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はてなキーワード: クラス会とは

2024-02-01

自殺未遂を繰り返す友人を見放したい

その友人とはサシで会うほど仲は良くないけど学生時代からの友人で、SNSは繋がっていて同窓会とかクラス会で会うしDMかもたまにするくらい。

学生の頃からやや構ってちゃんなところがあったけど嫌われ者ではなかった。

その友人が数年前から病みだして自殺未遂を繰り返すようになった。もう5回くらい。

毎回SNS自殺を仄めかして音信不通になって、なんだかんだ救急搬送されて一命をとりとめて、経緯をSNSに長文で投稿している。

その投稿も、またやっちゃって精神病院入院させられて看護師対応が気に食わなかったからブチギレて暴れてまた未遂した!とかで本当にしょうもない。何度も自殺未遂するようなやつは医療従事から冷たくされるのも当然だろって思うし医療従事者にも申し訳ない。

2回目くらいまでは音信不通になった時本気で心配してDMして共通の友人にも声掛けて安否確認をしたり、その友人が助かったあとにDMが来て泣くほど安心して、死にたい気持ちはわかるけど思い詰めるなとかそれっぽいことを送って引き止めてた。

でも何度引き止めても自殺未遂を繰り返されて、こんなに心配してるのに全然自分言葉が届かなくて、もうそんなに死にたいなら死ねば?って思ってしまう。

今も音信不通になってるけどもうこのまま記憶から消えてくれないかな。

2023-12-14

anond:20231214103037

ブクマカはてなブックマーク

ミソジニー・オブ・ザ・イヤーは特定の人の発言を取り上げて、まるでクラス会で寄ってたかって多勢に無勢で個人バッシングする、みたいなのが品性下劣だってブクマカたちに言われてんの!

特定の人の発言を取り上げて… 寄ってたかって多勢に無勢で… 個人バッシングする…

品性下劣

ブクマカ

はてな

ブックマーク…………

うっ! 頭が!!!

anond:20231214094842

いやだから違う、そうじゃない!!

ミソジニー・オブ・ザ・イヤーは特定の人の発言を取り上げて、まるでクラス会で寄ってたかって多勢に無勢で個人バッシングする、みたいなのが品性下劣だってブクマカたちに言われてんの!

ミラーリングで女を責めるために同じことをしようなんて気には到底ならない。

2023-05-06

私が反対意見を言うのをためらうのは、多数決を嫌った教師のせい

私が中学一年生とき教師は、多数決を嫌う人だった。

クラスで何かを決めるときは、全員が納得しないと進めてはいけないというルールだった。

から、一人でも反対意見を出すと、彼は却下の意を示した。

その結果、全員に納得が得られるまで、何回も同じことでクラス会を開くことになる。

しかし、学活(学級活動)の時間は週に一回しかない。

から、そのクラス会は放課後に開かれることになるわけで、その教師の頃はしばしば、

うちのクラスだけ放課後に、全員でクラス会を開いて帰りが遅くなるということがあった。

これが、生徒の迷惑も考えず遅くまで残しやがって、本当に面倒な教師だったなぁ…

というひとつの思い出で終わればよいのだが、そのクラスの中でも、私だけは違う感情を持っている。

というのは、私は当時、クラス委員だったのだ。

まり私は、むしろ主体的に、クラス全員を遅くまで残してしまっていたのであり、

どちらといえば、そのことを責める側ではなく、責められる側だったのだ。

そのことは当時、本当に苦しかった。

その教師理想は美しかったし、否定したいとは今も全く思わないのだが、

残念なことに、その実現コストは、クラス委員である私ともう一人に丸投げだった。

放課後クラス会には教師は居なかったのだ。

から、居残りで顰蹙を買うのは私たちだった。

クラス全員から見れば、放課後に居残りさせる主体は、教師じゃなく、私たちクラス委員だったのだ。

いや、苦々しい思いをしたのはそれだけではない。

教師自身は、クラス全体の意見をまとめあげようともしなかった。

自分却下の意を示すだけで、その調整は生徒に丸投げだった。

それは当然、クラス委員である私たちに丸投げということになる。

私も、授業合間の休憩時間を潰して説得に回ったりした。

なんで、私だけがそんなことをしなくてはいけなかったのか。

教師は一応、生徒自身が決めるというプロセス大事なので自分は介在しないのだ、みたいなことを言っていたが、

その美しい理想の代償を、クラス委員という特定の生徒に押し付けるのは違うだろうと毎回思っていた。

誰もが納得できる意見の実現という理想をさも美しく語るたびに、その実現方法を具体的に示せよ!

社会科教師なんだから、その歴史からなんかヒントをくれよ!と思っていた。

(そう、その影響で、個人的には、歴史の授業(というより、「歴史」という概念自体)が大嫌いだった。

その教師が教えた「歴史」というものが、困っていた私にはなんの役にも立たなかったからだ。

しろ、「歴史」を扱う教師が私を困らせていたのだ。

から、「歴史」を学ぶことで、人を困らせてしまう何かが生じるんだとさえ思っていた。)

