はてなキーワード: アウトプットとは
どんな話なら読みたくなるんだろう。
美少女がきりもみで自分の目の前に落下して、鼻頭に絆創膏つけて笑顔で微笑むシチュエーションしか思いつかない。
いい話が思いつくときというのは、シュチエーションに登場人物のそのときの感情は、その人物の過去や背景が乗ってもわっと泡のように思いつくものなので
苦労して、あれこれ考えてもどうしようもない感じはある。
一つのシチュエーションに来歴や背景をもりもり肉付けする、後のせサクサクするパワーというかテンションがワタシにはない。
物語のきっかけとなるのが人間離れした技能や知識をもつ人や、現代では実現困難なテクノロジー、インフラ、魔法がきっかけになるというか。
SFやファンタジーをたたき台に、賢くゲーム的な概念やマンガのパロディを組み込むこともできないので、
ゲームでのあるあるネタやパロディにもっていくのもむずかしい。
自分の脳内の手札で面白い話を書こうとすると、限度がある。アウトプットもインプットも経験不足。
そうだ、トイレは現代社会における一人きりになれる貴重な瞑想の部屋。トイレで考えれば……。
そうかだから増田はウンコネタで盛り上がるスカベンジャーどもが跋扈するのか。
中世の過密した都市部における公衆衛生は非常に悪く、窓を開けばウンコのにおいがするといわれたとかいわれなかったとか。
便を媒介にする疫病が蔓延するのも無理はない。そして上下水道が完備され衛生状態が改善し近代化していったらしいのだが。
さて、増田や匿名掲示板はインターネットにおける上下水道としての価値を確立してい他のかもしれない。
僕は自信がない。自信がないから会議での発言や発表、人とのコミュニケーションもうまくできない。
上記は自信をつけた行動をしていれば達成できることだと考えている。
ではどうすれば自信をつけらるか、それは結果=アウトプットを出すことだと思う。
発表はほとんどしたことが無く、ブログは以前まで時々書いていたけど、
という理由で今は書いていない。
とはいえ行動しないと自信がつかない。
以前ブログを書いて思ったことを振り返ると
「考えをまとめることやネタを探すのがめんどくさい 」ことの解決策は見つけていないけど、
ブログを書く → 知識が増える → 自信がつく → 発表をする → 経験が増える → 自信がつく・・・
という良いサイクルを回して行きたい。
差別がーとか言われたらめんどうだから増田で書くわ。俺自身としては生理的な話をしてるつもりなんだけどね。
英語の勉強始めてから結構時間かかってるけど、最初の2年位はまったく上達しなかったがようやくできるようになってきた。
それで思うんだけれどとにかく外国語の習得ってさ、文法の基礎さえ分かったらあとは下手でもいいからガンガン実践あるのみってところだと思う。
でね、日本人が英語が苦手なのは白人コンプレックスのせいなんじゃねえのかな。
中国にいった友人はは誰も中国語が上達するのがメチャ早かった。
日本人は白人に対するコンプレックスがアジア人に対しては希薄なので、覚えた中国語は直ぐに、発音がめちゃくちゃでも、恥ずかしがらず、相手構わず使い始めるってことじゃないかな。
この恥ずかしがらず、やたら多くアウトプットすることによって、脳に言葉が効率良く蓄積されて行く。そんなイメージ。
そんな訳で、英会話を習得したい人は白人に教わるよりも、フィリピンで習った方が多分、上達が早いってのを考えてみた。
俺は中国人で英語話せる友人がレッスンに付き合ってくれたおかげでややおかしいけどなんとなく喋れるようになったけどオンライン英会話スクールでフィリピン人相手に練習するのいいんじゃないかと思ってる。
これはステマのつもりで書いてるんじゃなくて、むしろレアジョブ使ってるやつらのステマを俺に聞かせて欲しい。実際どうなん?フィリピン人相手でもやっぱり上手くしゃべれないもん?
http://anond.hatelabo.jp/20160329110443
というかさ。
はてブで人の文句言うことしかできないようなクズが目立つようになっただけだと思うよ。
そういうのって今まではにちゃんねるとかにしかいなかったのにな。
最近のはてなブロガーはそれに輪をかけてウンコみたいなアウトプットしか出来ない奴増えたよな。
あいつらなんで頭悪いのにほかの人に見てもらいたがるわけ? ドMなの?
