はてなキーワード: 退職とは
自称・ベンチャー企業に来て後悔している、というか恨んでいる。自分のいたベンチャー企業なんて、反社会的勢力 隠れ蓑でしかなかった。そこで得たもの、というものはなくて、むしろ父親と学歴と情熱を失った。 だからベンチャー企業とか NPO なんかに社会的な価値を見出して入社する必要なんてない、むしろ新卒採用では JTC に入れよーという話をしていこうと思う。
元スレは
https://anond.hatelabo.jp/20220613020726
https://anond.hatelabo.jp/20220614002648
です。
国立医学部を目指して多浪し挫折したあとに入った大学は早慶未満マーチ以上の偏差値の大学だった。そのため、周りは年が若くなじめないままサークル勧誘期間が終わってしまったのであった。まちがいなく大学内では浮いた存在であったし、自分も馴染む気がなかった。当時の言い方をするならば「ボッチ」であったか。大学に入ってすぐに、一緒に入学した同期の入るだろう会社には入社できないのが自覚できたので、授業が終わったら大学図書館 or バイト先にそそくさとむかっていた。幸いにして、高校時代はプログラミングを部活でしていたので、どこにいっても「卒業したら、うちにこない?」と言ってもらえた。自分は富士通とか野村総研なんかは年齢制限で入れないけど、飯を食べるには困らないだろうな、という確信はその当時に得た。大学の情報工学の内容は高校時代に習得した内容よりも劣っていたので馬鹿にしていたのは、後でボディブローのようにこの怠慢は効いてきた。ここまで書くと大凡のスキルはコーダー程度であることは察していただけると思う。当時に十分にかけていたのは Ruby, JavaScript, Java, PHP と Objective-C、MySQL といった応用領域ぐらいで、大学でやるような R や Haskell なんかの基礎領域は習得してないで、アルゴリズムの勉強はさっぱりだった。まぁ、あんまり優秀な学生ではなかったと思うが、それでも情熱はあったとは思う。真面目な学生ではなかったが、教授には可愛がってもらった。
これが、当時の自分の心境とスキルである。ここから冒頭に書いたような人生がスタートする。あれは、記憶が正しければだけれど、twitter のリプライだっただろうか。当時の自分は他人の設計書を基本として書くということにうんざりしていた。いつの日にか自分の書いたコードで上場するという目標のために本物のベンチャー企業で上場する時を共にしたいというのに、どうやったらそんな会社を見つけ出し、入り込めばよいのか皆目見当がつかなかったのだ。それで、twitter のアカウントを手がかりに、あらゆる募集サイトに「プログラミングする企業に入りたいです」という書き込みをした。なんなら、増田にすらその書き込みをした。それで、色々な人から「うちに来ない?」というリプライをいただいた。正直、嬉しかった。それで、そのうちから「選ぶ」という選択をしなかったのは間違いだった。当時の自分は、それをせずに「サイバーエージェントに紹介しますので、とりあえず勉強会に来ませんか?」という書き込みをみて、ふらふらと雑居ビルの一角にある共有オフィスへと出向いてしまったのだった。タイムマシンがあればこの日に戻って止めると思う。それぐらい後悔する日々が始まるとは当時は思わなかった。
もうすぐ真冬になろうという頃、「サイバーエージェントの正社員になれるかも」という期待で、列車に揺られて前記のビルへ向かった。期待とは裏腹に、妙に古臭いビルであった。ベルを押して、勉強会だという部屋に通してもらうと、若い学生たちがそこにいてプログラミングを勉強しているという。正直、自分も医学部さえ目指さなきゃこういう生き方もあったのだろうな、とは羨ましく思った。自分をオファーしたという人(O氏)は、この勉強会の座長だという。「私は人工知能を研究しており、アメリカで博士号を取得した『天才』数学者で、日本を活気づけるために母国にもどり、この会社を立ち上げました」という。サイバーエージェントではないらしい。あれ?、とは思った。まぁ、無下にはできないので、そこで課題を出されたのを5分ぐらいで終わらせた。伊達に何年もプログラミングをしているわけじゃない。