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はてなキーワード: 他罰とは

2023-12-21

anond:20231221094745

それよりも他罰的で攻撃的な人間を治す薬を作ってほしい

2023-12-17

anond:20231217062619

繰り返し死ぬ死ぬアピールしてたら間違って死んじゃいました、ってことやろ?

ぜんぜん違う……分からないなら目の前の機械を使って調べればいいのに。ちんさん少しは努力しろよ。頑張れよ。自分で動けよ。マヌケならぬマグロかよ。男女問わずぜってえモテないわこういう人。ウザいわ怠惰だわ他罰的だわ。ネットしか場所なさそう。

Fatal and non-fatal repetition of self-harm

Systematic review

Published online by Cambridge University Press: 02 January 2018

https://www.cambridge.org/core/journals/the-british-journal-of-psychiatry/article/fatal-and-nonfatal-repetition-of-selfharm/721FD68B3030C46E2070CC08CA869523

2023-12-09

外資系で働いてると日本人性格の悪さがメチャクチャ目につくな

意地が悪いという意味性格が悪いじゃなくて純粋クオリティというかレベルが低い

大勢に影響ない細かいところにこだわったりやたら他罰的だったり

なんでこんな育ち方になるんだ?

2023-12-01

良い人生を送る為のアンガーマネジメント実践

https://anond.hatelabo.jp/20231130130855

こういう記事読んでも

増田が書いてることが正しいとしても世の中の解釈がもう「何秒か我慢」だけなんだよな。ビジネスとして展開しようとした人らのミスだろう

しっかり考えた末に私を侮辱して侮ってるから殺す必要があるって結論しかならないわけだが。意味なくないか

みたいなコメント出てくるのがマジでむかつく。

もし、このように明らかに6秒以上時間が経ってもまだ「怒り」を出力しているようでは、アンガーマネジメントには失敗してるのである

何が失敗しているのか、ちょうどこの前読んだ本、佐藤恵子『職場でできるアンガーマネジメント:パワハラメンタル不調、離職を防ぐ!』を参照しながら見ていこう。なお、この方法がどの程度アンガーマネジメントとして一般的かは流派によるかもしれない。あくまで一例として捉えてくれ。

認知行動療法としてのアンガーマネジメントの考え方

認知行動療法ベースにしたアンガーマネジメントにおいては、ある人の抱える問題を「外部環境相手)」と、「個人の反応」としての「認知」「感情」「身体」「行動」との計5つに細分化し、その中から認知」と「行動」を変えることによって怒りをコントロールするものである

6秒ルールとは、あくまで「行動によるコントロール」のひとつで、わかりやすいから広まってるがコントロール手法はたくさんある。10深呼吸する、怒りの表出に時間をおく、考えるのをやめる、力を抜く、怒りの気持ちを口に出したり書いたりする……など。方法の例はもっと沢山あるから各人いろいろ探してみることをおすすめする。

さて、ではもう一つの認知によるコントロール」とはなにか。

ここで「コントロール」と表現したのには意味がある。まず、「怒り」という感情は必ずしも否定されるものではない。怒りは人間として自然感情であり、コミュニケーション機能を果たし、うまく活用すればモチベーションに転化できる。怒りを原動力に行動する、など。怒りを完全否定することは得策ではない。

……と、ここまで読んで勘のいい方は既に気づいてると思うが、ここでの説明は既に「怒り」に対する「認知」を変えようとしているのである元増田にある「怒りの裏側にある感情を見つけよう」というのも、「怒りの裏側には別の感情があるのでは?」という「怒りの認知を変えるための考え方」のひとつだ。

「○○ってこういうものだ」という自分の考えを一度留保し、「○○ってこういうものだと考えてるけど、別の捉え方もできるんじゃない?」と別の角度から物事を捉えることが重要なのだ。その際特に重要なのは、「自分の考え方の癖」を知ることだ。

同書の中では、怒りを抱く自分自身の思考に以下のような傾向がないかを振り返ることを提唱している(「認知を変える」ことは求めていない。あくまで「認知する」だけ)。

怒りを感じたときにその状況と、思考の癖を整理することで、自分自身の感情認知する。これは「アンガログ」という手法だ。アンカーログを取り、自分の考え方の癖を知ることがまず大事

