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2022-06-14

ベンチャー企業就職させられて後悔している

自称ベンチャー企業に来て後悔している、というか恨んでいる。自分のいたベンチャー企業なんて、反社会的勢力 隠れ蓑しかなかった。そこで得たもの、というものはなくて、むしろ父親学歴情熱を失った。 だからベンチャー企業とか NPO なんかに社会的価値見出し入社する必要なんてない、むしろ新卒採用では JTC に入れよーという話をしていこうと思う。

スレ

https://anond.hatelabo.jp/20220613020726

https://anond.hatelabo.jp/20220614002648

です。

国立医学部を目指して多浪挫折したあとに入った大学早慶未満マーチ以上の偏差値大学だった。そのため、周りは年が若くなじめないままサークル勧誘期間が終わってしまったのであった。まちがいなく大学内では浮いた存在であったし、自分も馴染む気がなかった。当時の言い方をするならば「ボッチ」であったか大学に入ってすぐに、一緒に入学した同期の入るだろう会社には入社できないのが自覚できたので、授業が終わったら大学図書館 or バイト先にそそくさとむかっていた。幸いにして、高校時代プログラミング部活でしていたので、どこにいっても「卒業したら、うちにこない?」と言ってもらえた。自分富士通とか野村総研なんかは年齢制限で入れないけど、飯を食べるには困らないだろうな、という確信はその当時に得た。大学情報工学の内容は高校時代習得した内容よりも劣っていたので馬鹿にしていたのは、後でボディブローのようにこの怠慢は効いてきた。ここまで書くと大凡スキルコーダー程度であることは察していただけると思う。当時に十分にかけていたのは Ruby, JavaScript, Java, PHPObjective-CMySQL といった応用領域ぐらいで、大学でやるような R や Haskell なんかの基礎領域習得してないで、アルゴリズム勉強はさっぱりだった。まぁ、あんまり優秀な学生ではなかったと思うが、それでも情熱はあったとは思う。真面目な学生ではなかったが、教授には可愛がってもらった。

これが、当時の自分の心境とスキルである。ここから冒頭に書いたような人生スタートする。あれは、記憶が正しければだけれど、twitterリプライだっただろうか。当時の自分他人設計書を基本として書くということにうんざりしていた。いつの日にか自分の書いたコード上場するという目標のために本物のベンチャー企業上場する時を共にしたいというのに、どうやったらそんな会社を見つけ出し、入り込めばよいのか皆目見当がつかなかったのだ。それで、twitterアカウントを手がかりに、あらゆる募集サイトに「プログラミングする企業に入りたいです」という書き込みをした。なんなら、増田にすらその書き込みをした。それで、色々な人から「うちに来ない?」というリプライをいただいた。正直、嬉しかった。それで、そのうちから「選ぶ」という選択をしなかったのは間違いだった。当時の自分は、それをせずに「サイバーエージェントに紹介しますので、とりあえず勉強会に来ませんか?」という書き込みをみて、ふらふらと雑居ビル一角にある共有オフィスへと出向いてしまったのだった。タイムマシンがあればこの日に戻って止めると思う。それぐらい後悔する日々が始まるとは当時は思わなかった。

もうすぐ真冬になろうという頃、「サイバーエージェント正社員になれるかも」という期待で、列車に揺られて前記のビルへ向かった。期待とは裏腹に、妙に古臭いビルであった。ベルを押して、勉強会だという部屋に通してもらうと、若い学生たちがそこにいてプログラミング勉強しているという。正直、自分医学部さえ目指さなきゃこういう生き方もあったのだろうな、とは羨ましく思った。自分オファーしたという人(O氏)は、この勉強会の座長だという。「私は人工知能研究しており、アメリカ博士号を取得した『天才数学者で、日本を活気づけるために母国にもどり、この会社を立ち上げました」という。サイバーエージェントではないらしい。あれ?、とは思った。まぁ、無下にはできないので、そこで課題を出されたのを5分ぐらいで終わらせた。伊達に何年もプログラミングをしているわけじゃない。ループで書くべきところを、再帰で書いた。すごいでしょ、オレっちとね。「できました、見てください」というと、O氏はこう言い出した。「ナニコレ?」とO氏。「ええ、再帰ですよ、漸化式みたいな?」と自分。出力は合っているので、O氏も認めざるを得なかったらしいが顔が険しくなっていく。どうも機嫌を損ねたらしい。そうすると、O氏は自分を別室に呼び出して「履歴書は?」と聞いてきた。「勉強会ですよね?」と返すと、「いいから、履歴書!」と言う。にっちもさっちも行かなくなったが、共有オフィスの他社の中国人職員の方が機転を利かせて仲裁してくれた。「そんなに言うのなら、彼にポートフォリオを作らせてみて評価してはいかがでしょうか」と。