何の取り柄もないけれど注目されたい褒められたい。
目立ったらボロがでて叩かれて被害者面して喚くくらいメンタル弱い。
ねえねえ、何のためにブログやってるの?
自分は30代後半のエンジニアだ。年収は1800万円、貯金だけで1億円を超えている。そんな自分が、大学生の頃にやっておいてよかった、もしくはやっておけばよかった、と思ったことを書いておく。現役の大学生の皆さんの参考になれば嬉しい。
自分は中高生の頃にほぼ毎日コードを書いていて、大学生でも頻度は下がったがコードを書いていた。大量のコードを書くのは自分にとって消えない財産になる。筋トレに例えられることが多いが、むしろ感覚を研ぎ澄ます瞑想のようなものに似ていると思う。飽きてきたら別の言語や別の環境に手をだせばいい。Mac上でWebサービスやスマホアプリの開発ばかりではなく、Windowsアプリも作るしLinuxデーモンも作る、色々と試してみるのが良い。
毎日コードを書くことで得られるのは経験である。エンジニアにとって、経験は絶対的に必要だ。将棋の本をいくら読んでも指さずに強くなれないのと同様、コードを書かずしてプログラミングのセンスは培われない。
自分はこれをせず後悔している。今後どのような技術が流行るかわからないが、例えば集合知、例えば3D、マシンラーニング、そういった有用な技術の裏側には、線形代数やゲーム理論等のしっかりした数学の裏打ちがある。出来ればComputer Science系の学科に行き、興味がなくとも真面目に勉強をすることをおすすめする。
学術的な背景があれば、何かに興味を持った時にどこまでも深いところまで潜っていける。なければ、公開されたライブラリに沿って使うことしか出来ない。ライブラリを使って何か作ったよというブログを書く側より、ライブラリを作って広く使ってもらう側になろう。
例えば「海外に留学に行きました」とか「大手企業にインターンに行きました」とか、素晴らしい経験である。意識高い系と馬鹿にされるが、行動しないよりは断然いい。しかし、行動力のある人間にとっては海外留学もインターンも、ただ行けばいいだけで簡単な話だ。その一歩先を行って、自分の実績を作ろう。例えば「在学中に技評から本を出版しました」であるとか「未踏ソフトウェア創造事業でスーパークリエイターになりました」であるとか。
実績は名刺になる。実績があって初めて自分の名前を覚えてもらえる。私も色々な学生に合うけれど、覚えているのは何かを成し遂げた人たちだけだ。
本をたくさん読もう。技術書は言うまでもない。ネットを調べれば書いてあることでも、本にまとまっているだけで十分に価値がある。ネットで評価の高い本は片っ端から読むといいだろう。お金がなければ図書館で読んでもいい。またビジネス本も是非読むべきだ。世の中がどのように動いているのかを知るのは、大きな武器になる。他のジャンルも、興味がある本はどんどん読んでいこう。学ぶ意識を持って読もう。
広い視点を持つのは重要だ。社会で必要とされているのは、他に替えのない人だ。他の人と同じことしか出来ないのであれば、他の人と同じ評価になるのは当然である。
英語の勉強のスタートは、早ければ早いほど良い。英語が出来るだけで、世界は一気に広がる。英語が出来ないと、日本という言語の壁で守られた小さな世界でしか活躍出来ない(それでも世界的に見たら十分に大きいが)。英語の読み書きはもちろん、複数人の会議で会話が成立出来るレベルが求められる。TOEFL(TOEICではない)で100点越えを目標にするといいかもしれない。
2年間海外の大学院で留学するのもいいが、英語は手段であり目的ではないことを忘れてはいけない。英語だけのために2年間を費やすのはあまりに勿体無いが、その2年で英語に加えてさらに何かを学べるなら大きな収穫であろう。
自分がやっていることを積極的に発信しよう。仲間内だけではなく、世界に向けて広く発信しよう。仲間内で慣れ合うのは安心だが、安心は停滞を生む。広く発信すると、時には辛い反応がかえってくることもあるが、それは必ず将来の糧となる。失敗を恐れず、自分の知っていること、調べたこと、学んだこと、創りだしたことをどんどんと発信しよう。
