はてなキーワード: 自己主張とは
ネットで自己主張する増田含めたエンジニアたちがキチガイサイドだからこいつらのいうこと現実じゃ一切役に立たないんだよな
同じようなアスペや発達みたいなマトモに生きられないキチガイならマトモじゃない方法しかないんだろうが
大半のエンジニアって健常者だしね
健常者サイドから見ればこんなもんよね
要は「男性に都合良い」「男性に従順で逆らわない」「余計な自己主張をしない」「男性の為に自己犠牲出来る」って事だし
よっぽど後ろ盾がしっかりしてるなら別だけど、悪人ってのは後ろ盾がない人間を狙って捕まえるもんだし
DVモラハラ男と「相手の交際要求を断れなかったから」付き合って結婚して「夫に何も不平不満を言えないから」我慢してる女性が典型例
それより「やや男より自分優先」「やや自己中」「やや身勝手」な「やや性格悪い」女性の方が
結果的にそれを許容する男性と結婚してるか、嫌な男性を拒絶して独身で自由に生きてる、幸せな人の率高いと思う
察してちゃんは悪なのかと併せて読みたい。
https://anond.hatelabo.jp/20200926173820
まあ、自己主張が幼少期から認められなかった人たちは、周囲の人の意思決定によって自分の人生が決まるからじゃないか?
その結果、文句は言うけれど、自分では現状を変更しないが出来上がる。
もちろん、文句がない状態に自分で現状を変更するがよりよいのだけれど、それはそれなりにリスクがある行為で、それを幼少期から訓練していない人に突然やれと言っても無理だよねと思う。
...と書きながら高度機能障害のある子供たちを育てる人向けの講演会で選択するのにもトレーニングが必要という話をしていたのを思い出した。まず、当り障りの少ないところから選択肢が少ないところから選ぶ訓練をする。例えば、今日のおやつはリンゴとバナナのどっち?みたいな。この段階では選択のメリット・デメリットは自明なものになっている。この段階でだんだんと選択肢の数を増やし、リスクも増やす。例えば、今度のお休みに遊びに行くのは遊園地、映画館、ちょっと遠くの大きな公園みたいな。
次に、選択肢の背景にあるメリットデメリットを自分で見つける訓練をする。それから、選択肢そのものを自分で見つける訓練をするだったと思う。この時点まで来てやっと自分で選択肢を考えて、優劣をつけて、選択をするができるようになる。
「自分で選ぶ」ことができる人は幼少期から誰かにこの訓練をしてもらって、選ぶことができるようになっているわけで、訓練してもらってない人に突然選べというのはちょっと酷だと思った。
...いや、「自・分・が・選ぶの!」は正しいんだけどさ、でもさ、世の中にはそれができない人がいるんだよって話だよ。
ワイの場合、家の中の空気を読んで親の逆鱗に触れないようにうまく立ち回っていくのが自分の処世術だったので、急に自分の意見を言えと言われても戸惑うことが多かったなと。今思えば、自分の意見を言ったところで聞いてもらえる自信がなかったから、相手に流されるようにずっと生きてきた。実際、幼少期はいくら自己主張したところで聞いてもらえることなく、力でもって押さえつけられていたように思う。恐怖と暴力で支配された暗黒時代と言っても過言ではない。暴力では支配できなくなっても、経済力で支配され続けていた。社会人になってからは経済的にも独立できて、やっと親から支配される時代が終わったと思っていたら、今度は学費など過去にかけた費用などをかさに支配してきた。もう、その分のすべての費用はお支払いしますから縁切ってくれますか?と言うところなんだろうな。
...と覚悟を決めているとかなり楽になった。
>わたしの知る限りでは、おとなになっても自分の意見や要望をたやすく口に出すことが許される世界なんてない。
あります。
その世界に参加するかは自由ですが、視野は広いほうがいいと思いますよ。
>そうやって人を傷つけないように必死に生き残ってきたのに、今度はそれが「悪」と言われるなんて一体どういうことなのか。
その場において正しいことは状況によって当然変わります。
>あなたが空気を読めない大人に育ってしまったからって、「察してちゃん」を悪と決めつけるのはやめてほしい。
「空気を読み合う」文化の人間と「話し合う」文化の人間が自然に分かり合うことは難しいです。
人間関係に「こちらが合わせる」と「離れる」しか選択肢がない以上、アドバイスとしては「あなたが合わせなさい」しかありえないと思います。
>あなたはたまたま運良く、相手の気持ちを察することができなくても生き残れただけの話だ。
あなたも私も、環境と自分の持ち物に合わせて頑張って生きて、そして"たまたま生き残れた"だけでしょう。
>それを「察してちゃん」だなんて小馬鹿にした名前をつけてやり玉にあげるのはやめてほしい。
確かにそうだと思います。私は元々あまり使っていませんでしたが、今後は意識して使わないようにします。
>なりたくてなったわけでもないものに、結果だけ見て評価するのはやめろ。
現代社会の評価がそういう仕組みになっている以上、仕方ないと思います。
>「わたしがしてほしいこと」を口に出したとき、ゴミでも見るかのような目を向けられたときの惨めな気持ちや恐怖を知らない人に何がわかるというのか。
あなたの体験は分かりませんが、私も散々いじめや嫌がらせを受けて、それを乗り越えるために自己主張や話し合いという手段を使ってきました。その自負があります。
J.K.ローリングが出版した本が物議を醸して、あちらでは大炎上だそうであるが、この記事ではローリングが自身の主張をどうにかして正当化しようとして失敗しているということが書いてあるようだ。しかし、私はこの混乱の方がトランスジェンダーを認めるより遥かに理解できる。
“ジェンダー移行を後悔する人が増えている”発言が与える大きな誤解 - フロントロウ -海外セレブ情報を発信
最近ではGID、要するに性同一性「障害」という言い方は不適当だそうだ。障害じゃなくて、トランスジェンダーは自身が主張する通りの性別なのだという。でも、正直、何を言っているのか私には理解出来ない。英国ではセルフID法と言って、性別移行要件としては一応は色々取り決めはあるものの、原則として本人がそう申請すれば、公的にその性別となる。日本では戸籍変更における性別変更では、まだ手術要件は撤廃になっていない。でもそのうち撤廃になるだろうことは間違いはないだろう。だから、世界的流れはもはやトランスジェンダーを認めるという流れでしかなく、疑問を述べたところで何も変わりはしないだろう。
でも、どう考えても納得できない。性別とは、生物学的に定まるものでしかなく、自己主張で変更できるものであるはずがない。例えば、私は国籍を変更できても人種を変えることは絶対に出来ない。私は黄色人種でありアジア系でありジャパニーズである。年齢だって絶対に変更できないし、あたり前のことだが血縁関係も変更できない。なのにどうして性別だけが変更できるのであろうか?
