はてなキーワード: 臨時収入とは
・かつて安倍晋三に保険行政裁判を訴えた資料、宗教2世で苦労した記録 →安倍暗殺事件あり、統一教会が注目された
・家族が病院で虐待された記録 →医療ミス死亡や保育士虐待事件が公になった
・明治時代の損害保険会社の悪行の記録 →裁判所が記録目録に書かない →裁判官忌避 →海上保険業界がロシア制裁
・現代の生命保険会社と宗教団体の共謀の記録 →どうしてかリアクションがない(とても報道できないのか)
なお、昔の裁判では
・東京弁護士会の保険会社工作員弁護士を訴え →東日本大震災・原発事故 →東京の弁護士たち臨時収入を得る
その他
・東京高裁判事に裁判官訴追請求 →判事引退につき却下 →岡口基一という高裁判事が分限処分 →判事、高層ビルの大手事務所にご就職
裁判所や法曹やメディア大手がディープ・ステート(アメリカロシア)の末端かと思うほどだw
そもそも自分も事故と見せかけて暗殺されかけたからこうなっている
しかし巻き込まれ裁判も暗殺者側の掌の上、司法関係施設では、ほぼ怪しげな人物にしか出会わない
工作員弁護士らは懲戒請求時効3年を逃げ切ろうと、カモった客に、3年間はガンガン妨害工作をする
法律業者・医療業者は殺人すらいとわない駒ばかりだろうし、先読み先回りして罠を仕掛けてるだろう、と予想だけはしてる
ヌルヌルした上から目線のニセ市民活動団体は知らない振りを決め込むだけだ
テンプレートがあったので書いたぜ
共働きだが妻の収入は知らない、妻は安定した職業なので年収400万ぐらいだろうか?
少し他との違いがあるとすれば子供が3人と現代では多いほうなことぐらい。
年収ほど贅沢はしていない、というか贅沢出来るような年収でもない。
子供が大きくなったら部屋の数が足りないことが気がかりだが、今のところ何不自由ない住環境だ。
貯蓄は子供用の10年積立の学資保険300万をそれぞれに入っている。
児童手当は全額各人の貯蓄にまわしているので、一人あたり500万は確保出来る予定だ。
学資保険は10年積立なので子供が10歳になるころには積立が終わって税金の控除が受けられなくなる場合がある(計算してない)ので、積立が終わってもまた別の学資保険積立をする予定でいる。
500万では理系や芸術系の学費には足りないので妥当な計画ではないだろうか?
子供がいることによる臨時収入(出産、節句、入学祝いなど)も貯蓄にまわしているのでこれらも含めると+50万ぐらいになるかもしれない(家計簿にはつけているけど、具体的な数字は記憶していない)
小学校4,5年生あたりになったら学習塾に通わせるぐらいが子供にしてあげられる課金ブーストだと考えている。
中学、高校は公立を考えているが子供がどうしても私立に行きたいという要望を出してきたら副業でもするかーと雑に考えている。
子供用の貯蓄とは別で以下の貯蓄もしている。
・積立NISA 3万/月
・iDeco 2.5万/月
・投資 1万/月
財布は妻とは完全に別で運用していて、
俺は固定費(家賃、保険、水道光熱費)やイベント事の出費を出すことが多い。
子供が金のかかりそうな遊び(キャンプとか)がしたいときは祖父母にそれとなく言うと喜んで支援してくれるのでそのあたりで助かっている面はある。
それなりに貯蓄しながら、生活に特に不自由を感じることなく、ハーゲンダッツを買うと贅沢だなと思いながら躊躇することなく買うことは出来るというのが年収600万のリアルだ。
俺は裕福層ではない、まぁ当然だが。
年収1000~のリアルを読んでいると、年収によって持ち得る知識が異なってきているように見える、
年収1000万ならそれに見合った節税方法なんかを覚えたり、子供の進学に合わせて課金方法が変わったり。。。
年収の違いは多分自分の周囲に対してかける金額に変動があるのであって自身が感じる生活レベル自体は600~1000万だとそこまで変わらないんじゃないかと思うのだけどどうだろうか?
