はてなキーワード: 木村とは
土曜日の夜は一切予定が入れられない。
白熱の戦いが毎週繰り広げられている将棋の「ABEMAトーナメント」。6月5日は予選のCリーグ、チーム羽生対チーム木村が行われた。、この結果、この2チームにチーム豊島を合わせた3チームが、勝敗、得失点差まで完全に並ぶという劇的な展開が待ち受けていた。最後はリーダー3人によるプレーオフが繰り広げられ、決着が付いたのは日付も変わった翌0時すぎであった。翌日(というか当日)には、藤井棋聖と渡辺名人の棋聖戦があり、朝早くから中継があるというのに、この深夜までの激闘が寝かせてくれない。まったく、大事な日の前日になんてものを見せてくれるのか。
劇的な展開にも魅了されたが、この日の決着局、羽生善治九段と佐々木勇気七段の将棋はその内容も抜群に素晴らしかった。このABEMAトーナメントは、「持ち時間5分+1手につき5秒加算」という超早指し(フィッシャールール)のもとで行われる。このルールは、実際に指してみれば分かるが、非常に厳しく、スリリングである。ある程度、手の決まった序盤ならば時間を増やしていけるが、局面が複雑になった中終盤はそうもいかない。序盤で増やした時間はあっという間に溶けていき、秒に追われながら指し手を続けていくことになる。正直、アマチュアがこのルールで指しても、「そもそも将棋にならない」ということが多い。繰り広げられるのは、「将棋に似て非なる何か」である。
しかし、そこはプロ。我々アマチュアとは違い、このルールでも「将棋」を指す。さすがに指し手の質は多少落ちるのかもしれないが、それでも将棋を指している。まずはそこに感動する。
羽生九段と佐々木勇気七段の一戦は、互いの読みと駆け引きがぶつかり合う激戦となった。この将棋は、持ち時間の長い公式戦と比較しても遜色ない名局だったと思う。将棋ファンとして、この一局への感動は言葉にして残しておきたい。
先手番となったのは佐々木勇気七段。藤井聡太四段(当時)のプロ入り29連勝を止めた男としてあまりにも有名であるが、その後の活躍も目覚ましい。順位戦は現在上から2番目のB級1組。藤井二冠をぴったり追走しながら昇級し、現在も開幕2連勝と好調である。居飛車党の本格派で、序中盤にも惜しみなく時間を投入する。深い研究と読みに裏打ちされた指し手が魅力である。それでいて、この早指しのルールでも滅法強い。
後手番となったのは羽生善治九段。何をかいわんや、ご存じ永世七冠である。
戦型は角換わり腰掛け銀。事前のインタビューで、変化球ではなく、正面からぶつかりたいと語った佐々木。宣言通り、得意戦法で真っ向勝負を挑んだ。対する羽生とて、相手の得意形を避けるタイプではない。いつも通り、泰然と、そして悠然とした手付きで佐々木の得意形を受けて立った。
端歩の駆け引きもあったが、十分な研究があるようで、佐々木の指し手は早い。57手目、▲2五歩と攻めかかる。これは、羽生の玉が2二に入ったところに、真上から襲い掛かった手である。羽生の構想を正面から打ち砕こうとしており、相当な迫力がある。一歩間違えればすぐに潰されそうなところ、羽生は一歩も引かない。佐々木の飛車を吊り上げ、銀取りも手抜いて手裏剣を放った。
66手目「△8八歩」。この手自体は珍しい手ではなく、相手の陣形を乱す定番の手筋である。実際、その場にいた棋士も全員が一瞬で見えた手だと思う。しかし、問題はこの歩が「通るのか?」その一点である。もしこの手が不発に終われば、この将棋は一気に佐々木に持っていかれてしまいかねない。「一か八か」的な意味で、この歩を打つのは非常に怖い。しかし、羽生の手は8八に伸びる。「運命は勇者に微笑む」羽生が好んで用いる言葉を想起した。勇者羽生善治、いつもこうやって、勝利を手繰り寄せてきた棋士である。
