はてなキーワード: 退職とは
俺もそうだけど転職癖がある人はブラックしか入社しないんだよな
とある中小企業に勤務している。弊社が買収されの子会社になったのを機に役員が退任し、新任の役員がやってきたわけだが、そのうちの1人がまあ「どうしてそんな狙い撃ちで地雷を踏み抜けるんだ?」というくらい色んな社員の地雷を踏んでいくので実に困っている、と言う話をする。特定が怖いのでフェイク・ぼかしが入る点はご容赦いただきたい。
元々弊社はベンチャーあるあるなのかどんぶり勘定なところが多く、特に経費精算など数字周りは雑だったが、時流に乗って一気に成長した。そんな会社だからコロナなどの変化に耐え切れずに瓦解しかけたもののなんとか持ち直し、なんやかんやあって今に至る。
問題の役員は親会社に入社後すぐ、社内の立て直し等の名目で弊社にやってきた。色々なことを直していくのはいいが、その過程で多くの従業員を疲弊させてしまっている。例を挙げると、月末の締め作業でクソ忙しい事務の社員を集めて3時間にわたる会議をさせ、改善案が出るまで帰るな的なことを言い出す、これまで長く働いてくれたアルバイトの学生が改善提案を持ってくると「バイトなのになんでそんな責任感持っちゃってんの?」みたいな説教を垂れる、業務効率化してある程度手が空いた社員に対し朝礼で「○○さんは仕事してないから」と発言する、客観的に見て業務過多な社員に対し「効率化できてないんじゃない?キーボードのタッチが遅いんだよ」と言い放つなど、ほぼ毎週どこかしらで引き起こしている。これが部署内で終わればまだマシなのだが、自分以外の社員は自分の指示で動かしていいと認識しているのか、他部署の社員であっても自分の思いつきを実行させようとし、それに反発した社員はあらゆる角度から妨害してくる、ということもしてくる。
増田も子供ではないので、ある程度の理屈は理解できる。業務改善は急務だから急ぎでやるべきだし、バイトは正社員に比して責任を取る必要が少ないからバイトなんだし、仕事量が減ったなら分散して対処すべきだし、減らすために何か効率化を求めるのは当然だ。ただ「どうしてそう言ったら相手のやる気は地に落ちると気付かない?」というシーンがあまりにも多すぎる。
40〜50代とかにありがちなことなのか?とも思うが、これが原因で複数社員から退職の意向が聞かれているのは由々しき問題だ。どうにかして言い方など改善できんもんかね。
産婦人科でおめでとうと言われた。
夫もなんだかんだ嬉しそうだった。
親にいつ報告するかを夫と相談してて母子手帳をもらってからにしようと考えていた。
さて、この期間にいつ会社に報告するか就業規則を改めて見直した。
安定期に報告するのが一般的だろう。ただ、業務負荷が高めなので早めにと思った。
それ以外就業規則に記載されていない。休めても無給。ボーナスも寸志のみ。
現在事情があって一馬力なので、雇用保険と健康保険での手当や支給がたとえあっても、
4ヶ月から6ヶ月、給与が毎月振り込まれないのは生活が詰むことが見えている。
育児休業給付金の仕組み自体が給付を受けられることはありがたいが、必要な時に支給されない無給期間が発生する。
これでは固定費以外の支払いができる気がしない。振り込まれない間に天引きされない住民税も降ってくる。(免除や延納制度があればいいのだが)
妊娠は病気ではないから免除もされない。産休育休を取得は義務で就業禁止であるがその間の生活費や子どもを育てる費用は考慮されていないようだ。
子どもがいる家庭を持つ方々に聞いたら口を揃えて「会社を辞めたほうがいい」と言われてしまった。
数年前、私の中途入社と同時期に育児休暇から復帰した先輩が半年もせずに
無意味な拠点変更からの自主退職に追い込まれたことを鮮明に思い出した。
女性社員は全体の1/4だが、結婚している人はいても産休育休を取っている人はいない。もう辞めていなくなってしまったのかもしれない。
妊娠初期でつわりというものを経験し、長距離の運転や出張は難しいだろうし、吐き気と眠気そして出血との戦いでは今の仕事は続けられないこと、
今までずいぶん無理をしていたことを実感してしまった。妊娠検査薬と超音波検査で妊娠がわかったあとすぐ納期が決まっている出張があったため予定通りにこなした。
出張終わりの出血、これが流産の始まり。突然の出来事と大量の出血に涙も恐怖もおさまらなかった。
先日の検査で流産が確定しているが、つわりは続いているし、次の診察で胎盤が残っていたら手術することになる。
毎日出血と吐き気と嘔吐や下痢による脱水でふらふらしている。手足の痺れも取れない。
突然泣いてしまうくらいに情緒も不安定、ホルモンのせいとはいえ異常な状態なのに休む理由には不十分。
今となっては流産になってよかった気がする、分かった瞬間はたくさん泣いたし夫と話していた友人にも慰めてもらった。でも今は正直ホッとしている。わたしにはまだ子どもを産んでも環境が整った、自分にも気持ちの余裕がある状態で育てられる気がしない。今まで築いたキャリアを手放したくはない、シングルマザーになる勇気もない、それは貧困への道筋の一つになる可能性が高いから。
