はてなキーワード: ホスピタリティとは
もともとオリパラ合計で5種目くらいのチケット持ってて、うち2種目はホスピタリティーパッケージっていう一人50万円弱する富豪のやつだった。
https://officialhospitality.tokyo2020.org/
で、まぁこのコロナでキャンセル受付始まった時に、「オリンピック自体はやりきる気がするけど無観客はありえる。キャンセルしない状態で無観客決まったら金かえってこねーかもな」って思って、最悪捨てれる金額の2種目だけ保持中。
地獄のような黒歴史になるオリンピックだとしても「あの時見に行ったのよ」ってジジイになった時に言いたい。
しかし、無観客じゃなくても観客減らすんだとしたらこのチケットどうなんの?とか、それは海外販売分で調整すんの?とか細かいことが出てなさすぎて謎。
https://bunshun.jp/articles/-/45690?page=3
施設には当然、限界があり、それを自明とした上で、施設の構造的問題をどう解決すべきかを問わなくてはならない。
それは単に知的障害のみならず、いつかは必ず介護を必要とする私たちにとって普遍的なテーマだからだ。この裁判をきっかけにそうした問題提起を行っていくつもりだ。
いやだから問題は明白じゃん。そんなきめ細かく介護するには手が回らないってことだろ。んなことは提起されなくてもみんなわかってるのに、さらに問題を提起していく所存なの?
姥捨山が発生するのは倫理の問題じゃなくて経済の問題なんだよ。雪山で遭難して救助が来ないとか、戦場で取り残されて補給がないとかいうときに無法が起きる理由は倫理じゃなくて経済だ。
介護だってそうだろ。高いホスピタリティが欲しいなら相応の対価を払え。賛否はともかく国のオゴリで出すってのもひとつの解決案だろう。植松の言ってることも賛否はともかく解決を志向している。そういうことを話し合うべき状況なんだよ。
問題提起じゃなくて解決案やその実行が求められてんだ。金も出さず解決案も示さずただ問題を提起し続けるだけなら牛丼屋で接客に文句言うジジババと同じだと気づけ。
経済の問題なのに絶対にそれを認めず倫理の問題に落とし込もうとするやつはなんでこんなに醜いんだろうな。
育児だって働きながらやるのは激ムズだって言われてるんだから、体は大人で何らかの資産や法的責任能力を持ってる老人の介護なんてもっと大変なことくらいわかるだろうが。
金があるなら高級老人ホームにでも入れるかヘルパーをたくさん雇えば解決するかもしれない。が、金がないなら低価格低品質なところで済ませるか、自分で面倒見る自宅介護しかない。子育てと違ってジジババにあずけるなんて技も使えない。
昭和はそれでも専業主婦とかを犠牲にしながらなんとかやってたけど、今はもうそういう時代でもない。誰もジジババの介護でタダ働きしたくないし、そうする経済的余裕もない。
倫理の問題に落とし込んで利害関係者を縛って起きることは共倒れしかない。金を出したくない政府や自治体がそうしたいのはまあわかる。貧乏で将来そういう状況になりそうなやつが倫理の問題にしたがるのも、将来タダで良い目を見たいって欲望に基づくものなのでまあわかる。
(2020/04/04 FT)
Covid-19のパンデミックに明るい兆しがあるとすれば、それは偏った社会に一体感をもたらしたことです。しかし、ウイルスやその対策としての経済封鎖は、既存の不平等に光を当て、さらには新たな不平等を生み出すことにもなります。病気を克服するだけでなく、すべての国が間もなく直面する大きな試練は、現在の共通目的意識が危機後の社会を形成するかどうかです。西洋の指導者たちが大恐慌や第二次世界大戦後に学んだように、集団で犠牲を求めるためには、すべての人に利益をもたらす社会契約を提供しなければなりません。
今日の危機は、多くの豊かな社会がこの理想にどれほど及ばないかを明らかにしています。パンデミックを食い止めるための闘いが、医療システムの準備不足を露呈したのと同様に、政府が大量の破産を食い止め、大量の失業に対処しようと必死になっている中で、多くの国の経済のもろさが露呈しています。政府は、大量の倒産や大量の失業を回避するために奔走しています。国民総動員の呼びかけにもかかわらず、私たちは実際には全員一緒にいるわけではありません。
経済の締め付けは、すでに最悪の状況にある人々に最大の犠牲を強いるものです。一夜にして、ホスピタリティ、レジャー、およびその関連部門で何百万もの雇用と生活が失われた一方で、高給取りの知識労働者は、しばしば自宅で仕事をするという迷惑な状況に置かれています。さらに悪いことに、まだ働ける低賃金の仕事に就いている人たちは、介護士や医療サポートワーカーだけでなく、倉庫作業員や配達員、清掃員など、命がけで働いていることが多いのです。
