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2021-02-23

取り返しのつかない我がエンジニア人生

ここには年に1回くらい殴り書きしてるんだけど、史上最大に気持ち悪いおじさんの自分語りになってしまった。というか長すぎ。誰が読むんだ、これ。

 

自分33歳、妻と未就学児1人の計3人で、人口100万人以上のそこそこの地方都市暮らしている。

会社子会社系のSIer新卒で入った。これがまあ、ネットでよく馬鹿にされるような典型的時代遅れ会社だった。

正直、入社時は「エンジニアとして働く」「会社の安定性」の両方が満たせそう、ぐらいの浅はかな考えだった。で、実際のところ大企業である親会社の盾もありまあ、安定していた。競争原理が働かず仕事は嫌でも降ってくる。給料年功序列で上がっていき、昨年の年収は大体月20時間残業で600万だった。世間的にはそこまで高いとは思わないんだけど、この会社の外での自分市場価値を考えれば高いと思っている。

一方でエンジニアとしてはそりゃもうひどい環境だった。10年前に入った頃から使っている技術会社としてのマインドは何ひとつ変わらず現状維持モットー。口では「子会社としての安全神話は終わった」「DXだ」と言っているが、行動が伴っていない。

 

こんな環境危機感を覚えないわけがなく、数年前に転職活動をしてみた。その頃はこっちに有力な求人は無く、とにかく東京求人に応募していた。その結果、有給ぶっ込んでの日帰りで東京に行く過酷面接に力尽きて断念した。というのは建前で、チャレンジすることにビビってたのかもしれない。本業であまりにも技術的な取り組みがないのでプライベートプログラミングしたりWebサービス作ってみたりしてたけど、それも趣味程度の取り組みで「今からじゃ遅いんじゃない?」と自分ブレーキを踏んでいたんだ。

 

そんなこんなで「まだ今の会社でできることがかあるはずだ!」と自分に言い聞かせて続けてきた。結果、市場価値が上がるような仕事は何もしていない。自分なりに新しい仕組みを取り入れてみたりはしたけど、それだって会社インパクトを与えるもんでもないし、Qiitaのやってみたレベルかつ今ではレガシー技術たちだ。

SIerPMになるしかない」なんてよく言われるが現職のPMは協力会社見積作業ぶん投げて、死ぬ程使いづらい社内ツールに決められた進捗項目を入れていくだけの仕事。あれで「PMできます」なんて言えない。

 

それで昨年立ち上がった超大型プロジェクトが外部NWから遮断されたオンプレサーバーで、自社製フレームワークを使い、IE11"を"ターゲットに開発されることになってふと思ったんだ。

「このままGitHubクラウドDockerBacklogも使わず、(自称エンジニア人生が終わるんだろうな」と。この会社での人生があと30年も続くのかと。

 

個別技術思い入れがあるわけではないんだけど、やっぱり技術課題解決したいと思って入ってきた世界からさ、会社前例ルールじゃなくて、合理的で先のある技術を使いたいんだ。

結局、転職を思い立った数年前から業務外での勉強をやめることはできなかった。でもこれは何のためにやってるんだろうな。本業ではクラウドWebプログラミングも、アジャイル開発手法も求められていないのにね。虚しさが募ってくる。いっそのこと本業が完全に別の業界だったら良かったのに。(実際別業界と言っていいレベルだけど……)

 

じゃあ転職するの?20代で「今さら」と言って止めたのに?それこそ今さらだろう。コロナ流行によって東京本社のフルリモート勤務求人が劇的に増えた。もう少し若ければ追い風だったかもしれないが、社会人10年を超えたおっさんが、新しい会社どころからフルリモートなんて環境で働けるのだろうか。あ、もちろん現職はバリバリ出社。シンテレワーク頼みのVPN環境はあるけど社内ルールかいろいろあって無理なんだって

年代的には技術リーダー経験がそれなりに求められるんだろうけど、これまでの経験ではとても満たせそうにない。本業ではレガシーシステム保守でそのほとんどが業務よりの仕事なんちゃってPMやってただけ。独学の開発経験なんて昨今問題になっているプログラミングスクールと大して変わりないだろう。

転職サイトではベンチャーとかから声かけてもらえるけど、まともなエンジニアと話するのがもう怖い。

 

思考ネガティブな方向にしか向かない。こうなったらいよいよ腹を括って現職にしがみつくしかないんだろうか。しかし、ここまで会社への不満を溜め込んでしまったら、今後若手の取り組みに苦言を呈する老害になる未来が見える。

 

現職を続けてよかったことと言えば今の家族を持てて、(今のところ)無理のないローンで家を買えたこと。子供は一人で確定だし、子供小学校に上がるくらいには妻も時短解除で普通に生活はしていけるだろう。

安定を求めた結果が今なんだけど、仕事への不満抱えながらあと30年耐えること考えるとめまいがしてくる。(あと10年もしたらそんな不満も忘れて老害化してる可能性もあるけど。)一方で無能おじさんがこれから新しい会社活躍する未来は思い描けない。

 

