はてなキーワード: マイホームとは
空が、晴れていました。
雲ひとつない、青い空。
今すぐにでも、窓から飛び出したい気分。
けれど、ダメなのです。
無理なのです。
それに、今は目の前の作業に集中したくて、一心不乱に手を動かしています。
昼休みからコツコツと建造してきた私のお城を完成させなければならないのです。
硬くて、壊れにくい素材です。
おじいちゃんとおばあちゃんとひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの合計四人にねだって、普通のおうちセットを合計四つ買ってもらいました。
老人のくそつまらない話に相槌を打っておねだりをするのは子供の私にとって拷問に近い所業でしたが、ママの財布からお金を抜いて後で物干し竿に吊るされるよりはマシだと判断しました。結果土日と引き換えに普通のおうちセットが合計四つ手に入ったので良しとしましょう。
しんと静まり返った教室で私は黙々とブロックを積み上げていきます。
これくらい空気が張りつめていた方が作業が捗るというものです。
残すは外壁の建設のみ。
煉瓦造りにするか。
どちらも魅力的な提案でしたが、昨日見たドラえもんの映画を思い出したので普通の石垣を作ることにしました。
「もうちょっとだ」
朝はランドセル一杯に詰まっていたレゴブロックも今や半分以下。
この分だと帰りの会でみんなに自慢できそうです。
きっと万の言葉を用いて私を褒めそやしてくれることでしょう。
そんな空想に耽っていた時でした。
がしゃああああん。
はじめ、何が起きたのか分かりませんでした。
視界の外から勢いよく何かが振り下ろされたかと思うと、私のおうちは粉砕されていました。
「……っ」
体からすーっと血の気が引いていきます。うんていから手を滑らせて後頭部から落下した時のように、視点が定まらず世界はぐわんぐわんと回っていました。
「あ、あ……」
おそるおそる視線を上げるとまきこ先生がしかめつらでこちらを睨んでいます。
「何か言いたい事があるようだな」
重く冷たい声色に少しおしっこを漏らしそうになりましたが、私は勇気を振り絞って立ち向かいます。
「……あの、おうち!」
私の訴えに先生の表情は微動だにしません。それがどうした、と言わんばかりです。
「壊れちゃったんですけど……」
おののき、震え(主に膀胱が)、尻すぼみになりながらも私は抗議の意を表し続けます。しかし、鷹のごとき双眸は依然として私のこめかみを射抜いているようでした。
「その、保険とかってききませんよね……」
パァン、と軽快な破裂音が響きます。
揉み手をしてはにかむ私の頭に、丸めた教科書が振り下ろされました。
「……あうぅ」
「片づけとけよ」
心無い笑い声に包まれる中、私は一人お城の破片を拾い集めていました。
小さな私の手ではそう多くのブロックを拾うことはできません。また、隣の席のタカユキくんが足でブロックを散らしてきたりするので、私はなかなか片付けられずにいました。
粉砕されたおうちが頭の中で何度もフラッシュバックしています。
何も完成間近のものを壊さずとも、私がレゴブロックを机に出した時点で注意すればよいはずです。
それなのに、わざわざ私が一番悲しむタイミングでおうちを壊したのです。
ストレスが、たまっていたのかもしれません。おおかた、彼氏とうまくいってないのでしょう。適齢期を過ぎて後のない先生が性急に入籍を迫ったことで時間をかけて育んでいた関係に亀裂が入ったに違いありません。きっとそうです。
幸せの象徴であるマイホームに鬱積した気持ちをぶつけたくなるのも無理からぬ話でしょう。
だからといって、許されることではありません。
悲しみを怒りに変えて誰かにぶつければ、それはまた別の新たな悲しみを生むことになるのです。
まして、いい大人が、立場の弱い子供に、あてつけのように暴力をふるうなど、あってはならないことです。