そんなの勝手にすればいいし、特殊事情でもない限り(ムスリムであるとか)、してはいけないという理由もない。よく「自身を異性だとしか思えない」という性別移行理由を聞くけど、そう思うのであれば自主的にその様に振る舞えばいいのである。これに関しては、広く一般の人がそうした人がいるという認知を普遍的に持つことで、偏見を持たないようにはすべきではある。
常識で考えれや、という話。ペニス付き・なしで温浴施設に異性側に入ることは出来ない。更衣室だってそんなことを権利のレベルで認めたら揉め事になる。トイレだと、生物学的女性なのに男性と見間違えられる見かけの女性ですらも揉めることがあるのだから、原則、公共の場所では多目的トイレを使え、であろう。これらはそもそも生物学的性別区分で分けているのである。
問題はこれである。どうして自身の生物学的性別を無視するのか。この権利主張こそが混乱を生み出しているのである。上で述べたけどトイレなど女性専用スペースに明らかに男性にしか見えない人がいて、移行手術も受けていない生物学的男性でもある人が、「私は女性であるから女子トイレに入る権利がある」と主張するのは意味不明でしかない。生物学的な区分に基づいて専用区分があるのを、トランスジェンダーなるこれまでとは違った概念をそれに無理やり同調させるというような考え方はあり得ないと言わざるを得ない。生物学的区分と、セルフID的概念区分は全く別のものである。
昔でいう半陰陽と呼ばれたような染色体異常(良くは知らないが)のような人で、陸上競技では有名なセメンヤ選手などのことである。この人たちが自身の性別に違和を感じるということはほとんどないのだそうである。あったとしてもおそらくは、一般的な性別違和率と変わらないと思われる。このことから分かるのは、生物学的な性別的特徴の異常があっても、性別の自己認識には異常をもたらさないということである。
詳細な内容はすっかり忘れたが、ともかくある男の子で幼少の頃に何か事故があって、ペニスを喪失し、ある研究者がその親に「女の子として育てればいいんじゃない?」と言って、その研究者は半ば人体実験のように扱ったのである。その研究者は性別は後天的に決定される(ジェンダーの初期的な考え方)と考えたらしい。ところが、そのブレンダと呼ばれた少年は、女の子として育てられたにもかかわらず、成長して自身の性別がどう考えても男だとしか思えなかったというのである。この研究者はそのことを伏せて「性別は後天的に決定される」のような発表をしたらしいが、本人に暴露されてしまい、スキャンダルとなった。この事例をトランスジェンダーの人は、「当然じゃん、自認こそ性別なんだから」と考えるらしいがそれは誤りである。何故ならば、ブレンダはそもそもが生物学的に男だからである。インターセックス同様に、自身の性別をただ、正しく認識しているだけなのである。
以上の例からわかるのは、結局トランスジェンダーがほんとにあるとするならば、それは自己性別の「誤認」に他ならない、としか思えないということだ。今現時点でさえも、その医学的原因は全くの不明である。だが、未知の病は他にもたくさんある。それと同じだと捉えて何故いけないのか? 障害者というのは、健常者は通常こうであるというような曖昧ではあるが常識的な観念が定義のようなものであり、そこから医学的な分類として逸脱していて、かつ社会的な不都合のある人のことをいうのだと思う。しかしながら、手足が不自由であるとか、脳に障害があるとか、他にもたくさんあるけど、それら障害者はその障害の治癒は別として、一生障害と付き合っていかねばならないし、障害があるのに「障害者ではない」と主張する人などいない筈である。なのに何故トランスジェンダーは障害ではないというのだろうか? 障害者が障害のままで別に生きていっても良い社会なのに、トランスジェンダーは障害でないと主張するのは何故なのだろうか?