年収の違いで争うことはやめよう。
コロナもあり、課での壮行会はしない予定だが、サシで食事した。
少し酒も入ったせいで、この同期(Aとする)が「出張手当と株で儲けた臨時収入があるので遊びたい。愛人作るのって、どう思う?」と聞いてきた。
かなり前に、ダイアリーで「愛人作った」anond:20100831230511の記事を読んだことがあったので、
面白そうと思い聞いていたのだが、Aはかなり詳細な契約書のようなもの(甲乙用語が使用されている)を用意するつもりらしい。
なお、Aのスペックだが48歳、身長178㎝、太マッチョ、フツメン、フサフサ、独身
・2週間に1回のお泊りH有のデート
・ピルを飲んでもらい、HはNN
・契約期間中は、彼氏は作らない(Aも彼女は作らない、風俗で遊ばない)←NNでHするのでお互いに病気を防ぐため
・デートの日は基本、14時ごろからデート~晩ご飯~お泊りH~朝10時前に解散
前提として以下の条件
・婚姻またはそれに準ずる関係のパートナーがいる女性は、お断り(これを強調していて、文書化する、なんなら身辺調査をすると言っていた)
・成人年齢が18歳になるので、18歳~24歳まで。ただし高校生は絶対お断り(社会人もしくは高校卒業後の女性のみ)
・最初の2~3回はお泊りH有のデートごとに5万円(ゴム必着)
・その後、お互いに気に入れば性病検査結果を交換して、月極契約開始
契約終了について
以下の場合は、月初めに契約終了申告をすること。申告があれば直ちに関係を解消する(双方可)。
まあ、いろんなサイトや愛人クラブがあるから、その条件に当てはまる女性もいるんじゃない?と話を合わせていたのだが、
「なぜ愛人契約で遊びたいの?」と質問したところ、ゲスい答えが返ってきた。
・契約が終わっても、将来、女性が結婚することを想像するとNTR感が味わえる(だから絶対NN)。
・上記と矛盾するが、万が一女性が本気になってくれたら結婚できるかも(内縁でもいいそうだ)。
・女性が本気になって勝手にピル服用を止めて妊娠した場合、DNA検査をして自分の子供であれば責任をとる。
独身男の妄想とはいえ、ここまで詳細に考えていると、かなりキモイ。
だだ、実際可能なんでしょうかね?
プログラミングスクールは良くないって話が多いので、人それぞれだよねっていうのと、何もやらないよりは何かしらあるんじゃないかなっていうお話です。
フィクションのつもりで聞いてください。
私は地方で育ち、地元の女子中・女子高・駅弁大学を卒業し、地元のとあるテーマパークに就職しました。
比較的なんとなく生きてきたので、仕事って大変そうだからせめて面白そうな職場を選ぼう、くらいの気持ちでしたがすぐに辞めたくなりました。
toC接客、屋外での勤務、立ちっぱなし、友達と休みが合わない、覚える事が多い、職場が僻地、ダンサーチームの揉め事の仲裁、契約社員組みからの嫉妬、大学生組の惚れた腫れた、田舎特有の異様なゲストの図々しさ・馴れ馴れしさ、どれも好きじゃないやつでした。
まあゲストにイラつく事があっても、それはしょうがないと思ってます。仕事だから。
でもスタッフも、とにかく感情で生きてる人間が多すぎます。私よりずっと大人なのに。
華やかな表舞台とは裏腹に仕事はそこそこハードで、給料の水準も高いとは言えない環境のため、人の出入りが激しく、トラブルを起こしたり、恨み辛みを吐きながら辞めて行く人が多いのもメンタルにきました。
最初に威勢のいい人ほどすぐ腹を立てて辞めていくので、個人的に警戒して距離をとるようにしていました。
理想と現実のギャップが大きいからなのか、彼らの自己評価が高いからなのかわかりませんが、もしかしたら私のように、ドライに仕事はしんどいものだと思ってる方が、色々受け入れられるのかもしれません。
そんなこんなで2年ほど勤めましたが、最後まで職場にも業務にも慣れる事もなく、花形着ぐるみのポジションが空いた事によるダンサーチームの派閥争いの激化に伴って私の神経も擦り切れ、半ば衝動的に仕事を辞めてしまったのでした。
