はてなキーワード: 昭和48年とは
北村紗枝氏がむやみに叩かれているそうなので、周辺を調べてみた
表面的な問題は草津の公職者の冤罪か犯罪隠しであるが、あえて掘ってみるならば原因はイプセンの「民衆の敵」ではないかと思われた
「民衆の敵」(1882年)は鉱毒被害の告発本で、明治日本の主要産業は銅の輸出であったので、銅山営業のために、出版禁止にされていたと思われる書籍である
主要な銅山である足尾銅山の鉱毒は早くも1878年(明治11年)には報道されており、酸性雨、草木の枯死、魚の大量死、洪水もあった
そこで1882年(明治15年)、イプセンがスウェーデン下のノルウェーで「民衆の敵」を出版した
しかし原書か英訳を読むことができたのは、商社関係者か、法曹か医師ぐらいだったと思われる
日本政府がしぶしぶ鉱毒調査委員会を設置したのは、1897年(明治30年)で、その後の1901年(明治34年)にようやくイプセンの邦訳がある(大阪の元医師高安月郊)
それから更に何年も経過し、「人形の家」(1879年)の29年遅れで1910年(大正9年)、「民衆の敵」は39年遅れで1921年(大正10年)にようやく邦訳
戦後の高度成長期には、日本の銅は1ドル360円の固定相場で輸出された
僅かな被害対策が行われたまま鉱山は稼働し続け、1973年(昭和48年)に閉山となったときには、為替レートがあっさり変動制に移行している
したがって、「民衆の敵」の邦訳遅れや円安固定相場制は、日英米共同の銅ダンピング政策だった可能性もあろう
昭和48年(1973).6.11〔国士舘生が朝鮮学校生襲うなど大暴れ〕
東京都新宿区の新宿駅ホームで、ラッシュ時の人混みの中、国士舘高校生20人と朝鮮中高級学校生20人が乱闘となり、
喫茶店のガラスが割られ、突き飛ばされた老女(70)が階段から転げ落ちて2週間のケガを負った。
翌12日、高田馬場駅で国士舘大学生20人が「朝鮮人をぶっ殺してやる」と朝鮮中高級学校生を木刀で襲い、電車のガラスを割って3人逮捕。
5.12に国士舘大学生2人が和光高校生数人を襲い重傷を負わせ、
5.22に国士舘高校1年生(15)が他校生に暴行を加えて木につかまってミンミンゼミのマネをさせ、
6.2には国士舘大学1年生2人(18,19)が小田急線電車内で東京芸大講師(32)にからんで重傷を負わせ、
6.5には国士館大学1年生3人が小田急線電車内の吊革14本をナイフで切断して逮捕されるなど事件が続いており、
国士舘の右翼的教育方針に原因があるのではないかと国会でも取り上げられ大問題となった。
川崎市中原区小杉町の国鉄・東横線武蔵小杉駅前広場で、地元高校生三人が国士舘高校生ら二人に千円を脅し取られた事件を
調べている川崎中原署は19日までに横浜市港北区、国士舘高校1年A(15)を恐喝と暴行の疑いで補導、書類送検した。
5月22日午後4時ころ、同駅バスターミナルで地元高校生十人がバスを待っていたところ、
二人が来て「お前たち態度が大きい。おれたちは国士舘だ。金を出せ」と脅し、
近くでこれを見たC君(16)が注意したところ、二人は「生意気だ」とC君の顔を殴り、腹や背中を蹴るなど乱暴した。
さらにこれを見たD君(16)が止めに入ったところ、「やる気か、国士舘をナメるな。ミンミンゼミをやれば許してやる」と言われた。
「ミンミンゼミ」とは木などにつかまりセミの鳴きまねをするもので、同署の調べでは国士舘内部で上級生が下級生のシゴキに行っているもの。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/DividedSelf_94/status/1465862459244298244
人間は「痛み」を感じます。動物、特に系統的に人間に近い種ほど、人間と似た神経構造を持っており、人間に近い「痛み」を感じていると科学的に考えられます。
また、植物は動物と違って神経を持たないため、人間とその他脊椎動物が共有しているような意味での「痛み」をそもそも持ちません。
植物が傷つけれた場合にある種の化学反応を起こすことは知られていますが、それを人間や哺乳類が共有しているような「痛み」とは根本的に異なるものです。