ループで書くべきところを、再帰で書いた。すごいでしょ、オレっちとね。「できました、見てください」というと、O氏はこう言い出した。「ナニコレ?」とO氏。「ええ、再帰ですよ、漸化式みたいな?」と自分。出力は合っているので、O氏も認めざるを得なかったらしいが顔が険しくなっていく。どうも機嫌を損ねたらしい。そうすると、O氏は自分を別室に呼び出して「履歴書は?」と聞いてきた。「勉強会ですよね?」と返すと、「いいから、履歴書!」と言う。にっちもさっちも行かなくなったが、共有オフィスの他社の中国人職員の方が機転を利かせて仲裁してくれた。「そんなに言うのなら、彼にポートフォリオを作らせてみて評価してはいかがでしょうか」と。
イライラしながら帰宅したあと、もう二度と見たくもないO氏の顔とサイバーエージェントの正社員というものを天秤にかけたとき、やっぱりサイバーエージェントにいきたいなーと思った。というか、実は当時に DMM のオファーもあったのだけど、サイバーエージェントの方が良いと思って辞退した。このクソ人間(O氏)を認めさせたら、サイバーエージェントで働けるというのは魅力的だった。それで、Android(Java) + iPhone(Objective-C) でマルバツゲームを作り、 Bootstrap + jQuery と Ruby on Rails と MySQL で集計させてスコアを比較させる、そしてサクラVPSで CentOS で運営するというプロダクトを持っていった。時代を感じますね。閑話休題。ソレを持っていたら、O氏は今回は前回と性格が違った。いきなり、怒鳴りだすのだ。ポートフォリオを見ないで。いわゆる「良い警官・悪い警官」というやつをやろうとしたのだろう。当時はそれがソーシャル・エンジニアリングだと気がつけなかったが、いま思えば以前からナンパとかで良い思いをしていたのだろう。後で書くが、彼はロリコンだ。専門に人工知能を掲げているが、本当はチヤホヤされたいだけで自分は努力せず、インターンの学生にタダでプロダクトを作らせて「弊社は凄いです!」「あわよくば上場して金と名誉はゲット」、そんでもって若い学生のインターンとセックスしたいという真正のクズ野郎だった。自分の深層意識で「こいつはヤバいやつだ」というアラートはビンビン鳴っていたが、「サイバーエージェントの正社員」というニンジンが目を曇らせた。
そのあと、一月ぐらいはそのクソ会社でタダで自社サの修正をやっていた。こんなのもできねーのと思いながら。ある日「別の会社に行こう」といわれ、面接をうける。なぜか O氏も同席で。話を聞いていると、派遣させられるらしい。派遣登録もしてない会社が。「サイバーエージェントじゃない!」と抗議をすると、「俺に恥をかかせるのか!東京で働かせなくするぞ!」と脅され、派遣きまったあとで、履歴書を無理やりかかされた。給料はホームページに書いてあった額の半分、社会保険は無し、年金もなし、保険書もなし、という最悪な条件だった。派遣先はキツかったが、優しかった。それに、派遣当日から転職のオファーをもらった。記憶が正しければ、平日に働いて、土曜日は帰社日、日曜日は勉強会に出席という日々だった。本当に休む暇がなかった。平日はほぼ終電だったのに、土曜日に東京の端っこにこいとか、日曜日は勉強会だから出席しろ、とか本当に辛かった。それでも派遣先の会社には迷惑をかけたくなかったので、期間が終えるまでは必死に働いた。そして、O氏から逃れるために「あなたとは信頼関係が築けない」という文を書いて退職した。そのあと、自分は大学にも行かないで、別の会社に就職した。あと、O氏は給料を払わなかったので、辞めた後に圧力をかけて支払ってもらった。
プログラミングのスキルは働いてもスキルが付くということはなく、自学自習を続けないと上場するのに必要なスキルは身につかないというのもわかってきた頃、父が死んだ。事故死だった。自分は医学部に行けなかったことの申し訳のなさに、東京の大学に行った後は父を邪険に扱っていた。とても後悔した。それで、半年ぐらい真面目に勉強して私立の医学部に入学し、医学部生として留年しない程度には進級はした。しかしながら、ふと寝る前に「プログラマーでいたかったな」と思うことは毎日のようにある。もう医師になるつもりで、プログラマーに戻るつもりは無いが、それでもプログラミングのことは好きで、毎日1時間は時間をつくって勉強している。好きなんだよな、プログラミングが。