勇者に勇気が立ち向かう。羽生の放った歩を取っては弱いと見た佐々木は、一直線の攻め合いへ。71手目、▲4六桂と急所に桂馬を放った。対する羽生、△6四桂と打ち返す。同じく急所に放った桂馬である。4六と6四の桂馬が、銀を挟んで対称に向かい合っている。この局面、互いの我が道を行くとばかりに読みがぶつかり合い、その衝突が盤上に表現されている。最高峰に美しい。
美しい火花にくらくらしそうな局面で、佐々木が次の1手を放つ。73手目「▲6五銀」。最高峰の美しさに、さらに「その上」があったとは。叫びたくなるような手である。銀のただ捨て。しかし、この銀は取れない。取ると、羽生玉が弱体化し、一気に攻め潰される展開が見える。佐々木の放った会心の一手であり、観戦していた羽生のチームメイト、中村太地七段も「(佐々木の)決め手に見えた」と述懐したほどである。
佐々木勇気、会心の一撃。そのままK.Oされてもおかしくない局面で、さらに時間もない。そんな局面で、羽生は何を放ったか。74手目「△8八と」。やはり銀は取れない。羽生は最大の強手で応えた。ちなみにこの「と金」は、その前の局面で放った「勇者の歩」が成ったものである。歩を打った手も凄いが、「と金」を引いたこの手も凄い。鬼のような顔で剣を抜く勇者を見ているようである。
羽生の踏み込みに、佐々木は盤上没我。長考の末、と金を払う。羽生は追撃の手を緩めず、△6六歩、そして残り2秒(!)まで考えた末に△4九角と放った。少し進んでみると、恐ろしい局面が見えてくる。この将棋、途中から佐々木が一方的に攻めていくような展開ばかりが見えていたはずなのに、気付けば羽生が佐々木を追い込んでいる。佐々木も相当な迫力で攻めていたはずなのだが、勇者の踏み込みがそれを凌駕したように思えた。
とはいえ、局面はまだ分からない。佐々木、黙っていられないとばかりに攻めに転じ、羽生玉に迫る。羽生玉はかなり危ないところまで追い込まれるが、あと一歩が足りない。それを見切ったか羽生、香車と桂馬で佐々木玉に覆いかぶさる。この手があまりにも厳しく、佐々木を一気に追い込んだ。
土俵際の佐々木だが、あきらめきれない。115手目から、歩を打っては捨てるということを繰り返した。これは、「時間稼ぎ」の歩である。1秒で打てば、持ち時間を4秒増やせる。増やした時間で、必死に凌ぎを探す。歩の打ち捨ては、純粋な「損」であり、将棋の真理からはほど遠い。しかし、そんなことを言っている局面ではないし、なりふり構っていられないのである。鬼の顔をした勇者を相手に、佐々木もまた鬼になる。非常手段で、最後の可能性を探した。
羽生にも余裕はない。一手間違えれば奈落の底である。必死の形相で佐々木の気合に応戦する。冷静に追い詰め、ついに矢尽き刀折れた佐々木。最後は羽生が、146手までの激闘を制した。終盤はたがいにほとんど時間がなく、チェスクロックの叩き合い。それが終わり、激闘に終止符を告げるブザーが鳴った。
大熱戦の末、羽生の勝利。チームメイトの中村七段、佐藤紳哉七段が控室で絶叫する。「感動した!やっぱ羽生先生は違うわぁ」その反応は、同じプロ棋士というより、画面の向こうで見ている我々将棋ファンのそれと近いものであったが、そうなるのも無理はなかったと思う。それくらいの将棋であったし、「羽生善治」とはプロ棋士にとってもそれくらいの存在なのである。
敗れた佐々木の指し手も素晴らしかった。忘れてしまいそうになるが、この将棋は「5分+5秒」の超早指しで指されたものである。それが到底信じられないような濃密な内容で、「神々の叩き合い」とでも言うべきものだった。極限の状況で指していたことで、羽生の「勝負術」「局面への嗅覚」といったものが最大限に研ぎ澄まされ、盤上に発露したように思う。棋士・羽生善治の恐ろしさを改めて感じたし、その羽生が未だにあと1期まで迫った100期目のタイトルに届かない、将棋界の恐ろしさを思った。
