はてなキーワード: アラサーとは
初投稿
女性とまともに話せない、目を合わせれないアラサー童貞デブ男の僕がこの度勇気を出してヌード個撮できるお店を使用してみました。
いわゆる風俗店(女性とえっちなことをするお店)を使う勇気は無く、だけどこのムラムラをどうしようと考えに考えた結果なんですけどこっちの方がチャレンジャーだった感 is ありまつね…
そのお店は素人女性からAV女優さんまで色々な方がモデルをやってくれるお店なのですが、人気のあるAV女優さんは予約がすぐに埋まってしまっていて突撃できず…ってことで素人の女の子を選ぶことに。
予約フォームに名前とか生年月日とかを入力していざ予約。この時点ではなんか実感もなんもなく、あっさりと終わりました。
予約した日まで3日ほどあったので毎日予約した娘の顔写真を見つつ「どんな人なのだろう」とか「ちゃんと撮れるかな」とか考えてました。この時点ですっげえ童貞臭いっすね…
そして迎えた当日。
カメラをいつもより気持ち念入りに整備してバッテリーも交換用を持ちメモリーカードも入れたことを確認して(たまに入れ忘れて買ったりしてるので)出陣。
雑居ビルの1フロアを丸々使っているお店なのですがとにかくわかりにくかったので危うく遅刻しかけました。
受付で事前にもらっていた会員番号を確認して注意事項のレクチャーをされいざ部屋へ
1時間ほどの枠なのでそこまでまったりはできないなと思いつつ女の子が来るまでカメラ出したり照明いじったりして暇を潰すわけなんですけど、この時点で発汗量がエグい。夏か?ってくらい汗が出る。ミートテックのせいだ。
かと言って僕がヌードになるわけにもいかないので汗を拭いつつ我慢…してたらノックされるドア。
「はじめまして~」と明るい声で挨拶してきてくれたのは予想してたよりも可愛らしく小柄なお嬢さんでした。テンションはこの時から上がりっぱなしなのですが体温も上がる汗はまだ出る
お互いに挨拶を交わして、スタッフが時間制限を伝え終わったら二人っきりの世界へ。心臓がバックバクしてるし変な震え出てきたけど平気な顔をしていざ撮影開始。
いきなり「脱いでください」なんて言う度胸は残念ながら僕には実装されていないのでとりあえず着衣のままいくつかポーズをお願いしつつ撮影。
なんも言ってないのにスカートたくし上げておパンツ見せてくれたりするので吃りそうになりながらも時間は過ぎていく
15分ほど雑談混じり(ほとんど女の子が気を使ってくれてた)で撮影してた僕ですが「今日はヌードを撮りにきたんだ」と使命を思い出したので一言!
「あ、あの…上半身から徐々に脱いでいってもらってもいいですか…」
言い直したらちゃんとブラウスはだけてブラ外して~と脱衣してくれている女の子を僕は無心で撮影。こんなん初めてだからどんな反応が正解なのかもわからない。
無心で撮影してたら目の前には全裸の女の子が。モザイクも同人でお馴染みの黒い線も謎の光も湯気もなくて、生まれたままの姿の異性が目の前に立っていました。すげぇ…
その場で回ってもらったりして撮影してるんですけど目の前で弾む胸とか初めて見たしどこをどう撮ればいいんだろうと思考しながらひたすらシャッターを切る僕。
ぶっちゃけ脱いでもらったあたりから終わりの方まで記憶が薄い。なんかライブ後みてぇだな…
でもメモリーカードの中には確かに全裸の女の子写真が16GB分入っているし(RAWで撮ってるので容量デカい)、時間は過ぎてた。夢じゃないんだ。
時間が来たことをスタッフがドアノックで教えてくれたのをきっかけに撮影は終了。お互い挨拶とお礼を済ませたら女の子は撤収、僕はお片付け。
雄として欠陥なのではという疑念を抱きつつ、初めてのヌード撮影を終えた夢心地で退店しタバコを一本。死ぬほど美味く感じたけど喉がカラッカラだったので辛かった…
何が言いたいかわからない文才ない童貞の記事を読んでくれた人はありがとうございます。
なんかクセになったっぽいので予定見てまた予約入れたいと思うのでもしかしたらリベンジ記事を書くかも。
