はてなキーワード: アナログとは
2000年前後のインターネットを知っている老人会の皆さんは知っているだろうけれど、それまでパソコン通信では確認されていたオタク女というのは極少数だった
それは様々な理由があるだろうけど、オタク女が少なかった要因の1つには「コミック・アニメカルチャーとコンピュータカルチャーが今ほど混ざり合って居なかったから」というのはあると思う
少なくともPC98シリーズなどである程度のライトなオタクにまで花開いた日本のコンピュータカルチャーの時代では、まだまだコミック・アニメはアナログの時代だった
発色数がこうだの発音数かどうだのとパソコン通信でオタク女と語り合った記憶はほぼ無い(パソコン通信の頃は実名で活動しているユーザも多かったのでハンドルと実名がイコールで結ばれていることも少なくなかった)
オタク女がバッシングされるようになった経緯を知らないユーザも今では多くなっただろうけれども、その契機はWindows 2000とWindows XPの時代まで遡る
これらMicrosoftのOSがリリースされるとインターネットの人口は一気に増え、主にコミック・アニメを取り扱う電子掲示板のコミュニケーションで衝突が起きるようになる
それはネットワークを介したコミュニケーションに慣れていない新規ユーザーが一気に増えたことにより、住み分けという意識がなく今で言うBLネタを投下しまくったという歴史的事実がある
これがまた悪いことに新規ユーザーの大半は若い世代だったので直情的な傾向があり、注意を受けても反発する、ほんの少しの時間を置いて繰り返すなどの行動を頻発させた
あまりにもBLネタがヘイトを集めすぎたため、そこで起きたのが電子掲示板の分割である「BL隔離板」の発生だ
例えばわざわざBL系同人サイトにまで嫌がらせがあったというのを当時リアルタイムで確認しているが「なぜそこまでのヘイトを集めていたのか?」というのが語られていないので上記しておく
そしてそれだけじゃない、ほぼ同時期に問題視されていたネットミームがある
こちらはオタク女の皆さんも「そんなのは極一部」「私達は関係ない」と言うだろうが、大きな属性として同じ括りに居る人間として歴史を直視してもらいたい
「女神」はネットミームで言うところの「神」から派生した言葉だが、その内容は「女としての特徴を活かした人気集め」だ
内容としてはそれらよりも過激な面はあったが大体の認識として、少し前の「女生主」や、現在の「女性Youtuber」とほぼ変わらない
例えばオタク女へ対して「まーん」という蔑称ミームが使われること過去(もしかしたら今も)あるかも知れないが、これは大半は「女神」属性を持ったオタク女へ使われた言葉だった
これら住み分けの杜撰さと女神を契機としてインターネットの雰囲気は一気に変わった
これを無視してオタク女はオタク男にイジメられていたなどという発言は厚顔無恥と言わざる得ない
付け加えて言うが、これは「オタク女の先輩たちがインターネットでやらかした過去の失敗であって、その反省は多少されており、反省したあとのインターネットに触れた新しい世代オタク女は昔ほど酷くはない」と強調しておく
年齢で言えば若くても30代より上の世代の話なので「先輩もやらかしてたんですね」と笑ってあげて欲しい
このエントリはオタク女をバッシングするために書いたものではない
ただ厚顔無恥な連中へ対して当時のことを思い出させようとしているだけだ
