はてなキーワード: 公言とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1437179
認識ずれ過ぎ。
アニメーターが低賃金で何枚も描かされてる事くらい知ってんのよ。
だから少ない枚数で効果的に見せられるんだったら別にいいし、ヌルヌル動くのが正義って訳じゃないのも分かってる。
つまり「手抜きして実験」は言葉選びは悪いが言わんとしてることは皆分かってんのよ。
一番の問題は「来季になったら忘れ去られるアニメ」発言の方で、ファンの間ではそれはどうなの?ってなってるのに、なぜかブクマカの皆様方においては「少ない枚数で見せられるんだったらいいじゃん、何が問題なの?ファン面倒臭い」って口揃えてるのが意味が分からん。
お前らは「結局このサービス使う客なんて馬鹿ばっかりだしな」とかyoutubeなりツイッターなりでサービス名も添えて公言してんの?違うだろ?
全裸でおっぱい丸出しにしている様な恥じらいのない女はちょっと…。
まあそれはさておき。
表現の自由戦士が負けるとそれらを愛でることが出来ないってことは、これは所謂ポルノを指してるってことで良いのかな。
てことはフェミニズムはポルノを彼等から取り上げる事を目的の一つとしているという認識でOK?
という箇所も気になったんだけど、つまり
・男に女のことを理解してもらう
これが目指すところであるわけだよね。
だとしたら、それはかなりムシのいい話じゃないかなって。
男は女のことを理解すべき。だけど女(フェミニスト)は男にとってのポルノの意味を理解せずただ排除します。って言ってる様なものだからね。
これは別に女とかフェミニストに限った話ではなく、男もそうなんだけど、あまりに異性について自らの性に基づいた常識・視点・観点からしか考えられない人が多い気がする。
具体例を挙げると「腐女子はBL本でオナニーしてるんだろう!」みたいな。まあしてる人もいるんだろうが、そもそも男と女ではオナニーの在り方、性欲の生じ方も違うんだろうなというのは少し話を聞いてるだけでも窺える。
そういうところから生じた男女間の齟齬が拡大して、貴方の言う「『フェミニスト』と表現の自由戦士たちの戦い」になったんだろうなあと。
一男としては
ってところを読んで、「えーっ!?性的にまなざされるより、モノ扱いされる方がどう考えても下だろ!?」と思ったんだけど、そういうところからしてもう男女間のすり合わせが必要なんだよ。
根回しも歩み寄りもなくいきなり仕掛けたらそりゃ戦争になるよ。
最近かっこ付きの『フェミニスト』と表現の自由戦士たちの戦いを、目にしない日はない。
ツイッターでのことです。
私がフェミニストで、直接面と向かって「この反日」と言われたことがあるくらいにリベラル寄りで
そういった話にとても興味があるからだろうか?
私のTLには笑っちゃうくらいたくさんの、フェミニストと、表現の規制に反対する人と、ツイフェミと、セクハラおじさんがいる。
ここ数年、Metoo運動が始まったあと、女性をエンパワメントする何かを、見ることが増えた。
でも、表現の自由戦士たち、きっとその多くは男性で、それこそだれかに優しくしてもらった経験が少なくて、
自分の考えを深めるための助けも得られず、自分の考えを適切に表現するための方法も学んだことがない人たちは、
ぺったんこの靴を会社に履いていき、
性犯罪は減り、不適切なところで性的にはまなざされないようになり、
もし犯罪に遭ってしまっても適切な扱いを受けることができる日がくるのかもしれない。
少なくとも、そうなるように戦っている人がいることを知っていて、
どうなれば私たちの気持ちが軽やかになるのか、何を勝ち取れば私たちが幸せになれるのか、
漠然と知っているような気がする。
その戦いの日々は真っ暗で辛くてマジでクソみたいだけど、
でも勝ち取ったらきっと、私たちの生活はもっと素敵になるんだろうなあ。
(それが、本当に素敵なのかは、措いておいて)
でも、表現の自由戦士たちには、何か勝ち取って幸せになれる道が見えているんだろうか?
表現の自由を勝ち取って、全裸でおっぱいを丸出しにしている女を愛でることができる…?
