10年ほど前、20歳そこそこのわたしは、まだ牧歌的な雰囲気だったTwitterで、趣味を通じてあるお姉様方と出会った。
ただ結婚していないだけならまだマシで、1人は虚言癖があり、1人は破滅的なほど酒を飲んで旦那を心配させ、1人はキレると手をつけられずに彼氏と別れ……と、すさまじく人に迷惑をかけていた。でもみんな明晰でキャラが濃く、そしてとても酒が好きな、一言で言えばとても酔狂な人たちだった。
その人たちとはトータル2年くらい仲良くしていたが、その中でも、群を抜いてわたしがときめいたアラフォーのお姉さまがいた。
彼女は結婚したまではいいものの、子供を望む夫と反りが合わずに離婚し、老猫とともにマンションに暮らしていた。
ペット可物件に住んでバリバリ働き、稼いだお金で浴びるほど酒を飲む姿をとてもカッコよく思っていた。
わたしは彼女に気に入られたかった。自分にはないものを彼女が持っているように思ったからだ。
ただ、わたしも大概のメンヘラだったので、お世辞にも「お行儀が良い子分」ではなかった。
今思うと彼女もわたしの姿を通じて過去の彼女を見てしまった節があったのではないか、なんて推測する。
ある日、もうきっかけは思い出せないが、わたしは彼女をTwitter上で烈火の如く怒らせた。
わたしの言葉の矛盾を冷静に指摘する理詰めスタイルに、私はほとほとやられてしまい、涙ながらにブロックした。
それ以降、私はその集まりに近寄らなくなった。彼女が溺愛していた老猫は亡くなった、と3年ほど前に人伝に聞いた。
10年後の今、30代になったわたしは一人暮らしをしながら東京で生きている。
紆余曲折を繰り返したが、お陰で都内で生きていける程度に給与をもらえるようになった。休日は、浴びるように酒を飲んだかと思うと気ままにウォーキングをしてみたり、お昼まで布団にくるまってみたり。誰にも邪魔されない、恵まれた環境だ。
彼女は当時すでにアラフォーだったから、まだ当時の彼女の年齢にもキャリアにも追いつけてはいない。
でも、たぶん今なら少しは彼女が戦っていたものの輪郭がわかる気がする。
いい年になって自分らしい生き方を捨てられず、それ故に友人や伴侶に恵まれないことに孤独を感じる。でも「正しい生き方、正しい方向」は間違い無くあるからそこに進んでいかなきゃいけない。結婚して、子供を作って、きちんと働いて稼ぐ、っていうロールモデル。
底知らぬ孤独をエンジンにして仕事して、酒の力でアクセルを踏み込む。だけど、そんな飲酒運転の車に乗ってくれる人生の伴侶はいないのだ。
いつ人生の飲酒運転をやめられるのか、わたしにもわからない。正しく生きるってとても難しくて、疲れるたびに飲んでしまう。
彼女はアラフォーにして離婚でハイウェイデビューし、「誰か止めてくれ」と叫びながら飲酒運転していた。
わたしも、もう、止まりたい。でも、止まれるかと思いきや放り出され、を繰り返すようになってきた。飲酒運転をやめるのか孤独を受け入れるのか。
無邪気にいられない今、わたしはあの当時アラフォーのお姉さまを思い出すのだ。
お姉さま、お元気でしょうか。わたしは元気にあなたの後を追うような人生を過ごしています。いつまでもあなたらしく、お元気で。
うんち
うんち速すぎやろ、ずっと待機しとんのけ?