その上で、その思考の癖を一旦忘れ、「別の考え方もできないか?」と考える(あくまで「考える」だけで、まだ変えなくていい)。いきなり変えようとすると大変なので、あくまで「怒りの背景にある自分の考え」の「別の可能性」を認知することが大事だ。

アンガーマネジメントにおけるコミュニケーション

さて、大事なのはコミュニケーションである。怒りをコントロールしながらも、相手とのコミュニケーションを止めるわけにはいかない。そんなときどうすればいいか

同書では「アサーティブコミュニケーション」を提唱している。相手に何か要求するときに、「事実」「事実に対する自分感情」「要求」「相手からの返答に対するレスポンス(の準備)」の4つを用意しよう……というものだ。

大事なのは自分感情」という点だ。別に感情を抑える必要はない。感情的に伝えるからコミュニケーション不全が発生するのであり、感情を伝えることは悪いことではない。

結局、アンガーマネジメント問題になるのは「伝え方」の問題なのだ。なかでも「怒り」は自他を害する可能性が高いのだから、「怒り」を避けて行動するに超したことがないのである

冒頭の例をアンガーマネジメントする

冒頭の例に戻ろう。

増田が書いてることが正しいとしても世の中の解釈がもう「何秒か我慢」だけなんだよな。ビジネスとして展開しようとした人らのミスだろう

しっかり考えた末に私を侮辱して侮ってるから殺す必要があるって結論しかならないわけだが。意味なくないか

ここまで説明してきたことを実践し、コミュニケーションを前提にコメントを返すならこうなるだろう。

こんなところである

読んでみてどう思っただろうか? 茶番に見えるだろうか? アホらしい? なんかむかつく? 長くて読めない? 反応はあなたに任せる。

結びにかえて

個人的な話だが、この増田を書いてる中の人間は、同僚に対する態度がかなり悪いということでつるしあげをくらい謝罪に追い込まれた(被害思考)。半年前の話だ。

正直無能な同僚(過小評価)が悪いと今も思ってる(「すべき」思考)が、それはそれとしてその場で増田が怒りを見せてしまたことは明確な落ち度なので、試しに本を一冊読んでみたわけだ。

そしたらぼんやりとした「コミュニケーションうまくいかねえな……」が、「自分仕事とはかくあるべきというハードルが高すぎるんだな……」くらいにまでは、自分と周囲に対するギャップ認識できるようになった。

からといって怒りが消えるわけでもなく、同僚のことも無能だと今も思ってるが、それはそれとして怒りを表出することはなくなった。

感情を率直に伝えることはやってもいい。ただ、「怒り」のかたちを認識して、それを別のかたちに変えることはできる。

怒りはしばしば自他を傷つけるのだから、わざわざ傷つけなくて済むことがあれば傷つけない方法とったほうが、生き方としては無難だろう。

怒りで生きづらくなってる人がいたら、あなたも良い人生のためにアンガーマネジメントを試してみてはいかがだろうか。

2023-11-12

あんまりにも他責他害他罰排斥姿勢が強すぎるよね

記憶違い勘違いとかなんかその辺のゆらぎみたいなのを一切考慮しないで

いきなりアクセル全開で嘘つき!から入るじゃん

みんな余裕ない貧困時代なのかね

2023-10-11

anond:20231011121355

どうしてくれる、じゃあないんだよ

お前が決めてお前がやった事だろうが

そんな他罰思考じゃメラゾーマどころかメラだって覚えられるわけないだろ

修行のやり直しだ

2023-10-07

何故リベラルフェミ界隈の人達は「謝れない」のだろう?