私たち女の置かれている状況はクソみたいでマジでムカつくし、是正していかなきゃいけないし、
そのために戦いたいし、そのために戦うことには正当性しかないと思ってるけれど、
でもクソみたいな状況に置かれている人間は女だけじゃないことを私は知っている。
女でなくても、貧しい人はいるし、
女でなくても、(性的にまなざれないまでも)モノみたいに扱われてる人はいるし、
女でなくても、やさしくされない人はいる。
女だったら全員フェミニズムに共感して、フェミニズムに救われるとは言わないけれど、
自分が置かれている状況を、フェミニズムで説かれているいろんな構造的な欠陥にあてはめてみて、
「あー、私が苦しくて嫌な気持ちになるのは、女性が不当に扱われているからだったのね?」
て共感できる要素が、ひとつもない人って、とっても少ないのでは?
(自分が、男性社会にすごく適応できている女だ!と思っている人は、フェミニズムに共感できないかもだが、
男性社会にすごく適応できているので、毎日どん底のどん底みたいな生活はしてないのでは?)
でも、男性で、貧しくて苦しかったり、体調が悪かったり、嫌な服を強制されたり、大学には入れなかったり、
それを何かのせいにしてくれる、しかも建設的な言説って、あるのか?
フェミニズムに対応して男性学とかもあると思うのだけれど、そういうのが男性の間でメジャーになっているの、見たことない。
そんなふうに、すでにあるものでも、これから現れるものでもいいのだけど、
私が具体的な何かを思いつくわけじゃないけれど、そういう人たちをエンパワメントしてあげる何かが、
今すぐにパッと現れたらいいのにね。
神様もいないようなこのクソみたいなこの世の中で、
何にもすがれるものがないって、マジで地獄みたいだと思うからさ。
そりゃ、全裸でおっぱいを丸出しにして、嫌なこと一つも言わないモノが欲しくもなるわ。
わざわざ関係ないところに出向いてオタク差別だなんだと騒いでる人たち考えて行動してくれ
もちろん差別を受けたら抗議すべきだろうが、あの女性ブランドとかケーキ屋とかの件はオタク差別じゃなくてあちらさんからの正当な抗議に見える
あれらをオタク差別だと暴れてる人たちはもしかしたら波及を恐れてやってるのかもしれないがおいらにはもっとずっと怖いものがある
現在はアニメ漫画の趣味を隠さなくてもやってける時代で人口も増え、アニメ映画の上映館も全国にあるしディープ層じゃない人とも感想を語り合える
二次創作も手軽に投稿されるようになって久しくそこそこの規模であればすぐに好みの合う作家さんを見つけられるし、超絶マイナー作品にハマったとしても何作かのファンアートにはありつける時代になったのに
差別されて傷ついてるのはわかるが、ああして話の意図も掴もうとせずすぐに一方的な主張や仕返しをするバーサーカー化した集団は同じような趣味をもってる人間から見たって怖い
そして個人的には、20年前のようにまたオタクが怖がられアニメ漫画の趣味を持つことすなわち危険人物扱い、なかなかアニメ漫画の趣味を口にできない時代が来るのを恐れている
金が回らないならアニメ化映画化も減るだろうし作画のレベルも落ちるだろう
自分で描くしかない時代でなければ絵も始めなかったかもしれない
だがおいらはもう現在のこの、アニメは綺麗に動いて当たり前で仲間も二次創作も選べる世界から、作画崩壊当たり前で仲間も二次創作も存在するだけましだった20年前には戻れないだろう
正直ああいう暴れん坊に名前をつけて区別してしまいたい、が新たな差別が生まれてしまう可能性を考えると良くないだろう
誰かが言わないといけないことだけれど、だれも言わないから言う。
BL好き腐女子、エヴァ大好き左翼、エロゲアイコンだった学者。
おじさんおばさんのオタクの一部が、差別で自意識を拗らせた結果おかしなことになっているという話だと思って聞いてほしい。
彼らは、エヴァ放送時に、衝撃を受けてこんなアニメがあるのかと驚いた世代だ。もうちょいわかりやすく言うと林原めぐみ直撃世代か、そのもうちょい前。
深夜にアニラジを聞きながら、エヴァを延々と語り、オタクの仲間内で、「この作品なら一般人に見せてもばかにされないんじゃないか」とかひそかに期待していた世代だ。
同時にあの時代のオタクは、自分を肯定して生きていくことが厳しい時代だった。
