はてなキーワード: 小市民とは
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。
「運命の人」の冒頭部がわけがわからない?とは僕にとって驚愕である。各々解釈の揺れ(それが良い詩の証明だろう)こそあれど全くそのドラマを想定できないなんてことが日本語話者にあって良いものなのだろうか。こうやって個人の妄想でしかないものをもっともらしく解説者ぶって書き連ねるのは、作詞者である草野さんに対する不遜なのは重々承知している。僕自身あまり好きでない類だ。しかし全くわからないという人間を目にしてこの3日心のもやもやは晴れないままだった。心待ちにしたスターウォーズ鑑賞中も頭の中はスピッツだ。夜眠ろうにもはーしーるーはーるかーと頭の中でループする。
もういてもたってもいられない。ここに駄文を書き連ねる。
「バスの揺れ方」というのは不規則でとても強力なものだ。電車のような規則性はなく、タクシーのような微々たるものではない。乗客は常に見当もつかない方向から強い力で揺さぶられときにはその力でよろめく。
続く「人生の意味がわかった日曜日」は、逆説的に言って、日曜日でなければ気がつかなかったということを表している。多くの人にとって日曜日は休日である。つまり平日では行われないことがその日起こり、平日では気にとめなかっただろう些細なことがこの気づきをもたらしたのだ。
そして日曜日は週末である。日々の営みが7日で循環するよう設計された人間社会において、日曜日は一つの区切りになっている。労働や勉学に励む小市民ならば、7日間のうちに起こった悲喜交々はこの日を最後に一旦清算され、人々は次の1週間もまたひたむきに日々を過ごしていく。日曜日を意識するこの歌詞の主人公もまたそんな人間の一人だと言うことが読み取れる。
改めて一文を読むと「バスの揺れ方」が連用修飾語として「解った」に係り、「解った」は続く「日曜日」の連体修飾語になっているため、主人公がバスに揺られていたのは「人生の意味がわかった」のと同じ日であるといえる。それぞれが別の日であるなら、バスに揺られた日を示すためにさらに「バスの揺れ方」を修飾する必要がある。なお、バスの揺れかたはバス内部でなければ感じ取れないので、主人公が日曜日にバスに乗車しその日のうちに「人生の意味」に気がついたと断定できる。
ここで一旦まとめると「バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日」というのは、
「毎日つつがなく規則正しい生活を過ごしている主人公が、休日が故に起きた特別な出来事をきっかけに思慮にふける。彼はこの日乗車したバスの不規則な振動と、不意な出来事に翻弄されることもある社会の悲哀を重ね合わせた。そして『人生の意味』を悟る。」という内容であると推定される。
不可解な点がまだ残るが歌詞の次行に進みたい。
歌詞を読むに彼は「君」の手を握れるほどそばにいることがわかる。注目するのは「でもさ」という否定形の接続詞で、これにより主人公が「君」の手を強く握るという方法で「人生の意味」に抗う姿勢が示された。
話が戻るが日曜日という日は週末であり曜日の中でも特異な地点である。あくまで僕の考えであるが、歌詞の主人公からすれば日曜に思い巡らせたことは月曜にはリサイクルされてしまうので、「日曜日」に発見した「人生の意味」がこの主人公の行動に影響を与えるのはその「日曜日」に限定されるはずなのだ。そういう意味でもなければわざわざ日曜を指定する必然がない。月曜でも水曜でも歌詞は成立する。よって「強く手を握る」ことで「人生の意味」に抗うことが可能なのは「人生の意味がわかった」日と同日であると考えるのが自然ではないだろうか。
とすると彼はバスに揺られた日曜日に「君」と会って過ごしたということになる。おそらく彼と「君」は同じバスで揺られている。
そして「君」がバスの中でよろめいてその手を彼が支えるという場面があったのだろう。彼は「君」が人生に翻弄されてもずっと支え続けていこうと心に決めるのだ。