最後に、O氏についてだ。あまりに犠牲者が多すぎるのでネット上で事実を書いていったら、裁判所から開示請求が来てしまった。だからここでは本名と社名は書けない。だけれども、若者たちに「ホイホイベンチャー企業にいくと辛い目にあうかもよ?」っていう事例を例示しなきゃ、とは思うので「ヤバいベンチャー企業の実態」について書いていこうと思う。
...という感じ。だから、基本的にベンチャー企業に期待しないほうがいいよ。下手をすると、犯罪の手助けをするようなつらい思いをするよ。もし、仮にベンチャーに行くなら、高給かストックオプションはマストで行こうね。おじさんとの約束だよ。
自分は大学中退のニートだったが、ある日一念発起して小さい会社に就職した。
社員は20人程度だったが、そこでは1.5流の情報系大学中退野郎で何かある前に先回りして自虐してごまかすような、プライドだけは中途半端に高くいクソ雑魚ニートもどきにも優しい会社だった。
小さい会社だからこそ、数学をかじったことがある人がほとんどおらず、論理和、論理積みたいなことをいうだけで驚かれるような会社だった。
そのおかげで運良く高い評価をもらって、またたく間に昇格していった。
また、少人数だからこそ、案件の中心ではなく、案件の周辺のゴミ拾いみたいな仕事が中心だったこともあり、隙間産業ソルジャーとしてのSIerスキルを着々と得ることができた。
最終的には自分の部下になった先輩と小競り合いをして、10年働いた会社を退職した。
自分はもっと上に行ける、と社員200人程度の会社に転職した。
新しい会社では前の会社の最終役職が管理職だったため、管理職ほどではないにせよ、サブリードの立場でオファーにをもらった。
以前の会社では案件をのがしたらそのまま餓死するようなプレッシャーがあったので、仕事を全力で取りに行きつつ人を確保していこう、というやり方が正義だと思っていたのだが、どうも社内政治のようなものに巻き込まれている事に気がついた。
現場の営業との仲は良好だと思っていたが、お互いの上司が自分たちを使って代理戦争をしているような雰囲気を感じるようになった。
仕事じゃない部分に精神をすり減らされる事が多く、辟易していた頃に、自分が所属する部の部長が、パワハラやセクハラを理由に、左遷された。
部長が左遷される頃には、自分もすっかり「この会社でずっとくだらない低次元な社内政治のコマにされるのか」みたいなよくわからない諦念を覚えて、その頃たまたまオファーをもらって転職した。
数年管理職を過ごしたらメーカに転職しよう、外資系に転職した。
それが間違いだった。
これまでの「案件をのがしたらそのまま餓死するようなプレッシャー」を持ったままこんな会社に入ったのは大きな間違いだった。
成長を求めてこの会社に入ったのに、常に極度のプレッシャーに苛まれ、何をしても結果が出たとは思えない日々が続いている。
5年しがみついてきたが、未だに管理職の一つ手前のランクで止まっている。入社から変わらないキャリアランク。
この5年の間に年収はほぼ倍になり、残業代を抜きにしても前職の1.5倍はもらえるようになった。
それでも、どんなに残業しても仕事は減らず、常に叱責され、呆れられ、結果が出せない日々が続く。
結局は、小さい会社では昇格するスキルはあったかもしれないが、大学を中退するようなクソニートには外資系は強すぎる。
つい三日前に、40歳になった。
当初描いていた「外資系の会社で管理職になってハクをつけてからメーカに転職しよう」というプランはすでに崩れている。
先週は産業医面談を進められ仕方なく面談したのだが、その面談で急に泣き出してしまった。40の誕生日を前に泣いている自分も情けないし、それで休職を進められても結局それを黙って、仕事を続けている自分がいる。
結果が出ないのに。
年収も、キャリアも、今がピークであり、ここからは「仕事ができない自分」を受け入れて、成果主義からはじき出されて、そうして生きていくのだと思う。
こうやって仕事ができない自分を受け入れようとすると、別に仕事で自己実現、なんて考えたこともなかったのに、ふと、自分の過去を振り返ると、結局仕事しかできていなかったのだと感じる。