オタクと呼ばれると、どんなに社交的で、どんなに良い人格で、どんなに収入があっても、社会的信用が失われる時代だ。このあたりの空気を知りたいというひとは、
https://togetter.com/li/1220676 このあたりのまとめがマイルドに教えてくれる。
もっと空気感だけ味わいたいなら、飛んで埼玉! の空気感。バレた瞬間最下層民になるって時代。
だから、アニメ好きは必死になって趣味を隠し、隠れキリシタンならぬ、隠れオタクという言葉が普通に流通していた時代だ。
声優ソングの歌詞を見たら、みごとに「生きにくいオタクの共感を呼ぶ曲ばっかり」だ。
自分らしく生きていくということを大変だけど頑張ろう、っていう曲だ。
そんな時代に作られた林原めぐみの「don't be discouraged」は、差別の垣根を越えて、「ゲイやオカマの心をガッチリとらえた」という現象まで起きた。新宿二丁目では涙を流して歌う人物もいるそうだ。「生きにくい世の中だけど、勇気をもって好きなことに邁進しよう。理解されなくてもきっといいことがあるよ」というのは、まさに被差別属性を持つ人々の心をとらえるだろう。そんな時代だった。
僕らが生きたのは「好きなものを好きというだけで多大なリスクを覚悟せねばならなかった」という時代だ。
余談になるが、当時の深夜アニラジというのは、精神を病んだオタクの駆け込み寺にもなっていた。声優さんにガチの人生相談が舞い込んだ時代だ。
学校でオタクだと馬鹿にされてつらいとか、いじめられているとか、そういうはがきが普通に舞い込み、それを声優さんがガチに回答するような、かなり狂った時代。あの時代のオタクの空気はまさにどんよりとした息苦しさをまとい、まさに被差別階層の様相を呈していた。それにしたって、なんで声優さんラジオに人生相談をするんだ、と言われるかもしれないが他に相談できる場所がどこにもなかったのだ。親も、教師も、友人も、兄弟も、警察も、政治家も、すべてがオタクにとっては敵だった。もう顔の見える敵ではない存在が、漫画家や声優しかいないというのは、あの時代を体験したものでないとわからないだろう。当然ネット環境もない。
そんななか、差別に直面し苦闘したオタクたちはオタクと呼ばれるのを極端に恐れていた。
「俺はオタクじゃない。マニアだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。ゲーマーだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「俺はオタクじゃない。アニメ好きだ(そんな違い、差別する側は気にしない)」
「オタクってキモいよね」と言われたら、正体を隠して「そうだねえキモいよね」と内心冷や汗流しながら相槌を打ってた時代だ。
当時、いじめられ、差別され、迫害され、バカにされていたオタクたちの一部が、「なぜ自分たちが差別されるのか」を必死になって考えるというのは、もうこれは宿痾の妄想のようなものである。
そんな中、一つの逃げ道に走ったオタクがいる。それが現在の左翼系でオタクバッシングをやっているオタクである。
「オタクはダメな奴らだ」とサブカル内部からオタクを批判することで、一般に認められようとする道を選んだ人間だ。
彼らの言い訳は「左翼思想からサブカル的にオタクを分析するためにオタク文化にかかわっている」というものだ。
「自分たちがアニメ・ゲーム・マンガ・ラノベを見るのはサブカルチャーの研究をやっているからだ。だから恥ずかしくない」と理論武装しなければ、好きなものにかかわることができなかった。
大学のサークル棟や居酒屋で、現実に起きた現象とアニメ作品をひたすらに絡めて、融合させて、一つの社会的事象としてとらえようと躍起になった時代だ。
具体例を挙げると、地下鉄サリン事件とオカルト系SF作品の影響を無理やりくっつけてトンチンカンな批評を、朝生みたいにオタク同志で語り合ったものだ。
それを見ていたクリエイターが「いまのオタクは作品も作らず、ただ批評ばっかりしてる」と嘆いていた時代。ただ楽しむではなく、「学問的批評という行動によって、ただのキモオタのブヒブヒ言う声ではなく、この作品が社会に与える影響や、社会的意義がどんなものか、左翼思想に合致するかチェックしている」という言い訳を自分に用意した。
