はてなキーワード: フィジカルとは
私はスマホゲーの「ウマ娘プリティーダービー」を遊んではいない。
漫画をざっと見たりウェブ上のまとめ記事などを見た程度だということを先に断っておく。
私が思った作品の世界観について考えたことをだらだらと述べてみる。
ウマ娘世界の我々の知る現実とウマ娘世界は差異が小さすぎる。
ウマ娘用の受話器の描写などを「芸が細かい」として評価する人もいるようだが、私はむしろ雑だと思った。
ウマ娘が人間の社会に混ざって生活しているのが当たり前であるなら受話器はそもそもあんな形でデザインされないはずだからだ。
ヒトミミ用の受話器を後付けでウマ娘用に対応したように見える。
衣服もそうだ。
我々の知るようなごく普通の服にシッポ用の穴が明いているだけの差しかない。
ウマ娘が普通の世界であるならウマ娘が着るための様式の服は発生するだろうし、トレセン学園の生徒はウマ娘しかいないのだから制服にはその様式が採用されるのが自然な流れだろう。
まあこれについては日本からキモノが (ほとんど) 消えてしまったように廃れたという解釈でもよいかもしれない。
作品としてわかりやすく成立させるためではあるだろうが、あえてこの受話器の描写が世界観の一部であると捉えるなら、ウマ娘に対する対応は後回しにされやすい世界なのだろうと想像する。
ウマ娘の地位が低いか、数が少ないか、あるいはその両方か。
現代になってようやく人権概念が定着したといったところだろう。
逆に有益に働いてもらうための機嫌取りの意味で好待遇になるといったこともあったかもしれない。
ウマ娘が圧倒的に強力なフィジカルを持っている。
これが古代であればヒトミミとウマ娘の対立は確実に起きる。
しかし一方がもう一方を駆逐しなかった (できなかった) のはウマ娘はヒトであるからだと思う。
ウマ娘はウマソウルを宿して生まれる。
ウマ娘の不思議パワーの源泉はウマソウルであって、直接的な遺伝的形質ではない。
ただ、ウマソウルに適合しやすい (宿りやすい) 肉体というものは存在するだろうから結果的にウマ娘はウマ娘の親から生まれる傾向がかなり強いのだと想像する。
ウマソウルが宿りやすい子供を作るための交配も行われただろう。
その過程で有益な能力を持ちつつ御しやすい性質 (のウマソウルが宿る) が選択されて共存できる程度に落ち着いているのではないだろうか。
(1)サッカー選手自身はアレかっこいいと思ってやってるんですか?
(2)「ここでアピールしてファール取れれば戦況有利になるからひと芝居やったるか!」って思ってやってるんですか?
A.やってる。
しかし運営側も問題視してVARが導入されたことで改善されている。
(3)それとも本気で痛がってるんですか?
A.怪我の程度による。
A.一般的にはしない。
(5)小学生くらいからサッカー始めたとして、何歳くらいからああいう大袈裟に倒れて痛いアピールするようになるんですか?
A.個人による。
(6)最初にやったときはやはりちょっぴり恥ずかしかったりするんですか?
A.個人による。
(7)試合後、監督とかチームメイトから「なかなかよかったよ」的な言葉をかけられたりするんですか?
A.人による。
(8)アレにまつわるトリビアがあれば教えてください。
2.ネイマールはダイバーとして有名だがブラジルw杯で相手選手の膝蹴りを受けて腰椎骨折した。その時は動けなかった。
古い時代のサッカーではファールの基準が厳しく、結果として苛烈なタックルで大怪我を負い選手生命が絶たれる選手も多かった。
また優れた選手をファール覚悟で止めることは個人戦術の共通理解となっている。
そのため、しっかりとアピールをして審判からファールを貰わないと削られ放題になる。
そして転がるのは柔道で言う受け身の役割があり、怪我を予防を兼ねている。(ネイマールとかは大袈裟すぎるけどね。)
もしダイブをせずにチームが敗北したのならば干される可能性がある。
また治安が悪い地域にいる選手ならば生命の危機に晒される場合もある。
あとダイブの話になると転がる側が問題視されるけど危険なタックルに笛を吹かない審判や危険なタックルを行う選手には全然フォーカスされないよね。
暑くてなんだかしんどいわー
睡眠水分しっかり取ってるんだけど、
あとは野菜350グラムと瞑想が足りないってのが増田の見解だって私はもう答えが分かっているの。
だからさ、
焼き肉以外で食べたら元気になる美味しいグッドのミールってなにかしら?