面白いことに、アウトプットを増やすと、インプットが増える。自分から人に会いに行くよりも、会いたい人からコンタクトを取ってもらえるようにアウトプットしていこう。
ここに挙げたものは、これをやれば良い、というものではない。こういうものは成功した人に限っても十人十色だろう。気に入ったものを無理のない範囲でやるだけでも十分だし、気に入ったものがなかったからといってがっかりすることはない。所詮、老害が匿名で書きなぐったものだ。毎日の生活が楽しいならそれでいいし、そうでないならまずそれを改善すればいい。そして毎日の生活が楽しければ、将来にわたって楽しい生活が出来るようにちょっと考えてみるといい。その時に、この記事が何かの刺激になれば嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20160326134503
俺は数行の文章で1人称も統一出来ないような思考散漫な馬鹿が嫌いである。
馬鹿の癖になんだか肩に力を入れて書いているから滑稽さばかりが酷くなる。
使い慣れもしない”である”文体で内容の薄いことを得得と書き散らすあたりは
愛国ウヨだろうが売国サヨだろうがどっちにしろ存在が迷惑なのである。
今日も恥知らずにも糞みたいな訓示をたれたり説教をしたり駄文を放流したりしている。
ゴミ人間はその自覚を持ってアウトプットを控えた人生を送って欲しい。
日本は素晴らしい国で平和で安全、各種法規は整備され、住みよく公衆衛生もしっかりしている。
たまたま、そんな日本で生まれたのはとても幸運だったと思っている。
しかし、まあ愛国心教育なんて発想には反吐が出るし、熱く愛国心について語るヤカラには近づきたくない。
僕らはひととき、迷いながら寄り添っているだけでその団体の区分が国家であると言うだけだ。
町内会の重要性とか、近所づきあいの大切さを熱く語って、町内会活動に参加しないものをあからさまに村八分にする人間と本質的にはかわらんのだ。
ちなみに、私は現在町内会長などをやっているのであるが、どうもこの、愛町精神論者はそのまま愛国論者になるようで、ときどき、それこそネットならそれだけで大炎上するような問題のあるアイディアを振りかざしている。
http://anond.hatelabo.jp/20160324231635
うんうんいい所に気づいたね。
ネットはインプットする場所じゃなくてアウトプットする場所だよ。
相互にアウトプット出来るのがインターネットの最大の利点であり数少ないメリット。
ただ情報を仕入れるだけなら結局図書館なり本屋なりKindleなりに行くのが一番確実だし結果的に早い。
ちょっとした事を上っ面だけ調べるのには使えても体系的に学習・調査するには余りに玉石混交だからね。
逆に良い物だらけの場所だと他人のミスから自分で学んだり自分のミスを自分で許したりが難しくなるしね。
ブログやSNS程度でいいから自分から発信していくとネットが急に広くなるよ。
ROMユーザーでも表に出てる全ての情報にはアクセスできるけど、出てこない情報は取り出せないから。
でもアウトプットしてる同士で交流していけば直接相手にこういう情報を持っていますかと聞けるようになる。
それが出来るようになると手に入る情報がね本当に広がるんだよ。
インプットを目的にするならインターネットなんてクソの山でろくに使いものにならない。
なら何をするかというとアウトプットをする場所としてネットを使うのだ。
周りがゴミばかりという事は自分も気軽にゴミを射出できるということである。
広大な海にゴミを垂れ流す一団に混じって「今日もよくゴミが流れていきますね」「そうですね。あれは私が作ったゴミです」「そうですか私は今からこのゴミを流します」と語り合う場所なのではないだろか。