怒りが、ふつふつと沸いてきました。
私はかがんだまま教壇の方を見やります。ころすぞって気持ちを込めて、きっ、と目を見開いて。
しかし、先生が気付くことはありません。淡々と分数の問題の解説を進めています。まるで私など、歯牙にもかけないと言わんばかりに。
「くそっ……!」
やけくそになって手元のブロックを投擲してやろうと思いました。
体が、震えていました。
先生には勝てないという本能の働きに屈する自分が情けなくて、目頭が熱くなりました。
「いつまでやってんだよブス!」
タカユキくんが冗談交じりに私の背中を蹴りました。冗談とはいえ、サッカークラブの脚力です。とても痛いです。一瞬、呼吸ができなくなります。
体の痛みと心の痛みが合わさって、一層惨めな気持ちを助長しました。
どうして。
私ばかりがどうしてこんな目に遭うのでしょう。
天を仰ぐと、どこからか声が聞こえてきます。それは聖母のような声でした。
痛みは、分かち合うもの。
天の声の励ましを受けて立ち上がった私は、タカユキくんの方へ歩いていきます。
授業中だというのに、腹を抱え机をバンバン叩いているタカユキくん。
「うわっ、なんだよこいつ」
タカユキくんはとっさに手を振り払おうとしてきますが、放しません。
私は動揺するタカユキくんの手のひらを少しずつほどいていき、そっと机の表面に添えてあげます。
「ねえ、知ってる?」
「……な、何を?」
「神様が、言ってたんだよ」
「は? 神様?」
私は隣の席にある筆箱からからプリキュアの鉛筆を取り出すとタカユキくんの指の間に挟みました。
鉛筆を挟んだタカユキくんの手の甲へ、ひと思いに体重をかけました。
「痛ってぇぇ!!!!」
タカユキくんは大声を上げて痛がっています。しかし、タカユキくんは嘘つきです。こないだもサンタさんがいないなんて嘘をついて私を虚仮にしてくれました。そんなタカユキくんのことですから、きっとこれも演技なんです。第一、私はまだ体重の半分もかけていないのに、そんなに痛いはずがありません。
レゴブロックを蹴散らすタカユキくんにも物を大切にする心があったなんて……。
でも、どうせこれも嘘です。
「これは、蹴りの分」
「はぅあっ! おいてめえこのブス! 痛いっつってんだろうが!」
「これはブスって言った分」
「じ、事実だろうがああああ!」
「これは、おうちの分」
※
タカユキくんはさめざめと涙を流し、やめてよう、やめてよう、と言うだけの生き物になりました。教室は何やらざわついているようでしたが、先生は何も注意しなかったので、きっと問題ないはずです。
痛み、十分に分かち合えたと思います。
心なしか晴れやかな気分です。
さっきまでの怒りが嘘のように体が軽いです。
これが痛みを分かち合うってことなのでしょうか。
だとすればこんなに素晴らしいことはありません。
この行いが広がれば、世の中から争いが消える日は近いでしょう。
今にして思えば、先生は私にこのことを伝えたかったんじゃないかって気がしています。
すると、今度は目が合いました。やりました。心、つながりました。
「小梅、あとで職員室な」
メディアで言われはじめた20代後半の頃から興味はあったけれど、
当時の自分は貯金で精一杯で投資なんて自分には関係のない話だと思っていた。
元本が割れる恐れがあるならそんなもん怖くてしてられないわと。
で、30代に突入した直後。
2018年だか2019年だかにライン証券が出て1株で株が買えるところに興味を持ってはじめたが最初の証券取引体験だ。
(とりあえず楽天とSBIで証券口座だけひらいたりはしてたけど特に何もしなかった)
小遣いの範囲で数千円だけ。ゲーセンで遊ぶ感覚ぐらいの金額で株を買ってみた。
この「最悪なくなっても鼻くそほじっていられる金額」でやってみるのはすごく良かった。