ありがとうございました。
このことを何度も何度も思い返して毎回苦しくなってきた。ここに吐き出して一旦終わりにしたい。
私は大学四年になりたての頃、当時付き合ってた彼氏との子を妊娠してることが分かった。相手は社会人だったし私も単位はなんとかなったので結婚出産、卒業後専業主婦になった。
初めての育児はとても大変で夫にイライラをぶつけまくった。夫はその頃異動があったり、デキ婚のことで親と揉めて絶縁状態になったり、子供の夜泣きに付き合ってくれたりで徐々に疲れていきうつ病になって働けなくなった。
傷病手当金や失業手当、私の実家からの援助でなんとか3年ほど凌いだ後、たまたま友人の紹介で正社員として採用された私が働き出すことになった。(夫のうつ病が長引いたのはゆっくり休ませてあげられなかった私のせいでもあると思う。当時は本当に子供と自分と生活費のことで頭がいっぱいだった。申し訳ない。)
私は新社会人かつ子育て主婦、というよく分からない状態で、今にして思うと社風とも全然合わず、パワハラまがいのことも受けながら安月給で必死に働いた。正直仕事だけでいっぱいいっぱいで家に帰れば寝てたかった。実際家事や育児は段々と自宅療養中の夫任せになっていき、夫から苦情を言われることが増えた。夫婦喧嘩が増えてセックスに私が誘っても拒否されるようになった。それどころかちょっと手が触れるのも嫌がられた。まぁ、薬の影響とかストレスとか色々あるししょうがないよね、とは思っていたがかなり辛かった。職場でも怒られて、家でも夫とはうまくいかず、育児を夫に頼る時間が増えたせいかあれだけママっ子だった子供も私に懐かなくなっていった。
そんななかで私は人生で1番の間違いを犯してしまった。同僚と不倫してしまったのだ。期間としては半年にも満たなかったけど、頭のおかしくなっていた私は彼だけが毎日の救いになっていた。現実逃避というのか、もう何も考えたくなくって将来どころか数ヶ月先の家族旅行の計画さえ立てるのが億劫になった。数ヶ月先も今と同じように生活してるなんて無理でしょと思っていた。今にして思うとありえないが、不倫相手とギクシャクしだすと更に救いを求めて学生時代の同性の友人にまで不倫の相談をした。このことがきっかけで複数の友人を失った。
まぁそんなめちゃくちゃな精神状態で不倫してたのであっさり夫にもバレた。離婚するか、なんて話にもなったがなんだかんだでお互い関係修復のために努力していこう、という結論になった。この時の話し合いでやっと自分の辛さを夫にキチンと話せた。夫の辛さも理解できた。
夫が私に優しくなった。そのおかげで少しだけ精神状態が安定して、夫や子供に気を回せるようになった。そして私が変わると夫も変わり、病状も回復し再び正社員として働き始めた。共働きは本当に大変で、そのころ子供も学校でトラブルがあったりで、結局私が家族を支えるため仕事を辞めた。収入に不安があったが、余裕がなくなった自分が如何に暴走して周りの人達を傷つけるか痛いほど理解していたので仕方なかった。今はまた専業主婦だ。仕事を辞めて冷静になるとまぁよくあんな理不尽で最も自分に向いてなさそうな仕事をしてたなぁとボンヤリ思う。転職を考える余裕もなく、とにかく自分と周りを責めていた。
夫のことはすごく傷つけてしまった。夫や子供を失うかもしれない、となってやっと自分にとって夫や子供がどれほど大切か理解できた。自分との関係を修復することを選択してくれたことに本当に感謝する。一生をかけて償っていきたい。
一方で取り返しがつかなくなったのは友人関係だ。完璧な自業自得だが学生時代の友人は全て失った。直接私が不倫を打ち明けた子以外にも噂は広まってるかも、と思うともう学生時代の友人誰にも怖くて連絡できない。SNSもやってないので向こうからも連絡も来ない。それにもともと、独身でバリバリ働いていた友人たちと主婦でお金にも時間にも余裕のなかった自分は話題や考えが合わなくなっていた。寂しいけれどしょうがない。