コロナ禍にも慣れてきたころ、改めて転職を決意し繁忙期の間の時間をぬって面接を始めた。中小企業の制度では限界がある、子どもを持つ家庭への配慮があるところ、人員の体制や気持ちの余裕があるところで今後はキャリアを積んでいきたい。
夫には申し訳ないが二馬力でやっと安心して産めると思うので、子作りする元気があるなら働いて欲しい。とはいえ、女性が男性の配偶者を扶養に入れた状態で子どもを産もうとしたら、生活が詰むような制度そのものも改善が必要ではないか。4か月無給でもなんとか生活して子どもを死なせないように養育せよと。女性には子どもを産む産まないも経済的な理由で選べないのだろうか。経済的な理由で中絶手術を選ばざるを得なくなっているのも、社会保障制度がそもそも子どもを産み育てる年代に焦点をあてた支援になっていない。
たまたま宿った50日の命が教えてくれたこと、どこで働くかを考え直すきっかけになりました。少しの間私の身体ですごして、身体への変化を大きくもたらしてくれて、ありがとう。おなかにいるとおもったから頑張れたこともあって、いなくなってからのつわりは本当にしんどくてつらい。母子手帳もらう前だったから何の支援も受けられないし、職場にも打ち明けられないし、自分で抱えるしかない。
もともと特別仲が良かったわけではなくて,よく空気のような存在とか言うけど,いなくては寂しいけど一緒にいればそれなりに喧嘩もして,なんとなく一緒に暮らすようになって,親も結婚結婚と煩くなり,半分以上はそれが原因で,のこりは不安定な関係がすこし落ち着いて,その空気に近いようなものになるのを期待して,俺から言い出して結婚した。彼女はその後しばらく無理やり結婚させられたと言っていたけど,子供が生まれた頃にはそれもあまり口にしなくなった。彼女はもともと精神的に不安定な人で,気分が悪いといって連絡もせずに仕事を一週間くらい休むようなこともあって,そんなに調子が悪いのなら医者にかかってはどうだというと医者は嫌だ自分で治す,自分は自律神経失調症でたぶん精神科にかかることになる,そうすれば薬漬けになる,私はそういう人を知っている,薬で常にぼうっとしている,自分はそんな風になるのは嫌だと言われた。子供が生まれた後は輪をかけて不安定になって,俺もそれほどストレスに強い方ではないから,お互いにつらい思いをしたんだと思う。俺は俺で仕事が上手く行かなくなり,家に帰れば彼女がそんな状態で,ある日突然職場に行けなくなり,職場から精神科の受診を薦められて,うつの診断を受けた。彼女が言ってた薬漬けの状態になり,仕事は休職して,自宅で過ごすことになった。仕事というのはそれなりに精神力を使うものだったようで,自宅でなにもしない生活をしているうちに,復職が怖くなってきた。休職と復職を繰り返すようになって,結局その職場は退職することになった。彼女は生活に不安はあったものの,やり繰りの能力は俺よりはるかに高かったから,半年は凌げるからとりあえず心配しなくていい,自分にあった仕事をさがしたらと言ってくれた。辞めて半月もしないうちにたまたまあまり変わらない条件で雇ってくれるところがあって,うつであることを隠して就職した。新しい職場は勢いもあり,上司も俺を買ってくれていたので,忙しいながらも充実した毎日だった。妻もその時期は比較的安定していたようだったけど,働き始めて半年後,その上司が突然亡くなった。職場の体制も代わり,それまで期待されていたのが傍流になり,また仕事が辛くなってきて,ほとんどやけでお義理程度の仕事をして過ごした。すさんだ気持ちが家での態度にも出ていたんだろう,彼女にも相当のストレスをもたらしていたようで,そのことを何度か口にしていた。それまでは彼女と子供と一緒の部屋で寝起きしていたのだけど,なにかのきっかけで俺だけ別の部屋で寝起きするようになり,彼女と子供の寝室に入ろうとすると嫌がられるようになった。そのままだらだらと何年か過ごしていたのだけれど,ある日役員から呼び出しがかかり,職務態度を理由に降格か自主退職を迫られ,不服もあったけど職場での自分の態度も好きでは無かったし,たいして思い入れのある職場でもなかったので,何も考えずまた退職した。ただ呼び出しがかかった時点ではなんとなく退職を迫られるのではないかと思っていて,それまでそれなりに安定していた精神状態が一気に不安定になって,職場から彼女に退職することになるかもしれないと電話をすると,思い込みだけでいちいち電話して来ないでくれと言われた。結局思い込みでもなんでも無かったのだけど,前の転職より条件は悪くなるだろうから,今より狭い部屋に引っ越さなくてはならないかもしれない,そうしたらまたみんなで一緒の部屋で寝起きするようになるかもしれないけどどうすると聞くと,仲がいいわけでもないのに一緒に寝起きできるわけ無いよねと言われた。