これが自分にとっては後ほどの資産形成を進める上ですごくいい経験になっている。
初年度末にはそんなしょぼい株主にも企業から○○期報告書が届いた。
配当金も1株数円程度入金されていた。
「こんな数千円しかかけてないのに印刷代と郵送費にお金を払わせて申し訳ない」と思いつつ、
「なくなってもいいお金」だし、報告書目当てみたいなところがあったので
2万ぐらいでこの動向が読めるのは非常にいい勉強代だなと思っていた。
期間にしてだいたい1年ぐらいだろうか。
貯金用の通帳は500万。
かき集めれば600万になることがわかり、
ふと、「貯めてどうするんだろう」と思ったのが次なるきっかけになった。
介護世代になったときなど何かと入り用になるだろうと思って貯めていた。
妹も私も「父のようにはなるまい」と、
反面教師として見習い、貯金思考が昔から根付いているのもある。
このため、「どうするんだろう」と思ったからと言って散財する気にはならなかった。
とは言え、介護も(実際は未知数だけれど)あと数年は大丈夫だと感じられた。
そこで着目したのが、本格的な投資だったのだ。
自分にとっての「こんなたくさんのお金」が600万だっただけで、
50万、100万、2000万……どの金額を「たくさんある」「まだまだ」と感じるかは人それぞれだ。
※同時期に保険見直しみたいなところに行って投資向け保険をすすめられたのも大きいけれど。「それって最適解か?」といぶかしんだのだ。
そこから、「投資って他に何があるんだろう」といろいろ調べて、先日から話題になっているnisaに辿り着いた。
いろいろ調べた中で、なんだかんだ一番わかりやすい印象だったのは投資系のYouTubeだ。
動物モチーフに扮しているものが大半で何だかおかしかったが、再生回数が多い動画は概ね初心者にもわかりやすかった。
そこで基礎を抑えたら、あとは難しそうな本を読んでもある程度理解できるようになり、
何人かの意見を組み合わせて共通している言っていることを基盤に、
あとは自分と考えが近そうな人の発信ツールを参考にしていった。
投資に対していろんな考えが語られているけれど、
やっぱり、「なんか気になるな」と思うタイミングがはじめどきだと思う。
今、ギャンブルだ!って思っている人はまだそのタイミングではなく、
「みんながこんなに効果を感じているということはもしかして」ぐらいでも興味があれば、
知識をつける方法や試しにやってみる方法はたくさん溢れているので挑戦してみるのがいいと思う。
(私はライン証券だったけど、最近はポイント投資とかも盛んだよね)
私みたいな人もいるとは思うので、まあ参考にしてみてくれ。
そのへんでスタートしてみて「やっぱりギャンブルだ!」と思ったらやめたらいい。
あくまで、「最悪なくなっても鼻くそほじっていられる金額」というのが大事だと思う。
まあ、私はまだまだ投資2、3年にも満たない超初心者なので戯言もいいところなのだけれど。
でも、投資について勉強すると自然と貯金する姿勢も改めて良くなったりするので、勉強するだけしてやらないとかも全然ありだと思う。
ちなみに私の父は祖父から譲り受けた株(遺産の一部)を相続2年目にはすべてなくすほど投資の運と才能がなかった。(JAL株の事件のときにJAL株持ってた)
父みたいな人が身近にいたら、「ギャンブル」っていうのも仕方ないかなとは思う。
でも父は毎日パチンコして毎週競馬してみたいな人だったので、もうなんか生き方そのものがギャンブル漬けだから投資もそうなっちゃったんだと思うわ。
「イオンモールはつまらない場所だと思っていたが親になると違った」https://togetter.com/li/1927737
を読んで、
ああやっぱりイオンモールってつまんないよなーって思った。
子育てする身になって、それがとても過ごしやすく設計されていて便利なのが分かった