仕事を辞めて友人を失って、それでも家族は残ってくれた。今、夫も子供も元気にしている。私に笑顔を向けてくれる。それだけで本当にありがたい。これから先、自分のキャパを理解して家族第一優先で生きていきたい。そして少し落ち着いたら、余裕を失わない範囲でまた働きに出たい、友人も新たにできたらいいなと思っている。専業主婦で1年ほど過ごし家族だけの世界はやはり少し寂しいことに気づいた。でも自分の場合、家族、仕事、友人関係、をバランスよく保つことができるだろうか、また外の世界に必死で家族を傷つけてしまったら、と不安になる。この辺のバランスの取り方が今後の課題かな。
この約10年間は激動だった。家族の大切さと、人間は環境によって簡単に間違いを冒すんだということを知った。人間性より環境。あと友人関係は簡単に崩れるということ。この先の10年は穏やかに過ごせますように。
環境のせいにするな同じ環境でも大抵の人は不倫なんてしない、と書かれてあった。その通りだ。ただ馬鹿みたいだけど、環境云々については自分の中では再発防止策のつもりだ。若かりし頃は自分は真っ当な人間だと思っていたし、人並みの倫理観や正義感もあるどちらかと言えば善人寄りの人間だと信じていた。自分の本当の人間性について知ることはなかったし、今だって少しはまともな人間になれたのか確認する術はない。アラサーの今どうやれば人間性が向上するのか、全く分からない。だからせめて、そんなことができない、そもそもしたくならない環境が必要だと思っている。あくまで私という人間にとっては、人間性より環境、だと考える。
あと一点、不倫相手とギクシャクしてから友人に相談するのでなくて、なぜ不倫する前に友人に相談しなかったか、という指摘についてボンヤリ考えた。夫婦生活がうまくいかない、育児がしんどい、このような悩みを友人たちは理解してくれないだろう、もっと詳しくいうと、上記のような悩みが生じるのは私が若くしてデキ婚したからで、普通の人は普通に幸せに結婚して子供はかわいいんでしょ?結婚生活って幸せいっぱいなんでしょ?辛いってなんで?と思われるだろうことが容易に想像できたから。というか実際にそういうニュアンスのことを言われたからだ。当時友人たちは皆二十代前半の女の子だからそんな認識で当たり前なんだけど。そう言えば働き始めてからは職場のお姉様が「絶対今は大変やろ、無理しなや、今乗り切れたらラクになるからね」と、しきりに声をかけてくれていた。その方は子育ても離婚も経験されていたので、きっと私の普段の様子をみて心配してくれていたのだろう。だけど、年齢も一回り以上上で、職位も全く違う彼女にあまり甘えたり相談することができなかった。この辺が若くして結婚出産するデメリットだなと今なら思う。年齢に合わせると悩みが合わず、悩みに合わせると年齢が上過ぎて心を開きにくい。今となっては色々あって私も老け込んでしまったので、子供のお母様達とも特に違和感なく溶け込めていると信じているのだけれど、最初の頃は浮いてたしな。
煽りとかマウンティングじゃなくて本気で思うんだけど、普段はてなーの現実辛い系発言見てると「それって東京から出れば解決するんじゃね?」って思うことが結構多いんだよな
結構俺(MARCH文系卒、アラサー、年収600万半ば、残業時間月平均10〜20時間)より悪い条件で働いてる人多いように見える
確かに地方にしては収入いい方かもしれないけど、多分はてなにいるような高学歴ならこんくらいの会社は地方にでもたくさんある
仕事は将来性ないし、やりがいも何もないけれど、零細IT企業にいるよりは安定してるし
俺はやりたくない仕事か超やりたくない仕事しかない意識低い人間なので、東京ならやりたい仕事があるってのもピンとこない
(地方の超やりたくない仕事に比べて)東京のやりたくない仕事も、そこに長時間労働や満員電車通勤が加わると超絶やりたくない仕事にレベルアップしちゃうしね
生活面に関しても、待機児童何それ?って感じだし(徒歩5分の保育園に入れず、徒歩10分の保育園にってことは普通にあるけど)
よく言う監視社会だの村八分だのいう話も、隣人の名字すらお互いに知らない生活してる俺にはよくわからない