政府による経済への並外れた予算支援は、必要ではあるものの、ある意味では問題を悪化させることになります。不規則で不安定な労働市場の出現を許してきた国では、そのような不安定な雇用形態の労働者に金融支援を提供することが特に難しくなっています。一方、中央銀行による大幅な金融緩和は、資産家を助けます。その背後では、資金不足の公共サービスが、危機管理政策の適用という負担の下で軋んでいます。
ウイルスとの戦いでは、一部の人が利益を得て、他の人が犠牲になっているのです。Covid-19の犠牲者は、圧倒的に高齢者です。しかし、ロックダウンの最大の被害者は、若くて活動的な人々であり、彼らは教育を中断し、貴重な収入を放棄することを求められています。犠牲はやむを得ないが、国家の努力の中で最も重い負担を負っている人々に、どのようにして返還するかを、すべての社会が示さなければなりません。
過去40年間の一般的な政策の方向性を覆すような、抜本的な改革を検討する必要があります。政府は、経済においてより積極的な役割を果たさなければなりません。政府は、公共サービスを負債ではなく投資とみなし、労働市場の不安定さを軽減する方法を模索しなければいけません。再分配が再び議題となり、高齢者や富裕層の特権が問題となるでしょう。ベーシックインカムや富裕層向けの税金など、これまでは風変わりだと思われていた政策も検討されなければなりません。
ロックダウン中のビジネスや収入を維持するために政府がとっている前例のない措置は、正しく、欧米諸国が70年間経験したことのないような戦時中の経済と比較されます。この例えは、さらに推し進められていきます。
戦争に勝った指導者たちは、勝利を待たずにその後の計画を立てました。フランクリン・D・ルーズベルトとウィンストン・チャーチルは、1941年に「大西洋憲章」を発表し、国際連合の方向性を示しました。イギリスは、1942年に普遍的な福祉国家を目指す「ベヴァリッジ報告」を発表しました。1944年のブレトンウッズ会議では、戦後の金融システムが構築されました。これと同じような先見性が今も求められています。真の指導者たちは、公衆衛生上の戦争を超えて、平和を勝ち取るために今すぐ動員するでしょう。
引用元:
https://twitter.com/HelenCSullivan/status/1246600170738868225
それな。
ドーミーインほどの最高級ホテルに宿泊した話をしたら、当然やっかむ奴も出てくるから、夜鳴きそばについて語らないと嘘松扱いされかねない。
だいたい、どのドーミーインでもベッドの近くにコンセントがあるし、ホテル内に洗濯機もあるし、概念であるはずのホスピタリティが具現化された存在、それがドーミーインホテルであると言っても決して言い過ぎではないからな。
その最高の贅沢を味わえた感動が、いまいち元増田からは伝わってこないよな。
ちなみに、「ドーミーインってそんなに良いホテルでしたっけ?」とか言う奴がたまにいるけど、そいつらが想像してるの100%ドーミーインじゃなくてルートイン。
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。
https://anond.hatelabo.jp/20201226175213
なんと、またJKJKJKに遊びに行ってきました。
どんだけブルジョワやねん。って思われそうだけど、ブログを書くとコース代無料で利用できる制度(合計2回まで)があるので実質ホテル代のみでお遊びすることができるようです。
https://anond.hatelabo.jp/20201226175213
今回お会いしたのは『華月 利野🌙』さん。
「かづき りの」さん。この名字ってはじめてみたけどどうなんでしょう。自分の交友関係が狭いだけ?
なんだか、HPの評判も良いしバカテを紹介してる子に悪い子はいないだろう。と決めた。
よくある、超絶ロリ美少女とか究極のキレカワ系とか曖昧な表現使わずお客さんの口コミと女性自身が書いた自己紹介のコンテンツが多いのはとてもGood!
どうやら、早めに部屋番号を伝えるとその分早く移動できることもあるようです。
今回は料金の受け渡しがなかったのですぐにリフレが始まりました。
りのさんはどうやらハグや添い寝はゆるいみたいでいきなり抱きついてくれました。
恋人感満載ですね。
こういう子もいいですね!