イオンモール的なるもの、それに付随する諸々の営みが退屈なものに思えて仕方がないのだ。
家庭、子育て、子ども中心の生活、学校行事、郊外、ベッドタウン、ママ友、国道沿いの外食チェーン店、マイルドヤンキー、ミニバン、マイホーム、住宅ローン、サラリーマン、盆暮の帰省、こたつに入って見る正月の気だるいテレビ番組、老後の備え、終わりなき日常
そういう眩暈がするほど退屈なものたちのシンボルとして、イオンモールは建設されているのだ。
イオンモールの利便性を理解して、頻繁に利用するようになった(それ自体はまったく否定しない)からといって、イオンモールの持つつまらなさは何一つ減じはしないはずだ。
件のツイートの人は、子どものいる日常をキラキラしたものとして享受していて、
イオンモールに行く生活を、それをどこにも行けない絶望的なものとしてしか想像できない私とは、全く違うありようで捉えているのだろう。
皮肉ではない。羨望でもない。
わかる。
大卒や修士卒で就職してった同期は、冬にボーナス6ヶ月分もらったり、海外旅行いったり、結婚してマイホーム建てたり、なんか人生謳歌してる。
もうSNSなんて見たくないし、友達からのたまの連絡とかもとりたくないし、返事したくない。もうひとりにしてくれ、集中させてくれって気持ちになる。
D1はやる気に満ち溢れてるけど、D2以降は、自分の知的好奇心のみがモチベーション。D3は、論文の筆がめちゃくちゃ重くて、心が止めてくるんだよ。
博士後期課程って、まじで頭おかしくなる修行。辛いけど、博士取らないとこれまでやってきたことが無意味になるんじゃないかって焦燥感でどうにかなりそうになる。
誰もいない深夜、無理やりカフェインとタバコで頭クラクラさせて、気持ちが乗らない自分自身を騙して、論文書いてた。
たまに、そんな研究生活を平然としてやってのけるヤツもいるけど、正直、精神構造は異形だと思う。超絶クレバーか、超絶鈍感のどちらかしかいないと思う。
博士課程、やめていいんだぞ。本当に辞めていいんだよ、まじで。
正直、30歳でも雇ってくれるところはある。
学歴だとか研究分野とか関係なく、試しに"研究以外の"やりたい仕事だとか、なりたい職業を考えてみてよ。
幼稚園とか小学生の夢みたいな感じでいい。研究に打ち込もうとしたときとおんなじくらい、ワクワクするものあるよ、ぜったい。
そして、たぶん、めちゃくちゃ気持ち楽になるよ。
俺は当時流行ってた映画の主人公がかっこよくて、それと同じ業種・職業で就職した。そんなもんだよ。
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4年前にマイホームを買った。
引っ越した時に、周囲の近所さんに引っ越しの挨拶をしに行った。
その時はそれくらいの感じで、それ以降もほとんど会うこともなかったし、別に何とも思っていなかった。
ただ、子どもが裏の家の子と同い年で、一緒に遊べるくらいの年になったのをきっかけによく会うようになった。
裏の家の奥さんは、若くて美人なだけでなく、結構露出も多かった。ミニスカートやホットパンツをはいていたり、谷間が見えるくらいの服を着ていることが多い。
そして、最近、子どもを連れて一緒にプールに行った。奥さんの水着姿を見て以来、彼女を想像することが多くなってしまい、辛い。
裏の旦那は彼女を好きなようにしているのかと思うと、吐き気がする。
もう辛い、気が狂う、すべてを捨てて逃げ出したい。
「そしてその時ではもう遅いのだ。」 http://www.asyura2.com/sora/bd11/msg/691.html
「右翼、民族派の人たちが統一教会・原理研・国際勝共連合のことをどう思っ
ているか書いて下さい」と『朝日ジャーナル』の記者に言われた時には正直い
って気が進まなかった。
たしかに右翼の連中の中には「反共の同氏だ」と思っている人はいる。また、