「植物は痛みを感じている」というのは、ヒマワリの花がそのてっぺんに咲いてるのを見て、ヒマワリは人間やキリンのように頭があるというようなものです。
一方、人気のはてなユーザは何を言っているでしょうか。
その理屈だと植物の痛覚が証明されたら詰む。植物の葉が虫に囓られると他の葉に刺激が伝わることは既に分かっている。植物にも痛覚はあるという前提で踏み倒す方が合理的だろう。もっと生物殺しの顔をしよう。
植物には痛覚があることが証明されることは永遠にないでしょう。神経がないのだから。もちろんヒマワリが歌を歌ったり、キリンが原子力発電所を作る可能性を夢見るのは悪いことではありません。
痛みを感じるかどうかも科学的でもなんでもなく人間の想像を基にした宗教だけどね。とはいえ、痛みが苦しみであるは共感を得られやすい宗教ってだけで、異宗教は虐殺していいがキリスト教含めた一神教の原理主義
痛みを感じるかどうかが人間の空想、宗教なら、麻酔治療はおまじないなのでしょうか。
葉っぱちぎると植物全体から化学物質が出てくる。これを痛みを感じてるとしない理由を科学的に教えて欲しい。嫌がって必死になってるなら広い意味で痛みを感じてると言えるだろう。文系の連中は度し難い
「植物が痛みを感じてる」という感想の方が、どう考えても比喩であり文学の領域でしょう。
何でこんな幼稚で非科学的な意見に☆が集まるのかといえば、「ヴィーガンや動物愛護活動家は非科学的・宗教的な信念を持っている。肉を食べている我々は科学的である。」という強い偏見を多くの人が持っているからかもしれません。冷静に常識的に考えれば「植物は痛みを感じている」という主張はおかしいことに気づくとは思うのですが。
もちろん、事実の認識が科学的で正確かどうかと、その認識に基づいた判断が倫理的に正しいのかは別です。
肉食を正当化するなら、「確かに動物は植物と違って人間のような痛みを感じている。しかし、動物を殺すことは~~という理由で正当化できる。」というような主張をした方が良いと思います。
「『痛み』なんか人間の想像でしかない」みたいな極端なことを言う人もいますが、もう少し日常的なレベルでものを考えた方がいいでしょう。他人に大きな「痛み」を与えることは一般的に法的に禁じられていますし、「痛み」を緩和させるために様々な医学的知識が使われています。
「痛み」だけを倫理の基準になるのも明らかに良いとは思われませんが(安楽死さえすれば人を殺してOK?)、現代日本の倫理の物差しにおいて「痛み」が重要なのは言うまでもない。
「動物愛護法」という法律があります。日本の国法レベルで、植物と動物は違う取り扱いをしてね、と言っていますから、西欧と日本の倫理観にそこまで大きな違いはないように私は思います。
「第二条 動物が命あるものであることにかんがみ、何人も、動物をみだりに殺し、傷つけ、又は苦しめることのないようにするのみでなく、人と動物の共生に配慮しつつ、その習性を考慮して適正に取り扱うようにしなければならない。」
やっぱり動物にむやみに苦痛を与えたらダメだよ~と言っていますね。
動物の殺処分方法に関する指針(平成19年11月12日環境省告示第105号)
管理者及び殺処分実施者は、動物を殺処分しなければならない場合にあっては、殺処分動物の生理、生態、習性等を理解し、生命の尊厳性を尊重することを理念として、その動物に苦痛を与えない方法によるよう努めるとともに、殺処分動物による人の生命、身体又は財産に対する侵害及び人の生活環境の汚損を防止するよう努めること。
第2 定義
この指針において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めると
ころによる。
(1)対象動物 この指針の対象となる動物で、動物の愛護及び管理に関する
法律(昭和48年法律第105号)第44条第4項各号に掲げる動物
(4)苦痛 痛覚刺激による痛み並びに中枢の興奮等による苦悩、恐怖、不安
(5)管理者 殺処分動物の保管及び殺処分を行う施設並びに殺処分動物を管
理する者をいう。
殺処分動物の殺処分方法は、化学的又は物理的方法により、できる限り殺処分動物に苦痛を与えない方法を用いて当該動物を意識の喪失状態にし、心機能又は肺機能を非可逆的に停止させる方法によるほか、社会的に容認されている通常の方法によること。
