はてなキーワード: 十倍とは
彼女の世界では全ての物が凄い勢いで動いていて、同じ場所に留まるだけでも走り続けなければいけないの。
「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物で、彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられている。
だからマグロだけじゃないわ。全ての生きとし生けるもの物はすべからく走り続けなきゃならないの。
しかも一説にインターネットの情報流速は現実世界のそれの数十倍と言われているわ。
2ch、ツイッター、FaceBook、新しい話題が現れては消えていくでしょう?
立ち止まっては後ろに取り残されて朽ちるだけよ。
つづき
「なぜあなたのような人が、今まで成功(性交?)できなかったんでしょう?」
当時はなぜ初対面でそんな事を言われるのかわからなかった。
単なるおべんちゃらだろうと、
とくに頭が良いわけでも無いし、低学歴だし、スキルもないのにと、思っていた。
でも今ならわかる。確かにあんな風に活動できる人間は、すぐに成功できるだろう。
どんなにすごい人とも臆面もなくアポを取って、すぐに仲良くなって、一緒に遊びに行ける。
自分でもなぜそんな事が突然できるようになったのか当時はわからなかった。
逆にそういう事ができない人が、なぜできないのかわからなくなっていた。こんなに簡単なのにと。
「へー、良いですね。じゃあ僕も行きます。丁度来週は2日間予定が空いているし、インドネシアには一度行ってみたかったので。現地で会ったら飯でも喰いましょう」
明らかに変である。変であるが、当時知り合った人の中には、似たようなノリの人も結構居た。
それで現地でインフラや不動産を見て、その地で出来そうなビジネスを考えて、
「こんなの面白そうじゃない?」とか「こういう事やってみない?」とか話が進む。
脳の中の一部の機能が少し振る舞いを変えるだけで、同じ人間なのに
一方は何もできない引っ込み思案の童貞で、
一方は何でもできて、社会的に成功し、モデルの彼女をゲットできる。
重要なのは、コミュニケーション能力でも、スキルでも、才能でも、人脈でも、キャリアでもない。
それさえあれば何でも手に入るし、何でもできて、人生を楽しめる。
生まれつきそういう人は、たったそれだけの特徴を持つことで、普通の人の何倍も何十倍も人生を楽しめる。
羨ましい。
SNSで知らない人が何か面白そうなイベントをやると告知したら、すぐに参加したりしていた。
それで悟ったことがある。
人生を本当に楽しめているのは、一部の人間だけだということに。
もちろん大多数の人もそれなりには人生を楽しめるのだが、
ある種の人の楽しみ方は、それ以外の人とは全く次元が違う。
彼らをオプティミスト(楽観主義者)と言えば、イメージに近いが、
それとも少し違う気がする。
「気まずいなぁ」とか「どう思われてるだろう」とか「何を話せば良いんだろう」などと気をもんだりしない。
普通の人は気まずい場などに居ると偽物の笑顔の下で冷や汗タラタラ胃はキリキリという事が結構あるが、
オプティミストは、どんな現場でもあまり気まずさや居たたまれなさを感じない。
普通の人は何か楽しそうな事を思いついても、関係者がどう思うかを心配して、実行しなかったりする。
すぐに不動産屋に電話して、賃料などを確認し、立地などからできそうな事を想像し、
その場でスマートフォンで関係するキーワードでSNSを検索して、初対面の人に連絡を取り、
などという事が、何の心理的抵抗もなく行える。「自分は素人だから。。。」などというマイナス思考は一切ない。