「原理はウサン臭くて嫌いだが勝共は仲間だ」と公言する人も多い。警察の公
安や公安調査庁の人間だって反共なんだから仲間だし、日本に共産革命が起き
たときには一緒に決起してくれると信じている<純朴>な人も多いこの業界だ
しかし、少なくともわれわれ民族派、また新右翼といわれる若い人間にはそん
な混同を起こす人間はいない。だから、『朝日ジャーナル』の記者の話を聞い
て、何を今さらと思ったのである。それに、右翼全体なんてどうでもいいとい
う気もあった。多くの右翼が原理・勝共を反共の味方だとおもっているのなら、
それでもいい。何もおせっかいをして、原理・勝共の実態はこうなんですよと
<告げ口>することもあるまいと思っていた。
ところが、筑紫哲也氏の「原理不可解な右翼の沈黙」(本誌一二月十四日号)
を読んで少し考えが変わった。その種の挑発にはやはり乗るべきだと思った。
それに、『世界日報』事件で追放された副島嘉和、井上博明両氏が『文藝春秋』
に書いた内部告発を読んだ時の衝撃も忘れられない。原理とは大学時代からの
原理運動が初めて日本に入って来たのは二十五年ほど前だというが、本格的に
やり始め、世間の耳目を集め出したのは、それからしばらくしてだと思う。原
理運動のことを直接にしったのは、僕が昭和三十八年、早稲田に入ってからだ
それから二,三年して早稲田で全学ストライキがあり、それが全国の学園紛争に
火をつけて全共闘時代の幕開けとなった。それに刺激され対峙する形で民族派
学生運動も出てきたし、一時は全国30大学自治会を握り、「民族派全学連」
を結成しようというところまでいった。その学生運動の嵐が起こる前から、原
理研は駅前で黒板を出して演説したり、個人をオルグをしていたが、大学に入
りこみ、サークルをつくったりして組織的、全国的に活発にやりだしたのはこ
全共闘と民族派と原理。この三つの違った運動があの早稲田の一点から、ほぼ
同時期に生まれ、全国に広がり燃えさかっていった。換言すれば、全共闘に刺
激され、全共闘を反面教師としながら民族派も原理も、己の組織化を急ぎ、全
国的な広がりをつくっていったのである。われわれもそうだったが、原理研が
今やっている大学でのサークル、学内新聞づくり、自治会奪権闘争……などは
完全に全共闘から学んだものである。逆接めくが、今の原理運動も民族派の運
動もある意味では「全共闘の遺産」なのである。全共闘との付き合いについて
はこれまでも書いたことがある。今回はもう一つの原理について書く。
はじめに、「何を今さら」といったが、われわれ、戦後体制打倒をめざす「一
水会」の機関紙『レコンキスタ』(スペイン語で”失地回復”の意味)でも何
度か原理についての批判をしてきたし、原理運動研究家の第一人者である茶本
繁正氏を招いて一水会事務所で勉強会をしたこともある。その時のテーマは「
勝共連合は愛国者なのか」であったし、彼らは民族派の味方ではないこともわ
れわれは明らかにした。
また、われわれの仲間には何人か原理にオルグられたり、「合宿」に誘われて
行ったことのある人間もいる。二年前、そんな一人に「私はこうして”原理研”
が治った」という体験談を話してもらい『レコンキスタ』に載せた。当時は「
こうして新左翼が治った」「べ平連が治った」「アナキストが治った」といっ
た体験シリーズをやっており、それら左翼運動と同次元で原理も考えていた。
さらには、われわれ一水会と連帯している統一戦線義勇軍の機関紙『義勇軍報』
でも原理・勝共との戦いを呼びかけており、事実、一水会や義勇軍は他の民族
派と共闘して彼らとの闘いを展開していた。
小さいながらもこうした反原理・反勝共の闘いをやってきたが、これは右翼全
般からは不評で、「思いつきでやってる」とか「勝共は仲間なのに」「敵を利
