はてなキーワード: 親友とは
時間は止まらない。ハレルヤ・チャンスは来なかった。一度だけスポットライトを眩しく感じて、もしかして、と、一縷の希望を抱いてみたりしたけれど、キザなシルクハットの初老の妖精が私の前に現れることも、テーブルの芽キャベツを摘んで飲み込み、私の過ちを揶揄することも、「後悔しているか」、と問われてどうしようもなく狼狽える瞬間も、ついに空想のままで終わった。当たり前だ。
彼女は数少ない私の貴重な友達の内の一人だった。そしてそんな私とは反対に、彼女にはたくさんの友達がいた。学生時代というのはこの世で最も尊く煌めいて、同時に最も残酷な数年である。特に女の人生にとって。
女の子は可愛ければ自然に友達ができる。綺麗な女は同性の好意さえ簡単に集める。綺麗でなくては、女の子の特別にはなれないのだ。というのは、私が散々惨めな高校生活を経て脳裏に刻み込んだ偏屈極まる私見である。器量が悪くても幸せな女など無限に存在していることに薄々いや割合はっきり勘付きながら、私はなんとブスであることに諦めがつかないとんと哀れなブスだった。要するに学校で一番痛ましい存在である。悲劇はブスに生まれた所からではなく私だって美人になりたいと望み始めたところから始まる。一軍になりたい二軍、美人になりたいブス、男にモテたい喪女、目立ちたい陰キャ…………。
そんな救いようのない私の目前に彼女はまるで天使のごとく現れた。今で言う「たぬき顔」みたいな甘たれた顔立ちで、柔らかく日焼けしたセミロングの髪を緩やかに編んで両耳の下から下げ、私より背が高かった。本当にかわいい子だと思った。入学と同時にバスケ部に入部し、放課後はいつも臙脂色のハーフパンツを履いていた。
私の何を気に入ったのか知らないが、彼女は私に本当に良くしてくれた。二人で写真を撮ってくれたし、連絡もマメに取り合った。ビタミンカラーのペンケースは色違いでお揃いだった。勉強で多数の上に立つことにしか一生懸命になれない私だったが、彼女に誘われればテスト前だろうと遊びに出かけた。
当時の私は所謂一軍グループに属することしか考えていなかった。そしてその野望は結論から言えば5割方は達成されていた。要するに、キラキラグループには入れたが当然自分自身がキラキラにはなれず、なぜか一軍にいるぱっとしない子、という塩梅にそれでも自分の立ち位置にそれこそしがみつくようにして生きていた。自分自身の最も忌むべき点は、身の程知らずに一軍になりたいと望んだことより、そこにいる友人たちをステータスとしか捉えていなかったことにある。
7人グループは8年の時を経て解体し、彼女の式に呼ばれたのは私を入れて3人だった。
何人かで約束した日は良かった。でも二人きりの日は不安だった。なんのために私と二人で会い、何を求められているのかまったく不明だったからだ。私にとって、彼女がかわいいというだけで彼女を好く理由は有り余るほどにあった。だからその逆が本当にわからなかった。けれど、顔を見れば不安は消えた。彼女はいつも本当に楽しそうに笑う。
好きな人がいるの、と、仲良くなってすぐ彼女は私に打ち明けた。あいつに可愛いって思ってもらえたら、他の誰に思われなくても構わない。校外学習に行くバスの中でひっそりと告げられた声の温度も、一緒に口ずさんだ阿部真央の曲も、午後3時半頃のあつい夕日も全部はっきり憶えている。
私も気になる人がいる、と、口から出まかせのように呟いた。そうしないと彼女がどこかに行ってしまう気がした。彼女に好きな人がいたから、私にも男の子が必要だった。彼女と恋話をするために必要だった。クラスメイトを脳内で全員スキャンして一人の名字を口にした。彼女のくりくりしたタレ目がおおきく見開いて、絶対いいよ、とひどく嬉しそうに笑った。
咄嗟に名前を上げた男の子のホームベースのような顔の形がバスの前の方に見えていた。彼女の「絶対いいよ」、を聞いて、私もなんか、そんな気になった。
同じ教室で過ごしたのはたった一年のことだったが、その後の文理選択で教室棟ごとクラスが離れたあとも、彼女と私の友人関係は変わらず続いた。休みの日には二人でカラオケに行ったし、相変わらず毎日のようにラインも続けた。何でも話せるふたりだった。けれども、いつまでたっても彼氏ができない私に気を遣ってか、いつしか恋愛の話だけはしなくなった。
高校3年生の頃、私が隣町から通っていたその市で一番のお祭りに一緒に行こうと誘われた。テレビ取材もくる大きなお祭りで、5月の連休という時期的条件もあり、受験の年を迎えた同級生たちが最後の楽しみにと、こぞって一番の関心を寄せるお祭りだった。その高校生にとって特別な1日に、彼女はどうしてか私を選んだ。彼氏でも気になる人でも他の多くの華やかな友人たちでもなく、私を。やはり意味がわからなかった。