別に本気で起業しようと思ってるのではなく、単に面白いから、という理由だけで実行できてしまう。
だから街をダラダラ歩くだけでも、誰か知らない人と話をするだけでもワクワクしっぱなしなのだ。
普通の人では上記のことは、よほどアイデアに自信があったり、何か逼迫した事情がないと実行できないだろう。
見ず知らずなのに、いきなり「飲みませんか?」などと誘ってくる人に乗っかる人はたいてい
オプティミストのケがあるので、そういう人で集まって飲むと、すぐに具体的な話がどんどん進んで行く。
その過程で、情報収集の為に一緒に旅行に行ったり、イベントに参加したりする中でフィルタリングされ、
なぜなら「最初のアイデアにたまたますごく興味があって参加した普通の人」は、
話し合いの中で出てくる、ほとんど本筋と関係ないようなイベントには参加しないからだ。
オプティミストは目的が違う。成功することが目的ではなく、その過程を楽しむことが目的なのだ。
だからわざとそういう人だけが残るように最初の呼びかけと関係ないイベントを発案して実行したりしていた。
単なる好奇心でそうしていた。
私はその途中で躁状態が解除され、普通の人に戻ってしまったので、
(彼らには思考や文体からすぐにバレるだろう。突然連絡取れなくなった奴が私です。当時は失礼しました)
私だけが何もできない泥沼のような中を無為にダラダラと過ごしている。
当時の連絡先を使えば、容易に成功が手に入ることはわかっているが、
恐ろしくて実行できない。
当時の知り合いから連絡が来ることもあるが、
すぐに色んなことに誘われて面倒だからだ。
今では、ただただ、ひっそりと無難に生きて行きたい。
でもたまに当時のことを思い出して、みんなが羨ましくなる。
あ、素人童貞だった自分がやっとの事でゲットしたモデルの彼女には、すぐに振られました。
8/9 1:50 追記
ホッテントリ入りしてるのに気が付いたので、多勢に変に誤解されないように追記。
「リバウンドで躁病になった」というのは確かにおかしいかも。医者にも「躁転してますね」って言われたんだった。
当時は「これは躁じゃないよ。本来の自分だよ」と思って気にもしてなかった。病院にもすぐに行かなくなったので、ちゃんとした病名は不明。
躁鬱の人がこんな文章を書けないってのは、どういう意味かよくわからないけど、今はうつ病ではないです。普通の状態です。
即行動でウェーイの人が孤独ってのは、意味がよくわからない。私の知人は、心の中まではわからないけど、心底人生を楽しんでいるようにしか見えない。
あと私自身がウェーイ系の人と相性が良くないので、あまりウェーイな人とつるんでる認識は無い。ウェーイの人の事はよくわからない。
ハイテンションというのも、ちょっと違う。大声を出したり騒いだりは、みんなしなかった。「カンパーイ!!!」とかほとんど無かった。
ただ「これどうですかね?」「へー、面白いね。やってみよう」みたいな方向でノリノリではあったけど。
一部シェアハウスに出入りしてた時期に「あー、これがウェーイ系かー」と感じたことはある。そういう人は確かに空虚な感じがした。話もあまり面白くなかった。うるさいだけ。
急に性格変わったって人はひとりだけ知ってる。大学生のころに何かを悟ったらしいけど、その後も彼女はその性格を10年以上維持してるので躁病では無さそう。謎。
でも、そんな人はひとりしか知らない。たぶん1000人以上に会ってるし、けっこう深い話(好きなんです、そういうのが)をしたが、自己啓発みたいなので性格が変わったって人はひとりも会った事ない。無理してるなーって人には結構会ったけど。