このままハグや添い寝し続けても楽しそうだったのですが、少し変わったことしてみようとオプションを少しお渡しして、野球拳をしてみました。
野球拳はご存知の通りじゃんけんで負けたほうが1枚づつ服を脱いでいく火遊びです。
「エロゲー文化研究概論」にも書いてありましたが、脱衣麻雀などこの手の遊びはエロゲーの元祖のようですね。
しかし、華月さんの体調が万全でなかったので体を冷やさないようにとまた服を着てってなんだか本当に恋人みたいですね(笑)
ついでにポッキーゲームもしてみましたが、リアクションは特に嫌がる素振りもなくシンプルに受け入れてくれました。
結構へんてこな提案でも受け入れてくれる「寛容さ」と「ホスピタリティ」は華月さんの何よりの強みだなぁと思いました。
1時間一緒に過ごした中でも絶対にお客さんを楽しませようという強い意志を感じました。このプロ意識は見習いたい
終始笑顔な恋人間あふれるな女の子と過ごしたい人はぜひお遊びください!
お店がおすすめしているラブホテル(ラトゥア)は土日と平日で料金が異なるので平日に行ったほうが500円くらいお得.
今回はしなかったけど、彼女もコスプレを持っているようでサンタとか制服(セーラーとかブレザー、ポリスなど)も多数お持ちのようです。
退勤後にお礼のツイートまでしてくれました。
https://twitter.com/A_rno3/status/1343175247629963264?s=20
うれしい。
夜、コメダに行った
所用のために外に出て、その帰りの道すがらに寄ったので店内に入ったのは21:00頃になる
年末調整の提出書類や今年も駆け込んだふるさと納税の申請書、生命保険の契約内容確認や積読本などが溜まっていたのでそろそろどこかで片付けたいと思ったからだ。
正直ここのコーヒーは美味しいと思わない。
この時間にあのハイカロリーな食事も摂ろうとはいささか思えない。
ただ自宅では捗らないのは自明であるためどこか作業場所が欲しかった。
ここは地方都市だ、夜遅くまで営業している店の多くは居酒屋かチェーン店になる。
ファミレスはもとより検討外だった、田舎にとってファミレスはその名の通り『ファミリー向けのレストラン』であって、一人で訪れる場所ではない。この時間でも家族連れの顔見知りに会う可能性は充分にある。
だからコメダを選んだ、コメダはこの近辺に何店舗かあるのだけれど、車社会のこの土地で立地と駐車場にやや不便さを感じるこの店は恐らく知り合いと遭遇する可能性は低いと踏んだからだ、とても消極的選択だった。
それでもまだ21時台なので、きっと店内は賑やかなのだろうなと想像していたのだけれど入り口をくぐると店の中は驚くほど静かだった。
店内に客はいるのだけど、タブレットで読書をするサラリーマン、参考書を広げる女子学生、会話もそこそこに眠たそうに寛ぐ部屋着の男女、みな静かに自分の時間を過ごしているようだった。
店の一番奥の2人がけの席に座った、壁を隔てた向こう側ではイヤホンをした女性が何やら書き物をしている。しばらくすると穏やかなそうな女性の店員がお冷を運んで来てくれた。
メニューを開く、前言撤回をして珈琲を飲みたかったのだけど、この時間にそれを飲めばカフェインに弱い私は確実に眠れなくなるのでホットミルクを頼んだ。
以前東京を訪れた際、夜遅くまで営業しているカフェに入ったことがある。薄暗い店内に間接照明、洒落た内装、店内中央に置かれた一枚板のカウンター、ハンドドリップで淹れる珈琲。
ひとり観劇の余韻に浸るには整いすぎた空間だった。珈琲一杯の値段にとても驚いたのだけど、この空間を買ったと思えば決して高くはない。嘘だ、ちょっと格好つけた。伝票の値段を見た時、田舎者の来る場所ではなかったのだと思った。入り口でこの値段を見ていたらきっと私は気後れしてこの店には入れなかっただろう。
とはいえ、こんな場所が地元にもあれば良いのにと都会の街をとても羨ましく思ったのだ。
木の温もりがある内装、程よい固さのソファー、音量を最小限に絞ったBGM、穏やかな店員、手元の良く見える明るい店内、他人に興味を示さず思い思いの時間を楽しむ見知らぬ人々、何もかも完璧だった。ここのドリンクも決して安くはないけれど、あの三茶のカフェに比べれば破格だ。あそこでは深煎りコーヒーを頼んだのだけど、正直味は覚えていない。