イライラしながら帰宅したあと、もう二度と見たくもないO氏の顔とサイバーエージェント正社員というものを天秤にかけたとき、やっぱりサイバーエージェントにいきたいなーと思った。というか、実は当時に DMMオファーもあったのだけど、サイバーエージェントの方が良いと思って辞退した。このクソ人間(O氏)を認めさせたら、サイバーエージェントで働けるというのは魅力的だった。それで、Android(Java) + iPhone(Objective-C) でマルバツゲームを作り、 Bootstrap + jQueryRuby on Rails と MySQL で集計させてスコア比較させる、そしてサクラVPSCentOS運営するというプロダクトを持っていった。時代を感じますね。閑話休題。ソレを持っていたら、O氏は今回は前回と性格が違った。いきなり、怒鳴りだすのだ。ポートフォリオを見ないで。いわゆる「良い警官・悪い警官」というやつをやろうとしたのだろう。当時はそれがソーシャルエンジニアリングだと気がつけなかったが、いま思えば以前からナンパとかで良い思いをしていたのだろう。後で書くが、彼はロリコンだ。専門に人工知能を掲げているが、本当はチヤホヤされたいだけで自分努力せず、インターン学生にタダでプロダクトを作らせて「弊社は凄いです!」「あわよくば上場して金と名誉はゲット」、そんでもって若い学生インターンセックスしたいという真正クズ野郎だった。自分の深層意識で「こいつはヤバいやつだ」というアラートはビンビン鳴っていたが、「サイバーエージェント正社員」というニンジンが目を曇らせた。

そのあと、一月ぐらいはそのクソ会社でタダで自社サの修正をやっていた。こんなのもできねーのと思いながら。ある日「別の会社に行こう」といわれ、面接をうける。なぜか O氏も同席で。話を聞いていると、派遣させられるらしい。派遣登録もしてない会社が。「サイバーエージェントじゃない!」と抗議をすると、「俺に恥をかかせるのか!東京で働かせなくするぞ!」と脅され、派遣きまったあとで、履歴書を無理やりかかされた。給料ホームページに書いてあった額の半分、社会保険は無し、年金もなし、保険書もなし、という最悪な条件だった。派遣先はキツかったが、優しかった。それに、派遣当日から転職オファーをもらった。記憶が正しければ、平日に働いて、土曜日は帰社日日曜日勉強会に出席という日々だった。本当に休む暇がなかった。平日はほぼ終電だったのに、土曜日東京の端っこにこいとか、日曜日勉強会だから出席しろ、とか本当に辛かった。それでも派遣先の会社には迷惑をかけたくなかったので、期間が終えるまでは必死に働いた。そして、O氏から逃れるために「あなたとは信頼関係が築けない」という文を書いて退職した。そのあと、自分大学にも行かないで、別の会社就職した。あと、O氏は給料を払わなかったので、辞めた後に圧力をかけて支払ってもらった。

プログラミングスキルは働いてもスキルが付くということはなく、自学自習を続けないと上場するのに必要スキルは身につかないというのもわかってきた頃、父が死んだ。事故死だった。自分医学部に行けなかったことの申し訳のなさに、東京大学に行った後は父を邪険に扱っていた。とても後悔した。それで、半年ぐらい真面目に勉強して私立医学部入学し、医学部生として留年しない程度には進級はした。しかしながら、ふと寝る前に「プログラマーでいたかったな」と思うことは毎日のようにある。もう医師になるつもりで、プログラマーに戻るつもりは無いが、それでもプログラミングのことは好きで、毎日時間時間をつくって勉強している。好きなんだよな、プログラミングが。