この言葉にはさすがに俺もショックを受けて,もう何もかも嫌になって,内服をさぼって大量に手元にあった精神安定剤20錠くらいを酒で流しこんで,あやふやになる意識で,このまま救急車で運ばれて,その先で死んだらなんにも考えなくていいなあなんてぼんやり考えていたら,どうやら自分で救急車を呼んだらしく,気がついたら部屋で寝ていて,腕には採血されたらしく絆創膏が貼ってあって,彼女から薬を飲んで自分で救急車を呼んで近所の病院に運ばれた,救急隊員に昔の職場に運んでくれと言っていたらしい,連絡先がわからず実家に連絡が行き,病院に親と兄弟が呼ばれて,そのうち彼女に連絡が取れたらしいのだけど,過去に辛いことがあると何度か大量に薬を飲んでフラフラになっていたのを知っていたので,また俺の嫌がらせだと思って今すぐ行かないとだめかと答えた,来ないと困ると言われたので子供と一緒にタクシーで迎えに行った,医者はこの程度の量ならたいして問題ないと言われたので連れて帰ってきた,近所は何事だと思っているだろう,という説明をされた。その頃からもう家族である必要もないしたぶん別れたほうが楽だろうなと思い始めた。友人に散々諭されたので,それから大量に薬飲むような事はしていない。彼女は働いていないし,家に金を入れずに何ヶ月も過ごすほど余裕も無かったので,知人が紹介してくれた,それほど興味もなかった職場に入職した。給料が下がって生活も苦しくなったので,どうも彼女も危機感を感じたらしく,働き出したようだ。保証人になってくれと言われたのでなにか書類を書いたのは憶えているけど,どこで働いているのか,いつ働いているのかも知らない。そのうち家で一言二言交わしてた会話も全く無くなり,ここ数ヶ月は全く口も利いていない。大体帰ると彼女らの部屋から彼女の子供を叱る声が聞こえてきて,一度それがストレスになるからもうすこし声を抑えてくれと言うと,必要だから叱っているのでそれは無理だと言われた。子供はなついてくれてて,俺が帰ってくると俺の部屋に来て,その日あったことを一通り説明して彼らの部屋に帰っていく。食事は用意してくれている。一度当直のときは言ったほうが良いかとメールで聞いても返事が無かったので,食事が不要な時も何も伝えていないから,家に帰ろうが帰るまいが用意しているのだと思う。用意しなかったときは食事してきてくれとメールがあったけど,夕食は家で取らないからもうメールはいらないと返事すると,それ以降なにも返事がなかった。でも相変わらず夕食は用意されている。もう彼女と俺との関わりはこの夕食だけで,もうそれすら俺は嫌になっている。子供に対しての叱り声やあきれたような声は相変わらず聞こえてくる。声が大きくなると俺はそれに合わせてオーディオの音を大きくする。そうしないとやりきれない。退職を機に再発したうつで精神科からもらっている薬を飲む。それでもちっとも変わりゃしない。俺の残りの人生はたぶんこの繰り返しだろう。もう生きるのが面倒くさい。同じくらいに離婚も面倒臭い。いいことなんかあるはず無いし,あったとしてもたいして興味もない。今日寝てそのまま目が覚めなかったとしても,後悔することが何もない。子供はかわいそうだけれど,母親にはとてもなついているし,まだ小さいので,父親がいなくなるのは早いほうが多分いいだろう。傷つくとしても小さくて済むと思う。生活は遺族年金があるだろうし,俺の生命保険もでるだろうから,相応の生活は送れるんじゃないだろうか。だから家族のことも心残りにならない。仕事はもとからどうでもいい。友人とはしばらく会っていない。俺が死んで困る人はいないと思う。誰かが悲しむことも想像できない。むしろ望まれているようにすら思う。一番望んでいるのは俺自身だ。ここまできたら死ねばいいと思うけど,怖くてなかなか死ねない。歩道を歩いてて車が突っ込んでくれるとか,そういうのを毎日期待して過ごしている。もう残りの人生は心の底から要らない。そして,なんでここにこんな事を書いているのかもわからない。
@@ -42,11 +42,11 @@ ちょうど納品が終わって暇な時期だったこともあってテスターAは「キラ・ワレ子、絶対ヤバいよ」と言いながら引き継ぎを済ませたことにして僕の会社を退職してしまった。 -でも次の開発サイクルは当然やってきて最初に音を上げたのはテスターAだった。 +でも次の開発サイクルは当然やってきて最初に音を上げたのはテスターBだった。 -キラ・ワレ子が自分のテスト仕様書作成をテスターAに押し付けようようとしたから。 +キラ・ワレ子が自分のテスト仕様書作成をテスターBに押し付けようようとしたから。 -テスターAはなぜ仕事を他人に押しつけてまでチームに居座ろうとするんだと大変な剣幕だった。 +テスターBはなぜ仕事を他人に押しつけてまでチームに居座ろうとするんだと大変な剣幕だった。 プロジェクトマネージャーも含めてチーム全員で話を聞くとキラ・ワレ子は、
双極性障害。それが俺に付けられた病名だ。
もともとプログラムが好きで、子供のころからBASICなんぞでゲームを作って遊んでいた。好きが高じて大学もコンピュータ系の学部に進み、大学院まで出た。当然のように就職先もSIerだった。
30を過ぎた頃、炎上プロジェクトに投入された。2000年代初頭だ。この頃、残業規制など今ほど厳しくなく、残業時間は年間1000時間弱。月平均で80時間。立派に過労死ラインだ。月80時間残業しようとすると、大体土日も出勤するようになる。それでいて、平日は普通に出勤だ。