もっといろいろ読むなら
https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/1_law/baseline.html
何言ってんだこのおっさん、と思ってググってみて驚いた。
カレーやシチュー、スパイスなどの印象が強いハウス食品ですが、「うまかっちゃん」などのインスタントラーメンも販売しています。ハウス食品における即席めんの歴史は1973年(昭和48年)に「シャンメン」を発売し、即席めん業界に参入したことに端を発しました。
その翌年、シャンメンのシリーズとして発売された「たまごめん」は、コック帽にエプロン姿の玉子がポップなリズムで踊り出すアニメーションのCMが目を引いたものです。
耳に残ったのがこのメロディー。この歌はCMオリジナル曲ではなく、1951年(昭和26年)2月にリリースされた「ミネソタの卵売り」という曲の替え唄なのです。女優であり歌手の暁テル子(あかつきてるこ)が歌ってヒットしたもので、
ハウスのインスタントラーメンに驚き、暁テル子と言う人のヒット曲と言うのに驚いた。
色んなところに、色んな歴史があるもんだね。
・国会議事録( https://kokkai.ndl.go.jp/#/ )から「丁寧に説明」「丁寧な説明」を検索し結果を取得、合算
・発言総数は、5509回
岸田文雄 108
石井啓一 60
西村康稔 55
麻生太郎 52
中谷元 50
菅義偉 49
茂木敏充 42
塩崎恭久 39
岩屋毅 37
吉川貴盛 35
望月義夫 35
野田佳彦 34
林芳正 32
梶山弘志 25
野上浩太郎 25
下村博文 25
■年別推移
令和3年 350
令和2年 391
令和元年 463 (平成31年を含む)
平成30年 621
平成29年 497
平成27年 569
平成26年 446
平成24年 188
平成23年 185
平成22年 93
平成21年 76
平成20年 77
平成19年 64
平成18年 102
平成17年 83
平成16年 53
平成15年 39
平成14年 43
平成13年 26
平成11年 43
平成9年 16
平成7年 9
平成6年 6
平成5年 13
平成4年 8
平成3年 14
平成元年 8
昭和63年 5
昭和62年 5
昭和61年 3
昭和59年 3
昭和58年 2
昭和57年 6
昭和56年 4
昭和55年 7
昭和54年 5
昭和53年 5
昭和52年 3
昭和51年 7
昭和50年 3
昭和49年 2
昭和48年 4
昭和47年 1
昭和46年 2
昭和45年 4
昭和44年 5
昭和43年 7
昭和42年 8
昭和41年 4
昭和40年 4
昭和39年 3
昭和38年 4
昭和37年 5
昭和36年 6
昭和35年 2
昭和34年 5
昭和33年 7
昭和32年 6
昭和31年 4
昭和29年 8
昭和28年 8
昭和27年 5
昭和26年 7
昭和25年 8
昭和24年 4
昭和23年 6
ワイは46歳。箱ヘルによく行く。女子は19歳から35歳くらいまで居る。
先日ふと思いついた。同い年の女子はどんなエロなんだろうか。昭和48年生まれだ。
globe口ずさみながらおっぱい触りたい。相手が光GENJIで来るか、
ジュンスカ、レピッシュで来るか、サムライトルーパーだって、構わない。
でも僕はそのとき30歳手前で、お姉さんも35歳はいってないと思う。
「私たちは暑いねーとか、暇だねーとか。(私より)お姉様方は薬の話。
あの薬が良いよとかこれ飲んでるとか。さらにお姉様方は保険とか貯蓄の話。とかしてる。
って話をされて、その話のときもワイのちんこをゆっくりしごきながらだった。
帰るとき「私で良かった?」と聞かれて「すごく気持ちよかったです。エロくて」
「そう、良かった」なんてやり取りがあったから、
年金ってのは始まるときにアンケートとったんだよ「老後いくらあったら生活できますか?っ」て
そのときに「月5万」って答えが多数だったの、これまじの話。
それが東京オリンピックよりちょっと前の話、ちょうど大河ドラマやってるね、俺はみてないけど。
物価が違う頃とはいえ、さすがに無理じゃねえの?お前らちょっとかっこつけて回答してね??