以下に書くことは読み手の都合で考えた場合、自分と同じ位の認識レベルの人にとっては今さらだし、それ以上の人にとって不十分ということになる。そもそも私の認識や前提とする知識が間違っている可能性も否定できない。なので個人の思考をアウトプットした日記として、または知の反復作業として読むことを推奨する。
映画メディアの場合が主。テレビ放送ならば「特別編」などとして、普段の放送より長くしたケースが多い。「刀語」のように1話をおよそ1時間、1ヵ月ごとに放送という変則的なスタイルもある。ただ、1話毎の期間が空きすぎていて視聴者がついて行きにくいのか、変則的すぎてこのスタイル自体はあまり流行っていない。
時間は長い上、映画ならば作品に対して直接お金を払って貰うということもあり、制作体制は大掛かりかつ高いクオリティのものが多い。テレビで放送する「特別編」の場合でも、特に気合が入れて作られることが多い。
これで作られるアニメは、原作があるにしろ普段はテレビで放送されているものにしろ、壮大にしつつも1話完結型のエピソードが多い。「亡国のアキト」のような各章に分けて、章ごとに映画メディアなどで提供という特殊なケースもある。
また、原作やアニメ制作会社側などの事情から、予定されていた話数で完結させることができず、かといって2期にするには帯に短し襷に長し。ということで、後に改めてこのスタイルで提供する場合もある。ただ、映画メディアでそれをやる場合は賛否両論の声が大きい(基本、金を払わなくても享受できるようにしてきたものを、最後の最後に支払いを要求するという提供側のスタイルが利己的だという批判。或いは「正当な対価を、作品そのものに対して支払いたい」という消費者からは比較的シンプルな形だとして受け入れられている。もちろん、その他にも様々な理由での批判、賞賛の声がある)。
30分とはいってもOPやED、間に挟まれるCMなども含まれるため、実質的な内容はこれより短い。また、内容を増やすためにOPやEDをカットしたり、逆に前回のあらすじなどで尺を稼ぐケースもある。そのため、「実質的な内容」という観点から見た場合アニメによって、また話数によっても幅は大分ある(なので便宜上それらの幅は考慮せず、かつ後のカテゴリについても大分ザックリしたカテゴリ分けで所感を述べる)。
最もポピュラーなスタイルで、個人的にパッと思いつく有名な作品を例に挙げるだけでもキリがない。
実質的に20と数分とはいえ、その長さのものを一定以上のクオリティで、かつ週に1回のペースで作ることはよほどのことがない限り物理的に困難とされ、実際には1話放送の前からストックを貯めておき、1週間以上かけて1話を作ることが普通らしい。
つまり一応の理屈の上では、このストックと現在進行形で製作しているものとの話数の差が縮まると、「できなかった」ということだけは避けるためにクオリティを下げて、作業効率を上げる必要が出てくるということになる。他の仕事にもいえることだが、納期を厳守することは社会では基本で、信用に関わるからだ(まあ、クオリティなど他のものが犠牲になった以上、それはまた別の問題として対処する必要はあるだろうけれども。作り手など提供側の事情がなんであれ、受け手にとってその作品自体が評価の対象であることは変わらないしな)。
これで放送されるアニメは、ストーリーやキャラクター、舞台設定など「非日常的な要素」が多分に含まれた内容であることが多い。日常のものを何の加工もせず切り取っただけではエンターテイメント性が低く、それを1話に20分以上観せ続けられても、視聴者はついて行きにくいからだ。もし、それでもエンターテイメントとして成立するならば、それはスタッフたちがそれだけ優れているともいえる。
こちらも「実質的な内容」という観点で見た場合、実際の時間は減っている。私がパッと思いつくのは「よんでますよ、アザゼルさん。」あたりだ。