俺は賃貸マンション住みってのとあるけど、ご近所問題に関しては東京で持ち家持ってる大学時代の友人の話し聞く限り対して変わらないように感じる
東京でしかできない仕事で東京でしか得られない高収入の人ならいざ知らず(ほんとはそういう人ほど地方に来れば異世界転生ばりの無双できそうな気もするけど)
年収1000万未満で、これからも超える予定ない人は地方に来て、浮いた家賃や私立中学の学費で東京遊びに来る生活したほうが絶対QOL上がると思うんだよね
俺だってうなるほど金があって独身なら東京いた方が楽しいと思うけど、既婚子持ちの普通の収入の人間(俺)にとっては総合的には東京にいるデメリットのほうが多いんだよね
希望通りの大学に行けずとにかく世の中に引け目を感じて成人式には出席しなかった。
今思うと、それは単なる幻想で、今生きているこの瞬間に感じていることも、
幻想なのだと、アラサーになってやっと気づいた。(遅いと思う)
20歳という年齢は、当事者からみても他人から見ても「人生これから」の年齢で、
本人がどう感じるかはさておき長いスパンでの目標を持つ時期なのだと今更思った。
新成人に何かを自分が言えるなら「目標」を持つことはすごく大事だということ。
これに尽きる。それが実現不可能であれ簡単なものであれ、「幻想」だと割り切れば
あとは「思い込み」でどうとでもなる。
自分の同級生には、旧帝国大学を卒業して「作家」になることを夢見て
本人は本気でも、はたからみれば単なる「自分の才能を信じた勘違い」としかいいようがない。
けれど、本人は本人の人生を生きている。その様子を見て私は感動した。
生きている限り「今」が最も新しい状態なのだけど、自分の中に「歴史」を
感じるということも大切だと思った。過去を振り返り、今と未来を測るモノサシになる。
人間はどうしても自分を他人と比べがちになるから、様々な比較が行われる。
だからTwitterで「成人式 マウント」で検索すると色んなものが見えてくる。
20歳は学歴や性体験でマウント、30代では所帯持ち、仕事経歴でマウント
40代になると性体験も所帯持ちも仕事があることもある程度「当たり前」(本当はそうじゃない)と
思われているから、いよいよ人間のマウント合戦は混迷を極めてくるのだと思う。
自分はもうすぐ30代に入り、今更気づいたモノサシの存在を意識して生きていきたい。
年収450万円の地方在住、アラサー既婚男性、妻も共働きで年収400万円、小梨。地方側(市内人口10万程度)として意見を言っておきたい。
地方にある普通の町からすればアラサー男性で正社員であれば350万円は低いと思う。
私の町は大手企業の工場が点在しているし、近隣もそんな状態なので、年収が高い傾向にある。現場系は夜勤、残業など手当が付きお金が得られやすいので、20代前半でも500万円近く稼げるケースもある。
余談だが、以前に知人の集まる場で県内平均年収の話をしていたら、現場系の20代半ばの子達が平均400万とか低くない?と言っていて非常に驚いたし、事務系安いなぁと悲しくなった。
地方は依然として、子供が育つまでは専業パターンが多い。だって、女性のキャリアとか何それ?的な考えは東京よりも強いからね。リモートワークも少ない。近年は大分改善されているが、10年前までは妊娠した女性は退社が当たり前だったし、産休取りたい女性を辞めさせたりするのもあったしね。
東京と比べ家賃自体は安いのだが、その代わりに1人1台、車が必要なケースが多い。維持費が年20万近くかかる。
使える。
月経カップなんて耳慣れないものに手を出そうとする処女、絶対に購入前に調べまくると思う。現に私がそうでした。そんな時にこのブログが参考になったり後押しになったりしたらいいなと思っています。そういう人しか読まないという前提なので月経カップについて懇切丁寧な話はしませんが、簡単に説明すると、生理中、膣に栓をして経血を溜めておくカップです。
……いやこれ、めちゃめちゃ怖いよね?
