はてなキーワード: ムードとは
彼女とはもう3年の付き合いになる。
一方で、彼女との性生活がゆっくりと、静かに冷めていっているのを感じる。
彼女の身体に魅力がないわけではない。気持ちよくなってくれるし相性は良いと思う。
これが互いの慣れの結果だとしたら悲しいけれど、事実として勃たなくなって不発に終わる
夜が増えている。
「疲れている日はしょうがないよ」
「抱き合っているだけで私は幸せ」
だったりする。優しくて嬉しいのだが、、
昨日の言葉は
「男の人って勃たないといけないから大変だね」
だった。不発だった夜は失意の念に駆られる。
僕の心が弱っていたのかもしれないけれど、
正直受け取り難い言葉だった。
その言葉こそが俺が勃たなくなる原因だよ
俺が勃たないのは、全部俺の責任なんだろうか?
俺の責任だよって暗に言われている気がする。
裸でうろうろしたりされると、日々の生活の中で段々と互いの性的魅力が
削がれていくし、徐々に削がれていった結果が今この状況なのだが
気づいていないだろうな。どう話し合えば良いんだろう。
話し合って解決するのかな?
単に話し合えよってことだとは思うが、
話し合った結果決定的に壊れるのが怖い。
20後半。冴えない男である俺は20代で年収700万くらいあったけど何も意味をなさないくらい本当にモテなかった。
稼ぎだけはまあまああるので出会うところまでは何度も行けたけど、会った瞬間冴えない喋り方やら挙動不審やらでことごとく振られちゃう感じ。
同い年で同じ趣味の共通点の多い子、5つ以上年下の女の子、年上でしっかりしてそうな30代、専業主婦志望な婚活ガチ勢、オタクの子、外交的でアウトドアな子。
多分10人以上に会ったけどみんなに会った瞬間振られた。
彼女との初めての出会いはマッチングアプリで向こうからいいねをつけられたところから始まった。後で聞いたことには顔が好きな韓国俳優に似ていたのと趣味が合ってたからいいねしてくれたらしい。
俺も彼女も00年代のアニメが好きで、そこで話が会ってLINE IDを交換して毎晩通話するようになった。こんなに長くやりとりが続けられたのはこの子が初めてだった。
通話するようになって何日目になったときに実は自分は軽度の知的障害があるとカミングアウトされた。
びっくりしたけど「○○さんは○○さんだから関係ないですよ」みたいなこと自分は言ったと思う。
何週間も割りとほぼ毎日通話した後に会ったこともあって初回のデートで家までお持ち帰りできた。
告白は俺の方からした。正直言うとお家デート中に良いムードになって挿れるのは付き合ってからじゃないとダメって言われたから勢いで告白した。
彼女は障害者とのことだけどパッと見は本当よくわからなかった。ただやり取りをしてると漢字がかなり読めないとか、計算が苦手とか、そういうのがちょこちょこあると「あー、この辺りはちょっと苦手なんだなー」って感じるくらい。
携帯とか保険の契約は付き添いがいないと何がなんやらわからなくなるらしい。
彼女は実家暮らしだけどご両親の教育方針で家事はいろいろやらされてるらしく一人暮らしの自分よりその辺の生活力はだいぶ高いように感じた。
掃除洗濯料理裁縫全部自分より上手くて、自分はちゃんと家事とかやってるつもりだったけど洗濯物の干し方がおかしいとか部屋の細かいところの掃除ができてないとかいろいろ教えられた。
彼女と接していると男のケアがなければ生きていけない子だな、みたいなことは全く思わなかった。
彼女は都心近くのホテルで障害者枠として非正規で働いていた。就活や社会生活はやっぱそれなりに苦労したらしい。
稼ぎだけまあまああって生活力がそんなな俺と一般社会は苦手だけど生活力のある彼女なら意外と良いパートナーになれるかも?って考えたりもした。
基本的には彼女のことは全肯定で辛いことあったら慰めて、精神面も金銭面もいろいろ支えた典型的な理解ある彼くん状態だったと思う。
いろいろあって別れた。俺の方から振られた。自分は結構ええとこのITベンチャーに勤めてて、勉強時間とかいろいろ確保しなきゃいかんのに対して彼女はできる限り毎日寝落ち通話して一緒に過ごさないと気がすまないタイプの子で、
「増田君も私の相手するの大変そうだし私も寂しいのは嫌だし別れましょ」って言われた。引き止めたけどダメだって言われた。ちょっと愛情に飢えてて、まあ優しい子だったと思う。
俺にとって彼女はようやくできた大事な恋人だったけど、彼女にとっては俺はいっぱいいた恋人の中の一人で、アプリかなんかで次の理解ある彼くんを見つけるくらいまあなんとでもないことなんだろうな、みたいな余裕の差は感じた。
同じようなハンデ持ってても男と女じゃ悩むポイントってそら違うよなーって。
大体3ヶ月間んくらいの出来事。
ってな感じ。
少し前に、会社に行けなくなりました。
いわゆる「鬱」というやつです。
今まで、鬱になる奴は甘えとか煽ってた私がです。
そこで、重い腰を上げて精神科で診療を受けて抗うつ薬を処方してもらった。
そして処方された抗うつ薬を飲んでみた。
思考がポジティブになり、行動的になり、活動力が上がり、アメリカ人もびっくりの Yes we can 状態になったわけ。
念のため休職の申請をしていたから、せっかくだし色々とやってみようと、
サーフィン始めちゃったり、スカイダイビングやってみたり、人生が楽しいのなんのって本当にすごい
婚活パーティーに参加してみれば、話が楽しくて明るくて笑顔がいいとか言われてモテるわモテるわ。
これはイケるか?と思って馬券を買ってみたら紙切れになるわ、クソが!
