はてなキーワード: 恨みとは
以前、身近だった年下の女の子がいて。
で、その子のことは好きだった。性的な意味でなく。
彼女はちょっと歪んでいた。ありふれたことなのかも知れないけれど。
決して異性に関心を持たれないようなキャラクターでもないのに、恋愛の、性的な関係の主体になることも、客体になることも自分に許さなかった。求められることはすべて拒み、自分の中にある求める部分は抑圧した。20代も後半になるまで。
俺にはそれが全部、痛ましく見えていた。
どうして彼女がそんな風になってしまったのか、の理由も見当はついていた。母親との関係だ。でも、そこに踏み込むのは躊躇していた。理由の一つは、彼女が俺を望んでいたから。
一人の大人として、性的なものを踏まえて他者との関係を結ぶこと。
これって死ぬほど面倒くさくて、でもだいたい性欲に引き摺られてその事を考えざるを得ない状況に若いうちに否応なくなってしまって、あれこれと失敗を重ねながらなんとなく学んでいくんだろう。他人のことはよく分からないが。
そして、それを切り離して拒んでしまえば、きっと楽なのだろう、という気もする。
ただ、それは大人としては歪んだ形ではないのか。
本当はそんな事判りはしないのだけど、当時の(さっぱりもてた訳ではないがそれなりの日常的な恋愛沙汰の中にいた)俺は彼女の姿を見ながら勝手にそんな事を考えて胸を痛めていた。血の繋がらない人間を相手に、愛する事、愛される事を(セックスも含めて)試みるべきなのにな、とか思っていた。
余計なお世話だ、で話が終わらないのは、彼女の中のそういう壁、みたいなものを打ち破る力を俺が自分で持っているのを理解していたから。彼女は俺には受け入れられたいと思っている。相手が俺なら、性的関係も受け入れる(彼女の母親が俺の事を認めていたから、彼女が自分の中にある規範を乗り越えるのも比較的容易だろう)。
ただ、俺はそうしたくなかった。彼女は十分に愛らしくて魅力的だとは思うが、俺は彼女との間にそういう関係を結ぶことを望まなかった。これはもう単純に、俺の女性の好みと性的嗜好が原因。
そうこうするうちに彼女の状況が激変した。彼女にとっては世界の半分が消し飛ぶような激変。具体的に言うと母親の重病。
俺はもうその頃彼女の身近にはいなかったが、電話を受け取る事はできた。連夜彼女は電話で苦しみと悲しみと不安を俺にぶちまけた。俺が彼女と逢えないことを、彼女の苦痛を受け止めないことをなじった。俺は俺で、電話という状況の中で彼女に言える精一杯の言葉を口にして、同時に彼女と俺の間にある距離に感謝した(これはひどく邪悪な心理であるように自分では感じられたのだが、どうなのだろう)。
来るべき時は来る。彼女の母親は死んだ。彼女は電話口でその事を俺に伝えた。
連夜の電話は途切れなかった。彼女はもちろん、なくなってしまった自分の世界の半分を埋めるべく努力を始めた。そして俺は電話口で、求められるがままに彼女を支える言葉を吐き続けた。
もちろんそんな事は俺の自己満足以上のものではない。その事は判っているから自分でも気持ちが悪いし、ぶっちゃけ生活にも支障が出てきたので、彼女ができるだけ早く立ち直って電話をかけて来なくなるのを望んでいた。
それでも、彼女にできるだけ幸せでいて欲しい、と思う気持ちは別に嘘ではなくて。そもそもこういう状況になったときに俺しか頼る相手がいない、と言う状況に自分自身を追い込んできた彼女自身の事が、恨めしく。
彼女は立ち直りに失敗した。電話口で自殺を仄めかすようにまでなった。
自分でも本当に愚かしいと思う。
母親をなくした彼女は、なんとか自力で大人の女として独り立ちしなければいけない。それに失敗すれば、それはもうそれだけの話なのだ。それが歪んだ人生なのかどうなのか、誰にも判りはしない。俺はそこで切り離すべきだった。
俺は彼女と会った。会っただけでは立ち去れず、彼女の家に泊まった。
もちろん楽しくなんかない。気持ちよくもない。処女を相手にしたセックスなんて最低だ。こちらがその行為に込めたどんな気持ちだって、想いだって伝わりはしない。抱かれた事は嬉しいだろうけど、その嬉しさはその場で実際に彼女に触れている俺に向けられているんじゃない。俺はここにいるのに、どうせ彼女は「想い続けた男に処女を捧げている自分」の事ばかり考えている。
そして俺は自分の場所に帰った。そう簡単には会えない、離れた場所へ。
彼女は俺を求め、苦しみ、そして俺を恨み、呪った。そして時間をかけて立ち直り、別の男を受け入れ(あるいは受け入れられ)、結婚した。まったく連絡は取っていないけれど、先日来たメールでは幸せそうだった。
客観的に見て、俺のした事は最悪だ。
愛してもいない女を相手に、その女が普通の精神状態ではないことにつけ込んで、その後の彼女がどれだけ苦しむのか想像がついているにも関わらず、セックスに及んだ。
多分これは彼女からすると、レイプと変りない、犯罪的な行為だ。
予想通り彼女は深く傷付いた。彼女からすれば、セックスを行った後は彼女のすべてを俺が受け入れ、消し飛んだ彼女の半分の世界は俺が埋める、と言う事になるはずだったのだろう。それは実現しなかった。俺が実現させなかった。
当時の俺からすれば、彼女がこれから母親を離れて独りで生きていくに当たって、彼女が唯一受け入れられる方法で(そして俺が唯一できる方法で)彼女の歪みを取り去った、と言う事になる。そしてそれは結果的に成功した。でも彼女にとってはどうだ。彼女は付け入られた、裏切られた、と感じただろう。
今はそう思っていないらしいのが、救いと言えば救いか。
