はてなキーワード: 3次元とは
モヤモヤする話。
悪くはないしそれも作品の見方だと思うけどなんかモヤモヤする。
某事務所アイドルオタクはじめ沢山の3次元の見てきたしSNSで見てきた。
ただ某事務所オタクに多い「作品を通して推しの動きしか見てない」ように見える発言がモヤモヤする。
でもドラマの感想では「推しくんが繊細な表情で〜」「この役がハマり役で〜」「新しい表情が見れて〜」
私だって推しがいる人間そりゃ気持ちはわかる呟くのも大事。ただ作品自体の感想も見たい。私の単純なわがままだ。
特に原作が好きだったりすると推しを見るための道具にされてるような気がして。
実在する人間を使って、男女・男男・女女でカップリングを組む、あるいは自分自身(二次創作者)との架空の恋愛模様を妄想するものである。
それと同様のジャンルとして2.5次元二次創作(以下半ナマ)がある。こちらは実在する人間が演じた作品の登場人物を使ってカップリングを組んで妄想するものである。これも、登場人物同士だけじゃなく二次創作者とのもの(いわゆる夢)も含まれる。
これらは代々、「隠れるべき存在」であるという認識のもと密やかに続いてきた。
しかし近年、腐女子(男性もいるかと思うので、以下BL愛好者)が市民権を得てしまい、そこにLGBTの待遇是正問題が浮上してきたことと相まって、「ナマモノ・半ナマは何故隠れるべきなのか?」「隠れる必要はない」と豪語する輩が増えてきた。非常に良くない。
何故良くないか?
よくナマモノ・半ナマの秘匿性をLGBTへの差別だと言う者もいるが、同性愛が気持ち悪いから隠れるべきじゃないのだ。
これは人によって分かれると思うが、少なくとも増田は異性愛でも同性愛でも夢でもそれが実在の人物が関与する「架空の恋愛」なのだったら隠れるべきだと思っている。
ナマモノを嫌いな人が自衛すればいいんじゃないか?これも違う。
Twitter・Pixiv、BL特化型サイトのピクブラであっても、そこは私的な空間ではなく公共の場だ。姿が見えなくても同じページを共有する人間が確かにスクリーンの向こう側にいる。
そのような場で不快なパフォーマンスが突然行われたとする。近所迷惑レベルの騒音での演奏だとか、過度にグロテスク・エロチックな仮装とかと思ってくれていい。
それを公園の利用者が苦情を言ったり注意してもやめてくれないとしたら当然パフォーマーが非難されるだろう。公園の管理人が呼ばれたり、警察沙汰になってしまう可能性もあるし、Twitterで拡散されてアーティスト人生が終わるかも。
少し飛躍した例かもしれないが、「嫌いな人が自衛すればいい」はそれと同じことだ。
どんなに自由に開け放たれた空間であっても、そこには思いやるべき他者がいる。
アカウントに鍵をかけたり、パスワード制サイトにこもらない限り、私的空間というものはインターネットには存在しないのだ。
近年BL需要の高まりを見てBL的な絡みを積極的に行う「BL売り」が横行している。
そしてBL愛好者だけじゃなく「男性同士の友情」を好きな層も確実に存在している。つまり、男性と男性が絡むことに需要がある。
それが心根から行われていれば何も言えないのだが、残念ながら世の中には商魂たくましく自身の利益のためにBL売りをする芸能人がいる。
彼らは自らBL的な振る舞いをする。でも、だからと言ってナマモノ愛好者が隠れなくて良いわけではない。
そんな彼らにも当たり前に彼ら個人をちゃんと好きなファンがいて、そしてそのファンは彼の性的指向を同性愛者じゃないと思っているはずだ。
あるいは同性愛者だと公表しているにしても、共演者や相方、同グループのメンバーと恋愛関係にあるなんて思っていないはずだ。
もしそんなファンがナマモノ・半ナマを見てしまったらショックを受けるだろう。そしてその対象とされているキャラや芸能人に対して「あらぬ誤解を与えかねない表現をする人」というレッテルを貼ってしまうだろう。
「●っさんず●ブ」がおおっぴらに出られるのは、彼らの恋愛関係が作品内で認められた「公式」だからだ。
それ以外の作品や実在の人物については、作品内で結婚・パートナー等が明言されていない限り非公式のものである。
BLとばかり言っているが、これはもちろんGLでも男女CPでも同じである。そして、夢でも。
夢女子がよく言う「うちの彼氏」的な発言、普通に虚偽情報の流布だし誰もが見える場で自己満足行為に興じるようなものだ。
そういえば最近、「舞台俳優の発言をもとにした2次元キャラクターのBL妄想だからOK」「伏せ字を使っているから公の場で書いてOK」というものを見かけたが、もちろんこれもいけない。
ナマモノって何?半ナマの線引きわかんなぁいと言っている人に言いたいのだが、そこに一瞬でも「実在の人物」が介在した場合、それは「ナマ」である。
続いて後者についてだが、増田はつくづく不思議である。「なぜ伏せ字を使うのがBL愛好者だけだと思うのか?」と。