効果がヤバすぎる
そうやって飲み会やら遊び歩いてたら、さすがに月の出費が目に余るようになったから、これはまずいなと思って3か月で休職を切り上げて仕事復帰したわけ。
で、会社に出社するようになったら、仕事の能率は高くなるわ、次々に仕事を巻き取っていくわで、評価爆上がり
もうWebに蔓延するクソアフィリエイトかと思うくらいの好循環でびっくりだわ
これだけは言える。
ネガティブなやつ、ポジティブになりたいやつ、仕事がうまくいってないやつ、私生活に不満があるやつは、絶対に抗うつ薬を飲め!!
ダイエットサプリやら、脱毛サロンやら、ハゲ治療薬やら、そんなものに金を使うな。まずは抗うつ薬を飲め!
俺にはブクマカ兼増田の友人がいるのだが、以下のような性格で困っている。
・レスバなどの言い争いで負けても、負けを認めない
・言葉使いが偉そう
・人の間違いをすぐ指摘する
こちらが注意したら、不機嫌になったり、怒ったり、泣き出したりする。
根気よくしつけようとはしているが、なかなかうまくいかない。
このせいで、周囲から少しずつ嫌われつつあるようだ。
病院の先生には発達障害の疑いを持たれたが、診断はしていない。
3歳くらいからずっとこの調子で、いつか変わると思っていたがなかなか変わらず。
親の愛情が少ないせいだろうか、もしくは教育が悪いのだろうか。
叱るたびに険悪なムードになるのでもう疲れてきた。
友人を見ていて、間違いを極度に恐れているのはよくわかる。
友人関係って難しい。
俺には小2の一人息子がいるのだが、以下のような性格で困っている。
・言葉使いが偉そう
・人の間違いをすぐ指摘する
こちらが注意したら、不機嫌になったり、怒ったり、泣き出したりする。
根気よくしつけようとはしているが、なかなかうまくいかない。
小学校の先生にも、クラスの輪を乱してる存在として問題視されている。
小児科の先生には発達障害の疑いを持たれたが、診断はしていない。
3歳くらいからずっとこの調子で、いつか変わると思っていたがなかなか変わらず。
親の愛情が少ないせいだろうか、もしくは教育が悪いのだろうか。
叱るたびに険悪なムードになるのでもう疲れてきた。
息子を見ていて、間違いを極度に恐れているのはよくわかる。
子育てって難しい。
こんなに相談に乗ってもらえるなんて思ってなかったので、本当に感謝しています。
全てには返信ができず申し訳ない。
ごめんわかりにくかった
あなたはその女性と友達付き合いがしたい、女性のほうも男「友達」が欲しい、
もしそうなら作品についてああだこうだ語り合ってもいい
でも恋愛相手を探している場合、あんまりその作品について喋りすぎると恋愛ムードに入りづらくなっちゃうから
会話に出ても相手の反応見ながら軽く流す程度がいいってこと
だから相手は知っててのめりこんでるなら、こっちはそこまで知らないほうがよかったりするときもある
相手がどういうポイントに反応してるか聞き出しやすいし、相手が喋りたいように喋らせられるわけだから
ごめんこれはわかんない!