よく歌詞に「思い描いた大人にはなれなかったけど」とかあるじゃん。あれ、子どものころは芸能人とかスポーツ選手とか、そういう人になれないって意味だと思ってたけど、実際は自分仕事に誇りを持てず。ただただ惰性で生きる人のことだったんだね。立派にエンジニアの責務を果たしている人たちが雲の上の存在に感じるよ。

 

今後の人生で一番若いのは今この瞬間で、悩んでる暇なんか無くて行動するしかないんだろう。というか実際のところ現職が自分には合っているんだろうが、理想とのあまりギャップがとてつもなくしんどい。悩むのをやめたい。もう労働を捨てたい。

 

追記

便所の落書きのつもりで書いたら自分のTLにまで流れてきてビビった。

共感してくれる人も多くいて、なんだかんだ優しい人が多いよね。

みなさんのコメントはどれも正論だと思って読ませてもらってるけど、思ったことを追記してみる。

 

33歳はまだ若いだろ

今後定年が伸びることとかも踏まえれば、それはそうなんだと思う。というかこの記事で「年齢がネックになっている」を全面に出してしまったのが悪いんだけど、自分自身問題はそこじゃないことには気付いてるんだ。

コメントの中でもいくつか指摘があったけど、要はマインドなんだ。これに尽きる。

やってみる勇気、前向きな思考フットワークの軽さ。このどれもが自分には欠けていている。だから理想(に見える)会社エンジニアが眩しく、現職に不満が募る。

思考アップデートしようと『嫌われる勇気』とか『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職思考法』とか読んだんだよ。内容は理解できるし、そのとおりと思うんだよ。でも動いてないんだ。

この記事含めて動けない(動きたくない)理由を並べて溜飲を下げてるだけなんだ。

から何となく気付いてはいたんだけど、ここまでネガティブ人間だと思わなかったよ。妻にも子供にも申し訳ないよ。

 

・まずは副業とかOSS参加とかしてみたら?

それはそうなんだろう。それをやってないのは実際のところそこまで技術に振り切るほど技術を愛していないし、あと自分能力が無いと卑下しているからなんだろう。

と、またやらない理由を並べて終わりなんだ。

 

・今の仕事が30年続くという見積は危ないぞ

これは理解している。だから得も言われぬ焦燥感に駆られている。

永遠に現職の環境が変わらない、なんてこと無いのはわかってるけど仮に数年後DockerやらGitやらが入ってきたところで、またその時点で世の中から遅れになっていると思う。それが新しいプロダクトなのかアーキテクチャなのか開発手法なのかは分からないけど。

具体的なプロダクト名を挙げたのがまずかったのかもだけど、レガシーから悪いとか、最新の技術を使いたいとかよりも、これまでの10年で見てきた現職は柔軟に新しいものを取り入れられず一方で口だけはご立派、という会社文化のもの問題だと思っていて不安を感じている。競争原理が働く市場にいたら、自然淘汰される存在のはずなんだと。

にも関わらず、そこから動けない自分絶望している。

 

年収について

高いのかな?いや、平均年収とか中央値とか見たことはあるけど実生活上で高い実感はまるでない。

東京基準で考えたらは恵まれているのはなんとなくわかるけど、地方と言ってもそこそこ人口いるので都会の人が思う”地方”ほどの基準ではないと思うよ。

我が家は妻が時短中というのもあるけど、買った家は小さい建売だし子供一人が妥当かなと思う。有名メーカー注文住宅建てたり市街地高層マンション買う人たちはどんな層なのかが気になるよ。

 

とりあえず勢いで書いたけど、また思いついたら書きます。あるいは恥ずかしくなったら消します。

2021-01-20

anond:20210120000257

嫌われる勇気」読んだら?アドラー心理学によれば人はいつでも変わることができるんだみたいな。

俺はイライラして半分しか読めなかったけど。

2021-01-06

anond:20210106233202

皆思ってるけど同調圧力を優先しちゃうから権威に頼ってのっかるんやで

責任取りたくない日本人らしいやろ

嫌われる勇気を嫌われたくないから広めてんの

2020-12-07

anond:20201207004927

嫌われる勇気

みたいな言葉を信じちゃってるヤツ厄介だよね

やっぱりみんながみんな、嫌われないように気を使うから組織が円滑に回ったりするわけで…

その中にひとり厄介なのがいると、我慢しているみんなのリソースが少しずつ奪われる…

気持ちいいのはそいつだけ…マジ勘弁。

2020-12-04

anond:20201203220621

大いに間違っているのは、なぜお前は相手を信頼していないのか?

相手はつまらないと言っていないし、お前に失望したとも言っていない。お前の前で楽しんで見せた。お前が好きなその相手はいい奴だから、お前がもし失敗しても許しすらするだろう。

なのになぜ、その全てが嘘で、陰でお前に失望していると思ってしまうのか。

 

なぜかというと、お前が相手の顔色を伺っているからだよ。

相手感情など、相手が言わない限りわかるわけがない。わかる訳がない暗闇の場所に飛び込むのは不安である。当然のことだ。当然のことだが、消えない不安のために労力を割くのは無駄だ。どっちみち消えないんだから

から無駄なことはやめて居直る必要がある。たとえ不安が的中しても、だとしたら相手は俺に嘘ついたクソ野郎から別れてもノーダメだし? だいたい相手はいい奴なんだから理屈では不安など存在しないはずだよね? そういう考えに自分を持っていく必要がある。

 

これはポジティブになるのとはちょっとちがう。

なんというか、タフになれ。

不安を消すのではなく、不安に動じなくなれ。

 

なおお前の発言マジで全部「嫌われる勇気案件なので、そんな悩むなら増田の言うことなんか聞いてないで、本だけ読んどけ。

2020-12-03

anond:20201203214726

万が一そうだとして、お前が楽しかったのに何か問題ある?

