『貧乏舌』という言葉がある。共通理解としては「本当に美味しいものを食べた経験が無い人間は、食べ物の美味しさを理解する能力が乏しい」といった意味合いの言葉であると言っても差し支え無いであろう。
悲劇的かつ喜劇的な話だが「貧乏舌」の人間は、本人には自覚が無いことが屢々ある。一つ例を挙げる。
この文章を目にしている貴方も知っていると思うが、松本人志という有名なお笑い芸人がいる。昔の話だが、松本は彼の子分である木村祐一のことを「キム(=木村祐一)の作る料理はめっちゃ美味い!」と褒めていた。それもあってか「『あの』木村祐一が監修した!」という触れ込みで、料理本が出版されたこともある。
ある時、テレビで「料理が得意な芸能人が作った料理をプロの料理人が採点する」という企画が行われた。件の木村祐一もチャレンジした。しかし、結果は悲惨であった。プロの料理人たちは、木村の料理には低い評価しか与えなかったのだ。
松本人志はことある毎に「オレは金持っとるねん」と言いたがることで有名である。しかし、松本のテレビ・ラジオを視聴している、もしくは嘗て視聴していた人間ならば知ってのとおり、だいたい松本の「食に関する話」というのは「チェーン居酒屋」や「コンビニ飯」ぐらいのものである。そんな人間が褒める「美味しい食べ物」を、苟もプロの料理人が評価する訳が無いのである。
かつてフランスの文筆家は次のような箴言を残した。「富めることと同じく、貧しさもまた一つの才能である。貧しい人間が富を手にしたならば、贅沢な貧しさをひけらかすであろう」と。
まあ、飲食物に関しては我々一般人も松本人志と五十歩百歩であろうし、あくまでも「貧乏舌」の事例の一つとして出しただけなので、松本の話はここで終わる。
長々と話してきたが何を言いたいかといえば、味覚以外の感性が関わる分野に於いても「貧乏舌」はある。例えば、ジャンボ尾崎ヘアーを「イケている」と感じて我が子に施すような親は「ファッションに関する貧乏舌」の持ち主なのである。
漫画のような「子供でも味わうことが可能な娯楽コンテンツ」でも同様である。漫画を描いたり読んだりする行為に於いても「貧乏舌」はある。率直に言うが、星の数ほど漫画が有り、しかも優れた作品が数多有るという2021年現在の日本社会に暮らしていて、ONE PIECEキャラのコスプレをするのは、よほどの「漫画に関する貧乏舌」の持ち主しかいないと私は踏んでいる。現代のリアルタイムで少年ジャンプを読んでいる子供たちから見れば「何か知らないけど昔から連載されている漫画。でも、誰が、何のために、今は何をしているのかがよく分からない漫画」である。「親が単行本を持っているから」と言う人もいるが、他の漫画が有る状況で子供たち自身に選択させれば、子供たちは十中八九ONE PIECE以外を選ぶ。このカシオミニを賭けてもいい。
私と妻の間に子供はいない。その分、愛情の捌け口(?)として甥っ子・姪っ子を可愛がっている。彼らの成長の記録を見るのは楽しい。夫婦揃って「親馬鹿」ならぬ「オジ馬鹿」と「オ...
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たしかに今の中1の世代にワンピースってそこまでメジャーじゃないな
なにげに鋭いな
鬼滅が全てだと思うなよ 頭沸いてんのか
親の支配下に入ってるのはその辺で分かっちゃうよね そういう所を見てかわいそうだと思うけど、俺にはどうしようも無い…
学校に行かないというのは、同年代の子供と付き合う機会が少ないわけで、周りの大人(おもに親)の影響をもろに受ける。 学校には行ってるが、学校外で友達付き合いのない、うちの...
すごくわかる 同年代の友達いない子って親の趣味趣向をそのまま吸収するんだよね それが良く作用するか悪く作用するかはその子の資質と環境次第
コミュニティが限られているとそのコミュニティに最適化するということだな 子供の教育にしろ、寂しい人が怪しい宗教に傾倒するような例にしろ そういう意味ではコミュ障というのは...
今は鬼滅より呪術廻戦のほうが熱い。うちの子はゆたぼんの1つ下だけど一番好きな漫画は進撃の巨人と言ってる、自分生まれる前の作品なのに、しかもわたしらが教えたわけでもないの...
大抵の子供は、親の好みでキリスト教徒やユダヤ教徒になるんじゃないの?子供の自由意思って何なの?俺は本当に俺の自由意思で鬼滅やワンピを読んでるの?おまえらはどうなの?
「俺はパパと一緒にみたワンピの世界にひたりたいのにみんなは鬼滅じゃないと遊んでくれないから学校行きたくない!」こうですかわかりません。 いじめのせいにしろそうでないにし...
人の子供に関心を寄せすぎるのもどうかと思うよ (姪甥も含めて)