放送される際は他の15分アニメとセットで放送されていたので該当しないかもしれないが、ネット配信の際は分けられているし、別々のアニメなのだからこちらで扱う(恐らく制作しているところとかも違う……よな?)。 あと「ドラえもん」など、1話完結型でそれが10~15分くらいのものをセットの場合も、「別々のアニメ」と広義的に解釈してこちらに含んでもいいかもしれない。
時間が減ったのだから、その分クオリティが上がったり、それが安定したりする。……というわけでもないらしく、15分で作られることを前提としたスタッフの配備、そしてスケジュールを組んだりするケースもあるようで、30分と比べてクオリティが安定しやすいとは一概にいえないようだ(ただ理屈の上では、「時間の短さ」というアドバンテージだけで考えるなら制作するための労力は下がるわけで、仮に全部の作品を把握できた場合、傾向としてこちらのほうがクオリティは安定しているということはあるかもしれない。ないかもしれない)。
これで作られるアニメは1話完結型のエピソードだったり、次回に引っ張ることはあまりない傾向。「のび太が道具を使って調子に乗ったままその1話は終わり、何らかの因果応報オチで終わるのは次回」みたいなのは基本的に避けられるということだ。仮にあっても、数話もかけることはない。
随分ぞんざいなカテゴリ分けだが、短いアニメは便宜上ここに全て含めて述べさせていただく。私が真っ先に思い出してしまったのは「チャージマン研!」だが、これから述べる話の例としては不適当なので、「チャージマン研!」のことは忘れてくれ。
放送する媒体や形態は最も多様で、番組コーナーの一部として放送されることも多い。ネット配信だと関連商品の宣伝を前後に挟んだり、配信したものとは全く違うアニメや商品のCMが挟まれたりもする(制作会社や提供する会社が同じという関連性は一応ある)。30分アニメのネット配信だとCMがなくなりやすいということも考えると、この逆転現象は中々に面白い(まあ、そもそもネット配信するのとテレビで放送するのとは事情や立場が違うから、考えてみれば当たり前なのだが。それを踏まえてなお、短いアニメの方がその傾向なのが面白い、という意味だ)。
短い内容のものを週に1回のペースであげるなら、1話完成させるのは上記のものよりは理屈の上では楽といえるはずで、その分クオリティは安定しやすい傾向(ただ、これは15分の部分で述べたことと似たようなケースで一概にはいえない。それでも割合としては増えるんじゃないだろうかという推測)。内容が短いので視聴者的には「物足りない」と思われるかもしれないが、「腰を据えて観なくていい」という側面もある。コスパに優れているといえ、最近はこのスタイルでアニメが作られるケースも増えてきた印象だ。
これで作られるアニメは、15分のとき以上に1話完結型の傾向。15分で書いたことと理屈はほぼ同じだが、これだけ短くなってくると、「その短い中でエピソードを起承転結しっかり作る」ということの困難さが顕著になりやすい。これを解決しやすくするためには、元となる原作がある場合は1話完結型が主になるだろう。或いは、起承転結がコンパクトで調整しやすい、4コマ漫画などが選ばれる。もしオリジナルなら、キャラクターや舞台設定などを好き勝手に弄くっても咎められないので、融通が利かせやすい(このことは他のカテゴリでもいえることだが、短いアニメは1話完結型が多い傾向なので特に利点となる)。
以上だ。
大まかにこの3つです。
人に見てもらうためには人が多い夕方〜夜がいいでしょう。
0コメで誰も見てないと思っても独り言のように何かしゃべり続けましょう
とにかくしゃべりましょう。
しゃべることが無くなったら枠を切ればいいんです。
30分やり切る必要はありません。
無言で30分過ごすより、5分喋ってきるほうが印象アップしますよ。
人が来るまで待ち続けるのはあなたの貴重な人生を無駄遣いするだけです。
どんな放送をしたら人が来てくれるのか他の配信者の放送をみて勉強しましょう。
生主というのはリスナーに接待してもらう人のことではありません。