セックスと言う行為が持つ意味を共有するのは、当事者同士でも多分ひどく難しい事なんだろう、と今でも思っている。そしてそれが共有されない限り、すべての性行為はレイプとしての一面を持ち得る。もちろん俺なんかよりも遥かに高いコミュニケーション能力を持っている諸兄姉にとっては別なんだろうが。
ふとしたきっかけで高校生の時にからかわれたり、ひどいことを言われたりしたことを思い出した。
○登校時「お前なんか学校に来るな。帰れ。」と怒鳴られたこと
○教室から玄関まで行って俺のかさが盗まれていないか確認してこい。でなければ皆のいる前で殴り倒すと恫喝されたこと
○学校が田舎だったので家まで帰るのが遠かった。学校から市街地までタクシーを呼ばされお金を私一人に払わされた
まだ、いろいろあるのだけどとりあえずこの3つに絞ろう。私は高校生の時は内気で相手に言い返すことができなかったが、そのときも
怒りと恨みの炎はメラメラと心の中で燃えていた。なぜ自分には「牙」がないのかと「牙・牙・牙」と頭では繰り返していた。
それで今。社会に揉まれ私は強くなった。こういう過去も笑って流せることが本当に強いということかもしれないが、これらのことに決着をつけたいと考えている。暴力をふるうことはしない。会ってこれらのことを話、「謝ってくれないか?」タクシー代についてはお金を請求したい。ちなみにこの3つの話の奴らはそれぞれ今の職業は地方公務員、地方公務員、教員であることは分かっている。
こういうことを考えて、かつ実行しようというのは異常でしょうか。また、同じようなことを思ったり、実際に行った人はいますか。
「サブカル」と聞くと若者向けのちょっと尖った商品、作品と思う人が多いと思う。
たしかに、その認識に間違いはないだろう。ただし、十年以上前の話しならば、だ。
サブカルと聞いて、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。
みうらじゅん、吉田豪、または伊集院光……だいたいこの辺の人間は必ず挙がってくる。
しかし、ちょっと考えてみてほしい。同様の質問を五年前、十年前にしてみた場合、やはり同じ名前が出てくるのではないだろうか。
もちろん、彼らの実力は本物で、ゆえに需要が高く、キャリアも長くなっている。
だが、本当にそれだけが起因と言っていいのだろうか。
はっきりと言おう。サブカルは世代交代がなされていない。雑誌を開くと何年も同じメンバーが似たような切り口でコラムを書き、書店のサブカルコーナーに行けばいつも通りのスターディングメンバーの新刊が出迎えてくれる。
その原因はめぼしい新人が現れないだとかいったことが理由ではない。もっと内部に醜く捻れた構造が眠っているのだと、私は思う。
そもそもサブカルは主流文化に馴染めないエッヂな(悪く言えばひねくれた)人間が集まって形成されたものである。既存文化ではカテゴライズできない魅力を求めた人々が消費していたのだ。
しかし、いつしか本来既存からはみ出していたはずのそれらを、「サブカル」とパッケージングし、売り始めることになる。
そして、そのパッケージングされた商品を、個性尊重教育で「他人と変わっていなければいけない」という強迫観念にかられた人々が、「個性」を買うために手にし始めるのだ。
カルチャー誌もそれを後押しする。ロリータの作者、ナボコフは「広告はその商品を買えば、あたかも購入者が高貴な存在になれるかのように錯覚させる」と言い放ったが、彼らも「サブカル」のカタログに載っている商品のどれかを買えば、自らも個性的になれると錯覚していると思われる。
彼らの目的は自分の趣味を追求することでも、なにか新しいものを創造したりすることでも、見つけ出したりすることでもない。「自分は個性的」と安心したいだけなのである。孤立を覚悟してでも自らの感性を信じきっていた先人とは大違いだ。
さらに最悪なことにこのような人間は「クリエイター病」を併発している可能性が高い。「クリエイター病」とは、なにかモノづくりの現場に関わり、有名人と交流することこそが人生最良の道であり、クリエイター系の仕事についてない人間はすべて挫折し夢敗れた落ち武者で、毎日布団のホゾを噛みながら恨み言を呟くような悲惨で陰湿な生活を送っているに違いないと思い込むことである。
個性を金で買うようなクリエイター病羅患者が制作側に回るとどうなるか。それがいま現状起こっているような世代交代がまったく進まない世界、というわけである。
彼らのやりたいことは新しいものを見つけ出すことではないため、既存の「個性的」と烙印の押された人物に、自らのプライドを満たすために仕事を依頼することになる。その結果がどこを見ても「みうらじゅん」状態を作る。そして、サブカルは予定調和で満たされる。
みうらじゅんを使えばOK。ボンクラっぽいことを書けばOK。童貞って言えばOK。すべて約束事で構成されているくせに、あたかもエッジであるかのように気取る。
もちろん、そんなことをやっていると感性の鋭い人間は当然そっぽを向く。雑誌を買わなくなり、ネットなどを使って自分の足で本物を追い求めるようになる。それがスタジオボイス廃刊のカラクリである。
同じ人間を使って同じようなことを繰り返した結果、サブカルは特定の世代にしか相手にされていない中年文化へと成り下がった。まずはそれを認めるところから始めよう。このままじゃゲートボールや盆栽と同じになってしまう。
「私、サブカル好きなんです」と宣言し、オーケンと絡んだりしているアイドルのなんとどん臭いことか。サブカル好きと見られたいがためにサブカルとパッケージングされているオーケンの商品を買ったでしょう?
