https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49366?page=6
つまらないやつだと思われないために、メンヘラっぽい言動であろうが開示して人と接するようにしている。
男友達にもそうしていたら、1番仲が良いと思っていた友人がメンヘラっぷりに辟易していて、地味にショックだった。
自分を曝け出せば曝け出すほど良いと思っているところがあるが、果たして本当にそれでうまくいくのかというと、非常に怪しくないか。
本音で生きるとか、本音を話すことがいかにすばらしいかを説く人というのは、信者ビジネスをしたい人たちばかりである、ということに、なんとなく気づいてきた。
本音で〜というのは、信者の耳に心地良く、教祖にとって都合の良い教えだ。
常に本音だけで生きている人間など存在しないというか。そもそも本音とはなにか。
本音とは、建前の対語であって、建前があって初めて成立するもので、つまりは建前並に脆い概念だということだ。絶対の真実のようなものではない。
本音を言うようにしたらうまくいくようになったみたいなフィクションがよくあるが、あれはフィクションだ。
本音100%でうまくいくなら、ストーカーとか底辺Youtuberとかアイドルヲタクは、もっと報われていいだろう。
つまるところ、本音かどうかって、たいして重要じゃないのかもしれない。
本音だからいいでしょとばかりに自分の発言に甘えてはいけない。
本音かどうかというより、少なくとも相手を不快にさせないことが大事なのだと思う。
メンヘラっぽい言動をして、99人引いても、1人引かない人がいるかもしれない。
その1人だけ残ればいいというのは、楽だが、99人に迷惑をかけている。
やたら嫌われる勇気が押される時世にあっても、嫌われない、相手を傷つけたり不快にさせないというのは、とても大切なことなのだ。
ナンパの頃の思い込みの名残で、会ったその日にを目指す習性が残ってしまっている。
まずは嫌われないで、また会ってもらえるようになるところからはじめたい。
そもそもその本音自体も、唯一の自我的なものではなく文化や社会、教育等によって培われたものなら本音を開示したところで辟易されるのも必然では? 相手もまた別の社会で生きてきた...