これもよく聞く主張である。「私達トランスジェンダーは、なりたくてなったわけじゃない」のような主張である。だが、私だって自身の性別になりたくてなったわけじゃない。そもそも性別は自身の意思では選択不可能なものである。私は性別違和こそ感じることはないが、異性になりたくて、自身の性が嫌だと思ったことはいくらでもある。どうしてこの性で生まれてきたのか、と思春期には悩んだものである。でも、そんな事悩んだって変えられないものはしょうがないと諦めるしかない。なのに、どうしてトランスジェンダーは、そう主張しさえすれば性別を変更できるのか。これはほんとにそうらしくて、病院でも結局はその人自身の主張を信じるしかないのだそうだ。だから、ほんとにそうなの? と考える人がいても不思議はない。つまり、変態的犯罪者が存在し得るということである。トランスジェンダーを認めてしまうことは、そうした変態的犯罪者を許容しなければならなくなるし、実際に犯罪は起きている。
要するに、ローリングのような人がいるということを認めよ、に他ならない。トランスジェンダーを差別せず、不当に扱わないが、男女区分は生物学的なもの以外にはあり得ない、という人がいることを認めて欲しい。それは、どんな人も変更不可能な人種や年齢と同じようなものなのである。確かに、最初にも言ったように国際的な流れとして、もはやトランスジェンダー、性の自己決定を認める他はないだろう。でも、言わばそうした古い主張だって存在してもいいではないか。それをどうして「差別」と非難し、TERFとレッテルを貼って攻撃するのだろうか。私はそれはおかしいと思う。
私は自己中と言われがちで、実際認めるとこではある。その評価は甘んじて受け入れる。
で、その評判を受け取った奴が、私の自己中心的考えを警戒するのは結構なんだが、たまーにバカな奴が、「俺がお前の居ない場所で熟慮に熟慮を重ねてイベントをこの日にやると決定した!断ったら自己中!」みたいなことをやり始める。
その日、私はどうあがいても外せない用事があったんだが。外せない用事がある日に勝手に決定して、その日が無理だったら自己中などと批判するあなたのその思考は、とんでもないレベルの自己中心的思考ですよ、と懇切丁寧に説明してあげたら、すごくびっくりした顔してた。なんなんだろうな。
多分、他人を自己中自己中と罵る奴って、自分が勝手に決めたことを周りの意見で変えたくないんだろうな。だから無駄な警戒をする。そして自己主張するやつを「自己中!」で黙らせてきたんだろう。自己中批判は自己批判に留めましょう。他人批判に使うときは、自分がとんでもない自己中心的思考になってないか考えてからで遅くない。
自己肯定感ってだいぶ子供の時に高めとかないとあんまり意味が無いとか言われてるけど、大人になった今からでも遅くない、自己肯定感を高める方法を探してる。
自己流でやってるけどまあそんな大層なことはしてない。
精々『他人と自分をなるべく比べない』とか『1日1回自分を褒めまくる』とかぬるいもの。その上これまで自己肯定感トレーニングとか全くしてこなかったので、他人と自分のことはついつい比べて自分は格下だなって悔しくなるし、ほんの小さなミスでも腹立たしくて頭おかしくなるほど落ち込んだりするから効果は今の時点で何も得てないんだけど。
あと、他人を気にしなさすぎて独善的になるのも怖すぎて結局他人の出方待ちして(自分の中では)波風立たないようにするっていう受動的すぎて影て嫌われるパターンばっかり選んでる。
会社でもそんなもんだから後輩からも馬鹿にされるし、上司は他の社員への贔屓がすごすぎてもはや私の存在とか忘れてる可能性高いし、自己肯定と自己主張の強い人達が集まるところになんで自分いるんだろ…ってなってる。
ここで他人のせいにしてる時点でクソオブクソのクソなんだけど。
もうちょっと自分の価値を高める努力しとけばよかったな、残されてる人生のイベントほぼ不発で終わりそうだし、なんか…なんか探せばいいはずなのに、それも出来なくてうだうだしてる。
他人からすればどうでもいい状態の悩みかもなんだけど、文字にしてみたらほんとに自分の思考うんこすぎてまた自己嫌悪したわ。ははは。
職場とかリアルで交流のある人たちには趣味で絵を描いていることを隠している。自分で言うのは何だが、絵はわりかし上手い方。
たまに仕事等で他人から絵を見せられる機会があって、「すごい上手いですね、僕は絵が描けないからどう評価していいかわからないですけど、すごい。」などと言って相手を褒める。
でも白状するが、実際は(自分の方が上手く描けるな)と思っているし、その絵の細かいところまで見て非常に細かい感想を腹に抱えている。
この人自分より下手なのに得意気だな、みたいな話ではない。
自分の能力があるとき露呈して、今まで褒めた人達より上手いことがわかって、その人達に嘘をついていた自分がバレるのがこわい。
決して自分の方が上手いことをわかっていながら相手を裸の王様に仕立て上げようとしているわけではない。
ただただ、リアルでの自分は絵で仕事をしたり勝負をかけたりする気がないというだけだ。
絵が描けるとわかるとそういう仕事をやらされるようになるから隠している。
それでも他人の絵を見るときに絵描きの自分としての目を捨てられない自分。
そういう自分の中の自己主張の強い部分は、いつか自分の身を滅ぼすのではないかとどこかで思っている。
望みが叶うとしたら、リアルの生活で絵描きであることを完全に忘れてしまえる能力が欲しい。
同じような人はいるだろうか。
前回までのセックスしながら走れドスケベメロスは……