あまり大声で言えないが、いわゆる愚痴垢や壁打ち垢というものが存在する。内容は名前から推して知るべしなのだが、そのようなアカウントの界隈の人々は普通の検索ではヒットしないように伏せ字を使う。そう、ナマモノ・半ナマをオープンでやっている人々と同じように伏せ字を使うのである。
もちろんその方々が全てナマモノ・半ナマ愛好者なわけではない。むしろ、そうじゃない人の方が多い。
本来は愚痴垢なども隠れるべきだと増田は思うのだが、それを盾にナマモノ・半ナマ愛好者が隠れなくて良いと主張できることはない。どちらも須らく隠れるべきなのだ。
ここまで様々な隠れない派の定説を否定してきたが、増田個人で考える隠れるべき理由も一つ上げておこう。
非常にありきたりな理由ではあるが、それは「気持ち悪い」の一言に尽きる。
スレタイにもしているが、ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩は、痴漢とほぼ同値である。
痴漢は電車や道端などの公共空間で相手の快不快を考えず自らの性的欲求に従って行動する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「性欲があるから仕方ないのだ」「誘うような服を着ている方が悪い」と。
ナマモノ・半ナマをオープンで行う輩はTwitterやPixivといった公共空間で、その他のオタクの快不快を考えず自らの欲求に従って実在の人物を性的に消費する。そして、ときおりこんな言い訳をする。「萌えたから仕方ない」「嫌なら自衛しろ」と。
正直増田には、どちらも誰かを性的に消費することを正当化している同類に見える。
これが例えばセクシー女優・セクシー俳優であればある程度許されることもある。もちろん彼・彼女にも過度なセクハラを行うべきではないが、少なくとも「そうされても良い」としてくれている人々である。
「そうされても良い」としていない人に対して性的に消費するというのは、言ってしまえば侮辱行為である。
…とまぁ、ここまでナマモノ・半ナマにかなり厳しいことを述べてきたが、かく言う増田も実はナマモノに沈んで数年、BL愛好者としては10年選手である。気持ちは痛いほどわかるのだ。
痛いほどわかるから、土下座してでもお願いしたい。隠れてくれ、と。
BL売りに萌えてしまう気持ちも、それをされなくても飛躍した妄想で恋愛関係を勝手に考えてしまう気持ちもわかる。
でも、そういう我々の性癖を「気持ち悪い」と思う人がいる。確実にいる。
そういう人々を、我々の身勝手で傷つけて良いことはない。
そしてもし、「嫌なら自衛しろ」というスタンスを貫き通しておいて、最終的に傷つくのは我々なのである。
自衛を強要させられたナマモノ・半ナマを嫌う人々に、誰にも迷惑をかけないように、この気持ち悪い性的嗜好を共有できる仲間と人の目を盗むようにして逃げてきたサイトやアカウントを晒される。
もちろん、晒しのモチベーションは一概に怨恨目的だけではないと思うが、でもそういう人が多いのは事実である。
これは、避けられるはずである。
自分の幸せを追求するのは人間のあるべき姿だが、そのために他者の幸福をないがしろにすべきではないというのも人間のあるべき考え方だと思う。
こういう注意をすればなぜか「じゃあ〇〇はどうなんだ」などと言い出す輩もいるが、それはあなたが注意してくれれば良い。
私は、私とその仲間がひっそりと生きているテリトリーを侵されるのが許せないだけである。
ルールが多い・旧態然としている・息苦しい、肩が凝る界隈かもしれない。でも、マナーとルールを守れない人間に不寛容なのはどんな社会でも当たり前だ。
どうかどうか、我々と全てのオタクの幸せのために、オープンでナマモノ・半ナマをするのはやめてくれ。
あっちなみに、よく「公式は伏せ字なんかしらねぇよw」とか「伏せ字で検索するほど暇じゃねぇよw」とか言ってる人いますが、
公式は存外我々のことを「よく見ている」し、「知っていても利益になるなら黙認(あるいは単にスルー)してくれている」だけで、知らない公式の方が少ないと思います。
/を入れて伏せたつもりでいる人もいる(検索で引っかかります)し、伏せ字だって半角英字にすればいいみたいに考えている人もいますが、鍵垢じゃない限り、そのツイート・投稿は誰でも見れます。
そして「良い公式」ほど我々のことをじっくり観察している。「何がほしいか」「何が需要があるか」、考えている。考えてくれている。
そういう人たちに対して、不快感を与えるような言動をさらけ出しても良いと思えるなんて、正直コンテンツを享受する人間の態度としては最悪だと思っています。
たとえ露骨にそういう売り方(BL売り・夢媚び)をされたとしても、明言されない限りは「そう見える」の範疇です。
長々書いてきましたけど、言葉を選ばず端的に言うなら、マジキモいことやってる自覚持って、クソみてぇな公開オナニーしてんじゃねぇよって話です。はやく自分がキモいって気づいて!