彼らは、何の理屈もつけずにオタク文化を楽しむオタクを「ダメな奴らだ。キモイ。あんな奴らと一緒にしないでくれ」と、さげすむ自意識を持っていた。しかし、オタク文化は好きで好きでたまらなかった。
その鬱屈した倒錯は、傍から見ればただの変態の所業でありながら、それでも本人たちは大まじめだった。
左翼思想やフェミニズム思想を身にまとい、あのコンテンツはここがダメ、あそこが左翼思想から見るとダメ、右翼だ、女性差別だ、と言いながらアニメゲームマンガを消費したのだ。
ほかにも別の一派がいて、無理やり学問にこじつけて、オタク文化を鑑賞し、「CLANNADは人生」とか「fateは文学」とか馬鹿じゃないのかという発言が飛び出すこともあった。ネットで議論する際に「銀英伝」や「マブラヴ」で、政治を語り分析する人間がゴロゴロいた時代。
あれは、「馬鹿」だったのではなく「そうすることが差別を避けつつコンテンツを楽しむ作法」だったのだ。
しかし、時代は加速した。オタクは文化的にかなりの大成功を収めた。
オタク系候補が30万票や50万票取って、自民党の議員バッヂをつけてしまう時代だ。民主系や、社民系ではなく、よりにもよって自民党である。確実に時代は変わった。それも劇的に変わってしまった。(オタクが政治にいかに冷遇され続けてきたかは、それだけで10万文字を超えるエントリーを書かねばならないが、今回は割愛する)
要するにオタクコンテンツが一般趣味として認められつつある時代になったということだ。
そうなると何が起こるか?
いちいち思想とアニメを絡めて面倒くさい批評を書くよりも、萌えキャラがなんか頬を赤らめて「ばか」とつぶやくSS漫画をtwitterにあげるほうがRTといいねが数万単位で跳ね返ってくるようになった。
このアニメはリベラル思想に対して間違っていないか、とか考える面倒くさい学術オタよりも、SNSで萌え絵をアップして焼肉画像を上げてる大学生絵師のほうがよっぽど尊敬を集められる時代になった。
いまの時代、萌え漫画を読んだり、コミケに行ったりする程度で、「あいつはキモイオタクだから石を投げよう」みたいなやつはかなり減って、大勢がオタクであると公言できる時代になった。これは若い人達ほど顕著である。他人にどうみられるかを一番気にして、自意識をこじらせる男子高校生や女子高生たちが、人前で、FGOだのアイマスだのバンドリだののアプリのイベントを周回している時代だ。
オタク差別から逃れるためにくだらないうそをつかなくてよい時代が来た。
しかし、この時代はある一部のオタクたちには実に生きにくい時代になった。オタク趣味を低俗だ、腐敗してる、萌えなど女性差別だと繰り返しバッシングしながら、それでも萌えアニメや恋愛ゲームを消費せずにはいられなかったオタクたちだ。これには女子も含まれる。女子でも乙女ゲーとかそっち系のほうは「恥ずかしいもの」としてバッシングされた過去が間違いなくある。腐女子を恥ずかしいものとしてとらえてバッシングしたのは、「そういう意識が高い系のオタク、女子オタク」だったし、「腐女子の中でも様々な争いがあった」ことは間違いない。
彼らは、同胞のオタクを常にバッシングしてきたせいで、オタクにもたらされた「自由にオタク文化を楽しむ」という時代に参入できない。今更「実は俺も萌えキャラ大好きなんだよ~! バンドリ周回してる! アイマス最高!」とか職場の人間に言えない人生を送ってきてしまった。
ネット空間においてさえ「こんなものは女性差別だ。左翼思想の面から許容できない人権侵害だ。オタクがオタクをダメにした。オタク社会を俺が浄化してやる」ぐらいの発言をしてきた人間だ。
彼らもこっそりオタク文化を楽しんではきた。しかしオープンに楽しむなんてことはできなかった。それが許される時代が来てもできない。
だからこそ、全力でオタク文化が一般になるのを阻止しなくてはならない。
そうでなければ自分のゆがんだ自意識が、ただの卑屈さの産物であると認めなければならないからだ。
林原めぐみの作詞した歌詞のように、ドタバタ前向きに差別を恐れずに自分を肯定しながら生きていくということができればどんなに良かったろう。
しかしそれがいまだにできない。あの時代のえげつない苛烈さ、報道も政治も、だれもオタクを守ってくれない。その時代ゆえの後遺症だ。