とは思うんだが、まあ1961年頃は老後に必要な月額って5万円だったんだよね。
で、始まってから10年少したった、昭和48年に夫婦5万円年金が実現して、やったー!俺がんばったよーって政府がほざいたのが高度成長期末期頃、もちろん俺の生まれる前の話。
それから5万じゃ足りないね、なんで?って問題が出たので、物価経済スライドってのが出来上がる。
が、まあそんなんじゃ全然社会情勢にはついていけてないんだよね。
日本の少子化がニュースになって長いけど、実は少子化自体は1980年代からわかっていて
この時点で 人口を維持できる 出生率2.08を割り込んでいるんだ。
つまり「賦課方式による年金の維持はできない」という事は1980年代から政府にはわかっていた。
なので基本となる5万円っていう数字をあげたくてもあげれない状態になったんだよね、むしろ下げたい。
とはいえまだ人口ボーナスの時代で、東京都では悪名高い美濃部都政が、老人医療無料化なんてぶちかましている頃でな
中枢たる政府もお気楽な日本人気質を発揮して、出生率もあがるっしょwwwみたいなグラフを政府は毎年出すんだけど毎年あがらない
今度はそうこうしているうちに1985年の円高不況から始まる、内需拡大政策が当たってしまい
よしよし、子供が減ってもこの金額維持できるななんとかいけるじゃん?って思うんだな。
ところがどっこい、当然バブルははじけるわけだね。
めんどくさくなってきたので、ここらへんで残りの話は省略するけど
ってのはね、はじまったときの目標値が 5万円だったのを、これでも経済スライドとか物価スライドとか見直しでひきあげて
やっと今の数字にあげてあるんだよ。
っていうそんな話でした。
東京ドームができる前にはその場所に何が立っていたかを調べる番組で、以前は競輪場があったと紹介された。そこで当時のニュース映像が引用された。競輪場をプールとして使用している様子を報道するものだった。来ている客の様子を今のニュース番組と同じ様に紹介するのだが、途中で映った胸の大きな女性客を「ボインちゃんも来ております」とかナレーションが流れる。異様だった。
昭和48年といえば、現在62の親父が昭和30年生まれなのでちょうど青春真っ只中の頃だ。そりゃ、中高年世代は青春時代をこんなニュースが流れるような社会環境で育ったんだから、アップデートしない限りセクハラもしてしまうし女性をモノだと思ってしまうわなあと痛感した
とりあえず記事を読んでほしい。
http://www.sankei.com/region/news/180307/rgn1803070002-n1.html
望まない妊娠で乳児を2度殺害 「お母さんにばらすぞ」と義父に追い込まれ
被害者は義父から13歳から性的虐待を受け、15歳で妊娠.出産。その時に子供を殺め、成人してからも性的虐待によって妊娠、出産、そして子は殺めざるを得ない。
性的虐待を受け、望まない妊娠をし、おろすこともできずに痛い思いをして子を産み、そして自分の手で殺さざるを得なくなる。これが懲役4年。
鬼か悪魔じゃなかろうか。
私がこの事件について、こんなにも腹が立っているのには理由がある。
https://matome.naver.jp/odai/2140671323055729801
昭和28年(女性当時14歳)女性は実父から性的虐待を受けるようになり、17歳の時に妊娠。その後29歳までに実父の子を5人出産(2人は死産)。29歳の時に、結婚したいと実父に打ち明けると実父は(育てていた実父と被害者女性の子)3人の子供を殺すと暴れ出し、耐えきれなくなった女性は実父を絞め殺して出頭した。
この事件では、第一審では刑罰免除、最高裁では執行猶予がついた。
どちらも、最大限に情状酌量が認められた結果だ。
当時は、親に対する殺人(尊属殺という)は、普通の殺人よりも罰が重く、無期懲役かそれ以上に重い罪にしか該当しなかった。その罰則規定を違憲にしてまで、彼女に刑罰免除や執行猶予を与えた。
昭和48年だ。
今は何年だ???
カレンダーを見てくれ。
そう、今は2018年。
平成なら、もう終わりかけの30年だ。
言い方は悪いがそれだけだ。
運悪くレイプ被害者になり。
そして前科までつく。
無罪放免でも誰も文句は言うまい、義父の判決が相当重いものになるように期待するだけだ。
本当に本当に、心の底から腹立たしい。
前置きが非常に長くなったが、腹立たしさの詳細を語らせてくれ。
まずはこれだ。
実刑の理由が、2度目の殺人について、「被告人は当時すでに成人しており、手段を尽くして殺害を避けるべきだった」
13歳から性的虐待を受け、15歳で妊娠、出産、そして子殺し、その後も性的虐待を受け続けた被告に、普通の成人と同じように判断できたと思うか。
被告は13歳からずっと義父の支配下にあった。脅迫もあったとされている。そんな状態で、正常な判断はできなかっただろう。
彼女は2度の出産以外にも、何度も妊娠中絶を繰り返しているようだ。
中絶費用の工面を、他の人になぜ頼まなかったのか、という検察側の問いに、被告は
「私自身、諦めてしまった。赤ちゃんの命を軽はずみに扱ってしまった」と答えた。
諦めるほど、追い込まれていたのだ。
(これは賛否両論あるだろうが、そもそも中絶自体が殺人だろうと思う、今回の事件のような例を減らすためにも妊娠中絶には賛成だが)
まずは彼女がこれ以上性的虐待の被害を受けることがないことに安心すべきだろう。
腹立たしいポイント2つ目。
裁判長は「体に気をつけて務めを果たし、2人の子供の供養をしてほしい」と被告に声をかけたらしい。
でも、それでもだ。