人間からだってやらかすし、特に他害性が強いリベラルフェミ界隈の人達は「やり過ぎて」しまう事がよくありがち。

他罰性・他責性が強いが故に恨みを青田買いしてしまっているから、反撃される時は容赦なく滅茶苦茶燃やされる。

しか日本人は良くも悪くも甘い人間も多いので、「やらかした」時に形だけ・言葉だけでも

「あれは私もかったです、申し訳ありません」と謝罪をすれば

攻撃している側も止まる人は多いし、擁護する・したい側も「謝っているんだから」って助け舟を出せる。

ともすれば「あの人ちゃんと謝ってるのに、あれ以上責めるなんておかしい!」と反撃だって出来る。


だがしかし彼女ら・彼らは本当に謝れない。

自分自身が原因で首を締めているのに、何々が悪い誰々が悪い私は被害者だ!と主張する。

良くて最初は謝っても「でも◯◯も悪いですよね」とか言い訳を重ねてしまうから、余計に相手を怒らせる

やり過ぎた事はさておきそこまでヒートアップしてしまった気持ち自体は分かるから、表面上でも謝れば擁護出来るのに

それすらしないから、内心多少は同情してるのに擁護すら出来ない。

仮に口を出しても「でもあい反省してないだろ!」って言われれば「そうだよね、ゴメン…」としか言えないか


恐らくリベラルフェミでも内心やり過ぎたヤバいとは思っているだろう。

間違いを認めたくないだけなのだろう。(仮に本当に全く間違ってないと思っているのだとしたら単なる異常者である)

しか彼女ら・彼らは何故か謝るのは負けだと思い込んでいるから、謝罪せずに正当性を主張し続けるというサンクコスト呪いにかかってしまっている。

自分は一切悪くない、攻撃してくる方が悪いし私は被害者!」と主張する姿は、有り体に言って醜悪である


そういう時、優しく諭せる周りの人がいれば良いんだけど、「謝れない人」がやらかしを超えたやらかしをし続けた頃には

そんな優しい人はとっくに居なくなってるか本人に遠ざけられているから、諫める声すら届かない、届けられない。


謝れないから、頭の一つも下げられないから、反省したポーズすら見せられないから、

本当に認知通りに周りが敵だらけになり、近くにいる人も味方なんだけどある意味敵(助長させるだけ)しか残らない。

さすがにここまでくると、色んな意味可哀想だし哀れだなって思ってしまう。


本当に何故、形だけでも折れる事が出来ないのだろうか。

現状は自業自得だとも思いつつ、悪循環の詰み状態にまで陥ってしまった事に対しては可哀想に思えてならない。

2023-09-09

pixivスラップ訴訟といえば

無意識他人ヘイトめちゃくちゃ貯めることしてるユーザーさんが

貶された瞬間に相手を開示請求したの

ガチ他罰的で頭のおかしいやつだっておもった…

自分の行動を客観的に見れてない

2023-09-06

青葉を責めれない

検察は彼の不遇があの犯罪を起こすパーソナリティ形成したという風に言っている。

しかしそれが本当なら、いわゆる法的な責任能力については置いとくとして、世間一般にいう「責任」など彼にないと言ってることになりはしないか

家庭内不和貧困家庭リーマンショックから解雇。どれも一個人には如何ともしようがないことだ。

その個人ではどうにもならないことが犯罪を起こす性格形成に繋がってるのだとしたら?

実は本人自身自分意思犯罪を起こしているつもりだったのだとしても、その意思を生み出した性格自体が全くの外的要因によって作られたものだとしたらなら、全体の過程としては終始徹底して本人の意思とは無関係次元の中でこの犯罪は起こされたことになるのではないか

あれだけの不遇にあっても自分はそのような犯罪を起こす他罰的な性格にならないと断じられる自信など私にはない。

もちろん遺族とかは許せないって思うことには何も否定しようとか思わない。

でも青葉を責めることは可能性としてありえる自分を責めるのと同じだからできないんだよね。

2023-09-01

ミサンドリスト他責他罰思考は異常

自らの怠惰無能さを女性から仕方ないで一点突破しようとしているところがもう見てられない

そういうのもう時代遅れですよ

同姓にすら忌避される存在なんだけど気づいてる?

2023-08-14

妻が発達障害かもしれない

交際から数えてなんやかんや4年ほどになる妻のことをもしかしたら発達障害なのかもしれないと思うようになった。

詳しい人がいたら意見が欲しい。

共感能力がない

自分気持ちは「なんでわからないの?考えればわかるでしょ?」と共感を求めるが、

こちらのつらさや悲しみはわからないし説明しても理解できない。

  

・常に自分が正しいと思っており、自分に甘く他罰

自分ミスは認めないが人のミスは細かく指摘する。

自分寝坊すると「なんで起こしてくれなかったの!」で

こちらが休日に寝ていると「いつまで寝てるつもりなの?」(妻は普段昼まで寝ている)

  