だいたいは左翼的なシンパシーを持ち、左翼思想で自分を固めてきた。
左翼思想やフェミニズムが、彼らをオタク差別から守り、他のオタクと異なり特別たらしめている自意識だ。
それを用いて、オタクだとカミングアウトするのが明らかに不利益にしかならない時代を、何とか生き抜いてきた世代だ。
必死に左翼理論と自己演出で、オタク差別されないように自分を防御してきた世代だ。
世の中のオタク表現を常に探し、「これは左派思想に合致しないから規制すべき」とオタクをバッシングするのは、「自分はキモオタとは違う良いオタクだ」と差別を逃れるために左翼思想を選んだから。
若い人たちは彼らを見たら、「こんなことをしなければ生きられなかった悲しい時代があったのか」と思ってほしい。
「好きなものを好きというだけで多大なリスクを払わなければならなかった時代」があったことを少しだけ思い出してほしい。
追記 確かに主語が広すぎたと反省している。ただ、はてなとかで率先してオタクを叩いてるひととかはに、かなり当てはまるのあるケースだと思っている。
連れてかれてるかどうかはわからないけど
「俺は口だけでなく、実際に毎日女性専用車両に乗っている」ということはたびたび公言している
https://anond.hatelabo.jp/20190805175927
主体性と客体化について。
https://anond.hatelabo.jp/20191031141650 の補記の続き
- id:ultimateblue 自分の店の看板しょって下着広告出してる下着屋と献血の看板しょってトロ顔乳袋女広告出してる赤十字は全然違う話なのになんか無理やり共通化して黒塗りに持っていこうとしてない?この章だけなんか変
- id:peta0227 ポスターと下着で矛盾するの、主体露出はOKで客体消費はNGの文脈が今回は不適当なケースだからだと思う。ポスターのテーマが「公共で客観的にどう映るか」なら「下着は主体だからOK」はハイコンテキストで不適当かと。
- id:kutabirehateko 下着の広告は消費者たる女性をターゲットに作られており、着用する女性を性的に消費することを煽るためのものではない。男は下着姿の女性や女性用下着を性的に消費するものと公言してはばからない世の中がおかしい。
- id:kumaponta 主体と客体なんて委託でも入れたら途端に不明確になる。判断基準としては合理性に乏しいものだと思うな。主観的な基準はいくらでも騙せるものだよ。明確な客観的基準こそ合理的だと思うよ。
- id:junglejungle 女性下着が本当に主体的なのかかどうか。勝負下着という言葉もあり、男性の性的喚起を目的としている要素もある。かわいい下着を着るべきというジェンダー観の押し付けもある。と、こういう屁理屈もつけられる。
主体性と客体化に関する言及が多く見られた。この観点は重要なのではあるが、正直に告白すると、複雑すぎて細かい議論から逃げてしまった。
たとえば、以下のような2つのケースは、比較的論じるのが簡単である。
前者は「女性の客体化」であり、認められない表現だという人もいるであろう。今回の宇崎ちゃんのポスターは、ポスター批判派にとってはこれにあたる(露出度ではなく、乳袋だが)。
後者は「主体的」な露出であり、前者を認めない人も、こちらを認めるケースが多いであろう。下着広告の大半はこれにあたる。
では、以下のケースはどうであろうか。
これは言い換えると「主体的な客体化」であるが、このケースはどう判断されるのだろうか。
さらに次のケースはどうだろうか。
段々と即答が難しくなってくる。次の例はどうだろうか。
これはコメントでも多く言及されていたが、女性誌の一部などで発生しているケースである。宇崎ちゃんが認められない場合、男女を入れ替えただけのこのケースも認められるべきではないように思われる。
次のケースはどうだろうか。
ここでいう団体は、具体的には赤十字である。赤十字には、恐らく女性を客体化する意思は存在していなかった。今回のケースでは、たまたまコラボレーションをした作品に、女性を客体化した要素が含まれていたことになる。もう少し正確に表現するならば以下だろうか。