まず被告がするべきは自分を大切にすることだ。司法や判決すら大切にしてくれない被告本人を。
被告がするべき最大で最優先のことは自分の身の上に起こったことに怒り、義父を憎むことだ。
2人の子供の供養なんてその後でいい。
自分がやりたかったらすればいいし、ましてや裁判官に言われることではない。
裁判では、裁判官の中では、殺された子が被害者かもしれないが、最大の被害者は被告本人だ。
15年以上も性的虐待に耐え、何度も妊娠中絶に耐え、出産しても、耐えた。
耐えて、被告は今も生きている。
ここまで読みにくかったと思う。
それでも、読んでくれた人に問いたい。
ウナギイヌのような通称名は、ふつう「○○(のような)××」という意味でつけられることが多いようですが、ウナギイヌの場合は犬とウナギのハーフであるというキャラクター設定上、単に「ウナギのような犬」つまり犬に分類することが妥当であるかどうかは分かりません。また、原作では初登場時、二回目登場時のいずれも「蒲焼にされ食された」という話がある(Wikipedia)ため、ウナギのように食することが不可能ではないのかもしれません。(ただし、これは「天才バカボン」の登場人物(中でもバカボンのパパ)の感覚・味覚が「正常人のそれと大きく変わらない」という前提によっていますので、これも断言することは難しいと言えます。普通に犬肉であるにもかかわらず「ウナギだから蒲焼だろう」と判断してむりやり蒲焼で食べたという推論も成り立つからです。)
ただ、人語を解する点はこの際おくとして、陸棲しペットのように扱われている現状からみると、検討に際しては、
「動物の愛護及び管理に関する法律」 (昭和48年法律第105号)
の条文を踏まえる必要があるでしょう。食することは違法ではなくても、殺傷することは法に触れる恐れがあります。したがって、これを調理するに際しては、原作のように「肉を落とし骨だけにしても普通に生きている」という状態にする必要があり、大量に飼育し蒲焼の材料とする上ではそこに一番のハードルがあるように思われます。
公務員保育士の給与削減を理由に民間保育士に対する給与補助も打ち切りました。以下説明。
大阪市には『民間社会福祉施設従事職員給与改善費』という補助金がありました。
これは公務員保育士と民間保育士の待遇差が著しく広がらないよう一定額を補助する制度で、わずかながらも民間保育士の給与水準を引き上げることにつながっていました。決して十分とはいえませんが文字通りの「税金を突っ込んで給料を上げる」施策です。
しかし、昭和48年度から実施されていたこの制度を、橋下氏は「市政改革プラン」の一環として廃止しました。「公務員保育士の給与を民間並みに下げたので民間保育士の給与調整は必要ない」というロジックです。
http://www.city.osaka.lg.jp/shiseikaikakushitsu/cmsfiles/contents/0000163/163563/02-2_13-16.pdf
このように、橋下氏が大阪市政において行ったのは「公務員保育士の給与の引き下げ」だけではありません。元々あった「税金を突っ込んで給料を上げる」施策も廃止してしまったわけです(なお、これ以外にも1歳児保育特別対策費や福祉施設水道料金減免制度の廃止などが行われたため保育士の人権費はさらに圧迫されることになりました)。少なくとも当時の彼が「公務員保育士の給与は下げるが民間保育士の給与は税金を突っ込んでも上げる」という考えをもっていなかったことは明らかでしょう。
このことはtogetterの最後でしっかりと指摘されています。
https://twitter.com/fckisn/status/706808031544086528
にもかかわらず、公務員と民間の区分を理由に彼を擁護するのは的外れだと思う次第です。
はてなブックマーク - 橋下「保育士は税金使って給料上げろ」→「え?」 - Togetterまとめ
※おまけ
大阪市の保育士と幼稚園教員の平均給与は、ことし4月現在、月額約37万円ですが、「高すぎる」という指摘を受け、大阪市人事委員会は、市内にある、ほとんどの民間の保育所と幼稚園を調査し、橋下市長に報告しました。
この中で人事委員会は、市の保育士などの給与水準は、一部の年齢層を除いて、民間を上回っているとして、較差の解消を検討するよう求めました。ただ、市と民間では、保育士の年齢など、組織や人事の構造が大きく異なっているとして、直接的に、民間に合わせて引き下げることには慎重であるべきだとしています。
これに対し、橋下市長は、「今回、初めて民間との比較を行ったが、報告を踏まえて、新たな給料表を作っていきたい」と述べ、市の保育士などの給与水準を見直す方針を示しました。一方で、
「民間の給与が低すぎるから引き下げに慎重になれというのは、腹に落ちない」
と述べ、報告の仕方に注文をつけました。
アメリカで生活していて、クジラやイルカ漁について「The Cove見たよ!」などと時々聞かれることがあるのですが、
大学で受講している統計の授業の教科書(http://www.amazon.com/dp/1478217200 )
の例題 (p.226) で、太地町のイルカ漁についてやや唐突に取り上げられているのを見つけてしまい、
いろいろ疑問がでてきてしまったので備忘録代わりにメモしておきたいと思います。
* イルカは食物連鎖の頂点にいるので、水銀などの濃縮現象がおきます。
* 特にこれは、ときに学校給食でイルカを提供している日本で問題になります。
* 19のハナクジラの筋肉サンプルに含まれる水銀量を調査したところ、ハナクジラには、