・人の悪口を言っているという自覚がない

バカだな~」とか「あんたは料理が下手だからね~」とかを平気で言う。

本人は冗談のつもりなのかもしれないが普通に失礼な時もあることに気付いてないっぽい。

やんわり指摘しても「事実を言ってるだけ!」「じゃあもう何も言わない!」とか怒るので言えない。

  

・こだわりが強く好き嫌いが激しい

家事のやり方でも食べ物でも違うやり方を許容できない。

ほぼ家事をしないのにこちらがやったことに「パンの焼き加減はこうじゃないって言ったけど?」とか言われるとちょっとしんどい

あと説明書通りやらないとダメときと妻の自分ルールが正解になる場合バラバラなので予測ができない。

  

自分の思い通りに行かないと怒る、泣く

たとえば俺に用事があって出かけると「私のことは誘ってくれない!」

遊びに行こうと誘うと「それはしたくない。あれがいい」

妻の行きたいところに行くと「つまらなかった!思っていたのと違った!」

記念日休みを取って旅行に行ったのに1カ月後「全然どこにも連れて行ってくれないよね」と言われた時はさすがにどうしていいかからなくなった。

  

・人との距離感がつかめない

ものすごい気を遣うかと思ったら親しくなった相手には感情を全部ぶつけてしまう(甘えるとも言えると思う)

以下とも関連

  

友達が少ない

というかすぐ離れてしまう。

妻の友だちに会ったり俺の友だちに会わせたりもしたが、

最初は人当たりがいいんだが上記のような性質のせいでやがて互いにヘイトが生まれて壁ができてしまうっぽい。

長続きしてるのは妻の性質を受け入れてくれている年上か、後輩など服従せざるをえない人かのどちらかに見える。

  

最初は変わった人、ユニークな人だな、くらいに思っていたけど

関係が深まるにつれて「子どもっぽすぎるな」と思うことが増え、

色々調べてるうちに発達障害に似たような事例があることを知った。

全部がそうだとも思わないし、まだ妻にはそういう話はしていない。

愚痴っぽくなってしまったが(実際愚痴でもあるが)、妻を批判したいのではなくこういう状況で俺にできることがあったら知りたい。

わりと切実です。

2023-08-11

なぜ「知性も倫理性も卓越した」共産党支持率が上がらないか

「卓越した」清く正しい他罰的なエリート達に粛清されるのが怖いからに決まってるだろ。

それをいつまでも共産党への差別=「反共」としか考えられない「清く正しい他罰的なエリート達」。

2023-06-11

身長男性による高身長風俗嬢とのセックス体験について

あくまで、人から聞いたという話をさせてくれ。

  

デリヘル

そいつは、デリヘルでは高身長をできるだけ頼む。

あるとき、175 cmデリヘル嬢を頼んだ。

ちゃんと175 cmで、結構かわいめだ。

デリヘルは本番禁止だが、金で交渉することが普通にある。

で、OKが出る。

  

身長男性にありがちだが、高身長女性中出しして、遺伝子を何とか高身長に持っていこうとする。

で、中出しダメだと言われて、しかイケメン高身長彼氏持ちだと。

ギリギリまで、中で出すことの恐怖を植え付けて、結局は外だし。

やはり、子供ができてしまい不幸になることが怖いらしいな、低身長男性は。

  

箱へる

高身長だが、ブスな、元男じゃないかというデリヘル嬢。歯も半分溶けてる。

マンズりして、うっかり中に、、、ということをしようとするも、ブスすぎて萎える。

ブスには厳しいくせに、低身長差別は許せないってのは悲しいな、低身長男性

  

ソープ

178 cmゴムありソープ複数回通う。

好き好き言わせる感じだが、クンニしながらオナニーするだけ。

中で出させてくれとは言えない。ソープ出禁が怖いからか。

  