しばらくすると注文したドリンクと一緒に小さな袋が小皿に乗って運ばれてきた。セットの豆だと店員は言う。そうだ、コメダは久しぶりで忘れていた。
マグカップの横に置かれたちいさなホスピタリティに少し目頭が熱くなった。思えば最近は仕事に忙殺され一人暮らしの私の生活は荒れていた。こんな心遣いを受けるのは久々だ。この値段でこれ程素晴らしいおもてなしを受けられることに感動した。
豆をつまみながら飲むホットミルクは格別に美味しかった。暖かさを保ったままのマグカップを両手で持ち背もたれに寄りかかる。今私はこの時間を買っているのだと思った。
夜コメダは最高だ、この静かな感動を書き留めたくて机の脇に置かれた紙ナプキンを一枚取り出しボールペンで文字を綴った。こんなことするのは学生以来かもしれない。紙のスペースが足りなくなったので、こんどはここに文章を打った。おかげで雑務は全く捗らなかった。
このまま朝までここにいたいのだけど閉店時間が近づいてきたので会計を済ませ店を後にした。
店の外にでると冷たい風が肌を撫でた
大きく息を吸った。静かだ、完璧すぎる夜だ。
暗闇の中で少し寂しそうな車が私を待っていた。
どこに停めたかすっかり忘れていた、私は真逆の方向に向かおうとしていたらしい。
なんてことを考えながら車の待つ方へ私は踵を返すのだった。
無職中年男が若くてきれいな女性に失望した話を読んで、書かれていることよりも何が書かれていないかの方が興味深いと思った。
非モテの中年男が若くてきれいな女性から唖然とする言葉をかけられたという話です。ヤラせてくれなかった、という話ではありません。
「ヤラせてくれなかった、という話ではありません」とわざわざ強調しているのは注目に値する。増田にとっては自分が若い女性の言葉に真剣に傷ついたということが重要で、そこに性欲があったと認めるのはみっともないことなのだろう。
中年男が若くて美しい女性と関係を持とうと必死になって失敗するという話はそれなりにありふれたものだし、みっともないことではあるが、一回り下の年齢の女性の言葉に真剣に傷つくことの方がみっともないことだと考える人もそれなりにいるのではないだろうか。
魅力的な異性に性欲を感じるのは当たり前のことで、相手に物理的・精神的に害を与えないかぎり罪ではない。増田が自分の性欲をみっともないものだと考えているのだとしたら、それは不幸なことだと思う。
私は中年の独身男である。女性にはまるで縁がない。数年前にうつ病を患い、無職となった。
精神疾患を持つ人に共通する悩みだと思うが、誰かに苦しみや悩みを聞いてもらいたくても、聞いてくれるような人はなかなかいない。
老化、結婚、恋愛、病気、仕事、増田が苦しんでいる理由が最初の一文に列挙されている。「30代」や「40代」ではなく「中年」と書いていること、うつ病になった経緯、無職になる前についていた職種などが書かれていないことなど、全体的にぼかされていて、増田がこれらについて詳しく語るのに抵抗を感じていることもわかる。
家族や友人がいるのかいないのか、いるのだとすればなぜ苦しみや悩みを聞いてもらえないのか、いないのだとすればなぜそのような状況になったのか、これも曖昧にされている。
そこで私はレンタル彼女を利用することにした。お金を払って、若くてきれいな女性と一緒に食事などをしながら話を聞いてもらう。おさわりは一切ない。そういう人たちは会話がうまそうだし、私もうれしいし、普段縁のない層の人と話すことで客観的な視点が得られそうだと思った。
恋愛相談ならともかく、仕事や病気について客観的なアドバイスをもらうためにレンタル彼女を利用するというのはかなり不自然である。ふつうなら、若くてきれいな女性と一緒に過ごすことで気が晴れると思った、などと書くところだろう。ここでも増田は自分の性欲や恋愛へのあこがれを無理に押さえつけているように感じるし、そうだとすればそれは不幸なことだと思う。
利用してみたところ、顔はきれいなのに無愛想だったり全然喋らない人がわりといた。かなりきれいな人から「クソ安い服」という言葉が出たときは、えー……そんな言葉使っちゃうんだ、と思った(まだ20歳くらいだったからだと思うが) 。そういう人は避けていい人を探した。このとき顔を基準に選んだことは正直に告白する。そうしないと絞り込むのが大変だったというのもある。