95%のconfidence intervalにおいて平均3.29-5.51µg/wg (wet gram)の水銀が含まれている、
という結果になりました。
ということが書いてあって、これってアメリカ人から見たら、日本が①イルカを食べているだけでなく、
②水銀含有量の多いイルカを給食に出している、③規制をしているにも関わらずそれに反する
イルカを給食に出している、というおかしなことになってしまう?と思いちょっと調べてみたのですが、
どうやら、
* 太地町では給食でイルカ肉が提供されていたこともあるが、現在は行われていない
* 追い込み漁が行われている太地町の人口は日本の人口の0.0024%であり (3000/127,000,000)、
日本全国で漁や給食での提供が行われている(た)かのような記述は誤り
* 日本人は約10000年前からイルカ漁をおこなってきた。捕鯨(イルカ含む)は日本古来からの文化である
* 太地町で主にとられているのはスジイルカである(例題で扱われているのはハナクジラの統計)
ということは言えそうな感じがするのですが、調べているうちにちょっとよくわからなくなってきました。
まず、0.4g という例題にあった”政府の基準”なのですが、どうやらこちらの魚介類の
暫定的規制値(昭和48年厚生省(当時)環境衛生局長通達)←かなり古い
(http://www.maff.go.jp/j/syouan/tikusui/gyokai/g_kenko/busitu/02g_kanri_soti.html )
を意味しているようで、そこには、総水銀の暫定規制値として0.4µg/gが記載されており
(例外としてクロマグロ等の記載はあるものの、クジラ、イルカについての文言はない)、
また「暫定規制値を超える魚を流通させないよう効果的に運用」という文言がありました
(疑問1:この通達がまだ活きているかは不明。pdf: http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shokuhin/hyouka/files/report12.pdf )、
一方、愛知県のHP によれば、バンドウイルカやゴンドウイルカについて、
厚生労働省の水銀に関する基準の0.4µg/g をかなりオーバーする20.8 やら7.1やらという数字が並んでいて、
* イルカ等の水銀含有量(http://www.pref.aichi.jp/eiseiken/3f/gyo_hg2.html )
水銀に関する健康基準について言えば、WHOの基準で 1.6 µg/kg体重/ weekということのようなので
(http://jccu.coop/food-safety/qa/qa02_02.html )、体重50kgの人でざっくり 330 µg/month
ということになるところ、 愛知県の先の統計によれば、1ヶ月あたりざっくりバンドウイルカ16.5gまで、
教科書にあるハナゴンドウであれば 60gまではok、という計算になりそうです。
(16.5g/月って、ほぼダメなんじゃ、、)
気になるのが、水銀含有量 0.4µg/g までという当時の厚生省の暫定基準が活きているとすれば、
たとえばバンドウイルカは20.8µg/g という高めの数字が出ているところ、
市場に回っているとすれば(疑問2:実際にイルカは市場にどれくらい出回っているのか)
それは規制との関係でどういうタテツケになっているのか(疑問3)ということ。
そんなことを思っていたら、日本生協連のページにて、クジラやイルカについては、
表示があまりちゃんとされていないので心配です、みたいなことが書いてあって、
数字を見るに結構な割合でちゃんと表示がされてないようなのですが
(どうやって調べているのか分かりませんが、イルカの種類によっては100%不適正な鯨種表示だったりします)、
そんな感じで大丈夫なんでしょうか(疑問4)という更なる疑問がうまれてきてしまいました。
* 不正表示の比率について(http://jccu.coop/food-safety/qa/qa02_02.html)
漁については日本の政府見解のとおり(http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b186038.htm)
だと思いますし、食用にすることについても授業で扱わなければ正直調べてみることもなかったと思うのですが、
玻南ちゃんダメ?…名前受理されず、最高裁へ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091101-OYT1T01018.htm
http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20091103/1257210744
ブクマで盛り上がっていたので気になって調べてみたら、知らなかったことが色々と。ブクマでも一部書いたのですが、せっかくなのでこちらに書いておくことに。個人的には色々思うところはあり、id:good2ndさんの言いたいことも分かるものの、「ルールはルールだから教」という切り口では火に油を注ぐところもあると思ったので、事実関係を中心に(…と思っていたら、最後にぐだぐだ書いてしまった)。
子の名前に使用することのできるルールとして出発点になるのが戸籍法第50条で、これは以下の通り。
第五十条 子の名には、常用平易な文字を用いなければならない。
○2 常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定める。