失敗してる人も多そうって言うけど、オプティミストから深刻な失敗の話は聞いた記憶がない。借金して大変って話は噂も聞いた事がない。軽い失敗は、楽しいからぜんぜん問題なしって感じだし。そういう小さい失敗なら、成功の数十倍はある感じ。
逆に普通の性格だけど、頭が良かったり、少し意識が高くて行動力がある程度の人は、深刻な失敗をしてる人が多かった印象。
あと、オプティミストの人に共通するのが、すごく自然体なこと。変にテンションを上げたり緊張したり力が入ったり、他人を攻撃したりする人はほとんど居なかった。
例えば堀江さんとかひろゆきさんがテレビとかで他人を攻撃してるのを見るとわかるけど、あまり怒ってないんだよね。
不快感は示すけど、根に持たないし、すごく付き合いやすい。躁状態の自分はけっこう失礼なことを言ったりやったりするけど、
仏教では、悟るためには正しい師について学ぶことが必要だと考えられている。
「師資相承」や「法脈」という言葉を聞いたことがある人もいるだろう。
仏教に限らず、芸能・芸術・工芸や俳句のような趣味嗜好の分野でも、同じ。
「すべて師匠の言うことに従わねばならない」
「師の言うことには絶対に逆らってはならない」
師匠は弟子を激しく打擲し、足蹴にし、怒鳴りつけ、人間扱いしないことすらある。
なぜならそれは、道を弟子に悟らせるために師匠が心を鬼にして行った意味のあることだから。
それは時にカルト化することがある。
正しくない師(グル)を、それと知らずに選んでしまい、性的なサービスや違法行為を要求される。
(これも道を極めるためには大切なことだ)
と信じてグルの言うことに従い、大きな社会問題となることもある。
いくら危険性があろうとも、一流の「達人」と呼ばれる存在になるためには、
師を選び、理不尽な要求に耐えるのも仕方のない事なのだろうと思っていた私の蒙を啓いたのは、
腹話術も、相当の技術が必要な芸能であり、昔は一流と言われている腹話術師の元に弟子入りして、
技術を修得するのが当たり前だった。
彼は「だれでもできる腹話術」というHow to 本だけで腹話術を学び取った。
それまで誰も成し得なかった技すら開発した。
彼は一流の芸事すら、独学で極められることを同自体の私達に証明した人物である。
東洋の文化は、型を徹底的に学ぶことで芸事を身につけることを重んじるあまり、
「自分の頭で考える」
ことは「序・破・急」で言えば「破」、師匠から学び終えた後に行なうべきことだ。
最初は師匠や先達の言う通りに従うべきだ、という考え方は日本文化に通底し、
それが体育会系の跋扈、中小企業のブラック体質を生み出す元凶となっている。
一流と誰もが認める人の考え方の片鱗を紹介する本や情報を手に入れ、
東大卒独身女、試験は全勝、親も東大で多分お勉強関係のDNAは優秀です。
どうでしょう、もし私に子供がいたら、その子も生産性が高く世の中への貢献度も高い可能性が濃厚なのではないでしょうか。
結婚を考えたこともありますが、どうせ働き続けるんだし、子供もいないのに入籍する意味ってないよね、名前変えるのって面倒だしね、と思ってました。
相手の男も東大卒、そういうお宅はご家族本人も割と保守的で、学歴、収入が同レベルでも当然姓を変えるのは女だ、って感じでした。まあこっちも変えたくないんだから、相手だって同じなのは当然ですけどね。
しばらく一緒にいたけれど、結婚前に子供出来ちゃった、ってのは世間的にも風当たり強いから、当然それは避けてました。
当時別姓婚があれば、結婚を避ける理由もなかったし、子供だって自然に任せてたと思います。
私の納めてる分って、そこらの女性の何人分でしょうね。ゼロの人も多いから、100人分とか?ふかしすぎ?