ソラニンの実写映画の主題歌を、アジアンカンフージェネレーションが担当すると聞いて「えっ!?」って思った人がいたかい? みんな「ああ、やっぱり」って思ったはずだ。本当のサブカルは、そんな予定調和から遠く離れたところにあるはずなんだよ。
厳密に言うと、元彼女だ。遠距離恋愛だったから、彼女未満だったかも知れない。
当時、わたしは肉体的に悲鳴を上げている状態で、昼夜逆転の様な生活を送る彼女とのメッセやスカイプに付き合うことに耐え切れず、一方的に突き放してしまった。
その翌日、彼女は硫化水素であっけなく自殺した。誰にも迷惑がかからないような場所を選んで、最後に会った人にさえ平然とした姿を見せて。
携帯電話はもちろん、メッセンジャー、スカイプ、わたしとのありとあらゆる連絡手段を断ち切って、(恐らく彼女なりに)最も鮮やかに命を絶ったので、死を知らないままを一週間を過ごした。
一週間後、彼女とわたし、共通の友人から連絡をもらった。
「知っていると思うが、あいつが死んだ」
言うには、その友人と彼女はしばらく絶縁状態にあったらしく、気まぐれに仲直りを思い立ち電話したところ、彼女のお母さんが電話口に出て事実を知ったという。
聞くところによると、既に解約してあった携帯を特別に元通りの状態にして対応していたらしい。
その話を聞いて、最初の一週間は、本当に何事もなかったかのように過ごした。
一週間後、後日弔問で彼女の実家へ向かった。はじめて赴く地だったので、不謹慎と言われようが、半分観光気分だったことは間違いない。
到着し、お線香を上げ、ご両親との会話をしている間は、はっきり言えば何も感じていなかったと思う。
けれど、晩酌に付き合って欲しいということで、ワインやらウイスキーやらを傾けているうちに、涙があふれて止まらなくなった。
罪悪感、怒り、自責の念、悲しみ、恨み、諦観、上げれば切りがないほどの感情があふれ出るとは、自分でも思っていなかった。
彼女の死と、自分が誰かの為に本当に泣けるような人間だということ、その二つが、心の堰を破ったのだと、今なら分かる。
それからは、もうダメだった。彼女がいないことのあまりの虚無感に内側から『何か』が穴をこじ開けるような感覚に襲われ、一週間で眠れたのが数時間、という有様だった。
しかも起きている間は延々と彼女のことを思考するばかり。まさに拷問じみていて、生き汚い自分が、はじめて『死ねば楽になる』という考え方を理解した。
勝手に神様を信じたがるし、自分が殺したという罪の意識は膨らむばかり。死別に関する記事を片っ端から調べたり、彼女がネット上で活動していた残滓をなくならぬうちにかき集めたり、
そんなことしかできなかった。
でも、一ヶ月が経って、こんな記事を増田に垂れ流すぐらいには回復してしまった。早々にギブアップして医者に薬を処方してもらったというのも大きいが、
根本的には、気付いたことが二つあったから。
一つは、友達なんていない、孤独だ、と思っていた自分にも、支えてくれる仲間はいくらでもいて、みんな優しいということ。
一つは、彼女が好きだった自分は、幸せにならなくてはならない、ということだ。
ここまで書いて、こんな陳腐なまとめ方というのもいかにも三流だが、これは本当のことについて喋ったことだ。うそつきの自分が、一つのうそもつかないほど、大切なことだ。
わたしは、彼女を絶対に許さない。けれど、今でも愛している。これは、本当のことだ。
最近スーパーに行くと妙に寒い。夏に企業を訪問するとやたら暑い。
節電のためにエアコンの設定を弱めにしているのだろう。
世の中は空前のエコブーム。
たとえスーパー内が暑くてクレームの一つもつけたくても、「エコのために弱冷房にしています」という文句一つでぐうの音も出ない。完敗だ。
ところでこの流れ、企業にとってはとても助かる。
無駄なコストは抑えられ、いらない仕事はしなくてもよい。自分は悪者にならずに消費者は勝手に理解してくれる。
エコのために買い物袋あげません
エコとさえ叫んでればなんでもまかり通るんだから良い時代になったもんだ。
ところで何が言いたいかっていうと、企業がうらやましいということだ。
別にエコに恨みがあるわけではない。地球のためにもいい事だしね。たとえ自己満足であっても。
エコの名の下にしがない一消費者の自分にもちょっとは利益になるようなことはないものだろうか。
あーうらやましい。
ともだちがこころの病気になって一年、怖くて連絡をとれなくなってから半年が過ぎた。
職場を休んで実家に帰ったともだちは、風の噂ではとても怒っているようだ。
話を聞いてほしくて、苛立ってキレたり怒鳴ったりするのも病気のせいなのに、
こんなに苦しくてしかたがないのに、話を聞いてほしいのに、フォローも何もない、と。
ともだちは、まわりで支えようとしていた友人たちのなかでも、
特に、自分に対して怒っているらしい。
いちど、友人の一人が電話をしたとき、
ともだちは「あんなに待っていたのに誰からも連絡がなかった」と怒鳴った。
生まれてこのかた、誰かからあれほど激烈になじられたり怒鳴られたりしたことはなかったよ、
それはそれはすごかったんだ、と怒鳴られた友人は淋しそうに教えてくれた。
実際には、その前後に複数の友達がメールや電話をしていたのだけれど、
ともだちにとって、それは『連絡』ではなかったらしい。
みんなの話を合わせてみると、ともだちは、自分の連絡を待っていたようだ。
ともだちは、上に書いたように友人を罵倒した後で
「これは貴方に向けたものではない、代理みたいなものなのだ」と謝ったというのだ。
半年経って、初めて知ったこと。
働くだけでずっと来てしまったともだちは、社外の友達がいなかった。
労組を務めたりする機会があっても、会社の中で知り合いの輪を広げることに興味を示さなかったらしい。
何かを相談する相手は、同僚と上司、あとは学生時代の友人=自分たちだけ。