この規定をうけて、使用できる漢字が限定的に列挙されているとのはご存じの通り。これを読むと、それ以外の漢字は人名に用いることは不可能であるように思われるし、実務上もそれ以外の漢字を用いても受理されません。したがって、このルールが例外のないルールのように読めるのですが、それがそうでもないらしい。
今回の事件は、最近多様な名前がつけられるようになってきて生じてきた問題なのかとおもいきや、以前からこの手の問題はあったということが分かります。ちらっと調べた限りでリーディングケースっぽかったのは、東京家裁昭和48年11月30日審判(家庭裁判月報26巻5号102頁)で、「悠」という命名が問題となった事件(なお、悠の字はのちに人名用漢字に追加、現在では常用漢字)。
若干長めに引用しますが、この審判では「家庭裁判所の判断によって表外漢字を名前に使うことが認められる余地がある」との判断を行い、結論としては悠の字の使用を認めています。
そもそも当用漢字表なるものは、これを定めた昭和二一年内閣告示三二号が、その「まえがき」に示すように、「今日の国民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行なわれることをめやすとして選んだもの」であつて、現代国語を平易に書きあらわすための基準を示すものであり、人名用漢字別表も同様の趣旨で当用漢字表に追加されたものである。もとより戸籍法五〇条によつて委任された同法施行規則六〇条が、子の名に用いるべき漢字を当用漢字および人名用漢字に制限したのは、わが国の国語政策に即応した妥当な処置であつて、戸籍事務担当者の裁量によつては表外漢字を子の名に用いた出生届の受理を認めないものとする実務の取扱いも正当である。しかしながら当用漢字表制定の趣旨は前示のとおりであり、表外漢字を一切使用禁止とするような強力なものではないし、戸籍法五〇条の趣旨も、同法が戸籍事件について市町村長の処分につき家庭裁判所に不服の申立をすることを認めていることからみて、個々の場合に、家庭裁判所の判断により、表外漢字を子の名に用いた出生届の受理をも、実情に即して認容する余地を残したものと解するのが相当である。現に、実務においては襲名等による名の変更許可の場合は、表外漢字の使用が認められる取扱いである(昭和二四年一一月一五日民事甲第二六六六号回答)。
そして、より最近では「琉」の字が問題となった、那覇家裁平成9年11月18日審判(家庭裁判月報50巻3号46頁)があり、ここでも上記の判断が踏襲され、
という判断の下に、琉の字の使用を認める判断がされています(なお、琉の字も現在では人名に用いることができる)。
というわけで、子の名に用いることのできる漢字のルールは、基本的には戸籍法第50条のルールでなのですが、それ以外の漢字を用いる余地が全くないわけではない。家庭裁判所の判断で認められる場合もあり、それで認められた例もある。そして、今回の件では、家庭裁判所で認められなかったので、高裁、最高裁の判断を求めた、という話です。ようするに「使える漢字が限定列挙されているので、例外など認められる余地がなさそうに見えるが、必ずしもそうではない」というのが一点目。
ブコメで問題視する人が多かったのは、親のエゴで無戸籍という重大な不利益を来していることをどう考えるのか?という点。id:good2ndさんはそりゃ親のせいではないだろう、というご意見。この点は、子の命名権を、どのように法的に構成するか(親の権利と考えるか、子の権利を代理しているものと考えるか)など、いろいろあると思うものの、以上の家裁の審判例をみていて気づいたこととして、<いずれの事件でも出生届自体は提出されている>という点は、事実としてあるようです。
「悠」の字に関する事件では、
申立人は、やむなく「名未定」として出生届出をしたが、「悠」という字は、「悠遠」、「悠長」、「悠然」、「悠々自適」等、日常的な単語に多く用いられ、読み方も一般的なものであつて、人名にこの文字を用いることは、生活能率および個人の幸福に何ら支障はない筈であり、同区長の不受理処分は不当である。
という記載が判断中にあり、また「琉」の字に関する事件でも、名前未定として出生届が提出され、戸籍の記載がなされた旨の記述があります。さらに、氏名欄の名の部分を空欄として住民票が作成されていたものの、海外渡航の必要が生じて旅券の申請をしたところ、受理されないという事態が生じていたことが、問題となった理由の一つであったらしい。
実務上も、子の名の欄は空白でも受理するという取り扱いであることは、各自治体の戸籍担当のウェブサイトなどでも確認できます。一般的には、子の名前をまだ考え中であるという場合が多いのでしょう。今回の件では、どういう経緯で無戸籍のままになってしまったかは短い新聞記事からは分からないのですが(「しようこ」のような事例もあるので、現場は想像つきません)、法的に争っている間に、一方的に不利益を被ることを避ける方法は、一応ある模様。
事実関係を中心に、と書いたものの最後に少しだけ。id:good2ndさんの矛先は「子が無戸籍状態になってしまっているのを「親の我侭のせい」というその発想」に向かっていますが、より広く言えば「なんかめんどくさい親!」という感覚の意見に向けられたものなのでしょう。
id:Gakkuri-Kanabun_09 裁判・制度変更等様々なコストとかけてまで変える価値は無いと考える人間が結構いるんだろ。お上ではなく我々の社会が譲歩するという意識があるのかも。クラス会で変な提案する奴うざいみたいな?