いや、その理想押し付けで一番許せなかったことは、まだ別にある。

それは未だに、私の意志みたいなものを歪めてしまっている。

それは、反対意見を封じるのはいつも私の役目だった、という罪の意識を与えたことだ。

その教師としては、長々とした話し合いにより、賛成でも反対でもない第三の素晴らしい意見が生まれるとでも思ったのだろうが、

私には、反対意見をしっかり聞いた上で「それでもみんなが言うから…」と言うだけの拙いやり方しかできなかった。

それはもちろん、私に意見の調整能力が無かったのが一番悪かったのだが、それを上手くまとめるヒントみたいなものは、教師からちゃんと示してほしかった。

そのせいで、「なんで、意見を無理やり押し込めるようなことしかできなかったのだろう」といった罪の意識が残ってしまったのだ。

その相手には、私の拙さで、意見をないがしろしたことを未だに申し訳なく思う。

そして、その意識が今度は、私に反対意見を言うことをためらわせてしまうわけだ。

かつてはそれを無理やり妨げた方の人間である私が、それを言っていいのだろうかという意識

また、先述のとおり、反対意見を調整する人間にかかるコストを考えることで、さらに反対意見をためらってしまう。

といった感じで、多数決ではない方法論や調整方法指導しなかった教師のことを思い出すと、未だに腹がたってしまう。

社会教師でもあるので、そのような社会理想を持つのは構わないし、今の私はそれが正しいことだと理解できるわけだが、

その思想の実現によるコストを、特定の生徒に押し付けるべきではなかったと思う。

その結果、自分が反対意見を言おうとすると過去の罪やそのコストを考えてしまい、ためらってしまうようになった、というお話でした。

2023-04-01

お祭り

お祭り気分を思い切り味わって、おべんとうを食べた。その時は2〜3人だった。だから帰りにうちまで送ってくれる人もいた。そうやってすごく楽しかった思い出が残っていて、中3の年末を過ごしてその2、3日後にクラス会があって、年賀状のやりとりをするようになった。高2の終わりくらいから、少し大人しくなったのか「あー、この年になってやっと友達がみんなできたよ」というようなメールばかりになった。そこは「

Anond AI作成

2022-12-21

anond:20221221085901

鹿児島進学会は夏にホテルの大宴会場で全体同窓会18~80歳まで集まります

冬にはクラス会があります

求職活動ほか、コラボが生まれる場でもあります

2022-09-06

最近の俺イケメンすぎて草

高校同期のクラス会で撮った写メが15枚ほど送られてきた

髪型最近良い具合に伸びて(欝苦しくない伸び具合で)似合ってる

しかも頬が以前より痩せ顔が小さく見える

写メでは男子の中でも俺がなかなか輝いていた

いつもは写メとか毎回驚嘆するんだが今回は違ったわ、JO1川尻くんに似てて自分が一番驚いた

こりゃ秋からキャンパスライフは明るいぜ

2022-07-05

夢を見た。

高校クラス会と称してどこかの旅館に集まってる光景

久しぶりに会う友人、当時好きだった人。

みんなあの時から少し歳は取ったけど、変わらず元気そうで楽しい

 

 

そこで夢は終わり、現実にいるのは友人も恋人もいない、仕事もできないキモいおっさんだけ。

みんな家庭を持って、あるいは仕事でうまく行って、俺のことを忘れて、どこか遠くに行ってしまって。

いればいじって面白がられるけど、いなければいないでどうでもいい。

思えばどこてもそんな役回りだった。

どこのコミュニティにも定着できない。

自分のことを好いてくれる人なんてどこにもいない。

 

結婚相談所でも長期在席になってしま仲人放置されるようになってきたし、みんな得ているいろんなものを得られず一人で進んでいくんだろう。

こっちがフィクションであってくれ。生まれ変われたらもう少しマシな脳みそ身体顔面がついていますように。

2022-06-23

中学のころ、治安の悪い土方の家のジャイアンみたいな同級生が、マンガみたいに典型的イジメをしていた

自分は静かに読書をしているタイプだったのでスルーしていたが、

ある日なんかの虫をいじめられっ子の服だかカバンに入れて、

虫がその子にかみついたとかでまあまあの騒動になった(虫の種類は覚えてないが教師が出てきたかムカデか毛虫系の、毒性のあるアレだったのかな)

虫はかみついた状態で胴体だけがなくなっていて無残だった

ワイはなんかその虫が哀れになり、クラス会で「無駄な殺しをするんじゃないよ」とボソッといったのだが、

普段静かな人間意見を言ったので驚かれたらしく、虫関係イジメそれからなくなった

イジメ自体フェードアウトしていったようである

2022-01-14

ヒモみたいなのを飼って30年くらい経つ

小学3年生の頃、どうしても犬を飼いたくて仕方がなかった。

何度親に頼み込んでも、即座に却下される日々。

ある時、俺に天啓が降りてきた

犬を飼えないのなら、ぬいぐるみを飼えばいいじゃない。

ぬいぐるみの犬に、ひもをつけて飼い始めたのだ。

毎朝、ぬいぐるみを引きずって散歩に行く俺。

母親はきっと呆れ顔だったと思う。

それでも、サイヤ人理論を信奉し、季節が変わるたびに骨を折っていることに比べれば、物を散歩させるくらい、まだマシだったのかもしれない。

地面をずりずり引きずるので、やがてぬいぐるみボロボロになり、いつしかどこかへ行ってしまった。

にもかかわらず、俺はひもをペット見立て散歩を続けた。

正真正銘の「ペット紐」、ヒモ太の誕生である

手首のスナップをきかせることで、お手やお座りなど簡単な芸を覚えさせることもできた。

また、ヒモ太はひもであるがゆえに、学校にも連れて行ける。

ひもをペットにするという革新的発想。

それは、クラス中の男子の羨望と女子軽蔑を呼んだ。

男子によるヒモペットブームの到来である

クラス男子の中では、ヒモの素材や見た目によって暗黙の格付けがなされ、ビニール紐は最下層、ラメ入りの金の紐を連れた者は最上位に君臨した。

この時ほど、文具屋の息子がヒーローになったことはない。

もっとも、このブームは長く続かなかった。

ペット学校に連れてきていいのか?