あのえちえち王に、スケベ人のスケベ信実のスケベ存するところをスケベ視姦(み)せてやろう。そうしてアクメ笑ってえろえろ磔のむらむら台に上ってやる。ドスケベメロスは、悠々とエロ身仕度をはじめた。
さて、ドスケベメロスは、ぶるんとセクシーな両腕と発情奴隷の尻毛か陰毛かの区別のつかない剛毛が激しく自己主張するクソスケベなデカ尻を大きくエロ振って、感度3000倍媚薬雨中、ドエロ矢(アロー)の如くセックスしながら走り出た。
♪アクメの声が聞こえてクるよ
視姦(み)よ、前方の感度3000倍の媚薬の原液が流れる川、その名前感度3000倍媚薬原液川を。
突然、目の前に一隊のガンギマリアクメしている女山賊がガンギマリアクメしながら躍り出た。
「待て♡待って♡イグゥ♡」
「何をするのだ。私はセクシー陽の沈まぬうちにえちえちセックス王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どすけべっこい放さぬ♡持ちもの全部を置いてイけ♡イッちゃえ♡」
「私にはいのちんぽの他には何も無い。その、たった一つの命んぽも、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちんぽが欲しいのだ♡はやくよこせなのだ♡おぽぉ♡」
「さては、えちえち王のスケベ命令で、ここで私を待ち伏セックスしていたのだな。」
ガンギマリ女山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒(クソデカディルド)をまんこからブチ抜いて振り挙げてアクメした。ドスケベメロスは体毛マシマシ発情奴隷とセックスしながらひょいと、卑猥なからだをセクシーに折り曲げ、スケベ飛鳥の如く身近かの一人にエロ襲いかかり、その棍棒(クソデカディルド)を華麗に淫靡に且つ妖艶に奪い取って、
「気の毒だが性義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人の体外ポルチオを殴りアクメ倒して脳に快楽の電気信号を送るだけのバイオ性玩具になるまで棍棒(KDD)で子宮をぐっちゃぐちゃエロ掻き回し、残るドM助平者のひるむ隙に、さっさと走ってセックス峠を下った。一気にセックス峠を駈け降りたが、流石に疲労し、折から淫靡極まり無い日のエロスとカオスとリビドー渦巻く午後のスケベ灼熱のセックス太陽がまともに、かっと照って来て、ドスケベメロスは幾度となくアク眩暈を感じ、これでアクメしてはならぬ、とスケベ気をエロ取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりとセクシーな膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。発情奴隷に騎乗位でセックスされながらスケベ天をエロ仰いで、くやし泣きに泣き出した。射精もきっかり5㍑射精した。ああ、あ、媚薬濁流をセクシーに泳ぎ切り、ガンギマリ女山賊を三人もアクメ撃ち倒しセックス韋駄天、ここまでスケベ突破して来たドスケベメロスよ。真のスケベ勇者、ドスケベメロスよ。今、ここで、アクメ疲れ切って動けなくなるとは情無い。はしたない。だらしない。いやらしい。クソスケベい。愛する穴友は、おまえをエロ信じたばかりに、やがてアクメ殺されなければならぬ。おまえは、稀代の不信のスケベ人間、まさしくえちえち王の思う肉壺だぞ、と自分をエロ叱ってみるのだが、全身4545194回シコったちんぽのように萎えて、もはや卑猥な発情芋虫ほどにも前進かなわぬ。セックス路傍の感度3000倍の媚薬の原料となる草が生えた草原、その名も感度3000倍媚薬草原にごろりと寝ころがった。発情奴隷は突然の寝バックの体勢にうれしくってうれしくって身体がアクメを歓迎していた。身体疲労すれば、精神も共にえちえちやられる。もう、どうでもいいという、スケベ勇者に不似合いな不貞腐れたスケベ根性が、スケベ心の隅にエロ巣喰った。私は、これほどえっちな努力したのだ。えちえち約束を破るスケベ心は、みじんも無かった。変態神も視姦(しょうらん)、私は精一ぱいにえっちに努めて来たのだ。アクメ動けなくなるまでセックスしながら走って来たのだ。私は不信のスケベ徒では無い。ああ、できる事なら私のえっちな胸を截ち割って、ドスケベ真紅のドスケベ心臓をおドスケベ目にドスケベ掛けたい。ドスケベ愛とドスケベ信実のドスケベ血液だけでドスケベ動いているこのドスケベ心臓を視姦(み)せてやりたい。けれども私は、この大事なドスケベ時(タイム)に、ドスケベ精もドスケベ根もドスケベ尽きたのだ。私は、よくよく不幸な助平男だ。私は、きっとエロ笑われる。私のスケベ一家もエロ笑われる。私は穴友を欺いた。セックス中途で倒れるのは、はじめから何も射精しないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定ったセックス運命なのかもエロ知れない。セックスリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私をエロ信じた。私も君を、エロ欺かなかった。私たちは、本当に佳い穴友と棒友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑のスケベ雲を、お互いえっちな胸に宿したことはエロ無かった。いまだって、君は私を無心にアクメ待っているだろう。ああ、アクメ待っているだろう。射精(ありがとう)、セックスリヌンティウス。よくも私をエロ信じてくれた。それを思えば、たまらない。白いおしっこが射精(で)ちゃう。穴友と棒友の間のドスケベ信実は、このスケベ世で一ばん誇るべきセクシー宝なのだからな。