何が言いたいのか

身長遺伝子差別されているのは事実だろうが、だからと言って現実的にその思想女性に叩きつけるのは心理的な壁がある。

身長男性差別される世界で、その差別を受け入れることが大事であって、他罰してもその差別は無くならないし、次世代負の遺産を残すことは、低身長男性遺伝子に生まれた不幸が連鎖するだけだぞってこと。

anond:20230610194241

・その場で言い返す度胸もぶん殴る根性もない

・どう転んでも道化のくせにプライドが高い

自分より弱いと判断した者に対して異様に当たりが強い

・↑この様な恥ずべき態度を自省せず、さも武勇伝かのように掲げる

・見た目同様、精神年齢が妙に幼く他罰的かつ攻撃

・単なる八つ当たり正義行使か何かと勘違い自己正当化している

この短文にチビ忌避される要因が全て詰まってる

2023-06-10

下方婚下降婚

そもそも国外では、「妻の学歴収入が夫のそれを上回る例」(下方婚下降婚)は珍しくも何ともない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%98%87%E5%A9%9A#%E4%B8%8B%E9%99%8D%E5%A9%9A%E3%81%AE%E4%BA%8B%E4%BE%8B

にもかかわらず、「女性教育収入抑制すれば弱者男性にも出会い保証される」と主張する、本邦の弱者男性他罰意識の強さよ

下方婚下降婚

そもそも国外では、「妻の学歴収入が夫のそれを上回る例」(下方婚下降婚)は珍しくも何ともない

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%98%87%E5%A9%9A#%E4%B8%8B%E9%99%8D%E5%A9%9A%E3%81%AE%E4%BA%8B%E4%BE%8B

にもかかわらず、「女性教育収入抑制すれば弱者男性にも出会い保証される」と主張する、本邦の弱者男性他罰意識の強さよ

2023-06-09

anond:20230609162321

自分と同じタイプ発達障害者体験エッセイコミック読んだら

自己中心的すぎて全然共感できなかったことあったな

自分に甘く他罰傾向をもってるかどうかと発達障害関係ないらしい

2023-06-06

責任感がない日本の女に管理職は無理

管理職って責任感がない奴には務まらないし

何でも男や社会のせいにする他罰的な女では

無理だよな。

2023-05-27

田舎中流家庭にいる高齢こどおじニートへの救いについて

単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。

しか都市部大学に出たとき自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折経験する。

「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折やすい。これは都市部私立高校でも発生する。

昨今では、地方東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しかたことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分ナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分田舎を100倍したもの日本のすべてだと感じるのだろう。だから位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。

こうした子ども首都圏に行くと自分味噌っかすであることを全身全霊・魂レベル経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。

彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしか原理上どうしようもないことになっている。

彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカイギリスEU」などのことだ。ここ最近主君アメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。

しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。

「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるもの無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分家老ぐらいあると感じている。穢多非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。

自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。

生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。

彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカ無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれ環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティ崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。

わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもまり距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人たまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。

大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもアダルトチルドレンである

そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。

自分ゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクト邁進する日常選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。

何をやっても無駄なのだという学習性無力感精神麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間大量生産する教育システムのもの時代遅れなのである経済の硬直化と後進性と長老支配学問民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。

そして、そうした努力も長くは続かない。学校勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ち拒否する愚かなプライド山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。

親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。

親に金がなければ、生きていくために自力仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。

しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活放蕩放縦嫌悪している相手依存しているという忌避感。

年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。

なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感

人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣社会の中で自分けが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。

他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。

異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。

更に狩られているだけなのだ。その精神看破しているぞ。ただの餌だ。空想世界へようこそ。現実直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。

しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である価値観のものがどうしようもなく古いのである

自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来学問というものだ。

人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。

本来絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望選択している。

絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。

そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。

苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。

もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。

教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママコンプレックスは、子ども愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。

頑張ってほしい。

2023-05-13

私の会社ヤバいヤツ

とにかく嫌われている同僚のA。

彼女はとにかく他罰的で、些細なミスミスですら無い事を執拗に責める。

散々怒鳴った後も事あるごとに蒸し返していびったりするので(特に新人男性社員若い女社員ターゲット)