つまり「バスの揺れ方で〜」のまとめで述べた"特別な出来事"は、「君」と休日の行動を共にしていることなのではないだろうか。普段ならバスの揺れに不快な思いをしているはずなのに、君がいるときはなんだかそれを感じない、そのことが彼の日曜日を特別にしたんじゃなかろうか。
出だしの2行を僕なりにまとめると
「週末に『君』とのデートをとりつけ心が弾む主人公。普段なら不快なバスの揺れも『君』が側にいれば全然苦でない。そのことに気がついた彼は、小市民として淡々と日々を過ごしているはずの自分にも時々ハプニングが降りかかるその人生の理不尽さと不規則で激しいバスの振動を重ね合わせた。『生きていて辛いことがあっても傍らのこの人がいればそんなことは全然気にならない。』彼はそれを確信する。その時またバスは揺れて『君』が大きくよろめいた。すかさず『君』の手をキャッチした彼。彼自身はその揺さぶりに動じないとしても、この相手は『運命の人だから』挫けることがないように支えていかなければならないと決心する彼であった…」
なお直後3行目の「優しいだけじゃなく偉大な獣」は、この優しく相手を守り支える姿と、揺さぶりに翻弄されず過酷な環境であっても生きていける野獣のようなタフネスという二面性を集約した言葉だと考えて僕は納得した。
確かにこれらには何の確証も論理性もない。しかし聞き手の中にファンタジーを想像させられれば詩はそれでいいんだと思う。
まだまだ書き続けたいが時間がないので書き控える。
ちなみに僕が好きな歌い出しはBLANKEY JET CITYの「ガソリンの香りがしてる」だ。何もわからない。
余談だがスピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」にはその名も「日曜日」という曲が収録されている。「運命の人」が可愛く思えるほどに奇々怪々な歌詞で「晴れた空だ日曜日戦車は二人をのせて」と言葉で歌は始まり、サビで「蜂になろうよ」と相手を誘う。それから6年が経ちデートはちゃんとバスを使うようになり、蜂への変身願望から偉大な獣になる誓いをたてるまでに成長したんだと思うと、なんと立派になって…と親戚のおばさんのような気分にならないこともない。
日中は幼稚園に息子を預けて家事と在宅ワーク、休みは旦那と近所に買い物行ったり。
そんな平々凡々な小市民です。でした。先週までは。
ちょうどこの前の土曜日、近所の少し大きめのショッピングセンターに行ったんですよ。
イトーヨーカドーとかゆめタウンみたいな感じの、複数の店が同じビルに入っている感じの。
偶には旦那の服やら旅行鞄やら見繕いたいということで、少し遠出して。
それで着いてしばらくの間は息子も買い物に付き合ってついて回るんですけど。
飽きちゃうんですよね。「ママ、○○行きたい!」(○○は大抵玩具屋か本屋)って言うんです。
まあ聞き分けが良くて賢いし、いっぺん本や玩具に夢中になればてこでも動かない子です。
その日も本屋に行きたいとせがんだので、立ち読みしてらっしゃい、気を付けてねと見送りました。
いつも通り、20分くらいしたら迎えに行って旦那と一緒に休憩所にでも行かせようと。
思えば、それがすべての間違えでした。
買い物も終わり、さて息子を本屋に迎えに行くと何やら様子が変で。
本を読むでもなく、ただ平積みされた本をじいっと眺めており。
……勘の良い方はここでお気付きかもしれませんね。
どうしたの、と尋ねるが早いか、さあっと血の気が引きました。
息子は、ラノベ、いえ、正確には『表紙に描かれた破廉恥な女性のほぼ裸体の姿』を凝視していました。
さらに、最悪なことに息子の股間も、簡単に言えば反応していて。
すぐにそこから息子を引き剥がし、旦那に早く帰る様説明し、すぐさま帰宅。
自宅に着くが早いか、いかに悪いことをしていたか息子を怒り、当分外出には連れて行かないと折檻。
息子も多少は泣き叫びましたが、こればかりは仕方ありません。あなたは悪書に触れてしまったから。
旦那も「おいおいそれはちょっと……」という雰囲気を出しましたが、何も言わず。
そりゃ私が正しいですから何も言わないのは当然でしょう?