セックスリヌンティウス、私は毛むくじゃらの発情奴隷とセックスしながら走ったのだ。君をエロ欺くつもりは、みじんも無かった。エロ信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。媚薬濁流をセックスしながら突破した。ガンギマリ女山賊の囲みからも、するりとセックスしながらエロ抜けて一気にセックス峠をセックスしながら駈け降りて来たのだ。私だから、セックス出来たのだよ。ああ、この上、私にスケベ望み給うな。感度3000倍媚薬漬けにして放って置いてくれ。どうでも、イイのだ。私はアクメ負けたのだ。だらしが無い。アクメ笑ってくれ。えちえち王は私に、ちょっとおくれて来い、とえっちえちに耳打ちした。おくれたら、身代りをアクメ殺して、私をアクメ助けてくれると約束した。私はえちえち王のえろえろ卑劣をむらむら憎んだ。けれども、今になってみると、私はえちえち王の言うままになっている。私は、エロおくれてスケベ行くだろう。えちえち王は、ひとりオナ合点して私をエロ笑い、そうして事も無く私をアクメ放免するだろう。そうなったら、私は、アクメ死ぬよりつらい。私は、永遠にエロ裏切者だ。スケベ地上で最も、不名誉のスケベ人種だ。その名もスケベ地上最不名誉スケベ人種だ。しかもジャングルとセックスをしている。セックスリヌンティウスよ、私もアクメ死ぬぞ。君と一緒にアクメ死なせてくれ。君だけは私をエロ信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、自慰ックス(ひとりよがり)か? ああ、もういっそ、スケベ悪徳者としてアクメ生き伸びてやろうか。スケベ村には私のラブ家(ハウス)が在る。感度3000倍の媚薬乳を出す淫乱羊、その名も感度3000倍媚薬乳淫乱羊も居る。美っ痴妹夫婦は、まさか私をスケベ村からエロ追い出すような卑猥事はしないだろう。性義だの、スケベ信実だの、スケベ愛だの、考えてみれば、くだらない。スケベ人をアクメ殺して自分がアクメ生きる。それがスケベ人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切りスケベ者だ。どうとも、勝手にアクメするがよい。やんぬる哉。――いやらしいふしだらな四肢を投げ出して、うとうと、しこしこ、くちゅくちゅ、ぴゅぴゅっ、まどろんでしまった。ジャングル発情奴隷はドスケベメロスが寝転んでいるのを卑猥(い)い事に、ドスケベメロスの情けない乳首をだらしない舌とはしたない指でいやらしくいじっている。「お胸におちんぽが生えたみたいでちゅね。」などと勝手に卑猥な事も言った。
ふとセクシーな耳に、潺々(せんせん)、水の流れるいやらしい音が聞えた。そっとピンク色のSukebeImaginationだらけの頭を卑猥にもたげ、クソスケベな息を呑んで耳をすました。すぐえっちな足もとで、感度3000倍の媚薬が溶け込んだ水、正に感度3000倍媚薬水が流れているらしい。感度3000倍媚薬水は普通の水とは音のセクシーさが違う。よく美っ痴妹が「あ゛~~~っ♡♡媚薬水の音ほお゛お゛ぉお゛っ♡♡♡」とはしゃいでアクメしていたのでドスケベメロスはエロ知っていた。よろよろとパコリたての淫乱小鹿のように起き上って、視姦(み)ると、えろえろ岩のえっちな裂目から滾々(こんこん)と、何かデスアクメ直前の発情雑魚雌犬のように小さくエロ囁きながら感度3000倍の媚薬が溶け込んだ清水、その名も感度3000倍媚薬清水が、初めてアクメしたピュアマンコからいやらしく出てきた性的な体液のように湧き出ているのである。そのエロ泉に吸い込まれるようにドスケベメロスはセクシーに身をかがめた。媚薬水を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、身体がじゅんじゅん熱くなって、夢から覚めたような気がした。セックスしながら歩ける。このモジャマンコとセックスしながら行こう。スケベ肉体の疲労恢復(かいふく)と共に、わずかながらエロ希望が生れた。えちえち義務遂行のスケベ希望である。わが身をアクメ殺して、スケベ名誉をスケベ守るスケベ希望である。セクシー斜陽はえっちな赤いスケベ光を、媚薬樹々の媚薬葉にエロ投じ、媚薬葉も媚薬枝も燃えるばかりにスケベ輝いている。セクシー日没までには、まだセックス間がある。私を、エロ待っている人があるのだ。少しもエロ疑わず、静かにスケベ期待してくれている人があるのだ。私は、えちえちに信じられている。私の命んぽなぞは、エロ問題ではない。アクメ死んでお詫びアクメ、などと気の卑猥(い)い事はエロ言ってスケベ居られぬ。私は、えちえち信頼にむちむち報いなければならぬ。いまはただその一事セックスだ。ヴァギナもアナルもモッジャモジャのモジャな陰毛ジャングル発情奴隷とセックスしながら走れ! ドスケベメロス。
前回までのセックスしながら走れドスケベメロスは……
「卑猥(きれい)な衣裳も買って来た。さあ、これから行って、スケベ村の人たちに知らせて来い。猥褻結婚式は、あすだと。」
「私はマンコホジリンティウスJr、こっちは弟のマンコホジクリンティウス。」
「ちんぽ。」
ドスケベメロスは笑って発情奴隷も一緒にスケベ村人たちにもアクメ会釈して、破廉恥宴席からエロ立ち去り、淫乱羊小屋にもぐり込んで、アクメ死んだように深く眠った。眠っている間にも局部ボーボー発情奴隷は「何を食べたらこんな陰毛が生えるのか。」と言いたくなるようなモッジャモジャの陰毛をモッサモサに揺らしながらドスケベメロスとセックスしていた。
