はてなキーワード: 人形とは
○ご飯
○調子
ということでテンションあげあげで6Box購入。
結果なんと、サイレンススズカのサイン入りカードが出た。やったぜ。
とはいえ、遊び相手がいないのがなあ。大会はちょっと某コロナ的な何かが怖いし。
リモートで遊ぶには色々準備がいるしで、こうしてパックを剥いて、一人回ししてぐらいだ。
デッキとして頭ひとつ抜けてると思ってるんだけど、マリガン基準が難しいなあ。
ただ、環境が決まりだすとメタゲーム的に一番流行ってるのよりそれをメタれるデッキを握った方がランクマッチは遊びやすいし、そろそろ新弾の評価も落ち着いてそうだし、他のを使おうかなあ。
パー様引いといた。70連で出てくれたので撤退。
その着せ替え人形は恋をする
今回は吐き出せなかった愚痴を書く。
界隈が狭すぎるので、愚痴を吐くと推しの目に止まったり、鍵垢でもなぜか推しへ伝わっていたりという地獄の界隈なので、ここに書き記す。
どうやって推すの!?とよく聞かれていたが
販売物についてはみなさんご想像する通りAVが基本。あとは個人で出した写真集とか。
辛かったのはイベント。
イベントは私の推していた男優の人はほぼ毎週土日にイベントをやっている。参加費は5000円から8000円ぐらい。それとは別でチェキ代1枚2000円がかかる。5枚で特典A、10枚で特典AとB、みたいな感じ。ここへ推しの貢ぎ物もないといけない。
新規の人も多いが、多くはその資金繰りについていけなくなり辞めていく。だから顔を合わせるのは大体いつものメンバー。そしてそのメンバーはどんなオタクよりもお金を使う。毎週毎週チェキを10枚撮影できる仕事って何してるんだろ。風の噂では親族と親の遺産を全部つぎ込んでる人がいる、と聞いたことがある。
とあるイベントでは近くのオタクが「カードが止まった。」と言っていた。別のオタクで副業と称して水商売や風俗を始めたオタクも知っている。金払いがよく、さらに若くて可愛いオタクであればあるほど、チェキの距離感が近くなる。(と大体いるいつものメンバーが教えてくれた)
ホストが「被りは伝票で殺せ」なら、こっちは「距離感は札束で殺せ」だ。金を使う者が強い世界。
私が好きになったのは新型コロナが流行る少し前。どういう経緯で好きになったかは身バレ防止のため書かないでおく。
イベントは毎週ほぼ東京23区内で行われていたけど、毎週遠方から来ている人もいた。流石に毎週参加するお金も元気もなかったので行きたいものだけピックアップして通っていた。
当時の推しは少しとんがったことも言うが、割とファンへの恩へも厚く、素敵な人だな〜と感じていた。ころっと態度が変わったのは新型コロナが流行り始めてオンラインイベントが主になり始めてから。
オンラインイベントは推しがご飯を作ったり、1万円を払うと3分話せたり、あとはチェキ会。推しが他人のためにチェキを撮っている様子を2時間ほど見ているだけの会。
このチェキ会が軌道に乗り始めてから、ファンのことを金蔓としか見てないな、ということも増えた。定期的に開催していた主催イベントを開催してほしいの声には、最初のうちは「俺がやることでそこでクラスターが起きたら責任取れないから」と言う説明で真っ当だった。でも、少し経てば「もう面倒臭いから」とインスタの質問で答えていた。◯◯やらないんですか?という声も「やりません」「開催しません」など。
好きになった時の推しなら、なんで開催できないか答えただろうに。
オンラインで自分の負荷が極力低い状態で、イベントの場所代もかからないなら、そりゃ新型コロナ関係なくその方がいいよね。
たまにツイキャスの通知がくるので、気が向いたら見るが、話してる内容が舐められすぎてて、見る気にならず結局5分ほどでやめる。
この間は人をいじる距離感は間違えないようにしていると話していたが、推しが距離感を間違えた結果、叩かれて消えたオタクもいた。そのオタクのことは苦手だったけど、流石にやりすぎではということもよく起こる。
今日はオタクが言って欲しいセリフややって欲しいことをやるのが嫌だと言っていた。高い金払って何を聞かされてるんだろう。着せ替え人形にならなくてもいいけど、こっちが言いなりになる筋合いは一つもないのに。
口癖はアイドルじゃないから、自分の望むことしかしたくないとよく言っている。やっていることはアイドルなんかよりもひどいお金の使わせ方をしておいてよくいうよ。