激闘の余韻も冷めやらぬ中、さらに興奮するような出来事が起こった。この戦いの翌日、羽生が中村七段のYouTubeチャンネルに登場し、なんと自らの将棋を解説したのである。羽生がYouTubeで自戦解説をするのは初めて。あれだけの将棋を見せてもらっただけでも興奮が止まらないのに、その翌日に本人から解説が聞けるとは。神々が叩き合い、神が降りてきた。あまりの出来事に、感情が追いつかないままに視聴した。
佐々木の「▲6五銀」はやはり相当な一手だったようで、羽生も手放しで称賛した。「いい手だなあ」そうやって飄々と語る姿は、一日前の盤上にいた鬼の姿とは大きく異なっていて、少し呆気に取られてしまうのだが、盤上を離れればこれが羽生善治なのだと妙に納得もしてしまうのであった。
米津玄師やYOASOBIのAyaseといったボカロ発のアーティストが注目され、ボカロ音ゲーのプロセカがヒット、Vtuberはこぞってボカロ曲をカバー、tiktokでもボカロ曲が普通に使われている(らしい)というこの2021年。
有名ボカロPを10人ぐらい紹介します。チョイスも順番も適当です。
代表曲は最近のヒットとそれ以外で一番人気な曲の2曲にしていると思います。
再生数ごとの曲数とイメージはかなりざっくりですが以下のような感じなのですごさの参考にしてください。
例えば100万再生以上の曲は20万曲中600曲という読み方をしてください。
再生数 | 曲数 | イメージ |
---|---|---|
1000万 | 6曲 | 神話入り・みくみく千本桜メルトマトリョシカWEDHモザイクロール |
500万 | 60曲 | 超有名 |
100万 | 600曲 | 伝説入り・文句なしに有名 |
50万 | 1000曲 | ボカロ好きなら少なくともPか曲名は知ってる |
10万 | 5000曲 | 殿堂入り・中堅ライン |
5万 | 8000曲 | この辺まではわりと何でも聴く |
1万 | 2万曲 | マイナー |
5000 | 3万曲 | クオリティー保証ライン |
1000 | 9万曲 | ドマイナー |
全体 | 20万曲 |
(プロセカがヒット?と思う人もいるかもしれないが、プロセカはユーザー男女比4:6で約半分が10代というセルランが主戦場ではないソシャゲなのでメインユーザー層と近い人でないとヒットが把握しづらい。ソース:『プロセカ』がボカロファンやミクたちに与えた影響 ― ニコニコ動画が果たしていたような役割を担うかもしれない【開発者座談会】)
最初の数曲は再生数5万程度とそこそこの伸びだったが、オートファジーがヒットして一気に有名Pになった。
歌詞は文字で見るとよく分からないが最近は音として聴いたときの感じを重視するのが流行りらしい。多分。
この人が使っているv flowerというボカロは中性的な声が特徴で、最近多いおしゃれな感じのボカロ曲によく使われている。
v flowerにも初音ミクなどのようにキャラクターイラストがちゃんとあるのだが、おしゃれな感じのボカロ曲はPVにオリキャラを出したりキャラのいないイラストだったりすることが多いので認知度が低そう。
2008年から投稿している、全曲10万再生以上の安定した超有名古参P。
2011年頃に柴咲コウなどの人間に曲提供をしていて、アルバムにも人間曲を普通に入れていたので、当時はボカロPをやめて人間の曲を作っていきたいのかと思った。
実際2008年から今までで2011年だけボカロ曲を一切投稿しておらず、2012年も企業案件系の曲のみであった。多分。