生真面目がすぎる委員長女子問題提起によって、これがクラス会の議題にのぼる。

果たしてヒモペットなのか否か、狂気の話し合いの開始である

長く混沌とした議論の末、「生き物でないとしても、ペット学校に連れてきてはいけない」という謎ルールの制定に至る。

しかし、我々は屈しなかった。

物の不足は、心で補えばいい。

男子達は、空想上のペットを連れているフリをしはじめたのだ。

イマジナリーペットである

俺達は、空想ペットとか、いないペットと呼んでいた。

ある者はドラゴンを飼い、また、ある者は101匹のチワワを飼った。

美少女顔の人面犬7匹を飼っていた彼は、今頃どうしてるだろうか。

我々は、互いに自分ペットの素晴らしさを自慢し合い、時にペット同士の交流も行われた。

俺が空想上のペットとしたのは、ヒモヒモ太。

今思えば、元々飼いたかった犬にしてもよさそうだが、そうはしなかった。

かつて犬の代替品でしかなかったヒモは、イマジナリーペットになって初めて、本当のペットになったのだ。

空想の中までは、さしもの委員長も介入できない。

幸せ時間は、ずっと続くはずだった。

だが、いかんせん小学男子のことである

しばらくすると、みな飽きてきて、空想ペット話題にあがらなくなってきた。

それでも、俺は、こっそり頭の中でヒモを飼い続けた。

それから三十余年。

風の噂では、委員長は、今では人間ヒモを養っているという。

俺はといえば、ヒモ太を看取り、ヒモの子の1人を嫁に出し、もう1人の子とその妻を看取った。

今は、ヒモ太の孫、ヒモ香を飼っている。

いや、本当は、飼ってなんていないのかもしれない。

宇宙11次元ヒモで出来ているという。

俺が、いや、この世界こそが、ヒモに飼われたイマジナリー存在なのかもしれないのだから

https://anond.hatelabo.jp/20220112131313

2022-01-13

どうして関東人は方言話者いじめるのか

でも、慶応入学した後、どうにもキャンパスになじめなかった。フットサルサッカーサークルを回りましたが、すごく体育会気質だったり、「女子が決めたら3点」みたいなゆるゆるだったり。学部の決め方もいい加減だったから、授業にも興味が持てない。とどめは、6月ごろにあったクラス会。語尾に「じゃが」が付く岡山弁が抜けず、内部進学生から「お前はジャガイモ星人だな」といじられて、心が折れた。学校に行かなくなりました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/e41792d59f4c6bf098af262d9d3ee3b33c1f71db

2021-06-27

小学校の頃、かくし芸大会晒し上げられた話

結論から言おう

「全員強制参加の隠し芸大会はパワハラ一種であり、法律によって禁止されるべき文化だ」


それはまだ昭和だった

日本が高度に経済で成長しているとまだ信じていた頃、私は小学校に通っていた。

そして私がいわゆる高学年の頃、教師はやや熱血漢で、今で言う陽キャであり、小学生は誰もが陽キャだと信じている人だった。

ある日彼は

お楽しみ会をやろう。皆が1回ずつ芸をやるんだ」

と口にした。

その時のクラス雰囲気

『うぜ~~。クソデカ宿題をノータイムで投げつけてきたぞアイツ』

となっていた。

その雰囲気を肌で感じとるうちに私はこう思ったのだ。

『どうせ皆やってこないから何も用意せんでも皆で怒られればええやろ』

と。

集う仲間、3人

そして本番が始まった。

あれほど面倒臭がっていた皆はいつの間にか準備を進めており

・小芝居

組体操

楽器演奏

一輪車

クイズ

モノマネ

などの芸を次々と披露していく。

やりたいチームが順繰りに挙手をして中央に出る方式だったので

『さすがにそろそろ誰も出てこなくなるだろ』

と信じながら、残り人数が減るにつれて冷や汗がたれてきた。

『なぜあの陰キャまで……つうかアイツらの一輪車って隠し芸でもなんでもないがありなのか?つうかバク転って……毎日やってるがいいのか?』

そうして最後に3人が残り、吊し上げが始まった。

「Aくんがまだ残ってるよね?」

「Bくんもいるよ順番を早く決めなよ」

「Cくんやった?」

何かを察した教師はその3人を中央に立たせ、淡々とこう告げた。

「緊張しちゃってるんだな。じゃあ次のクラス会のときにやってくれればいいから」

私のクラスは週1でクラス会と言う名の中規模なホームルームがあり、遠足の班を決めたり学級裁判をしていたのだ。

これが意味する所は、

『これから毎週お前達が芸をするかしないかを追求していくからな』

である

そして1人がいなくなった

一週間後、最初クラス会が始まった。

伝達事項に最初の20分が使われると、教師は口を開いた。

「じゃあ、A・B・Cは芸をやってくれるかな?」

なるほどね。

呼ばれた私達にクラス視線が集中する。

それぞれが10:1の不利なメンチ戦を仕掛けられたじろぐ中で、Aが手を上げ、そっと前に出てくる。

教壇に向かって歩み出てて、お互い無言で教師場所を入れ替わる。

片手には小さなトランプ

教壇の上で下手くそ手品が始まる。

見えない……。

ただ、手品をしようとしているという事しか伝わらない。

とはいえなんだかんだ手品っぽいことが行われているので、彼の雰囲気クラスが察し身振り手振りに合わせて声が上がる。

元々緊張しいのAは最後にはプルプルとなりながらも手品を終え、無言で自分の席に歩みだす。

どうやって仕切ればいいのか困惑した教師を残して。

そして、私達2人に向けて注がれる視線を、3分間下を向いて耐え続けると。

「じゃあ次のクラス会でやってくれよな。次の議題は」

逃げるは冬だが春は来る

一週間ごとの晒し上げタイム定番となったまま冬休みへと突入していった。

もはやクラスの全員は我々2人をある種のレジタンスとして認定し、教師はその状況に対して淡々と追求をするだけとなっていた。

冬休みが明けた直後のクラス会、

「じゃあ冬休み中に芸を考えてくれたよな。B。C。」

もちろん、何もない。

私とBは特に仲が良いわけでもなく、遊ぶグループも違うので口裏合わせのようなものは一切なく、ただただお互いが純粋にやるのが面倒くさいから何も用意してきていないだけだった。