このケースからは、なんとなくまずそうな雰囲気が漂っている。情報によると、セーラームーンはこのパターンらしい(anod:20181007164838)。セーラームーンの露出度の高い服装が、男性編集者による女性の客体化に由来しているという文脈を考慮するのであれば、セーラームーンは全面的に認められなくなるかもしれない。セーラームーンは認められると考えている方は、どう判断するだろうか。キズナアイも、もしかするとこのケースに入るという人もいるかもしれない。
このケースを、少しいじってみよう。
セーラームーンが認められやすい理由は、セーラームーンのキャラクターたちにはっきりとした自己が見られるから、という説は一定の説得力がある。似たような例といて、次のケースはどうだろうか。
ナミや峰不二子はこのケースだろうか。自己がはっきりとしていると、多少の露出度の高さは認められる傾向があるように思われる。あるいは、露出度の高さは、「貞淑であるべし」というジェンダーロールからの開放と見なされることすら有り得る。ここで興味深いのは、これらのケースでは依然として、男性による女性の客体化がベースにあるということだ。
このケースの考察は、個人的には、非常にクリティカルであると考えている。もし、ナミや峰不二子、あるいはセーラームーンが認められるとすると、「客体化」や「主体性」は、実は判断基準としては重要ではないという可能性が出てくることになる。むしろ重要なのは、「自己をはっきりと持つキャラクター」と表現の外形であり、言い換えれば「異性に媚びてない」見た目であれば、その誕生経緯はどうであろうと、問題ないという判断になりえる。
「宇崎ちゃんは嫌だが、セーラームーンは許せる」という人は、「宇崎ちゃんは異性に媚びているが、セーラームーンは異性に媚びていないようにみえる」からという心理が理由かもしれない(もちろん、違うかもしれない)。これが正しい仮説だとすると、表現の是非の判断が、外形が許せるか許せないか、という問題に帰着してしまう。さらに、an・anの表紙にも違和感を覚えない人であれば、「同性が異性に媚びている表現は嫌だ」という結論になる可能性がある。
私自身は、このような表現の判断基準の持ち方は、どちらにしても問題ないと考えている。なんらかの経緯により、このような判断基準に至ったとしても、それは個人の自由である。一方で、客体化あるいは主体性が表現の是非に影響を及ぼすという観点の妥当性は、必ずしも明白ではない、とも考える必要があるのではないだろうか。
いずれにせよ、表現の誕生経緯を勘案することは非常に難しい。セーラームーンの例にしても、男性編集者の存在など、そもそも知らなかった人も多いだろう。これはつまり、外形のみでセーラームーンの表現の是非を勝手に判断していた人が、それなりに存在しているということだ。私自身は、このような理由もあり、客体化あるいは主体性といった要素を表現の是非に持ち込むことには慎重になるべきだと考えている。
もし、何らかの理由で客体化に触れたい場合は、例えば「過剰に異性に媚びた表現は、性的搾取やセクハラの助長につながるのでNG」といったように、むしろ外形をベースとした基準にしてしまったほうが、理解も得られやすいし、運用が楽なのではないだろうか(もちろん、「過度に」とはどの程度か、とか、「異性に媚びた表現」が果たして本当に性的搾取やセクハラの助長につながるかどうか、「異性に媚びることは悪いのか」などの別の議論は必要である)。
いくつか突っ込みどころがあるけど、どこのヨーロッパなんだろうな
てか読んでたらわかったけど、こいつの言ってるヨーロッパって信仰も名誉も捨てた底辺のことなんかね。
・こちらの国の未婚女性は何より処女性と純潔が重視されるが、あちらの国では処女も純潔も重んじない。非処女であろうが名誉さえ失っていなければ結婚できる。
現代日本じゃ処女性を重んじてると公言してるのは童貞とオタクくらいだろ。
キリスト教的にも処女純潔を重要視してるけどそれを言わないだけで、日本と同じだろ。
・こちらでは普通女性が食事を作る。あちらでは男性が主に料理する。
https://www.statista.com/chart/15880/housework-europe-gender-split/
家事分担でも、料理でも女性の負担のほうが少ない国って無いんじゃないか?