その答えは2013年のインタビューで明らかになる。(DECO*27「DECO*27 VOCALOID COLLECTION 2008~2012」インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)
2020年に突然Youtubeのみに投稿するようになったりした(ヴァンパイアで戻ってきた)ので、そういう感じのふらっとした人なんだと思う。
この人が立ち上げた曲を作るための会社「OTOIRO」が2019年に炎上したが曲人気には全く影響しなかった。
P名の由来は「みきとP」という曲名。SF-A2 開発コード mikiというボカロをテーマにした曲である。
P名は古参でもついていない人は普通にいるし、最近の人でもついている人はいる。
ただ最近は動画タイトルに自分の名前を入れる人もいるので、そういう人はP名をつける空気にならない。
作風の幅が結構広いが、どの曲も聴くとちゃんとみきとPの曲だと分かる。
「ロキ」はPとボカロ(鏡音リン)のデュエットで、こういう人間とボカロが一緒に歌っている曲はニコニコ動画では「VOCALOIDと歌ってみた」というタグで括られる。
ロキ以前には歌い手によるカバー曲以外では大きなヒットがないタグだったので、人間がいるから駄目ということではないという証明になった曲だと思う。
DECO*27も「デコーラス」と言われるぐらいには主張強めに入れる。(最近の曲は控えめかも)
あのカゲロウプロジェクトを作った人である。
カゲロウプロジェクトとはボカロ曲を軸にボカロキャラとは関係のないオリジナルのストーリーを展開していくというプロジェクトで、アニメ化もされた。
2011年の初投稿「人造エネミー」から2018年の「アディショナルメモリー」までカゲプロが展開されていた。最近10周年でリブート企画が始動した。
ということで最初から企業の仕込みだったということはないと思う。
企業の仕込みだと初投稿から半年でファーストアルバムが商業流通で出る。
カゲプロは本当にボカロの流れを変えた存在で、(以前からそれなりにいたが)ここで一気に女子小中学生がリスナー層に増えたと思う。
最盛期はアルバムクロスフェードが100万再生を達成するほど勢いがあった。
「日本橋高架下R計画」や「Sky of Beginning」はカゲプロとは関係のない曲だが再生数はしっかり伸びているので、別にカゲプロじゃないと伸びないPではない。
直近ではアニメ「魔法科高校の優等生」のOPを担当することが発表されている。
ヴィランや(ボカロじゃないけど)うっせぇわのAdoに書き下ろしたギラギラが話題になったP。
急に最近人気になったわけではなく、2010年の「アンファンテリブル・イン・ハロウィン」ですでにランキングに顔を出していた。
その後2012年に「怪異物ノ怪音楽箱」がヒット、同じく2012年の「古書屋敷殺人事件」は女学生探偵シリーズとして楽曲・小説が展開された。
女学生探偵シリーズは当時流行っていたカゲプロ的なストーリーの繋がりがある楽曲シリーズで、カゲプロ・終焉ノ栞・ミカグラ学園組曲など色々あった。
それらが厨二系だったのに対し女学生探偵シリーズは昭和レトロな雰囲気が唯一無二だったので、いい感じに地位が確立されていたと思う。
もともとリズム感重視で韻を踏みまくった歌詞をよく書く人なので、今は前述した「音として聴いたときの感じを重視する」という波に作風がしっかり嵌っている。
別名義で小説を書いている。
代表曲:「アイ情劣等生」「ベノム」
この人も自分の作風はしっかりあるが流行に合わせるのが上手い。
かなり意識的にヒットを狙いに行っていると思う。