最初の症状は不眠だった。もともと仕事が増えると寝つきが悪くなる傾向にあったのだが、それが常態化し始めた。それで、不眠に効くというメラトニンの錠剤を個人輸入して服用し始めた。これのおかげで、何とか眠れるようにはなった。
それがかえって良くなかったのかもしれない。炎上プロジェクトは炎上し続け、俺のチームは朝から終電まで働き続けた。そして、俺の症状は徐々に悪化し始めた。たまの休日は寝て過ごすようになった。何かをするのが億劫になり始めた。
そして、勤怠が悪くなり始めた。遅刻が増えた。仕事中に居眠りをするようになった。居眠りと言っても、よくあるような眠気を感じて寝てしまうのではなく、いきなり何の前触れもなく電源が落ちるような感じだ。我慢が足りないとかそういう問題ではなかった。
そんな俺を周囲はただの怠け者のように見るようになった。上司は俺に対して「居眠りをしたら、残業しても時間を認めない」などと言い出した。今なら多分労基行きだろう。
症状はどんどん悪化していった。仕事に集中できなくなり始めた。集中できないから残業が増える。悪循環だ。ある時タイムカードの計算に午前中いっぱいかかってしまったことがあった。ただ時間を集計するだけの単純作業に3時間もかかるほど、能率は落ちていった。
そんな俺を、周囲は白い目で見ていた。「なんだこの怠け者め」という感じだろうか。ある時、面と向かって「給料泥棒」とまで言われた。言い返す気力もなかった。俺は自分を責めた。「なんで俺はこんな怠け者になったんだ?」と。客観的に自分を観る余裕などなくなっていた。
さらに症状は悪化した。廊下でどうにも気分が悪くなり、へたりこんだ。会議中ずっと机に臥せったまま過ごしたこともあった。だが、周囲は俺を心配することも、注意することすらなかった。
そして、決定的におかしくなった。夜眠れない。朝起きられない。起きても頭が睡眠不足のように鈍重に感じるようになった。遅刻が連続して上司に「真面目に働く気があるのか?」と詰められた。
さすがに自分でもおかしいと思い、自分の症状をネットで調べてみた。うつ病だった。すぐに精神科に予約を取り、やっと「うつ病でしょう」と言われた。
この時、やっと安心できたのを覚えている。安心のあまり、滂沱のごとく涙があふれ出た。「自分は怠け者でも無能でもなく、病気だったのだ」と。
3年間の激務の結果は想像以上に深刻だった。1年間の休職期間はあっという間に過ぎ、退職になった。それでもうつ病が寛解することはなく、その後10年以上に渡って俺を苦しめ続けた。ついに病名が「双極性障害」に変わった。以前は躁うつ病と呼ばれていた病名だ。うつ病が中途半端に続くと、こうなることもあるらしい。
そして50歳になった。今さらこの歳で正社員で雇ってくれる会社などなく、派遣で食いつなぐのが精一杯だ。結婚などとうに諦めた。自分ひとりを養うのもままならない男と結婚したい女などいないだろう。
お前らに声を大にして言っておきたい。
ベンチャーキャピタルで働いていた。いじめられて、どうしようもなくなって退職した。いじめてきた上司や、そのやりとりを見て笑っていた某企業の従業員のことを忘れたいのに忘れられない。どこにも吐き出すことができなかったからか。だから、ここに記した。さようなら、ゴミのような思い出。
令和3年12月11日に発生した浦和競馬場所属きゅう務員が関与する事件について、令和4年1月31日、埼玉県浦和競馬組合処分委員会を開催し、行政手続法に規定する手続きを経て、本日、下記のとおり処分を行いましたのでお知らせいたします。
(1)発生日時 令和3年12月11日(土)22時頃
(3)発生概要
・事件当日の21時頃から、発生場所となったスナックにおいて、浦和競馬きゅう舎関係者13名を含むグループで宴席を行った。
・宴席の途中で、きゅう務員1名が、上半身裸になり身体に手指消毒用アルコールジェルを塗った同席者1名に、ふざけてライターの火を近づけたところ引火し、同席者は火傷を負って救急搬送された。
・同日、火を付けたきゅう務員は逮捕され、翌12日に送検された。その後、12月21日に不起訴となった。
2 処分対象者 12名(宴席参加者13名中、1名は1月31日付けで退職)
3 処分内容 別添のとおり
(1)コロナ禍において、主催者から忘年会自粛の通知があったにもかかわらず宴席を設け、または参加した。
(2)店舗に設置された手指消毒用アルコールジェルを身体に塗布する迷惑行為を行い、また、同席者の身体にライターの火を近づけたことが、引火による負傷を誘引した。
家から出掛けるときに「これしていって」と渡されたのはイオンの力でウイルスやら花粉やらPM2.5やらを除去できると謳うカードだった。
胡散臭くて断ったけれど、そりゃ断わられた方は機嫌を損ねる。
そんな理不尽なことがありここ数日考えていたんだけれど、ニセ科学って肉眼で見えないことをとことん利用しているなと思った。
というか前提。
騙される消費者にとっては、放射線がDNAを傷つけることと、上述のカードがイオンでウイルス等を除去することは、同時に事実として受け入れられるのだ。