そのなかでも、自分に対しては、深く深く、気持ちを傾けていたらしい。
たしかに、知り合ったのがいちばん早かったぶん、つきあいも長かった。
「同性を超えた気持ちというか、恋人に対するようにして、ものすごく執着してたみたいだよ」
と友達の一人は言った。
だから、それが完全に裏返った今は
「裏切られた」「こんなに傷つけられたのだから謝ってほしい」という
真っ黒い憎悪の対象になってるみたいなんだよ、と。
自分も、ともだちのことを親友だと思っていたけれどそこまで執着されているとは思わなかったから、驚いた。
本人とは今は接触していないので、他の人経由の話でしか今の状態は把握していないけれど、
ともだちは、どれほどこちらが間違っているか罵倒して、謝らせたがっているという。
時間を自分に捧げてほしい。批判や指導ではなく、すべてを受け入れてほしい。
たしかに今考えると、当時のともだちの要求は、恋人に対するそれとよく似ている。
でも、実際にはそうではないし、こちらにはこちらの家族や仕事がある。
突きつけられた要求を容れることはできなかった。
「それはできないから」と、あのときはっきりと断ればよかったのだろう。
でも、断った結果、もっとこころの病気が悪くなってしまったらどうしよう、とあのときは思ったのだ。
そして逃げているうちに、事態はもっと悪くなってしまった。
電話口で死ぬほど罵倒された友人は、もう昔の「ともだち」はいないんだと思うようにしているんだと言った。
この先、病気が治ることがあっても、もう顔を合わせて話すことはできないと。
自分の代理として深く傷つけられてしまった友人には、本当に合わせる顔がない。
ともだちが「友達に裏切られた/ひどい」と書くと、
「なんてひどい!」「管理人さんかわいそうに」という同情的なコメントがびっしりとつくのだそうだ。
その様子は教祖と信者のようだと、日記を覗いている友達が言っていた。
「あれだけ同情されたら、心地よくってしかたがないから、そりゃあ抜け出せないよね」とも。
ともだちがどんなに酷く自分のことを書いていても、もうしかたがない。
日記を読むひとたちは、ともだちが書く部分しか見えないし、同情するしかないだろう。
そう思い続けているに違いないともだちの「現実」は、われわれの現実からは遠く隔たってしまっている。
胸にたぎる恨みつらみ、罵倒をこちらにぶちまけたら、ともだちはよくなるのだろうか?
罵倒を浴びせてなお、みんなと友人でいられると思っているのだろうか。
ともだちの言動に傷つけられたのは、自分も皆も同じだ。
けれど、だからといって、激情の刃を思いのままに振り回す相手の前に
素で立ち続けていられるほど皆強くはない。
はたして、治るのだろうか。
穏やかに話せる日は来るのだろうか。
考えてもしかたがないことを、今日もそうやって考えている。
まずはこれを見てほしい
http://anond.hatelabo.jp/20091120120348
細かいことには目をつぶってほしい。
最初に、何が言いたいのかと言うと、平将門はご利益よりも祟りの方が有名だということだ。
言っておくが、俺は将門が嫌いなわけではない。
かといって好きというわけではなく、単に承平天慶の乱を良く知らないというだけのことだ。
しかし世間の将門評、いわゆる”首塚”というものが気にいらない。
なぜ気にいらないのかと言うと、それが呪いとか恨みとか否定的であるからだ
そういった、将門評は、上のURLで見てもらった手塚はしらないが漫画にも多少は影響を与えたと思っている。
なにかあれば、将門将門、あれもこれも将門
なかには関東大震災も、将門の祟りというデマが当たり前のように見受けられる(実際は帝都物語によるフィクションである)
もし知らないのであれば、一度読んでみてほしいと思う。
痛いニュース(ノ∀`):理想のお姫さまを待ち続ける「童貞(シンデレラ男)」が増加傾向http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1338787.html
なんてエントリを見るにつけても腹立たしい。
いい加減あんたがたは認めるべきなんだ。
我々は既に「男子」なんかではない。
我々、
というのは「30前後~以下世代」とか「非イケメン」とか「オタク気味」とか
ネットやはてなにゴロゴロいる男を大雑把に想定してもらえばよいが、
我々はこの歳になるまでさまざまな形で去勢されてきた。
あんたがたも必ずどれかには参加してる筈だから知らねえとか他人事だとは言わせねえ。
・子供の頃には個性尊重だかなんだかの教育で"競争を蔑むこと"を教師から教えられ
・小学校高学年に上がればバブルが弾けて"学歴競争も年収競争も空しいぞ"と世の風潮に諭された。
・思春期には「イケメン以外は恋愛市場に上がるべからず」として
"万事色気を出さぬこと"を必須ライフハックとして女子から叩き込まれた。
・物理的な生活環境は変な廃棄物から擬似的な"女性ホルモン"を吸い込ませてくるし、
・メディアのお得意コンテンツ「家長として頑張るオジサンいじめ」は"父親になることの絶望"を刷り込んできたし
・フェミニズム流行りは「優しいことがなにより大事」「古い家父長オヤジになりたくなければ…ねえ?」てんで
"オスっぽい強引さなんぞは捨てるように"というお達しを回してきた。
締めに大学に上がったら時代も時代、仕事にも社会にも未来がねえことは薄々わかるし
結構な割合が正社員の席にすらありつけなくなっちまったまま今に至る。
どうだ。
金玉がぶら下がってれば男なわけではなく、環境が男を作るのだとすれば
我々が生来持っていたかもしれない”男らしさ”は成人するまでに全く育てられることが無かった。
自覚させられることなく、教えられることもなく、保護されることがなく、
訓練されることもなく、試す機会もなく、称揚されることもなかった。
タマのある男が生まれるチャンスがどこにある?