 

あれよ、生殺与奪の権を委ねるなの理論や。

あるいは嫌われる勇気

お前の価値他人評価では決まらん。

2020-09-27

嫌われる勇気勘違いして

ただただ無礼になって周りに敵を作るようになったら

しょうもない

2020-09-11

(続き)精神的に不健康作品コンテンツについて考えてみた

前回はこち

https://anond.hatelabo.jp/20200904203318

増田の皆さんのコメントには考えさせられた。

ビジネス本を根拠として、娯楽を健全と不健全に分けるのは余計なお世話とか、「人間」と「作者という存在」を同一視するのは不健康とか、コンテンツ精神的に健康/不健康で断ずる行為はよくないなどの意見をいただいた。

特に、「私自身が敵意を持って何かを貶めたい意図を持っているので、記事のもの精神的に不健康である」という意見には唸らされた。

それでは、精神的に不健康作品コンテンツの続きをどうぞ。

今回は個別作品を取り上げる。





ゲーム

 一般販売されているゲームで、自分クリアしたことのあるものに該当はなかった。

 やはり倫理基準があるので、人権侵害をメインに扱ったゲーム審査を通りにくいし、そもそも売れないのだろう。

 それに、私がここに書かなくても、「グロ 残虐 ゲーム」などの単語でググってもらうと、有志がそういうコンテンツを紹介しているページに易々と辿り着くことができる。

 なので、今回はフリーゲームを取り上げたい。フリゲは主に個人制作するものなので、その人の心の健康がありありと現れる。考察にはうってつけだ。

 以下に紹介する。できるだけネタバレはしない。

タオルケットをもう一度(1~3)

 かなしみホッチキス氏の代表作。

 見た目はほんわかしているが、中身はエログロ特にグロ)。見た目はMOTHER2のような暖かい印象を受ける。

 プレイを初めて1時間以内に、このゲームの異常性に気が付くことだろう。気持ちが悪いタイプの異常性ではなくて、続きが気になるタイプの異常性だ。 

 ネーミングセンスが独特であり、作中の随所に現れる。

 どこが精神的に不健康なのかといえば、ストーリーの救いのなさだ。特に2。1と3は、グロ展開を挟みつつも笑えて感動できる物語なのだが、2はとにかく救いようがない。

 特にラストステージ。人によっては恐怖で進めなくなる。ニコニコ動画の実況プレイ動画にも、「怖すぎて〇〇さんの動画に来ましたwww」といったコメントが並んでいる。

 私自身も当時は震えた。深夜1時頃にクリアしたのだが、翌日にあった英語の演習でミスを繰り返したのを覚えている。

 あの時の私は、恐怖を感じていたんだろうか?

 違うと思う。あのラストステージというのは、ぱりぱりうめというキャラクターの抱える苦痛嫉妬絶望や愛や夢が、画面を通じてプレイヤーを殴りつけるとしか言いようのない展開だったのだけど、その感情に心を揺さぶられたのだ。だから涙が止まらなかったのだと今では思う。

・いりす症候群!

 ゲームサークルであるカタテマによるパズルゲーム

 大学生4人(男2女2)が旅行に行く。そのうちの一人が入巣(いりす)京子旅行先で楽しんでいる途中、事件が起こって1人ずつ行方不明になっていく。

 パズルゲームでの得点によって物語分岐する。バッドエンドだと、いりすが友人を したのを示唆するEDになる。高得点を取ると、行方不明は友人たちによる仕込みであったことがわかる。サプライズ誕生日パーティーをしたかっただけなのだ

 プレイを続けていると、ゲームフォルダ内のデータが少しずつ置き換わっていることに気が付く。テキストファイル画像データが現れたり消えたりする。

 最後までプレイすると、いりすのキャラクター性や、旅行について考えていたことや、男側の主人公であるうーじの抱える闇が明らかになっていく。

 いったいどこが精神的に不健康なのかというと、〇〇と見せかけて、実は〇〇でした!みたいな展開の連続であり、特にその裏側に残虐性(しつこいようだがネタバレはしない)が潜んでいる。

 以前の作品である愛と勇気かしわもち」でもそうなのだが、プレイヤーを悪い意味ビビらせることに全力を注いでいる。

 プレイヤーの心臓に冷たい何かが突き刺さって、心臓が凍り付いて、血管が破裂するような恐怖を味わわせることに作者は快感を覚えているのでは?と邪推せざるを得ないほどに、このゲームプレイヤーを驚かせてくれる。

・ドキド文学部!