色んな界隈を渡り歩いてきたので、こういう時に推しに物申す系のオタクが現れる。私が好きになった時にも物申す系のオタクはチラホラいたが、ツイキャスでまずコメントが読み上げてもらえなくなり、次の現場で肝が冷えるぐらいに干されていた。それを見て誰があなたのやっていることは合法的にお金を巻き上げてるだけですよ、推し事の範疇超えてますよ、と言えるのか。お金を使う人ほど彼に甘い。というか、怖くて言えない。
推し事の範囲ではあるが、競合するものが他にない。アイドル全般でもバンドや映画などとも違う、俳優を追っかけるのも違う。
イベント開催が頻繁なのと、宣伝活動の主がTwitterなので(インスタではないところがまた…)認知も非常にされやすい。距離感を保つのが難しくなるのも、この界隈の厳しいところである。
彼を見てると、「言ってもらえるうちが華」という言葉を思い出す。もう何も言ってもらえない、AV業界ではイケメン若手男優として向かう所敵なし、先輩には可愛がられるタイプなので多少ファンを踏み台にしても文句は出てこない。所詮女を食い物にしてる仕事なんだなーと強く感じるようになった。
オンラインイベントにお金を落とさなくなって、何ヶ月かになる。定期的に開催されてるオフ会、と称した札束の殴り合いには顔を出さなくなって一年は経った。元々そんなに稼いではいないが、貯金がびっくりするぐらい増えた。この間欲しかったバッグをなんの躊躇いもなく買うことができて嬉しかった。こうやって、推しじゃなくても満たせるものを知ってしまう。
別に私1人いなくなっても他に金を払うファンがいるし、と思う反面、この間ツイキャスで「この間のチェキの売れ行きは結構良かった」と口に出していた。そりゃ直接会えるところが良いところだと感じているファンも多かったのに、オンラインばっかじゃよくない時もあるんだろう。いつ気づくんだろう。
なんだかんだ、推しがいつか気づくけばなーと期待してしまい、ツイキャスだけは見るのを辞められない。
だけどもう何もかもやりすぎだ。誰か彼に言ってやってくれればと私も他人に期待している。
はてブを見てたら、きらら掲載漫画の作者がTogetterでまとめられてて話題になってた。
ニチアサ特撮マンガの作者が同人イベントに参加したら、隣のスペースにライダー俳優がいた話 - Togetter
どうやら、作者が同人イベントに参加したところ、ライダー俳優の松田悟志に目をつけられたらしい。
例のニチアサ特写マンガは『ニチアサ以外はやってます!』で、作者は猫にゃん。現在は「まんがタイムきららキャラット」に掲載している。
ところで、きららって海外人気がないからアニメ業界に唾棄されているんだよな。
事実、2022年秋から『ぼっち・ざ・ろっく』が始まるけど、それ以降のきららアニメはゼロ。
編集は過去に言ってたよね。アニメ化できる作品を作っていきたいと。
担当編集 今のきららは、アニメ化などメディアミックスを視野に入れた作品づくりをしているので、映像映えする題材として「特撮」はずっと候補の中にありました。猫にゃん先生ほどではないですけど、私も特撮が好きですし。
ニチアサ特撮ときらら作品は似ている 漫画『ニチアサ以外はやってます!』インタビュー - KAI-YOU.net
何でか分かる? 海外人気を意識して作品を作ってないからだよ。
日本のアニメ市場では、2014年から海外売上が急速に伸びた。その一方、円盤などの国内売上は相対的に下がった。そして、2021年には海外売上が国内売上を超えた。
海外の配信業者は日本なんかよりも羽振りがいい。事実、海外人気で簡単に続編が決まる。なろうアニメやラノベアニメ、特に『デート・ア・ライブ』や『月が導く異世界道中』は時代を象徴している。
そんな中、きららアニメは海外人気を獲得することができない。だから、きららはアニメ業界にそっぽを向かれる。
きららの編集部は、アニメ化される漫画を作りたければ、海外人気が圧倒的に高い「小説家になろう」とか「週刊少年ジャンプ」とか見習えよ。
特に、「小説家になろう」は編集どころか作者ですら作品の売り方を熟知している。ランキング上位に載る作品の傾向を研究した上で小説を書いている。
その甲斐もあってか、なろうアニメは海外人気が非常に高く、新規アニメ化も続編制作も簡単に決まる。