夏バテなのかしらこれって?
あたしゃ認めないよ!って
夏バテと言うよりは暑さでぐてーってなってるの。
でさー
もしかしてコロナ禍の中コロナ発生地域のアメダスの模様をお伝えしますって、
雨雲レーダーを見ていたけど、
ここだけ突発的に猛雨ってわけじゃないのに、
でも原因の臨時休業のわけは雨じゃなくて、
名推理!
コナン君でも眠りの小五郎さんが眠らせる前に分かってしまうようなもんよね。
だから今日はなんだかいまいちションテンが上がらないんだけど、
ゆっくり休息が欲しいわ、
ハウス世界名作劇場のフランダースの犬の最終回のなんか凄い芸術の絵画の前でフラフラになる感じの物語で、
あの世界名作劇場のあの話しの教訓ってなんだったのかしら?って
なんだか救われないわね。
私はこの暑さから救われたいので、
しっかり身体冷やしておかないと、
寝付きいいキツネ
ってここ軽く回文になってるけど、
そのぐらい逆に寝付き悪いのよね。
はぁ。
暑さなのかしらこれは?
なんかシャッキリしないわーって。
あれさー
愛ちゃんぜんぜん悪くないのに和彦くんが暢子ちゃんをたぶらかすからだし
とりあえず、
頑張るわよ。
うふふ。
だけど
背に腹は変えられないけど
じゃ、
腹は背に変えられるわけ?って
これが海腹川背って
背も腹も変えられないわよねー!
まったくよ。
そんな言い胡麻化せられないぐらいここのサンドイッチは塩っぱいのよ。
フィジカルに物理的にサンドイッチ自体が文字通り塩対応って意味よ。
そんなことどうでも良いわね。
ごくごく飲んできたわ!
暑いわー
みんなも暑さに気を付けて
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これから加齢によって生じるオタク趣味…娯楽の消費に関する食指の動かなさから感じた人生の正しいライフステージと、筆者自身が抱えている発達障害との関係性、そして現代の世の中について乱文をしたためていく。
ご覧の通り、主語が大きくやや誇張しているような表現を多く含むが、個人的にかなり深刻な問題なのでわざとオーバーに書いている。ご容赦願いたい。
また、とにかく書きたいことを書いたため本文中の出典に関しては省略している。必要があればタイミングを見て追加するかもしれない。
まずはじめに、私はそろそろアラサーに差し掛かりそうな20代半ばの年代だ。
新卒時にちょうどコロナ禍が始まり、業界に対する打撃で案件が来ずロクな仕事を与えられないまま転職、人間関係の不和でひと月経たずに退職し、しばらくして職業訓練で茶を濁しながら10ヶ月ほどの無職期間を経て、今年4月に障害者枠で総務として勤務を始めた。一応今現在まで仕事はなんとか続いているが、障害者枠なので周りが残業していても基本定時で帰してもらえるし、電話応対もない。
そう、私自身が発達障害者だ。ASD(自閉スペクトラム症)で診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。
ひたすらコミュニケーションが苦手で、変化に適応できなくて、その時関心を持ったものにしか興味が持てず、短期記憶が著しく弱く、どうでもいい長期記憶が異常に強く、反復脳死作業しかできることがなく、言葉や文字そのままでしか解釈できず、自分の世界で全てを判断するような性質がある。そして自分が慣れているもの以外の刺激に対して非常に弱い。
そしてプライベートではイラストや漫画、アニメ、ゲーム、動画など、所謂オタク趣味を謳歌している。毎クールごとに気になったアニメをチェックだけし、流行っているソシャゲや動画配信には手を出し、好きなジャンルの二次創作を逐一チェックし、商業同人問わず漫画を購読し、絵に描いたようなオタクライフを満喫しているわけではない。
実際のところはこんな感じだ。
・その割にツイ廃だと思われたくなくて反応は控えめ