そのうち、みゆ (仮名)さんと出会った。20代半ばで、人目を引くかわいい顔立ちだ。ホスピタリティーといおうか、愛想が良くて笑顔を見せるし、積極的に話題を振ってくれるし、仕草も丁寧で、謙虚で優しそうだった。この人なら話を聞いてくれそうだと思った。
レンタル彼女のようなサービスを利用するときに顔を基準に選ぶのはなにもおかしいことではない。「そうしないと絞り込むのが大変だったというのもある」なんて言い訳も必要ない。
「この人なら話を聞いてくれそうだと思った」という増田は相手に真剣に好意を寄せたのだろう。好意を寄せられる相手ができて、その相手と定期的に会話できる機会があるという事実は、増田の精神衛生にかなり良い影響があったのではないかと想像する。
みゆさんを指名し、自分の病気のことと無職であることは早々に話した。みゆさんは驚いた様子で、50歳から人気職に就いた人の話などをして励ましてくれた。
自分の話ばかりだと愚痴を聞かせているようになってしまうので、みゆさんの話も聞いたり世間話をしたりするよう心がけた。みゆさんがそういうのを好きそうではなかったので、下ネタや下心を匂わせるようなことは一度も言わなかった。飽きさせないよう行く場所は変えたし、食事も奢った。
客として自分の話だけ聞かせてすっきりするというのもレンタル彼女の利用法として問題ないように思われるが、増田は相手とお互いに思いやれる対等な関係になりたかったのだろう。
「お金があまりないので、数ヶ月に1度のペースで指名した」というのは、金があればもっと頻繁に会いたかったということである。相手にとって、数か月に一度しか会わない自分は大勢いる客の一人にすぎないということを増田が認識していなかったはずがないと思う。相手が自分以外の客にも「レンタル」されていることを増田がどう思っていたのか、会えない期間の数か月を増田はどう過ごしていたのか、「おおむね、いい感じ」の裏にはそれなりの大きさの苦しみがあったのではないだろうか。
例として挙げられている発言はどれも些末なものだが、増田にとっては重大事なのだということはわかる。相手にとっては数か月に一度、数時間くらいしか会わない相手なのだが、増田にとっては何か月も焦がれるように思い続けていた相手なのだ。人生経験も浅く、増田と実際に過ごした時間も長くなく、増田は大勢いる客の一人に過ぎない、そういう相手に自分の気持を正確に理解してほしい、不用意な言葉で傷ついた自分に共感してほしい、そう思う増田は傍から見れば不合理なのだが、増田本人の思いは切実なものだろうと想像する。恋愛感情というのはそういうものだろう。
どの発言も、みゆさんに悪気はないのはわかっている。会話の技術が足りなかったのだ。私だって会話はうまくないし、みゆさんと同じ20代の頃だったら今より知識も技術も少ない。たくさん失敗をした。
ただ、無愛想な人やがさつな人に言われるならわかるのだが、数人の中から選んだみゆさんのような、きれいで優しく他人を思いやっていそうな人がこんなことを言うことに驚いた。外見は立派なのに、中身は普通だったんだと思い知った。
私は今まで、みゆさんのような若くてきれいな女性は貴族で、自分は貧民であるかのように思っていた。「KKO」や「おじさんLINE」など、ネット上で中年男は嫌われ嘲笑される風潮がある。女性にモテず無職の自分はその「駄目なおっさん」に分類されているという意識に囚われていた。
街中で若くてきれいな女性を見かけると、彼女らは流行に敏感で人々の注目を集め人づき合いが得意で交友関係が広く時代の先端をいく陽向の存在であり、それに対し自分は人づき合いが苦手で時代に取り残され誰にも注目されず何の価値もない日陰者で、彼女らの視界にも止まらない澱んだ空気のような存在に感じていた。
しかしみゆさんと話してみて、外見はいくらきれいで立派でも、中身は至って普通なんだと気づいた。私は劣等感など感じることはなかったのだ。
なぜ「若くてイケメンの男」ではなく「若くてきれいな女性」だけが増田にとって問題になっているのかといえば、それはやはり性欲や恋愛への憧れがあるからだろう。性欲や恋愛への憧れが満たされないことについて苦しむことも、仕事や病気について悩むことも、人として何もおかしいことではない。これらの悩みや苦しみがごちゃ混ぜになって「若くてきれいな女性」を絶対的な存在だと考えてしまったことで増田の苦しみはさらに強まったのではないだろうか。「駄目なおっさん」を断罪する神のような存在だと思っていた「若くてきれいな女性」も人間なのだと増田が理解したことを喜ばしく思う。