みんなでご飯食べに行っても店の踊り場でふっと二人きりになって密着してきたりするよね
しかもその密着具合がこっちが許せる距離、許せる秒の範囲っていうのがすごい
どうやって読んでるんだろうといつも思う
オレオレFCは20日、アウェイで清水エスパルスと1ー1のドロー。クラブワースト記録を更新する11試合未勝利となったが、価値ある勝ち点1を積み上げた。前半8分、左CKからFWチアゴ・サンタナにヘディングで決められたが、後半ロスタイム、MF鈴木潤のクロスに今季初出場のベテランMF加藤が倒れ込みながら頭で押し込み、同点弾を決めた。次節は27日、アウェイでサガン鳥栖と対戦。J1残留のためにも、12試合ぶりの勝ち点「3」をつかみにいく。
【写真下】清水と引き分け、試合後サポーターに挨拶するオレオレFCイレブン
右こぶしを突き上げ、雄たけびも上げる。イレブンやベンチの選手から、もみくちゃにされた。今季リーグ戦初出場のベテランのヘッド。閉塞感を吹き飛ばす、試合終了間際に決めた同点ゴール。アイスタに駆けつけた約4000人のロイブルサポーターを熱狂の渦に包んだ。「いやー、雰囲気は最高。しびれたね」と興奮を隠さなかった。
先制点を許し、あの手この手を使っても清水DF陣に跳ね返される。敗色ムードが漂い始めるも、諦めない執念が同点弾を呼び込んだ。後半ロスタイムだった。MF鈴木潤が左のペナルティーエリアから絶妙なクロスを供給。これに反応した加藤が頭で勢いよく流し込んだ。「鈴木のクロスが良かったので、僕は合わせるだけ。アレを決められなかったら、まず負けてたから。そういう意味では大きいですね」と振り返った。相田満博監督も「私の采配ミスを加藤が救ってくれた」と最敬礼だった。
チーム最古参、主将も努めた33歳のベテランも20年に左膝を負傷し、手術をしてから、苦境が続いた。昨年はリーグ戦僅か3試合。今季もここまでリーグ戦の出場はなく、ルヴァンカップの2試合のみだった。「怪我してから2年間は復帰しては些細なことで離脱するの繰り返し。今年はそれはなくなったけど、それ以上に若い子がめちゃくちゃ良いから」としながら「ベテランが腐ったら、チームも腐るから」と、出場機会がなくても、明るく、若手と積極的にコミュニケーションを取り、声を張り上げるなど、勝てない現状の中でもチームを盛り上げた。アシストを決めた鈴木潤は「加藤さんは、練習でも手を抜かないですし、どんなに苦しくても声を出して前向きに盛り上げてくれる」と感謝する。
対清水戦のアウェイ無敗は継続したが、前回敗れた因縁の相手にリベンジはならず、勝ち点1に終わり、これでクラブワースト記録を更に更新する11試合未勝利。それでも加藤は「いやいや、今日は勝ち点1を獲れた事が全て。勝ちに等しいでしょ」と明るい表情で収穫を強調した。次節はアウェイで鳥栖と対戦する。J1残留争いで生き残るために―――。ベテランの起死回生の同点弾を、次に生かす。
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
コロナ禍で思った通り大学生活をエンジョイできず、緩和ムード出てきたと思ったら卒論やらなきゃいけないっていうのはやりきれないよな。。
でも、旧帝大理系大卒の肩書きをゲットするには卒論を書かなきゃいけないってことは承知でその大学に入ったんでしょ?
時価総額が高い会社はあなたじゃなくて肩書きを見ているから、頑張らないと!
(こういう愚痴を小説に落とし込んだのが森見登美彦だと思う。)
嫌なことから逃げるために"事実"だけを並べてよくここまで"論理的"な文章をつくった。
主観満載で、最初から読み手に納得させるつもりがないフラストレーションの発散としての文章でも、ここまで"論理的"な文章を書けるあなたは素晴らしい!
論理的な文章を書く力は備わっていると思う。あとは客観的な事実だけを使えばいいだけ。
あなたは頭がいいよ!俺にはできない。
あんたくらいいい文章を書けるなら、卒論はそんなに苦じゃないはずだ。
そんで、大人になって金持って休暇取って遊ぼう!