彼女がお揃いにしようと言ったから、一緒に服を買いにいった。その頃の私は醜形コンプのまさにピークにいて、服屋の商品に触れるときすら手が震えた。それでも、明るい彼女に悟られたくなくて我慢してひょうきんに振る舞った。
当日のことはよく覚えていない。彼女が知り合いとすれ違って挨拶するたび居た堪れない気持ちになっていた気がする。その日もやはり最後まで、彼女がどうして私なんかといたかったのか、ほんの少しもわからなかった。ただ、群衆を避け、駅前の寂れかけのイオンの屋上で見た小さな花火だけはなんとなく覚えている。幼い日の名残りか、彼女はいつまでもその建物をダイエーと呼んでいた。いつ行っても盛れないプリクラ機のある小さなショッピングモールだった。
いいのか、と問うと、いいのだと答えた。疲れたからいいよと。彼女にとっては、十数年住んだ街での最後の祭りだった。それなのに、小さな花火でいいと言った。暗がりの中の少し眺めの顎先まで好きだった。
長く続いた私達の友情がぷつりと途切れたのは大学に入学してすぐのことだった。互いに遠く地元を離れたあとも私達はまめに連絡を取り合っていたと思う。夏休みに私が彼女の家まで行き、二人で遊園地に行った。例のごとくおそろいのワンピースを着て、髪を染めてまた綺麗になった彼女はとても目立っていて、キャストによく声をかけられた。それっきりだった。
その後私は整形をし、地元に顔を出さなくなった。加えて、正しくいなくても済む大学での人間関係に夢中だった。何より、また性懲りもなくその内の一人のことをしごく特別に感じていた。その子もまた、私には釣り合わないくらい可愛い子だった。
たまにインスタで見る彼女はやはりあの本当に楽しそうな顔で笑っていた。気がつけば同じ高校の別の友人とおそろいの服を着て旅行していることもあった。もしかしたらそこにいたのは私だったかもしれない。そういう写真を見るとき、私はいつもそういうことを未練がましく考えた。自分から手を離しておいて全く自分本意な話である。けれども横に写っているのは私達の高校で一番かわいかった女の子で、その方がずっと彼女に釣り合っている気がした。
彼女から招待状が届いたのは、それから数年後、すっかり社会に出て2年が経つ頃だった。
式は、まったく素晴らしいものだった。
私のイメージにあるステレオタイプな挙式とは全く違って、カジュアルで、愛に溢れ、来てくれるすべての人に楽しんでもらおうという新郎新婦の人柄がこれでもかというくらい詰め込まれた温かな数時間だった。遊び心とホスピタリティに溢れ、ほんのひと時も漏らさず楽しめる、本当にいい式だった、と、思う。円卓に集められた同じ高校の友人たちは皆美しく、ドレスの中で綺麗だった。
数名の友人代表が立ち上がり、彼女のために手紙を読んだ。どの子もとても綺麗で、どの子も同じように泣いていた。泣いていたのだ。チャペルのドアが開いた瞬間、披露宴に現れた瞬間、新郎が亡き父親に手紙を読む瞬間に、その場にいる大勢が泣いていた。
ついに私は親友にもなれず、それでもなぜかここに呼ばれて、のこのこ顔を出しては無理に笑って突っ立っていた。
ありえないほど似合わないドレスに妙な頭に、他の友人達とはとてもじゃないが釣り合わない不器量な面構えで、たった一度も笑顔で手を振る花嫁の目を見れないまま。
久しぶりに会いたくて、と、彼女は電子招待状と一緒に添えてきた。思い切って招待状を送ったのだと、だから、こ断ってくれても構わないのだよ、と。
そういうところが好きだった、私の臆病も偏屈も一息に飛び越えてなんでもないような顔で笑うあなたの、正しいところが好きだった。数年言葉をかわさない友人を、同窓会もキャンセルするような私を、逢いたいと言う一言で誘ってくれるような貴方のその身軽さが、屈託のなさが、あなたのことが好きだった。
"嬉しいときは私より喜んで、悲しいときは自分の事のように泣いてくれる"
知っている、と思った。
知っている、そんなこと。だから好きになったのだ。そういうあなただから、私はあなたを好きになった。
もしも私が男だったら、と、百万回近く考えた。もしも私が男なら、私はあなたと付き合いたい。
本当は違った。本当は、女のままでも、私のままで、私はあなたと添い遂げたかった。真っ白なドレスを着たあなたの、あなたの立っているのは私が良かった。スポットライトの当たるソファに私と一緒に腰掛けて、私の物語に泣いて欲しかった。
名前の知らないたくさんの参列者が、かつて同じ制服を着ていた友人達が、あなたの幸せを願って涙する中でたった一人わたしが、私だけが、私のためだけに泣いていた。あなたのことが好きだった。たった一つ、その気持ちだけで泣いていた。ピンクグレーのカクテルドレスに身を包んで笑う、彼女は世界一綺麗だった。
性格の悪い私は、あわよくばこれを読んでくれないだろうかとさえ思っている。ほんの小さな爪痕でも残せたら。