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とは言っても、亡くした金玉の恨み言の為に書いてるんじゃあないんだ。
すでに金玉がないのが我々なので、この状態は快適最適だ。
そっちの都合で突然「ところであの金玉はどうした」「おなた達も男なんだから」と言い出す奴等なんだ。
タマの無いお前等が車や見得に消費をしないせいで経済が回らなくて困る!だの
タマの無いお前等が女やデートへの関心低いせいでうま味が減って困る!だの
つまり自分達のカネが減ったのが我々タマ無しのせいだと文句を言ってくる。
「知るか」と。
自分達の都合でせん馬だらけにしといて牡馬が必要になったら「オスがいないじゃないか!」と怒り出す。
我々に取ってみればこういうのが一番不愉快でやってられないんだ。
消費が少なくて環境には優しいし、社会からうるさい強権的な男が減ったのは女性に優しい。
喧嘩や粗暴犯罪や軋轢は減って、景気悪くてもインドアな低コスト趣味で大人しくやってけてる。
希望が減っても暴力デモや暴動を始めて社会を不安定にしたりもしない。
だがこういうことに対する感謝や評価は全く無い。
困った時だけ「おいタマを出せ」「あんた達だって男でしょ」と。
個人からメディアまで変なレッテル貼ったり挑発したり見下したりして
「更生」だか「発奮」だかさせようと頑張ってる奴等が居てうっとおしい。
馬鹿にされたらまんまと発奮したり勃起したりするような反応は男の特性だ。
頑張ってる奴等の魂胆を想像して薄笑いするだけだからいくらやってもムダだ。
去勢済みの我々は既にタマ無しとしてのデメリットを甘受してきたが
それと引き換えにタマ無しの快適さやメリットも発見し楽しんで長い。
「男の義務を果たせ」と言われたらカーッと怒って反発するが
「やーいタマ無し」と言われたら「オス、タマ無しです!」と元気に返事できる。
男気のカケラもなく女々しさ溢れる長文を書き終えてなんらの恥ずかしさも痛痒も無い。
久しぶりに家庭用ゲーム機で普段やってるものとは別のゲームを遊んで「楽しい」と思えたことから、かつて通っていたゲームセンターに久しぶりに行きたいと思い始め、思い立ったそのすぐ今日に、昼から暇があったので、行ってみることにした。
約半年ぶりに、当時と同じ足取りで向かうと、騒音と共にその光景が憧憬として深く頭に残っていたゲーセンは、跡形もなく消え去っていた。デパート内の一角にあったそのゲーセンのフロアはシャッターで閉ざされ、入り口前の掲示板には、10月末に閉店したことと、これまでのご愛顧に対する感謝の旨を伝える文章が、それぞれ別のアニメ・ゲームの画像ネタと共にいくつも貼られていた。驚いたが、実は閉まっているんじゃないかという心配はちょっとだけあった。そのゲーセンは、その手ではおそらく中堅~大手の会社によるチェーン店だったが、単純に経営難に陥ったのか、やむを得ずに立ち退きをせざるを得なかった複雑な事情があったのか、理由はいくつも考えられたが真相を積極的に知ろうとは思わなかった。
閑散とした一角を前にして、こみ上げてくる寂しさと同時に、ゲーセンに通っていた思い出が蘇る。そのゲーセンに通い始めたのは2年半前のことだった。レバーとボタンを使ったゲームに大きな興味のあった自分は、インターネットで調べた結果、近くて通いやすく賑わっていそうなこの店に通い始めた。最初は多くのゲームをだらだら触っていたが、古めのゲームは対戦相手が少ない上に強すぎて勝負にならないこと、新しいゲームでもそのほとんどは操作が難しいなどの理由で肌に合わず、多くのゲーム、多くのキャラクターを試した中から一人だけ自分にマッチしたキャラを見つけ、そのゲームを集中的にプレイすることにした。それなりに歴史のあるゲームだったが、最新作が出てから日は浅く、プレイヤー数も多かった。
結局のところ、プレイしていた2年間はずっと負け続きだった。自分だけの力では手も足も出ず、インターネットで攻略情報を調べ、操作に慣れようとしては乱入され、コテンパンにされ続けた。やっとまともに動かせるように思い始めた頃からは、筐体の周りに出来た行列に並んで待ち、自分の番になると一回も相手に触れずに負けたこともあった。いくらお金を注いでも、上手くゲームを遊ばせてもらえなかったし、相手は自分を勝たせてはもらえなかった。それでも楽しかったのか、それとも上手くなれると信じきっていたのか、毎日のように通っては迷わずお金を落とし続けた。
プレイを始めてから一年半ほど経ち、ラインナップもそれなりに変わり始め、自分のやるゲームも古くなり、稼動しているセット数が減り、人口も減ってきたが、今やっているゲームほど自分を満足させるものはなく、同じゲームをプレイし続けた。しかし、同じゲームをプレイしていた人達は新作に移ったというわけではなさそうで、その頃には、自分が見た同じゲームのプレイヤーのほとんどはゲーセンに姿を見せなくなっていた。おそらく、自分はその9割には一回も勝てなかったであろう。行列に割り行っては手も足も出なかったあの頃とは違い、中級者程度なら初見ではそれなりに肉薄できるようになった代わりに、筐体の周りには休日にも人だかりはほとんど出来なくなっていた。
対戦ゲームと並行して一人用のゲームもいくつか嗜んでいたが、お金を山ほどつぎ込みながら、ノーコンティニューでクリアまで到達できたゲームはごく簡単と呼ばれるもののみを片手で数えるほどで、本格的なスコア稼ぎの領域まで手を出したゲームは一つも無かった。こちらも対戦ゲームと同じように、鳴かず飛ばずの大失敗だったと言えるだろう。
二年ほど経った頃、自分が全く上手くなっていないことにやっと気づき始めた。手先が不器用で反応も鈍いことや、妙な癖があり簡単に隙に付け入られること、攻略は他力本願で何も考えていないことなど、自分の弱さにとことん難癖をつけ始め、ネット上で上級プレイヤーの話を聞くと、自分ほどの高さに達するまではほとんど苦労はしてないであろうと思い込み、自分のセンスの無さに失望し、ゲームを続けることに面白さを見出せなくなっていき、ゲーセンから自然と足が遠のいていった。弱肉強食のゲーセンのゲーム事情において、弱い存在である自分は自然淘汰されたということである。自分のゲーセン通いは、いわゆる人生に数多い挫折の一つというやつで、こともあろうか自分は娯楽に対してそれをしてしまったというオチだった。通うのをやめてからは、そのゲーセンの近くには意識してかせずか立ち寄ることが全くなくなり、空白の半年の間は、店舗の様子を見たこともなかった。