する」などと批判された。しかし、大学時代からわれわれは彼らを一度も味方
だと思ったことはないし、民族運動の同志だと思ったこともない。学生の時、
早大で知ってた彼らは決して右翼ではなかったし、反共でもなかった。「天皇
なんて関係ない。文鮮明師がすべてだ」「憲法なんてどうでもいいし、興味は
ない」と、正直にいっていた。われわれとは立場は違うが、宗教団体としては
それも当然だろうと思っていた。ところが最近、急激に「右傾化」した。「天
統一教会・原理研と勝共連合は別だと言う言い訳は通じない。やっている人間
は同じなのだ。なぜ、急に右旋回し、豹変したのか。その右旋回は本物なのか
どうか。すっと疑問に思ってきた。最近の派手な言動に幻惑されて、即「味方
だ」と思ってる右翼に同調できない理由もそこのある。そんな疑問に答えてく
れたのが副島、井上両氏の『文春』のレポート「これが『統一教会』の秘部だ」
だった。そして、『原理講論』をはじめて通読し、両氏の告発が嘘でも誇張で
もないことを知った。
イエスが再臨する「東方の国」は韓国であり、韓国語が祖国語となって世界は
一つになるという。なぜ、「東方の国」が韓国かというと、中国は共産化した
からサタン側の国であり、日本は「代々、天照大神を崇拝してきた国として、
韓国のキリスト教を迫害した国」だから、これも「サタン側の国家」だという。
また、「第二次世界大戦は、民主主義によって結託した米、英、仏の天の側国
家と、全体主義によって結託した独、日、伊のサタン側国家との対戦であった」
という。
これは、『原理講論』にかいてある通りである。そして、韓民族がいかに「サ
タン」の日本によって、侵略され、迫害され てきたかがこれでもか、これでも
かと書かれている。『文春』の告発レポートでは、さらに驚くべき事実が書か
れている。韓民族が選民であり、他民族に優越しており、再臨主とは、すなわ
ち文鮮明氏のことであり、文氏によって世界は統一され、必然的に韓国は世界
の中心となり、韓国語が世界の共通語となる。こう説かれているという。
また、われわれ民族派としては見逃せないこととして「敬礼式」についても『
文春』に書いている。これは文鮮明氏をメシア、王の王とみなす象徴的な儀式
だそうで、本文から引くと…・・。
「統一教会が四代名節と呼ぶ記念日には、早朝五時からの敬礼式があり、そこ
では聖壇に座った『文氏』とその家族に対し、統一教会の主要幹部が三拝の拝
礼を行う。場所はだいたい『文氏』の私邸であるアメリカ・ニューヨーク州の
イーストガーデンである。その際、天皇陛下をはじめ、レーガン大統領、全斗
煥大統領ほか主要国の元首の身代わりを、それぞれの国の教会幹部が担当し、
文教祖一族に拝跪して全世界の主権者が文教祖に拝礼したという儀式を行うの
である。日本の天皇陛下の身代わりを演ずるのは、日本統一教会会長の久保木
氏なのである。何とも奇妙で、そして国民の象徴として天皇を上にいただく日
全くもってひどい話である。文鮮明氏の精神は、信仰の王国ではなく、現世の
王国を夢み、その独裁者たらんとする。これはまるで弓削道鏡だ。「彼らは反
共だから味方ではないか」と言っていた右翼の人々も、これを読んだら、とて
もそんなことはいえないはずだ。実際、「許せない」「こんな反日集団は敵だ」
と激高していた人が多くいた。僕としても前から、その性格は漠然とは知って
いたが、これだけ証拠をつきつけられては改めて愕然とする思いだった。
これを見ても分かるように、原理・勝共は決して右翼、民族派ではない。では、
一体何なのか。
まず第一に、これは裏返しの共産主義である。「原理研が治った」青年も言っ
ていたが、反共を唱えてはいるが、内部の生活はむしろ共産主義だという。人
生について考えている青年や悩んでいる青年をオルグってきては「合宿」につ