4/27、28の二日間参加してきた。
自分は20年来のイエローモンキーファンで、活動休止〜解散したころはまだ学生だったので当時のライブとかはDVDで観たのみ。
再結成直後のツアーも名古屋で観たのだけど、今回のライブはそれ以上に感動したので熱が覚める前に書き残しておきたい。
特に印象深い二日目を中心に書く。
駅からエコパアリーナへ向かう途中のカフェのオープンテラスでは「I don’t know」が流れていて店の粋な演出にテンションあがる。
実は初日は消化不良感が残っていて、MCでも吉井さんが「まだうまくできてないところもあったけど・・・」的なことを言ってたこともあって(ANNIEは「初日完璧!」とは言っていたけど)
これからもどんどん良いアルバムを作るとは言ってたけど今回のツアーの出来に満足できなくて、初期のソロ作のような暗めなアルバムを作るくらいのことはやる。
だいたい再結成直後に「二度と解散しない」的なことを言っていたけどそれを鵜呑みにするほど浅いファンじゃない。
ともあれ、
蓋を開けてみれば大大大大満足。聞けるといいなー程度に期待してた曲がほとんど聴けた。
演奏が始まるたびに「ほわああああ」とか「ふぉぉぉまじか・・・」「まじ、まじか・・・」とか変な声が出ていた。
何に驚いたかって吉井さんの声が完全にイエローモンキー仕様に仕上がっていたことだ。
なんでそこまで感動したかというと、再結成直後にリリースされたセルフカバーアルバム『THE YELLOW MONKEY IS HERE. NEW BEST』」での歌い方が、個人的には気に食わなくて。
なんか再結成後のリハビリ中の演奏を聴いてる感じだったんだよね。
全然勢いが無かったし、妖艶さや熱さや勢いも全く無かった。完コピに近いアレンジのくせに一部の曲にはホーンやストリングスが入って
台無しになってるし。
だからそれ以降、「ALRIGHT」以外のシングル曲はいまいち好きになれないな〜ってのが正直なところだった。
2016年のライブも昔の曲の歌い方が当時と違ってて、なんていうかソロの歌い方でイエローモンキーの曲を歌っているような感じがした。
もう年だし20年前の曲なんだから同じように歌えるわけないよな、とその時は思ったんだけど。
それがですよ。もう完璧に当時の曲だった。
偉そうな言い方をさせてもらうと、吉井さんって歌の上手さで勝負するよりはルックス・パフォーマンス・歌詞等の総合力で魅せるタイプのヴォーカリストだと思っていたんだけど(ある時期まではそれも当てはまってたんだろうけど)今は完全に違う。
こんなに違うんだ、齢なんて全然関係ないじゃん、ロックスターかよって思ってしまった。
あとは曲ごとの感想をつらつら書いていく。
こんなことを考えながら聴いていた。青春時代に聴いてたこともありまぁノスタルジックな思い出に浸っていた。
『天道虫』
最初聴いたときは「この曲は好きになれないなー」とか思ったんだけど、”雨上がりの〜”からの展開がかっこよくてもう今は大好きですね。
『ALRIGHT』
復活後の曲は最初んん?ってなるのが多いんだけどこの曲については最初から違和感なかった。
リフとかノリが解散前の曲の雰囲気に近い気がする。(熱帯夜とか
『LOVE COMMUNICATUION』
これやるんだー!!
『Love Homme』
実は最初あまり好きじゃなくてほとんど飛ばしてた曲。イエローモンキー流のファンクなんだなって気づいた。
『楽園』
まじかーーー!