実家に住んでいたので、しばらくはニートしながら次に何をするか考える予定でした。
しかしそんな折、東京に住んでいる祖母が怪我をしてしまい、介護を要する状態になってしまいました。
私は昔から祖母が大好きだったので、喜んで同居と介護の役目を担うことにしました。
祖母とは小学校低学年くらいまで同居していた期間があり、その頃から私の唯一の理解者でした。
私が真面目で、冷めていて、興味を惹かれると他のことが目に入らなくなって、
自分のペースで物事を進めたくて、少し融通が効かずに周りの子達と馴染めなかった頃、
その事に両親はお手上げで「みんなと同じように」「普通に」「お願いだから」としか言わなかった頃、
「あなたはちょっとだけ人より心が大人なんだよ。それでいいんだよ。賢くて真面目なあなたが好きだよ。
でももし疲れたら、周りの子たちと同じくらいには、いい加減で、だらけて、失敗してもいいんだよ」
と、声をかけ、私が「もう大丈夫」と言うまで何十分でも抱っこしてくれた祖母。
祖母のその言葉と、帰ったら祖母が家にいるという安心感で、私は少しずつクラスメイト達と打ち解け、誰かに心を許したり、自分が失敗することも他の人が失敗することも許せるようになっていったのでした。
東京には別の親戚もいたのですが、ペーパードライバーで頻繁に祖母を病院に連れて行くのが難しかったり、仕事の都合だったりで他に候補者もいなかったので、私の立候補には関係者みな渡りに船という感じでした。
母に「おばあちゃんが好きってだけではできないよ。よくわかってないんじゃない?」とも言われたけど、私は祖母に関する事ならちゃんと理解したかったし、自分の想像が及んでいない事があるなら、それも知りたかった。
介護はまあ大変だったのですが、意外と祖母が元気で、怪我の経過も芳しく、家の中の生活においては一人で出来る事が多かったのもあり、私は徐々に暇になっていったのでした。
美術館や博物館が昔から好きで、最初は狂ったように行っていたのですが、お金もそんなにないし、周りに友達もいないので、やや時間を持て余すようになってしまいました。
そこで、一念発起して、噂に名高いエンジニアとやらになろうと思いたち、プログラミングスクールを探し始めました。
テーマパークで働いていた私からしたら、エアコンの効いた部屋で座って作業できて、toC接客をしなくてよくて、給料が高い(らしい)なんて夢の職業だと思っていたのです。
東京での普段は淡白ながら、楽しみ方の選択肢がとても多い生活も肌に合っていて、祖母の介護を終えても田舎には帰りたくなかったので、こっちで就職して帰らなくていい理由を作りたかった、というのもありました。
色々調べて、とあるオンラインがメインのプログラミングスクールに決めました。
祖母の家が都内とはいえ西の方で、交通費も出ないのに電車で都心に通うのは厳しかったのと、祖母の用事が最優先なので時間の都合がつけやすいようにと、グループでやる課題とかがきっと向いてないだろうなと思ったからです。
(今になって思えば、gitの実践的な使い方に慣れられるし、どうせ働き始めたらチームでやるんだから、グループ作業は経験しておくのをおすすめしたい)
ニート期間が短かかったので貯金があまり減っておらずなんとか料金を捻出できたのですが、貯金はなくなりました。
プログラミングスクールでは、まず卒業後どういう職種や働き方を希望するかを聞かれ、それにはどんなスキルが必要か説明を受けながらカリキュラムを決めていきました。
授業は、エンジニア経験のある人とskypeを使ってマンツーマンで、テキストを進めたり、課題をチェックしてもらったり、デバッグを手伝ってもらったり、わからないところを教えてもらったり、実際の開発現場の話を聞いたりしました。
私はなにせ女子校育ちだし、喪女だしで、女性の先生が良かったのですが、女性の先生は数が少ない上にみなさん大変な人気でなかなか予約が入れられませんでした。