こわい。わかる。
私が月経カップを知ったのは、数年前にツイッターでフォローしている方がぽろっと「使ってみたけど結構良さそう」と呟いたからだった。すぐに好奇心でググったものの、その時は5秒で閉じた。いや、無理、怖い…処女だし…
ところがどっこい、そんなことを言っている間にアラサー処女はめでたく30歳を迎えてしまう──!
30年も生きていれば一応有り難いことに好意を寄せていただいたこともありました。しかし、私は残念なことになぜか異様なまでに自己肯定力が低く、好意を向けられた瞬間に「私でいいんだ、趣味悪…」と相手を気持ち悪く感じてしまう社会不適合者だったのです。あろうことか、片思いしていた相手にすらも手の平クルーッ!とドン引きしてしまい、その時、「詰んだな」と確信した。そんな調子なので生まれてこのかた彼氏もおらず、私はこのまま結婚しないし、できないし、多分向いてないんだろうなぁともはや悟りすら開いている。私はもう処女として清らかに死んでいくしかない……
そうか、処女で死ぬのかぁ、と思ったら「月経カップを使ってみるかな」と急に前向きになった。子供も産まないのに生理が続くなら、せめて朝起きて下着と布団が血で汚れている憂鬱くらいからは解放されたいし。月一確定でこんなに辛いのほんとに馬鹿馬鹿しいし。あとなんか、入れる器官に何も入れずに終わるのももったいないし(?)。
そんなこんなで月経カップ・メルーナのS(リングタイプ)を用意したのが9月。年を跨いで今は1月。今日やっと月経カップをきちんと装着することができました。いや、長かった…あまりにも…長い戦いだった…
ただ、めちゃめちゃ練習が要る。
9月は急に上手くいくとは思っていなかったので「徐々にかな…」とのんびり構えていた。10月も「惜しい気はするんだけどな…。また来月やってみよう」と割と前向きだった。11月は「処女だから入んないの?処女だと月経カップも使えない?クソが……」と悪態をつきながら半泣きになり始め、12月は「クソが…見てろよ…絶対使ってやるからな…処女でも月経カップが使えるところを見せてやる…」とキレながら体育会系思考になっていた。生理中だということを差し引いても情緒がやばい…
そして、1月。やっと。やっと……!
1日目の夜は風呂場で挑戦し、失敗。が、2日目の朝、トイレで挑戦したら無事にぬるーっと奥まで入っていきました。ははぁ〜〜…なるほど……???
入ってしまえば確かに違和感なし。もちろん立ち上がった時にどっとナプキンが濡れる感触もなく、寝っ転がるのも気兼ねなく、さ、最高…諦めなくて良かった…。そのまま1日ナプキンと併用して様子を見たら、余裕で1枚で済みました。夢見たようにカップだけに全てを委ねるのは無理かもしれないし、装着時にどうしても手は血まみれになるけど、それでも十分お釣りがくる快適さ。
でも、やっぱり練習は要る。
まずちゃんと入れられるまで私は5ヶ月掛かっています。5ヶ月。5ヶ月です。月数回しかチャンスが無いとはいってもなかなか……。なので、本当に気長にチャレンジしていいのだと思います。
そもそも「入れる」と一言で言っても、カップの折り方、体勢、膣の場所、押し込む方向etc…全部人により様々で、「これで絶対上手くいく!」という回答が無いのが難しいところ。自分でやりやすい方法を試行錯誤する必要があって、それが確立するまでは苦労すると思います。
一応参考までに、私は人差し指を巻き込むように三角折りをして、トイレに座って前屈みの姿勢で入れるのが一番上手くいきました。(その日5回程付け直しましたが、コツを掴んだのか割とするっといくようになりました)
ということで、「月経カップを使ってみたい、でも……」と尻込みする理由が「処女だから」なら練習でどうにかなりました。今入らなくても元気出して来月も頑張りましょ!やってみる価値ありだと私は思います。
それにしても、膣に物を入れたことがなくても「ここに入れるんだなぁ」ってわかるのめちゃめちゃ不思議だし、本当にそこに入っていくのも不思議…人体って面白いなぁ…
エンジニアって自分がミスをしても「自分は悪くない。ミスるような仕組みが悪い。どうリカバリして、再発防止策を作るのかが重要」って思ってないか?