こうして、私の息子は穢されました。偏見をもっていなかった、今までノーマークのラノベ本なんかに。
私の息子は穢されました。オタク予備軍として、三次元の女性を愛せなくなる病に罹患しかけて。
裸の女性がいる銭湯ですら反応しなかったのに、こんなところで変態の仲間入りをするなんて、信じられません。
もうこの子には教育書や『まともな』小説しか与えません。テレビもニュースやスポーツだけにします。
漫画やゲームは精査したものしか与えませんし、手の入るところにセンシティブなものを入れません。
目溢ししていた旦那のコレクションも処分とコンテナ倉庫への封印を義務付けました。
そして何より、あのような本を平積みさせている今のメディアにはほとほと呆れました。
オタクは一般化した、とは言いますがこれは擁護できません。エロ本を平積みにしているのと変わりなし。
あのような本をこぞって読むのだから、日本の結婚率も下がるし、バカが量産されるのも分かる気がします。
実害を受けたのだから是非ともああいう本は禁止をしてほしい。条例か何かを打ち立ててほしい。
それが無理なら、せめてゾーニングをして表に出さないでほしい。
純真無垢な、真人間であった息子を穢され、悪の道に誘う実害を生み出したのですから、それくらいしてほしい。
もう息子はもとにもどりません。今から教育をして是正して、なんとかまともな真人間に戻すしかありません。
こういった尊い犠牲を出す前に、頼みますから、メディアはセンシティブなものを規制してほしい。
これが、被害を受けた哀れな被害者からの、精一杯の抗議文です。
色んな人の考えを聞いてみたい。
そうよ?
数千人がね。
逆にこんなのにすら君は勝てないの?
君にいくら払われているんだい?
それが君の現実なんだろ笑
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185511859912237056
そもそも、それが「汚い」という感覚な時点で稼げる経営者からしたら
「お察し」
なんだよね〜
まぁ、そんな人達が多いから稼げる人達は稼いでいってそういう人達を上手く使って経済回しているわけでね
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185514209477480449
金に疎いバカばっかだな笑
一生やってろよ笑
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185528580618375168
ごめん、頭にウジ沸いてるのに君より数十倍良い生活しちゃってるわ、、
なんでなんだろうね、、
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185537197505531905
いや、君ら頭の弱い人々に自慢したいなと思ってさ笑
ロールスもベンツのS63longもあるよ〜
ごめん、何が効いてるのかはよく分からない、、
https://twitter.com/kazukichi3110/status/1185763795613806592
どうすればここまでアレになれるのか、まったく完全にわからない。
嘘でそれを演じようと思っても、無意識に常識とか良識が邪魔をして、ここまで下品にはなれない気がする。
ネトウヨとかツイフェミとか、自分(これを書いている俺)から見て不思議な人種はネットにたくさんいるけど、なんとなく「その人がなぜそうなってしまったか」みたいなのはうっすら想像がつく。
けどこの人。どうすればこうなるんだ。
5ちゃんねるのまとめサイトで痛いやつとしてまとめられそうな文句ばかりじゃないか……高級外車自慢とか……。
ウェブカツとかいうサービスの質とか経営者や技術者としての倫理観とかはハッキリ言ってどうでもいい。
「かずきち」氏というひとりの大人の人間性がここまでねじ曲がってしまったその過程がすごく知りたい。
当人は「ブランディングとしてあえてやっていた」などとうそぶいているけれど、こんなもん、「ウェブカツ」で検索したらそのうちこの人の悪評ばかりがヒットするようになることは目に見えていて、ブランド価値をただ一方的に毀損しかしていないと思う。上場企業だったら株価が下がるくらいのできごとだと思う。