 数あるフリーゲームの中でも最大級の――精神的に不健康作品だ。

 ゲーム冒頭の説明にあるように、精神疾患の人や未成年絶対プレイしてはいけない。一般の人にもおすすめできない。やっていいのは恐怖を快感に変換できる人だけだ。

 体調がおかしいと思ったら、プレイしている最中でも中止すべきだ。例えば、2周目に入ったあたりで、「ここで止めたら負けだ」とか、「モニカ、てめーは絶対○す」などの感想を抱くかもしれないが、それでも途中でやめるという選択はありだ。

 作者、特に2周目の恐怖演出担当した人間の悪意が突き刺さってくる。どのような理由でも説明できないほどに悪趣味演出だった。

 プレイしている最中に感じたことがある。

「このゲームを作った人たちは、学生時代に苛めや虐待などのひどい目に遭って、社会に恨みを持つようになったんじゃないか? だから、こんな残酷ゲームを作って社会復讐しようとしたんじゃないか?」

 私はそう推測した。

 「違う。このゲームは高い評価じゃないか」という意見もあると思うが、典型的確証バイアスだ。別の言葉で言えば、コミットメント一貫性

 プレイヤーは、恐怖と戦いながら数時間~数日をかけてゲームクリアする。敵だと思っていた存在は、自分のことを(以下略)。ハッピーエンドではなかったけど、恐怖に打ち勝ってこのゲームクリアできた。俺はチキンじゃない!

 終わり良ければ総て良しという言葉がある。悪趣味演出にどれだけイライラしたとして、最後までクリアしてしまった後で、このゲームプレイした時間無駄だったと認めることはできない。

 そんなことをすると自分愚か者だったことになる。だからこそ、個性的ゲームだったね、just monicaだったねと高い評価を与えることで、自分の考え方と行動に一貫性をもたせようとする。それがこのゲームが高く評価される理由ひとつだ。

 今までにないタイプゲームだったのは間違いない。ホラーゲーム好きな人にとっては珠玉一品だったと思う。私も、このドキド文学部!に評価を投じた。★4つだったと記憶している。



小説

 読んでいて苦痛を感じた作品トップ3を紹介する。

悪徳の栄え

 名前だけは聞いたことがあると思う。エログロかと言われればそのとおりだ。

 この作品は、上下巻の約700ページ(しか行間ほとんどない)に渡って以下のような展開が続く。

ジュリエット(とその仲間たち)が乱痴気騒ぎを起こして一般人を強姦したり殺したりする

②騒ぎの最中かその前後パートで、ジュリエット(とその仲間たち)による哲学論議が行われる

ジュリエット(とその仲間たち)が不仲になって仲間を殺す。あるいは新しい仲間を作る

 特に①②の割合が高い。

 エログロ小説世間では見られているが、実は哲学小説だ。作者であるマルキ・ド・サド貴族出身でありながら、変態行為が露わになって逮捕→投獄というパターン小説を書き始めたタイプの人だ。

 この小説が有名になった理由ひとつは、サド自身社会に対して抱いていた恨み(今でいう反社会性障害?)から生じるエログロ描写の反面、その知性や教養から精緻に描かれる人間社会に対する哲学的な理解の鮮やかさが奇妙なほどマッチしていることによる。

 哲学的な描写の例として以下の例を挙げる。主人公であるジュリエットの序盤の師匠であるデルベーヌ夫人の科白だ。この小説キャラクターは喋りの量が半端ないドストエフスキー並みだ。

 ※一部のみを抜き出した。この場面の文字数引用箇所の軽く数倍はある。

「まあ!」とあたしはデルベーヌ夫人に申しました、「それではあなたは、御自分の評判などどうなったってかまわないほど、無頓着でいられるというのですか?」

「そのとおりよ、あなた。本当のことを言うとね、あたしは自分の評判がわるいという確信をもてば、ますます内心で愉快を覚えるの。そして評判がよいと知れば、まあそんなことはないでしょうけれど、きっとがっかりするでしょうね。いいこと、ジュリエット、このことをよく覚えといてちょうだい、評判なんてものは、何の役にも立たない財産なのよ。あたしたちが評判のために、どんな犠牲を払っても、けっして償われはしないのよ。名声を得ようと躍起になっている者も、評判のことなど気にかけない者も、苦労の多い点ではどちらも同じよ。前者はこの貴重な財産が失われはすまいかといつもびくびくしているし、後者自分の無関心をいつも気に病んでいるの。そんなわけで、もしも美徳の道に生えている茨が、悪徳の道に生えている茨と同じほどの量だとしたなら、いったいなぜこの二つの道の選択にあたしたちは頭を悩ますのでしょう、あたしたちは自然のままを、思いつくままを、そのまま素直に信用していればよかりそうなものじゃありませんか? P.16

 今時の心理学の本に載っていそうな感じではある。アドラーの『嫌われる勇気』に通じるものがある。

 悪徳の栄えで論じられている思想ニーチェハイデガーに通じるものがある。この世に存在し続けるものに重きを置いている。

 私にとっては面白い小説ではなかった。万人にお勧めできるものではない。というのも、哲学的な論考はあるものの、残虐な場面や、人間的に醜い描写が多く登場するからだ。

 今のコンテンツでいえば、『ダイナー』が一番近い。ダイナーを哲学的な内容にすると現代版の悪徳の栄えになる。

 私が読むのをやめようと思いかけた場面のひとつを挙げる。ジュリエットが、師匠の一人であるノアルスイユという金持ち気持ちを打ち明けるところだ。

 ※上を含めて、引用箇所を探して打ち込むのに2時間半もかかってしまった…いずれにしても引用が多すぎる。これで最後にする。

「おお、 ジュリエット、おまえはまだ全部を知ってはいいからそう言うが……」

「なら全部すっかり話してください!」

「おまえの父御さんや母御さんのことだがな……」

「どうしたと言うんです?」

「生かしておいてはおれのために都合が悪かった……息の根を止めてしま必要があったのだ。で、二人ともばたばたと死んでしまったのは、おれが彼らを自分の家に招いて、ある飲物を飲ませたからだ……」