「アイ情劣等生」と「アルカリレットウセイ」は「#コンパス 戦闘摂理解析システム」というソシャゲのキャラのテーマソング(公式)。
コンパスには1キャラ1曲テーマソングが存在し、さまざまなボカロPが曲を提供している。
コンパス曲はヒット確定という風潮もあり、実際多くの曲が100万再生を達成している。
なぜそういうスタイルがウケたのかというと、腐女子とかが「この曲はあのキャラっぽい」「このキャラはあの曲っぽい」と勝手に好きなキャラと関係ない曲を結びつけるイメソン文化を公式でやっているからである。
プロセカも腐女子とかが男キャラのMMDを作ってボカロ曲を踊らせたりボイスを切り出して無理矢理歌わせたりしているのを公式でやっているようなものなのでウケた。
(もちろんどちらもあくまでも人気になった要因の1つに過ぎないし、やっているのは必ずしも腐女子ではない)
代表曲:「ジャンキーナイトタウンオーケストラ」「テレキャスタービーボーイ」
「テレキャスタービーボーイ」は2019年のショート版と2020年のフル版が両方100万再生を達成している。すごい。
ショート版の曲長は1分で、他にも「空中分解」「エゴロック」などの1分曲を作っている。
ぐらい。他にあったらすみません。
Adoに曲提供するようなおしゃれ系の人にしては珍しいかもしれない。
カバー曲は2009年から投稿していて、カバーだとPONPONPONのレンカバーやえれくとりっく・えんじぇぅの鏡音アレンジカバーが有名。
どちらかと言うとボカロキャラのための曲を作るタイプの人で、「レン廃留置所」というレンくん大好きユニットにも参加していた。鏡音レンはそういうPを飼っているボカロである。
でも2016年前後は歌い手のれをると組んでれをる用の曲ばかり作っていたのでボカロ曲は全然投稿していなかった。そういうこともある。
代表曲に「ギガンティックO.T.N」を挙げたが、こういう曲があってこそのボカロ文化である。多分。
歌い手出身のボカロPの中にはボカロ打ち込みや編曲を他の人に任せている人もいるが、まふまふはそのあたりも自分で担当している。
歌い手としても自分で自分用に作った曲をよく歌っており、この前東京ドームで無観客無料配信ライブをしていた。
それが朝の情報番組で「まふまふさんが東京ドームでライブしました!」と普通に取り上げられていてびっくりした。そんな有名なのか。
以前ゴーストライターに曲を作らせていたスズムというとんでもないボカロPがいたのだが、そのゴーストライターをさせられていたと言われている。(未確定情報)
この時点ですでにハイクオリティで、3DSの音ゲー「Project mirai」にも収録された。
BEMANIに曲提供をしているP*Lightと同一人物で、「エレクトリック・ラブ」がボカロ処女作というわけではない。
今ほどはボカロがメジャーな存在でなかった2012年頃からボカロ界の貴公子という謎の異名を背負って何度かテレビに出演していた。
テクノポップがメインでいかにも電子音な曲を作るので、そのボカロ感がテレビウケという点で良かったのかもしれない。
(他に有名でテレビに出てくれるようなコミュ強Pがいなかったというのもあるかもしれない)
NHKのニュース番組「フカヨミ」では2012年に番組内企画で番組のイメージソングを制作し、それがEDとして使用されていた。
NHKはその頃ラジオでボカロ曲専門番組をやっていたりと、結構前からボカロと仲良しである。
代表曲:「SNOBBISM」「ロストワンの号哭」
強めの高速ロックのイメージがあるが特に最近は高速じゃない曲もある。
「脱法ロック」と「い~やい~やい~や」のPVは他アーティストのPVのパクリではないかと話題になった。
(PV製作はそれぞれりゅうせー、寺田てらなのでNeruが直接作ったわけではない)