同性婚の強要は、数十倍レベルで生産性の高い遺伝子を残す可能性の芽を摘んでいるとも言えるのでは
頭数だけでは見誤ると思います
しかも、国内でも集団的自衛権に関する世論は真っ二つに分かれ、内戦の予兆を示している。
だが、もう遅い。我々の祖国「日本」は、日々膨張する大国中国を前にしてもはや抵抗することすら出来ない。今から軍備をしたところで、中国の軍事力には到底敵わない。何故ならば、我ら日本国民には祖国のために戦う決意すら無いからである。
恐らく、数十年後には、中国はアジア全域を支配するようになるであろう。もしそれに抗おうと日本が戦ったところでボロ負けするのは想像に難くない。中国はかつての大日本帝国のように急成長を続け、傍若無人な態度をとっているのである。そして、私達日本は、かつて大日本帝国に占領された中国や韓国のように、平和的解決を求めながらも、隣国の暴君に勝つことは出来ず、好き放題に使われてしまうのである。
そこで問題になるのが、今回の集団的自衛権も含む国防の問題である。中国に勝つには、軍事力が必要になる。噂に寄ると、今中国は日本を含む太平洋を射程とした強力な弾道ミサイルをいくつも持っているという。中国がそれを発射させれば、日本で何人の人間が死ぬであろうか。もし、日本がそれに対抗してそれと同じかそれ以上の威力を持った弾道ミサイルを開発したとして、中国には約13億人の人間が居る。1億2000万人しかいない日本とその十倍以上もの人の居る中国のどちらが被害が大きいといえるだろう。
そして、何よりも問題なのが、日本国民に戦う意志が無いことである。右翼でさえ、戦争反対、徴兵制反対、平和のための武装やらなんやら言っている時点でもう無理である。そもそもは、日本国は戦争に係る全ての武装を捨て、平和を希求するための専守防衛のための最低限の武器のみ持っている状態であろう。日本国憲法にきちんと書かれている。それを無視して、集団的自衛権だの掃海だのシーレーンがどうだの言うな。もし、日本が中国に占領されたくないのであれば、私達日本国民は、日本国憲法を改正し、日本がまた戦争が出来る国になるようにするべきである。もし、自らの命を大切にして、自分の子供を戦争に行かせたくないとか、徴兵制は嫌だとか、そういうことを言いたいのならば、日本を「必要最低限の武力」すら持てない、完全に無防備な状態に出来るように、日本国憲法をより平和に改憲することを主張するべきである。
私達日本国民は、今から80年前、第二次世界大戦で負けた。そして、学んだのだ。「戦争は何があってもやってはいけない」と。
もちろん、無防備のままでは中国に占領されてしまうかもしれない。しかし、平和を守りたいのであれば、それは仕方ないことではないだろうか。例え、中国に侵略されても、第二次世界大戦で学んだ教訓、反戦と世界の平和を希求、それを実践することが何よりも大切なのではないだろうか。
経済崩壊にもいろいろあるが、どのレベルのものを言ってるのかね?
「経済活動が0」レベルならそれこそ北朝鮮の南侵レベルぐらいのことが起きないと無理だろうね。
この時、現在に連なる韓国経済の以下の問題点がIMF主導で形成されている。
・収奪的な内外価格差(Galaxyなど国内のドル換算価格は海外の十倍!)
「バブル崩壊後の日本の混乱」レベルならリーマンショック時にやった。
上記の問題はもっとひどくなったが国ぐるめの中国進出でV字回復は果たした。
そして今、中国経済の急減速に伴って日本の「デフレ期のような逼塞感」が漂いつつある…。
なお、当時の国内報道は小渕政権や麻生政権を血祭りにあげるのに忙しく、申し訳程度の報道しかなかった。
後になってちょろちょろと、アリバイ作りのように回想が載るぐらいだった。
ちょっと調べるだけでこれぐらい書けるんだが、君の目の前にある箱なり板なりは何のためにあるのかな?