『Love Source』
『Stars』
9999バージョンだとサビのところでハンドプラップが入るようになった。
『パール』
高校2年の夏を思い出す。
スカパーの音楽チャンネルを録画してこの曲を延々と観ていたのだけど、この曲の前のDrason Ashの「Summer Tribe」だったんだけど、
プールに女のコ侍らせて〜って感じのチャラい映像だったのでそれとは真逆のメンバーが演奏するだけの硬派なPVが印象に残ってる。
『Changes Far Away』
確かこの曲だったかな、スクリーンの映像にかかるエフェクトが壊れたアナログテレビっぽくて見づらかった。初日に見たときはカメラの故障かと思った。
『SO YOUNG』
高校の頃よく一緒に遊んでいた友人のことを思い出す。
1日目が終わった後にたまたま彼から連絡が来て、奇妙なめぐり合わせを感じてしまった。
So Young は映画「transmission」の映像がコラージュされたバージョンのPVがあったはずなんだけど、今はどこ探しても観られない。
卒業って感じの曲ですよね。
『Balloon Balloon』
特になし。
イエローモンキーで一番好きな曲なので生で見れて感動もいいとこ。
高校2年の5月に付き合い始めて6月に振られたときにずっとこの曲を聴いていた。
『Titta Titta』
特になし。
『SUCK OF LIFE』
二日間ともメンバー紹介なくてびっくり。2日目はロビンエマの絡みあり(ロビン&エマの絡みについてはデヴィッド・ボウイ&ミック・ロンソン で調べればいいと思う)
『I don’t know』
サビ前の「デン!」でテンション上がる。そうかこの曲はここがカッコいいのか!と気づく。何気なく観てたAVでヌきポイントに気づくような感じ。
『Horizon』
特になし。
『バラ色の日々』
歌詞の最後に「Are You Believer?」とシャウトするのだけど、今回のライブでも音源同様にシャウトしてたのが良かった。
以前のライブや吉井さんソロのときに演奏しているときは「あーゆーびりばぁ〜〜あああ〜〜〜」とシャウトしてないことのほうが多かった。
『悲しきASIAN BOY』
この曲のときにいつも背後から降りてくる「THE YELLOW MONKEY」の電飾、復活後?からデジタル表示になったっぽい。
普段は、
THE
MOHNKEY
と縦に並んでいるのだけど、初日は横に並んでいた。
『この恋のかけら』
あっという間だった。初日と比べると満足感あったけど、JAMとかWelcomeとかで締めてくれたら終わった感あったかもなと思う。
吉井さん、髪が肩までかかってアイシャドウ塗って花柄シャツでPunch Druncardのころを思い出すルックス、セクシーすぎる。
メンバー紹介はあっさりしていた。
帰り道にも同じカフェで「追憶のマーメイド」が流れていてほんとに気のせいなんだけど、ちょうど「追憶のマーメイド」のこと考えていたんだよ。いい余韻に浸れた。
口八丁な人間が立ち上げたこともあり、仕事は目が回るほどある。
しかしタイトル通り、自分以外の全員のマインドがアナログすぎて辟易している。
連絡は全て一つのトークに集約されていて、ログがどんどん流れていってるので、正直どのトピックがどうなってるかが全くわからない。
一度Slackへの以降を提案し使い始めてみたが、数日のうちにLINEで「Slackをチェックして!」と言わなければいけない状態になり、1週間も経たずにLINEに逆戻り。
トークルーム一つでやりとりしているので、発言見逃がしまくり。
Googleカレンダーで予定を共有するなんてことはせず、今度出来上がるおしゃれなオフィスには予定を書き込むためのでっかいホワイトボードが。
そこはオシャレじゃなくていいのかよ。
ウェブを少しでも理解できる人間は自分以外にはおらず(ウェブサイトを「HP」と言ってる時点でお察し)、一番ボリュームのあるウェブの仕事は全て自分に降ってくる。
会社で新規に立ち上げたサービスがあるのだが、申込を社内でアサインするところは全てLINEでやりとりして決める。
サーバとデータベース用意して、Slack / カレンダー / Slashコマンドを駆使するなんてことは勿論提案したところで理解されず。
大きい案件ごとにフォルダは別れているのだが、その下のフォルダには「〇〇_写真1」「〇〇_Photo」「〇〇_JPG」みたいなほとんど同じようなネーミングで中身が全然違うフォルダが沢山ある。
過去のデータを遡ることが非常に難しく、勿論検索をかけることもできない。
日々、こんな具合でもう辞めたいと思ってる。仕事以外の自動化できる雑務を疑問もなくやっている社員ばかりだ。
正直自分一人でもやっていけるし、ウェブの仕事が多い割に、ウェブでは他の社員が全然役に立たないので、仕事の負荷がおかしいこともままある。