『2人で組んでなんかやればいいじゃん?』

という話題が私に振られることもあったし、教師が私達に個別で言ってきたこともあった。

だが2人で組もうがなんだろうが、そもそもやりたい隠し芸がない。

今になって考えれば簡単に「犬と飼い主」や「二人羽織」等の定番コンビ芸を1時間ぐらい練習してさっさとやればいいだけだと思えたろうがとにかくその頃の私達は違ったのだ。

季節は巡っていき、やがて春が来て、私達は卒業していった。

卒業式が終わった後、クラスにそっと集められたとき私はなぜか。

まさかここで、隠し芸の話はしないよな?』

と思いながら教師の話を聞いていた。

話が頭に入らない。

隠し芸の話をするなと祈ることと、そう祈っていることが察せられないようにするので精一杯で何を言っているのか聞こえなかった。


この話はここで終わる。

ただこんだけの話であるが、あの日3人揃って晒し上げられたとき空気は今でも忘れられない。

あれから何十年経ったのかもわからないのに今でも思い出せる。

ちなみに中学生の頃、私は隠し芸を2つ身につけることになる。

それを使って大学時代コンパをし、社会人になってから飲み会でいきなり振られた時に披露したりもした。

なお、ものすごく評判が悪くてどちらも大失敗に終わっている。

隠し芸文化はクソだ。

社会必要がないものだ。

以上だ。

オチはない。

言いたいことは最初に書いてるから最初の3行以外は全部蛇足だ。

2021-06-17

まれてこの方一番スベったギャグ

ナイジェリアから留学生吹奏楽大会トロンボーン担当になったので

「これが本当のクロンボーンやな、ガハハハ」

ってクラス会で言ったらビビるくらい滑り散らかした

もう10年以上前の話だけど当時からBLMの芽生えはあったんやなって

2021-06-06

俺の性癖ねじ曲げた、とあるキスの話

7年前の成人式の夜、俺を嫌っている同級生キスをした。俺は、彼女を好きでも、嫌いでもなかった。でも、恋人が途切れると、あの夜のことを思い出す。

彼女と俺は、同じ苗字だった。世間的にはそうそう多くはないが地元にはままある、といった苗字だ。1学年1クラス小学校で、たまたま俺の学年には彼女と俺のふたりだけだったせいで、「お前ら夫婦じゃ〜ん」だなんだとよくからかわれた。

どうやら彼女は俺を嫌っているらしいと気が付いたのは、小学3年生の秋のことだ。運動会練習中、俺は組体操逆立ちができない彼女を笑ってしまった。言い訳をするならば、子どもらしい、ささやかちょっかいだったはず。しかし、彼女はふーっとため息をつき「そうだね、できないよ」と答えた。それは「強がり」というには冷たすぎて、俺は少し狼狽えた。

勉強のよくできた彼女は、からかいやふざけたノリを快く思ってはいないようだった。俺や俺の悪友たちがちょっかいを出しても、ほとんど気のない返事しか返ってこなかった。頭のいい男子とは、楽しそうに話している姿をよく見かけた。

中2の終わり頃、彼女が1つ上の生徒会会長と付き合っているという噂を聞くようになった。彼女とよく話していた生徒会ガリ勉が、あからさまにショックを受けていた。俺は、なるほど、順当だな、と思ったくらいだった。要するに、そのくらい、彼女と俺との間には壁のようなものがあったのだ。

本題は成人式の夜、どうして彼女キスを交わしたか、だ。

優等生だった彼女が成人代表挨拶をしている間、俺は市営ホール座席パズドラをやりながら、隣のやつとこそこそ話していた。集合写真を撮るとき彼女挨拶までしたくせにささっと端に立ち、控えめに微笑んでいた。俺は、ばあちゃんに買ってもらったポールスミススーツを着て、真ん中でふざけたポーズ写真に写った。

成人式当日の夜、小学校クラス会があった。任意参加だから初めから気心の知れた友達と飲んでもよかったのだが、俺は何となく成人式特有空気に流されるようにしてお仕着せのクラス会に行った。

彼女と何年ぶりかに話をしたのはそのときだ。俺にだけ冷たいと思っていた彼女は、酒を飲んで上機嫌に笑っていて、なんとなく寂しいような気がした。大人になってもツンケンされるほど、気を許されているわけでもないような気がして。

ぶっちゃけ、俺のこと嫌いだったっしょ?」

酒の勢いで、聞いてみた。「実は好きだった」とか、「素直になれなくて」的な答えを期待していなかったといえば嘘になる。

ところが、彼女から返ってきたのは、「……わかる?ごめんね、私ほんと子どもだったから」という肯定言葉だった。彼女は当時の心情をオブラートに包み、ていねいな言葉謝罪してくれた。早熟だった彼女からかいちょっかいといった面倒なやり取りが嫌いで、うるさくてやかまし男子に、嫌気がさしていたという。そこに「同じ苗字」で「やかましい」俺が、ぴったり合致していたのだと。