犯歴で判断されるのがどうしようもなく嫌だ。犯罪者だから仕方のないことなのかもしれない。
もっと誠意とか、人間性とか、自分自身のことを見てほしいと思う。そういう方面から判断してほしい。「この人はこういう犯歴なんだからきっと…に違いない!」とレッテルを貼って会話しないでほしい。あって数回ならわかるのだが、半年くらいの付き合いになってもそういう奴がいる。勘弁してほしい。
殺人犯なんだから服役して当然じゃない。むしろ懲役の拘束時間なんて24時間に例えると3、4時間だ。反省はするけど。そんなに遊んでていいのとか言わないでほしい。16年間って長いんだよ。懲役に疲れた後は遊びまわったっていいじゃないか。
逮捕までは異常行動だったんでしょ?とか勝手に思い込まないでほしい。学校でも日頃の評価はいい方だったし、親だって面会に来るまで泣いてない。むしろ勉学の方が何十倍も時間をかけた。ある意味幸せな高校生活だったさ。当時は童貞だったけど。
ボランティアだって参加するし、募金に誘われたら諭吉を入れた事だってある。俺は悪鬼羅刹じゃない。勝手に期待して勝手にレッテル貼って勝手に失望しないでほしい。
犯歴があれば本を書き放題だろうから羨ましい。とか言わないでほしい。被害家族の方が圧倒的に重い。むしろちゃんと文章がかけるのなんて2行だ。
犯罪者になって名前が公表されたらもっと遊び放題なわけないだろ。フツメンな容姿なのに、肩身が狭すぎて女との出会いもなく、日々頑張ってる先輩の方が大多数だ。
お願いだから、人を犯歴で判断しないでほしい。本当の俺は犯罪は好きじゃないし、勉強大好きだし、乃木坂46オタクだし、人並みに恋愛してきたし、服装だってちゃんと気を使うし、スポーツは…あんまりできないけど。そんな俺を知ろうとしてほしい。いつまでも犯歴の方面から俺のことを見ないで欲しい。
学歴で判断されるのがどうしようもなく嫌だ。大学生だから仕方のないことなのかもしれない。
もっと実力とか、人間性とか、自分自身のことを見てほしいと思う。そういう方面から判断してほしい。「この人はこういう学歴なんだからきっと…に違いない!」とレッテルを貼って会話しないでほしい。あって数回ならわかるのだが、半年くらいの付き合いになってもそういう奴がいる。勘弁してほしい。
医学部なんだから勉強して当然じゃない。むしろ1週間の勉強時間なんて3、4時間だ。テスト前はやるけど。そんなに遊んでていいのとか言わないでほしい。6年間って長いんだよ。勉強に疲れた時は遊びまわったっていいじゃないか。
受験まではガリ勉だったんでしょ?とか勝手に思い込まないでほしい。高3でも1日3時間やればいい方だったし、塾だって高3になるまでいってない。むしろゲームの方が何十倍も時間をかけた。ある意味幸せな高校生活だったさ。当時は童貞だったけど。
合コンだって参加するし、ナンパに誘われたら行くことだってある。俺は聖人君子じゃない。勝手に期待して勝手にレッテル貼って勝手に失望しないでほしい。
学歴があれば女を選び放題だろうから羨ましい。とか言わないでほしい。振られた経験の方が圧倒的に多い。むしろちゃんと付き合ったのなんて2人だ。
医者になって金ができたらもっと選び放題なわけないだろ。フツメンな容姿なのに、忙しすぎて女との出会いもなく、日々頑張ってる先輩の方が大多数だ。
お願いだから、人を学歴で判断しないでほしい。本当の俺は勉強は好きじゃないし、ゲーム大好きだし、乃木坂46オタクだし、人並みに恋愛してきたし、服装だってちゃんと気を使うし、スポーツは…あんまりできないけど。そんな俺を知ろうとしてほしい。いつまでも学歴の方面から俺のことを見ないで欲しい。
最近,趣味――同人誌を作るにせよ,新しい魚を飼うにせよ,詳しいやり方を調べる前にまず最初に予算を試算するようになってしまった。「諦めるための理由」を金銭面に求めて,粗探しをしているみたいに。
趣味だから当然なのに、「こんなことやっても一銭の価値にもならない」とか「こんなことやっても履歴書には書けないし経歴にもならない」みたいなことが常に頭によぎってしまって。やっている最中は確かに多少は楽しいけど,終わった後にその数十倍の虚無感に苛まれる。なので必死に,この趣味を通して自分が培ったかもしれない「何か」を言語化して探そうとする。