最後に、O氏についてだ。あまり犠牲者が多すぎるのでネット上で事実を書いていったら、裁判所から開示請求が来てしまった。だからここでは本名と社名は書けない。だけれども、若者たちに「ホイホイベンチャー企業にいくと辛い目にあうかもよ?」っていう事例を例示しなきゃ、とは思うので「ヤバいベンチャー企業実態」について書いていこうと思う。



...という感じ。だから基本的ベンチャー企業に期待しないほうがいいよ。下手をすると、犯罪の手助けをするようなつらい思いをするよ。もし、仮にベンチャーに行くなら、高給かストックオプションマストで行こうね。おじさんとの約束だよ。

2022-06-13

ステップアップは無理だと悟った40歳の初夏

自分大学中退ニートだったが、ある日一念発起して小さい会社就職した。

社員20人程度だったが、そこでは1.5流の情報大学中退野郎で何かある前に先回りして自虐してごまかすような、プライドだけは中途半端に高くいクソ雑魚ニートもどきにも優しい会社だった。

小さい会社からこそ、数学をかじったことがある人がほとんどおらず、論理和論理積みたいなことをいうだけで驚かれるような会社だった。

そのおかげで運良く高い評価をもらって、またたく間に昇格していった。

また、少人数だからこそ、案件の中心ではなく、案件の周辺のゴミ拾いみたいな仕事が中心だったこともあり、隙間産業ソルジャーとしてのSIerスキルを着々と得ることができた。

最終的には自分の部下になった先輩と小競り合いをして、10年働いた会社退職した。

退職時、年収は400万もなかった。

自分もっと上に行ける、と社員200人程度の会社転職した。

新しい会社では前の会社の最終役職管理職だったため、管理職ほどではないにせよ、サブリードの立場オファーにをもらった。

以前の会社では案件をのがしたらそのまま餓死するようなプレッシャーがあったので、仕事を全力で取りに行きつつ人を確保していこう、というやり方が正義だと思っていたのだが、どうも社内政治のようなものに巻き込まれている事に気がついた。

現場営業との仲は良好だと思っていたが、お互いの上司自分たちを使って代理戦争をしているような雰囲気を感じるようになった。

仕事じゃない部分に精神をすり減らされる事が多く、辟易していた頃に、自分所属する部の部長が、パワハラセクハラ理由に、左遷された。

部長左遷される頃には、自分もすっかり「この会社でずっとくだらない低次元社内政治コマにされるのか」みたいなよくわからない諦念を覚えて、その頃たまたまオファーをもらって転職した。

退職時、年収は500万もなかった。

数年管理職を過ごしたらメーカ転職しよう、外資系転職した。

それが間違いだった。

これまでの「案件をのがしたらそのまま餓死するようなプレッシャー」を持ったままこんな会社に入ったのは大きな間違いだった。

成長を求めてこの会社に入ったのに、常に極度のプレッシャーに苛まれ、何をしても結果が出たとは思えない日々が続いている。

5年しがみついてきたが、未だに管理職の一つ手前のランクで止まっている。入社から変わらないキャリアランク

この5年の間に年収はほぼ倍になり、残業代を抜きにしても前職の1.5倍はもらえるようになった。

残業代を入れれば桁が変わるレベルにもなった。

それでも、どんなに残業しても仕事は減らず、常に叱責され、呆れられ、結果が出せない日々が続く。

結局は、小さい会社では昇格するスキルはあったかもしれないが、大学中退するようなクソニートには外資系は強すぎる。

つい三日前に、40歳になった。

当初描いていた「外資系会社管理職になってハクをつけてからメーカ転職しよう」というプランはすでに崩れている。

先週は産業面談を進められ仕方なく面談したのだが、その面談で急に泣き出してしまった。40の誕生日を前に泣いている自分も情けないし、それで休職を進められても結局それを黙って、仕事を続けている自分がいる。