的な。
そもそも名前に用いることのできる字が制限されているのは、名前は社会で用いるものである点に由来する(戸籍実務においては、一般人には想像つかないほど色々めんどくさいことがあるのは承知しています)ということのようですが、他方で名前というものは(漢字は表意文字なので、その表記も含めて)、個人のアイデンティティの中核的な構成要素の一つであるということも言えるように思います。
ブクマでもありましたが、そう考えると、
という考え方は当然あり得ると思いますし、(書いていたら当初の想定より遙かに長くなってしまったので引用しませんが)「琉」の字に関する事件では、憲法上の問題としていくつかの主張が整然となされています(憲法上の主張はすべて退けられ、「琉」の字の問題として認容されましたが)。
私自身にはこの件について思い入れがあるわけではなく、子の名前はおよそ何も考えることなく、用いることのできる範囲から選んで名前をつけてしまうと思うのですが、
id:hit-and-run なんでここまでして「玻」にこだわるか他人には理解できない。でも他人には理解できないからってそれを求める自由がないなんてことがあるか!
というコメントが批判するように、「制限を緩和すると自分や社会に問題が生じるから」というのではなく、既存の枠組みに対して自分には価値のないことを主張すること自体を門前払いの対象とするようなコメントが多かったことには、驚き、若干の危惧を覚えました。「悠」や「琉」が認容されるに至った判断で考慮されていた事情をみると、今回の「玻」は微妙なところな感じもしますし、制度論としては、ただちに、「自由に名前をつけるという人格的利益は重要だから制限をすべて撤廃しよう!」という話にはならないと思いますが、そうした考慮とは次元がかなり違うようでしたので。
また、
id:buyobuyo No!といってくれるこういう人がいなければ悪法や悪慣習や悪環境がそのままになるのがこの国なんだよ。こういう人の努力にフリーライドしているくせに、こういう人を叩く奴は…
という指摘のように、声を上げることはみんなのためになっている、という点もあるのだと思います。こういう人がいなければそのままになるのは、この国に限ったことではなく、そういう風にできているのではないかと。特に名前に「悠」の字がついている人などは、そのあたりのことをどう考えるでしょうか。
あほばっかり。
(正確じゃないところがあるかもしれないけど、そのときはごめんなさい。)
国「伊丹空港できたよ!」
国「わかったよ、お金あげるよ」
伊丹市「やっぱうるせえ。空港いらねえ。」 →大阪国際空港撤去都市宣言 昭和48年9月25日 議決
国「確かに住宅地にちかすぎるかも・・・・。どっか別のところにつくろうかな・・・・。神戸沖とかよさそうだけど・・・・」
神戸市「いらんわ、作らせるか、ぼけ。」
国「じゃぁ、泉州沖ぐらいしか残ってないか・・・・」
泉州漁民「魚取れなくなるだろ。あほか。」
泉州自治体「たしかにそうか。やっぱ別に金くれ。あと陸から遠くにしてくれ。」
国「わかったよ。お金あげるよ。5kmぐらい離れとけば大丈夫っしょ。」
↓
関西国際空港完成
↓
国「さてと、騒音問題があった伊丹廃止すっか」
伊丹市(+周辺市)「あほか。廃止させねーよ。」
国「なんで・・・・・」
伊丹市(+周辺市)「梅田から便利だろ。仕事減るだろうが。あほか。」→「大阪国際空港騒音対策協議会」を「大阪国際空港周辺都市対策協議会」に名称変更
国「しかたないなぁ。。。。じゃぁちょっとだけ保留と。」
関空「ちょっ・・・・・・!」
関空「赤字っす・・・・・」
国「関空、おまえどうにかしろよ・・・・・」