なぜなら肉眼では見えないから。
ただし騙される消費者も、ただでは騙されんぞとペラペラの科学リテラシーを装っている。
メーカーはそのことを承知しているため、サイトに実験結果を載せて科学的事実であることを強調する。
それを見た消費者は、装っていた科学リテラシーや常識といった建前を全力で蹴っ飛ばし信じてしまう。
騙されないためには。
自分がその分野について無知であることを知っていれば、上述の実験も、日常生活に適応できかつ妥当性のある実験かどうか「判断できないことが自ずと分かる」ため、安易に受け入れなくなる。
自分だって科学リテラシーありますと胸を張って言えるほどじゃないし、今回だって疑心が先に立ったから断っただけだ。
なお、あとで検索したら類似の商品が消費者庁から根拠なしのお墨付きをもらっていた。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOHC230FT0T21C20A2000000/
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/2106/25/news152.html
とまぁそんな事を考えているときに、桝太一さんが科学の伝え方を研究するべく日テレを退職したとニュースがあって、思わず拍手した。
日本に住む人々の科学リテラシー、というか科学的商品に対する消費者としての望ましい態度を向上させてくれることを願ってやまない。
雇用の流動化が叫ばれる昨今、労働者の退職は珍しいものではなくなった
そんな昨今の労働環境は、経営者目線から見ると退職金の支払いを他の経営者に押し付けるゲームだ
日本の正社員の給料体系は月給は低め、その分を退職金に回し、さらに税制上も退職金には非課税措置が取られる事で
一人の労働者にできるだけ長く止まって仕事に熟練してもらうことにウエイトを置いて設計されている
逆に労働者が取り替え可能であるならば、経営者としては出来るだけ退職金を払わない方が安月給で労働者をこき使えるので得だと言える
この点から見て、昨今のカジュアルに退職していく労働者は経営者にしてもありがたい
会社が中途採用してるんだけど、ついに女性活躍!子育てしやすい環境ですっていう文言を外して、残業多いですアピールをしてた
うちの機関はかなり女性活躍に力を入れてて、その筋では有名だったみたいだけれども、そのカバーを非常勤や独身、男性にさせてて不満が強くなり、中には体を壊す人も出てきてた
その結果復帰した社員を激務部署に送り込むことになり、退職するケースがかなり増えてたし、女性活躍って損害しかなくね?馬鹿馬鹿しいなぁと思ってた
最近はコロナで子供がいる家庭からのコロナ感染が増えてたし、マジでいいことない感が増してた
妻帯者なのに複数の女性と関係を持ってトイレでもやっちゃうくらい自我が強い男が好きな女性って、結構たくさんいるんじゃないかなって思うんですよね。
自覚と自我なら自我が勝つ、自我は誰にも止められないみたいな男。多分ベンチャー企業とかにいっぱいいる男。
そういう人についていくのって気持ちいいんじゃないかと思うんですよね。なんでも強い意志で引っ張ってくれて自分の中で曖昧になっていることも推し進めてくれるから。自分の意思というものが希薄で空っぽな人ほどそうなんじゃないかと思うんですよね。
例えば東洋経済オンラインだとこうなる。
https://www.google.com/search?q=%E3%83%AF%E3%82%B1%E3%80%80site%3Ahttps%3A%2F%2Ftoyokeizai.net
成果をあげない人ほど働き、「忙しい」と嘆くワケ
https://www.google.com/search?q=%E3%83%AF%E3%82%B1%E3%80%80site%3Ahttps%3A%2F%2Fpresident.jp
「急いで金持ちになろうとしてはいけない」伝説の投資家バフェットが繰り返しそう説くワケ
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なんでこんなに「ワケ」を多用するのか。
RPAに助けられた人もいるよって話だけど、RPAを盲信してるわけではないので大変だったことも書く(RPAが大変っていうより導入支援を担当してたITコンサル企業がクソ)
生存者バイアスだと思うのであくまでこういう人もいるんだくらいで読んでね
大手企業一般職(RPA業務経験)→中小SI企業SE→派遣RPAエンジニア
【経緯】
私は2016年に新卒で大手企業に一般職として入社して、2017年の1〜3月頃に所属部署にRPAが導入された。
最初はITコンサルが私の担当業務(日次で行う定型業務)を自動化して持ってきたのだが、正常稼働しないポンコツだったのでそれをまともに動くものにすることから始まった。
私は暇だったのでたまたま対応できたけど、多分他の人だったら積んでたと思う。(別の課にも導入されたが、動かないまま放置されてた)