自分にゲーセンで出来た知り合いはいなかった。個人的に同じゲームで同じキャラを使う上手いプレイヤーに尊敬や淡い思慕の念を持ったことはあったが、だからといって自分から話しかけることはなかったし、定期的に開催される大会に出たことはないし、コミュニケーションノートにも一筆添えることもなかった。それらは単に、ゲームを中心に回るコミュニティの中で自分の存在をアピールするためには当然ゲームの上手さが必要であるという思想から、他人による自己承認を求め、待ち続けていただけの臆病さによるものなのだと思う。その思いとは裏腹に、話しかけられて腕前を賛美されるといったこともなかった。むしろ、自分や筐体に対して罵言や殴打で怒りをぶちまけられることこそ無かったが、ゲーム内では対戦中に挑発や舐めプレイという形で自分を疎んじる態度を頻繁に表され、今でも枕で思い出しては後悔と戒めの念を抱くほどである。だから、自分はこのゲーセンのコミュニティの中に存在していたとは思えないし、そのゲーセンにいた人達と今、閉店に対する思いを共有できるかといったそうではない気がする。ただ、少しでもこのゲーセンに通っていた人なら、奥底には自分と同じような寂しさを持っていて欲しいと願う。あと、おそらくこのゲーセンが無くなったことで、中にはアーケードゲーム自体をやめてしまった人も少なからずいるのだろう。それは寂しいことだと思った。
思い出話はいい加減やめにする。通っていたゲーセンが閉まっている現実を目の当たりにしても、あのゲームをもう一度やりたい、という思いは失せることはなく、近くにあるもう一つのゲーセンに向かった。そこはアミューズメント事業では最大手のゲーム会社が運営しているため、そうそう閉店することはないであろう。ビデオゲームのフロアに足を運ぶ。平日の昼間だけあって人はほとんどいなかった。筐体の配置が変わった程度でラインナップは半年前とほとんど変わった様子が無く、自分のやりこんだゲームも変わらず対戦台で稼動しているのを見つけた。100円を入れ、自分の使っていたキャラを選ぶ。久しぶりのプレイで不安だったが、動かしてみるとそうコンパネの扱い方を忘れてはいないことに気づいた。さすがに応用となると怪しい部分もあったが、基本はおおむね満足に動かすことができた。かつて何度も練習した猶予2フレームのテクニックも、身体が覚えていて問題なく出すことができた。レバーをガチャガチャと動かし、いつもの癖でボタンを順々に思いっきり弾くように押す。外が寒く、暖房が強く効いていたせいもあるが、上着を脱ぎたくなるほど身体が火照った。乱入はなく、一人プレイをそこそこに終えた。楽しかった。次に、かつてノーコンティニュークリアしたこともある、簡単な一人用ゲームをプレイした。うろ覚えはしているものの、基本は思いつきだけで立ち回っていく。当然のように、後半になるとすぐに攻撃に追い込まれていく。最終ボスの最終形態でゲームオーバーになり、結局変わってないか、と上手くなっているのを期待していたことを自嘲した。それ以上ゲーセンでゲームをプレイする気にはならず、ゲーセンを後にした。
馴染みの深いゲーセンの閉店を目の当たりにして、これから、を思うと、これからは他のゲーセンのインカムに貢献して微小ながらゲーセン全体を盛り上げよう、などという気持ちはない。腕も無ければ人脈もない、ゲームセンターという文化に馴染めなかった人間なので、これからもなおさら、関わらないようにしようと考えている。
今の自分は、ゲーセンはおろか、今はゲームというものに対して良い思いを持っていない。今は一つのゲームのみを家でプレイしており、そのゲームのプレイ時間は150時間を既に越えたが、一向に上手くなる気配を見せない。最初に比べると随分な上達なのだろうが、普通のゲーマーなら1/4程度のプレイ時間で自分の高みには達せられるだろうと思う。もちろん最初は楽しくプレイできていたが、上手くならない自分に苛立ち、そのゲームに逆恨みを募らせていった。恨みを持ってまでそのゲームをするのは「諦めたくないから」という無駄な意地で、上を見てもキリがないし限界があるので、ある程度納得する結果が得られたら、そこでゲームとはしばらく縁を切ろうと思っている。何を娯楽に真剣に、と大笑いされるだろうが、自分にとってゲームとはそういうものになってしまっている。たぶんそれは悲しいことだと思う。
自分は非常に負けず嫌いでプライドが高いので、通っていたゲーセンに対して、そのゲーセンにいたプレイヤーを含め、自分を貶めたことについて憎悪の念を持っていたのだと、今思い返せば、そんな気がする。そして、ゲーセン通いをやめた時から今まで、いつかはゲームが上手くなって、見返してやろうと思っていたんだと思う。そんなこと、できるわけないのに。この胸の中に小さな穴が開いたような虚しさは、復讐の相手を失った感じという表現が合っている気がする。
今の自分を形成している、一つの大きなものが死んだという感覚は、初めてだった。
拙い語彙に、自己完結して他人が読むには意味の通らない文章、まとまりのないテーマ、過ぎた自分語り、抽象的すぎる表現。見てて不快感を催しても仕方ありません。申し訳ないです。
ただ、心の中にある複雑な思いをどこかにぶちまけたくて、増田に書かせてもらうことにしました。
長文、失礼します。
http://anond.hatelabo.jp/20091109124346の続き。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C3%AB%B7%E7?kid=280719
http://s01.megalodon.jp/2009-1117-0036-02/d.hatena.ne.jp/keyword/%c3%ab%b7%e7?kid=280719
* globpoint 2009/11/16 11:18 日本語の文中に頻出する一般的な用言の活用形を登録することに反対です。
* konoike 2009/11/17 00:14 「運び」は頻出する用語とまでは言えない。削除は不当。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%b1%bf%a4%d3?kid=279694&mode=edit
* globpoint 2009/11/13 16:29 日本語の文中に頻出する用言の活用形であり、誤ったリンクばかりを生成しており、キーワードとして期待される機能を果たせるとも思えない。
* konoike 2009/11/13 17:46 日本語に頻出する単語ではない。削除は不適切。
* globpoint 2009/11/16 11:30 実際に「含むブログ」を見ても、「運ぶ」の敬語「お運びになる」の活用形にばかりリンクしています。