スケベな眼がセクシーに覚めたのは翌る淫靡極まり無い日のエロスとカオスとリビドー渦巻く薄明の頃である。ドスケベメロスは百万回デスアクメした発情猫のようにセクシー跳ね起き、スケベ南無三、アクメ寝過したか、いや、まだまだ卑猥(だいじょうぶ)、これからすぐにスケベ出発すれば、えっちな約束のセックス刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの全ての性器が無敵のえちえちなイケオジ王、つまり全性器無敵えちえちイケオジ王に、スケベ人のスケベ信実のスケベ存するところをスケベ視姦(み)せてやろう。そうしてアクメ笑ってえろえろ磔のむらむら台にエロ上ってやる。ドスケベメロスは、スケベ悠々とエロ身仕度をはじめた。そして先程跳ね起きた衝撃で陰毛ジャングル発情奴隷は子宮がゲリラアクメしてしまい、そのアクメ衝撃でスケベ記憶をエロ忘れドスケベメロスにめろめろでしゅきしゅきぴゅーなただの雌穴になった。昨日よりも激しくいやらしくクソスケベに腰を降るのでドスケベメロスはうっかり2㍑射精してしまった。感度3000倍の媚薬が溶け込んだ雨、その名も感度3000倍媚薬雨も、いくぶん小降りになっている様子である。まるでスケベ老人の射精のようである。エロ身仕度はスケベ出来た。さて、ドスケベメロスは、ぶるんとセクシーな両腕と発情奴隷の尻毛か陰毛かの区別のつかない剛毛が激しく自己主張するクソスケベな尻を大きくエロ振って、感度3000倍媚薬雨中、ドエロ矢(アロー)の如くセックスしながら走り出た。
私は、今宵、アクメ殺される。アクメ殺される為にセックスしながら走るのだ。スケベ身代りの穴友をアクメ救う為にセックスしながら走るのだ。えちえち王の猥褻奸佞邪智(わいせつかんねいじゃち)を打ち破る為にセックスしながら走るのだ。セックスしながら走らなければならぬ。そうして、私はアクメ殺される。セクシー若いエロ時(ジェネレーション)からえっち名誉をむちむち守れ。さらば、クソスケベなふるさと。若いドスケベメロスは、淫乱羊に射精コントロールされている時くらいつらかった。幾度か、アクメ立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら発情奴隷の乳首を噛んで走った。スケベ村をエロ出て、猥褻野(フィールド)をエロ横切り、淫乱森をエロくぐり抜け、迷いセックスエイリアンにワガママなアナルをエロ差し出し、隣スケベ村に着いた頃には、感度3000倍媚薬雨も止み、セクシー日(サン)はエロ高くシコ昇って、そろそろセクシー暑くなって来た。ドスケベメロスは額のえっちな汗をセクシーと言うにはあまりにも卑猥なこぶしでエロ払い、発情奴隷のジャングルの奥底に隠された秘境のようなクリトリスをエロつねり、ここまで来れば卑猥(だいじょうぶ)、もはやスケベ故郷への未練は無い。美っ痴妹たちは、きっと佳いスケベ夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりエロスも無い筈だ。まっすぐにえちえちセックス王城に行きアクメ着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの猥褻(のんき)さを取り返し、好きなエロ小歌を卑猥(い)いセクシー声で歌い出した。
♪アクメの声が聞こえてクるよ
♪おごぉ♡おぽぉ♡おぐぅ♡おげぇ♡
♪ぽご♡うげ♡あへ♡あへ♡ぴぃっぴっぴっぎひひひぃぃぎぃぃぃぃいいいい♡
ぶらぶらセックスしながら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全セックス里程のエロ半ばにエロ到達した頃、ドエロ降ってドエロ湧いたドエロ災難、ドスケベメロスのセクシー過ぎて最早淫乱なスケベ足は、はたと、エロとまった。視姦(み)よ、前方の感度3000倍の媚薬の原液が流れる川、その名前感度3000倍媚薬原液川を。きのうの媚薬豪雨でセックス山の媚薬水源地は氾濫し、媚薬濁流滔々(びやくだくりゅうとうとう)と下流に集り、むちむち猛勢一挙にチンポの形をした橋、その名もチンポ橋をしこしこ破壊し、どすけべうどすけべうと響きをあげる媚薬激流が、木葉微塵にチンポ橋桁を跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、エロ立ちすくんだ。発情奴隷はお構いなしに腰を振ってアクメしている。あちこちと視姦(なが)めまわし、また、セクシー声を限りにえっちに呼びたててみたが、繋舟(けいしゅう)は残らず媚薬浪に浚(さら)われて影なく、淫乱渡守りの姿も視姦(み)えない。媚薬流れはいよいよ、えっちにふくれ上り、媚薬海のようになっている。ドスケベメロスは媚薬川岸にうずくまり、助平男泣きに泣きながらドスケベゼウスに手を挙げて哀願した。発情奴隷はセックスに夢中だった。「ああ、エロ鎮めたまえ、荒れ狂う流れを! エロ時(タイム)は刻々に過ぎて行きます。スケベ太陽も既にえっちな真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、えちえちセックス王城に行き着くことがスケベ出来なかったら、あの佳い穴友達が、私のためにアクメ死ぬのです。ぷみゅぅ♡」