それに比べて、まんがタイムきららは海外人気がでそうな作品を作る気すら感じられない。
きららの連載作に流行りの異世界ものが増えたけど、まるでやる気を感じられない。アニメ化した『RPG不動産』ですら爆死で終わった。
しかも、今は百合漫画を露骨に推すようになった。特に無印とフォワードはその傾向が顕著。
分かってる? 百合というジャンルは海外では蛇蝎のごとく嫌われる。
同性愛嫌悪は日本より海外の方が強いからね。特に中国に至っては「同性愛者は精神障害」と大学の教科書に載るぐらい嫌悪が激しい。
きららの編集部だって、中国と日本のアニメ業界は密接な経済関係を築いていることぐらい分かるだろ? それなのに何で百合漫画を推すんだよ。
最近では『リコリス・リコイル』という大ヒットアニメがあるけど、あれは百合要素が海外でウケている訳じゃないんだよ。「女の子のガンアクション」がウケたの。上辺だけで判断するな。上辺だけしか見てないから、いつまで経ってもヒット作が生まれない。
それと、『星屑テレパス』とかで逆張りをやってる場合じゃねぇんだよ。あの漫画、きららのくせにシリアスが多いんだよな。アニメオタクはそういう作品を死ぬほど嫌いなことぐらい分かってるだろ。
まあ、要は、まんがタイムきららに海外で人気が出る面白い作品を生み出す能力も、既存の人気作を研究して見習う能力もないということだよな。将来性がまるでない。
まあ、そんなこといわなくても、まんがタイムきららとその系列は5年以内にすべてなくなるだろう。
競合のコミックキューンは4コマ漫画をやめたし、まんが4コマぱれっとに至っては廃刊してしまった。
まんがタイムきららも同じ末路をたどる。間違いない。
自分の好きなきららの漫画がアニメ化しなかったから。そして、きららアニメの数自体が少なくなっているから。
放送されるアニメの数が多すぎると言われている中、きららアニメは確実に数を減らしている。ついには、『ぼっち・ざ・ろっく』以降に放送されるきららアニメはゼロになった。
そして、今、私は海外人気がアニメ化に最も重要だということを痛感している。
まるで「海外人気が出ないアニメは人権がない」と言わんばかりの世相だ。
アニメを取り扱っているブログを読んだり、アニメ系YouTuberの動画を見たりすると、「海外人気」という言葉が耳にタコができるほど出てくる。
事実、ラノベに詳しいはてなのブロガーが指摘している通り、海外人気の根強いなろうアニメの数が無尽蔵に増え続けている。
だから、海外人気が出ないまんがタイムきららは"もう駄目だな"と嘆いている。
id:fusanosuke_n きららにはもっとこういう方向性で行って欲しい、というだけのエントリだろうけどなぜ煽りマシマシで増田に書いた。
そうするには、煽り気味に書くことが一番だと思っている。
例えば、アンチオタクが「女性の作った萌えアニメなんてないだろ」というと、オタクたちが真っ赤な顔をして反論する。
私はそれを狙っている。
ikebukuro3 何でもかんでも海外進出を狙ってるのは多様性が無いだろ。嫌なら見るな
そんな事を言う君は一度このブログ記事を呼んだほうがいいよ。はてなで有名なシロクマ先生(id:p_shirokuma)が書いた記事だ。
多様性というきれい事を言うけど、無益な個性はいらないものなんだよ。
アニメはボランティアじゃないからね。結果をきちんと出さなきゃダメなんだよ。だから個性は選別される。
NOV1975 業界から唾棄されてる(n=1)
私は「海外人気のないアニメは人権がない」と同じようなことを嫌というほど聞いたぞ。
id:apteryx_2022 いきなり怒ってるうえに予言で締める辺りにやり場のない怒りを感じる。でも、四コマのない、きららフォワードが上手くいってるかというと、どうかな。ゆるキャンはアプリに取られちゃったし。
id:uotocs きららにどうなって欲しいのさ。個人的にはガラパゴスってるきららのような立ち位置は競争と関係ないところで大切にしていきたい。
10年ぐらい前に、「日本企業はガラパゴス化しているから国際競争で負け続けている」と軽蔑してた奴がいっぱいいたじゃないか。
同じように、ガラパゴス化しているきららアニメはアニメ業界の競争で負け続けているんだよ。分かる?