・据え置きゲームも中盤あたりで詰み、最後までクリアできたためしがない
・絵は月一で描くという自分ルールを設けたが、毎回月末になって慌てて描いている
・新しい漫画やアニメ、ソシャゲは刺激されて疲れるのが嫌でWikipediaと公式サイトの文を読んで満足
・4つある自ジャンル(いずれも旬ではない)の情報だけはしっかり追っている。ただしコンテンツそのものよりも運営や民度のことばかり気にしてる
・音楽に対するフットワークは軽いと思っていたが、最近のTikTok文化には全くついていけない。ノリも苦手
・そもそも新しいジャンルにハマる元気がない。ずっと広く追わなきゃならないVtuberは全般的に苦手。
・頭の中では常に一次創作の設定のことを考えていて、そのための資料集めのために生きている。なお創作の本編には手を付けられてない
・特に時間がないわけではないが、とにかく疲れてTL巡回以外何もできない
・盛り上がっているオタクを見ると羨ましい
・そのくせに現実(仕事、結婚、育児、介護など)としっかり向き合っている周囲の人を見ると不安になって焦る
趣味を楽しみたい欲望だけ募らせて「疲れた」を理由に何もせず、同時に現実を見て生きている人たちにも劣等感を抱くという、オタクにも一般人にもなれないモンスターと化してしまった。
これは自分でもまずいと思うが、どうにも意識してコントロールできることでもないようだ。
このように気力不足で何もできず劣等感だけ募らせている私が、普段何ならできているのかを列挙する。
・盛り上がっているオタクの観察
・一応惰性で見ているアニメの実況
・オタクや推し絵師やリアル知人の生存確認(唐突にいろんな人物が頭に浮かび大抵更新が止まっててショックを受ける。発達障害あるあるだと思う)
・自ジャンルのアフィブログの愚痴記事のコメント欄や5ちゃんねるの愚痴スレをひたすら監視(界隈やコンテンツの問題点も踏まえて正しく把握するため)
・Twitterのトレンドから社会問題に関する考察(という名の悲観的な被害妄想)
・数年前の一番楽しかった頃に描いた絵や当時やり取りしていた旧友(今はほとんど疎遠)とのメッセージを見返して心を痛める
・自分の脳内にある情報だけで一次創作の世界観の設定を練りまくる。どう頑張っても中学生の黒歴史ノートレベルのクオリティにしかならない
一通り書いてみたが、本当に精神衛生上良くないものばかりなことに気付かされる。ただ、脳汁が出てやめられないのだ。
こんなことをしている暇があるのなら勉強するなり作品鑑賞をするなりすればいいのに、前述の通り興味関心が向かなかったり趣味にかまけることに罪悪感があったりで何もしない癖にTwitterや5ちゃんやアフィのコメ欄やまとめブログばかり見て心を傷つけている。こうやっていつも言い訳しかしない。
私がこうなったのも、世の中の流れや身の回りの人間の変化も少なからず影響している。
これがかなり大きい。一応私も社会人3年生で、周りの友人もバリバリ働いている。
当時一緒にオタクして楽しんでた友人たちもだ。彼ら彼女らは私以上に見る影もなく、家を会社を往復するだけの虚無な人生(本人談)を歩んでいるそうだ。時間を犠牲に金だけを生み出し、その半分ほどを税金や必要経費で持ってかれているので貯金も満足にできないらしい。
問題なのは仕事に対して楽しんでいるわけでもなく、常に辞めたい辛いなど愚痴を吐きながらなんとか繋ぎ止めている状態なのである。転職を勧めても、もう一度就職活動する方が苦痛だから今のままでいいという派が圧倒的だった。
なんなら社会に出た途端SNSから手を引き、音信不通になった人もたくさんいる。久しぶりに話せたかと思えば、仕事以外は何もできてないとのことである。
会社の手となり足となる人生以外の選択肢を潰したのだろう。きっとそれは正しいことだ。