媚薬濁流は、ドスケベメロスの叫びと射精のアクメ声をせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。媚薬浪は媚薬浪を呑み、エロ捲き、エロ煽り立て、そうしてエロ時(タイム)は、刻一刻と消えてイく。今はドスケベメロスも覚悟の射精をした。セクシーに泳ぎ切るより他に無い。ああ、変態神々も視姦(しょうらん)あれ! 媚薬濁流にもスケベ負けぬえろえろ愛とえちえち誠の偉大なスケベ力を、いまこそエロ発揮して視姦(み)せる。ドスケベメロスは、ざんぶくちゅくちゅじゅんっと媚薬の流れにエロ飛び込み、百匹のえろえろ大蛇のようにのた打ち荒れ狂う媚薬浪を相手に、必死の闘争(セックス)を開始した。満身の力をセクシーな腕にこめて、発情奴隷とセックスしながら、押し寄せ渦巻き引きずる媚薬の流れを、なんのこれしきとアクメ掻きわけアクメ掻きわけ、あくめくらあくめっぽう獅子奮迅連続絶頂のスケベ人の子のエロ姿には、変態神もエロ哀れと思ったか、ついにエロ憐愍(れんびん)をスケベ垂れてくれた。えっちに押し流されつつも、視姦事(みごと)、対岸の媚薬樹木のエロ幹に、セクシーにすがりつく事がエロ出来たのである。卑猥(ありがたい)。ドスケベメロスは淫乱馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きをエロ急いだ。またもその衝撃で発情奴隷は特大ゲリラアクメをして、エロ記憶をエロ取り戻した。しかし、一度知ってしまった快楽は忘れられず、バイオ性玩具化一歩手前であった。一セックス刻といえども、むだにはエロ出来ない。セクシー陽(サン)は既に西にエロ傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をセックスしながらのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊のガンギマリアクメしているのがガンギマリアクメしているガンギマリアクメ猫でもわかるくらいにガンギマリアクメしているガンギマリアクメ女山賊がガンギマリアクメしながら躍り出た。
作品に罪はなくとも作者がクソな自己主張してるのを見てしまうともうダメ、作品ごと封印する
見たくなくてもtwitter経由で流れてきて見てしまったり、何かで話題になったり炎上したりするとどうしたって流れてくるし
わざわざ作者垢を探して全部ミュートするのも大変だし
自分語りになる。自分がフェミニズムに出会うことでどう救われたかという話をしたい。
25歳男。人生がうまくいっているかいないかでいうと、あまりうまくいっていないかもしれない。就職した職場であまり仕事ができなくて適応障害になったり、発達障害がわかったりといろいろあった。今も彼女がほしいけど出会いがなくて、マッチングアプリをやっている。まだやり方がつかめてなくてうまくいってないけれど、心は穏やかだ。なんで穏やかなのかというと、フェミニズムのおかげだ。
そもそも女性への興味が昔から強かった。幼稚園とか小学校のときから「好きな女の子」がいつもいた。男の子と遊ぶより女の子のグループに入りたかった。今思うとちょっと避けられたりもしていたが、それに気づかずめげないくらい女子が好きだった。
だが、勉強を大事にする親には塾に通わされ、中学受験をさせられた。そこそこ勉強はできたからか、受けたのは男子校ばかり。親は、内申点とか気にしなくていいから中学受験せず中高一貫校に行ったほうがいいし、男子校の方が周りの目を気にせずのびのびできて楽しいと言って、男子校を勧めてきた。まだあまり自己主張がはっきりしていなかった俺は言われた通りにして、結局中高一貫の男子校に進学することになった。
男子校に入ってそこそこ楽しくやっていたが、悩みの種はやはり女子がいないことだった。中学受験せずに地元の公立中(もちろん共学)に進んだ人が羨ましかった。
時効だと思うから告白すると、女性への興味が昂じるばかりの俺は、俺は痴漢や覗きすれすれのことをするようになった。空いている電車で向こう側にスカートの女性が座ったら、毎回覗き込もうと努力せずにはいられなかったし、そもそも空いてる電車ではセーラー服の女性の向こう側に座ろうと努力した。同じ時間の電車に乗っていると、短いスカートを履いていた同じくらいの歳の女の子がいて、彼女はガードが緩かったので、覗き込むとたまに下着が見えた。なぜか彼女はしょっちゅう違う車両に乗ってきていたのだが、それくらいの方が見つけ甲斐があった。
電車が混んでるときは女性の近くに立つよう頑張った。もちろん服越しにだが、たまたま下半身が触れ合ってしまうことを楽しんだ。やましい気持ちもなくはなかったが、何より混んでいるのだから仕方がない、仕方がないけれど嬉しいなあと思っていた。
さて、そんな俺がフェミニズムに出会ったのは大学に入ってからのことだった。同級生のことを好きになり、フラれ、ストーカー気味になったこともあり、いろいろがあった末に、女性のことを知りたいと思い、フェミニズム関連の本も読むようになった。
俺はこの世界がいかに男女不平等なのかを知った。女性がどれだけ男性に苦しめられているのかを知った。もしかして俺が人生でしてきたことも良くなかったのかな、と思って沈みもした。
でも、フェミニズムについて勉強することで気分は明るくなった。進むべき方向が明らかになったからだ。フェミニズムを勉強し続けている限り、俺はただの痴漢やストーカーではない、悔い改めながら前に進んでいる人間だ、と思えた。
フェミニズムに出会うことがなかったら、と時々恐ろしくなる。俺は出口が見つからず、本当に痴漢をしていたかもしれない。ストーカーになってしまっていたかもしれない。そして何より、そんな自分に嫌気がさしていたことだろう。フェミニズムに出会ったおかげでこれ以上進むべき道を誤らずに済んだし、贖罪に励むことができた。俺がTwitterで女性差別や人種差別に対して声を上げ、フェミニズムについてみんなに知ってもらおうと思ってつぶやいているのも贖罪のためだ。
男性特権を刷り込まれるこの社会で生まれ育った男子は、みんなひとつやふたつ後ろ暗いことがあると思う。そこから目を背けていていいのか? 一回ちゃんとフェミニズムを勉強して向き合ってみるのがいいと思う。