オフィスを見回してみるとセカセカ働いているのは自分だけってことも。
民放連会長は「電波オークション」に反対「公共性」「ライフラインとしての自負」
https://www.sankei.com/entertainments/news/171117/ent1711170017-n1.html
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1903/28/news062.html
民放連の「AMラジオ廃止」要望がアイドルにとって不都合なワケ
https://news.nifty.com/article/item/neta/12277-233784/
>われわれへの批判はあると思うが、公平性を保ち、ライフラインとしてやってきた自負がある
読んでいてくっそ笑った。
ライフラインとしての自負があるなら、今年になって少し前にこいつらが言った経営上の理由でAM廃止とか本気で笑い話になると思うんだが。
本当ここで言っていたライフラインとしての自負なんてその程度のものなんだろうなと言う事が良く判る。
個人的には民放連がAM廃止する事自体反対していないから、民放連は撤退するなら撤退して、その空いた帯域から電波オークションを認めるなりした方が良いと思う。
ぶっちゃければこいつらAM止めるのは維持コストの問題だからな。
最近ではこの災害方面の突っ込みからかAMよりもFMの方が災害に強いとか言い出し始めそうなのも見受けられてきたし。
ただ何にせよ民放連がAMやめる=日本でのAM廃止と言う話の前提自体がおかしいと思うのよね。
>世界の潮流はAM廃止。ドイツやフランスでは15年にAMによる公共放送を停波しているほか、北欧ではラジオ放送自体が廃止され、ネットラジオに移行しています。
とかほざいているけど、確かにそう言う意味では欧州ではAM放送は廃止されている。
更に言えばノルウェーはFM廃止をしてデジタルラジオに移行している。
(ただそのノルウェーでもFM廃止したのは結局国営だけで、今も地元FMは頑張っているとか何とか。)
でもそれはそれとしていつもはこいつら海外の事例として良く出すアメリカはAM放送を今でもしているわけなんだけど、今回については都合良く無視しているんだよね。
都合の良い事ばかり海外の事例を出して、都合の悪い事はいつも無視するのは日本人の特性だけれども。
更に言えば、日本の場合それこそ近隣諸国の関係があったりして、状況がまるで違う事をこいつら都合良く理解していないのもわざとだろうな。
なので、今回に関しては新規参入を探す意味でも電波オークションを行うべきとか言う動きを作られてもおかしくないと思うんだけどねえ。
それこそネトウヨ産経が自身で国益上の問題も指摘していて、その件でも不味いわけだし、国内での利用を促進するならば、マジでオークションは有効な手なんじゃないかと思う。
だから本気でこいつらの中波停止を認める代わりに民放連に電波オークションを飲ませるくらいした方がいいんじゃないか?
でも総務省なんてこいつら民放連の言いなりだろうからAM廃止でそのまま鵜呑みで話を進めそうだから困る。
地上波アナログテレビ放送を止めさせた前例があるからこれも民放連は普通にうまく行くとか思っていそうだ。
何にせよラジオなんてもう聞いている人少ないし、民放連は金を食うラジオを何かと理由をつけて止めたいだけなんだろうな。
だからこそライフラインのポーズをコストの安いFMでラジオをやって維持して、でも食い扶持に困るから電波オークションには反対みたいな。
でも本当見ていて、これもある意味では新聞や出版の再販制度と問題の根底は同じなんだろうなとは思う。
これも長年情報を独占し操ってきたきた連中の悪影響なんだろうなあ。
プログラミングができるわけでもない一般人だが書かれている内容はだいたい分かった。
なぜ「数字」にこだわるのかも分からないし唐突に現れたサンプルプログラムも意図が分からない。
ドレミファソラシは「261、293、329、349、391、440、493」
可視光の波長
コンピュータのディスプレイは波長ではなくRGBで表現されるので分かりづらい。
そんなよく分からないLEDを使わずともフルカラーLEDがある。
たとえにマイナーな電子部品(?)が登場すると逆に分かりづらい。
それから縦30x横30のLEDから縦70x横70のLEDまでに内接する円の内部(x^2+y^2≦40)がすべて色001であれば、赤い円ができる。
このあたりはよく分からない。
(「点と円の当たり判定」を各座標ごとに実行)
めちゃくちゃ強い電気
なんかすごそう(小並感)。
ハイレベルとローレベルでなくアナログ値になるということなのだろうか?