それでも、正しい彼女ははてぶなんて見ない。だからこのまま私の恋はここでゆっくり死んでいく。
ご祝儀袋に手紙を入れた。マナー違反かもしれないが、知るかと思ってぶち込んだ。「あなたのことが大好きだった」「今も、そしてこれからも」
大好きだよ、愛してるよ。
高校時代、彼女はよくハグをしながらそう言った。大好きだよ、愛してるよ。
何でもないことのように付け加えた、大好きの意味はきっと伝わらない。それでも、私はあなたが好きだった。今も変わらず、好きだった。
お子さんも小さい中、日々の生活を回したり奥さんの対応をしたり、大変でしたね。
このままの状態が続くと、家庭運営の負担があなた一人の肩にずっとかかってくるのかもしれないと、不安もあるでしょう。
ですが、あなたの文章を読む限り、おそらく最も大事な観点が抜けてしまっています。
(妻に)泣かれて(俺が)たまらん
(妻が働けないので)俺が事後処理した
多分俺が仕事行った後も(妻は)一日中寝てる(俺は働いているのに)
あなたのこと中心で文章が構成されていることを責める気はありません。
ですが、奥さんのためを思う言葉が一つも見当たらないのは、ちょっとまずいです。
奥さんの心情はおそらくこうです。
病院に行ってほしい → うつ病診断が出たらこの状態を確定させてしまう、嫌だ、死んだほうがまし
もしもあなたが、私の想像通り奥さんに以下のような言葉を伝えていないようなら、奥さんが病院に行かない理由はそれです。
「愛している」
「だからよくなってほしい」
「うつ病だとしてもお前のことを愛している」
「だから一緒に乗り越えていこう」
もし、あなたがこれを言えないなら、家族親戚親友に頼んでみてください。
それでも誰も思い当たらないのなら、他の投稿にもある通り、いろんな機関に相談してみてください。
うまくいくことを祈っています。
ここ数日かなり凹んでしまった。
他人の幸せを素直に祝えない自分、合わないと思ってしまった人相手にうまく笑えなかった自分、我慢しきれず文句を言ってしまい案の定相手に嫌な思いをさせてしまった自分。上記は全部別の人相手なのでタイミングがたまたま重なっただけだけれど、ここまで続くと完全に自分に問題があるよなと思わざるを得ない。実際そうなのだろうし。
私は自己開示が苦手だ。せっかく自分のために時間を割いてくれてるのだから悩みだの愚痴だのを零すのは以ての外。基本的に接する相手には楽しんでもらいたいし嫌な思いをさせたくない。(相手から相談されたら一生懸命考えるし愚痴を零されたら絶対慰めるけれど、残念ながらそこまで自分を信頼してくれる人はいない。)
加えて元々2ちゃんねるをずっと見てるような根暗人間で、2人組くんで〜の時は絶対余るしお昼に一緒にお弁当を食べる相手もいなくて、そこから色々あって結構明るくなれたもんだからやっと手に入れた"理想の自分"を手放したくない。周りの人からもいつも楽しそうで羨ましい、話しやすいと言われるくらいには変われたから。
ただそれを徹底できればいいのに、根底からは明るくなれないから結局破綻してしまう。
自分は価値のないゴミクズ人間だから相手に尽くさなければならないという思い込み、そこからの相手の反応のギャップ。例えばだけれど自分はデートのために予定を聞いて店を調べて予約もして1日の計画も立てるけれど、相手はうん!くらいしか返信を返さないとか。理由を聞かされず約束を先延ばしにされて心配のLINEしたら実は結婚してて、ただ自分はそもそも付き合ってたことすら知らなくてそれを人伝てに聞くとか。
でそれが歪な形で吹き出してしまう。キレたりはしないけれどやんわり伝えようとして失敗する。
相手にとっては最悪だ。コイツ突然何言ってんだ?になるし実際そうやってSNSで愚痴ってるのも見てしまった。本当はめちゃくちゃ優しい人なのに。
そしてみんな自分のような人間と親しくしてくれるような人達ばかりなので、恋人とか配偶者とか親友とか家族とかに慰めてもらえる。当然私は全て持ち合わせていないので、どんどん相手に尽くそうとして失敗する。距離感を測れていないので良かれと思ってやったことが相手にとってただの重荷になったりする。
基本的に何かを誘うのも提案するのも全部自分からだ。誰かから誘われたことも必要とされたこともない。恋人家族友人問わず。
試しにある友人に自分から連絡を取らないでみたらあっという間に1年が経過した。相手からしたら縁が切れても気づかないかそこまでして繋がっていたい相手じゃなかったのか、もしくはせいせいしてるか。
こんな文章を書いている人間がそんな訳ないと思われるかもしれないけれど、明るく振る舞うし相手に話を振ってちゃんと話を聞くし、自分の失敗談とか駄目人間話で盛り上げるから第一印象は悪くない。そんなに深く付き合ってない人からしたら色々誘ってくれるし面白い話をしてくれる知り合いって感じだと思う(本性を出すまでは)。