フェミニズムを学んでいてよかったのはそれだけではない。
フェミニズムについてつぶやいていたら、Twitterで女性アカウントと絡めるようになった。フェミニズムについて学んでなかったら無理だっただろう。もっと女性に縁のない生活をしていたと思う。
マッチングアプリでも、たまに「フェミニズムに理解のない男性はお断り」といった内容をプロフィールに書いているきれいな女性がいる。今の俺なら自信を持って話しかけることができる。(まだ成果はないけれども笑)
まあ人生は苦しいよ。仕事できなさすぎて肩身狭いし、彼女はできないし。
辛いとき、俺はデリヘルを呼ぶ。といっても、普通のじゃなくて、M性感。貧困女性の搾取には加担しなくないから、女性が主体的に働いているお店を選びたい。
楽しそうに責める女性を見て俺は嬉しい気持ちになる。女性にはこうやって輝いていてほしい。微力ながら協力できてよかった。そう思いながら射精すると本当に気持ちいい。
パソコンからスマホに変わったのと、エンタメの方が重要度が高くなっており、
かなり昔に一時期流行っていた知的生産の技術というのが話題にのぼらなくなった。
軽く検索したところだと、KJ法、京大式カード、グラウンデッド・セオリー・アプローチ、MAXQDAなどのQDAソフト、といったものから進んでいない。
Webの記事を読み、それを真似て文章を書いていると、佐藤郁哉の「7 つのタイプの薄い記述」に陥っていることが多い。
①読書感想文型 主観的な印象や感想を中心とする、私的エッセイに近い報告書や論文
②ご都合主義的引用型 自分の主張にとって都合のよい証言の断片を恣意的に引用した記述が中心のもの
③キーワード偏重型 何らかのキーワード的な用語ないし概念を中心にした平板な記述の報告書や論文
④要因関連図型 複数の要因間の関係を示すモデルらしきものが提示されているのだが、その確実な根拠となる資料やデータがほとんど示されていないもの
⑤ディテール偏重型 ディテールに関する記述は豊富だが、全体を貫く明確なストーリーが欠如している報告書や論文
こういったのに陥らないような方法が編み出されているのであれば、知りたいと思った次第だ。
普段増田は書き逃げなんだけど、凄く切実そうに見えたので、大マジレスする。釣りなら釣りでいいや。代筆にならない程度に書く。なお、私は「子供の教育」の疑似体験をめちゃくちゃ傲慢に楽しむからな。
まず一言で。物事をジャッジするのが辛いなら、物事をジャッジするのが辛いと"まず"書く。これが私流感想文。それすらも書きたくない、というのは、自己主張をしないのが美徳、空気を読みすぎて空気なるのが楽って思ってしまっているので、そこは個性であっても伸ばすべきではない。怠惰に近い。なお、「感想文を書きたくない。」が書き出しの読書感想文を書いてもいいぞ。上級者向けだがな。
当然ながら、よくある読書感想文の指導「面白かった、は何が面白かったか」「よくわからなかった、ならなぜよくわからなかったか」も、立派な指導ではある。けど、これは修羅の道。なぜなぜ分析ができるならいいんだが。「面白かった、ところで私は~」「よくわからなかった、ところで私は~」のほうが楽でしょ。やっぱり自分のことを書くのが一番楽なんよ。
さて、話し聞いた限りだと、
物事をジャッジするのがとてもストレスになるようで、「ある人から見たらいいことでも、別の人には悪いかもしれないじゃん、だから自分はどっちとも決められない。作文で○○と思いました、って書くと決めなきゃいけないから書けない。」と言います。
ここがすごく良い種。何読んだかしらんが、ここを1文目に、そのまま書いていい。例えばこうだ。
「私は物事を判定するのがとても苦手だ。何故なら、ある人から見たらいいことでも、別の人には悪いことかもしれない。それを考えると、自分はどっちと決めるのが(億劫/ずるい/傲慢/いけないこと/理不尽)な気がしてくるのだ。どうしても決めなければならないとなると、だんだん辛くなってきて、泣きそうになってしまう。」
ほぼそのまま、一人称の文語にしただけ。ここからスタートして、本のタイトル書いて、その「どちらが正しいと決めたくない」ポイントを文中から引っ張り出してきて、両論書いて、みたいな構成にすると思う。私ならね。登場人物が決断して何かを切り捨てるシーンとかがあったら儲けもんだ。「私には主人公が理不尽の権化に見えてしまう」とか書けば、先生も「お、コピペ感想文じゃないな」となってくれる。
書くことを楽しむなら、一文目をもっと派手にしてもいい。「私に決断をさせるな!」とか、「感想を言葉にするのが、とても辛くて泣きそうになる。」とか。後者なんて、どんな感動超大作を読んだのか?と思わせておきながら、「別に本の内容に感動したわけじゃない。感想を言葉にすること自体が〜」と、ずっと卑近な話に流れるから意外性もあって楽しそう。
ともあれ、他人がどう思うか、を考えられるのはとても優しいお子さんなんだと思う。読んでいただければわかるとおり、私は我と圧の強いメンタルをしていて、他人とか知るかよ、という感じなので、私とは全く違う読書感想文がかけると思う。
身勝手なこと言うけど、そこを褒めてみてほしい。「褒められてどう思った?」が書けるようになれば、多分この「物事をジャッジするのが苦手」をフォーカスした感想文にオチがつけられる。「優柔不断な自分だけれども、親は「相手のことを考えられる優しい子」だと褒めてくれる。これを甘やかしととるか、個性を伸ばす教育ととるか、ジャッジはしないでおこうと思う。」な具合で。私だったら褒められてなくても捏造してこう書くけど。