なお、その時の私のスキルは、Excel関数は得意、VBAはボタンを押したらシートを印刷するマクロを作ったことがあるという程度のレベルだった。
当時の状況は以下だ(ツールはUipath)
・パソコンの処理速度によって、正常稼働したりしなかったりする。
→これはRPAで疲れ果てた方も言ってたやつ。
Delayで◯秒待機というのが置かれてたり、それすらなかったりしたのを、操作対象(ウィンドウやボタンなど)の存在を確認するまで待機するアクティビティを配置して対応した(タイムアウト時間を設定して、それを超えたらエラーとなる)
→これ自体は動作に影響はないのだが、同じ修正をそれぞれのプロセスにかけないといけないので、共通動作は1つのプロセスにまとめて、それを各プロセスから呼び出すように変更した。
→RPA化するにあたりITコンサルが作ってくれたのだが誤りだらけだったので組み直した。
上記に対応したらRPAとVBAのスキルが身につき、なおかつ担当業務が自動化されて更に暇になったので、新規でRPAプロセスやExcel,AccessVBAツールを開発したり、既存のレガシーExcel,AccessVBAツールの改修などを行っていた。
業務自体は楽しかったのだが、通勤時間が長く、低賃金で職場の近くに引っ越すこともできなかったので自宅(実家)から近い(それでも1時間弱かかる)会社(中小SI企業)に転職した。
本当はプログラミングをやりたかったのだが、そこではBIツールの画面開発とDBのテーブルやViewの作成とかをやってた。
1年ほど勤めていたが、体調の都合により退職した。
その後結婚をして半年ほど専業主婦をやってたが、体調も安定したのでフルリモートでできる派遣の仕事を探してたらRPAエンジニアを募集してたので申し込んだ。
無事受かったので、今は大手企業の業務部門内のRPA開発チームでRPAの開発を行なっている。(使用ツールは日本企業での導入が少ないので伏せます。)
業務の傍ではなく、主業務として開発を行なっているので、しっかりとしたプロセスができていて感心している。
今は派遣だが、社内試験を受かれば正社員になれるので、今後何事もなければここで働き続けるつもりだ。(育休産休時短勤務があるので、働きやすそう)
給料も高くなり、働く環境も良くなったので、新卒で入った会社でRPA担当できてラッキーだったなと思っている。
ちなみに私自身のRPAの認識は、システム化できないものをRPA化するというよりは、システムとシステムの橋渡しをしてあげるものだと思ってます。システム間の連携すら本来はシステム化されるといいんだけどね!
九州在住・27歳で年収450万くらい。年齢・業種・職種・地域を考えると多分そんなに安くない方だとは思う。
東京フルリモートの求人増えたから競合のそこそこのとこに内定決まっちゃった。
今職場だと自分はリーダー勤めてて、完全にその経験が活きた感じ。
お給料は200万くらいアップ。まあこれは東京と九州の体力の差って感じ。
退職の意向告げると「○○さんならフルリモートでいいよ(今は週2リモート)」とか「役職手当つけるよ」とか「仕事にやりにくい部分とかあったらなるべく意に沿う形にするよ」とか「なんか違うなって思ったらすぐ戻ってきてくれていいよ」とか
提案いっぱいしてくれて、今の職場、人間関係は良好だし自分の裁量でかいし何かとゆるーいし、給料以外の要素は現職の方が何もかもが上だと思ってる。
なんか単純にお給料高い競合他社に転職ってちょっと心苦しいなぁって。
経験積まれて他で通用する人材になったら東京の企業に逃げられるって地方の企業としては結構きつそう。
世の中そんなもんだよね。。。
わたくしごとですが、8年勤めたNTTを退職しました。多少のフェイクをいれますが、概ね働いていた当時感じたことを率直に残したいと思います。
賃下げ問題について文春砲が炸裂していますが、持ち株や経営層が途方も無いアホさを露呈してくれているので、ただの一個人の退職記録ですがそういうアホたちに少しでも刺さればいいなと思って書き残します。
はてなのみんなが鬼舞辻無惨ぐらい憎んでいるSIerで働いていました。
ロールとしてはいわゆるプロジェクトマネージャーというやつで、一番嫌われる役どころでした。他にも、出向に近い形で他のNTTグループ会社に支援で入ることもありましたが、その際はITコンサルタントだったりプロジェクトマネージャーだったり色んなロールで支援していました。
個人的な退職動機としては、知人からいいお誘いをいただいたからという点につきます。ちなみに知人も同じグループで働いていた人です。
転職先は米国のクソデカIT企業です。
もとの会社においても、一般的なSIerと比較すると悪くない給料を貰っていたと思います。それでも辞める決断をしたのは、以下の理由があります。
まあ実際は一番最後の理由に尽きます。違う国の会社、というだけで同じような仕事・職責でも倍ぐらいお金を貰えるというのは衝撃的でした。
自分がいた会社しか知らないのでそこを中心に書きます。