結果が出ないのに。

多分ここからは、転げ落ちていくだけなのだと思う。

年収も、キャリアも、今がピークであり、ここからは「仕事ができない自分」を受け入れて、成果主義からはじき出されて、そうして生きていくのだと思う。

こうやって仕事ができない自分を受け入れようとすると、別に仕事自己実現、なんて考えたこともなかったのに、ふと、自分過去を振り返ると、結局仕事しかできていなかったのだと感じる。

そんな自分が、仕事ですら評価されなくなったら、何で評価されれば良いのだろう。何で結果を出せば良いのだろう。

だけど、もうこれ以上キャリアアップはできないし、ステップアップもできない。

すでに天井に達してしまった、という実感をいだきながら、あと何十年仕事をすれば良いのか。

今日も5時間残業しながら思うのである

中途3年がたち、転職ゲージが満杯になった

就業規則掲載されている関連文書を見ることができなかったので、説明会資料などから探ってみた。

給与レンジが低い。

一般職クラス専門職クラスでも対して給与が変わらない。専門職クラスで基本給が23万円とはいかに新卒で18万円台や20万円台だと泣いちゃうよ。

横柄で高圧的な営業職。

トップ昭和生まれの立ち振る舞いだからか、営業職の一部がその他職種に対してそう言った雰囲気

ビジネスモデルもうまくコロナ禍で転換できて、伸びている会社ではあるが、利益が増えても従業員待遇は変わらないし、他のもっと伸びている会社転職かな。

採用しても3割が退職する現状を踏まえて、待遇改善はできないのだろうか。同じ年代の30代前半が続々退職していって、もう選ばれない会社になっているんだなと実感。

anond:20220613104536

おう!退職すれば貰えるぞ。

多くの人は定年まで勤めて、年金で毎月分割受け取りが多い。

一時金でまとめてもらうのは途中退職者

anond:20220613082959

仕事できないなら休職とか考えないで退職してくれというのが会社側の希望です

2022-06-12

anond:20220611203422

三十代半ばまでプログラマーだったけど、やりたいことがあって別の業界転職した。

自分新卒のころ、その業界知名度は今よりもずっと低かったから、どうすればその道に進めるのかずっとわからないでいた。だからおっさんになってから転職した。

 

最初は小さな会社だった。

大企業から案件おこぼれをもらって、それで基礎を学んだ。仕事量は多いけど、手取り 20 万なかった。

 

仕事に慣れたころ、会社経営が傾き始めた。他部署の業績悪化が足を引っぱり、テコ入れ精神論を売りにする外部のコンサルを雇うようになった。

自分のいた部署は堅実に売上を伸ばしていたのだけど、そのことが逆に経営からまれ最後部門ごと他社へ移籍することとなった。

図らずもまた一から出直しとなった。

 

次も小さな会社だった。

営業部の力が強く、どの営業担当から案件を回してもらうかで社内での立ち位置が変わった。

営業担当も互いに自分の影響力を伸ばそうと躍起になっていたから、社内はコップの中の嵐というより序列を争うホストクラブのようだった。

 

自分のいた部署は古いマンションの一室をあてがわれた。

ここでも基本的仕事内容は変わらなかったけど、プログラミングでの開発やブログ記事執筆もやった。資産管理や部屋の掃除(引き出しはGの排泄物でいっぱいだった)なんかもやった。

書いた記事はまずまずの PV だったと思う。業務上必要から ISMS も取得したし、案件入札に必要になるからと自前で資格も取った。給料は 5,000 円アップした。

半年くらいいると、世事に疎い自分にも徐々に社内の様子がわかってきた。要は自社経営IT スクールの受講生を、自社運営の就職サイトで他社に斡旋する、あるいは IT スクール講師をさせる、そういうカラクリエコシステムと呼んでいた。

 

ある日、上司に昼飯に行こうと誘われ、料理を待つ間に派遣先を告げられた。社内にいる人間人件費がアレだから外に出て稼いで来い、そう営業からお達しがあったと言う。

こうして入社から一年派遣社員となり、送別の昼飯はワリカンだった。

 