 ぞっとあたしの総身に冷たいものが走りました。だがすぐに、自然があたしの心の奥底に刻みつけた、極悪人にふさわしいあの無感動な冷静さで、あたしはノアルスイユを正面からじっと見据えながら、「人非人! 何度でもこの名を繰り返してやりたい」と叫んでおりました、「あなたは見るも怖ろしい男です、でもあたしは、そういうあなたをやっぱり愛しております

「おまえたち一家殺戮者でも?」

「ああ、そんなことあたしに何の関係があるのでしょう? あたしはすべてを感動によって判断します。あなたの兇行の犠牲となったあたしの家族は、あたしに何の感動も生ぜしめてはくれませんでした。けれどあなたがあたしにしてくれたあの犯罪告白は、あたしを熱狂させ、何とお伝えしていいか分らないほどな興奮の中へ、あたしを投げこんでくれました」 P.57~P.58 

 ノアルスイユはジュリエットの父母を殺している。そのせいで、裕福だったジュリエット修道院に送られて貧しい生活を送り、やがては売春宿で働くことになった。

 その原因を作った張本人であるノアルスイユに対してこのような言葉を出してくるところに、この悪徳の栄え醜悪さを感じた。読者をダークサイドに送り込もうとしている。

 物語の中で悪事を働く人間の基本になっている考え方のひとつに、「悪事をする人間自然有益である」というものがある。考え方自体はとんでもないのだが、文学者翻訳を務めている関係でやたらと格調高い文章になっており、それが読者の心に響いてしまう。

 年末年始を使って上下巻を読んだのを覚えている。今では読むべきではなかったと後悔している。

隣の家の少女

 前回の記事ブクマコメントにこういう意見がある。

同意しない。そもそも残酷作品」の多くは「読んで心が痛い」という理由で人気がある。

 いわゆる鬱小説というやつだ。心が痛くなるコンテンツ。とにかく痛い。この本も読むんじゃなかった。アマゾンで高評価がついていたので出来心で買ってしまった。

 この小説のいったいどこが精神的に不健康かといえば、「いたいけな少女をいたぶること」を主眼に置いているからだ。

 アメリカ田舎町に暮らす主人公のデイヴィッド(12)。ある日、隣の家に住んでいるルースのところに、両親を亡くしたという快活な美少女メグ(13才以上)が妹のスーザンと一緒に引っ越してくる。デイヴィッドはメグに心を奪われる。ザリガニ釣りから始まって、次第に仲を深めて、お祭り観覧車に一緒に乗る。花火が綺麗、みたいな描写だったのを覚えている。

 「はい終わり、ここで終わり!めでたしめでたし

 という言葉脳裏をよぎった。まだ未成年だった頃、某動画サイトにアップされていた『true tears』というアニメを見ていた。眞一郎と乃絵が仲睦まじくしている様子を見て、ほかのみんなが一斉にこのコメントを打ち込んでいたのを思い出した。

 この小説は、読者に精神的な苦痛を与えることを目的として、メグに対してありとあらゆることをやってのける。

 メグは何でもされる。肉体的な苦痛から精神的な苦痛まで、何でも揃っている。

 巧妙なのは、このメグというのが優秀設定のキャラクターであることだ。

 運動神経は抜群で頭がよく、そのうえ美少女ときている。いわゆる利発キャラ。例えば、虐待が始まってすぐの段階で地元警察相談に行っている。普通の子どもはこういう行動を取ることはできないだろう。

 実際、一度はルースの家から脱出成功しかけるのだが、障害持ちのスーザンを気に掛けるあまり失敗してしまう。

 ルースやその子ども達から虐待さら苛烈になるが、デイヴィッドはただ観ているだけだ。傍から虐待されるのを眺めるばかりで何もできない。親に相談しようとするも、恐ろしくてできない…

 この小説を読んでいる間に心が相当削られた。品性下劣という感想を抱きながらも、最後まで読まないといけない気分になっていた。悔しいが作者の勝利だ。

 今回の記事を書くにあたり、隣の家の少女について調べたところ、ネットフリックス映画があるらしい。今度見てみることにする。

路地の子

 作者である上原善広の父を主人公に据えたノンフィクション小説。ということになっている。物語というよりは、作者が精神的に不健康な例だ。

 あらすじとしては、牛の解体場で働く上原龍造が、自らの腕だけを頼りに食肉業界経営者として成り上がっていくというもの

 昭和時代の話なので、解放同盟共産党右翼ヤクザが出てくる。彼らと渡り合いながら、少年だった龍造は成長を遂げてゆく。

 問題なのはノンフィクションと謳っておきながら創作であることだ。

 作中では、実際に存在した人物名前や経歴が書き換えられている(ex 作者の父の名前は龍造ではない)のみならず、解放同盟支部の結成年や支部名その他、多くの事実に誤りがある。