* konoike 2009/11/17 00:16 これはひんしゅつすることばとはとてもいえない。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%aa%b1%bf%a4%d3?kid=279563&mode=edit
* globpoint 2009/11/13 14:13 さまざまな文脈で広く使われる一般的な単語で限定した解説は不適切。誤ったリンクも多く、キーワードとして機能し難い。
* konoike 2009/11/13 17:44 一般的な単語にはあたらない。
* globpoint 2009/11/16 10:56 「本部」と呼称されるあらゆる種類の組織で、その構成員は「本部員」とよばれる。なんらかの特定組織を示す言葉ではなく、きわめて一般的な単語。
* konoike 2009/11/17 00:18 本部員という後はほとんどの組織では使わない後であるため、削除は不当
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%cb%dc%c9%f4%b0%f7?kid=279897&mode=edit
* globpoint 2009/11/12 16:46 通常の日本語の文章中に頻出する単語であり、はてなキーワードとして期待される機能を果たし難いと思われることから削除を提案する。
* konoike 2009/11/13 17:48 一般的な解説を加えた。
* mirror3 2009/11/15 21:14 ■中立的でない偏った内容 、編集ガイドライン違反常習の疑義
* konoike 2009/11/17 00:22 語彙の説明自体は規約を違反するような内容ではない。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ba%a8%a4%df?kid=280089&mode=edit
* globpoint 2009/11/12 16:46 通常の日本語の文章中に頻出する単語であり、はてなキーワードとして期待される機能を果たし難いと思われることから削除を提案する。
* konoike 2009/11/13 17:48 頻出する単語にはあたらない
* konoike 2009/11/13 17:49 頻出する単語にはあたらないので削除は不適切。
* mirror3 2009/11/15 21:18 ■中立的でない偏った内容 、編集ガイドライン違反常習の疑義
* mirror3 2009/11/15 21:19 親ワードとなる、「天理教」の中で、編集してください。
* konoike 2009/11/17 00:25 一般的な語義も付け加えました。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%ca%a2%ce%a9%a4%c1?kid=280134&mode=edit
* globpoint 2009/11/12 15:01 誤ったリンクを生成しているばかり。説明も要領を得ず、独立したキーワードとして登録することが適切と思えない。
* konoike 2009/11/13 17:50 削除させるまでには値しない。
* mirror3 2009/11/15 21:21 説明が第三者に対して、■中立的でない偏った内容■他の人に理解できない内容 以上、2点、明確にガイドラインに抵触する。
* konoike 2009/11/17 00:26 一般的な語義も
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%f2%a4%b7%a4%a4?kid=280008&mode=edit
* globpoint 2009/11/12 12:50 通常の日本語文に頻出する用言であり、キーワードとして登録することには反対する。
* konoike 2009/11/13 17:43 一般のカテゴリへ移動。
* mirror3 2009/11/15 21:22 説明が第三者に対して、■中立的でない偏った内容■他の人に理解できない内容 以上、2点、明確にガイドラインに抵触する。
* mirror3 2009/11/15 21:23 仮に、天理教が、日本の国教なり、世界宗教なり、メジャーな存在なら、存続意義を認めるが、天理教は、現在、日本において不特定多数の第三者に対して、一般的な存在といえない。
* konoike 2009/11/17 00:31 中立でないというにはあたらない。この用語解説において天理教を批判非難しているわけではない。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c1%fe%a4%a4?kid=280112&mode=edit
* globpoint 2009/11/11 11:34 登録者による論評であり、キーワードとして登録するのは不適切
* konoike 2009/11/17 00:35 内容全面変更
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%d4%bc%a4%ac%a4%c4%a4%e2%a4%eb?kid=279905&mode=edit
* n_kakka 2009/11/09 22:35 重複のため。
* konoike 2009/11/17 00:37 一般的な意味と、天理教的な意味は分けて別の項目にしておく方がいいだろう。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%db%a4%b3%a4%ea?kid=280029&mode=edit
URL: http://www11.atwiki.jp/tenrikyo/
URL:http://shukyohigai.wiki.fc2.com/?page=天理教
URL:http://www11.atwiki.jp/anti-religion/pages/40.html
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%db%a4%b3%a4%ea?kid=280029
http://s01.megalodon.jp/2009-1117-0659-46/d.hatena.ne.jp/keyword/%a4%db%a4%b3%a4%ea?kid=280029
さて、場所は
その広さ、1600平方メートル。
実に東京ドームの8倍の広さ!
しかも市ヶ谷にバスケットコートやバレーボールコートがいるのかよ!!