id:maturi 自分の嫌いなまんがが載ってる雑誌が廃刊になる…喜びこそすれ、ここまで憤る理由がわからん。その会社のまんがを印刷する会社に勤めてでもいるのか
嫌いな漫画が廃刊になったら喜ぶはずなのに、そうではないというなら、嫌いじゃないということかもしれないな。
霊感商法やスピの犠牲者がどうなっても知ったこっちゃないのだが、自分の周りの社会があまりに変になっても嫌なので言っておく。
1. 統一教会はコスパ悪すぎ。神社でお守り買うなら最近いくら? 300円とか? もうちょっと? ネットで調べたら自宅にお稲荷さんを立てても2ケタ万円くらいだぞ。
2. 親と子は別人格。親が変な借金したら。相続放棄しておけ。それでも親の保護は法律上最低限しなければならないが、借金を肩代わりするまでの義務はない。親兄弟が宗教とかで変になったところで、それで自暴自棄なことをするのは、それこそなんか変な倫理観に洗脳されとるわ。
別においらはサイコパスではない。たとえば、お守りなんかは粗末に扱うことはできない。なんなら人形やぬいぐるみのような疑似的な命でも粗末にできない。遺影・墓・死体には普通に手を合わせる。
人間の脳とはどうにも不便なもので、積み重ね続けているはずの明るく優しい記憶はその隙間に挟まる嫌な記憶に塗りつぶされてしまう。古来より経験から学習して危機を回避するために必要な仕様なのだと考えれば理解はできるのだが、現代に慣らされたわたしにとっては、ずっと自分を縛り続ける鎖のように重苦しい。
虐待、という言葉は日常的に――さまざまなニュース、ネットの記事、大学の授業、書籍なんかで――目にする。その程度に軽重はなく、そしてその辛さに貴賎はなく、当事者が辛かったと感じ、または自覚なくとも傷つき、倫理と法に照らし合わせたときにそう判じられたのなら、それは虐待になるのだろう。
多くの人が、まずぱっと想像するのは保護者から子への虐待であろう。母から、父から。扶養者から。祖父母から。近年では、養護者による高齢者に対する虐待も問題視されている。わたしのiPhoneに標準搭載された辞書によると、虐待とは「むごい取り扱いをすること」。調べれば、厚生労働省による児童虐待のページも出てくる。それによれば、児童虐待は「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト」「心理的虐待」の四つに定義されるらしい。なるほど、思いつく大体はさらっていそうだ。長くなるのでそれぞれの具体的な例は省略するが、暴力や言葉による脅しなどが挙げられている。
そして、本題である。
寓話だと、シンデレラの義姉が一応それに当てはまる。義理の兄姉、弟妹、そして実のきょうだいからの虐待、である。
わたしは未だ、自らのそれを虐待ということに疑問を覚えている。確かに暴力があって、辛い言葉があった。けれどやっぱりきょうだいだから、そして自分でも信じられないことに、生まれてこの方家族のことを明確に「嫌い」になったことがない上、いくつかの発端は自分に非がある喧嘩だった覚えがあるために、はっきりとした定義づけができないのだろう。
でもたぶん、あれは虐待だった、と言っていいのだと思う。
わたしには、四つ上の姉がいる。はっきりとした実感では思い出せないが、間違いなくわたしは姉が好きだった。生意気だったし、変な子どもだったけれど、姉のやることをいつも真似して、遊んでほしがった記憶がある。面白いと言っていた漫画を読んで、図書館で本を借りて、拙い四コマを描いていた。女の子のお人形やミニチュアが家にあったから、それで一緒に遊んでほしかった。まあ姉は真似されるのを嫌がっていたし、あまり遊んではもらえなかった気がするが。母に諸々が露見するまで部屋も一緒で、二段ベッドの上下で眠っていた。
ひとつ、間違いなく自分に非がある発端として思い出せるのは、借りた本のことだ。当時姉はあるシリーズの小説にはまっていて、それをわたしも読んでいた。今思うと意味が分からないのだけど、ホラー作品の影響か、知らない内に血痕が増えていたらおもしろいだろう、と、当時のわたしは考えた。ちょっとした騒ぎになることで、家族の気を引きたかったのかもしれない。馬鹿な思いつきで、抜けた歯かなんかの血液を、本のページになすりつけたのだ。