それはたぶん現代人ならみんな知ってると思う。
どの文字コードのことを言っているのか分からないので集中できない。
(ためしにASCIIコードを調べてみたがAは65だった。また小文字にするとき足す値は32)
かなりシンプルになることが多い。
一般的には適当なrandomモジュールのようなものを利用するのではないか?
(ついでに実用的かを考えるなら曲数が60以上あったときのことが気になる)
今の仕事でも、既存のマクロでエラー出たときに原因箇所を調べたりするのは出来るけど、そこから何を直したら直るのかわかんない。
フローチャートを作れるのなら元増田に必要なのは「ポケットリファレンス」とか「逆引き~」とかいう類の本ではないだろうか?
(普通に考えればさすがに知っているだろうが念のため)
でも最近は思うところがあって、長くて恥ずかしいからここに吐き出す。
誰かが使い古した物を、家にいれるなんて信じられない。
私は物には思い出や気持ちがつまるもんだと、本気で信じている気持ち悪い人間なので、誰かの思い出がつまった中古が気持ち悪い。
中古の品をみると、元の持ち主の顔を想像してしまう。どんな人生を送っていたのか考えてしまう。
そんな私がリサイクルショップで働いてしまった。家から近くて通うのが楽だから、とかいうダラけた理由で。
自分の思い出や人生がつまったものを、いらないからと売りに来るのだ。そして誰かが私の過去がつまったものをまた使用する。それが私にはゾッとするのだった。
機材なんて、一番思い出のつまるものだろう。
売られた機材たちの寂しそうな顔が悲しくて、せめて誰かの目に留まりやすいようにと、私はDTM機材コーナーの整理整頓は丁寧にやっていた。
お喋りなおじさんで、レジをしていた私に「家に色ちがいのER-1がいて、その子の友達にする」と話してくれた。
このEA-1は元の持ち主にいらないと言われて売られたのに、この日、色ちがいのER-1と名前をつけてくれる素敵なおじさんに出会えた。なんて素晴らしいだろう。映画みたいだ。
EA-1に名前をつけるような優しく面白いおじさんに育ててくれた親にも、なぜか感謝してしまった。
ほかにも、私が持っているCS1xと同じものが売られて店頭に出ていた時期があった。
私のは私の家で幸せに暮らしているのに、どうしてこの子はこんな目に……と思って悲しくて心のなかで泣いていた。
でもそのCS1xにも、新しい人生がやって来た。この間、おじさんに買われていったのだ。
レジをしながらCS1xに向かって「おまえ!!! 幸せになるんだぞ……!!!!!!!」と心のなかで祝福をした。
シンセだけじゃない。サンプラーのコーナーを整理していて、誰からも忘れられたように奥に追いやられていた小さなSU10が出てきた。
かわいそうに、と思って一番目立つところに置いておいた。
SU10はその日に売れた。
驚いた。しかも目立つところに置いてから30分くらいで売れたと思う。早すぎた。
SU10がこの世から忘れられていた時間からすれば、秒での出世だと思う。
私がその日、サンプラーのコーナーを整理しなければ、おじさんとも出会うこともなく、SU10は廃棄の運命だったかもしれない。なんだか恋のキューピットになった気分だった。
捨てられた機材たちが第二の人生を歩める姿を見届けられるというのは、単純に嬉しいと思う。
次に来たときに買おうと思っていても、残ってるとは限らない。
お客様に、昨日はあったのになぜ今日はないんだ! と言われたことがある。単純に売れた。誰かおじさんが買ったんだ。
それくらい早く、一瞬のタイミングがズレるともう二度と出会えない、そんな場所なんだ。
私は最近、機材と人が出会えた一瞬のタイミングが素敵だな、と思うようにもなってきた。
嫌いだったリサイクルショップでこんなこと思うなんて自分でもビックリしてる。
そんな中古嫌いの私もついに、自分のリサイクルショップで長い間忘れられていたQ-80EXを買ってしまった。
誰かに買ってもらいたくて、結構目立つところに置き続けていたけど、このQ-80EXは運命の人に出会えなかったらしい。