読みやすいように少しだけ文章直させてもらったよ、あと、ブクマコメとかみて思ったこと以下に書いたよ。
まず、痴漢被害に苦しんでいる人の気持ちを考えずに〜っていう方、ごめんな。
そうして苦しむ人がいる痴漢と同じくらい不快でやってはいけないことだよって言いたかったんだけど、それで痴漢被害に苦しんでいる人らに不快な思いさせちゃダメだよな。本当にごめん。
それから、新幹線で匂うもの食うな的なルールの押し付けを感じるっていう例えを見て笑った。それも私の嫌いなやつだ。
「押し付けられている」と感じるかもしれないけれど、なぜそれが作られ、存在しているのかよく考えてみよう。「人様に迷惑をかけないため」ということもあるけど、「自分が平和に暮らすため」でもあるんだよ。
美味しいものを食べたいなら電車じゃなくテーブルに向かって食べた方が美味しくないか?それと同じで、迷惑をかけるリスクの低いところでやる方が安心して創作できないか?
そういうゾーニングの内側にわざわざ入ってきて晒したり「こういうものがあります!」と取り沙汰するナマモノ嫌いは、もうそれはお前が悪いとしか言えません。
ナマモノ自体が気持ち悪いのもわかっています。それをどう発散するか・発表するかという話です。
ナマモノも「性的に消費する」なの?という方もいると思うが、たとえ性的消費じゃなくても架空の人間関係をあたかもそうであるかのように流布することに正義はないよ。
性的な絡みがなければ良い・未成年だからダメ(成人ならOK)ではない。BL売りやGL売りをする人だとしても、彼らの私生活や演じた役に本来とは違う性質を付与していいわけじゃない。
それでも「そうだ」と主張したい気持ち悪い我々のような人間は隠れねばならないんですよ、という話。これは2次元にも言えることだけれど、今はより火急的な問題としてナマモノに限定しています。2次元のオタクも気をつけような。
最後に、女性芸能人界隈の痴漢行為を働いている人、須らく逮捕されるべきだわ。
でも今回話したいのは、本人への対応(=痴漢行為)うんぬんというよりは、本人の本来とは異なる性質を付与する行為(=ナマモノ創作)についてなんだ。
ナマモノ創作者でも本人に凸る輩がいるので本人への対応の話に及ばないわけじゃないが、より原理的な話をしているつもりである。
●まとめ
・ハマれなかった。なんで。アイドルファンの貴方、何がきっかけで何に魅力を感じてアイドルファンになりましたか。教えてください。お願いします。マジでお願いします。
●詳細
好きな人、次元問わず女性アイドル系コンテンツ(貴方が想像したもので合っていると思います)にハマっている。門外漢の自分が見た限りではかなりのガチ勢。
好きな人、常に同好の士を求めている。語り合える仲間、ホシイ、ワカル。私も灼熱カバディの話もっとしたい。新曲PVの感想、ガチャリザルト、メンバーの設定や関係性に関する考察等々がそうなんでしょうか。実際、好きな人が私にオススメしてくれた曲の感想を細かに伝えたり、第三者同好の士(後にガチ勢になったらしい)が新たに発生したりした時の好きな人はかなり喜んでいた。素敵だった。
私もそうなりたい!好きな人の好きなものを理解できれば好きな人のパーソナリティをより深く理解できそうだし、私がビギナー同好の士になったら好きな人は喜んでくれるかもだし、好きな人の話相手ランキング上昇しそうだし、アイドル(に限らず好きなもの全般)の話をしている好きな人めちゃめちゃ素敵だからその姿をいっぱい見せてもらいたい。あと理由無限!