派遣先大企業系列会社だった。

仕事内容は変わらず、むしろそれだけに専念できてよかった。

プロパーどうしは人間関係がちょっとスギスしており、派遣社員プロパーに取り入りつつ、ちょっとした手抜きや仮病は見逃してもらっているようだった。

自分は自社の喧騒から距離をおけるようになった分、業務に集中するよう努めた。ただ、毎月サブロク協定の上限まで残業させられるので、月によっては時給換算で 1,000 円ちょっとになってしまうのが痛手だった。

生活のため食費を削っていたし、職場は密閉状態だったから、風邪インフルで倒れないよう健康にだけは気をつけた。

自分以外の派遣社員はみな二十代で、業務中もゲームに興じる廃課金ユーザーが多かった。意外だったのは、自分たちを派遣先に送り込んだ上司は何のケアもしない高給取りの無能呼ばわりされていたことだった(自分は非常に高スペックな人だと認識していた)

 

年を越して、4/1 から自社に引き揚げて開発プロジェクトに投入されるという話が進んでいることを知った。どうも次年度の契約派遣先と折り合いがつかず、交渉が決裂したようだ。派遣先課長が「あなた会社営業さんはなんであんな(強気)なんスかね?どうにかなんないんスか?」とこぼしていたが、何の権限もない自分にはどうしようもなかった。

ただ、自社に戻って開発をしたり、上司営業と顔を合わせてやりとりをする自分はどうしても想像できなかったので、自社の場当たり的な方針依存するわけにもいかないだろうと強く自分に言い聞かせていた。

 

タイムリミットが迫るにつれ、次年度の希望を聞かれる機会が何度かあった。自分業務優先で返事を先延ばしにしながら、周囲に悟られないよう履歴書を用意したり、面接を申し込んだりして少しずつ転職活動を進めていた。

 

年度末を迎え、担当営業からメールで次の配属先の発表があった。自分最後まで希望を伝えなかったこともあり、おつかれさまでしたの一言だけだった(これは自分が悪いのでしかたがない)上司とは結局、送別の昼飯以降は会うことがなかったように思う。

 

数日後、本社に出向いて退職手続を済ませ、4 月中旬までに希望の 1 社に絞って面接をくりかえしたり、SPI を受検したり、必要書類を揃えたり、そこそこ忙しかった。

 

翌月、大企業入社した。

給料は今の業界に来る前の水準に戻った。

ここまでくるのに 4 年ほどかかったけど、正直言うと本当に大変だったのはここからだったと思う。

まわりの若い同僚はこれまで見てきた人たちと違って教えられたことをすぐに再現できたり、適切に応用することができる人たちばかりなので、そこからさらに 4 年間は取り残されないよう無理をしたと思う(実際、ちょっと体を壊してしまった)

 

今はその業務から離れ、別のところに出向している。

今の職場仕事量が多くて辛抱の毎日だけど、もう少しがんばってみようと思っている。

 

……

 

ちょうど 10 年くらいになるので、これまでの整理の意味で振り返っておこうと思った。

就職氷河期世代から貯金だけはするようにしていて、老後の備えは何とかなるかもしれない。

おっさんになって人生をやり直す形になってしまったけど、いつも懸命だったし、自分との約束は守れたんじゃないかな(と思いたい)

 

あと、今週で IEサポートが終了するので、お気をつけください。

2022-06-11

同僚が退職代行で辞めた

弊社、商社

内勤営業及び事務で成り立っているが事務も内勤営業をさせる。

これは社長意向で。

事務で入ってきたAさんはすごく真面目に取り組んでた。

電話はすごく丁寧だけど日報を見る限り売上は全然だった。

それを見て、取締役ノルマを与えた。

ノルマ不履行なら課長監督不行届として始末書を書かせるとも書かれていた。

その日以降、毎日100件近く電話してたが、営業成績は伸びていなかった。

しかし、事務仕事を与えられたらすごく上手にやっているようだった。

それを買われて、監査役と共に別拠点での大切な業務まで連れていかれていた。

今思うとその翌日から様子がおかしかった。

事務パフォーマンスも下がって電話も元気がなかった。

そして、ある日突然来なくなった。

理由は誰にもわからなかった。

仲のいい同僚に聞いたら、退職代行を使って辞めたらしい。

なんでだろう。

2022-06-10

新卒上京してから年寄には」席を譲らないと決めた。

タイトル通り、年寄りには席を譲らないと決めています

世間的にはやっぱり席を譲らない=モラル皆無のクソ野郎扱いを受けることが多いと思いますが、自分なりに色々考えた末の信念なので言い訳というか理由説明をこの場でいたします。