断っておくが、私はほとんど毎日パソコンを使うし、比較的新しい物好きだ。
新製品・新機能はすぐにチェックするし、メモなど積極的にアナログからデジタルに変更している。
読書はもっぱらKindleで、すでに300冊を超えて所蔵している。
私は仕事で新しい知見や見落としていた知識などの整理のためにノートをつけている。
それをpdfに変換し、Dropboxにぶち込んで必要な時は全文検索で取り出せるようにしている。
間違いなく便利だ。ちょっとキーワードを入れただけでそれに関連する文献やメモが大量に出てくる。
あるとき自分の記憶している知識が極端に少なくなっていることに気づいた。
全ての知識は肌身離さないiPhoneからすぐ取り出せるのに、である。
その原因はデジタルの表示できる情報量の少なさに起因するのではないかと思うようになった。
アナログメモの時は暇な時にパラパラめくって、ああ、こんな知識あったなぁと思い出す事があって、
知らず知らずのうちに知識の復習をしていた。
デジタルに移行してからというもの、自分から検索しようとしないと、
デジタル化した本に関しても同じだ。
読んだ内容が全然頭に残らない。
アナログの本だと、パラパラめくって、時にまた読んでしまうことがあったが、
デジタルはそれがない。
同じ大きさの文庫本は二つに開いて、上手くやれば4ページ近く一度に見ることができる。
そう考えると表示できる情報量は同サイズのタブレットの倍以上だ。
さらにデジタルでは自分でその本が読みたいと決断し、探さなければいけない。
中学校で理科教師(講師)をしていた。子どもは好きだし教える事も嫌いじゃない。教師は意義のある仕事だし頑張ってる先生も多い。
だけど、何が一番嫌だったかと言うと『公権力への忖度』なんだよな。おれの勤めてた学校では『社会科』『国語科』『音楽家』の先生が優秀だった。
あるとき1人の社会科の先生が業務効率化の提案をしたのだけど、管理職のせいで全く受け入れられなかった。
教頭も校長も『体育科』上がりのワンマンで、頭も悪くてクズ。教育委員会の人間も似たような感じだった。本当に保守的であれじゃあ何も変わらない。
そんなクズに忖度し続ける人生は嫌なので、教員採用試験を受験するのを辞めて、都内の外資系IT企業に転職した。
転職してから4年、今は教員の給料も遥かに超えているし、教員に比べて業務量も少ない。年収で言うと800万円くらい。
とはいえ金に困ってる訳でもないし、教育は意義のある仕事。たとえ給料が安かろうが「働いてもいい」という気持ちになる事もある。もともと教育が好きなのかもしれん。
だけど、それにしても講師の給料は安すぎだし(月収30万ちょいで頭打ち)、何より保守的な上に忖度を求められるから、気持ち悪くてやってられない。
あれじゃあ教師という仕事に魅力を感じている若者も、講師でさえもしなくなると思うよ。
学校は少子化にも関わらず教師不足で、その原因は体力的にも精神的にもキツイからだと思ってる。教員は「全ての業務がアナログ過ぎる」ので、業務量も非常に多い。
毎日の部活動、出血確認、配布物、行事などは効率化できる部分は多くある。
たとえば、部活動は外注すればいいし、出血確認はオンラインで自動で行う。配布物は全デジタルにすれば良いし、行事(運動会・体育祭)なども手軽にできる簡素なものにする。
精神的な部分はモンスターペアレンツに対しては、モンスターティーチャーになって対応。親に細かい事はギャアギャア言わないようにする。教育委員会も教師そ守るバックアップをする。
そんな風にして極限まで教師の負担を減らせるように環境をセットアップ。
これなら俺も「また教職に戻ってもいいかな」なんて検討できる。まあ何処の自治体であれ、こんな改革できるところなんてないだろうが。
googleがすごいサービス出してきたー!っていうのはわかるんだけど、コントローラーが普通で萎えた。
コントローラーってそもそも全然直感的じゃないし、それなのに30年以上経っても未だに十字キーとABボタンが残り続けてるのはなんでなの?