でもハマれなかった。以下は言い訳です。叩き潰してください。
3次元アイドル:メンバーに興味が持てなかった。向こうからお出しされる「素」や「性格」をフィクションと割り切って消費できていないんだと思う。素直に生きろ。握手会とか行ったらまた違うんでしょうか。 あと楽曲も10回ぐらい聴くと飽きてしまう。特に大人数でユニゾンやられるとボーカルの個性とか無に等しく(感じられ)、自分の好きなバンドを聴く誘惑につい負けてしまう。ボカロカバーは結構好きです。
2次元アイドル:夢見りあむめちゃめちゃ面白かったけど好きな人は夢見りあむ嫌いだった。残念。他にもキャラは沢山いるので、その中の誰かにハマれたらいいなと考え、とりあえずシンデレラステージの漫画を読んでいます。あとゲーム性に面白みを見出せなかった。でもアイドルゲームにそれを求めるのは馬鹿げた勘違いだと思う。というかこの文章は全体的に間違っている。ところで音ゲーはマジで何も分からない。建前が軽く吹き飛ぶくらい苦痛。でも分かりたい。
コンテンツを自分の欲望のために利用しているのが現状です。醜悪。それならそれで開き直って、心が動かないままとにかく手を動かすべきとも思うんですが、それができない。
でも、これだけ多くの人が魅了されているコンテンツなのだし、きっと私が気づいていなかったり無意識に棄却してたりする魅力が必ずあると思うんです。でもどうしても自分一人ではそれを見出せなくて。助けてください。
ツイッターには才能溢れるオタクが溢れているなぁと思う、才能といっても私が言いたいのは、クオリティの高い絵や音楽などの創作物を作り上げる才能のことではなく、“オタクとしての人生を歩む”才能のことだ。
今から5年前、バイト禁止で、宿題がたくさん出る私立高校に通っていた私。当然、勉強は忙しいし、バイトもできないからお金もない、そんな私の日々の唯一の楽しみは、本屋さんで売ってる商業BL本をお小遣いで買って家でこっそり読んだり、録画してる深夜アニメを観ることやニコニコ動画でボーカロイドの楽曲を聴くことだった。
ちょうどその頃に、ツイッターとpixivを始めた私、これらのコンテンツで興味本位で同じ趣味を持つ人を探すと、そこには、同じキャラのグッズをめちゃくちゃたくさん集めて痛バッグを作ってたり、円盤を全巻3枚ずつ買って周りのオタクに布教してたり、自身で2次創作の同人誌を作って友達の輪を広げたり、推しの妄想や推しへの想いを毎日大量に呟いてたり、そんなオタクのお姉さんたちが大量にいて、「大人のオタクってすごいな」「私も大人になったら、こんな風に全財産つぎ込むくらい本気でオタクをするんだ…!」と思ったものである。
そんなこんなでオタクデビューした私は、高校1〜2年生の間は、勉強の合間に、アニメやpixivを見て、ボカロ曲を聴いて、クラスのオタク友達とそれについて語り合って、親に内緒でこっそり刀○乱舞に課金して、デッサン人形を買って夜中に一人でイラストの練習をしたりしていた。
たまに親から交遊費をもらって池袋に友達と同人誌を買いにいったり、早朝のりんかい線に乗ってはじめて即売会に行ったりとそれなりに楽しくオタクライフを過ごしていたと思う。
しかし同時に、「オタク活動にたくさんのお金や時間などのリソースを払える人=作品への愛や想いが深い人」という考えをしていた当時の私は、自分のオタク活動に物足りなさも感じており、「お金かけられないから、私は真のオタクにはまだまだ遠いな、そんなにこの作品のこと好きじゃないな」と変なことを考えてしまってもいた。よくよく考えれば、本当に好きなら、グッズや円盤が買えないくらいで作品への愛が変わる時点でおかしいのだが。
このときには、深夜アニメにもBLにもボカロにも飽きかけていた私、オタクであることをアイデンティティだと感じていた私は、次にハマれるものを必死に探していた。
そんな時、私はとある2.5次元ものの作品を見つける、作品名はぼかすため詳細は省くが、ソシャゲや3次元のキャストの公演、アニメなど多くのコンテンツを展開していたプロジェクトで、これから2.5次元系が流行ると言われている時期に合わせてデビューしたジャンルだった。私はこの作品に目をつけ、「よし、私は大学生になったらこの作品のオタクになってバイト代で円盤を買ったり、イベントに行ったりするんだ!」と意気込んだ。