トラバとブクマを見たが、9割5分はまともに文章を読んでなくて、結局KKOの書いた文章はエンタメとして消費されるんだなとわかった。
みゆさんの発言の何が問題かは本文に書いてあるのに、「それが普通だ」と書くだけで正面から反論しているものは一つもない。
カウンセラーと連呼されているが、病状を説明しているだけで、病気についての相談はしていない。就職などの社会的なことについても「どの仕事に就けばいいか」なんて相談はしておらず、世間話として話しているだけだ。
増田がするべきなのは、相手の発言を何度も反芻して相手に落ち度があると確認し続けることではない。相手に悪意がなかったとしても、増田の気持が傷ついたのは事実だろうし、そのこと自体を否定する権利は誰にもない。しかし、理由のないことに理由を探そうとしても苦しみが深まるばかりで、それは増田に良い結果をもたらしはしないだろうと思う。相手にとって増田は数か月に一度しか会わない何人もいる客の一人にすぎず、発言は人生経験も浅い若い女性があまり考えずにしたものにすぎないのだから、深く考え続けるのは無意味だ。
増田が向き合うべきなのは、自分から相手への思いの深さと相手から自分への思いの深さが同じではないこと、その根底にある自分の性欲や恋愛への憧れから目を逸らさないこと、それらを仕事や病気の悩みとはわけて考えられるようになることだろう。
そのように考え方を変えるためにカウンセラーを利用することは有益だと考えられる。カウンセラーは増田の恋愛や仕事の問題を解決するためのアドバイスをしたりはしない。増田がカウンセラーに自分の悩みや苦しみや気持ちを言葉にして語ることで、増田が自分の気持をより整理して考えられるようになることが第一の効果である。その点で、今回のように自分の思ったことを文章にして投稿することはカウンセラーに話すのと同じような効果がある。カウンセラーを利用すれば、無意識に語るのを避けている部分について語ることを促したり、認知の歪みを指摘したりして増田が気持ちの整理をすることを積極的に助けてくれるだろうが、それに抵抗があるなら、今後も、同じように公開するのでもいいし、公開しない自分のためだけの文章を書くのでもいいから(「筆記療法」とか「ロールレタリング」とかで調べてほしい)、自分の気持を言葉にする作業を続けることで気持ちが楽になってくるのではないかと思う。
ホスピタリティの高い女性に対して、じつによく使われる手段がある。
それが、コメントでもいくつか指摘がある通り、この「~したい」という言葉だ。
わざと自分の要望を相手に叶えさせることで、相手に小さな貸しを作るために使う。
相手に悪印象を与えない範囲で、尚且相手の善意を満たすようなものだとなおさら良い。
人間というのは欲深いもので、貸し借り、特に自分から貸しがあることに対しては記憶に残りやすい。
それを逆手に取って、手中に収めたい女性に対し、ファーストコンタクトでわざと相手に借りを作るのだ。
常識的に考えて失礼ではない内容ならだいたい何でもよいが、返してもらわなくてもよいけど覚えていてくれたら嬉しくなるような内容が効果的と言える。
そして、相手が忘れかけているだろうタイミングで、盛大にお礼を返す。
相手はそんなことを覚えていてくれたのかと嬉しくなるだけでなく、それだけ大きなお礼をもらってしまっては、今度は自分が返さなくてはならないという気持ちになる。
あとは相手からのお礼を受け取って、さらにそれよりも大きなお礼を返すことを繰り返していくことで、相手はそのうちお返しができなくなり、最終的にはこちらの言うことを何でも聞いてしまう状況にまで比較的容易に持っていくことができる。
最初に断ったとおり、全員に効果的な手段ではない。あくまで、ホスピタリティの高い女性をターゲットにした場合だ。
ある程度複数の女性に網をかけておいて、反応があったときだけ返していけば良い。
その反応がまんざらでもなく、さらに自己重要感を満たすようなサインを見せたならしめたものだ。