・こちらでは女性が酒を飲むことははしたないことと考えられている。あちらでは女性の飲酒はごく普通で、イベントごとではたびたび深酒する。
酒を飲むことを否定してる男はごく少数だろうし、イベントごとで度々深酒する女ははしたないってみんな思ってるよ。
・こちらでは、離婚することは罪悪であるうえ、特に妻にとっては最大の不名誉でもある。あちらでは自由に何回でも離婚できる。妻がそのことで名誉を失うことはないし、いつでも再婚できる。
離婚することは罪悪だってキリスト教的に決まってるし、不名誉だとされてるよ。
今の日本とたいして変わらない、不名誉だけど実を取って別れてるだけ、妻も夫も名誉を失うのは日本でもEUでも一緒
・こちらでは夫が妻を離縁するのが普通。あちらではしばしば妻が夫に三行半を叩きつける。
・こちらでは娘を結婚まで閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、ときに厳格に行われる。あちらの娘たちは親にことわりもしないで何日でも一人で好きなところにでかけることができる。
今回、即位の儀式についてキリスト教団体から憲法違反であるとの声明が出されました。
5月の令和への改元の時にも同様の声明が出されており、意見を異にする牧師の方が記事を書いていました。
https://salty-japan.net/2019/05/05/anti-japanese1inchristiancommunity/
https://salty-japan.net/2019/05/13/anti-japanese2inchristiancommunity/
日本キリスト教協議会(NCC)などが声明を出すが、NCCは個別のキリスト教組織の連合体であり、各団体の
NCC担当者や議長や委員会が声明を出している。キリスト者の総意と思われても迷惑するものもいる。
NCC総幹事の金性済(キム・ソンジェ)牧師が5月の記者会見の場で、
「若者は天皇制や立憲民主主義の問題を語っても聞く耳を持たない。日本国内の日本人自身の市民運動で
自己完結できるのか。隣の韓国をはじめ北東アジアと国を越えて一緒に考えていくのが一つの突破口」
という趣旨の話をしたが、韓国と区別する北東アジアとは北朝鮮のことではないのか。
在日大韓基督教会は李仁夏牧師のもとでNCCに加盟、後に李仁夏牧師はNCC議長となる。
現在、NCC総幹事である金性済(キム・ソンジェ)牧師は、かつて李仁夏牧師が赴任していた川崎教会の後任牧師。
彼らの持つ韓国独自の神学は、韓国でも少数派となる進歩的「民衆神学」派、親北朝鮮のグループゆえに、
李仁夏牧師がNCC議長を務めた当時WCCの会議において日本のNCCがホスト役になって、北朝鮮のキリスト教団体
はたして、北朝鮮に「本物のキリスト教団体」が北朝鮮政府によって公認されるだろうか?
1970年代、金日成ら北朝鮮の指導者たちは、宗教人が皆いなくなったので宗教をも存在しないと公言。
しかし南北対話の道筋がつくと対外工作組織として朝鮮基督教徒連盟を設立し、キリスト教徒がいると発表。
金日成の姻戚で朝鮮基督教徒連盟を作った牧師の康良煜(カンリャンウク)こそが、1972年南北赤十字大会で
耳目をひきそうなところを要約すると、こうですが、本文も長いですがわかりやすい記事なので是非ご一読ください。
天皇制や政教分離について意見を述べたら「反日」だとは増田も思いません。
天皇行事の宗教性や祭事に対しての公金支出に関しては増田も大いに議論があって良いと思いますが、乗る叩き台に
ついても素性を吟味したいですね。