大学生になり、月に5万ほどバイト代を稼げるようになった私は、サークルの友人との付き合い以外のお金はほとんど“オタク活動代”に回した。
円盤を買い、ソシャゲに課金をし、イベントに参加し、グッズを買った。
これで、私も真のオタクになれたと思った、でも、結局私は作品を愛しきれなかった。
買った円盤は一回観てそのあとはずっと引き出しにしまいっぱなしで特に見返したいとかは思わなかった。
ソシャゲの課金はなんだか、悪いことをしてるみたいな気持ちになって、1回1万円課金したら、もうするのはやめた。
イベントは楽しかったが、感極まって大泣きしてる友人ほど感動はしなかった。
グッズは買って後日、家で開けながら、「なんでわざわざたんなるキーホルダーを1000円で買ったんだろう」と冷静になった。
それと同時に、私は別のものに興味の対象が写っていることを感じた、服やコスメ、海外ドラマ、洋楽だ。これらのものは自分がたとえ実物を買えずに店頭で見てるだけだったり、円盤をTSUTAYAで借りてきて観たり聴いてるだけだったりとそんなにお金をかけてはいなかったが、そんなことは関係なく心の底から好きだと感じられた。
そうこうしているうちに、私がオタクをしていた作品のプロジェクト終了が発表された。飽和化した2.5次元ジャンルの中で、パッとしない存在だったその作品は多様な展開をしていたにも関わらず、いともあっさり全てのコンテンツが終了した。
そして今、コンテンツ終了に伴いオタクをやめた私は、少し高めの美容院で髪を切ってもらったり、ファッションビルに入ってるセレクトショップで奮発してちょっといい服を買ったり、友達とランチに2000円使って美味しい小籠包をたべたり、Spotifyで流行りの洋楽を聞いたり、Huluで海外ドラマを見たりしながら毎日を過ごしている。
大学では知り合いから「垢抜けたよね」と言われることが多くなり、SpotifyやHuluに登録したことで国を超えて多くの良質な芸術作品を楽しむことができるようにもなった。アニメ以外にもこんなに面白い映像作品がたくさんあるんだと感動した。好きなものに必要以上のお金をかけなくても、何も気にせずに、好きなものを楽しめるようになり、心は満ち満ちている。
今、改めて自分の志向について考えてみると、私は単純にシナリオが面白いものが好きだし、あんまりキャラクターに思い入れを持たないタイプで、そもそもオタク向きの性格ではなかったのかもしれない。
しかし、一つのジャンルを全身全霊で好きになってる“才能のあるオタク”をみると、話題作のドラマや流行りの服をなんとなく見たり買ったりとあっさりとした消費を続けている私は、時々彼らが羨ましくもなるのだ。
そんなに巷で大きい胸のキャラなんてホイホイ目にする機会あったかなー?ってもう1回読み直したら
CM(アプリ、ゲーム、アニメ)は確かに、普段そういうキャラクターを常々目にしてる私から見ても露骨なものが多いかも。
でもそういう大きい胸のキャラを子供が見ることで、与える悪影響ってのが私には具体的に分からないけど、
親御さんが子供に見せたくないという気持ちは想像できるので、せめて放送するべき時間帯は考えて欲しいかもね。
あと「女性キャラは胸が大きくあるべき」っていう社会の流れ……あるかな?
確かに女性キャラって、胸の大きいキャラの方が人気が出やすい傾向はあるし、需要があるのも胸が大きいキャラ。
そうであるなら、ゲームやアニメ等で女性キャラを製作するにおいて、需要が確実に見込める胸が大きいキャラを増やすのって当然の流れだと思う。
需要の見込めるキャラを供給しないと、言ってしまえばお金にならない訳だし。
だから、胸が大きいキャラが多いのも「社会のそうであるべきという流れ」みたいな大それたものじゃなくて、
単なるオタクに対する需要の問題だから、そう大事に捕えなくてと良いと思うよ。
本当に純粋に理解できない。どうして皆そんなにセックスを大事なものとして見てるの?????