そんな自分が、仕事ですら評価されなくなったら、何で評価されれば良いのだろう。何で結果を出せば良いのだろう。
だけど、もうこれ以上キャリアアップはできないし、ステップアップもできない。
就業規則に掲載されている関連文書を見ることができなかったので、説明会の資料などから探ってみた。
一般職クラスと専門職クラスでも対して給与が変わらない。専門職クラスで基本給が23万円とはいかに。新卒で18万円台や20万円台だと泣いちゃうよ。
横柄で高圧的な営業職。
トップが昭和生まれの立ち振る舞いだからか、営業職の一部がその他職種に対してそう言った雰囲気。
ビジネスモデルもうまくコロナ禍で転換できて、伸びている会社ではあるが、利益が増えても従業員の待遇は変わらないし、他のもっと伸びている会社に転職かな。
採用しても3割が退職する現状を踏まえて、待遇の改善はできないのだろうか。同じ年代の30代前半が続々退職していって、もう選ばれない会社になっているんだなと実感。
三十代半ばまでプログラマーだったけど、やりたいことがあって別の業界に転職した。
自分が新卒のころ、その業界の知名度は今よりもずっと低かったから、どうすればその道に進めるのかずっとわからないでいた。だから、おっさんになってから転職した。
大企業から案件のおこぼれをもらって、それで基礎を学んだ。仕事量は多いけど、手取り 20 万なかった。
仕事に慣れたころ、会社の経営が傾き始めた。他部署の業績悪化が足を引っぱり、テコ入れに精神論を売りにする外部のコンサルを雇うようになった。
自分のいた部署は堅実に売上を伸ばしていたのだけど、そのことが逆に経営層から疎まれ、最後は部門ごと他社へ移籍することとなった。
営業部の力が強く、どの営業担当から案件を回してもらうかで社内での立ち位置が変わった。
営業担当も互いに自分の影響力を伸ばそうと躍起になっていたから、社内はコップの中の嵐というより序列を争うホストクラブのようだった。
ここでも基本的な仕事内容は変わらなかったけど、プログラミングでの開発やブログ記事の執筆もやった。資産管理や部屋の掃除(引き出しはGの排泄物でいっぱいだった)なんかもやった。
書いた記事はまずまずの PV だったと思う。業務上の必要から ISMS も取得したし、案件入札に必要になるからと自前で資格も取った。給料は 5,000 円アップした。
半年くらいいると、世事に疎い自分にも徐々に社内の様子がわかってきた。要は自社経営の IT スクールの受講生を、自社運営の就職サイトで他社に斡旋する、あるいは IT スクールの講師をさせる、そういうカラクリをエコシステムと呼んでいた。
ある日、上司に昼飯に行こうと誘われ、料理を待つ間に派遣先を告げられた。社内にいる人間は人件費がアレだから外に出て稼いで来い、そう営業からお達しがあったと言う。
こうして入社から一年で派遣社員となり、送別の昼飯はワリカンだった。
プロパーどうしは人間関係がちょっとギスギスしており、派遣社員はプロパーに取り入りつつ、ちょっとした手抜きや仮病は見逃してもらっているようだった。
自分は自社の喧騒から距離をおけるようになった分、業務に集中するよう努めた。ただ、毎月サブロク協定の上限まで残業させられるので、月によっては時給換算で 1,000 円ちょっとになってしまうのが痛手だった。
生活のため食費を削っていたし、職場は密閉状態だったから、風邪やインフルで倒れないよう健康にだけは気をつけた。
自分以外の派遣社員はみな二十代で、業務中もゲームに興じる廃課金ユーザーが多かった。意外だったのは、自分たちを派遣先に送り込んだ上司は何のケアもしない高給取りの無能呼ばわりされていたことだった(自分は非常に高スペックな人だと認識していた)
年を越して、4/1 から自社に引き揚げて開発プロジェクトに投入されるという話が進んでいることを知った。どうも次年度の契約で派遣先と折り合いがつかず、交渉が決裂したようだ。派遣先の課長が「あなたの会社の営業さんはなんであんな(強気)なんスかね?どうにかなんないんスか?」とこぼしていたが、何の権限もない自分にはどうしようもなかった。