僕がいた会社では主なキャリアパスがプロジェクトマネージャーということもあり、プロジェクトを前に進める上で重要なスキルを備えた人が非常に多くいました。某掲示板などでは丸投げ屋だと揶揄する向きもかなりありますが、プロジェクトマネジメント自体はかなりの特殊スキルであると同時に汎用的なビジネススキルもかなりの練度で身につくタイプのロールでした。
チームで業務を行う仕事(=世の中のほとんどすべての知的労働)に応用のきく、基本的なビジネススキルを鍛え上げることのできる会社でした。
など、どんなビジネスの現場においても役に立つスキルをその辺の一般社員が当たり前に備えているのは、非常に良い環境だったと思います。誰かと協働することが非常に楽にできる職場でした。社会人として当たり前だろ、というように思う方もいるかも知れないですが、意外と上記を一通り高いレベルで当たり前にできる人というのは稀有な存在だと思います。
もちろんこれだけではなく、技術領域においてもそれなりの専門分野を持っていないとPMはできないのですが、それを抜きにしても上記をみんなが当たり前に備えた環境というのは素晴らしかったと思います。
僕は素晴らしい上司にめぐまれたこともあり、幸いにも若いうちからかなりいろいろな経験をさせていただくことができました。
入社後3年目ぐらいで数億円規模かつ20名程度のマネジメントを含むプロジェクトマネージャー業務など、若いうちから非常に大きな裁量を持った仕事を振られるのはあの会社ならではのことだったと思います。
当然協力会社さんのほうが年齢も上で経験豊富なベテランのメンバーなどを相手にリーダーとして働かないといけないのですが、そういった環境で周りの色々な知恵やスキルを吸収できること・経験できることは非常に良かったと思います。
お互い真剣に仕事をしているので、時にはそういったベテランと大喧嘩することなどもありましたが、未だに一緒に飲みに行くぐらいには強い信頼関係を築くこともできました。
なお、初年度などはいわゆるエクセルスクショ試験(笑)の担当などの下積みもしっかりやりましたが、あれは無駄に思える一方で、「誰でもできる簡単な仕事」をこなしつつ現場の業務プロセスを覚える、という点では案外悪くない仕組みかなとも思えました。難度の高い仕事をしていたら目の前のことでいっぱいいっぱいになってしまって、周囲を見ながら仕事をすることは難しいので。
上で書いたような業務面での成長環境はもちろん、制度面でも成長を支援する仕組みは整っていました。
手を挙げれば海外案件に挑戦できるなど。日本のSIerでは珍しいと思いますが、数年単位の海外赴任をしている人も結構いました。(オフショア先とかではなく)
また、社内・グループ内の公募制度があり、行きたい部署にいきなり手を上げて異動することなどもできました。自分の伸ばしたいスキルや経験したい業務に応じて環境を変えられる制度が整っていたのは非常に良かった点でした。
いま入社を迷っている若い人がいたら、自信を持っておすすめできます。
それなりに出るボーナスや家賃補助など、通り一遍あるとうれしいな、というような福利厚生などは整っていたかと思います。同年代同業種と比較して、それなりにもらえているので待遇面の不満はそんなにありませんでした。ただ、部署や周りの人間にもよりますがめちゃくちゃ飲み会に行くのでお金は常にありませんでした。まあ好きで行ってたので不満ではないです。
特にグループ関連の仕事をする際には、持ち株の意向や経営層の意向を無理やり汲み取るのを要求されることが多々あります。「○○さん案件」のように、個人名のついた特命案件が走ることもありましたが、概ねただのおじいちゃんの思いつきなので不毛かつ無茶な仕事になりがちでした。
大失敗した事業の損切をできないのは皆さんご存知のNTTの悪癖ですね。
誰も喜ばない、儲かってもいない事業に延々従事させられる社員は成長のチャンスもなければ評価を受けることもないので、文字通り飼い殺し状態になります。配属されてしまったら、個人としては不幸しかないのでさっさと転職するべきですね。
いわゆるサラリーマン経営者ばっかりなので、経営という超特殊スキルが必要な業務を高齢者が無免許運転している状況です。
これだけ大きなグループ企業をコントロールするのは専門家でも困難な仕事だと思いますが、なんとか成り立っているように見えるのは本当に現場の管理職・社員が必死で支えているからにほかなりません。そんなわけで、定期的に降ってくる経営方針や社内へのメッセージなどには疑問しかなく、常に会社の先行きに不安を覚えながら暮らしていました。
また、人売り商売のくせに人の値付けが致命的に下手というのもウケますね。何十年も同じ単価でやってたり、お客さん側からのコスト圧で単価下げたり当たり前にやってましたが、これだけIT技術者が確保できない・付加価値の上がっている時代に単価を下げてまでやる仕事なんてないと思いますけどね。転職して名刺が変わっただけで、同じ人間が2倍も3倍も違う単価で売られている状況に疑問とか持たないのかなと。