正直、私から見れば友人らは圧倒的につまらない人間になった。いや、社会がそういう人間を望んでいるのかもしれない。
自分の好きなことのために生きているオタクこそ、社会にとっては癌なのだ。強い自我は社会の歯車を回すにあたっては邪魔なだけだ。
つまり社会に出れば社畜化することの方が求められていて、あたかもそれが正しいことのように錯覚している。
そして、こういう人生の話と切り離せないのが結婚出産だが、私の身の回りに既婚者は2,3人ほどしか確認できていない。みんなとっとと結婚して親を安心させるのかなと思えば社畜街道まっしぐらな方向性を選んだ人の方が多かったようだ。
その既婚者たちも、子どもができれば家庭優先になるのは当たり前である。趣味を謳歌する余裕などない。
ただ、それが正しいのだ。いつまでも好きなことをしてるクソガキであろうとする私が間違っている。そういう人たちを見ると、なおさらそう思う。
たまに話もするが、仲良く絡んでたときとは価値観が打って変わってしまった。いや、私が変わらなすぎるのかもしれない。
私はこのように、世の中に求められている使命をしっかり果たしている人たちの足元にも及ばないのが悔しくて仕方ない。人間不信も相まって生まれてこの方恋愛したことないのに、どこで挽回できようか。
だからオタクみたいなことを続けるのに抵抗が生じてしまうのだ。
身の回りのオタク友人だけじゃない。ネットにいる二次創作絵師やフォロワーも例外ではない。
2020年あたりを境に、Twitterの更新が止まったりアカウントを削除したり、動いてはいるものの低浮上になったりしている作家やフォロワーがたくさん増えてきた。
それは、コロナ前の同人誌即売会で購入した作者の現在を調べて初めて判明する事実だったりする。こういうことを慢性的にやってしまう。
何が何であれ、別れというものには耐えられない。いや、慣れてないだけなのかもしれない。
なんせ一方的に観察してるだけなので、少しでも顔を見せないと生存そのものが心配になってしまう。
理由について推測する。
コロナ禍では巣ごもりが奨励されており、創作は流行るだろうと思っていたが現実は真逆だった。本の印刷という明確な納期がなくなったことによりモチベーションが著しく減退したサークルが多く確認されている。今回控えているC100もサークル数は前回比で減っており、同人需要すら落ちているようだ。
「オンライン推奨なんだからWebオンリーとかコミッションとかが主流になったのでは?」とツッコまれそうだが、私が言いたいのは”ネットに顔すら出さなくなったクリエイターが爆増している”ということである。これは正直巣ごもり関係なく、何らかのタイミングで起きていると思われる。何故コロナのタイミングで、とは思うが人手不足の穴埋めをさせられたり、単純に業務量が上記を逸していたりするのだろう。基本的に観測できる範囲には真面目な人ばかりだ。
私が新卒で入社した会社はコロナで仕事がなくなった業種だが、逆に多忙を極めている業種もある。オタクの本業とは一体何なのか…もし医者やSEといった仕事が主流なら、私はまた(人生スペックに対する)嫉妬に狂ってしまう。みんなちゃんと仕事しているし、会社に殺されてこき使われてるのだ。
そもそも想像力が乏しいので、人間はみんな四六時中SNSを見ていて当たり前だと思っているフシがある。全員がそうとは限らないだろうが。
私みたいに、常にネットから得た知識でこれから起こることに対して悲観的な妄想をしたり、目の前のことをかなぐり捨てて現実逃避しているわけがないのだ。
ネットのオタクからも「現実をちゃんと生きているのに」という劣等感は強く感じる。普通に中の人は人間なのだから。社会を回して当然だ
だが、ここまで仕事に忙殺させてもなお終わらない無茶なタスク振りや、いくら働いてもまともに暮らせない賃金体系にも問題があるのではないのか?
