じがする作品なんだよね。新本格はその誕生以来ずっと奇形化が進んでいったわけだけど、正統的な先祖返りというか……この人の作品は音楽で言うと「黒いジョン・レノン」と呼ばれたデビュー当時のレニー・クラヴィッツみたいな感じなんだよね。あるいは、とかくビートルズと対比されたデビュー当時のオアシスとか。とにかく、これまでにありそうでなかった青春ミステリーの最前線、みたいなわくわくする感じがこの作品にはあるような気がするんです。
ここで太田が読ませたいと言っている、宇山氏が生前最後に送り出した作家・古野まほろをまたしてもガン無視である。「ありそうでなかった」人扱いである。まほろの存在が歴史から抹消されている。預言書が燃やされたのだろうか?
それとも『天帝のはしたなき果実』の文庫版が講談社からではなく、幻冬舎から出ていることと何か関係しているのだろうか?
そして受賞作の発売に寄せてこのようなことも言っている。
……というわけでぜひみなさん、『ロジック・ロック・フェスティバル』を読んでください。綾辻行人さんや法月綸太郎さん、有栖川有栖さんたち、かつての「新本格」推理小説ムーブメントは終わっていなかった、それが見事に証明される一作です。学園祭の密室の妙に酔いな……!
そりゃまほろも怒る。
明らかに古野まほろの影響を受けている作品に対して、他の作家の名前をガンガン引き合いに出してるのに、肝心のまほろを無視しているんだからそりゃ激おこにもなるだろう。
この場合考えられるケースは4つ。
1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。
2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。
3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。
イラストに大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。
ただ、やっぱり上に挙げた類似点を考えれば、作者が古野まほろを全く知らなかったというのだけは考えられない。
そして星海社は普段から新人賞の選考においてオリジナリティを重要視しており、以前の座談会ではこのようなことを言っている。
次は岡村さんが担当した『MV ―Meteddo Vevaea―』。これは高校生?
そうですね、高校生でこの枚数書けるのは素直にすごいです。
何枚くらい?
400枚以上ありました。
おお、それは確かに頑張ったね。
ただ、肝心の内容がまんま『IS〈インフィニット・ストラトス〉』なんですよね……。
タイトルもそれっぽい!
岡村さんもさらっときついことを言うようになってきたねえ(笑)。
いやいや、でも本当にそうなんですよ。架空の兵器があって、それを使える男性は主人公だけ……という設定で、何から何まで『IS』を連想させてしまう内容でした。これをそのまま出版したら、ちょっとタダではすまないだろう、と(笑)。
大変なことになりそう(笑)。
似た例は僕のところにもあって、『コトホギ』ってのがそうなんですけど。
コトホギ……?
柿内
タイトルが既に不穏だなあ。
これ、舞台は大正二十年、帝都。女の子が悪魔に襲われているところに、書生姿の男が助けに入り……と、ほとんど『葛葉(くずのは)ライドウ』です(笑)。
一同
まんまじゃん!
電波塔がうんたらとか、もうほとんど二次創作でした(笑)。これでライドウを連想しない人はいないだろうと。
まだあんのかよ! いい加減にしてくれよ(笑)。
主人公が着物姿で武器は刀……式の性別を男にしただけ、まんま『空の境界』!
冒頭1ページ読んだだけでそれと分かる感じでしたね……。
よく星海社にこれを送ってきたな、という。度胸はあるのかもしれませんけど、酷い!
別に新人賞でオリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。
だが、だとしたら『天帝のはしたなき果実』を連想させてしまう『ロジック・ロック・フェスティバル』を受賞させたのは失敗ではなかっただろうか?
普段の座談会で大上段から応募作を切り捨てているからこそ、受賞作にはそれ相応のクオリティが求められる。さらに帯に『まだあった「新本格」推理小説! 全ミステリファン注目の新人登場』なんて書いたらハードルの高さはそりゃもうウナギ登りでよっぽどの脚力が無い限り、足を引っ掛けて転倒は免れまい。
先程も書いたように、『ロジック・ロック・フェスティバル』の作者である中村あきにとって本作は初めて書いた作品である。
そうしたまだ若き作者に対して、これほど高い下駄を履かせるのはどうなのだろうか。
少なくとも「全ミステリファン注目」というのはいささか厳しすぎる。
そういう意味では、今回『ロジック・ロック・フェスティバル』が受賞してしまったことは決して幸運などではなく、むしろ運が悪かったのかもしれない。
身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。
http://suiseisekisuisui.blog107.fc2.com/blog-entry-1695.html
出る杭は全力で叩く
出る杭が叩かれるのはどこも似たり寄ったりだと思うけど
日本の場合はそのものの利害やらとは別に「そこになじまない」って
理由で叩かれるよね
年間成績一位の黒人学生には何もナシで、五位の白人学生にアイビーリーグの奨学金付き推薦が認められた、なんて話はザラにあります。
また、周囲と馴染めないというのは協調性が無い事の裏返しと見なされ、当然ですが高い評価は与えられません。
友達がいない→悪い
やるとしても普通の食事会でいいだろ
特に英語圏では仕事が終わった後に同僚達と呑むというのは割と普通の慣習なので、特に用事がないのに断るという人は変人扱いされます。
人をいじってとる笑い
特に多民族国家では「言葉ではっきり言わないと誰にも分からない」が前提なので。
右にならえの風習
こういう奴がよくいるんだが本当に腹立つ
特にチームワークが重視される仕事ではスタンドプレーは極度に嫌われます。
ヘタしたらチーム全体の評価も下がりますし、リーダーのマネジメント能力も問われますので。
容姿が並以下だと、どれだけアメフトで活躍しても名門校への推薦はもらえません。それをコーチから告げられた学生が整形手術代欲しさに強盗に入って捕まり人生台無し、なんて事件も過去に何度かありました。その都度メディアでは社会問題として扱われますが、実際の所全く改善されてません。みんな薄々それを容認しているって事です。
また、赤毛を理由に虐められるケースはどの小中学校にも必ずあると言って良いくらい。赤毛の教師がそれを黙認しているなんてケースも。
さらに「ブロンド=バカ」というのも、未だに根強く残っているステロタイプの一つ。
黒人やヒスパニック系との結婚を嫌悪する白人も珍しくありません。
さあ?