「イキったヤンキーメンタルの成金ヤカラがやってるスクール」というブランドに魅力を感じる層がもしかしたらいるのかもしれないが数は多くないだろうと思う。
前後のツイートにも(私のような善良な小市民の目から見ると)不道徳なものが多いのだけれど、とにかく徹底しているのは「カネを持っているからエライ」というゆがんだ価値観で、わずかな教養があれば少なくとも口に出しただけで軽蔑されるたぐいの言説だとわかるはずなのだけれど。
ホリエモンも独特の放言で物議を醸すことが多いが、あれは自己責任論を少々履き違えて「貧乏なのは全部お前の責任」という極論を言っているだけで、「だからカネを持っている俺のほうがお前より立派な人物である」とまでは言っていない。内心もしかしたら思っているのかもしれないが、少なくとも、それを言わない程度の良識か、口に出すのは間違いだという常識はわきまえている。
「かずきち」氏はそのホリエモンの履き違えをさらに履き違えて、「金持ちの自分が貧乏人を小馬鹿にするのはかっこいいこと」と思っているようにみえる。それをブランディングだと考えているくらいだから、なにかポジティヴな効果が期待できると思っていそうではある。
こんな人間(しかもそれを隠そうともしない人間)ができあがる仕組みが本当に不思議で、ちょっと色んな人の考えを聞いてみたい。
東京オリンピックの暑さ対策が発表されるたびに、まぁ叩かれている。
Twitterで学者の人とかが「これこれこういう理由で意味がない、JOCは何を考えてるのか」みたいに言ってるのを見ると、専門家なんだから「意味がない」で終わらず、うまい暑さ対策の方法を考えてJOCに連絡してくれよ!って思う。
もちろん、ちゃんと連絡してる人もいるかもしれないしそういう人は立派である。
オリンピックの日程や会場はもう動きようがない。
それらをそもそも論で批判することは、次の五輪招致や他のイベントをよくする上では意味があるとは思うが、そういうのは我々無知だが数だけは多く投票数を稼げる小市民に任せて、専門家は専門知識を生かしてくれ。
ところかわって兄貴の学校でも、“M”についての話がクラスで繰り広げられていた。
「『ラボハテ』のゴタゴタ知ってるっすか? いやー、結構ショックっすね~」
気になるものには何でも関わりたがるカジマ。
「僕はネットで追っていたからずっと知ってるよ。“M”の告白も、ここまで影響力を持つようになったかって感じだよね」
「いち小市民の声なき声も、やっと実を結ぶ機会が出来たというべきだな」
「お前ら、よくそんなに熱をあげられるな。最近、暑くなってきたってのに、余計に温度が上がるぞ」
そこに澄まし顔の兄貴がいるという構図だった。
「逆に、マスダだけが冷めすぎなんじゃないっすか?」
「俺には関係のない話だし」
「そんなことないだろ。マスダの母さんって、確か『ラボハテ』製のパーツ使ってただろ」
「俺の中ではそれを“関係がある”とは言わない。今回の騒動って、製品に問題があったからじゃないし」
実際、母さんの手足はラボハテ製になっている。
弟の俺は“M”の存在が気になる年頃だし、兄貴はちょっとやそっとのことで物事を俯瞰するのをやめない。
「というか、その“M”ってどこの誰かも分からないんだろ。そんな奴の言うことを信じて、踊らされるなんてバカみたいじゃないか」
「確かに本当かどうかなんて確証はない。だが、もし本当だったら何か言及せざるを得ないだろう」
「そうっすよ。“M”が誰かなんて分からないし、告白の内容が真実かも怪しいけど、もし本当だったら気になるじゃないっすか」
「そうだよ。本当だったら何か言いたくなるし、嘘だったらそれはそれで何か言いたくなる。どちらにしろ僕らは何か言わなきゃならないんだよ」
むしろ、全く関係がない人が周りで囃し立てるものだから、兄貴は余計に冷めていた。
「俺にどうしろってんだ。結局、やることは騒ぎに乗っかるだけだろ。それで何か解決になるのか?」
「いやいや、こういう騒ぎって案外バカにできないもんだよ」
「むしろ国とか法が裁かないから、オイラたちが“騒いで、問題にしてあげている”と言ってもいいっす」
「待て、カジマ。その言い方だと、無理やり問題化させた騒ぎに、我々が軽い気持ちで便乗しているみたいに聞こえるではないか」
「言い方変えても、ほぼ同じだと思うんだが」
兄貴も、この騒ぎに対して何も思うところがないわけじゃなかった。
どちらかというと、今この状況に対する煩わしさの方を強く感じていた。