平日の日中に授業を受けられるので、働きながらの人よりはずいぶん有利な立場にはあったはずなのですが、できれば同じ先生にずっと見てもらいたいと考えると、なかなか厳しい状況でした。
ですが、一人だけ比較的予定が空いている先生がいました。そう、後の彼女である。
彼女の予約が空いている理由は1回授業を受けたらすぐにわかりました。
早口だし、自分の言いたい事は最後まで言わないと気が済まないし、アイスブレイク下手くそだし、全然笑わないし、癖なのか10分に1回メガネを拭いてるし、説明が長いし、1回説明した事は完璧に理解するはずだと思ってるし、なんか顔が怒ってるし、なんか厳しくて答えをなかなか教えてくれないし。
顔は結構美人なのに、性格きつい人だなあというのが無遠慮な私がもった第一印象でした。
まあでも予約を続けてとれる女性の先生は他にいないし、私も生来かなり真面目な性分だし、授業が終わった時のやけに油断してホッとしてる顔がなんかちょっと可愛いし、実力をつけるには問題ないだろうという事で継続して予約を入れる事にしました。
しばらく授業を受ける事で、だんだんと彼女の態度は軟化していきました。
プログラムも楽しかったし、彼女については保護猫をだんだんと慣らしていくような面白さもありました。
授業は丁寧だし、彼女はフレームワークの細かい内部の挙動や、メソッドのオプションなんかにもかなり詳しく、それらの点では優秀な先生だったので、私の心からはいつしか懸念も不満も消えていました。
そんなある日、パソコンを買い換えたいと思っている話をしたら、意外にも彼女が付き合ってくれる事になりました。
(当時、なんか可愛いという理由で買った、やたらキーピッチのあるVAIOのノートパソコンで作業していたのですが、色々目が開いてきてMacに乗り換える事にしました)
買い物当日、MacとWindowsの違いから丁寧に教えてくれた彼女の私服はダサかったのですが、お礼も兼ねて新宿で居酒屋に行く事になりました。
主に、Windowsで使ってたツール類のMacでの代替品を教えてもらうつもりだったのですが、いつのまにか梅酒2杯で饒舌になった彼女の身の上話を色々と聞かせてもらっていました。
いい提案ができるように新しい技術を家でもたくさん勉強したこと、
いいシステムを作る為にプロジェクトの良くない点はきちんと指摘したこと、
それらを煙たがられて注意を受けたこと、
「女のくせに」って言われたこと、
自分が席を外したタイミングで夕会が行われるようになったこと、
「プロパー+αの人だけの飲み会」にチームの中で自分だけ呼ばれてなかったこと、
社内で待機している時、営業に「女でこんなに売れないのお前だけ」って言われたこと、
新卒もどんどん現場に出ていくのに自分は次のプロジェクトが決まらなかったこと、
「とにかく人が足りないから大歓迎です」って言われた案件でもチームの中で1番最初に退場になったこと、
業界が向いてないのは身に染みてわかったけどプログラミングが好きで今の職についたこと、
授業のリピート率の低さに会社からいつも小言をもらっていること、
SESが辛くて辞めたのに、多くの人が卒業後SESに行くプログラミングスクールの先生をしているということ、
自分のやってる事が人の為になっているのか信じきれていないこと、
SES以外の社内SEとかで転職を考えたけどどこにも受からないこと、
昔から人付き合いが苦手なこと、
親戚のおじさんに一人すごく嫌な人がいること、
成績は悪いが愛嬌のある弟ばかり親が可愛がること、
「いや、まだそんな重い話を聞く関係じゃないですよw」って途中まではいつ言おうかタイミングを見計ってたけど、とうとう言えずに最後まで聞いてしまった。
気がついたら私は泣いていました。それは気持ちがわかってしまったから。
小学2年の春、誰かに一緒に帰ろうと誘われるまで教室で本を開いて待ち、みんな連れ立って帰ってしまいひとりぼっちになった後、仕方なく開いていた窓を閉め、カーテンを束ねていた、その風景を思い出してしまったから。