 作者と新潮社解放同盟から怒られた。出版である新潮社HP謝罪文を出している。作者である上原氏もnote反省文を書いているが、はっきりいって反省していない。

 路地の子の誤りを指摘することを目的としたネット記事もある。

https://kadookanobuhiko.tumblr.com/post/167512723599/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E5%96%84%E5%BA%83%E8%B7%AF%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%AD%90%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80-%E2%91%A0

上原善広路地の子』を読む

 巻末のところで実父に関連して、自分の来歴や、元嫁や兄について語っているのだが、なんというかもう、ツッコミどころが満載なのだ。本編を読む前にこれを読んでいたら、一生読むことはなかったと思う。

 ※個人情報その他の関係で、ここに詳細を書くことはできない。上のネット記事には詳細がある。

 最後

 逆に精神的に健康作品コンテンツについて考えてみた

 https://anond.hatelabo.jp/20200911212405

2020-09-08

anond:20200907223020

流行った「嫌われる勇気」って本で紹介されるアドラー心理学では

傷付いた=トラウマ

トラウマ存在しない。自分理由づけしてるだけだ。その事象は原因ではない。(意訳というかうまく端的に表現できる日本語力がないけど)

って言う考え方だね。

2020-08-27



嫌われる勇気





所詮他人他人や。

嫌われたって直接害はないし、嫌いな奴から離れられてむしろ清々しい。

2020-06-26

懺悔

 私は、人間として許されないであろう生き方をしてきた。この自粛生活の中で過ちに気付いた今、私自身に関わり、友好的に接してくれた周囲の人々に向けて全力で詫びを申し上げたい。本来ならば、これは墓まで持っていくべきものなのだろうが、あいにく幼稚な私はそれに耐えることはできず、今ここに「懺悔」として残している。

自粛期間、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』を読んだ。本の内容は、私にとって凄まじく重かった。特に後者は、この懺悔きっかけにもなった。まだ読んでいない方は、このページを閉じて、amazonに飛んでもらいたい。

 私には約2年付き合っていた同性の彼女がいた。今は全てのSNSを断ち切り、疎遠な関係になっている。疎遠とはいっても、同じ学校共通の友人がいる以上、完全に断ち切ることは不可能だろう。

 彼女と交友関係を持ったのは、共通する好みに意気投合した2年前に遡る。彼女はいわゆる何でもこな努力家で、周囲からとても頼りにされていた。そして何より世話好きで、「皆に好かれる人間」の体現者だと思った。私はそんな彼女にどんどん惹かれていった。これが本来恋愛感情であったならばどれだけ良かったことだろうか。

 私はオタクゆえに好きなものに対しては全力で好意を表する。何でも出来て、成績も優秀、周囲から頼りにされて、その上めちゃくちゃ面白い、そんな彼女が大好きだった。授業終わりにDM彼女好意を伝え、「これからよろしく」としめた。すると相手から思わぬ提案がされたのだった。「顔が好き、会う前からずっと目で追ってた。」

「付き合っちゃう?」

彼女バイだった。驚きを隠せない中、恥ずかしながらその時まで誰かと交際した経験がなかったため、恋愛感情に似た何かと好奇心と勢いでOKした。彼女の世話焼きは一層激しくなった。何よりも自分を優先してくれるし、好意を示してくれる。人と付き合うっていいなと思った。

だが、あるきっかけを境に私は、彼女から好意がうっとうしく感じた。

メンタルの弱った彼女LINEの中で、「構って」と自分を求めてきた。

私はこの時点で一気に冷めた。当時は、Twitterで少し話題になっていた「蛙化現象」というやつだろうと思い、とりあえず彼女がしてくれたように甘やかした。でも一緒にいることは楽しかったし、人に影響されやすい私の成績は各段に上がった。私たちは空きコマを合わせ、二人で会う時間を増やしていき、周囲からは「ニコイチ」と認識されるところまできた。

長期休暇に入り、しばらく会えない日が続いた。私たち毎日LINEメッセージを交わした。そこで彼女から「寂しいか電話したい」と言われた。電話は嫌いじゃなかった。むしろ好き。ただ一つを除いて。

私は、彼女が私からの愛を求めるために「電話して?」と誘ってくるのがものすごく嫌いだった。

「愛している」と言われて「愛している」と返さなくてはならない義務が辛かった。

 また、彼女が何か悩んでいたり、泣きついてくると、私は決まって適当検索して出てくる、それに近い原因、結果、改善方法等を勝手に送り付けた。

私になんて相談しても何も得られない、だったらネットから解決策を出してくれば終わりでしょう。他人の悩みなんて至極どうでもいい、手っ取り早くその会話を終わらせたかった。そんな気持ちで接していた。