「なんだよ“M”って……何がこいつらをそうさせるんだ」
そして、この煩わしさを少しでも解消するには、“M”について知るべきだと兄貴は考えた。
こうして動機こそ違うものの、俺たちはほぼ同じ時間に、ほぼ同じ目的を見出していたんだ。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190510/1557474304
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20150914/p1
自分にとって、人生におけるベネフィット(=恩恵とする)は「なし」と思う。強いて言えば、自分の生みの親のステータスが「子あり」に進化できたくらい。自分自身になにかあるかといえば、ない。何も感じない。
生きることは辛く、厳しい。自分は人間一周目なのかもしれない。徳メーターがゼロなのかもしれない。どれだけ働いても暮らすのは大変だ。貧乏人は金持ちにはなれない。なったとしても成金レッテルを貼られてしまい、「ほんとうのお金持ち」にはなれないので、憧れるのもうんざりだ。とはいえ生きていれば金がかかる。息してるだけで税金や年金をとられる。仕方ないから働くのだ。
仕事をしていれば、役割があるので、かりそめの「生きる意味」みたいなものを手に入れられる。しかし、それはいつだって代替可能だ。どんな専門職であっても、替えがきかないなんてことはない。辞めていなくなったら、天皇でも総理大臣でもローマ法王でも、辞めてしまえば次の人が就く。いち小市民の労働なんて、「このわたし」でないといけない理由は一切ないのだ。
同じことが結婚や友達関係にも言えると思う。いなければいないで、他の人で充足できるのが人という生き物だ。永遠の愛を誓っても別れる場合もあるし、違う人とまた永遠の愛を誓う事案すら多々ある。
そんな自分が産む子が幸せになるとは到底思えない。だから産まない。もっと、自分が特別で大切で、愛されている!必要とされている!と感じている人が子育てしたほうがいい。
コスパではかれないものとは、大概、生身の人間同士の感情が関わるものだ。子育て・友人・家族・恋愛…。これらは金では買えないからコストという概念はあまりない。強いて言えば時間もコストだが、楽しい時間ならあっという間に過ぎてしまうから、あまり気にならないのかもしれない。
自分という個体に意味を持たない人間が行う活動は、後先まで続く「ほんとうの感情」ではなく、その場だけの感想しか産まない出来事ばかりだ。生きる理由がない。死ぬ理由もないから、生きてるだけ。
コスパ関係ない、感情を伴う活動をしても、続くわけがない。目の前に「ほんとうの感情」をもつ生き生きとした人がいると、温度差がすごすぎる。前提が全く違う世界が見えているから、同じ言語を話してるのに、何もわかりあえないと感じる。
こんな考えを持つ人が少ないことを祈るばかりである。
新潟のアイドルだかの暴行事件?かなんかが問題になってるらしい。自己顕示欲ビジネスは搾取の温床、みんな自己顕示欲を満たしたくて満たしたくてたまらないのかなって思う。俺もそうだし。ちょっと前に流行ったゴルスタとかめっちゃ懐かしくない?
いま大学生だからそろそろ新入生がキャンパスに溢れる。入試突破したからかわかんないけどドヤ顔が張り付いてて見るのが苦しい。
小さい頃は仮面ライダーとかプリキュアとかに憧れてたけど、世の中の厳しさを知って、現実を知って、小市民として生きていくんだ!みたいな社会人。ほんとのほんとにそう思ってんの、正当化するためにそうあるべきだって思い込もうとしてるだけなんじゃないの、だってそれでもやっぱ自分は特別だって思いたくない?
特別ってなんなんですか。前述のちやほやされるとかは特別の一類型ですよね。みんな知らない情報を知りたいとか、大金持ちとか、なんか「「「個性」」」っていうの欲しいんですよね。中二病だよ。
でも悲しいかな俺らの99.9999%は凡人で、別にいい大学行ったとかいい企業に勤めたとか起業したとか本書いたとか海外勤務したとか語学が得意とかイケメンとか美女とかとかとか大体誤差の範囲で、結局一瞬全能感を獲得しても結局心が折れる。よぉ凡人。
二十歳過ぎて俺は知ってる。俺は凡人で、でもそれが嫌でなんとなく尖ったことやってみて、でもそれも誤差の範囲内で、でもやっぱり特別でありたい。なんとかして自分は特別だって思い込みたい。ゴールはないのに、やりたいこともないのに、すっからかんなのに。