確かにリカバリや再発防止策は重要で最優先すべきであると思うが、
ミスしても謝らないような態度だと社内外の協力者を失い、敵を増やすだけじゃないか。
口頭で謝ったりメールに数行加えるだけならば3秒でできる
(もちろん社外に公開する文書や再発防止策まで含んだ文書はもっと時間が掛かるが)のに、
なぜ頑なにそれをしないのだろうか。
それでいて「コミュ力(笑」と言って、人間関係を馬鹿にした態度を取る。
ずば抜けた技術力があってGAFAなどの名の通った企業でン千万円稼いでいるのならともかく、
一般企業である当社の普通の社員(アラサーで年収500万ぐらい)でもこんな感じなのは、
「エンジニア」といえば何でも許されると思っているような気がする。
オタクと言っても音楽やサブカル系でエロ美少女系じゃなさそうだし
男子校→理系大だから女が周りにいなかったってだけで女が周りにいるけど相手にされなかったという訳じゃなさそうだし
アラサーで年齢もちょうどいい
理由:独りが寂しいため
結果:1.5年で結婚
1.合コンに参加した
05年ごろから2chにどっぷり→タチの悪いニコ厨→普通のオタクという経歴。男子校から理系大に進んだので女性への免疫がゼロに近く、所属していた音楽サークルでも男ばかりで固まっていた。男ばかりだったのも原因か。2015年に社会に出て、同期と遊ぶ日々を送っていた。そろそろ彼女が欲しかったので、人数合わせで呼ばれた合コンに参加する。場所は新橋(何故?)のどこかの小洒落た店でご飯が美味しかった。自己紹介の時点でこの空間には向いていないと理解し、程々にやり過ごす。数人と連絡交換するも進展なし。会話に慣れていない人が合コンに行ったら終わってしまうことを理解した。
●学び
オタクは共通の趣味のない相手とのコミュニケーション能力が極めて低い
短期決戦を目標にとりあえず3ヶ月登録した。プロフィールで音楽やサブカルに興味があることを匂わせていれば、多少なりとも共通の話題のある人と出会えるはず。そう思いある程度趣味を前面に出したプロフィールを載せた。1週間で3人とマッチングしたため、最も気が合いそうな人と真剣にメッセージのやり取りをする。半月後に新宿で映画を見るデートをこなす。幸いメーカーの技術職である相手も音楽や映画に造詣が深く、上野やお茶の水(電気街が近いので)、吉祥寺あたりでデートを重ねた。
●学び
3.交際開始
2ヶ月ほど経ち、お試しで交際を始めることになった。時を同じくしてお互い敬語で話していたのをタメ口に変更するよう心がけた(これは結婚した今でも頑張ってる)。あまりにも居心地が良かったため、旅行を提案したところ快諾、ぴったり割り勘で出雲へ行った。夜行列車は思ったより楽しかった。その他いろいろな場所へ行き、昨年末に入籍した。
●学び
4.まとめ
所謂婚活に費やした金額はマッチングアプリの1万円と合コン代くらいか。見た目がそんなに良くないアラサーでも結婚できた。よかった。
・出版の裏側
チャンネルの性質上ピー音や伏せ字も沢山あるがそれでも十分面白い
漫画家やライトノベル作家志望の人間からも多くの質問が寄せられるが
「まずはネットで腕試ししてから送ってこい」というのが最近の定番の返しになっている
ゲストはいつも匿名形式での参加となっているためコメント欄では推理大会が開かれる
女装に関してズブの素人だった人間が徐々にレベルアップしていく様子を楽しめる
最初はただ単にユニクロなどで買ってきたものを着るだけだったが
わずか一年の間にガチで女性にしか見えないレベルにまで到達してしまう
建築家のスキルを生かしてLEGOで家を組み立てるというチャレンジをしている