ああこの人は祖母に出会わなかった私なんだな、と、どうしようもなく理解してしまったから。
私が優秀だと彼女の評価もあがるかもしれないと思って余計にがんばり、無事卒業を迎える事になりました。
プログラミングスクールの卒業生の主な就職先はSESです。(今はわからないけど)
SESについて彼女に色々聞いていたので、客先企業に常駐して、多重下請け上等で、使い捨てで、人売りと呼ばれていて、残業が多くて、無理なスケジュールを押し付けられて、仕様変更が頻発して、現場では肩身が狭くて、theITドカタっていうのは知っていました。(今はわからないけど)
でも私はなんでも知りたかった。彼女のことをもっと知る為に、SESについて身を以て知るつもりでした。
同じ時期に卒業を迎えた人の中には、断固SESを拒否する人も何人かいました。
下請けじゃなくて上流工程ができて経営が安定していてまったり働ける社内SEか、自由で先進的でフットワークが軽くて自社サービスのあるベンチャーがいいのだと。
いやいやいやと、社内SEがそんなにいいものなら、学業が優秀だった人か、SESで優秀だった人から順番に行くでしょうと、
ベンチャーがそんなにいいところなら、すごく優秀な人たちの少数精鋭なんでしょうと。
課題でサンプルのプログラムをいくつか作っただけの私たちがどうしてそんなとこにいけるでしょうかと。
修行のつもりでありがたく、いろんな現場や業界で実戦経験積めよと、1行でも多く実務でコード書けよと、色んなプロジェクトのドキュメントとかプロジェクトマネジメント見て勉強しろよと、SESでもないと逆にそんな機会も無いぞと、そんなことを思っていました。
私の就職先は、2回面接をしただけで、スクール推薦のSESの会社にあっさり決まりました。
祖母は、私が平日フルタイムで働いても差し支えない程度まで回復していました。
彼女とは頻繁に連絡をとったり、遊びにいく友人の間柄になりました。
しかし、実際SESで働いてみると、覚悟していたような環境とは少し違いました。
基本的に自社のリーダーとしか話さない(プロパーが直接メンバーに指示を出すのはダメらしい)し、スケジュール変更や仕様変更もちょこちょこあるけど、その分の残業代もちゃんと出るし、なんだか全体的にいいところでした。(テーマパークと比較するとなおのこと)
彼女が最初に働いた企業が、現場が、時代が、運が、悪かったのだとわかりました。
でも、「あなたのおかげでエンジニアになれて、人生が変わって、嬉しいよ」って、彼女に伝える事はできました。
数年はそのまま穏やかに、繁忙期には激しく、時が流れていきました。
祖母の怪我は完治し、私はそこそこのスキルを身に付け、転職と引越しを検討し初めていた頃でした。
そんなある日彼女から東京を離れるつもりだという連絡が入りました。
彼女は私の卒業後もスクールで先生をしていたのですが、それがあまりうまくいっておらず、だんだんと稼働が下がり、収入も下がり、公共料金や生活費も滞納しかかっているような状況だったそうです。
そして、そのことが親御さんに伝わり、帰ってくるように言われたそうです。
私は彼女の唯一の理解者だったので、私が彼女を幸せにしようと思いました。
彼女に引越し先でのルームシェアと、当面の生活費の負担と、その代わり家事をしてもらう事を提案しました。
しかし問題はお金です。彼女はお金がぜーんぜんないし、私も引越し料金(2人分)とルームシェアできる物件(2LDK以上)の敷金礼金・初期費用を払うのは苦しい状況でした。(実家とかに頼ると、生活できないならこっちに戻ってこいと言われてしまう)
折り悪くコロナの影響が、転職市場や私の現職の稼働に影を落とし始め、「やっぱり私実家に帰るよ」などと彼女が言い出して、これはいよいよヤバイなと思い始めた頃、
事態は急転して、なんとお金問題と転職問題が唐突に片付きます。
みなさまPayCareerさんをご存知でしょうか。企業と面談するごとに3万円もらえる転職サイトです。