まずは意地でも座りたい理由説明から。何と言っても会社と家が遠いこと。タイトルでは上京と言ったものの、自分は今千葉駅に住んでいて、千代田区にある会社まで1時間以上電車に乗って通っている。

就職を機に引っ越してきたので家の選択肢はそれこそいくらでもあったわけだが、東京ウサギ小屋みたいな家に住むより多少広い家に住みたかったので会社から遠い駅に住むことにした。会社の近くだと倍ではきかなそうな広くて綺麗な家に住めて非常に満足している。

かといって長い通勤をずっと座っているのも大変だろうなと思い、朝は確実に座れる始発駅の千葉駅周辺に住むことにした。大学に行くのに常にバイクに乗っていたこれまでの生活から想像もできないくら

電車に乗る時間は増えたけど、読み通り朝は100%座れるし意外と帰りの電車でも結構早い段階から座れることが分かったので大変満足している。

前書きが長くなったが、ここまでで言いたいことが何なのかというと、「絶対に座るために頭を使って住む場所を考えている」ということだ。それだけ電車で座ることに対する思いが強いことを留意していただきたい。

では、その上でなぜ「年寄には」席を譲らないのか。それは端的に言って自分年寄を敬うべき存在、守られるべき存在だと考えていないからだと思う。言うまでもなく少子高齢化が進むこの国で不必要に(本当に不必要かは分からないが)

出歩く年寄に席を譲る必要があるだろうか?自分は全くないと思う。ふらふら出歩いている年寄より働いている若者の方がどう考えても疲れてるし大事にされるべき存在だとさえ思う。

100歩譲って出歩くにしても電車を使わずタクシーに乗るとか通勤ラッシュ時間とはずらすとかいくらでも融通は効く立場だろうにわざわざ混むと分かっている時間にのこのこ出歩く神経が理解できない。

特にスーツを着て革靴を履いたサラリーマン風の年寄にはどんなによぼよぼに見えても絶対に席を譲らない。働ける体なら当然電車にも乗れるはずだし電車に耐えられないならさっさと働くのはやめて後進にポストなり仕事なり譲るべきだと思うので。

グダグダ会社にしがみつくくらいなら頼むから潔く退職して少しでも未来のある若人にパイを回してくれ。

以上、今日の帰りの電車で目の前に立っているサラリーマン風の年寄と横にいた60手前くらいの部下らしきオッサンにめちゃくちゃ見られ続けて少しイラついたので自己正当化文章をしたためた。

あくまでも自分が席を譲らないのは年寄に対してだけで、妊婦さんとか見るからけがをしている人とか、疲れを親に訴えている子供かには席を譲るようにしている。子供はマジ日本の宝。

2022-06-09

評価が下がったので退職する

一度評価が下がったので退職しま

意気地無しなのかもしれませんが

これからも2度と上がることがなさそう

評価の内容が曖昧すぎる

相対的位置がわからない

不透明

本社勤務ばかり昇進していく

仕事は増えても給与は増えない

賞与割合高いのでもう夏も期待できない

anond:20220609091522

退職行使われるような会社人間ならそのレベルの話もするだろうねw

anond:20220609091231

今めちゃくちゃ悪口言われてるぞ

退職代行だって~ギャハハウケるー😂

みたいに

仕事辞めた

パワハラ、ドケチ契約と違うことやらされてる。

もう耐えられない。

穏便に辞めようと思ったが無理だった。

今朝退職代行に頼んだら、すんなり終わった。

昨日の理不尽な引き止めは何だったんだ。

今日からニート

ちなみに朝は抑鬱で体が重くて、何もしたくない。

アニメドラマも好きだったけど見る気力がない。

何してすごしゃいいんだろう?