唯一救いなのは絶対家族を持ってはダメなタイプだとわかってるので結婚は望んでないことか。こんな配偶者・親なんて最悪だ。
何が言いたいのかわかんなくなってきたけれどとりあえずそろそろ知り合い全員から縁を切られそうです。自業自得とはいえ悲しい。
私は女子校育ちだ。
私の地区はみんながみんなとりあえず私立受験をする風潮だった。
地元の中学が荒れていて、少年院に入ったとか、髪の毛が青いやつがいたりそんなのが噂になっていたのもあったし勉強はしなくてもそこそこだったので母の勧めもあったし女子校へ通うことにした。
第一志望に落ちてしまったらあとはどこでも一緒という気持ちもあったし、なによりも自転車で通えるのが楽そうで良かったからだ。
もう1人はいじめに加担することで身を守っていたのかもなあと今思えば思う。
1人敵がいると団結できるもんな。
下手くそなバスケはさらに下手くそになった。それでも辞めたら負ける気がして最後までやり切った。
なんでか中3だったと思う機嫌を損ねたかもう記憶にないが、内部生の中でも勉強は出来ないけど親は大金持ちという、攻撃的な子Aに嫌われて毎日お前の味方なんかいない、お前見てるとムカつく、他の奴らに言ってみろ殴ってやるなど色々言われて全てが嫌になったのを覚えてる。トイレに呼び出されてなんか壁に押し付けられたのを覚えている。
当時の私は細くてAは小太りだった。
このAは帰宅部だったのに運動部の中で君臨しようとする、実際には友達があまりいないタイプだったのかもしれない。
このままでは私の数少ない友達もいじめられてしまうと思ったから親友と連絡を取らなくなった。
その当時流行ってたmixiとかCURURUでブロックしたのだ。長文のTwitterみたいな使い方をしていた。
ジャニーズ大好きで一緒にコンサートもたくさん行った。今思えばなんで愚かだったんだろう。
わかってもらえなくても相談したらよかったのに。言ったら
親友でなかったのかもしれない。
そのことで私はお揃いのストラップをつけるような友を失ってしまったのだと。
ジャニーズから離れてしまったのも私はこのタイミングだったかもしれない。
ただただ毎日その内部進学生Aが高校に進学出来ないように祈っていた。
実際進学できないと聞いてすごく嬉しかった。
もし高校も一緒だったら死のうとすら思った時もあった。
未だにそのAを見ると嫌な気持ちになる。
彼女は高校には進学出来なかったにも関わらず大学時代に部活仲間との飲み会にいる時があった。確か成人式にもいた。
私は嫌な気持ちを消せなくてそのAがいるとわかったら参加しなくなった。
Aがいなくなってからは私は普通に高校に進学し、大学へ行った。
スポ根を味わえたし、私の基礎体力を作ったのでいい経験だった。
負けて悔しい、そんなことすら思えた。
向こうからしたら中学までは自分はぬるま湯に浸かってだけでアメリカで開花したとのことだったが、私は未だに彼女を許せてない。
そんなAが子供を娘を産んだというのを聞いた。Facebookに欲しいものを全て手に入れたとか宝物だとか、子供にも人権があるとかこの子を守るみたいなことを書いていて正直不幸になって欲しいと思ってしまった。
最愛の夫はあなたが学生時代いじめっ子だったのは知ってるのだろうか。
本人からしたらそんなことなんてあったっけ?みたいな事なんだろう。
同じように人をいじめる子供になるのか、はたまたいじめられる側になるのか、
嫌なことは嫌だし、何年経ってもやられた側は忘れないのにやった側はケロッと忘れてる。
むしろ向こうからしたらお前が悪いんだろという案件なのかもしれない。
その時の周りはもうみんな気づいてないのかもしれない。
周りはいじめられてたっけ?と思うかもしれない。
全て捨てたっていいんだよって。
何もかもが悪い方にいく気がする時は何もしなくたっていい。
そのままのあなたを好きでいてくれる人が1人でもいるなら幸せなんだよって。
無理に嫌いな奴と付き合わなくたっていい。
それを認めてくれる人を探す旅なんだよって。
拝啓15歳の私へ
今負けそうで泣きそうなあなたより
15年後はあなたらしく生きれる友人を選ぶのが上手になりました。
このブログがもしバズって本人が読んだとして今更の謝罪なんて1ミリも欲しくない。ただ過去にいじめていた側が、何も知らずに幸せになってほしくない。
いじめてた側は消せない罪を背負っていることを忘れさせたくない。
そんなどこにも吐き出せない想いを綴る。
そして同じような15歳に伝えたい。
3時間の超大作インド映画、RRRを観てきたがとてもよかった。