最後にお役に立った後に売却する方針らしいが、
それで目をそらすところが実にいやらしい。
ほかの省に比べて巧妙に痛みが少ないヤツばかりを出してる。
(第2回配布資料)
http://www.cao.go.jp/sasshin/kaigi/honkaigi/d2/pdf/s2.pdf
国土交通省なんかが
ナタでめったぎりのぎっちょんぎっちょんにやられているのに比べて
この痛みの差はどうだ。
財務省は、蚊に刺されたくらいだぞ。
>権限の弱い部局や事業は悉く俎上にあがっているように見える。
>逆に言うと、本当のエリートの官僚たちの逃げ道はこのリストにはないと言っても過言ではない。
>このリストにない出先機関が本当は聖域なのだ。
トラックバックしておくと、まさにこーゆーこと。
それでもって、
強いところはさらに強く。
弱いところはさらに弱く。
ますます「ちょっと待った!」と言いにくい社会が出来上がっていく。
これでますます見えにくく巧妙になってくのに気づいてないのか、国民よ。
財務省はタバコ税1兆円差し出す気なんてこれっぽっちもないぞ。
民主党は熱意をアピールしているが、
【事業仕分け】「私の話も聞いて!」 飛び交う怒声、矢継ぎ早の質問に官僚も反撃
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091111/stt0911112057026-n1.htm
同類になった。
同類になるという選択をしたんです。庇ったりしたら自分が標的になるから。
「怖いから黙りこんだ」。
私が昔苛められてた時に周囲で黙り込んでた人達の心情を知る事ができたけど、
恨みに思ってたその人達と同じく「黙り込み」を選んだ自分の弱さに情けなくて愕然。
勿論《あの子を庇う》のが最善の選択なんだけど、
そしたら2月までの間空気悪い中で過ごす事になる。
あのグループから伝播して他の人達とまで空気悪くなるかもしれない。
今まで理想を信じ続けてたけど、
いざ現実に直面したら怖くて尻込みしてしまった。
ああ
こんな時、増田ってどうしてます?
いんや、恨みはない。
そういう話じゃない。
ただ筑付とか国立の共学名門校出身者と私立の中高一貫名門校出身者の雰囲気があんまりに違うので。
どっちも受験校ってことでは一緒なのになぁ。
やっぱり多感な時期に男子だけで過ごしてると歪むのかと思って。
私は地味目で、おとなしい、黒髪、かわいい系、背が小さくて細い、といわゆるキモオタから好かれるような見た目をしている。
実際キモオタや暗い人から告白されたりすることが多い。たいていがよく知らない人からで中にはそれまで全く話したことがないような人もいた。
彼らは女に免疫がなくてメアドを教えただけだったりあいさつをしたり当たり前のことをするだけでいけそう、と思ったりする。メアドを教えるぐらいはよくあることでよほどのことがないと断ったりしない(できない)し、クラスメイトや同僚にあいさつぐらい普通にするのがわかっていないのだ。
逆上されたりストーカーになったりされると困るから断るにはとても気を使う。
告白されなくても、やばいと思ったらメールを返すのを遅くしたりいろいろとサインは送るけど気がついてはもらえない。直接あんた嫌いとか言いたくなるけど恨みは買いたくないし、告白されたりする前にそんなこと言うやつはちょっと頭がおかしい人みたいだから言えない。
ある程度仲良くなって相手がまともな人だとわかっていたらあまり怖くはないし、つきあうことにならなくても友達としてはやっていけるが、彼らは何を考えて告白してくるんだろうか。ろくに話したことがない奴なんか門前払いされるにきまってるのに何でわからないんだろうか。
以前、男がかわいい子にどんな人がタイプか、と聞いて「やさしい人」と答えたのを真に受けて俺でもいける、と思ったという話を聞いて納得がいったが、他人と付き合う上での常識みたいなものが欠けているのだろう。そんなの単なる社交辞令だ。
結局のところコミュ力ない人って何をするかわからないから怖い。ストーカー殺人だってあり得ないことじゃないし。
みんながみんなそうじゃないってわかってるけど、コミュ力ない人って一カ月やそこらだとどういう人かわからないから区別ができない。
今までいろいろ被害はあったけど一度はいつの間にかつけられていたらしく家の場所がばれていた。人の後つけるより、話しかけるほうが簡単だろうに。
見た目を変えたいとは思うが、肌が弱いからフルメイクはあまりできないし髪をそれたりするのも難しい。
そうなると冷たくするしかないけど、それはそれでいい人に嫌なことをすることもあるから気が進まない。
仕方ないからできるだけかかわらないようにしてる。それでも来る人いるけど。
たくさんコメントがついたので驚いた。
彼らの一番嫌なところは、私へのイメージが最初から固定されていること。実際は物事をはっきり言ったり気が強いところもあるけど、そういうところを見てもおとなしいという評価は変化しない。彼らが見ているのはおとなしいとか小さいとかの属性であって、私の行動ではない。
だからろくに話したことなくても告白してくる。
「他当たれば、いっか」じゃないのがわかってもあんまり意味はない。だってつけられたりの実害は変わらないから。
最近はそういうのに冷たくする能力ができてきたが、相手によっては冷たくするとツンデレ認定されてウザいことにもなる。
つまりこちらの意図が全くつたわらない。たぶんそういう人は自分の都合のいいように解釈しようとするのが問題なんだろうと思う。たとえばメアド交換についてだと、自分にとっては特別でも世間一般では特殊でもなんでもないってことをわかってない。根拠なく相手が自分を受け入れてくれると思ってる。
練習台になれとか言ってるけど、嫌に決まってる。
友達としてつきあっていくのは問題ないけど、彼らは異性と友達関係を築くこともできないのに恋人になろうとするってどうなんだろう。まずは友達になれるだけのコミュ力つけないとだめじゃないだろうか。
追記
自意識過剰、というコメントがあるように、実際私がこんな話を友達からされても、気のせいじゃない?、となると思います。少なくとも私には現実の友達にこんなことを言う勇気はありません。
趣味の会なら最終的には辞めれば済むけれど、職場だとなかなかそうはいかないしストレスがたまりました。
アニメや漫画などの趣味を持つ人がすべて気持ち悪い、とは思いませんが、私に言い寄ってきた人はなぜかそういう人が多かったのでキモオタという呼称を使いました。