後者はパクられた側が直接Neru側に問い合わせているが、パクリではないと返答されている。(ソース:Cluster A騒動によせて - in the blue shirt)
このはてな匿名ダイアリーにいい感じの記事があったので全体像はこちらを参照。→Neru(ボカロP)と寺田てら(動画制作者)の「Cluster A」パクリ疑惑騒動まとめ
PVパクリ疑惑とは別に曲パクリ疑惑もあるがPVパクリよりも曖昧な話になってしまうので割愛。
代表曲:「アンノウン・マザーグース」「ワールズエンド・ダンスホール」
2009年に処女作「グレーゾーンにて。」を投稿し、その後の数曲はそこそこしっかり伸びて同年6曲目の「裏表ラバーズ」が大ヒット。
ハイテンポな高音ロックサウンドが特徴で、「ボカロっぽい曲」という概念を確立したPのうちの1人だと思う。
2011年まで毎年投稿していたが人間のバンド「ヒトリエ」を結成したためボカロは一旦休止。
ちなみにボカロPが人間のバンドを組むのはよくあることである。ボカロP活動とのバランスは人それぞれ。
そして2017年に初音ミク10周年記念CD用書き下ろし曲「アンノウン・マザーグース」を投稿。ライブで最高に楽しい曲。
2019年死去。
ボカロPが亡くなるというのはさすがによくあることではないが、「ルカルカ★ナイトフィーバー」などのSAMナイトシリーズで有名なsamfree、「Q」「ストロボラスト」の椎名もた(ぽわぽわP)、「オマーン湖」の乙Pなどもすでに亡くなっている。
samfreeはあいみょんのデビューシングルの編曲やアニソン制作もしている超有名P、ぽわぽわPは「ストロボラスト」投稿時16歳ということもあり非常に注目されているPだった。乙Pは曲タイトルでお察しください。
この人たちはレーベルに所属していたり、活動仲間がいたため亡くなったことを知ることができたが、ボカロPには消息不明のPも多い。
突然帰ってくることもあるが、本当に亡くなっているPもいると思う。
ボカロをしっかり聴き始めたのは2010年なので2009年以前の話は詳しくないです。すみません。
作品として失敗だったと思うし、商業的に振るわなかったのはそれが原因だと思う。
なによりも、監督・演出の原作に対する愛と理解が足りなかった。
OPの演出でまずそれがわかる。
イマジネーターに宮下藤花が直面して茫然とする演出なんだけど、そうじゃないんだよ。
完全に話の筋を表面でしか理解してないとしか思えない演出で、その時点でおれはヤバイと思った。
ニュルンベルクを削ってめちゃくちゃネットで燃えてた兼とかがそうだし。
あと「笑わない」の末間パートと木村パートを削るとか、原作が伝えていたものを伝えないのと同じ。
事件が終わった後も何があったのか判らないで苦しんでいる人がいる、ということが何よりも大事だったんだが?
早乙女くんがマンティコアを庇った描写をわかりやすくしなかったことも重要度を読み取れてないとしか言いようがないし。
山田くんをクソ陰キャとして描写したことも、単なる解釈違いといえばそうだが、ダメだと俺は思う。あれはどちらかというとイケメンですら陰キャ的に苦しんでいるみたいな話なんだよな。
そういう明らかな理解不足は、元増田も書いてる通り後半になるほど解消されたよ。
イマジネーターでマシになってきて、口笛もそのへんから入ったのがあったし、夜明けや歪曲王マジでよかったし。
でもそれって、アニメ作りながら監督・演出が原作を読み込んでたってことだと思うんだよね。
そういう、なんていうか愛の無さを感じたのが全体的につらいアニメ化だったし、失敗したけどよかったみたいにはしたくない。
マジで知らんのか
立憲民主党に騙されないで!