趣味人の考えじゃないよなあ,と思う。
労力に比してわずかな承認しか得られなくても,基本的に赤字の一方でも,その趣味を通して建設的なものが得られなくても,ただ自分が楽しいと,そう思えたなら情熱と金銭を注げるわが子のような存在。それこそが趣味であったはずなのに。かつてはそうであったはずなのに。
現在の職場が非正規雇用であるせいなのかもしれない。任期があと二年(今年度を含めて)という微妙なモラトリアムであることが微妙な自由と微妙な焦りを生んでいる。
将来のことを考えると、趣味にうつつを抜かしている場合でもない(時間面でも、金銭面でも)という焦燥感が、たぶん原因なんだろうなあと思う。
趣味する暇があるなら仕事をしろ貯金をしろとわたしの中のゴーストが囁くのよ。
結局私が根性なしなんだろうか。
祖父が小さいぼくの書いた絵を、全て褒めて全て保存してくれた
上手だね、といわれすぎたせいで
錯覚したけれど
褒められる側ではなく褒める側になっていた
違う、僕は褒められたい
人を褒めたいんじゃない
でも目の前の絵かきは自分より上手いということがわかっている
わかってしまったら、嘘をついてまで、貶すことはできない
思い出せる一番古い記憶の時点でもう、
褒められるのが嬉しくてやってたんだと
ついさっき突然気付いた
だから、
絵が上手い、あなたの絵が好き、と賞賛されている人を見ると無条件で憎しみをおぼえる
褒められることが目的なので
より褒められている人に似せて書くことで
ぼくのほしい結果が得られるんじゃないかと思っては
信念もこだわりもなにもない絵を量産する。
模写の訓練のようなものなので、地味に地味に上手くはなる。
けれど、
自分にはこれしかないと決めるまでもなく確信し、とことん突っ走っている人にはかなわない
エネルギーが違う
幸せそうで、羨ましくて、これもまた憎しみを覚える
そんなに夢中でかける状態に一度でもいいからなってみたい
人の評価なんて気にしなくなりたい
この羨ましい気持ちについて
成功しているように見える人ほど、
幸せなふりに一生懸命で、実はとんでもない不幸な経験をしているんだ
お前のほうがずっと恵まれてる
羨む必要がそもそもない
と教えられた
小さい時に両親に先立たれて家族に憧れながら絵で食いつないでたというし
拒食症害で結局商業デビュー後は連載もままならず、信頼を失い、活動を休止していた
羨ましくなんか無い
羨ましくなんか無い
何やってるんだろう。
なんで祖父はぼくのことなんて褒めたんだろう
その時は嬉しかった
でも嬉しくない期間のほうが、ずっと長い
確かに上達した
同じ努力もせず、持ち前の才能であっという間に追い抜いていった
人の何十倍も結果につながるまでかかるようで
相対的に一生望んだところには行けない気がする
10年ほど絵を書くことをやめたこともある
やめたら執着ごとなくなるかと思った
どうでもよくなる、という感情になることを願ってみた
でもだめだった、結局また書いて、人に見せてしまった
なのに、投稿しては中途半端な評価をもらい、思った結果が得られず削除の繰り返しだ
今日も、身内にだけお情けですごいすごいと言ってもらえるための絵を書く
そいつらは同じ口で、本気の賞賛を、あの作家やあの作家に捧げてる
その温度差くらいわかる
だから言われるほど悲しくなる
でもやめられない
でも、このタイミングでこのテーマならたくさん褒められそうだと思うと手が動く
褒められたい
やめられない
つらい
「子供の割に」ダンスが上手い、絵が上手い、楽器が上手い、を無闇に褒めてると
世の中のお母さんお父さんおじいさんおばあさん
覚えておいてくれ
惨めで辛くて終わりがなくて
そんな気持ち、我が子に味あわせたくないだろ
こと才能が絡んで、手を動かすしかなく、しかも1回1回にそれなりの時間がかかるものは
簡単に人生を潰されるなと思う
つらい
テニミュをはじめとした2.5次元系舞台俳優のオタクをやっているとたまに疲れることがある。距離感がそこそこ近いからだ。舞台と私たちがいる客席には隔てるものが何もない。