ただ、自社に戻って開発をしたり、上司や営業と顔を合わせてやりとりをする自分はどうしても想像できなかったので、自社の場当たり的な方針に依存するわけにもいかないだろうと強く自分に言い聞かせていた。
タイムリミットが迫るにつれ、次年度の希望を聞かれる機会が何度かあった。自分は業務優先で返事を先延ばしにしながら、周囲に悟られないよう履歴書を用意したり、面接を申し込んだりして少しずつ転職活動を進めていた。
年度末を迎え、担当営業からメールで次の配属先の発表があった。自分は最後まで希望を伝えなかったこともあり、おつかれさまでしたの一言だけだった(これは自分が悪いのでしかたがない)上司とは結局、送別の昼飯以降は会うことがなかったように思う。
数日後、本社に出向いて退職手続を済ませ、4 月中旬までに希望の 1 社に絞って面接をくりかえしたり、SPI を受検したり、必要書類を揃えたり、そこそこ忙しかった。
ここまでくるのに 4 年ほどかかったけど、正直言うと本当に大変だったのはここからだったと思う。
まわりの若い同僚はこれまで見てきた人たちと違って教えられたことをすぐに再現できたり、適切に応用することができる人たちばかりなので、そこからさらに 4 年間は取り残されないよう無理をしたと思う(実際、ちょっと体を壊してしまった)
今の職場も仕事量が多くて辛抱の毎日だけど、もう少しがんばってみようと思っている。
……
ちょうど 10 年くらいになるので、これまでの整理の意味で振り返っておこうと思った。
就職氷河期世代だから貯金だけはするようにしていて、老後の備えは何とかなるかもしれない。
おっさんになって人生をやり直す形になってしまったけど、いつも懸命だったし、自分との約束は守れたんじゃないかな(と思いたい)
世間的にはやっぱり席を譲らない=モラル皆無のクソ野郎扱いを受けることが多いと思いますが、自分なりに色々考えた末の信念なので言い訳というか理由の説明をこの場でいたします。
まずは意地でも座りたい理由の説明から。何と言っても会社と家が遠いこと。タイトルでは上京と言ったものの、自分は今千葉駅に住んでいて、千代田区にある会社まで1時間以上電車に乗って通っている。
就職を機に引っ越してきたので家の選択肢はそれこそいくらでもあったわけだが、東京でウサギ小屋みたいな家に住むより多少広い家に住みたかったので会社から遠い駅に住むことにした。会社の近くだと倍ではきかなそうな広くて綺麗な家に住めて非常に満足している。
かといって長い通勤をずっと座っているのも大変だろうなと思い、朝は確実に座れる始発駅の千葉駅周辺に住むことにした。大学に行くのに常にバイクに乗っていたこれまでの生活からは想像もできないくらい
電車に乗る時間は増えたけど、読み通り朝は100%座れるし意外と帰りの電車でも結構早い段階から座れることが分かったので大変満足している。
前書きが長くなったが、ここまでで言いたいことが何なのかというと、「絶対に座るために頭を使って住む場所を考えている」ということだ。それだけ電車で座ることに対する思いが強いことを留意していただきたい。
では、その上でなぜ「年寄には」席を譲らないのか。それは端的に言って自分が年寄を敬うべき存在、守られるべき存在だと考えていないからだと思う。言うまでもなく少子高齢化が進むこの国で不必要に(本当に不必要かは分からないが)
出歩く年寄に席を譲る必要があるだろうか?自分は全くないと思う。ふらふら出歩いている年寄より働いている若者の方がどう考えても疲れてるし大事にされるべき存在だとさえ思う。
100歩譲って出歩くにしても電車を使わずにタクシーに乗るとか通勤ラッシュの時間とはずらすとかいくらでも融通は効く立場だろうにわざわざ混むと分かっている時間にのこのこ出歩く神経が理解できない。
特にスーツを着て革靴を履いたサラリーマン風の年寄にはどんなによぼよぼに見えても絶対に席を譲らない。働ける体なら当然電車にも乗れるはずだし電車に耐えられないならさっさと働くのはやめて後進にポストなり仕事なり譲るべきだと思うので。
グダグダと会社にしがみつくくらいなら頼むから潔く退職して少しでも未来のある若人にパイを回してくれ。
以上、今日の帰りの電車で目の前に立っているサラリーマン風の年寄と横にいた60手前くらいの部下らしきオッサンにめちゃくちゃ見られ続けて少しイラついたので自己正当化の文章をしたためた。