ちな一人暮らし

2022-06-08

anond:20220608201100

就活しても給料待遇は低め安定で子どもができたら退職させられるんでしょ舐めてんの

大きな爆弾を抱えてしまった

職場に新しいおじさんが入社してきた。

何の気無しにそのおじさんの名前をググってみた。

前科ありだった。

ネットニュースにもなっていた。

職務経歴書と照らし合わせても本人確定だ。

なぜ人事は気づかなかったのか。

はいつも仕事の不備を見つけては上司に報告して、一時的に余計な仕事を増やしている人間だ。(結果不備は解消され、結果的には健全状態にはなるが)

から今回の件を報告すると、「また面倒なことを…」と思われる可能性大だ。

なので今回の件はまだ誰にも言っていない。

報告したら当然退職に向けて様々な部署が動くんだろうな…

社内リソースを浪費させてしまうのだろうな…

と思うとなかなか踏み出せない。

とは言ってもこの爆弾自分一人で抱えているといつか自分おかしくなりそうなのでここに投下しておく。

社内の誰かがこの爆弾を拾って爆発させてくれる日を待ちたいと思う。

こころホットライン20箇所全部「大変混みあっております

今日会社人間と激しい口論になり辞めることになった。

私だけでなく私の家族まで人格否定

そもそも契約書と異なる就業条件で働かされていたのに棚に挙げられて。

正社員で入ったけど同期4人はとっくに辞めてて私が最後の1人だった。(半年経ってないけど)

とにかく金、金、金の会社

営業はとにかく金を作れ、事務は金を生まない。サンプル品だって使い終わったらジャンクで売れ。

抱き合わせてでも売れ。ゴミにはしない。

どんどん溜まって行き普通商品との垣根もなくなる始末。

掃除業者を雇う金すらなく、全員で掃除ゴミ袋は勿体ないかギリギリまで使え。

クリアファイルだって買うの勿体ないから客に送るのさえ中古

封筒その他販促品は、完成した物を買うと高いか手作り

切手等は全部金券ショップで買う。

色んな会社見てきたけどここまでケチ会社は初めて見た。

退職して清々する一方で、こんな会社しか内定もらえなかったんだなと思うと悲しくなった。

転職活動においても書類選考で落ちるのがほとんど、面接まではいっても短期離職で説教くらったり不採用ほとんど。

結局誰でも受かるであろう特定派遣しかとってもらえなかった。

今の会社だって本当は一般事務活躍するはずが、毎日飛び込み営業で断られ自尊心ボロボロな中で、転職活動自分という商材を売り込んで断られまくって更に自尊心ボロボロ

私は無価値だとつくづく思うようになり、死にたくなった。

死にたい」で検索して出るあらゆる窓口、20箇所くらい電話したけど

どこも混み合ってる。

ねえ、もしかして皆も死にたいの?

私も死にたいんだけど。

事情は違うと思うけど、やばくない?