もう何人も病んでしまって休職転職退職してしまっている。

普段の態度も高圧的・攻撃的で他人不快にさせるし、Aに限っては電話対応はさせない様に何度もお願いしている。

それでも「私がやらなきゃいけない!」と勝手対応しては、取引からクレームがきたりして謝罪に走る羽目になる事もある。

トラブルが起きてもAは知らん顔。勝手に怒るあちらが悪いから私には謝罪する理由は無い。

寧ろこちらがハラスメントされた被害者!と居直る。結局誰かが尻拭いをして疲弊させられる。


Aは彼女自身が思う程優秀な訳でも無く、どちらかと言えば無能な方だ。

しかミスをしても隠そうとするか人のせいにしてキレ散らかす。

自分がやったのに「○○さんに言われてやりました!」「○○が勝手に私の仕事を変な風にした!」と責任転換をする。

言われた人は大抵寝耳に水なので反論もするんだけど、とにかく騒ぎ立てたり責め立てるから最後には何も悪くないのに謝罪させられたりする。

私も何度かそれをやられて、否定はしたが執拗に責められて折れてしまい、死ぬほど悔しいけど「私の勘違いでした」って頭を下げた。

その時の彼女ドヤ顔を思い出す度に本当に怒りで狂いそうだった。


社内でも大小トラブルを起こしては上司から注意されたり同僚や後輩からも抗議されたりするんだけど、そうなると途端全力で被害者面をする。

理不尽な事を言われている、私はパワハラセクハラされている!女性いじめるなんて酷い!」と、まるでフェミニストみたいなムーブをする。

女性嫌がらせするなんて酷いですよ!女性差別です!」なんて、まさかリアルで聞く事になるとは思わなかった。

それを聞いたトラブルは、Aからすれば「ちょっと指摘しただけなのに逆ギレされた。男に怒鳴られて怖い…怒鳴れば女性は言う事を聞くと思っているのか?」だったが

客観的に見れば、Aの嫌味と嫌がらせに耐えかねた若手の男性社員反論しただけ。

しかしAが実際には加害者サイドの場合でも(その場合殆どだが)、彼女は大騒ぎする一方ですかさずコンプライアンス部門かに

無い事無い事騒ぎ立てて持っていくから、そうなると事情をあまり知らない上層部調査(笑)によって、被害者が逆に加害者扱いされたりする。

その件では、結局若手の社員セクハラ処分を受けて、心折れたのか程なくして退職してしまった。


やりたい放題のAだけどどっかのコネ入社らしく、上司もなだめるだけで処分もロクにしない。

恐らくAもそれを自覚しててやりたい放題しているだろうとも思っている。

とにかく新人、若手、男性社員全般若い女社員に厳しい。

特にAはアラフォー独身なので、誰かが結婚したみたいな事を言ったらもう全力でいびり倒して退職させるので

入籍する事があっても旧姓のままで通し人事も無言で書類手続きする、とにかくAには悟らせないというのが暗黙の了解となっている。

年長のベテラン且つ人あしらいが上手いおばちゃん社員の言う事だけは比較的聞くので、普段彼女らがフォローしている。

しかし「なんで私がAの面倒見なければいけないの?」とのクレーム愚痴はしょちゅう聞く。

Aの面倒を見るのに疲れて異動願いを出してしまった人もいる。


そんなAが昨年、コロナにかかって数日間休んだ事がある。

社内は久々に和やかな雰囲気となり、ふと誰かが「このままAさんタヒんでくれないかなー」とポロッと言い出した。

言い出した人はしまった!って顔をしていたんだけど、別の社員同意して、また別の社員がAにこの前こんな事言われた!

被害報告をしたり、それに対しマジあいつ(A)あり得ないわ、コロナにかかってせいせいした!などと

Aを心配するどころか病状の悪化を願ったりする悪口大会が、小一時間続いてしまった。

誰も止めはしなかった、上司は聞こえないフリをしていた、寧ろ私も参加していた。

自分含めみんなここまでAを憎んでいるんだなって改めて思った。

結局Aは復帰してきて凄いガッカリしたけど、本気でガッカリした自分にも驚いた。


Aは常にイライラしている。よく皆は私を理解してくれない!という様な事を言って怒る。

自分が原因で人から嫌われて、それで孤独になって更にストレスを溜めてキレ散らかす悪循環だ。

A自身も今の状況を改善したいのかもしれないが、改善するにはA自身が変わらなければいけないが

その事を指摘した人は、A自身が傷つけて転職退職に追い込んでしまっている。もう誰もAには指摘しない。

でもAが受けている敵意は、そのままAが他人に対して向けたものが返ってきているだけなのだ

多分Aに限らず、程度の違いこそあれ多かれ少なかれそういう人はいるのだろう。

本人の主観では「周囲に理解されず攻撃されている、虐められている!」だけど、客観的には全然違う人。


こういう人が救われるにはどうしたら良いんだろうな?