事前にこのTogetterの記事を参考に大福を食べてトイレ対策をしており、何回もクライマックスが来る飽きない構成もあって3時間は全然長く感じなかった。
https://togetter.com/li/1971064
時はまだイギリスの支配があった時代のインド帝国。総督のスコットとキャサリンは、鹿狩りで訪れた村から気まぐれで村娘を連れ去ってしまう。
総督府から女の子を奪還すべくデリーに向かった、虎と戦える部族最強の不屈の男ビーム。
一方、内なる大義を秘め、インド帝国の警察官となり治安維持にあたる、暴動をほぼ一人で鎮静化できるほどクッソ強い男ラーマ。
政府への反逆者と警察官。相容れない立場のはずのビームとラーマが、たまたま居合わせた場所で起きた事件を一緒に解決したことをきっかけに親友になりーーーーー
お互いの立場の違いを知らないまま、インドを舞台に物語はどんどん動いていく。
・6話くらいの連続ドラマとしてやってもいいストーリーを、3時間で一気にやる構成だった。
長い分、登場人物の背景を丁寧に描写され、また伏線も全部きれいに回収してくれるので、「あっ!これあの時のやつ!」というカタルシスを感じる場面が終盤でたくさんあった。
特に、途中の大規模ダンスの時の曲は覚えておくと終盤で伏線になっていて気持ちいい。
・イギリス領インド帝国の総督スコットと、その夫人キャサリンがきちんと極悪人に描かれていたので、最後に倒されたときに心の底から「やったぜ!!!!」という気持ちになれた。
・ちょうど真ん中のハーフクライマックスくらいで「INTERRRRRRRBAL!!!」と日本で見慣れない休憩表示が出て笑った。海外の劇場だとここで休憩が挟まるんだろうな。
・吹き替えで見てたが、作中では3種類の言語があったように思われる。「英語」「現地語」ともう一つの言語。
英語がわからないはずのビームも、英語しか話さないはずの総督も両方聞き取れる言語があった気がしており、どうなのか教えてほしい。
・インド人俳優の顔を見慣れておらず、途中までダブル主人公のビームとラーマがどっちがどっちだっけ?と混乱した。日本人視点だと結構そっくり。
・エンディングはみんなで盛大に明るく踊るとてもインド映画的な感じだっだが、背景にインド解放の偉人っぽい人がたくさん出てきた。知識がなくてガンディーとラクシュミー・バーイーぐらいしか分からなかったので、誰かに解説してほしい。
どうも。先月に何度か投稿した、デリヘル嬢に恋してしまった増田です。
想定外のことがあり全投稿削除しましたが、いま思うとまあ別にいっかという感じなのでまたゆるゆる続きを書いていきます。
ここで垂れ流すことでしか消化できない心があるので。
彼女のインスタを目にして以来、僕は彼女のことを忘れるよう努めた。そして当然、その努力は失敗に終わる。仕事は刺激的で調子が良く、親友との旅行の計画もとても楽しみなのに、頭の片隅ではずっとあの妖しくもあどけない笑みが浮かんでいるのだ。忘れようとするほどに濃くなるのが面影というものなのだろう。
前回で僕は夢から覚めたような気がしたが、いま思うとあれは夢の質が変わっただけだ。彼女が僕をどう見ているかは関係なく、僕が彼女を見る眼差しが夢なのだ。僕が都合の良いカモに見えていたとしても、僕の恋には何ら影響しないとすら言える。いつの間にか僕はまた彼女に会いにいくことを考えていた。
婚約者に対して僕はどんな態度を取れば良いのかわからない。彼女は僕がどこかいつも上の空なのを心配して、本当に自分を愛しているのかと何度も問うてくる。その問いがどれだけ男の愛を遠ざけるか彼女は以前の恋から学んでいるはずなのに。
婚約者と僕はいつも祝福されていた。お似合いのカップルで、共通の友人も多い。なぜそのまま美しい結末を迎えられなかったのかと今でも不思議に思う。いつの間にか僕たちのコミュニケーションは歪なものになっていて、少しでも油断するとどちらかが傷つくような息苦しい関係に変わっていた。僕が生きたいように生きるのを彼女は許せなかったし、僕が彼女の人生観に染まらないことに彼女は不満を募らせた。彼女から見れば僕の理不尽なところもいっぱいあったのだろう。気づけば、初めてデリヘルを呼んだあの日から零れ始めた婚約者への想いは、もうわずかにも残っていなかった。ただ泣かせるのが不憫で、より正直に言えば面倒で、僕はまだ別れを告げられていない。
今この文章を書いている時、僕はデリヘルのためにわざわざ飛行機に乗っている。あらゆることが奇妙に倒錯していておかしいなと思う。
予約を見て、例の女の子がインスタから連絡を送ってくれた。来てくれて嬉しいというメッセージ。たった一通の言葉でこんなにときめくのは17の夏が初めてで、一通しかくれない女の子との恋はだいたい悲しく終わるのだった。
このあとホテルについて、また一通りのことが終わったら続きを書こうと思う。