最近、デパ地下(洋菓子や和菓子)やデパートでの芸術品催し展などを観て回ると時間を忘れる。世の中ってこんなに綺麗な食べ物や文化に溢れてたんだ…と視野が広がるというという次元ではなくて、世間を知った感じ。
今まで受験勉強や大学受験、限られた進路を歩むばかりで、友人達と流行を追う事もせず。嫌な言い方をすると、「小市民がハマるモノ」を生み出す広告業界や商売人が作り出した文化を小馬鹿にしていた。
時間が空いてしまい、時間つぶしにデパ地下に行ったら綺麗な洋菓子や上品な和菓子に、とても目の保養になった。高い文化資本を求めて購入する客層も、今までの私とは絶対に接点の無い、時間を持て余した小金持ちなマダムと御老人で溢れかえっていた。ゆったりと、ウィンドウショッピングする時間が、私にとって心地よかった。
競争から離脱した負け組な私は、小金持ちのマダムやご老人達に埋没して、時間を見つけてはデパ地下散歩をしている。何を買う訳でもない。
時には、芸術品催し展をブラブラしたり、食器のフロアでは各界の名だたる陶芸品を眺めては恍惚とした眼差しをしながら「徘徊」している。やはり、何を買う訳でもない。
私、何のために脇目も振らずに頑張って来たんだっけ?世の中にはこういう世界もあったんだ、と感じた。でもそれは、あくまで私が「チヤホヤ」接客してくれる対象に過ぎないだけで、食品・陶芸品・デパート業界に興味を持っている訳では無いんだよね。そう。上品なデパート店員に、非日常な空間でチヤホヤされたりする事が快感なだけなんだ。
多分アレ。ビジネスマンが経費でビジネスシートやラウンジを使い始めて、調子に乗っちゃうアレ。優越感というか自分が偉い人だと勘違いしてしまう選民意識。
私の場合、世間の文化が新鮮で、それらがあふれかえっているデパートが、聖地なんだ。
因みに、御洒落に疎かったので、駅ビルの中に入っているファッションフロアや雑貨フロアも好きだ。「綺麗なお姉さんは、こういう生地の質を好んでいるのか…」とか「この配色素敵だな、体のラインが綺麗に見えるなあ」とか。QOLの高い女性・人々の生活モデルをザっと観れる感じが、今更ながら世間での流行を吸収している様が、満たされていく感じだ。
病んでいるのかな。
私の適職って、何だろう。
たぶん、物言わぬ識者は皆気付いているだろうけど。散々言われているのかもしれないけど。
一連の流れ、文下ろしの一環だよね?
命題は「平和」、反題は「文政権の理想」、合は「朝鮮半島の平和な統一(時期は問わない)」。
文を主体にすると、
命題は「朝鮮半島の統一(赤化は問わない)」、反題は「戦争」、合は「南北の融合(混乱は問わない)」
オリンピックまでに南北を融合したい文さんと、軍が政治的に強い北朝鮮軍を迎合できない韓国軍。
この二者の衝突に日本が利用されているっていう構図。
嘘っぱちな近接飛行の報告を上げるのも、
愛国心を煽って政権交代を促そうという意図を込めているんじゃないかな。
韓国の国際的な地位が下がってでも北朝鮮との融合が嫌ってことなんだろう。わかる。
日本も欧米もそれが分かってるから「しらんがな」な態度なんだろう。
日本が初めは強硬な態度だったのは国内向けのパフォーマンスなんじゃないかな。途中でそれをやめたら信用を無くすとまでは気付いてない感があるが。
命題は「平和」、反題は「朝鮮半島の統一後、恨文化の台頭と軍事主義的な発展」、合は「統一後に西側へ取り込む」
長い目で見れば海軍側につく方が理想に近そうだが…。だがもう統一後の朝鮮半島を西側に取り込むのは、迷惑だという雰囲気すらある。
トランプさんも赤化を容認するんじゃないかな。朝鮮半島の統一を自分の手柄にしたいだろうし。日本は容認のカードを持って北方領土を交渉してたりして。
赤化待ったなしだから、市場も中国に売却する傾向なんだろう。金正宙とか。
小市民たる僕たちがやらなきゃいけないのは、近いうち確実に来る混乱の前に、親しい一般韓国人の友人を東西問わず安全なところへ連れてくることだ。
在日とか云々とかとは別次元の話だ。目に見える範囲のいい人だけでも、せめて混乱から逃がしてあげるべきだ。
駄目なやつは間違っても連れてきちゃ駄目だ。慰安婦ガーとか照射ガーとか盲目的に信じるやつはどうせ赤くなるから、放っておけ。
あ、僕は筆下ろしに見えたので負けです。