https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20190510/1557474304
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20150914/p1
自分にとって、人生におけるベネフィット(=恩恵とする)は「なし」と思う。強いて言えば、自分の生みの親のステータスが「子あり」に進化できたくらい。自分自身になにかあるかといえば、ない。何も感じない。
生きることは辛く、厳しい。自分は人間一周目なのかもしれない。徳メーターがゼロなのかもしれない。どれだけ働いても暮らすのは大変だ。貧乏人は金持ちにはなれない。なったとしても成金レッテルを貼られてしまい、「ほんとうのお金持ち」にはなれないので、憧れるのもうんざりだ。とはいえ生きていれば金がかかる。息してるだけで税金や年金をとられる。仕方ないから働くのだ。
仕事をしていれば、役割があるので、かりそめの「生きる意味」みたいなものを手に入れられる。しかし、それはいつだって代替可能だ。どんな専門職であっても、替えがきかないなんてことはない。辞めていなくなったら、天皇でも総理大臣でもローマ法王でも、辞めてしまえば次の人が就く。いち小市民の労働なんて、「このわたし」でないといけない理由は一切ないのだ。
同じことが結婚や友達関係にも言えると思う。いなければいないで、他の人で充足できるのが人という生き物だ。永遠の愛を誓っても別れる場合もあるし、違う人とまた永遠の愛を誓う事案すら多々ある。
そんな自分が産む子が幸せになるとは到底思えない。だから産まない。もっと、自分が特別で大切で、愛されている!必要とされている!と感じている人が子育てしたほうがいい。
コスパではかれないものとは、大概、生身の人間同士の感情が関わるものだ。子育て・友人・家族・恋愛…。これらは金では買えないからコストという概念はあまりない。強いて言えば時間もコストだが、楽しい時間ならあっという間に過ぎてしまうから、あまり気にならないのかもしれない。
自分という個体に意味を持たない人間が行う活動は、後先まで続く「ほんとうの感情」ではなく、その場だけの感想しか産まない出来事ばかりだ。生きる理由がない。死ぬ理由もないから、生きてるだけ。
コスパ関係ない、感情を伴う活動をしても、続くわけがない。目の前に「ほんとうの感情」をもつ生き生きとした人がいると、温度差がすごすぎる。前提が全く違う世界が見えているから、同じ言語を話してるのに、何もわかりあえないと感じる。
こんな考えを持つ人が少ないことを祈るばかりである。