もちろん生き生きと演技している様を見るのは楽しさがある。しかし舞台上を追うだけでは気がすまなくなってしまうのがキモヲタの性である。情報がどんどん入り込んでくる今、若手俳優界隈でのSNSでの炎上、ブランド品貢ぎ争い、私生活の根も葉もない噂、原作あり舞台でのいざこざ、クソ制作会社などの話題が毎日絶えない。そもそもそんなに舞台に頑張って通っていたわけではないが若干うんざりする時が時々あった。
そんな時に出会ったのがジャニーズであった。ジャニヲタもいろいろあるイメージだったが思ってたよりも数十倍楽しかった。その楽しさを比較しながら述べるが頑張っている若手俳優たちを批判するわけではもちろんない。あくまでオタク側から見たジャンルそのものでの比較である。
①SNSをやっていない
今の時代オタクにはSNSが欠かせない。自撮りや俳優同士のリプが見れるし、推しと同じツールを使うのはリアルタイムでつながる楽しさもあるが、愚痴ツイート・何気ないリプの言い回しで「あ、こういう人なんだな」とがっかりしてしまうこともあった。本気厨に大きなダメージを与える彼女バレもだいたいブログやtwiter、インスタなどから晒しあげられる。それに攻撃的な粘着リプをかます過激派もいる。
ジャニーズは基本的に個人のSNS全面禁止であり、ジャニウェブでの公式ブログのみになっている。有料なので特別感があるし、アイドルもそれなりに頑張って書いてくれる。(個人差はあるが)雑誌などで明らかに「グループラインがあって~」という文脈でも「グループメールが~」と直されているので変なところしっかりしているなと思う。
欲しいものアピールが激しい俳優と、それに答えてブランドものを貢ぐファンたちがいるがジャニーズは貢ぎ物禁止なためそういった出費もいざこざもない。(少なくとも茶の間ファンでは)ファンレターは雑誌でちゃんと読んでいるような話題を出してくれる。
③激しい接触はない
俳優プロデュースのバカ高いアクセを買う代償にツーショットチェキを撮れたりサインをもらえたりする。それがSNSで簡単に見れる。ブースで自分と俳優とスタッフ1人だけなんてこともある。ジャニーズは規模のでかさゆえに、あってもなかなか並ぶハイタッチ会くらいなので嫉妬に心が歪むこともめちゃくちゃ周回並ぶこともない。(行ったことないがレポ見る限り)大勢の女の中の1人である。
④雑誌が手頃
俳優雑誌は良い紙を使っていて内容はそんなになくても1冊1000円超えが普通である。ドル誌は対象年齢が低いこともあり700円程度だが、情報量と毎回コンセプトの違う写真やインタビューが見られる。グループを超えた絡みの情報も見れるのでかなりお得感がある。テレビ誌は300円程度。毎月軽く3冊くらい買えてしまう。
⑤在宅でも供給が多い
例外もあるがジャニーズは基本的にテレビ雑誌ラジオへの露出が多い。舞台は生で見に行けなくてもDVDがあるが7000円くらいからなので貧乏にはキツい。
⑥芝居もそれなりにできる
ジャニーズもさまざま舞台に出る。本職ではないが普通に「俳優より上手かもー…」と思える演技派もいる。
とまあこんな感じであるが(後半疲れた)、だいたい当てはまるのはほどよい距離感と手軽さである。ジャニーズのキラキラ頑張って輝いている姿と、たまに見せるオフのバランスが自分には合っている。芝居も歌もダンスも好きなのでこれからも舞台に行くつもりだが、今はジャニオタも楽しんでいこうと思う。
ゼロ年代前半あたりまでの旧2ちゃんにシンパシーのある人が多い印象。
したがって中にはまとめアフィを「ふてえ野郎どもだ」と毛嫌いする人もいる模様、しかし更にまとめからネタを拝借するといった三次利用も当たり前のように行われているので、どこまで対立構図が描かれているのか不明。
またオタク/フェミの切り口で割と多くが釣られることから、村民には情報尊重主義のネットユーザーが割とまんべんなくいる模様。
やや、くちさがない人が多いかな、とは思う。
ただ、最近どこでもそうなんだけど、村民の何十倍もの物言わぬ観光客に比較して踊り子さん超不足気味で村長が困っている可能性が高い。
こんなん出ましたけど、実際はどうなんでしょう。
http://kun-maa.hateblo.jp/entry/2015/01/14/070000
受験するだけで数十万かかるとか言う意味不明なことを言ってるけど、
別に受験料が昔の何十倍になったとかではなくて7校、8校、9校は当たり前に受けるらしい。
ほんと?