(仕事をしたくないなって思うとき、ネットに愚痴を書くと「それが会社員だろ?」「嫌なら転職しろよ」とか批判される。「うっせえな分かってんだよクソ外野ども」って思って生きてるわ。今回に関しては俺も批判する側に立っちゃったけど。)
喪女なんだけど、エロ漫画やら官能小説やらをばりばり読んでる耳年増だった。
いよいよ25の誕生日が近づいてきて、このめくるめく官能を味わったことがないって勿体なさすぎない?と思って行動に移した。
友達や彼氏なんてものができる気配はないからTinderを入れた。ここに至るまで諸々のまともそうなマッチングアプリは通っている。この歳まで喪女の人間なので理想が高い上にプライドも高いので、普通のアプリでは何の成果も得られなかった。
Tinderを入れて速攻処女を捨てることも出来なかった。プロフにそう書けばいいんだけど、どうにも羞恥心とプライドが邪魔をして「暇つぶしです」みたいな態度しかとれない。これではイケメンとワンナイトは出来ません。
アカウント作成→削除→作成を何度も繰り返し、ようやくプロフに「処女を捨てたい」と書いた。ここまではっきりヤリモクの体を取ると、明らかにマッチ数が増加した。
新規アカウント作成から2日目、ちょっとまともそうなメッセージが来たのでその人と会うことに。
ものすごい緊張でお腹を下しつつ、メッセージが来た当日に会うことに。ここでひよったら一生処女だぞと自分を激励しつつ会った。
会ってちょっと歩いて、その後ホテルへ。同人誌やらで見た事のあるラブホの形式にほ〜んと思いながら着いていく。客と鉢合わせないようにされてるって聞いた事あったけど全然受付で会いまくった。
部屋についてからは何となくムード作られて、流されるまま流された。おお、このまま順調に……と思ったところで激痛。Tinder男はろくに指で慣らさなかった。なーにが「優しくします」だよ!と思いつつここで萎えられたらこっちも困るので痛いから止めてくれとアピール。私もエロ漫画みたいに♡で喘ぎたいんですけど!!!まじで痛い時にしか出ない「ヴっ……!」みたいな声しか出ない。
恥じらいも捨てて「今どの辺?」みたいなことを何度も聞いて、最早医療行為を受ける心地で苦痛に耐えた。痛い。まじで痛い。生理痛が酷いから痛みに強いような気がしていたけどそんなことなかった。いや、処女が痛いことぐらい知ってるんだけど、こんな?官能小説だったら最初は痛いけど最後はよくなってるじゃん。あれも嘘だった。一生痛い。あといれようとし始めてから一切キスもなかったんだけどキスハメもエロ漫画だけなの?!
一応まじで痛いって言ったらその瞬間は止めてくれたけど、人がこんなに痛がってるのに萎えないってなに?とも思った。痛がる顔に興奮するタイプの奴か?
どうにかこうにか入った後は向こうがひたすら動いていたんだけど、これも痛い。向こうがなにか動きを変えていることは分かるんだけど、長く痛いか短く痛いかの違いしかない。初めてのイメージに天上ウテナのあのシーンを思い浮かべてたんだけど、飯について考える余裕なんか無い。痛い。早く終わってくれ…!と祈ってはいるけどそもそも私が何をどうしたら早く終わるのかも分かってない。この状態がマグロってのはわかる。
なんやかんやあって終わってから「どうだった?」と聞かれたけど痛い以外ない。前戯してた一瞬はまあよかったけど、前戯のあとほぼそれらしい事しなかったやつに何を言えばいいんだよ。
終わった後に2回目しようとはされなかったので、そのまま後片付けをして粛々と帰宅。一応痛みに配慮はしてもらえたらしい。
ハグキスそれ以上のこと全部初めてだったけど、経験者が言うようにやってみたら「ふーん」でしかないことがわかった。痛いけど。他は暗かったから見えなかったし。キスのドキドキも何にもなかったな。何かがぐにぐにと動いているなあと言うだけ。逆に気持ち悪くて吐き気がする!ってこともなかった。これはやっぱりTinderで容姿選別できるのが大きい。
婦人科に行った時の問診で処女だとバレた時に「え?!本当に?!」って反応をされてからずっとずっとずっとコンプレックスだったんだけど、一応の解決を見た。最悪の婦人科に行かなければこんな惨めな思いすることはなかったな。
こじらせていない人はこんなことはしなくていい。
いるよな~こういうメンドクサイ女
何がメンドクサイってさ、結局ムード作りとか愛撫とか全部相手に任せてんのよ。
こいつがやってる事がどういうことかって言うとさ、「アロマとか音楽とか薄暗さで雰囲気出したんだから、マッサージして」みたいなもんなんだよね。
男のことをホストか、女性用風俗の店員と勘違いしてる。アロマとか音楽とか薄暗さなんて小学生でもやれんの。
マッサージが一番辛くてめんどいのよ、わかる?そもそもアロマとか音楽とか薄暗さって全部自分のためだろ。視覚的に興奮して緊張感が勃起に必要な男にとって、そんなん邪魔なだけ。
こっちは仕事で疲れてんのに、男側が一生懸命愛の言葉ささやいて、体撫でて徐々に性器へ手を伸ばして、集中力消え失せそうなところで「挿入して!」って言われて挿入
怠すぎなんですわ。パートナーと言いつつ完全なお客様気分じゃねーかと。
それで相手側の女は、気持ちよかったぁで終わり。アロマと蚊音楽と薄暗さと愛撫で男が喜ぶと勘違いしてんの。
女側も自分がしてほしいと思った、してもらった、体を撫でるとか抱きしめるとか、愛の言葉をささやくとかちゃんとやれや。
いつもこっちがマッサージするだけ、マッサージさせてあげたから満足でしょ?なんてやってたら、こっちも効くツボ一回押して終了になるの当たり前でしょ。
結局何が言いたいかっていうと、ちゃんと女側も男の気持ち考えて、気持ちがわからないなら自分がしてもらって気持ちよかったことをやれよ