あくまでも自分が席を譲らないのは年寄に対してだけで、妊婦さんとか見るからにけがをしている人とか、疲れを親に訴えている子供とかには席を譲るようにしている。子供はマジ日本の宝。
何の気無しにそのおじさんの名前をググってみた。
…前科ありだった。
ネットニュースにもなっていた。
職務経歴書と照らし合わせても本人確定だ。
なぜ人事は気づかなかったのか。
私はいつも仕事の不備を見つけては上司に報告して、一時的に余計な仕事を増やしている人間だ。(結果不備は解消され、結果的には健全な状態にはなるが)
だから今回の件を報告すると、「また面倒なことを…」と思われる可能性大だ。
なので今回の件はまだ誰にも言っていない。
と思うとなかなか踏み出せない。
とは言ってもこの爆弾を自分一人で抱えているといつか自分がおかしくなりそうなのでここに投下しておく。
社内の誰かがこの爆弾を拾って爆発させてくれる日を待ちたいと思う。
そもそもは契約書と異なる就業条件で働かされていたのに棚に挙げられて。
正社員で入ったけど同期4人はとっくに辞めてて私が最後の1人だった。(半年経ってないけど)
とにかく金、金、金の会社で
営業はとにかく金を作れ、事務は金を生まない。サンプル品だって使い終わったらジャンクで売れ。
掃除業者を雇う金すらなく、全員で掃除。ゴミ袋は勿体ないからギリギリまで使え。
退職して清々する一方で、こんな会社にしか内定もらえなかったんだなと思うと悲しくなった。
転職活動においても書類選考で落ちるのがほとんど、面接まではいっても短期離職で説教くらったり不採用がほとんど。
今の会社だって本当は一般事務で活躍するはずが、毎日飛び込み営業で断られ自尊心ボロボロな中で、転職活動で自分という商材を売り込んで断られまくって更に自尊心ボロボロ。
私は無価値だとつくづく思うようになり、死にたくなった。
「死にたい」で検索して出るあらゆる窓口、20箇所くらい電話したけど
どこも混み合ってる。
私も死にたいんだけど。
事情は違うと思うけど、やばくない?
自費診療になると思うと予約やめとこうと思う。
マジで今月無一文なんだよ。。。
はっきり言って全くのデタラメなので信用しない方がいい
ぶっちゃけその手の育成は自分の会社のルールを押し付けてるだけであって社会通念上の育成とはほど遠い
外部の研修メニューを選んできているように見えても結局はグループ会社とか退職再雇用とかそういう人ばかり
おまけに選んでるのはその会社の人事部だから如実に企業文化が反映される
まぁそれでもまだ外部の研修を入れているのはマシな方で
「2年前まで営業やってました」「去年製造部から異動してきました」とかの育成素人が研修を作ってる
それなりに本でも読んだのか、それっぽい感じにはしてるんだけど
良くあるのが「我が社の改革案をブレストして資料にまとめて発表」とかいうゴミ研修
参加させられてる社員はクソどうでも良い部長レベルの話を聞かされるし
部長も忙しいのにアホみたいな研修に参加させられて「我が社の改革案」みたいなのを聞かされる
「そうか!社内教育頑張ってるな!」
「日本企業は社内で育成してる!」
みたいなノリも多い
そもそもPCの中身がなんなのか分かってないしOSの役割がなんなのかも分からんしHTTPがどういう思想で通信してるか分かってないのに
とりあえずAWSの研修だけ受けさせてポチポチしたらそれっぽいのができるような人材だけ作って育成した気になってる
結局は表面的にAWSを使えるようになってるだけなのでAWS側の仕様が変わったり新しいのが出てきたら全然使えない
じゃぁそういう高度な育成をやってくれるのはどこか?っていうと、そりゃ大学ですよ
それなりの大学で計算機科学でも勉強したらそれなりに教えてくれる
企業側は大学でこういう専門性をちゃんと教えているってことを無視して「地頭の良さ」「やる気や熱意」「人当たりの良さ」とかを採用基準にしてる
凄いことに育成やってるのも採用やってるのも同じ人事部っていうね
自分たちが育成出来てないということに目を瞑って採用は素材の良さを求めるとかとち狂ってる
結局刺身に出来ないから丸ごと焼いて食べてる、みたいなことを平気でやってる
まぁそんな感じで日本の企業は主に人事部がゴミだから社員を育てているようで全く育たないので