優しく周囲が受け入れるのが一番なんだろうけど、生憎とそんな優しい人ばかりじゃないし、困難と言うか無理。

もうコロナじゃなくても良いから何らかのアクシデントで出社出来なくなってくれないかなーと祈ってしま自分残酷なのだろうか。

2023-05-07

あなた人生がうまくいかないのは私のせいかもしれない

日本社会人の平均学習時間は1日6分、そのうちの95%の人の学習時間は0分。

これが日本社会現実である。つまり何もスキルを身に着けようともせず、自分学校卒業たころ、自分最初就職たころと似通ったスキルで世の中を渡りきろうとしている人々がいる。あなたはどれほど学習しているか

ほとんどの人は『努力』と『苦行』とを同一視している。これは教育の失敗によるのであろう。努力は苦しみを伴うことも多いが、苦しめばすなわち努力となるのではない。耐え忍べばいつかは救済が来るわけではない。苦行は意味がない。苦行ばかりしている人が多い。『わたしたちはいっぱい苦行をしている』と言い張っている。それは正しい。しか努力をしなければならない。自分の意を通すために必要なことをすべてやる能力努力という。

他責ばかりする者が多く見られる。『他責にするな』というのではない。どうして自分人生のすべての責任を、完全に他人のせいにしてそれを受け入れていられるのか。人生の主導権を手放して、それで満足か。痛めつけられてきて、自らの未熟さを世間から突きつけられ続けたからかもしれない。蔑まれ馬鹿にされ、からかわれ、侮辱される。どうせやっても無駄だと感じているか。無論、社会というものクズに見えるのは仕方がない。クズ人間は目につきやすい。ノイジーマイノリティである悪事千里を走るとも言う。ふざけたどうしようもない人物も実際に多くいる。そういうふうに社会を見れば、社会は「クズ」の総体でできたもののように見えるのも無理はない。「ああ、社会というものはどうしようもないんだね」と思うのだろう。違う。

いつまでも自分モラトリアム期間の中にいて、いつまでも人生猶予されているように振る舞っている輩が目につく。年齢を重ねれば自然大人になるわけではない。大人になろうとしなければ大人になることはできない。知識を重ねさえすれば大人になるわけではない。それはアダルトチルドレンという。どれだけの人々が、愚痴も言わず他人人生を助け、人々を愛しているかをしっかり見ようとしない。気付いてしまえば、己こそが真のクズだとわかってしまうからだろう。社会とは、自分身の回りだけではない。自分身の回り世界ではない。世界のごく一部である

どれほど自分が未熟で、愚かで、他罰的で、人に迷惑をかけ続け、どうしようもない、本気を出せない、信頼を容易く裏切る、クソガキ的存在なのか、そういうことに思い至りたくないのだ。このように言うと、実際反発する人が多いものだ。自分いかに素晴らしく、いか努力をしており、それに比べて他人はどうしようもなくダメで、他人は楽々生きているように見えて、恵まれているくせに、厚かましい無神経なやつばかりなのだと思っている。

「ああ、これは自分のことを言っているのだ」と振り返ることができない。どこかずっと他人である。そういうことは、自分ではない他人がやるべきなのだと思っている。しか他人人生は1つしかない。どうしてあなたのために、他人他人人生犠牲にしなければならないのか。他人にどうにかしてくれという発言は、ドラえもんを求めるのび太の声である。誰かスーパーヒーローがやってきて、自分を救ってくれはしないかと思っている。自分ドラえもんになろうとはしない。

ヒーローはいる。ヒーローは、人知れず人を助けている。感謝など誰からもされない。それこそが大人である。少し探せばいくらでも見つかるものだ。探そうともせず、目が曇っているから見つけられないのだ。自分はやっている、十分やっていると思っている。いいや、全然、やっていないのだ。耐えるだけなのは、怠けているのだ。耐えるだけなら楽だろう。耐えている自分は善で、耐えさせる他人が悪なのだ。そして、素晴らしい人々は、自分とは違う世界の住人だと思っているか。そうではない。身の回りの調度品を注意深く見よ。それはどう作られているかあなたに作れるか。何故それがそこに存在できるのか、安全暮らしていけるのか、思いを馳せない。それが当然のことだと思っているからだ。当然ではない。先人たちの血と努力奇跡結晶を「それが自然の摂理だ」と、誤って学習してしまったのだ。