俺は、「ほんとごめん、俺うるさかったよな」と答えるしかなかった。

有り体に言えば、俺にとって彼女は「好みの女」ではなかった。「うるさくてやかまし小学男子A」から、「うるさくてやかましい中堅グループのA」になった俺は、それ相応の相手と付き合いたいと思っていた。だから、それまで付き合った相手スカートを2,3回折り、前髪をカラフルなピンで留めるタイプ女子だった。その点彼女はどこまでいっても「品行方正な優等生女子」で、制服スカートは膝丈、髪を巻いているところを想像できるようなタイプではなかった。

大人しくて華やかなグループに属しているわけではない彼女から、うまくやっている俺のことを憎からず思っているとしてもおかしくない、そんな驕りがあったのだ。蓋を開けたら、満更でもないと思っていたどころか、嫌っていたという。俺が幼い頃感じた衝撃は、何も間違っていなかった。

俺が不相応なショックに打ちひしがれているあいだ、彼女は俺をフォローしてくれていた。テニスで県大会に出たんでしょとか、そのスーツおしゃれだねとか、穏やかな口調の褒め言葉で。俺はものすごく恥ずかしくて、酒をがんがん飲んだ。すると、必然的トイレに行く機会が多くなる。彼女はその度に「大丈夫?飲みすぎてない?」なんて声をかけてくれて、俺は自分の小ささを自覚させられた。

そのうち俺は彼女に嫌われていた自分が嫌になってきて、彼女の話を聞きたくなった。酔っているふりをして彼女大学の専攻のこととか趣味の話とかを聞いているうちに、彼女は「ふつう」に笑ってくれるようになった。

一人の人間として見た彼女聡明で、話も面白かった。俺もそれなりには大人になっているわけだし、無闇に彼女からかおうと思わなければ「ふつう」の会話ができる。彼女は俺が持ち出せる精一杯のゴシップ下ネタにもくすくす笑ってくれて、まるで「ふつう」の友達みたいだった。俺が何の気無しにかけていたちょっかいがなければ、もう少しいい関係があったのかもしれない、そんなふうに思ったりもした。

2時間くらい、飲んでいただろうか。もう一軒行こうか、という話が出始めると、彼女のところにはわっと人が集まった。優等生タイプの男女以外にも、陽キャグループの奴もいた。俺はといえば、携帯に同じテニス部のメンツで飲もうという誘いと高校同級生で集まろうというメッセージが届いていて、彼女と同じ店に行く流れは微塵もなかった。

友達会計にもたついていたせいで、彼女はもう店の前にはいなかった。駅の方に少し離れて、はしゃぎながら歩く集団の端を歩く彼女が見えた。店の前で騒いでいる友達を置いて走って、彼女を呼び止めた。「忘れ物が」とかなんとか、適当理由をつけたと思う。

「なあ、ホテル、行かない?」

冗談めかして尋ねると、彼女あははと笑って「いいよ?」と言った。もちろん、それも冗談だ。「じゃあさ、思い出にキスしていい?」ふざけた口調で続けたら、彼女は笑って一歩俺に近づいた。

どこまでやっていいのかまごつきながら肩に手をかけると、彼女は俺の頭に手を回して唇を押し付けてきた。学生時代ちょっとぽっちゃりしていた彼女大人になっても胸と尻がデカく、思わず抱きしめたら胸がむにゅと潰れるのがわかった。街灯に照らされた首筋が真っ白に見えた。唇は柔らかく、ほのかビール匂いと、りんごのような香水匂いが混ざって、酔っ払っている頭がぐらっと煮えたぎるような感覚がした。思わず口を開けると、ぬるりと熱い舌が俺の舌を絡めとった。

長いのか一瞬だったのかもわからないキス彼女意思彼女の行動によってのみ行われ、俺は「される側」でしかなかった。唇を離した彼女は俺の背中を軽く叩いて、「またいつかね」と言い残し、友達を追いかけて戻っていった。

やっぱり、彼女は「好みの女」ではない。だから、このキスを思い出すのは、数ヶ月から数年に一回、女に振られた時だけだ。「またいつか」はくるのだろうか。そのときがくるとしたら、どこまで許されるんだろうか、とか。

今でも付き合うのはスレンダーな女ばかりだけど、動画を探すときは「ぽっちゃり」だの「むっちり」だの検索してしまう。別に彼女の夜の顔を想像しているわけではない、そう言い訳しながら。

2021-03-29

anond:20210324092024

俺もマジで嫌だったけど

中学公立中で数週間ひたすら式の練習させられて結局でたし

高校国立入試の合否出てないのにはしゃげねーよと思いつつ出てそっこうで帰って

大学はなんとか卒業できたのか……って安堵の気持ちで出たけど、学会と被って出席出来なかった人普通にいました

謝恩会とかクラス会に相当するものは全て行ってないですもちろん

一秒も気持ちがわかなくても立って座ってを繰り返すだけだし結局出てしまった異端児界の落ちこぼれです

2020-12-05

中学生の頃、同じクラス微妙距離感の子がいた。

の子はクセが強くて、強気で、いじめっこ的な気質もあって、私は苦手だなぁ…と思っていた。

実際、その子とはあまり仲良くならずに、稀に話すのみであった。

でもその子の絵は卓越して上手くて。

小学校の中では絵が上手い方だった私は、段違いに上手いその子の絵に、嫉妬さえ通り越した、憧れの念を抱いた。

の子しょっちゅう絵を描いていた。

の子休み時間に描く絵は、街の電柱看板にエアスプレー落書きされているようなポップな画風が多かった。軽快で攻撃的で、少し怖い感じの絵。その子は目玉のモチーフが好きだったっけ。