こうなると社会そのものへの愚痴になるのでこのあたりで留めておく。
ここまでつらつらと書いてきたが、私自身も趣味に対して食指が動かなくなったわりにオタク気質だけは残ったままになっている。”キモオタ”から”オタ”を取った”キモ”状態だ。
現にアニメ・マンガ・ゲームとかに触れずとも、Twitterの逐一巡回やアフィなどの監視を惰性でやって時間を浪費している奴をまともと呼ぶわけがないだろう。
何故楽しかったあの頃より熱が冷め、エアプマンになったのか分析していこうと思う。
まぁこれに尽きる。正式に言うと「ネガポジ問わず刺激によって疲れる」のが嫌になった。フィジカルもあるが、メンタルの話だ。
人が一度に受けられる刺激には限度があると思う。これを超えると心身に悪影響を及ぼしかねない。そしてその容量は年齢に反比例している。
仕事は当然神経をすり減らして責任を持って取り組まなければならない。その時点で一日に受けられる刺激量はとっくに超えている。そんな状態じゃコンテンツを摂取することで何らかの感情をかき乱すなんて疲れるだけだというようになり、いつしか避けるようになる。
長い文章が読めなくなるのもこれだ。重く激しい展開を忌み嫌うのもこれだ。
私はアニメやゲームを実況することが生きがいだ。初見の感想を記録し、未来の自分の役に立てたいという気持ちが強い。
ただ、半ばそれが義務や使命と化していて正直かなり疲れている。ASDは自分のタスクを輪に組み込んでしまえば永久的に続けられる性質があるが、それは「何も考えずにできること」限定であり、実況や考察など自分の言葉を紡ぐ行為はかなり消耗する。この文章だって3時間かけて執筆している。
作品に触れているのだから、何らかの感想を残さねばという自分自身に課した強迫観念のようなものが私には存在する。
そんなことを思いながらも、基本的に自分の頭のデータベースに情報を一気に突っ込めなくなり、処理もできなくなっていってる。
旬コンテンツに触れないと置いていかれる観念もこれだ。名前を出してしまうと、「100日後に死ぬワニ」や「モルカー」や「タコピーの原罪」などが一斉に流行りだすと、未履修の人間はツイッターランドにおける非国民であるような気持ちになる。
Twitterのトレンドが特定のコンテンツで一色になっているのも、同調圧力を感じて疲れてしまう。追えてないことに残念な気持ちになるが、追う元気もない。
そんな感じで、うっすらとした気質だけ抜けられないまま、置いていかれないように上澄みだけ啜っているのが今である。
何度も述べている通りである。大人になるとは、社会を回すために責任を持って使命を遂行することである。
その使命を放棄し、自分の好きなことばかりに現を抜かすなど、人間としてあってはならない。そんなことが許されるのは大学生までだ。
人間には、生物として繁殖しなくてはいけない義務がある。日本国憲法においては、教育・労働・納税の義務がある。
つまり、仕事や育児から逃げるのは罪なのだ。その逃げとは、趣味のことである。
普通の人間は社会に出れば「個人」をやめ、「社員」なり「役職」なり、はたまた「親」なりの肩書を持つ。名前なんて呼ばれなくなるだろう。必要なくなるだろう。
オタクは「個人」のままできるが、それは大人になった瞬間捨てなければならない。肩書にふさわしい義務を果たさなくてはならない。
私は、20代も後半に差し掛かるというのにこれらの義務を果たせる予兆がまるでない。仕事も、同年代と比べると誰でもできるようなことしかしてないしはっきり言ってぬるい。
結婚だって、恋愛を嫌がっているのだから当然できるわけがない。人間との共存に本気で虫酸が走る。
そんな奴が適齢期になっても責務から逃げ、いつまでもガキ臭いことをする道理が見当たらない。その結果、打開策が見えず将来を憂いているだけで何もできない生き物になってしまった。
何度も言うが、逃げとは責任の放棄であり罪だ、そしてその逃避こそが趣味なのだ。
こんな経験はないだろうか。「作品よりもスタッフや運営に注目するようになった」と。
コンテンツにゴリゴリに入り込んで感情移入するのは、幼い子のやり方だ。夢女子がそれとも言われるが、傍から見れば虚構と現実の区別がついてないように見える。
それをいい歳こいた大人がやれば、立派な精神異常者だ。作品の世界に入り込むなど、これこそ先程から罪だと言っている現実逃避にほかならないだろう。
そして、ある程度読解力が育ってくれば作中のモチーフや描写、張られた伏線などから「考察」というものをするようになる。この段階でやっと観客になれるのだ。その考察も、ガキの魂胆で行えばただの妄想に成り下がるが。
では、そのようなコンテンツの見方に慣れると作品をどのように見るようになるのか?