単純に汚いし、本当に意味不明だ。弁償しろと言われたらそうすべきだし、怒られたら謝るべきだ。
姉は怒った。当たり前だ、妹が自分の本を読んでいたと思ったら、返ってきたときに謎の薄茶けた汚れが付いていて、あまつさえそれが不衛生な血液なのだから。生理的に拒絶して責められても仕方ない。
それで、姉はわたしを蹴った。蹴って、床に置いてある座布団の上に転がして、そこで背中を踏みつけた。座布団の上だったのは一縷の優しさなのか、当時の部屋は恐ろしく汚かったので、床に放置された物ものをわたしの身体が潰すのを嫌がったかもわからない。とにかくそんな感じで、わたしは泣いて謝って、しばらくののちに姉は怒ったままひとまず足を退けた。本をどうしたかは覚えていない。
そんな調子だった。二人とも通っていた小学校の校門前で、下校時刻にみぞおちを蹴られて――これは何が原因だったか忘れてしまった――動けなくなり、野次馬にじろじろ見られながらどうにか帰ったこともあった。姉はさっさと帰ってしまったので、持っていた傘を杖にして耐えていた。わざとかどうか分からないけれど、的確にみぞおちへ爪先が入って、ちょっと吐きかけた。
ここで弁明しておくのだが、両親は見て見ぬふりをしていたわけではない。というのも、わたしたちは鍵っ子で、昼間は父母ともに家にはいなかったのだ。そういったいざこざが起こるのは大体ふたりが帰ってくるまでの時間帯だったので、そしてわたしは姉に言い含められ、かつ自分の受けているダメージの深さに無自覚だったので、親にあまり言い募ることもなかった。父母の見ている前で姉の手が出たらさすがに止められたし、姉は叱られていた。まあそれによって機嫌の悪くなった姉の言動がさらに悪化することもあったのだが、とにかくそういうことだった。
契機は、特に姉の機嫌がひどい夜だった。母は父を迎えに行っていたので、両親ともいない。子どもは夕飯もお風呂も済ませて、あとは寝るだけという時間だった。
「ねえ、電気消して」と言われて、わたしは断った。前述したが、わたしたち姉妹は二段ベッドの上下で寝ていて、付け足すと姉が上段、わたしが下段だった。部屋の照明にはよくある紐が付いていて、天井の真ん中から垂れている。姉のいる上段からは手を伸ばせば届くが、わたしは一度ベッドから出ないと届かない。舌打ちが聞こえた。電気消せよ、と言われて、お姉ちゃんの方が近いんだから自分で消してよ、ともう一度断った。それで、姉は怒った。
足音を荒らげてはしごから降りてくる音に身体が強ばった。怒られるんだと思うと本当に嫌で嫌で、それでも、今日ばっかりはわたしは悪くないのだから、と頭の中で唱えていた。電気をどっちが消すかなんて、どう考えても至極どっちでもいい張り合いだ。変な意地は、それでも道理に合わないことに従いたくない一心で、そのあとに予期される出来事よりも優先されてしまった。
ぎゅっと身体に力を入れ、壁側に背中を向ける。お腹は内蔵に直接響いて辛いので、せめて背中側ならという発想だった。ベッドから引きずりだされるのが一番怖くて、でもそうはならずに、背を向けたわたしへ、そのまま足が飛んできた。電気消せよ、消さない、の、文字だけだと死ぬほどしようもない、馬鹿みたいなやり取りをしながら、ひたすら泣いて背中を蹴られていたと思う。どれだけやってもわたしが動かないことを察したのか、姉は苛立たしげに身を引いた。そして戻り際、「絶対チクんなよ」と残してはしごを再び上がっていった。電気はそのままだったので、結局どっちが消すかなんてやっぱり大事じゃなくて、「妹が自分の言うことを聞かずに口ごたえしてくる」ということがとにかく気に食わなかったのだろう。
ほどなくして、父と母が帰ってきた。ただいま、と言って部屋に入り、声をかけてくる母からわたしはとにかく顔を隠した。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、それでもうまく強ばった身体は動かない。異変を察知した母にどうしたのと問われても「なんでもない」で通した記憶があるが、声が震えてぼろぼろだったので、そんな嘘はあっけなくばれてしまった。