『男の子は女の子を、女の子は男の子をすきになる』ということを皆が当たり前のように共有しているのが不思議だった。
これは私がLGBだから………とかそういう話ではない。LGBの概念も同様に不思議に感じていた。
私にとっての『好きになる相手』というのは、『趣味と思考が一致して、お互いのことを大事に思える相手』である。それだけだ。そこに性別は関係ない。見た目も関係ない。そりゃあまりにも不潔な外見とかはご遠慮したいが、イケメン/美女じゃないとやだ、とかは全然思わない。
つまり、人は『心』で好きになるものなのに、どうして『体』の方を皆気にしているのか、それが本当に不思議だった。
皆どうして男は女、女は男を好きになるものだと思うのか。何故逆では駄目なのか。その理由はおそらく『セックスができないから』だ。性的魅力を同性には感じられないからだ。
LGBの概念も問題にしているのは『性的魅力を感じる対象の性別』で、ここでも性的魅力は当たり前のように前提条件として登場する。
皆そんな本能みたいな感覚で相手を好きになってるの???理性を持った人間なのに????
性的魅力ってなに………?なんなんだ……?
私は女だ。性欲は普通にある。溜まったら1人で適当に自慰をする。
でもそのおかずに生身の、3次元の人間を使ったことは今まで1度もないし、見ても全然興奮できない。男の裸でも女の裸でも一緒だ。キスしたいな、とか挿れられたいな、とか全然思わない。一回考えてみたけど別に挿れたいな、とも思わなかった。
私以外の世の人間は性的魅力を当たり前に感じて生きているんだろうか。
友達は当たり前のように彼氏が欲しいと言っているし、両親も祖父母も当たり前のようにお前が結婚して子どもを産むのが楽しみだ、と言っている。
おかしい………ディストピアだ……周りからしたらおかしいのは私の方なんだろうな でも私は正気なんだ………………
恋人、欲しいけど、ネットで調べる限り世の恋愛関係の人間は皆性的魅力云々のために努力し、セックスを楽しみ、色々やるそうなので、とても私には無理な話だ。
ノンセクシャルとかアセクシャルとかの人々のための友情結婚相談とかいうサイトも出てきた。これは興味があるけど、両親に説明することを考えると本当に気が重い。頭痛くなってきた。
本当に皆そんなにセックスが好きなの?皆で口裏を合わせてセックスを広めてやろう洗脳してやろうとかいう運動だったりしない?ほんとに?嘘だぁ……………嘘だろ………………………
KING OF PRISMのプリズムスタァ候補生改めセプテントリオンさんのシングルが発売されました。しかしながら2番のパート分けでまあ諸々あり、発売元のエイ〇ックスに問い合わせた方々もいて、公式な見解も出されているんだけどさ。正直この件で文句言ってる人は「歌って踊るグループに所属している2次元の推し」を応援することそのものが向いてないと思うよ。自分はもともと3次元の男子アイドルのオタクもかねてるんだけど、グループ推してたら歌割りのパートの差なんかあるのが当たり前だよ。ファンの中で名曲扱いされてる曲に私の3次元の推しのソロパートはハモリの部分だけってこともあったし。それでも公式に問い合わせる人なんかいなかったよ、ファン同士で文句は言ったけどね。だからパート分けがどうこうで発売元に問い合わせるってこと自体にドン引きしたわ。そしてちゃんとした見解がかえってきてることは奇跡に近いんだよ。それだけでも充分ありがたいと思ったほうがいいし普通はかえってこないからね。あと問い合わせがあることを運営側にも予測されてたってことなのかもしれないよ。とにかくこの件で文句言ってる人たちは一度3次元のグループを組んで歌ったりしている人たちの円盤を見てみるといいよ。おすすめはHey!Say!JUMPと関ジャニ∞(できれば7人いるときのもの)かな。歌割りの差、歓声の差があるのが当たり前ってのよくわかりますよ。
https://arxiv.org/abs/1907.09725
8個こ気象データ変数(気温、降水量、、、Table.1に書いてある)を入手している。
最大3変数を選択し、RGBにそれぞれの変数の値を入れ、画像に変換。
画像をCNNに食わせて学習している。気温・降水量の変化を5種類に分類。
気象データの増減は、他の変数と強く相関しているはずなので、8変数も考慮に入れる理由がわからない。
画像データにする理由もよくわからない。数値データを直接CNNに入れたほうがいいのではないだろうか?
decadal teleconnection patterns(10年単位での気象の相関)を知りたいということだが、これを知ることに意味はあるのか?
目的と意義が書かれていない。
5行目、何がHoweverなのだろう。まえでは、CNNで何ができているのかを言っている。次の行ではそのデータの扱いについて語っている(Howeverを使うべき?)。
各行で何を主張しようとしているのかがよくわからないので、全体としてこの段落の機能がよくわからない。
VARENNつまり、2次元データを学習機に投げることは、CNNを使う際には普通のことなので主張すべきではない。
8 climatic variablesは具体的になに?
classify decadal interaction patterns of climatic variablesこれはよくわからない。画像データを分類することが目的?なにがしたいの?
temperature(温度)、precipitation(降水量)のrises,fallsを判別したい。Introductionにかくべきでは?