答えは「構造批判」である。作品の評価をファンの民度やスタッフの質、運営の対応などで行うようになる。特にお金の話と絡めたがる。
作品同士を「このジャンル、ファンがクソガキしかいない」「なろうテンプレだなこれは」「お涙頂戴ねはいはい」「運営のおっさんはこれが儲かると思ってんだなぁ」と比較や批判するようになる。Twitter民にも心当たりはあるだろう。
こういう考えはコンテンツ研究する立場においては大いにアリだが、普通に楽しむにあたってはノイズになりかねない。なんなら「構造批判」するために作品に触れる(たまに触れてすらいない)ようになり、叩くのが目的になる。
そうすれば、何を見ても昔のような楽しさは感じられないだろう。
現代は情報化社会だ。誰もがクリエイターになれるし、どんなものもスマホひとつで手軽に大量消費できる。
そうなれば必然的にコンテンツで溢れかえる。取捨選択が難しくなる。
これらの流れをくんで、最近ではAIが閲覧傾向を読んで勝手にレコメンドしてくれる。口を開ければ合うものを放り込まれる。そしてなんとなく偏っている。
ただ、なるべく偏らせないで色々見たい人は、とりあえず全部手にとって味見する。その絶対数は一生に捌ききれないほど多い。
同じ職場に居る看護師ども見てると「マトモな人は10人に1人」って感じがする
それも「一般的に見てマトモだけど、気はすげえ強い」とかだし(そうじゃないと生き残れない)
大変な仕事だし人的環境も劣悪だから異常者になるのは仕方ないにしても
でもまあ、資格取っちまえば何処にでも仕事ある。山のようにある。病院勤めする必要無い
別に人間ドックとかの看護師でいいじゃん。お風呂介助無し(処置等はある)の介護施設も楽
食いっぱぐれない
そういう仕事は給料安いだろうけどフィジカル的にもメンタル的にも楽だし良いじゃん
あ…追記まで読んでなかった
病院以外でも働いたのね。でも駄目だったの!?
わりーけど、人の生死に関わらないとこならそんな肩肘張らないで適当にやりゃあ良いんですよ
(実際ウチに居る看護師は引くほど適当よ。なんせ志なんぞ捨ててきてますから)
適当さが無いから異常者から嫌われるんじゃあないの?面倒な奴扱いで
ほら、駄目なヤツは「便利な人間」「同じ駄目なヤツ」を重宝がりつるみたがるじゃない
https://anond.hatelabo.jp/20220719195713
無事にチャリ直して貰った。たった2千円でちゃんと出張メンテしてくれました。ありがとう
なんかさ…ガチロードバイク扱うお店だから、こんな電アシのメンテに通うの恥ずかしいんだけど
(つーか、サイクルアサヒが近所にある都会に引っ越してえ。宝くじあたったら引っ越す)
それにしてもほんと、職人さんは良いなあ
自転車組み立てとか電気工事とか車のメンテとかガス工事とか…色々あるけど
誰でも出来る底辺職
兎に角忍耐
低賃金休み無し汚い臭い重い暑い下手したら労災案件に遭うスタッフも利用者も経営者もキ○ガイという悪環境
この地獄に耐えられる選ばれしバカと志が高いヤツだけが務められる仕事ですよ
直して貰ったチャリでポタリングしてストレス解消…程度じゃあもたない
でも、お外は風があって爽やかだった。昨日の雨が嘘みたい
緑の稲穂の絨毯が風に靡いて美しかったぞ。山は雲に覆われていたけれども
貴重な休みに晴れて良かった
女子がビールマンをやるのはやらされてるからというだけ。男子はやらなくていいからやらないだけ。
スパイラルが義務じゃなくなってからほとんどの女子はやらなくなった。レイバックも義務じゃなくなったからビールマンスピンもそのうちほとんどみんなやらなくなるでしょう。今シーズンからレイバックでレベル4取りにくくなったし。
男子の方がフィジカル強いから女子の方がレベルが低いみたいな話、フィギュアスケートだと違った分けだけど、でもそれもドーピングしてただけだったんだよな
この理論で行くと、同じ男性がやるボクシングも体重低い階級はレベルが低いから見る価値ある?ってなるもんだけど、
軽い方がパンチとか早く見えるからけっこう見え方違うなーとは思うし
球技では女子選手が相対的にフィジカルが劣るため球速が遅いのだが、遅さはそのままド素人である視聴者に与えられた試合を見て、考えるタイムラグでもある。
フィジカルが追っつかない分、強さとコンディションがトントンのゲームは、運ゲーになったりもするため
バレーボールなどは女子のほうが興行としてはおもしろい。男子はポンポン進むので過程が面白くない。
バスケもゲーム性では同様なのだが、男子バスケにおいてはダンクや長距離シュートなどの決め技が挟み込まれるのは興行に花を添えている。
ネットでフェミとぐちぐち言い合うより、画面の中で女子柔道選手や女子ハンド選手が目ぇひんむいてる姿を見ている方がまだ精神衛生上は良い。