そのあとは、わたしはリビング、姉はそのまま自室にと引き離され、事情聴取が行われ、部屋はやっぱり離すべきだ、という結論に両親が落ち着いた。そのあともしばらく姉の気性は荒かったが、思春期の前半を過ぎて彼女が高校に入ったあたりから本格的に落ち着いて、そんな騒動はぱったりと止んだ。ギターで頭を殴られたりだとか、背中にものを投げつけられたりだとか、怒って一瞬包丁を持ち出されたり(見せられただけだったが)だとか、壁に首を足で押さえつけられたりだとか、まあ色々あったが、そんな感じだった。
「口ごたえするな」「使えない」「気持ち悪い」「何で生まれてきたの」――そしてまた、言葉というのは厄介で、簡単に口からこぼれるのに、言われた側はその感情まで受け取ってずっと抱えてしまう。身体に対する物理的なあれこれは間違いなく痛くて、それも勿論辛かった。でもたぶんその根本にあるのは、自分がそういう扱いをされていること、そうしてもいいと思われていること、好意や情の非対称性だったのではないかと今は考えている。お前は愛されていない、だめな人間で、嫌われていて、いない方がよかった。それの真偽はともかくとして、真正面から突きつけられるには痛すぎる。身体的な暴力は衝撃的に覚えているけれど、思い出したときにじわじわと首が締まっていくのは言葉のほうだ。そして、日常的に放り投げられるのにいつだって避けようがなかったのも、言葉のほうだ。
姉はいわゆる癇癪持ちというやつで、怒ったら自分で制御ができずに手が出てしまっていたのだという。でもそれが友人に向くことはなかったし、たぶん妹は格下の、彼女にとってそれをしてもいい人間だったのだろう。自分の中で、怒ったら手が出てもいいし、ひどい言葉を投げてもいいし、言うことを聞かないのはおかしい存在。何なら、日常的に何を言ってもいい存在。
幼い頃から培った「この人と自分は平等ではない」という意識は根深い。何ならそれは今でも、姉妹揃って無自覚に残っている。実は現在、姉妹間の仲はそこそこに良好だ。ただその前提に、姉は大人になったけれど、間違いなくわたしのことは下だと思っている。わたしは大きくなったけれど、姉に対して嫌に思うことがあっても諦めているし、そういうものだと思っている。そういう暗黙の了解が存在しているから、比較的穏やかな日常が保証されるようになった。
でも、色々なことがぼやけてしまった幼少期の記憶の中で、ぐちゃぐちゃとした嫌なものばかりが輪郭を持ち続けて、わたしはそれを手放せない。姉と笑顔で話しながら、ふっと影がよぎるみたいに、昔のことを思い出してしまう。やっぱり、した側が覚えてなかったとしても、された側は覚えているものらしい。
この文章は間違いなく恨み言だ。でも、これを姉にぶつけたいわけじゃない。やっぱり姉のことを嫌いになりたくなくて、でも傷ついた自分のことも認めてあげたくて、好きなものが好きでいたいだけだ。だから、取り残された感情や記憶を吐き出して保っている。
わたしは今も、生まれ育った家で姉と共に暮らしている。実家を出ようとはあまり思っていなかったのだが、最近になってふと、「この人と一緒にいたら、わたしはこの先もずっと自尊心を削られつづけるんだ」と悟って――そのうち、家を出なければならないことに気がついた。母は姉を出すと言っているものの、姉を一人暮らしさせてうまくやっていける気がしない(わたしもあまりできる自信はないけれど)ので、全員の健康を考えたらそのうちここを離れることになるのだろう。
あのときと比べて、身体はずいぶん大きくなったし、精神も成熟したところはあるはずだ。それでもわたしはまだ、自分の中にずうっと、声を殺して泣いている子どもがいるような気がしている。
自分の祖父。小学生高学年の真夏。母親に連れられて弟と3人で病院に行ったら祖父がイビキをかいて寝てた。弟と2人で笑ってたら、母親に死前喘鳴の事を教えられた。3〜4時間ぐらい見守って最期は大きくゴロゴロと鳴らして吸った後は力が抜けていった。
同じ大学の学生。大学2回生の晩春。大学近くのT字路で、向かいから自転車で走ってきた女子大生がトラックの左折に巻き込まれて死んだ。正面にいたので詳しくグチャった所は見えなかった。
俺以外に十何人か学生が見てて、悲鳴を上げる者、唖然と見てる者、電話で通報する者と様々でまさに阿鼻叫喚。すぐに冷静にイニシアチブを取れる男子学生に「AED持ってこい」と頼まれた。AEDを渡す時詳しく遺体を見たが、腕とか脚が変な方向に曲がって上半身が右半分くらい潰れてた。もしトリアージする場面なら完璧に黒だった。その後の話は気が向いたら書こうかな。