そこで数件のスカウトが届き、多額の臨時収入を得られ、トントンと内定を複数頂く事ができました。
みなさま是非PayCareerをお使いください。求職者に寄り添うお心をお持ちの採用担当者のみなさまも是非PayCareerをお使いください。
その後物件探しにも散々苦労するのですがなんとか新居が決まり、私たちはルームシェアを始めることができました。
ある土曜日の晩、ブラックスワンという映画がどんな内容かをよく知らずに、なんともなしに見ていた私と彼女の関係は、日曜日の未明に友人から恋人に変わりました。
私は女子校だったので、女性同士でお付き合いしている人たちを長く近くで見ていた事、彼女は過去の経験から男性に恐怖心を抱いてしまうこと、ここ数年似たもの同士の2人がお互いを助けあって生きてきた事、要因はいくつもあったと思います。
多分お互い、本当のところは男性の事が苦手ないしよくわかっていないだけで、もしかしたら男性と付き合おうと思えば付き合えるのかもしれませんが、この上なく安心できて、優しさを掛け値なしに注ぎあえるパートナーを得られた時、それは問題になりませんでした。
人の寝言って今まで聞く機会がなかったのですが、彼女はすごいはっきりと寝言で喋るので驚いています。
私は転職する時に、自社サービスを持っていて、担当者の裁量で業務委託の採用や発注ができる企業を探していました。
まぁその人が「スカッとジャパン嫌いだわ―」って昔いってたのを覚えてたからなんだけどね。
4月に臨時収入があったのとウマ娘で推しのマックイーンに新衣装が来たので天井覚悟で回した。
結果的に新しいテイオー3人とタイキシャトル(初入手)とダブリで黒いマックイーンとスペシャルウィークを入手して無事天井でマックイーンを取ったんだけど、
周りの人が「ダブルピックアップは悪い文明!」とか「天井お疲れさまです。」とか声をかけてくれる中
「あーあ サポート回せばキタサンブラック2凸と天井で3凸だったのにね」
って返しをされた。
「まぁそんなに今のサポートで困ってないのと白いマックイーンはどうしてもほしかったので問題ないです」
と言ったんだけど
「私なら絶対キタサンブラックだわ。今キャラ性能も低いし引く意味がわからない。」
と言われた。
と返したら相手は黙って、
っていったら相手がキレて
なんか周りも「虫の居所が悪かったんでしょ」って言ってくれたんだけど朝Twitter見たらブロックされてた。
お金をバラまいても効果がないのって、ちょっと臨時収入あったから、ちょっと贅沢して背伸びして良い物購入するかってのがなくなってるんだと思うんだよね。
グローバルで価格競争の果てに安くなっている海外製品か、世界で1番高い海外製品かの2種類にわかれている。
緊縮財政から脱却するのに、お金を配ればいいって、ある意味では正しいのだけど国内循環するより先に海外に出て行っちゃうんじゃない?
食べ物に関しては数値化できてなくてネットで数値での比較がしにくいので体験してみるしかなかったり、
出せる金額で贅沢出来る、保存と流通の問題で国内の方がよかったり、ニュースで国産の食べ物を悪く言わないとか、
もう単純にお金を配ればって段階超えちゃってるんだと思う。
これとhttps://anond.hatelabo.jp/20201220162729 で要望されていたので覚えている範囲で一応書いておく。
確か秋田県にある神社の巫女さんで、リスカ痕を隠すために夏でも長袖を着ていることをブログで告白していた。
ブログはいつも「それでは、さようなりー」で終わっていたと思う。当時、3つくらいのブログを並行して読んでいたので誤解しているかもしれない X( 浅草神社と山口県かどこか中国地方の神社のブログとこれだったような。さようなりーは中国地方の神社のブログだったかもしれない。
最近のリスカやオーバードースなどの報告をし、今でも病んでいることをブログで赤裸々に告白していたからだった気もする。