努力や忍耐など他国の人々もやっている。とてつもなく多くやっている。他国の人は決して無知の民ではない。同じ人間であり、ホモ=サピエンス(知恵のある人)である野蛮人だと思っていたか自分だけだと思っていたか。それだから追い抜かれたのだ。時代のせいにするな。甘えるな依存するな。もうとっくに、昭和ではないのだ。今の社会人は全員が不景気しか経験していない。得など誰もしていない。「他国もっと苦しんでいる人だって頑張っているのに」という言葉を軽く見ている。心が鎖国しているのだ。目を向けなければいけない。自分が、自分が虐げられていることだけが重要だと感じているのだろう。あくま自己が優先。他人など蹴落としてしまえ、他人を虐げてしまってもよいという精神が、他人を容易く批判させる。

大人とは、「あなたは悪くない、あなたは少しも悪くない、悪いのはあなたではないよ、あなたは頑張っているよ、あなたは虐げられているよ、あなたは大変だったね」という悪魔を求めるべきときではない。そんなことは、ほとんどの場合、言われないものだ。当然の如くやるものだとみなされている。褒められもしない。愛されもしない。やるのが常識だと思われる。報われることもない。それでも頑張れるのは、わかってくれる人がいるからだ。自分のことだ。自分が、どれほど懸命にやっているかわかっていれば、それで良いのだ。

社会には大人が少ない。いないわけではないが、割合少ない。見えにくいというのもある。だから大人を求めている。全く割に合わず、非合理であっても、それをやろうとする人間を求めている。自分任務をわきまえて、それを果たせる大人を求めている。年齢的な意味での大人は、見限られていることも少なくない。どうせ言っても無駄なのだ固定観念に縛られて、他者に損害を与え自己利益だけを徹底的に追求する邪悪だと思われている。そのわりに、自分正義だと思っている。だから子どもに教えているのだ。大人は、子どもに救いを求めている。「未来大人たちよ、私達を助けたまえ」と言っている。

俺たちは、もはや助けられる方ではない。助ける方なのだ。誰か助けてくれると思っても仕方がない。なぜなら助けてくれる人が全くいないのだ。日本王国でも帝国でもない。早々に自分人生解決して、他人を助ける側に回らなければならないのだ。進まなければならないし、進もうとしているのだ。耐える必要はない。ただ努力せよ。

もしもそれができないなら、指をくわえてみていれば良い。救ってやろう。守ってやろう。俺たちは大人から、そうしたいのだ。

俺は、この文章意味が、ただ1人にだけ伝わればそれでいい。俺はただ、社会クズものだと思いたくないのだ。世界は素晴らしいのだ。

潔癖症他罰的」 病原は自分の外=他者社会にある、という発想

大罪を犯した極悪人が生きているのは許せない」という死刑制度賛成派の多い日本潔癖症の国。

2023-05-04

anond:20230504110406

精神科医でもないのに勝手に「精神異常者」と決めつける

・赤信号無視し、注意されると逆恨み

バーベキュー臭いからやめてくれと言われているのに「臭くない、いいだろう」と言い張る

これで「かわいそう」などと言ってもらえると思ったか? 認知根本的に歪んでいるな。常に他罰的。自分勝手

てめえが悪いのに被害者づら。どういう人生を送ってきたのか大体想像つくぞ。

二階から放尿の件も作り話かもな。

お前に同情する奴はいないぞ。まさに「親の顔が見たい」。

2023-04-26

anond:20230423111053

自分問題に向き合う振りをして他罰的な態度にでるのは、無意識自分は何も悪くないと思ってそうだな

勝手に感じた理不尽反論しづらい相手に投げつけて鬱憤晴らしてるだけだろうお前は何も改善できないよ

2023-04-17

anond:20230417192937

鬱の人間デモやるわけないだろ

デモやるのは「自分よりも周囲に原因があると信じていて、一定以上の行動力と熱意を持っている奴」なので

必然的に鬱になるようなメンタルではない他罰的な人格障害者ばかりが集まる

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