朝いつものように目覚める。
・起きる
・二度寝する
・死ぬ
このようにあらゆる選択に「死ぬ」が割り込んでくる。朝起きるとか、ランチに何を食べるとかの選択に介入してくるくらいだったらまだいい。
失業しました。就職先がなかなか見つかりません。失業手当もなくなりそうです。
・頑張る
・死ぬ
こうなると「死ぬ」の比重が濃くなってくるのがおわかり頂けるだろうか。
・死ぬ
究極の二択だ。だけど、選択肢があるだけまだいい。たまに、下記のようになる。
・死ぬ
・死ぬ
事実、行動に移したわけだが、運良く今は生きている。みじめな人生だ。
聞くところによると、普通の人(何を持って普通とみなすかはいろいろあると思うけれど)は、通常、選択肢に「死ぬ」は介入してこないと聞いた。そんなばかな。
私が初めて選択肢としての「死ぬ」を意識したのは小学校を卒業したときだ。
これから中学校とかいうところに進学するらしい。だが、中学校は何だか恐ろしいところみたいだ。そんなところに行くくらいなら。
・中学校に行く
・死ぬ
もちろん、結局中学校には行ったけどさ。それ以来、あらゆる選択の中に「死ぬ」がありながらも今生きている奇跡を享受しながらも、いやー、選択肢に「死ぬ」がない人生の方が良かったなーとも思うのだった。
当然ながら、これを書く段に置いても、
・増田を書く
・書かずに寝る
・死ぬ
という選択肢を経て、ここに至っている。ああ、生きづらい。一体どうなってんの?
こち亀の名言思い出した。 https://matome.naver.jp/odai/2147582604932303901/2147583498040356903 ずぶとく行きたい。
へえ、良いこと言ってる。
AIを学ぶなら毎月15万の所、お前らだけ5万で教えるよ 興味あるやついる? ちなみに今ならAIの給料は相当な高給
AVに空目した
たった一行なのに頭の悪さが滲み出してて凄いね、きみ
三行だけどな
たった一行なのに頭の悪さが滲み出してて凄いね、きみ
うまい皮肉を言ったつもりだけど連投しちゃったうっかりさんのことを思い浮かべるだけでご飯が進む
病気だよ。 精神科に行け。
だよなぁ。 だけど、一度精神科の先生になぜか怒られたというか、冷たくあしらわれて以来、行く気にならない。 精神科にも俺の居場所はないのか。
あと数件、受診してみて対応が同じようなら、 おめでとう、あなたは健康だ。 それでも死にたいと思うのであれば、たぶんそれは甘えだ。 それはそれでクセになるので、気をつけた...
なんか「甘え」ってよく言うけどさー、それ何なんだろう? 病気と何が違うの? 社会生活を正常に営めなくて苦しんでるのに、病気と診断されなかったら甘えなの? まー病院は権威だ...
具体的に誰がという話ではなく、一般的な話をしますと、 「甘え」というのは「できるのにやらない」ことだと言えると思います。 誰しも何かをやらなきゃという時は、やりたくな...
かわいそうな人もいるから原則は切りたくはないけど、補助金や事業の未来を見ると打ち切りしかないよね。