立憲民主党で二次公認をいただきましたが、手塚よしお議員とその秘書、東京14支部から立候補予定木村たけつか元議員に、密室で幾度も選挙辞退するようにと、パワハラをうけました。
木村たけつか元議員は、タクシーで私の手を撫でるように触りそして握ってきました。
https://twitter.com/yamakawayuuna/status/1381877394307342338?s=19
これを、立憲民主党の都連に相談しましたが、都連のTOPが手塚よしお議員の為、幹事会で20数名いる東京の幹事は見過ごし、わたしを辞退においこみました。
https://twitter.com/yamakawayuuna/status/1381877459230978048?s=19
塩村さんに至っては同じ女性であり、都議時代にセクハラパワハラ受け、現在では参議院議員になりましたが、男性社会で生きてく女性の術を見つけたようであります,#立憲共産党
#手塚よしお
#木村たけつか
https://twitter.com/yamakawayuuna/status/1381877861481504771?s=19
『貧乏舌』という言葉がある。共通理解としては「本当に美味しいものを食べた経験が無い人間は、食べ物の美味しさを理解する能力が乏しい」といった意味合いの言葉であると言っても差し支え無いであろう。
悲劇的かつ喜劇的な話だが「貧乏舌」の人間は、本人には自覚が無いことが屢々ある。一つ例を挙げる。
この文章を目にしている貴方も知っていると思うが、松本人志という有名なお笑い芸人がいる。昔の話だが、松本は彼の子分である木村祐一のことを「キム(=木村祐一)の作る料理はめっちゃ美味い!」と褒めていた。それもあってか「『あの』木村祐一が監修した!」という触れ込みで、料理本が出版されたこともある。
ある時、テレビで「料理が得意な芸能人が作った料理をプロの料理人が採点する」という企画が行われた。件の木村祐一もチャレンジした。しかし、結果は悲惨であった。プロの料理人たちは、木村の料理には低い評価しか与えなかったのだ。
松本人志はことある毎に「オレは金持っとるねん」と言いたがることで有名である。しかし、松本のテレビ・ラジオを視聴している、もしくは嘗て視聴していた人間ならば知ってのとおり、だいたい松本の「食に関する話」というのは「チェーン居酒屋」や「コンビニ飯」ぐらいのものである。そんな人間が褒める「美味しい食べ物」を、苟もプロの料理人が評価する訳が無いのである。
かつてフランスの文筆家は次のような箴言を残した。「富めることと同じく、貧しさもまた一つの才能である。貧しい人間が富を手にしたならば、贅沢な貧しさをひけらかすであろう」と。
まあ、飲食物に関しては我々一般人も松本人志と五十歩百歩であろうし、あくまでも「貧乏舌」の事例の一つとして出しただけなので、松本の話はここで終わる。
長々と話してきたが何を言いたいかといえば、味覚以外の感性が関わる分野に於いても「貧乏舌」はある。例えば、ジャンボ尾崎ヘアーを「イケている」と感じて我が子に施すような親は「ファッションに関する貧乏舌」の持ち主なのである。
漫画のような「子供でも味わうことが可能な娯楽コンテンツ」でも同様である。漫画を描いたり読んだりする行為に於いても「貧乏舌」はある。率直に言うが、星の数ほど漫画が有り、しかも優れた作品が数多有るという2021年現在の日本社会に暮らしていて、ONE PIECEキャラのコスプレをするのは、よほどの「漫画に関する貧乏舌」の持ち主しかいないと私は踏んでいる。現代のリアルタイムで少年ジャンプを読んでいる子供たちから見れば「何か知らないけど昔から連載されている漫画。でも、誰が、何のために、今は何をしているのかがよく分からない漫画」である。「親が単行本を持っているから」と言う人もいるが、他の漫画が有る状況で子供たち自身に選択させれば、子供たちは十中八九ONE PIECE以外を選ぶ。このカシオミニを賭けてもいい。
またか。どうでもいい話だ。まあ、どうでもいいので、顕性と潜性になってもいいと思うよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1700955
みなさんが生活上どういう場面で優性と劣性という言葉に出会うのかわからないが、仕事上日常的にこれらの用語を用いている職業がある。遺伝専門医と遺伝カウンセラーである。これらの専門家の職能集団からなる学会が、「日本人類遺伝学会」。「日本遺伝学会」ではない。わかりにくいな〜と思われると思うが、これは欧米にある同様の名前の学会の日本語訳だから(つまり優性or顕性と同じ問題だ)。