の子の、美術時間に描く絵は、普段とは違う雰囲気を持っていた。毒と繊細さとを纏っていて。その子の重い内面を予感させた。

これは今になって改めて気づいたけれど、その子普段、強く振る舞うが、その実、脆くてセンシティブ性格だったろうね。

卒業式の後、教室に戻ってきて、クラス会も終わって、帰る時間となった。自由時間ができると、何人かの子たちが、卒業アルバム最後の空白のページに、メッセージを書いたり書いてもらったりをし始めた。

私もいつの間にかそのやりとりに混ざっていて、そういうやりとりを何人かとしているうちに、いつの間にか教室がガランとし始めていた。あの賑わいは教室の中から体育館の前やロビーなどの外に移っていたようだった。

教室は、まだセーターが必要なくらいには寒かったが、春の陽射しが、教室の床の木のタイルを暖めていた。

の子も、まだ教室に残っていた。

同じクラスにいた間、あまり会話もなかった私とその子であったけど、私は彼女に絵を描いて欲しかった。

葉山仮名)も、なんか描いてくれない?」

と私は彼女にお願いをした。

すると、彼女はいものごとく、めんどくさいなあとか、しょうがいね!みたいに小言を言いながら、でも、楽しそうに私のページにイラストを描いてくれた。

卒業式の日も、その子の筆箱にはずっしりとたくさんの色のサインペンが入っていて、色も選ばせてくれた。

私はその子が描いている間、私は彼女のページにも凡庸メッセージを書いた。

そうしているうちに、隣のクラスから彼女親友彼女を迎えに来て、その子は急いで教室から出ていった。

2020-11-25

anond:20201125112338

おそらく失礼なテンプレパターンを言ってくる奴は普通社会人では20人に1人ぐらいだろうね

高校クラス会みたいな場では2以外全部当てはまりそうだけど

ただ20人に1人の割合でも理不尽かつ失礼な事を言われ続けていれば

憤怒が積もって「お前らは全員バカ」という気持ちにもなろう

2020-06-05

anond:20190112221400

新型コロナオンライン帰省とかオンライン飲み会とかが話題になっているけど、

あの類ってこち亀でもやってたな。

テレビ電話?か何かを使ったクラス会とか。

オンライン就活で上はスーツで下はパジャマでやっているかもしれないみたいな話をテレビで言っていたけど、

こち亀でもなんか風呂上がりで写っている場合があるとかなんとか話をしていた気がする。

2020-03-09

わい北関東在住のどこにでもいる社畜

本日昼ごろ駅の売店たまたま近くにいた女子中学生グループから学校休みになったので今日格安カラオケに集まってクラス会をする」という情報を小耳に挟んでしまいなんとも言えない気持ちになる。

2020-02-10

anond:20200210122656

中学クラス会行ったら俺が一番だった」くらいの意味で上流ってつかってるんだよおおおおおおおおお

かわいそうだよおおおおやめてよおおおおお

2020-01-13

成人式の思い出

もう随分昔になるけど、自分成人式ときのことを書いてみる。

それほど裕福な家庭というわけではないけど、せめて晴れ着くらいはと両親は知り合いの呉服屋に頼んで一揃え買ってくれた。大学卒業式の袴も無料レンタルというオプションがあって、それも一緒につけてもらった。今思えば成人式用でそれほどいいものでもないけど、思い出として大切に取ってある。

成人式当日はこれも呉服屋オプション着付け会場が決まっていて、成人式の会場で朝の7時くらいか着付けが始まった。スタイリストさんが言うには「早い子は5時頃からやってる」ということで、あちこちに晴れ着姿や髪だけセットアップしてもらっている子がいた。

その後、成人式まで時間があるので一度父の車で家に帰り、写真撮影大会が開かれる。どこでポーズしてとかそこに立ってろと父母がカメラを片手にバシャバシャ撮りまくる。早起きして眠いのもあり、この時点で結構疲れてくる。

成人式時間になり、再び会場へ向かう。会場には晴れ着姿の女性ばかりで、正直誰が誰なのかわからない。何人か中学同級生を見つけて「久しぶり~!」などと盛り上がる。

会場では中学ごとに席が決められていた。そういえば仲の良かった子が成人式実行委員会やってるとか言っていたなと思い出す。式が始まって、最初こそシーンとしていたが会の進行がかなりグダグダだったため、祝辞などよりも隣に座る旧友との昔話に花が咲いてしまう。一応大人として話を聞こうかとも思ったけど、真面目に何を言っているのかよくわからなかったので聞くことを放棄してしまった。なんか話が終わった後にレクリエーションがあります、みたいなアナウンスがあったけどほぼ参加した人はいなかったようで皆ロビーへ出ていって昔話の続きをしていた。

今思えば敗因は「若い人の手で作るナントカ」というのが流行っていた頃なので若い人に任せた結果、かなりグダグダになったのではないかと思っている。実行委員会というより、それを丸投げした市側にも相当問題があったのではないだろうか。

ロビーでこれまた懐かしい顔に何人か出会う。中でも印象に残っているのが「今お水やってんのー!」と言っていた友人。彼女とはそれきりだけど、今は何をしているんだろう。

家に帰ってくるとお祝いとして親戚を数人呼んで軽い食事会になっていた。この辺は着物に疲れていたのであまり覚えていない。食事会のあと着物を脱いで、ぼやーっと違う自治体成人式に出ている彼氏メールするなどする。