ってか、この人自体が何十年前かに5校位受けてるらしいんだけど、どんだけアホなの?
そもそも普通に国立行くなら国立一校と滑り止めで多くても2校位が限度。
それ以上受けようと思ったら逆に勉強する時間無くなるし対策も全く出来ないだろう。
そんな沢山受けようとするから逆に受からないようなバカになるんだと思うんだけど、どうなの?
受験料どうこう言ってるけど、地方ならそもそもそれだけの回数東京に行くこと自体不可能に近いだろうから
東京なんだろうけど。
で、数撃ちゃ当たる作戦でたまたま当たったら入る、みたいな今の就職活動的な感じなの???
後、「いくら私立大学の貴重な収入源だからって、ちょっとふっかけすぎじゃないですか?」って言ってるけど
受験料なんて経費引いたら殆ど収入源になんてなってないと思うけど。
それにブコメがその辺何も理解できずに馬鹿すぎるんだけど、どんだけ貧乏なばかばっかなんだろう?まあバカだから貧乏で子供もバカなんだろうけど。
そもそもさ、人間の中には精神と身体が丈夫で、なんかやたらにモチベーションがある人って存在するのよ。
毎日20時間働いて、しかもそれがたのしくて、脳内麻薬ドバドバ出るような人がいるわけ。ベンチャーの創業社長とかそういうタイプの人が多い。
本人ストレス感じてないし身体も丈夫だからそれで駆け抜けられちゃうし、活動時間が経験値に転嫁されるから、そりゃ単位時間あたりの作業効率だって高松市、有り体に言えば有能の区分になるよ。
んでさ、労働市場っていう場所の視点から見れば、そういう人ってすごく価値が高いわけだ。
普通の労働者が、そういう労働者と比べたら、そりゃダブルスコア以上で負けちゃいますよ。
ブラック企業ってのは、企業側が前者の労働をすべての労働者に求める――っていう考えの言葉なんだけど、そんなの、ある意味当たり前なんだよ。だって前者が実在して、それは労働市場で有能なんだから。「同じ賃金で有能な者を求める」ってだけだ。そんなの消費者だって同じでしょ? 同じ値段のパンを買うなら美味しいもの買いたいよ。
そこで問題になるのは、諸悪の根源は「個別の労使関係が歪んでる」ってことなんだ。
ブラック企業ってのは実在しないわら人形で、本来存在するのは「歪んだ労使関係」なんだよ。「歪んだ労使関係」を常態として要求してくる企業という意味でブラック企業は存在するんだけど、ものの道理としては「歪んだ労使関係」が先だ。そこをはき違えちゃいけない。
はき違えるとブラック企業を撲滅使用みたいな、阿呆な考えに行き着く。そんなの意味ないよ。ブラック企業を滅ぼしても「歪んだ労使関係」が生み出される雇用状況が残ったら、言葉が死んだだけで、別の形でそれが現れる。そもそも「歪んだ労使関係」が存在するのは、労働者の鞭と、労使の力関係の問題がトリガーだし、その背景には「労働者の能力には数十倍の開きがあり得る」って現実なんだ。