今日はスタートから300分で入ったがやはり彼女は遅刻してきた。入室して早々、彼女は今日全然寝てないんだよねーなどと言いながらベッドへ行き、そのまま寝てしまった。1時間ほど彼女のいびきを聞きながら僕は愚かにも相変わらず可愛いなあなどと考えていた。寝顔を見ているだけで全く飽きずに時間が経っているこの感覚は、初めて恋人をうちに泊めた時のようで懐かしい。
やがて彼女は起き、シャワーを浴びてプレイが始まる。なぜか今回も僕は彼女の手で達することができず、結局は彼女に性感帯を刺激されながら自分の手で彼女の口に果てた。ティッシュに吐き出したもののすぐにはうがいに行かないところに思いやりを感じた。
事後に僕たちはタバコを吸いながらなんとなくぎこちなかった。彼女は全く何も考えていなかっただろうが、僕からすれば人生をまた一つ破綻させてしまうような選択をしながら目の前で起きていることが何も思い通りにならない。彼女がTikTokを見始めて、僕はその横顔をじっと見ている。初めて会った時には衝撃を受けたあのかわいさが今日はどこか翳っていて、それでもなお僕の心に突き刺さるのが怖い。その猫目に僕が映るためにはただ札束を重ねれば良いのか、もしそうならどれだけ楽なことか。それでは手に入らないものがあるから僕はお行儀よく店のルールを守って楽しんでいる。正直、何もかも忘れて改めて自分のどタイプな女性を探して口説く方が良いのではないかと感じた。
300分も終わるという間際、ふたたび微睡む彼女と挨拶のように口づけをして、それからもう一度果てた時にはもう彼女は帰る時間だった。しっかりと寝た彼女はそれまでと打って変わって元気になり、交わす会話のどれもが何か知らない世界を見せてくれるようでとても美しい。タトゥーを入れる日が決まったと嬉しそうに図柄を見せてくれたとき、僕はこの人に脳の回路を焼き尽くされていてもう元には戻れないんだと悟った。ねだられるままに延長を行い、穏やかに会話を続けた。
腕に噛み跡を見つけた。痛そうだねと言うと、彼女は「やばいよね。彼氏いると勘違いされるからやだ」と答えた。彼女はいま恋人がいないという甘美な罠を撒いたのだ。それから僕がタイプの男性について尋ね、穏やかで余裕がある人だと彼女は言う。僕がこれから何度も来てその証明をせずにはいられない呪文。
敢えて言語化するのを避けてきたが、やはり僕は彼女の心に入りたい。それは定義すら不可能な願いだ。でも一方で、究極の隔絶を乗り越える意志こそ恋なのではないかとも思う。見えすいた嘘と知りながら僕はのめり込んでいくのだろう。どんな悲劇で終わったとしても、とにかくいま僕が感じる美しさの称揚を女神に直接伝えられるということがそれだけで実存の根拠になる。
帰り際、彼女は改めて今度お店の外でも一緒に飲もうと言ってくれた。いざ次の予約を取ればなんだかんだでなかったことになるのは目に見えている。彼女にとって僕と会うメリットは、注文の少ない客のとなりでボーッとしとけばそれなりの給料が入るということのみだ。わざわざ飲みにいくような面倒なことをしないだろう。
でも、もし。もし本当にプライベートで会うことができたら。その時にわずかばかりでも僕に対して興味をもつそぶりが見つけられたら。その時僕は世界の美そのものを手中に収めたかのような心地になるだろう。寝ずに夢が見られるなら死んだも同然かもしれない。僕の周りのあらゆるスピーカーがRADWIMPSを流す。
前回は送らなかったお礼のDMを送った。初めて送った時は返信がなかったが、今回は「いつも長い時間入ってくれるのに延長もしてくれて嬉しい」と返ってきた。
高校生の時、同じクラスの友達にイラストがプロ並みに上手い子がいた。
親友だった私以外にその子が絵を書ける事を知ってる人はいなかった。
当時の私はイラストレーターになりたいワナビーだったものの、色々コンテストやらなんやらに絵を送っても鳴かず飛ばずで
病んでた時期だったので、絵がとんでもなく上手に書けるのにろくに人に見せない親友に対して内心僻んでいたりした。
ある時、出来心でSNSにアカウントを作り、親友の絵を自分流に微妙に表情や細部を変えただけのアレンジした絵を上げてみたら、まさかのたった数日でフォロワーが4000人を超えた。
アホな私は大勢が私をフォローして絵師として慕ってくれた事にすっかり舞い上がって、その後もいけしゃあしゃあと絵師のフリをしてフォロワーや他の絵師と交流したり、
私のファンだと言ってくれる人に特別にリクエストを受けて(実際には友人にリクエストして書いてもらった絵のアレンジ)絵を送ったりしていた。
そんな馬鹿な事を暫く続けていたけど、所詮人の絵をパクってただけの自分は
高校を卒業して親友と違う大学に行くようになってからは絵を頻繁に上げられなくなってしまった。