ただ単にガワだけを再現するのではなく機能性の高い本格的な住宅を建築中
”Primitive Technology”を連想するという人がコメント欄にもちらほらいる
・巷のデバッガー
街なかを歩いているときに見かけた様々なものを紹介するという動画を上げているが
見たものをあたかも”現実のバグ”であるかのように紹介するというユニークな手法をとっている
加えて豊富なゲーム知識と絡めて説明することでよりいっそうのおかしみを漂わせている
コメント欄では「これがゲーム脳か……」というような文言が定番化している
海外ファンからは映画マトリックスになぞらえてモーフィアスとあだ名されている
・ミニヨンズ
金と暇を持て余したアラサー兄弟がひたすらミニ四駆の限界に挑み続けている
回を増すごとにヤバさがインフレしているところも懐かしの少年漫画っぽくていい
https://anond.hatelabo.jp/20190603045829
アラサーに片足を突っ込むまで1度も恋愛をしたことがなかった。
ラブコメの漫画なんかは日常的に摂取するものの、好きな対象はほとんどできないし、できても途中で「なんか違うのかも」と適当に退くまま四半世紀以上が経過していた。
性欲はゴリゴリにあるのでマッチングアプリで行きずりな関係になったり、酒の勢いで知り合いと曖昧な感じになったりは数回した。
2019年に人生で初めて告白をされた。相手は異性の友達の友達で、度々遊びに行っていたらある日好きだと言われた。
「趣味も共通しているしまあ折角の機会だから」とその話を受けてみて恋人がようやくできた。
なんとなく、断ることで相手が意気消沈することを見たくない、という思いも働いていたような気がする。なんと失礼な理由だろうか。
付き合いはじめたら、何も面白くなかった。
日々の連絡や週末のデートには全然感動がなく、たまに手を握るときに「まあ、他人の温度を感じるのはいいな」と思うぐらいだった。
まったく好きではない他者と、恋人を擬態するような後ろめたさから、ごく少数の友達以外にはその関係を打ち明けすらしなかった。
結局のところ、退屈さに嫌気が差して後ろめたさもしんどいので別れを告げた。相手はキョトンとしていた。
他にやりたいこともあったし、時間を優先的に割くことが難しかった。という付け焼き刃の理由。
恋愛は分からないし、たぶん向いていないし、別によく会う友人もいるし、予定は基本的に埋まるし、空白の日は自分に費やしたいし。
ただ、精神上は充実しているけど、身体的には物足りなさがあったから、冬にもう一度アプリを開始した。
地方に住んでいる人や自分とは文化圏の違う人、同じく身体的物足りなさを埋め合わせたい人など数名いたけど、どれも事後いいようのない断絶を感じて続かなかった。
この人は誰?としか思えなくなり、虚しいので適当なタイミングで連絡を控えるようになった。
もうこれで辞めにしよう、というタイミングで会った人がいた。
その人はまだ学生で、子どものようなところと達観したところを併せ持っていた。
なにか色々なものを四六時中制作しているらしく、そのエピソードも相まって退屈感はなかった。
相手はこれ以上ない幸せという面持ちで、二つ返事でOKと言ってくれた。
それから1ヶ月以上、今は退屈せず楽しくやりとりしている。時間が奪われているような感覚や退屈もない。
ようやく、後ろめたさのない関係を結ぶことができたかもしれない。恋はやっぱり分からない。
思えば、自己が否定されることから終始逃げていただけだ。家族以外には、あらかた恋人ができたことを打ち明けた。
家族には、気恥ずかしさと踏み込まれたくない感情から相変わらず打ち明けていないけど。