計画が崩れてどうしようもなくなった、って人もいるんじゃないですかね。
増田さんのいうずっと私学だった、っていうのは、エスカレータ式で進学にそんなに苦労することがなかった、って意味ですか?
だとすれば小学校で入ったときは名門校でも、大学在学までの15年ほどの間にブランド価値が暴落してることだってありますしね。
確率的にまずない、って思うかもしれないでしょうけど、まず大丈夫って思ってた想定が崩れてる人って案外多いんじゃないですか?
大手に就職して、こつこつ仕事頑張ってたら安泰だ、って思ってた人が、50前後で会社が経営破綻、またはリストラ、ってこともあるし。
まあ、きちっと計画たてて、それが崩れなかった、ってのは、本人の努力もありますけど、ラッキーだったって面もあるんじゃないですかね?
苦労してる人にも、きっと不運があったんですよ。
>東京都23区内に広い土地を持ってない家に生まれるなんてナメてるの?出身地が東京都じゃない時点でクズ。
>中学高校は何で名門校じゃないの?出身校の偏差値が70未満の時点でゴミ。
>出身大学が東大じゃない時点で馬鹿。その後、アメリカ・アイビーリーグの大学院を出てない時点で三流。
>勤務先が外資系金融じゃないの?財務省官僚じゃないの?米英系石油会社じゃないの?何で?
そうだ俺はどれも該当できてない完璧な人生を送れてない死ななければならない。
でもこれでもまだ完璧とは思えない。まだ低いもっと高いはず。それをどうして送れなかった。
俺はどこで間違えた、誰か教えて。どうしたらよかった。
僕は、起きようと思ったが、寝不足体で体が動かず、結局二度寝してしまった。
次起きた時は携帯電話が無くなっていた。不思議なこともあるものだ、とPCで時間を確認した。
12時10分だった。
せっかくの休日を無駄にしてしまったと、後悔と自己嫌悪で頭が痛くなったが、これも運命だと僕なりに解釈し、しきりに部屋の外側から聞こえる豚の鳴き声が、治まる頃を狙って部屋から出てた。
部屋のドアを開けたすぐ前では、まるまると太った豚達がサウナへ行くの準備をしており、ニタリと嫌らしい顔で僕も行くように誘ってきた。
もちろん断りを入れ、昼ご飯を作らせた。そして、僕が特別好きでも嫌いでもない、地元ではよく見かけるポークと目玉焼きが出てきた。ポークはとっても厚く切られており、ついでに言えば僕の好みではなかった。
豚達がサウナに出かけ、暇になったところでテレビを付けてみた。何回かチャンネルを回し、結局、高校生クイズと言うものを見ることにした。クイズと言うことで名門校ばかりが名をあげており、特別僕自身の興味を誘うものは無かったが、時間帯が時間帯だったので、これしかマシなのがなかったのだ。この結末を書けば、最後まで残った医学部進学率一位の高校と東大進学率一位の高校に通う生徒達の対決であった。16対16まで延長戦を行い、16対17で東大進学率一位の高校が優勝した。それだけの話しである。おめでとう。
アメリカでの公立大学、つまり州立大学の歴史を紐解くと、実学を教える専修学校のようなルーツであるらしい。
そんなものは金持ちの息女が行くところ。
で、日本をみてみると、お金や仕事に結びつくところは私立の専門学校、企業系の研究所がになって、大学はそれでカバーできないお金と無縁のところばかりやってるようにみえる。
お金儲けに結びつくところは学問として下という風潮があるように感じる。
実世界で役立つ知識よりも人間的なレベルアップを目指してるような。
特に国公立は。
でもなぁ、貧乏人が成り上がるためにはまずは金になる仕事に就くための教育でしょ?
たしかに、「学問の自由」は大事だと思うよ。
でも、国公立大学のスタンスって高学歴ニートを作る土壌にはなってるような気がする。