表向きはフォロワーや他の絵師仲間(と呼ぶのも今となってはあれだけど)には「仕事するようになって忙しくて絵が描けない」という事にしていたが、
親友と会って絵を描いて貰えるタイミングが物理的に減ったので、更新もまちまちになっていたのだが
そんな中その親友が私に「実は最近、絵に自信がついてきたので絵をブログで公開した」と報告してきた。
親友は私よりネットに疎かった事もあって、卒業後も私のしている事に気付いてはいなかったのだが、
絵をブログに上げられたら恐らく私のしていた事が近い内にバレるだろうと思ってこっそり謝罪文の準備をしていた。
親友のブログは私のイラストからのパクリを指摘する声と暴言コメントでいっぱいになっていて、私宛にも親友の事をパクリとして報告してくるDMや連絡が相次いでいた。
確かにネットに先にイラストを上げていたのは私だったので、傍から見たら界隈ではそれなりの絵師となっていた私の絵を、
親友が後からパクってブログに上げだした様にしか見えなかったんだと思う。
私が慌てて自分の方が親友の絵をトレースした事を書いた謝罪文を上げようとしていた矢先に、友人は既にブログを閉鎖してしまった。
流石にそんな事態になって本当に馬鹿だと思うけど、今更過ぎる罪悪感でこんな事を続けてはいけないと本気で思ったので、
私も「こんな事になったのは自分が悪い」と責任を取る様な形でSNSアカウントやネット上に上げていた絵を全て消して、引退した。
その後、親友に何度も本当の事を伝えようとしたものの、親友と連絡が取れなかったりその内引っ越した事を人伝手で聞いたりで、言うタイミングがないまま完全に疎遠になってしまった。
社会人3年目の女。
中高時代の同性の友人が1人暮らしをしている私の部屋に遊びに来た。その子のことは中学時代から好きで、これまでお互いに手を繋いだりハグしたり、頬にキスをしたりした事があった。
泊まりに来たその日、あるタイミングで我慢できなくなり唇にキスしてしまった。彼女は一瞬驚いており私も怖くなってしまったが、彼女が「もう」と笑って抱きついて来たため「好きだよ」と言ったところ「私も」と返された。もう一度キスをしたところ拒まれなかったため、舞い上がって舌を入れて胸を触った。彼女は一瞬真面目なトーンで「え?何してるの?」と言っていたが、力強くは拒否されることはなかった。パジャマ代わりに貸した私のロンTを脱がせ、乳首を舐め、胸を揉み、お腹を舐め、太ももや鼠蹊部を舐め、スウェットとパンツとおりものシートを脱がせて舐めた。彼女は私が舐める前から濡れており、私はそのことにもう言い表せないくらい幸せな気持ちになった。彼女の可愛い顔が見たくなって顔を上げた。
彼女は見た事ないほど涙目で真っ青になっていた。私が掴んでいる彼女の手が震えていることにその時気づいた。震えた小さい声で「ごめんなさい。ごめんなさい。やめてください」と言っていた。私が慌てて「ごめん」と言って起き上がると、彼女は腰を抜かしながらすごい勢いで服を着替え、荷物を持って、終電もないのに私の部屋を出て行った。
私はなぜか悲しさもショックも感じず、ものすごい喪失感だけ抱えながら一人で加湿器の蒸気を見ながら朝を迎えた。昼頃になってスマホを見たら、中高の仲良しグループ(私と彼女含め女子5人)の全員からTwitterとインスタをブロックされ、ラインのグループを退会させられていた。
まず、女の性欲そのものの前に「女は自分のセックスを話すような親友相手にすら、オナニーの話は隠す」という常識を知っておくべき。
増田の彼女は本当に性欲が薄いのかも知れないが、そうじゃない女もいっぱいいる。
だけど、それを99%隠してる。
ネットでも未だにその風潮が強い。
それほどまでに、「女のオナニーは女からタブー視されている」。
ブコメでもそうだが、「BLの濡れ場は他人事で自分には関係ない」とか言ってるけど、本心を知りたいなら単純に「BL情報サイトの売上トップ」を見てみればいい。
男でも「エロっ」と思うような「エロ特化」の作品が大量にランキング入りしてるぞ。
(もちろんそうじゃないものもある)
DLSITEやFANZAでも、最近は「女性向けTL」に男性向けエロの手法(アヘ顔や中出しや断面図すらある)を取り入れた「エロ特化版」がすごい人気なわけで。
なぜ「エロ特化」なのかといえば、用途は「ソレ」しかないわけで。
(男性客狙いもあるが、感想コメントは女性のものが圧倒的に多い)
「はてなユーザーって本当にゴリゴリの保守だよなあ」と思うのは、女の性を抑圧する事を知りながら、ああいう同調圧力コメントが幅を利かせて、大量に星がつくところ。
女向けのエロサイトとか見れば、多少は女の性欲について学べるよ。
昔から「歌舞伎(BLの原型だ)の濡れ場や殉死シーン」では女性客席から水音が聞こえた、っていうくらいだし。