8 spatiotemporal climatic variables はなんの変数?Tableに書くだけではなく、本文に書くべきだろう。
climatic variablesを0-1の値にした方法は?割り算?
1段目で言っている上下の分類ではなく新たな分類基準が出現する。
T1についてここで言い換えておく。
T1は、学習データ30年間での平均値mu30,後10年の正解データでの平均値mu10
mu10-mu30が5よりおおきい、10年後の気温が5度上昇している。
To quantify the similarity among variables, we calculated the Euclidean distances from each target variable to the input variable.
よくわからない。
we examine the effects of the relationships among the variables that were assigned to R, G, and B to the model performance.
どういうこと?
よんでない
よくわからない
よくわからない。
どういう意味だろうか?
提案手法で、RGBに変数を入れ込んだことが斬新だと主張しているが、
これを数値データだけにしてCNNに読み込ませた場合はどうなるのか?
同程度の精度を出すのか?
本提案では、2次元の配列データを画像にしてCNNに読ませている。
statistical methods including AI はよくわからない。何が言いたいのだろう
気象パターンを分類することに成功したとは言い難い。せいぜい複値分類とかなにか他に良い言い方があるはず。
We selected以下時間windowについての説明かと思われるが、何を言いたいのかよくわからない。
By comparing以下 意味不明。物理simulationと統計モデルを比較することで、accuracyとprecisionを比較できる。なぜ?
Objective以下
よくわからない。
We believe以下
とても好きだったし、今もこれを泣きながら書いている。
フェイクをところどころに入れている。
もし、違和感が生じても流してほしい。
私の推しはバンドマンだった。天才だ、死ぬほど才能がある。でも、あんまり売れてるとは言えなかった。動員はそこそこだった。
けど、楽しそうにライブをしていた。バンドメンバーも客もみんな楽しそうだった。大好きになった。
バンド界隈では推しという言葉は、場所によっては嫌われるかもしれない。そこは目をつぶってほしい。
私は、オタク的に推していて、それでいてガチ恋だった。厄介扱いされたこともある。
私はオタク的に言えば、いわゆるTO的な存在だったらしい。常連、というには完全に全通はしていないし他の常連?さんと連絡とかもとってないので常連ではないらしい。通いだ。
私の行っているバンドは個人交渉だった。私は、とにかく前で推しを見たかった。とにかく誰よりも早くチケットを取った。早い番号が取れるように、何度も練習した。抽選ならチケットをとって、悪ければいい番号の譲りを探したりした。余らせることはしたくなかったから、友達に頼み込んで来てもらったりもした。絶対に誰にも負けたくなかった。そんなに動員はいなかったし、最前に入りたがる人ばかりではなかったので、この5年間、ほぼずっと最前で推しをみた。この5年間、後ろで見たのは両手で数えるほどだと思う。
1番私が近くにいた。最前は遮るものがなくて、推しが1番近くて、快適だった。
私は5年間で、ガチ恋を拗らせていった。
推しも優しかった。むしろ、こんなにガチ恋のほぼほぼ最前に固執していた女に、よくそんなに優しくできるな、と思うほどだった。私にとって推しは菩薩だった。
そして、周りも優しかった。いい歳こいてガチ恋とかやめなさいという人はいなかった。とりあえず見守ってくれていた。何だこの現場、徳が高い。
あるとき、私は思い上がったのだろう。自分の意に沿わない、という理由で、推しに喧嘩をふっかけてしまい、喧嘩をしたことがある。そのときも最前で険悪な顔で見た。メンバーの気を使う空気感。すごかった。当然、怒られた。自分の行動を改めろと言われた。とにかく自分が悪いと思った。謝った。このバンドが好きだった。通いたかった。水に流れたように感じたが、それから推しは、少し私と距離を置いたように感じた。
けれど、現場に通えば笑顔で迎えてくれた。謝罪した翌日は、私の贈った差し入れを身につけてくれた。嬉しかった。やっぱり大好きだ、と思った。