どうしても、彼女に求められると冷めてしまう。自分でも疑問に思っていたが、これは自分にとって何もおかしいことではなかったのだと、今の私は断言する。

なぜなら、私は、彼女を愛してもいなかったし、そもそもすべての人間自分の道具だとしか思っていなかったからだ。

少し前まで、有名絵師からフォロバを得ようとする、ゲームのような行為を続けていた。絵師の絵を毎回褒めちぎって、日常生活のツイにも反応し、故意的に仲良くなるのが楽しい

だが、有名絵師からフォロバはただの課程でしかなく、自分の絵の拡散数を増やすための手段として使っていた。

また、幸運なのか、不運なのか分からないが、私には仲の良い友人、親友と呼べる者も含めて数人いる。私は、所属感欲しさに、友達が好きなものにどんどん手を伸ばしていった。

これは「私はあなたの好きなものを好きになってあげたのだから、そのお返しが欲しい」というあまりにも傲慢すぎる気持ちからまれものだった。

同じコンテンツにハマれば、友人は気を良くしてイベントに誘ってくれたりした。

正直そういう時以外は他人を見下し、内心馬鹿しまくって無理矢理自己肯定感を上げてメンタルを保っていた。

ただ、感謝()を伝える脳は持っていたので、何か尽くしてくれた友人に対しては、「ありがとう」、そして「愛している」と伝えた。

彼女の話に戻ろう。私は彼女から求められるのが嫌だったわけではないのだ。私の事を好きでいてくれる「彼女」というレッテル担保がある相手に対して、さらに貢献したいと思えなかったのだ。

例えるならば、それは、限界突破済みレベル最大のカード経験値を与えることと同じ。報酬は取りつくした、満足した。好感度を上げきった。これでは交際として成り立たなくなってしまう。そこで私はとんでもない方向に考えてしまった。

好感度を下げれば、また自分彼女に対して貢献し、好きでいられるのでは?」

結局これは上手くいった。上手く行き過ぎた。意図して嫌われる態度を振舞う私に、彼女から「今少し冷めてるんだ」と言われた。言われたと同時に最高に喜んでしまった。

そしてまた好感度を上げようと、様々な手で彼女に尽くす。好感度が高くなったら満足して終わる。そしてまた彼女が冷めたら、突然愛想を良くする。そんな地獄絵図を繰り返していた。

私たちはその間、何度も意見がぶつかった。何も共感も得られないし理解も出来ない。私がこうと意見すればその間をぬって反論してくる。私は、思い通りに動いてくれない、賛同してくれない彼女に対して、「使えない」と思った。

「使えない」ものに貢献しても返ってくるものは何もない。そう思った私はとにかく嫌われるような態度を続けた。友達がいないと泣いていた彼女に見せつけるように、ストーリーTwitterで他の友達とはしゃいでいる様子を投稿しまくった。彼女が悩んでいる時も、あえて図星を指したかのような、関連する心理学押し付けた。

最終的にその企みは上手くいき、向こうからSNSブロックされ、今に至る。

私は当ても構わず感謝と同時に「愛している」と添える癖がある。

なのに彼女から「愛している」と言われ、それを返すことが出来なかった。

それは、私にとって「愛している」とは、「使えるヤツ」と同義だったからだ。

彼女は本当の気持ちで「愛している」と言っていたのか、それは判断しかねるが、私のように「使えるヤツ」という意味では絶対にないだろう。

2年間、私に時間を費やしてくれた彼女に全力で謝りたい。

ごめんなさい。

私は、とんでもない人生オワコン自己中人間だった。しか他人比較しなければ自己肯定感を上げられない。

私と仲良くしてくれている人たちに全力で謝りたい。

本当にごめんなさい。

今になってやっと自覚した。私は人を全く信じず、道具として利用して、時には玩具として遊んでいた。自分に自信がないゆえに、他人好意に甘え続けていた。

ごめんなさい。

つけまくった彼女に対して、許してほしいとは到底言えない。

ただ、私の心理について気付かせるきっかけになったこと、2年間寄り添ってくれたことに、心から感謝する。

自覚した私は、償いをしなければならない。どう償おうか。

まずは、これから人間関係他人への思いやり、一つ一つに目を向けていこう。

本当の感謝気持ち大事にしよう。他者尊敬しよう。

そしていつか必ず、だれかを心から愛せるようになりたい。

2020-06-11

不倫したい

一度きりの人生

やりたいことやったもん勝ち

嫌われる勇気

2020-06-08

anond:20200607142545

嫌われる勇気を持て。

誰もが誰かに嫌われ、

誰もが誰かに好かれている。

一部の気の合うやつと一緒に居ればいいだけ。

2020-04-05

anond:20200405105244

承認欲求に囚われてる時点で不幸だ。アドラー心理学を学んでくれ。とりあえず「嫌われる勇気」を読もう。中古なら安く売っている。

2020-03-23

アドラー心理学って鬱病全否定じゃん

ちょっと前に話題になった嫌われる勇気を読んでみたけどさ、

「原因」が「結果」を作るんじゃなくて、「結果」から逆算して自ら「原因」を作ることに問題があるっていう

それじゃあ鬱病になる人は、鬱病になりたくて自ら欝になるための原因を作って欝に向かって行動するっていうのかよ?