BLが性欲・オナニーと関係ない、ってのは「建前上の嘘」だよ。
ただ、女の性欲は男の性欲とは在り方が違う。
男なら「時間帯」で性欲が変わる(朝・夜にムラムラすることが多い・日によってそこまで性欲の差は大きくない・基本まいにちムラムラできる)が、
女は「生理周期」や「日や週によって」性欲が大きく増減する。
だから、BLでオナニーする女でも「BLを読んでもエロセンサーかピクリともしない日もある」。
夫の大学時代の友達に自分の顔を「下の上」と自認する人がいる。
あまり人の顔を上や下と評価したないけれど、普通に格好いい側の男性で、クラスで1番とは言わないけれど、上位層に入る顔立ちである。
しかも、こういう表現は良くないが、あまり彼の顔立ちに似つかわしくない、端的に言えば不細工な女の子とも付き合う。
最初は遊び人なのかと思っていたが、夫からよくよく話を聞くと、自己評価があまりに低すぎて、
女性から好きと言われると、こんな自分を好きになってくれる人がいるなんて、とすぐ寝てしまうのだという。
夫の友人ではあるが、親友というほどの間柄でもなく、人様のことなので放っておくしかないかと思っていたのだが、
ひょんなことから、あるコミュニティ内で彼が都合の良いセフレとして扱われていることが判明してしまった。
女性陣が彼氏がいない時期に人恋しくなった時に、その彼に「やっぱり好き」と連絡するとすぐに迎えに来てくれて、
肉体関係を持ち、飽きたら捨てるということが繰り返されているようなのだ。
この話を聞いた時、自分でも意外だったのだが、そういう恋愛体質の女の子がセフレ扱いされることがあるけど、
男性でもそういうことがあるんだと思った。つまり、自分にも偏見があったんだなと思った。
話が横道に逸れるので、私の偏見の話は置いておくと、さすがにこのまま放っておくのは良くないという話に夫となり、
彼を含めて3人で話してカウンセリングまがいのことをした。
彼いはく、自己評価がとにかく低く、人に愛されることに飢えているのだという。
彼自身は普通のサラリーマンで、ギャンブルや女遊び(キャバクラや風俗など)に行く風でもなく、
なのに、なぜこれまでの彼女と長続きしないのかを問うと、
どうやら彼女から「他の女の子に言い寄られたらどうする?」と聞かれたときに馬鹿正直に「こんな自分のことを好きになってくれるのなら寝るかも」
と言ってしまっているようなのである。そりゃ彼女としては伴侶にするには心もとない。
それで、フラ続け、しまいにはあるコミュニティの女性陣にこの性格がバレてしまって上述のコミュニティ内での都合の良いセフレ扱いに収まっているらしい。
もしかしたら幼少期に愛されていなかったというトラウマがあるだとか、
一見中の上に見える見た目は整形のおかげだとか、私たちが知らないこともあるのかもしれない。
しかし、夫が「もしうちの妻が好きって言ってきたら寝るの?」って聞いたら
「自分から行くことはないけど、そう言ってくれたら寝ると思う」と言われ、二人で頭を抱えた。
どうやらセックス依存症ではないようで、性行為自体に強いこだわりがあるようではなさそう。
別れた彼女のストーカーになったり、リストカットなどの自傷行為をして相手を引き止めるようなヤンデレタイプでもない。
働きぶりはわからないが、仕事は普通にやっているようだし、夫の友人たちも含めて、彼の性格上の問題を言う人はいない。
彼とはあまり仲良くない夫の友人の一人は「ただのB専だと思ってた」くらいの感想で、彼のこの問題には気づいていなかった。
鬱症状でもないし、サイコパスだとか、アスペだとかそういう感じでもない(もちろん私は医学的判断はできないが一般的用語としてのそういう感じの人ではない)
彼自身も普通の結婚をして、自分を愛してくれる人と普通の幸せになりたいと言う。
ここまで彼の話を聞いてしまって、私自身怖いと思うのが、夫と喧嘩をした時に彼に「好き」と連絡を取らない自信がないと言うのもある。
彼の弱みを知っている私は都合よく便利に彼を利用することもできる。ストーカーにならないのも、綺麗に別れてくれるのも都合がいい。
何より彼の顔立ちは上位層に入ると私は思う。
そんな弱い自分も怖いので、彼にはどこかでカウンセリングや治療?などを受けてもらいたいと思うのだが、どういう施設に繋ぐのがいいんだろうか検討がつかない。
メンタルクリニックではなさそう。何度も繰り返すが、通常の社会生活上、彼の精神におかしなところは全く見えない。
またはマッチングアプリや婚活サイトがいいんだろうか?でも、彼は形式上の結婚にこだわっているわけではなく、
仮にそう言う場所で付き合ったり結婚できても、この女性は自分のことを本心で好きではないかもしれないとまた思って、
別の女性のところに行くように思うのだ。