管理職のハラスメントが横行していましたが、自浄作用はあまりなかったと記憶しています。社内通報制度などもあるんですが、偉い人が当事者の場合はなぜか多様な忖度が働いて通報者が不利益を被った、というような話もたくさん聞きました。そんなわけで、社内通報制度は自分も死ぬ代わりに加害者にもなんとか一矢報いて泥をかけるための神風特攻型の制度でした。
いますでに多くの優秀な社員がバンバン転職しているなかで、この賃下げは文字通り自殺行為だと思います。
転職エージェントの知り合いなどから実際によく聞く話ですが、僕のもといた会社の人員の転職市場における価値は非常に高いです。ちょっと手を上げるだけで1.5倍ぐらいの年収を提示してくれる会社がごろごろある状況です。
そんな状況下で賃下げのメッセージは非常に強く、仮にどれだけ「優秀な社員は賃下げされない仕組み」だと説明しても「賃下げをするような会社には居たくない」、というのが人間心理だと思います。いま会社が生き残るために必要なのは、賃上げです。(回線屋のほうは知らないですが、SIerのほうは。)
優秀な人間がどんどん外資に吸い取られていくなかでそんなメッセージを受け取ってしまったら、強烈に転職の動きが加速するかと思います。転職エージェントたちがめちゃくちゃ準備運動してるころじゃないですかね。
実際、転職に二の足を踏んでいる人は「外で通用するかわからない」みたいな理由でとどまっている人も結構いたんですが、外に転職する人間が増えてその幻想もかなり壊されてきている状況です。
持ち株・経営層はすぐさま撤回して強烈なメッセージを発信しないと大変なことになると思います。あなたたちが人材獲得競争をしているのは日本のSIerじゃなくて世界のIT大手なんです。
転職先については、能力面でも人間性の面でも非常にできた人が多く、毎日楽しく仕事しています。国籍・経歴などさまざまな点で多様な人がいるので、そういった点もおもしろいです。
あとは会社のカルチャーが出来上がっていて(重要な点は明文化もされていて)、それが通底されているのが素晴らしいですね。この会社で働くことに非常に納得感・意義を感じることができます。また、ハラスメント対策などの人権意識も非常に高いです。セクハラ・パワハラはどんなに偉くても一発退場なので安心して業務に取り組めます。
経営層もとんでもないスーパーマンかつ経営の専門家ばかりで、経営方針や成果の説明などは非常に納得感をもって受け止めることができます。コロナ対応などでは物凄い速度で社内制度や仕組みが整備されて、あっというまにフルリモート体制になりました。
待遇もめちゃくちゃ良くて、給料はもちろんですが福利厚生などもNTT時代より優れたものが多々あります。
新しい職場にまったく不満を感じていることはないですが、前いたNTTも総じて良い会社でした。現職と同じだけの給料を提示してもらえるなら戻りたいと思えるぐらいにはいい会社だったと思います。人もよく、やりがいもあり、成長もできる素晴らしい会社でした。
そういうわけで、それなりに愛社精神みたいなものもあったんですが、今回の賃下げ報道には失望しかありません。僕の大好きな元同僚たちがさっさと逃げ出してそれぞれ幸せを掴んで欲しいなと思います。
退職すりゃええやん
滋賀ってなんとなく反社が多かったりヤンキーがノーヘルで走ってそう。
(琵琶湖の周辺のビーチで反社っぽい人たちがウェイってたのをYouTubeで見ただけの勝手なイメージ)
いっぽうで隣の岐阜県は真面目な印象がある。
地方独立行政法人・市立大津市民病院(大津市本宮2丁目)の「外科・消化外器科・乳腺外科」の全医師9人が3月末以降、順次退職する意向を示していることが14日、京都新聞社の取材で分かった。医師らは病院幹部から退職を強要されたと主張し、病院側は「強要したという事実はない」と説明している。後任は決まっておらず、4月以降に診療や手術などの地域医療へ影響が生じる恐れがある。
病院や関係者の説明によると、昨年9月、病院幹部が同科に医師の入れ替えを検討していると伝えた。この一連のやりとりで同科の医師は退職を強要されたなどとして、今年2月1日に「3月末~6月末にかけて順次退職する」と院内の一斉メールで通知した。すでに退職届を出した医師もいるという。
医師ら9人を送り出している京都大医学部側はハラスメント的な行為があったとみている。同幹部は「大津市民病院と信頼関係をもって今後の人事を行うのが難しいと判断している」と話す。滋賀県などと協議し、地域医療への影響を最小限にとどめる方法を検討するという。
同科は直腸がんや乳がん、ヘルニアなどの手術を行っている。外来患者数が1日当たり平均約30人で、手術件数は昨年4~12月にかけて月平均46・3件。医師の1人は「大量に医師が退職すれば、新規手術や救急の受け入れなどを停止せざるをえず、地域医療を混乱させる大事態になる」と危惧している。
同病院総務課は「医師の入れ替えは強要したのではなく、提案したものと認識している」とし、「医師から退職届が提出されているかどうかは答えられない。(京大側に)今後も引き続いて派遣を求めたい」と話した。大津市は現時点で状況を把握しておらず、同病院からの報告を求めているという。