夜はクラス会があるということで参加。仲の良いクラスだったので出席率も90%くらいで楽しい夜だった。高校卒業して働いている奴とか妊娠している奴とかいろいろあって大変な奴とか面白かった。ただみんなこうやってそれぞれの道で大人になって行くんだなと思った。

クラス会の後は自然発生的にカラオケになった。徒歩で行けるカラオケ屋では既に他のクラスの2次会が行われていて、カラオケ屋全体が成人式の2次会のようなものになっていた。そこで中学時代1番仲の良かった友達に再開し、カラオケ屋のロビーアイスを食べながら駄べり、他のクラスの部屋に突入して「久しぶり~!」をかましたり、そんなこんなで駄べり倒したような気がする。

あんなにベタベタした夜はもう二度と訪れないと思っている。冬の寒さだけは身に染みるのに、気持ちだけ子供に返って、でも体はすっかり大人になってしまってそんな子供時代に別れを告る夜。今でもあの日食べたアイスの味は忘れられない。ただのソフトクリームなのに、すごく儚い味がした。ただそれだけ。

遠い成人式の思い出

ニュース成人式映像が流れていた。

ふと、自分成人式が遠い記憶の中からよみがえってきた。

僕は嫌だったんだけど親がどうしても思い出を残しておきたいと言って写真館で家族写真を撮った。

それから、会場である市立体育館へと向かった。昼前の日差しが眩しかったのに、車をぬかるんだ地面に止めたことを覚えている。

式典の内容は覚えてない。外では毎度ニュースでおなじみの派手な紋付袴を着た連中がいて、住む世界が違うなと強烈な感情があった。

式典では中学校ごとに分かれていて、懐かしい友人や大して付き合いのなかった人たちに会った。

傾向としてはい大学に行ったまじめな人は結構来てなかった。

自分も翌日からテストだったので、気が気でなかったけれどテストより一生一度のイベントが気になってしょうがなかった。

誰か仕切りたがり屋の学生夕方からクラス会をやりますと案内してくれて、ありがたく参加させてもらうことにした。

仲の良かった連中、つまり落ち着いた人畜無害オタクたち数人で昼食を食べに行くことにした。

駅ビルレストラン街、ちょっと高いお店でテンションが上がった。

だけれども、なんだが納得いかない時間だった。

ところで、学年に一人いるようなどう考えても知的ハンディを抱えているような、ボーダーっていうのかグレーっていうのか、中学生になっても小学校低学年の子供と遊んでいるような、そういうやつっているじゃない。