後、リスナーさんからおすすめを紹介して欲しい場合はあなたの好みを書きましょう。
例えば
「どれどれ検索してみる。ああ、こういうの苦手。RPGみたいなのがいいんだよね」
何てやり取り、無駄なんですよ。
リスナーから教えてもらいたい場合は積極的に情報をアウトプットしましょう。
受け身ではいけません。
受け身で人はこないのです。
人に話したら完全に俺が悪いと言われた。 それは認める。まぁでも鬱屈した気持ちをアウトプットさせてほしい。
その人とはもう10年くらいの知人。 最初に出会ったきっかけも忘れた。 インディーズの芸人さんをやっている。 芸風は何でもあり。 漫才もやるし漫談もやるし色々やる人。
今日突然メッセージが来た。「○月○日 25周年記念ライブを○○でやります。 来て!」
この人からはいつもこんな感じでメッセージが来る。 告知・・それはわかる。だけど何でダイレクトにメッセージが来るのかずっとわからずにいた。 で、返信しないことも度々あった。
その日は仕事があり、次の日も朝が早い。 どうしようか迷った。 25周年だし、付き合いもある。でも、何をやるか全く内容がわからない。
で、「何か特別なことするんですか」と返した。 そしたら「言えないけどビッグゲストが来る」と返信がきた。 また何をやるかは書かれていない。
「失礼ですが、あなたの舞台に行く度に知らない人が舞台上にいて(よくつるんでいてその時々で面白いと思ってる人を舞台にあげるらしい)よく知らない過去の話をして正直ポカーンとしてしまいます。 しばらく舞台を見に来ていない人でも楽しめると太鼓判を押していただけるなら参加させていただきます」と。
そしたら「もう来なくていい。25年やってる人間に言う言葉じゃない 二度と誘わない」 と返信が来た。
終わったな と思った。 自分は25年やってきた人のプライドを傷つけた。 その人とはよく行く飲み屋が一緒だ。共通の知人も多い。 顔を合わせたら相当気まずいだろう。最悪殴られるかもしれない。
だけど、自分の気持ちにウソをついてまで耐えられなかった。 たった一言「面白いにきまってるやん」と返してくれればよかった。 悲しい。
追記:ブコメで売れる売れないの話がでたけど、その人は売れる/売れないという価値観からは外れたところをベースにして活動されている。 売れなくてもいいやとは思ってないが、自分のスタイルを曲げてまで売れたい 売れるための行動をしたいとは思わないと思ってやってきたタイプの人 です。
仕事ができない後輩の面倒を見ている。
社内で仕事ができないと噂の彼。いくつか仕事を振ってみたが確かにできない。遅い。
ほんとに噂通りという印象。
本質的に仕事ができないと言うより、仕事のやり方がまだ分かっていないんだろう。
・分からないことがあったら聞く。
・一発完成を狙わず刻む。
こういうことが重要で、みんなそのステップから信頼を得て仕事ができるようになってきた。
どっかの誰かの仕事で躓く
↓
噂が立つ
↓
↓
噂が広まる
↓
↓
仕事にやる気がでない
この流れが抜け出せてない。
こっちも抜け出そうとして裁量を任せたりするけどことごとく悪い結果しか出さないから、最低限しか御願いできなくなってきている。
http://www.tam-tam.co.jp/tipsnote/html_css/post8653.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tam-tam.co.jp/tipsnote/html_css/post8653.html
この記事の内容を読んで有難がる人たちってのは流石にアンテナが低すぎる。
contentEditableなんてだいぶ前から使えるわけだし2016年になって書くような内容じゃない。
企業ブログでこの時代にこういう記事を書くのって自社の技術力の乏しさとか技術に無関心であることをアピールしてるだけで印象が悪い。
入社してもいろいろ挑戦させてもらえなさそうでここで仕事をしたくないと思いました。
ふぐ田ビム夫