あんまりじゃないか

2020-01-13

アドラー心理学実践するなら茶道だぜ

随分前にアドラー心理学 嫌われる勇気 を読んだときはそれは感動したさ。 でも承認欲求を捨てるってやっぱ無理ゲーじゃん?ってのも

実践しようとして思うわけ。

そこでさ、ヒョンな事から茶道やることになったのよ。

右足から入り、袱紗をさばき・・なんでこんなに決められてる?めんどくさい?

それが半年やって分かるわけ、これこそ、承認欲求を捨てて共同体感覚を得る まさにこれさ。

絶対、いいかっこしたいって欲出しちゃいけない。茶道は禅の修行から

嫌われる勇気読んで、実践できないってムラムラしてる人は絶対茶道やるべきよ。承認欲求を捨てた世界がそこにはある。

#アドラー心理学 #嫌われる勇気 #茶道 

2020-01-10

面談ストレス

上司との1on1がとてもストレス

上司のことは同じ道のプロとしてのスキル経験尊敬できる。ただ、人間的に合わない部分が多分にある。

具体的には、自分感覚以外の感じ方をする人がいることを理解していない。

例えば苦手な人がいたとして、飲めば仲良くなれる、みたいな感覚なのがうちの上司。俺は業務上必要場合を除き、なるべく関わらないようにしてお互いのストレスを溜めないようにしたい。

他にも、誰かがチーム内で「蔑ろにされている」と相談した時、上司はその子のその言葉の背景や求めていることを理解しないまま、相手との面談勝手にセッティングする。みたいな。

まあとりあえず「話せばわかる」と信じているし、「自分の感じ方で間違いない」という確信を持っている。

嫌われる勇気とかそういう話じゃなくて、もっとドライ会社と付き合っていきたいのに、そうじゃないところでも気を遣ってくる。そのくせ、こちらが要求を口にしたところで、正しくそれを理解してくれない。何度か粘って話し合ってみたけど、考え方のプロセスも感じ方も違うので、全く話にならなかった。だからそれ以来理解してもらうことを諦めた。

そういう経緯もあって、ブリーフィング時間が非常にストレスになっている。

日常的にやらなきゃいけないならまあ慣れるんだろうけど、月に1回、30分ほどのmtgを組まれ、それが毎回1時間に伸びる。俺のメンタル疲労困憊になる。もういやだ。

そんな恐ろしい時間があと数時間後に迫っている。つらい。

2019-12-02

本好きを信用してない

読んでねえだもん、あいつら

サピエンス全史の名前出したら、なにそれ?だって

born to run もなにそれだって

嫌われる勇気もなにそれだって

人を動かす七つの習慣もなにそれだって

わりと手広く本の名前出してるのになんなん。どれなら知っとるねんって感じなんだけど。

深夜特急じゃなくてちんや特急は読んだって言ってた。

2019-11-24

[] 72 本音と建前と

 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49366?page=6

まらないやつだと思われないために、メンヘラっぽい言動であろうが開示して人と接するようにしている。

友達にもそうしていたら、1番仲が良いと思っていた友人がメンヘラっぷりに辟易していて、地味にショックだった。

自分を曝け出せば曝け出すほど良いと思っているところがあるが、果たして本当にそれでうまくいくのかというと、非常に怪しくないか

本音で生きるとか、本音を話すことがいかにすばらしいかを説く人というのは、信者ビジネスをしたい人たちばかりである、ということに、なんとなく気づいてきた。

本音で〜というのは、信者の耳に心地良く、教祖にとって都合の良い教えだ。

常に本音だけで生きている人間など存在しないというか。そもそも本音とはなにか。

本音とは、建前の対語であって、建前があって初めて成立するもので、つまりは建前並に脆い概念だということだ。絶対真実のようなものではない。

本音と建前と、どっちかに偏ってはいけないと思う。

本音を言うようにしたらうまくいくようになったみたいなフィクションがよくあるが、あれはフィクションだ。

本音100%でうまくいくなら、ストーカーとか底辺Youtuberとかアイドルヲタクは、もっと報われていいだろう。

つまるところ、本音かどうかって、たいして重要じゃないのかもしれない。

本音からいいでしょとばかりに自分発言に甘えてはいけない。

本音かどうかというより、少なくとも相手不快にさせないことが大事なのだと思う。

メンヘラっぽい言動をして、99人引いても、1人引かない人がいるかもしれない。

その1人だけ残ればいいというのは、楽だが、99人に迷惑をかけている。

やたら嫌われる勇気が押される時世にあっても、嫌われない、相手を傷つけたり不快にさせないというのは、とても大切なことなのだ

ナンパの頃の思い込みの名残で、会ったその日にを目指す習性が残ってしまっている。

まずは嫌われないで、また会ってもらえるようになるところからはじめたい。

2019-11-20

SELFISHっていう本がよさすぎるので、流行ってほしい

最近買ったトマス・J・レナードの「SELFISH」がめっちゃ良かった。

個人的にはカーネギーの「人を動かす」とアドラーの「嫌われる勇気」に匹敵すると思う。

でもAmazonレビューは一件もないし本屋でも全然プッシュされてなくて、

ほとんど知られてないのですごい残念だと思う。

最近流行った薄っぺらい「君たちはどう生きるか」の百倍は価値のある内容だと思う。

なので気になった人はぜひ買ってほしい。

https://www.amazon.co.jp/dp/4396617097/

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