ちなみに今日保険証取り上げられたので、予約してた心療内科

自費診療になると思うと予約やめとこうと思う。

マジで今月無一文なんだよ。。。

anond:20220608180712

採用担当やけど

何がやりたいか、でいいんやで

退職理由とか聞きたくない

2022-06-07

日本企業社員を育てる気なんて無いよ

よく日本企業外資系と違って育成に熱心とかいうのを聞くけど

はっきり言って全くのデタラメなので信用しない方がいい

かに入社一年目とか二年目とかはいろんな研修が多いけど

ぶっちゃけその手の育成は自分会社ルール押し付けてるだけであって社会通念上の育成とはほど遠い

外部の研修メニューを選んできているように見えても結局はグループ会社とか退職再雇用とかそういう人ばかり

おまけに選んでるのはその会社人事部から如実に企業文化が反映される

まぁそれでもまだ外部の研修を入れているのはマシな方で

酷い会社(うちとか)は自分たちで研修メニュー作ってやってる

「2年前まで営業やってました」「去年製造から異動してきました」とかの育成素人研修を作ってる

それなりに本でも読んだのか、それっぽい感じにはしてるんだけど

所詮は付け焼き刃なのでボロボロになってる研修をよく見る

良くあるのが「我が社の改革案ブレストして資料にまとめて発表」とかいゴミ研修

一年目とか二年目ならまだプレゼン練習になるのかもしれんけど

十年目とかの研修でまだそれをやってるのはマジでヤバい

「それでは最後に〇〇部長総評をどうぞ」

とかやる奴はダメ研修典型

参加させられてる社員はクソどうでも良い部長レベルの話を聞かされるし

部長も忙しいのにアホみたいな研修に参加させられて「我が社の改革案」みたいなのを聞かされる

人事部はこういうゴミのような研修を組んで幹部かに

「社内人材を教育しています

「そうか!社内教育頑張ってるな!」

日本企業は社内で育成してる!」

ってなってるだけで全然人材は育ってない

「DX人材必要だ!」

AWSが使える人材が足りてないらしいぞ!」

AWS研修を受けさせて育成しよう!」

みたいなノリも多い

そもそもPCの中身がなんなのか分かってないしOS役割がなんなのかも分からんHTTPがどういう思想通信してるか分かってないのに

とりあえずAWS研修だけ受けさせてポチポチしたらそれっぽいのができるような人材だけ作って育成した気になってる

結局は表面的にAWSを使えるようになってるだけなのでAWS側の仕様が変わったり新しいのが出てきたら全然使えない

じゃぁそういう高度な育成をやってくれるのはどこか?っていうと、そりゃ大学ですよ

それなりの大学計算機科学でも勉強したらそれなりに教えてくれる

企業側は大学でこういう専門性ちゃんと教えているってことを無視して「地頭の良さ」「やる気や熱意」「人当たりの良さ」とかを採用基準にしてる

人材は社内教育出来ると思ってるから素材の良さを求めてる

凄いことに育成やってるのも採用やってるのも同じ人事部っていうね

自分たちが育成出来てないということに目を瞑って採用は素材の良さを求めるとかとち狂ってる

料理できないのにマグロを柵で買ってきてる感じ

普通に刺身買ってこいよ売ってるだろアホかよ

結局刺身に出来ないから丸ごと焼いて食べてる、みたいなことを平気でやってる

まぁそんな感じで日本企業は主に人事部ゴミから社員を育てているようで全く育たないので

向上心があって自己成長したい人は普通に大学に入って勉強してください

間違っても日本企業で成長できるとか思わない方が良いです

2022-06-06

タイミング

施設長目指してた同期。

施設長に慣れなくて、退職した二ヶ月後。

施設候補の私がくも膜下出血で倒れた。

あと二ヶ月我慢すれば施設長になれたのにね。

タイミングって解らないね

anond:20220606122041

あんまり辛いなら退職行使うのも手やで

自分の身は自分しか守れんからそういう時は自分ファーストで考えてええんや

転職したらあんなとこに義理立てするの時間無駄だったと思えるようになるで

anond:20220606121327

そうだな

いや完全にその通りだと思う

ただ心が弱り過ぎていて、「辞めた後自分行為がどんな迷惑をかけるか」とか「退職交渉時の上司の拒絶」とかでさえ勝手ダメージを受けてしまってるんだ

けどもうちょっと頑張ってみる

心が疲れて仕事辞めたいんだけど仕事を辞めるだけのエネルギーが沸いてこなくてどうすればいいのかわからない

社内に攻撃的な人がいて、その人から攻撃されるのがもう限界

一応仕事会社についての愛着はあって、可能な限り円満に辞めたい

けど私がもっている業務がいろいろあり過ぎて、上司執拗に止められるし退職交渉するのも引継ぎ資料作るのも心の力が足りなくて全然はかどらない

上司は頑張って守ってくれてはいるんだけど私のメンタルがもう限界勝手にいろいろ考えてダメージを負ってしまっている状態

辞めたいんだけど辞めるのも面倒くさい時、みんなどうしてるんだ

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