アナログスティックはわかる。左右に配置して、力の入れ具合で操作できることは直感的に理解できる。LRのトリガーも役割的に理解できる。
なのにそれ以外と来たら、いたずらにボタンは増えていくばかりで、結局はゲームというのはコントローラーの扱い方がうまくなる必要性から抜けきれてないということになる。
マウスとキーボードでゲームすることだって、そのための訓練がなければゲームをプレイする入り口にすら立てない。
ボタンを排除したスマートフォンですらバーチャルパッドを配置し直す始末。
ゲームはいつになったらファミコンコントローラーから人類を解放してくれるんだろう。
強いて言えば、VRで視点を向けた方向にすこしずつ体重移動して向きが変わっていくゲームは新しいと思った。
直感的だし、座った姿勢のまま移動が限定されるVRに最適だと思った。
ねえgoogle!拍子抜けだよ!
まだ数日だけだが、施設で働けている。
人間関係も良好だ。
認知の人相手だとストレスが溜まると聞いていたが、奇想天外な行動をする利用者を介助するのは楽しかった。
腰への負担は噂通り。
ボディメカニクスなど、元気のありあまる利用者には無力だった。
コメにあった通り、求人者で数名の男性の質疑が聞こえ聞いていたが、同じ職場だったら俺はそいつを要介護1000にする未来が見えた。
やはり来る人の質が良くないのは本当だと思う。
自分も時が経ち慣れてくるとストレスが溜まるようになるのだろうか?
とりあえず、ITがクソすぎて介護を体験しに来た人間としては、アナログすぎてめっちゃ改善したい。
3年もITいてゴミみたいな仕事ばかりやってきて、目の前にitが必要そうな施設(業界?)があり俺はもう泣きそうだ
ま、あるけど金がないか古い頭なのかで導入できないんだろうね。
人並みに仕事できるようなったらまた次の職を考えよう。
不適合者に見られるけどね
増 「外国人の方の口座を作りたいのですが。」
郵 「外国人ですか」
チラッと外国人を見て、
郵 「 あははっ 」
(なんで笑うんだよ?わけわかめ。)
腹は立ったけどここで揉めててもしょうがないので、怒鳴りそうになったのはぐっと堪えた。
3人まとめて処理を進めてくれと言ったら、1人ずつしかできないと。
郵 「一人2~30分掛かりますから、3人ですと2時間かそれ以上掛かります。」
増 「はぁ?」
増 「この人達は漢字で住所なんて書けないから、私が代筆でも可能ですか?」
増 「それともローマ字で書かせるなら、私が見本を書きますから紙とペンを貸してください。」
(もう少し丁寧に書けねーのかよ。)
...
この後も郵便局員の指示と俺のフォローの中、外国人による書類への記入が続く。
増 「あっ、No、No、No、Write your name here。」
増 「この人達にサインって言うと、読めないぐじゃぐじゃのサインを書かれるので、サインとは言わないでください。」
郵 「あっ、そういうことですか。」
文句つけたいことは山ほど有ったが、ぐっと堪えて1時間ちょっとで3人分を終了。
ところがだ、会社に戻って1時間ほどしたら電話が掛かってきた。
郵 「1人分間違えたので、本人を連れてもう一度来てください。」
(ばかー、この役立たずがぁー)
マーカーまで使って確認してたよね?
結局、1人分は何を修正したのか分からなかったが、違う通帳を渡された。
増 「えっ、口座番号変わったの?」
郵 「はい........」