れ出し、何日もロクに眠らせずに「洗脳」をする。はじめは「そんな馬鹿な…
・・」と心の中で抵抗していても、しまいには疲れ果てててしまい、批判し抵
抗することも面倒になって全面的に受け入れてしまうという。「思想的強姦」
である。また、洗脳の途中で頭の回路が外れて気が狂ったりした人間も多いと
いう。さらに自由を許されない共同生活、文氏の決める人と結婚する集団結婚
式。本場の共産主義国家、ソ連や中国でも、ここまでは共産主義化していない。
自分たちの内部生活は共産主義で、外部に向かっては反共を唱えている。その
反共も本心かどうかは分からないが、本心だとしても、日本の民族主義とは一
切無縁のものである。さきほど見たように、これはソウルを中心とした反共イ
ンターナショナリズムである。初期の共産主義がモスクワを中心としたインタ
ーナショナリズムだったのと同じ構造である。共産主義と同様に、この原理・
第二に、その「反共」すらもが本当かどうか怪しい。「統一教会・勝共連合の
宗教活動、愛国運動は『文鮮明氏』の野望を実現することを目的とした方便な
世界の王になるためには、ます韓国の王(大統領)にならなくてはならない。
韓国は反共バリバリの国である。文氏は日本の人と金を湯水のように使って、
全世界的規模での反共活動の「実績づくり」をしている。そのための反共であ
り、韓国→世界の王に向けての手段である。反共運動の全部が全部、仮面とは
言えないにしても、原理運動と世界の王になることが第一の目標であり、反共
また、反共活動をいっしょにしている自民党や体制派文化人にたいしては、勝
共連合に入るように勧めるが、統一教会、原理研には入れようとはしない(な
かには一部の例外もあるが)。原理運動をしている人間は想像を絶するストイ
ックな生活をしている。物欲でこり固まった自民党や体制派の人間をストイッ
クに改造はできない。反共という衣をつけて、ハナから利用するためだけに近
寄っているのだ。あるいは、そうした金と物欲に目がくらんだ自民党サイドの
人間に対し、「いつか必ず自分たちの前に拝跪させてやる」と復讐の念を燃や
しているかもしれないが。
第三に、これは全体主義である。茶本氏は「ファシズムへの道」だというが、
その通りだ。文氏は、いわはヒットラーであり、『原理講論』は、さしずめ『
マイン・カンプ』である。『マイン・カンプ』の中には徹底した日本人軽視、黄
禍論があったが、日本語板ではそれを削除し、ヒットラーの力の前に幻惑され
て日本は手を結んだ。それと同じように韓民族が選民であり、世界の中心だと
いうことは、日本語板の『原理講論』では意図的に削除されてきた(最近は居
直って日本語板にも出しているが)。これと同じ過ちを日本の体制側、そして
一部の右翼は再び犯そうとしている。
第四に、この狭量なストイシズムは宗教としては光輝いて見えるが、世俗的権
力の奪取、文王朝の建設を目指すという政治の世界には入るや、必ず悪い結果
になるということだ。ロベスピエール、カルヴィン、松平定信…・・と、その
ツヴァイクの『権力とたたかう良心』によると、宗教改革に成功したカルヴァ
ンは、他人のどんな小さな過ちも許せない狭量、厳格な人間で、徹底した恐怖
政治を敷き、「罪ある者が神の裁きをまぬがれるくらいなら、むしろ罪のない
者が処罰される方がいい」と公然と告白したという。また、カルヴィンやロベ
スピエールはそのいい例だが、「禁欲と苦行のひとというのは、いちばん危険
それをもっと推し進めればカンボジアのポル・ポトになる。古い体制、古い倫理
観の人間は殺して、殺し尽くした。人口の半分も殺したというが、国民の半分
を殺して達成しなければならない革命とは一体何なのか。地獄のカンボジアを
実際に見てきたある新聞記者はこんなことを言っていた。古い体制の人間を殺