それからもずっと通った。とにかく何度も小汚い箱に足を運んだ。九州にも北海道にも北陸にも東北にも四国にももうどこにでも行った。地元に来てくれたら、どんなにライブに通っていても嬉しかった。大好きだと、嬉しいと伝えた。
ライブハウスに行けば、推しに会えた。生きようと思った。推しに会いたいから、今日も生きよう!って思った。気が乗らない日も、バイト頑張って推しに会おう!って思った。推しが大好きだった。月に数日、推しに会える。それだけで最高だった。私の人生は薔薇色だった。
推しは、才能があったから、少しずつ少しずつファンが増えていった。それでも、私も前で見るために頑張った。
時間があうのならば、なるべく欠かさずチェキを撮った。推しと撮るチェキは私の宝物だった。毎日毎日眺めた。そのときに推しとした会話は、ツイッターにしたためた。忘れてしまっても思い出せるように。
ごくたまに返ってくるリプなんかはスクショして保存していた。何年も前のだって何度も見返した。
心の距離が近づいた気がした。きっと私の勝手な、勘違いだったんだけど、そう思っていた。
数年前に、噂を聞いた。
推しに彼女がいる、という話だ。しかも、個人の名前まで出ている状態だった。
私は、聞きたくなかった。なんといっても私は天下のガチ恋様である。その日はとにかくライブ終わりだというのに、最悪の気分で怒って帰った。
そのことは忘れた。都合の悪いことは忘れる主義だ。
私は怖かった。私はガチ恋だ。けれども、バンドが好きだった。推しがいる、というのは大前提としても、バンドメンバーもバンドも大好きだった。
怖くなった。彼女がいるのか確かめて、通いづらくなるのが嫌だった。ガチ恋なのは伝わっていたと思うが、そういう目で見てるのかと落胆されたくなかった。そして、自分の中でも答え合わせをするのが怖かった。何も聞かなかった。
推しが好きだったけど、バンドを本気で応援していた。これだけは揺るぎなかった。
私は夢を見ていたかったんだと思う。
ずっと醒めないと思っていた、2人ずっとこのまま、推しは音楽と心中し、私はそれをずっとずっと見守るはずだった。何もアクションを起こすつもりはなかった。ずっと夢を見て、ずっとこのままでいたかった。
でも、そうはいかなかった。
そして人伝にそれを聞くこととなる。最初は信じられなかった。冗談だと思った。笑い飛ばした。
でもいろんなパーツを組み合わせて、確信を持ってしまった。関係者から、言いづらいけど、と本当のことを教えてもらった。
答え合わせが終わった後は、笑えなかった。
涙も不思議と出なかった。
私は心のどこかでわかっていたのかもしれない。
私は、考えて考えて、推しに、おめでとうございます、とDMを送った。
そして、ちゃんと推しの口から聞きたかったということも。大好きだということも。
言えなくてごめんなさい、
いつも好きでいてくれることは嬉しい
という内容だった。
そこで、やっと涙が出た。
もちろん、私には言わなくてもいい事なのだと思う。私はただの一客でしかない。でも、そのくらいのことは当然言ってくれると思っていた。ガチ恋だから言いづらいのもわかる。けれど、私はもし言われていたら、そんなことで嫌いになると思う?と聞きたかった。
そして、嬉しくて、悲しいことを聞いた。推しは、私の耳に入ったときの私のことをずっと心配していた。気を使っていた。ということだった。
どうりで、最近チェキの時に表情が硬い気がしていた。会話も、あんまりしたくなさそうだった。他の人には、そうは見えなかった。
私が何か悪いことをしたのかな嫌われたのかなと心配していた。推しに迷惑なら上るべきか、でもバンドが好きだしと思っていた。
でも、ライブ中はレスをくれているようにも感じたし、やはり疲れているのか、と思っていた。
合点がいった。推しは素直な人だ。多分、悟られないように無意識に私を避けていたんだと思う。
これから先、きっとバンドが嫌いになることもないし、大好きだからバンドを応援していくと思う。でも、推しをどんな形で愛し応援したらいいのかは答えが出ていない。私は、所詮こんな事で折れてしまう弱いガチ恋だったのか、と思う。もっと強いと思っていた。笑い飛ばしたかった。
私が目の前にいたら気まずくないだろうか。とも思うし、差し入れや手紙も迷惑だろう、と思う。
どうするべきか答えは出てないけれど、これから先もずっと好きで憧れである、と思うのだ。
私の個人的な主観であり、推しの気持ちは全くもってわからない。すべて私の妄想なのかもしれないし、傷つかないようにそう都合よく周りが伝えているのかもしれない。
根本がオタクなのだ。推しが幸せでなければ、私は幸せになれない。
推しが最初に会ったときから変わらず、楽しそうにライブがこれからもできるのなら、私はそれでいいのかもしれないし、良くないのかもしれない。事実を知ってから、次のライブまで二週間はある。遠い。