それを見て面倒な気持ちや、「あれ、こんなものか」という退屈を少し感じた。おそらく好きだとは思うけど、なんだか退屈で虚しい気持ちを抱きつつある。
10年ほど前、20歳そこそこのわたしは、まだ牧歌的な雰囲気だったTwitterで、趣味を通じてあるお姉様方と出会った。
ただ結婚していないだけならまだマシで、1人は虚言癖があり、1人は破滅的なほど酒を飲んで旦那を心配させ、1人はキレると手をつけられずに彼氏と別れ……と、すさまじく人に迷惑をかけていた。でもみんな明晰でキャラが濃く、そしてとても酒が好きな、一言で言えばとても酔狂な人たちだった。
その人たちとはトータル2年くらい仲良くしていたが、その中でも、群を抜いてわたしがときめいたアラフォーのお姉さまがいた。
彼女は結婚したまではいいものの、子供を望む夫と反りが合わずに離婚し、老猫とともにマンションに暮らしていた。
ペット可物件に住んでバリバリ働き、稼いだお金で浴びるほど酒を飲む姿をとてもカッコよく思っていた。
わたしは彼女に気に入られたかった。自分にはないものを彼女が持っているように思ったからだ。
ただ、わたしも大概のメンヘラだったので、お世辞にも「お行儀が良い子分」ではなかった。
今思うと彼女もわたしの姿を通じて過去の彼女を見てしまった節があったのではないか、なんて推測する。
ある日、もうきっかけは思い出せないが、わたしは彼女をTwitter上で烈火の如く怒らせた。
わたしの言葉の矛盾を冷静に指摘する理詰めスタイルに、私はほとほとやられてしまい、涙ながらにブロックした。
それ以降、私はその集まりに近寄らなくなった。彼女が溺愛していた老猫は亡くなった、と3年ほど前に人伝に聞いた。
10年後の今、30代になったわたしは一人暮らしをしながら東京で生きている。
紆余曲折を繰り返したが、お陰で都内で生きていける程度に給与をもらえるようになった。休日は、浴びるように酒を飲んだかと思うと気ままにウォーキングをしてみたり、お昼まで布団にくるまってみたり。誰にも邪魔されない、恵まれた環境だ。
彼女は当時すでにアラフォーだったから、まだ当時の彼女の年齢にもキャリアにも追いつけてはいない。
でも、たぶん今なら少しは彼女が戦っていたものの輪郭がわかる気がする。
いい年になって自分らしい生き方を捨てられず、それ故に友人や伴侶に恵まれないことに孤独を感じる。でも「正しい生き方、正しい方向」は間違い無くあるからそこに進んでいかなきゃいけない。結婚して、子供を作って、きちんと働いて稼ぐ、っていうロールモデル。
底知らぬ孤独をエンジンにして仕事して、酒の力でアクセルを踏み込む。だけど、そんな飲酒運転の車に乗ってくれる人生の伴侶はいないのだ。
いつ人生の飲酒運転をやめられるのか、わたしにもわからない。正しく生きるってとても難しくて、疲れるたびに飲んでしまう。
彼女はアラフォーにして離婚でハイウェイデビューし、「誰か止めてくれ」と叫びながら飲酒運転していた。
わたしも、もう、止まりたい。でも、止まれるかと思いきや放り出され、を繰り返すようになってきた。飲酒運転をやめるのか孤独を受け入れるのか。
無邪気にいられない今、わたしはあの当時アラフォーのお姉さまを思い出すのだ。
お姉さま、お元気でしょうか。わたしは元気にあなたの後を追うような人生を過ごしています。いつまでもあなたらしく、お元気で。
再投稿は甘え
(2020-01-03) アラサーおじさんが腐男子になるまで
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200103132312