す尖兵は、少年たちだったという。その少年兵たちの目は、人間の生死はもと
より、もう何事にも感動を示さないし、 いわば<ゾンビ人間>の目だったとい
う。そして、その目はしょうど原理研の人たちの目に似ていたという。未来を
暗示するようで、何かゾッとする話だ。
第五に、彼らもまた、<狼>だ。これだけでは何のことか分からないだろう。
僕は十年近く前、三一書房から『腹腹時計と<狼>』という本を出したが、そ
の爆弾事件の<狼>とあまりに似ていると思うのである。個人的なまじめさに
おいて、また、日本の戦争に対する贖罪意識の余りの強さにおいて・…。両者に
とっては先の戦争はまさしく原罪である。日本は韓国や中国に侵略し、残虐の
限りを尽くしたひどい国だ、と教えられ、一途に信じ込む。だから、再び、そ
うした国に経済侵略してゆく企業には爆弾を投げるという<狼>。彼らの中に
は「自分の祖父や父は兵隊になって侵略したから自分はその贖罪のために新左
それに対し、侵略した「サタン側の国」(日本)からは、いくら金をしぼり取
り、人間を消耗品のようにつかってもいい、という原理・勝共。朝鮮人参、印
鑑、大理石のツボ、花売り、街頭カンパ等、ありとあらゆる方法で日本から金
をかき集める。詐欺まがいの商法で、ピンク産業以外は何でもやっているとい
う(もっとも統一教会としては、上からの指令はしていないと逃げているが)。
末端の会員ですら月に100万円のノルマを課せられ、日本全国からは月に2
0億円、年に240億円もの金がアメリカの文鮮明氏の元に送金されていると
いう。合法、非合法を問わない強引なやり方で「サタンの国」からは徹底的に
金をしぼりとり、文王朝のために日本人は手足として使い、使い捨てにすれば
いいという考えだ。
会員もそれに甘んじている。これは日本の戦争に対する韓国側の復讐なのかも
しれないが、日本人会員にとってはそうすることによって「侵略戦争」の贖罪
ができると思っている。<狼>クループ同様、屈辱的な贖罪史観、敗戦コンプ
レックスを色濃く引きずっている。
第六に、文王朝建設のために日本人の<献身の美徳>が最大限に利用されてい
る、ということだ。いつの時代にも、他人のため、世界のために体をかけて働
いてみたいと願う正義感の強い青年たちはいる。方向性は違っても、戦前の青
年将校、在野の右翼運動、日本赤軍…・・。そして多分、原理運動に飛び込ん
内容はほとんどタイトル通りだけど、アラサーになっても周りが全然結婚できてないって話
コロナ禍が始まる少し前、俺は地方国立大学の院を卒業した。幸い好景気だったこともあり、俺も周りもそれなりに大手企業へ就職できた。大半がメーカー就職のためブッ飛んだ年収のやつはいないが、1年目からほどほどの残業で全国平均程度の金を稼ぎ、40歳になることには1本乗れそうなザ安定といった就職だった。だからそのうちみんな結婚して子供の2,3人もつくり、マイホームなんか買うんだろうな、と思っていた。
けどだーれも結婚しない。そもそも彼女がいない。というか恋愛してる気配すらない。20人もいるのに。
考えてみれば当たり前の話で、大学時代に男だらけの青春を送り、ろくに恋愛出来なかった俺たちが社会へ出て金持った程度でモテるわけもない。気の利いた店も知らず、異性を楽しませる術を知らず、アプローチする作法もわからない。そもそも男としての魅力がないのだから救いがない。
ここまで書いてなんだが、俺は別に誰が悪いとか助けて欲しいとかそう言うことが言いたい訳じゃない。ただものすごくもったいな、という気持ちがあるだけだ。
恐らく同期は皆パートナーとしては優良物件のはずだ。金は稼ぐが吞む打つ買うはせず、Z世代らしく家事育児はして当然と考えている。大企業に就職し仕事をこなせる程度にはコミュ力や清潔感があり、モテないから浮気の心配もない。ただただ絶望的に男としての魅力がないだけだ。