知らないおじさん。大学2回生の初夏。友達と某駅で電車を待ってたら向かいのホームでおじさんがグモった。事故目撃から1ヶ月も経ってないので、流石にこれには面食らった。呪われたのかとも思った。これは1番よく見える所から見てた。人形みたいに吹っ飛んでった。周りの人間や友達はすぐスマホで撮り始めたので友達には撮影を辞めさせた。駅のアナウンスがなる前にホームから立ち去ってたのでよく見なかったが血はあんまり出てなかったと思う。Twitterには人身事故でトレンド入りして大量に動画や写真がアップされてた。その中のいくつかに俺がスカイフィッシュの様に映ってた。
まだ。長い人生、これから少なくとも何回かは人の死を見るだろうけど、これ以上衝撃的な事故は目撃したくないので老衰とか穏やかなのがいい。
psplusにきたからやった
ゲオでセールのとき注文したけど品切れとかで買えなかったことあったけど買えなくてよかったーと思った
★3くらいかなー
やって損したとは思わんけど、こんなもんかっていうがっかり感のほうが大きい
ちなみに龍が如くスタジオのゲームはジャッジアイズ1と7のみプレイ済み
よかったとこ
マップでカーソル合わせると~通りとか地名が出るから、サブくえとかメインで地名いわれても迷わずにすむ
7が1のオマージュだらけだったんだなと知れてよかった
10年刑務所とか裸釣りとかほかにもいくつかあったけど忘れちゃった
あー友人とバトルのもそうか
あと監視カメラでかむろちょうみてる情報やみたいなのがでてくるとことか
わるかったとこ
飲食店とかお店たくさんあるのに入れるのはごく一部の限られた店だけ
マップひらくとデフォが拡大しすぎで目的地の場所を確認するためにいちいちズームアウトするのが面倒
敵の攻撃うけてやたら大げさにぶったおれてダウンするくそ雑魚桐生ちゃん
ダッシュにスタミナいるシステム(あとからいらなくなるけどそもそも最初からいれんな
イベントシーンのセリフが飛ばせなくて見てるだけの時間ながくてめっちゃかったるい
女性へのAED問題、ヤフコメはともかくブコメでも厳しい意見が多くて驚いた。
救急救命講習を積極的に受けて、いつでもやる気まんまんの私は、見えている世界が違うんだろうか。
講習でもさんざん胸骨圧迫とAEDの重要性が語られるし、AEDで救われた事例とかその後も後遺症なく過ごしてるっていうの聞くと、絶対協力するって気持ちになる。
でも意外とハードルが高いもんなんだな。
それに加えて男性が、たとえ緊急時であったとしても、見知らぬ女性のプライベートゾーンに触れるってなかなかできることじゃないんだなって。
「AED」迷ったら使ってって、「ASUKAモデル」を作ったのは「娘」を亡くした親御さんなんだよね。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220604/k10013657391000.html
親ガチャ失敗や毒親というのは問題であることは当然ではあるが、そうまで謗りを受けてまで親になりたがるのだろうか私にはわからない。
まあ、よく働き詰めだった老人はもっと子育てに参加すればよかったと後悔を語ることが多いのだから、
事実として子供は作り育てるというのは素朴に強い欲望なのだと思う。それはわかる。当然だろう。
ただし、山上を見ても子供は一生親に従って生きるものだ。たとえ、それがカルト信者の悪魔であろうと。
子供は人形ではない。魂を抱いた人間であるのだが、ただ生殖本能に突き動かされ産み落とされている。
そして後はどうとでもなれとまでは言わないが、最低限、生殖さえ達成できてしまえばそれで良いという思想が透けてみえる時が
十中八九といったところだ。
また、日本では自己責任だといえば責任放棄しても罰せられたりはしないのだから、家庭内ハラスメントは法的にも看過されてしまっている。
こんな状況では人間の尊厳は守られ得ないであろう。そして、尊厳を傷つけられた人が、他者をも傷つけることは造作も無いことである。
Humanity humanity humanity...
あなたの為を思ってとか、そういうのはもう要らない。