勝手についてきたのか、誰かが誘ったのか、グループの中になじみのない彼が混じっていた。

そして、僕の目の前に座っていた。みんな彼とは話したがらないから、結局僕が話し相手になっていた。

みんなが楽しそうに会話していた横でコミュニケーションをどうとっていいのかわからなかった。

彼は憎めないやつで、悪意や嘘と無縁な奴ではあったが、特に接点もないし何もできなかった。

一体、彼はどんな風に生きているのか気になって聞いてみたら、カーディーラーに勤めているらしかった。世の中よくわからない。

そんなことがあって、何となく不満を感じながらいったん解散夕方クラス会で再開した。

クラス会は夜の駅前ロータリーが見える洒落飲み屋の貸し切りだった。

やっぱりここでも僕は輪から外れたオタク連中と飲んで騒いだ。

工業高校卒業してサラリーマンとか、フリーターから動物園勤務とか、帰ってエロゲがやりたいと連呼するごくごく普通大学生とか楽しいやつらばかりだった。

女子連中の半分は一見して水商売かと思うほど派手な格好で、少し引いた。男子はあまり変わっていなかった。

騒ぐ人たちを、遠巻きから観察する。それがいつも僕のやり方だった。

今にして思えば途中でメインの輪に入って挨拶くらいしておけばよかった。

今ならできるかもしれないけれど、当時人と接することに神経を尖らせていて、誰かにしかけるということがすごく勇気のいることだった。

中学とき美術部という名の社会不適合者の煮凝りだった。

美術部で仲の良かったほら吹きのY君と再会した。

彼は革ジャンにグラサンという出で立ちで、すっかりイメチェンしていたけれど中身は当時のままだった。違うことはやたらと女子に話しかけていたとこ。

工業高校から地元私大化学科に入って、大学から学ぶものは何もないと中退して3DCGデザイナー専門学校に通っているらしい。

おう、僕は引きつった笑顔で「おう、頑張れよ、期待してるぞ」みたいなことしか言えなかった。

唯一話すことのできた美術部の女子とも一言二言言葉を交わした気もするけれど、記憶は定かではない。

その後、彼らはどうしているのか。クラス会の話がも回ってくるようなつながりもないし、地元も離れてしまったので知らない。

かつて毎日顔を合わせた連中は、もう会うこともないのだと思うと少し悲しくもある。会っても話すことないし、それでいいか

2019-03-22

一回ヤらせて

そいつは毎回、飲み会の後半あたりになると決まってこう言う。

増田っち、一回ヤらせてよ。」

彼とは高校時代、2年生の1年間だけ同じクラスだった。

私は所謂スクールカーストでいうと中の下のあたりと自覚していたし、特別男子と仲が良い女子とは言えない方だった。

かといって男が苦手という訳ではないから、話しかけられれば話すし、仲良くなった人とはそれなりに話していた。

彼は割とお調子者で、クラスの中では男子の中心で騒いでいるような、そんなタイプ

正直、高校時代にそんなによく話をした記憶はない。

彼は、私が当時付き合っていた人と仲が良く、イジられやすかった彼氏をめちゃくちゃからかって、私までからかわれていた。

から私はむしろ彼のことが少し苦手だった。



卒業して、お酒が飲めるようになった頃から定期的に飲む仲になった。

きっかけは多分クラス会。

もう記憶曖昧だけれど。

向こうから連絡が来て、私の予定が合えば飲みに行くというのが定番の流れ。

大抵もうひとり、同じクラスにいた男の子も一緒。

飲んで話すのは毎回たわいも無い事で、たいして記憶にも残らないようなことばかり。

もう大人になった私たちは、それぞれに彼女彼氏がいて、貯金がどうだ、家賃がこうだ、残業がああだ、セックスレスがそうだ、この前のデートがどうだの。

そんな話をしてダラダラと過ごす時間が私は結構気に入っている。

ほとんどの話は記憶に残らないけれど、いつか聞いてすこしびっくりしたことがある。

彼は私を、クラスが一緒になる前から知っていたというのだ。

私は目立つ彼のことを認識していたけれど、中の下のグループで静かに学生生活を送っていた私をなぜ彼は知っていたのだろうと思う。

「乳でかくね?ってなってたからね。増田っち何カップなの?D?E?」

彼はそう言って笑っていた。

うるさいよと笑いながら、サイズを伝えた私も私だなと思う

そんな私も去年の春に結婚した。

ちょうど婚約した頃にいつものように飲みに誘われて、結婚することを伝えた。

彼にも大学生の頃から7年くらい付き合っている彼女がいた。

俺もそろそろかな、なんて話をして。

その日以降、1年ほど連絡がなかった。

珍しいな、とおもいながらも、既婚者の女というのはそう簡単に男と飲みに行くものでもないのだろうかと思ったりして。

そろそろ会いたいけれども私から連絡するのもなぁなんて考えていたら、ちょうど彼から連絡がきた。

いつものように飲んで、しょうもない話をして、高校時代恋人の噂話なんかもして。

そして彼も今年の6月入籍するらしい。

なんとなく、もうこの会は開かれなくなるのかなぁと、そんな気がした。

そして二軒目でまたいつものやりとりが始まった。

「じゃあ増田っち、とりあえず一回ヤらせてよ」

始まったよ、バカだなほんとに。と私は笑う

「え、まじでじゃあ、どうやったらヤってくれんの?」

出会うところからやり直しだわ

なんて。

もちろんその気は私には無いし、向こうもきっとただの冗談だろうと思う。

その日もいつもと同じ、タクシーに乗り込むまで定期的にその台詞が飛んでくる。

もうひとりの男友達

「お前、ほんと増田っちのこと好きだな。」

それを聞いて、酔っ払って足元もおぼつかない彼は、優しい顔で言った。

「そう。だいすき。おれね、増田っちのことだいすきなんだよね。」

一度も意識したことなんてなかったのに、深夜3時、タクシーの列に向かいながらそんなことを言われて、初めて一回ヤっといても良かったかも、なんて、思ってしまった。

本当にヤりたいのかどうかもわからないし、ヤりたかったらそのくらいさらっと言うだろうし、好きだよな、と言われて返す言葉なんてそれくらいしか無いのもわかるのに。

過剰なくらい、私と当時の彼氏からかっていたのも

同じクラスになるよりも先に私のことを知っていたことも

クラスから頻繁に飲みに誘ってくれることも

まさか、なんて思ってしまった。

チョロいね

ああ次に飲みに行くときは、きっと1次会で帰ってこよう。

次は無いのかもしれないけれど。

2018-12-05

唐突に思った。

そういや30数年生きてきて、クラス会というものに一度も呼ばれたことがなかった。

中学高校と、クラスメイト名前が一人も思い出せない。

そんだけ。

2018-03-14

ある「いじめ」の記憶

小6のときだったかなあ。

あるグループの中でいじめられてたヤツが、休み時間プロレス技かなんかをかけられたあとに俺の椅子でヘバってたので、「邪魔だ、どけよ」って言ったのよ。

なんかそれで張り詰めてたもんが切れてしまったらしくて、俺に泣きながら殴りかかってきてさ。

めんどくさいから、前蹴りみたいな要領で蹴ったわけ。そしたらみぞおちにいい感じに入っちゃったみたいで、そいつが派手にのたうち回っちゃってさ。

で、ちょうどそこに教師が来て、次の授業前に緊急クラス会。「どうしてこうなったんだ?」と聞くんで、「俺の席に座ってて邪魔だったから『どけ』と言ったら殴りかかってきたから、蹴った」と答えたわけですわ。

そしたらいじめの首謀者だったやつが「だからってあんな風に強く蹴ることはないだろ〜」とか言い出してさ。で、いじめられてたやつは、もともとしゃくりあげてたんだけど、さらにわけがわかんない勢いで号泣しちゃってさ。もうまともにしゃべれないの。それ見てさらいじめの首謀者は「ああ、〇〇くんがかわいそうだ〜。こんなに泣いて〜。泣かせたのは増田だぞ〜」だって

で、教師はそれ見て、完全に俺がやらかしたと思ってるわけ。

もうなんか、そこで子供ながらにめんどくさくなっちゃってさ。「へーへー、すんませんでした」とか適当に謝って終わらせたんよ。

ま、別にそのことがきっかけで俺がどうにかなったとかないし、いじめも激しくなったわけでもなく、おとなしくなったわけでもなく。風の噂じゃ、いじめの首謀者もいじめられてたやつも、地元適当にやってるらしいが、なんとなく、二十年近く経った今でも、よくわからない、落としどころのない話として不意に思い出してしまうことがあるのだった。

身バレしないようにディティールは適当ごまかしてます

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