日本人類遺伝学会は、The Japan Society of Human Genetics
日本遺伝学会は、The Genetics Society of Japan
英語にしてみるとなおのこと、「顕性と潜性」に勝るとも劣らないどうでもいい違いだが、しかし所属している人間は丸々違うのである。
日本遺伝学会は静岡の三島の国立遺伝研が率いる学会であり、進化とか集団遺伝とか縄文人とか、そういったことをやっている(と思う)。生物学とか数学とか(遺伝学は割と数学が幅を効かせる学問)。世界的な遺伝学者であった故木村資生先生はこっち。一方日本人類遺伝学会は国内の遺伝病患者を診ているような医療機関(ほぼ大学病院)が持ち回りで運営している。病気寄りで、医者が中心。国際ヒトゲノム計画のときも、日本代表は日本人類遺伝学会の榊先生だった。別に取り合いになったわけではなく、国立遺伝研は「そんな労働みたいなくだらないことに研究者を参加させるわけにはいかない」とかいうわけで参加を拒否したらしい。一方、日本人類遺伝学会会員は比較的、労働的な研究を好むような気がする。次世代シーケンサーとか。
さてここで優性/劣性を、顕性/潜性と変えようとしているのが日本遺伝学会である。
日本人類遺伝学会はそうでもない。なんだかやる気のない声明文を出している。
興味深いのは、ヒトを、遺伝性疾患を診ている日本人類遺伝学会は大して興味がなく、サルとか縄文人の日本遺伝学会が必死に優性/劣性を変えようとしている、という構図である。
実務的に見ると、常染色体劣性遺伝性疾患の患者さんが、「劣性」という言葉に強いコンプレックスとか別に感じていないように思われる。
なんなら、常染色体優性遺伝性疾患の患者さんが自分は優れているだなんて鼻にかけるなど微塵もあり得るはずがない。
そうである。単純な話、常染色体劣性だろうが、常染色体優性だろうが、伴性劣性だろうが、辛いものは辛いのが遺伝病である。言葉遊びはどうでも良い。
優性だから優生思想で優遇されそうもないことは、ちょっと遺伝カウンセリングを受ければすぐわかる。
そう、優性疾患の原因バリアントは、劣性疾患よりも強い選択淘汰を受け、集団頻度が低いのである。ほとんど全ての人間が、劣性バリアントをヘテロ接合体の形でたまたま持っているが、優性バリアントをたまたま持っている非遺伝子疾患の人というのは定義上いない(浸透率の問題はあるが)。
そしてまた、優性だろうが劣性だろうが遺伝性疾患には耐え難い精神的辛さがつきまとう。なぜならそれは遺伝する病気だから。親が自分を責めずして誰を責めることができよう。そんな親に、自分を責める必要はないと伝えるのが遺伝カウンセラーや遺伝専門医の仕事である。優性とか劣性とかどーでもええわ!遺伝病そのものが差別の対象であり、取り組むべきはスティグマとしての遺伝病という見方の改善である。優性・劣性にこだわるのは実務を知らない人間たちである。私たちには他に、もっと先に、もっと多大な時間をかけて解決しなければならない問題がある。
もちろん、世の中というのは実務者というブルーワーカーとは関係なく変わっていくので、いずれみんな特に迷いもなく顕性と潜性に変わっていくだろう。精神分裂病を統合失調症と言い換える、至極どーでもいい言葉遊びがきちんと定着したのと同じように。
統合失調症になって何か変わりましたか?誰かが救われましたか?
まあどっちでもいいっすよね。
そんなことよりも実務家は、本当に深刻なことを防ぐために努力しなければならない。
うつ病になりやすい遺伝的因子を持っていたら、就業時に差別される・・・そんなことを許してはいけない。そんな社会にならないように、今すぐ動かねばいけないんです!私たちは実務家で、馬鹿だから、優性とか劣性とかいう言葉で誰が不幸になるのかよく知らない。しかし、遺伝情報差別禁止法がないために不幸になる人間は、今後きっと現れる。一刻も早く手を打つべきなんです。
くだらない言葉遊びはやめよう。本質的な意味で、今のゲノム研究の進歩は危険だ。現代のゲノム研究の進歩に基づき、社会倫理的にまずやらねばならないことは、遺伝情報差別禁止法だ。優性か劣性かの言葉遊びなんかじゃない。みんな目覚めてほしい。
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら