はてなキーワード: 婦長とは
我が家の次期当主である長男の従者を募集します。希望すれば使用人や屋敷の管理を学び、私と現執事の引退後に我が家の新しい執事として勤務も可能です。面接は現執事であり私の従者も兼任している者が行います。
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ユーモアのセンス、詩や文学への造詣、語学力(英・仏)、服装のTPO・トレンド・ドレスコード
長男の書類・手紙・郵便物の管理、長男の衣類の管理、長男が着る服やアクセサリーのセレクト・着付け、長男が旅行や外出をする際の荷物持ちや護衛、男性家族(父、私、長男)の来客の応対や給仕
月給40万円から、長男の部屋へのノックなし入室可、家事の免除、部屋と食事付き、執事以外の使用人(妻の侍女や家政婦長、メイド、下僕、料理人)に業務を命じられない権限及び必要であればそれらの者たちへ業務(長男の部屋の掃除など)を命じる権限
若手であるハテナの相談を受けながら、増田はぼんやりと考えていた。
「Kさんが部屋から出てきたら、『婦長、一緒に巡視に行かせてください』と言うんだ。
それから一通りまわったあとに、『あとは私がやりますので婦長はお休みください』といってみて。
そしたら、徘徊は止むと思うよ。」
「分かりました。やってみますね。では、増田さんは、ゆっくりお休みください。」
部屋の外では、新人職員のイアリが、2人のやりとりを見守っていた。
「こういうふうにすると、増田さんは徘徊しないでくれるの。増田さんは現役のころに老人ホームで働いていたみたいなので、その頃を思い出されてたのかもしれないね。」
ハテナは、どこか得意げに話す。
「そうなんですね。分かりました。では、ハテナさんは、ゆっくりお休みください。」
ハテナは、自室で少し休むことにした。
さっきのイアリの言葉、どこかで聞いたことがあるな、と思いながら。
ネタ元:「認知症のお婆さんの深夜徘徊を工夫で改善出来た話→「俺は認知症になったら無限にパワポで紙芝居作るんだろうな…」 - Togetter」
https://togetter.com/li/1946334
老人ホームの謎
この老人ホームで働くようになって何年くらいになるだろう。
新人の教育係なども任されるようになった職員の増田は、夜勤の報告を受けながらぼんやりと考えていた。
夜勤明けの新人職員のハテナが、身を乗り出すような感じで元気よく報告してくる。
増田は少し身を引くような感じで、答える。
「ああ、また徘徊していたのかな。」
認知症で移動には車椅子を使っている女性入居者のKさんは、以前から時々夜間に所内をうろうろすることがあった。
「そうなんです。真夜中に部屋をでて、隣の部屋のドアを開けてのぞき、次はその隣みたいに、全部の部屋をまわってるんです。
それが終わるといったん自分の部屋にもどるんですが、少しするとまた出てくるんです。」
「ああ。」
ハテナの話はだいたい過去の事例と一致する。深夜の徘徊といっても自分で部屋にもどるし、害は無いとして
放置されてきた。人手の足りなさを言い訳に、緊急度が低い案件はどうしても後回しになる。
「明け方に起きていた入居者の人にドアを開けるなと怒鳴られたりもしていて、どうにかならないでしょうか。」
しかしハテナは気になるようだ。入居者同士のトラブルが増えても困るし、できるものなら何とかした方がいいだろうか。
その日の休憩時間に、増田は所長のもとを訪ねた。自分が新人のころからお世話になっている、人生の大先輩だ。
いつもの日当たりのいい椅子で休んでいる所長に、そっと声をかけると、起きていたようで返事が返ってくる。
「ああ、増田君か。何かあったのかな。」
増田は夜間に徘徊するKさんのことや、何とかできないかと心配している新人のハテナのことなども話す。
「ハテナ君は昨日が始めての夜勤だったかな。見回りしてる所はみかけたよ。」
所長は少し考えていたが、ある策を増田に授けてくれた。これまで何度も増田の相談に答えてくれた所長の頭脳の冴えは、
いまだに健在だった。フィクションの安楽椅子探偵が実在したら、ああいう人なのだろうなといつものように思う。
そして次の夜勤の前の日に、ハテナに所長の策を説明する増田であった。
「すごいです、増田先輩。ばっちりでした。」
夜勤明けなのにどうしてこんなに元気なのかと不思議なくらいのハテナは、開口一番にそう言った。
「そうなんだ。良かったね。」
「私が部屋から出てきたKさんに、婦長、一緒に巡視に行かせてくださいと言うと、よろこんで承知してもらえました。」
ハテナの話は続く。
「それから一通りまわったあとに、あとは私がやりますので婦長はお休みくださいといったら了解してもらえました。そのままお休みになったようです。」
「それは良かったね。Kさんは現役のころに看護婦をしていたみたいなので、その頃を思い出されてたのかもしれないね。」
看護婦の話は所長から聞いた受け売りだ。入所者の過去は、原則として職員には未公開だ。
「そうなんですか。それにしても先輩はすごいです。」
「いや。そうだ、ちょっと一緒に来てくれるかな。」
このままだとハテナに誤解されそうだったので、増田は所長のことを話すことにした。移動中に簡単に説明して、所長のいつもの場所に連れて行ったのだが。
「お休みのようですね。」
ハテナが言うとおり、所長は安楽椅子で気持ちよさそうに眠っていた。
「挨拶は、また今度にしよう。」
「わかりました。そういえば、」
と何かを思いついたかのようにたずねて来た。
「所長は現役の頃に、何をされてたんでしょう。探偵さんですかね?」
「さあ、どうなんだろう。今度調子がいい時に本人に聞いてみるよ。」
入居者の過去を知らない増田としては、そう答えることしかできなかった。
ネタ元:「認知症のお婆さんの深夜徘徊を工夫で改善出来た話→「俺は認知症になったら無限にパワポで紙芝居作るんだろうな…」 - Togetter」
現実はもちろんのことテレビでもネットでも品行方正を求められて、油断すれば揚げ足を取られて潰される社会を見てると気が狂って死にそう。
基本的にSNSはリスクでしかない。有名人じゃなくても悪意のある人間が一部を切り取って文脈を無視した発言を拡散される可能性がある。自分だけではなく所属する組織や家族にも迷惑がかかる。何で人生が終わるか分からない。
その結果、どこもかしこも誰もが納得できるお利口さんで役に立つつまらないコンテンツしか無いし、空気を壊すことも悪ふざけもルールをぶち壊す事も許されない。本当に窮屈でつまらない。
オリンピックの辞任騒動が分かりやすいが「正義を盾に他人の言動をあげつらって社会的に潰す」ことが簡単に行われる。最悪な社会だ。お前ら正義感を盾に相手が言い返せない事をいい事に、単に気に食わない奴を潰してストレス解消してるだけだろ。発言元よりよっぽど悪質だろうが。
ただな、攻撃欲を発散させて敵や古い常識をぶっ潰す、これこそが根源的に人間が求めてる事なんだよ。
現代は「カッコーの巣の上で」に出てくるラチェッド婦長だらけの世界。同時に皆が精神的にロボトミー手術を受けさせる運命。
で、さっきfacebookのタイムラインで、知り合いがスタバのカフェオレをスマホで撮ったクソどうでもいい写真を目にした時、もう俺は限界だと思った。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210412/amp/k10012969771000.html
"内容は、食事の準備や洗濯などの家事が多く、ほかにも、きょうだいを保育園に送迎したり、祖父母の介護や見守りをしたりと多岐にわたっています。"
しかし食事の用意、洗濯などの家事負担が"ケアラー"になるのか?
なぜそう思うのかと言うと、私の中高生時代がこの定義にベストマッチするからだ。
父親はスウェーデンにいるので戦力外。時差もあるから年1で話すかどうかレベル。そして看護師は激務だ。いつ家にいるか正直わからない。
今思い出すと以下のルーティン。
朝:お弁当を3つ作り、昨日の汚れ物が入った食洗機をオン。洗濯機内の洗濯物を乾燥機に入れてから登校。部活の朝練がある日は5時起きだけど、まあ前の日早寝すれば平気。
夕:部活が終わったら妹を迎えに行き、夕飯の買い出しetc。親が作ったデビットカードは履歴見えるしすごく便利だった。
夜:夕飯の用意。お風呂洗って沸かして、幼女にご飯食べさせてお風呂。
まあ気休め程度に勉強したりゲームしたりして、寝る前に洗濯機をタイマーにして寝る。
とまあこんな感じの生活。乾燥機ダメな服や掃除は週末にまとめてやれば良い。
これでもFF10は24時間以上プレイしたし、ブリッツボールやりこんだし、ポケモン図鑑はほぼコンプリートした。
高校卒業して実家を出るときには親と妹の処遇を巡って一悶着あったけど自分のことは自分で出来る女児になっていたから結果的には平穏。
今から考えると世帯年収1500万位だと思うけど、それでも「ケアラー」は発生する可能性がある。
当時、ホームキーパーを雇うか聞かれたことがあるけれど、なんだか気味が悪くて断った覚えがある。(家に他人入れるのって怖くないか?)
看護協会というのがあって、看護師は半ば強制的に加入圧力がかかる。で、その巨大な看護協会は、お抱え議員達を擁立し、メディアにも圧力をかけるプロパガンダ機関というべき代物だ。また、管轄の厚生労働省の管轄課に協会から人員を送り込み、出先機関と化している。
協会主導の看護師地位向上運動というプロパガンダマシンが世論を押さえてる。共産党とも近く、すぐ「看護師の給料が~」とか、「看護師の労働環境が~」とか、声高に叫ぶ。
同様に、今回のように、すぐ活発な看護師関係者たちによる話題逸らしが始まる。
看護協会の活動の中心は、常に、看護職の地位向上運動にあります。世間では、医師の診療補助をするのが当たり前と考えられ、法にも、それが業務として謳われています。しかし、「看護師は独立した専門職であり、医師と対等の職種である。医師の補助職ではない」というのが、彼らの主張の根幹なのです。たしかに、かつての看護師の社会的地位を考えると、地位向上にやっきになることは理解できないわけではないですが、あまりに時代錯誤であり、また、「診療の補助は、看護師の本来の仕事ではない」という主張は、見当外れだと思います。
実は、内診問題と同じような問題に、静脈注射についての通達があります。かつて「看護師が静脈注射をするのは保助看法違反である」という厚生省の通達がありました。もちろん、現実には遵守不能で、最高裁判決でも違法でないとされました。ところが、公的病院の看護部は、通達を盾に「静脈注射は医者の仕事である」として、絶対に注射をしようとはしませんでした。「看護師の本来の業務は看護であって、医者の手足として働いてはいけない」という主張です。
この通達は数十年を経て、やっと平成14年に実態に即した変更がなされました。しかし大病院の看護部は今なお反対し、それをどう受け入れるかについて議論があります。看護協会にとっては、医師から独立した専門職として社会的に認知されることが、大命題なのです。とくに大病院の管理職の看護師は、常にこの意識にさいなまれています。
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要するに、厚生労働省医政局看護課は、看護協会、看護連盟の出先機関でしかなく公正中立な行政機関とはいえないのです。看護課長が各議員を回り、看護協会の意向を受けた政策に強引な同意を求めるということについて、国会で民主党議員が抗議の質問をしたことさえあります。
大病院でも看護部は強大な力を持っています。大学病院の総婦長が、他部署はおろか院長でさえも手出しができない存在であるのと同様に、恐らく、厚生労働省内でも看護協会と看護系議員をバックにつけた看護課は、局長ですら手出しができないのだと思います。
事実、日本医師会が医政局長に説明を求めたところ、「預かり知らないところで、看護課長が勝手に通達を出した」としています。省に持ち帰ってからの責任論では、「厚生労働省全体の責任です」という話に変わってしまいますが、それには政治力が働いたと考えるべきでしょう。通達の直前まで、南野智恵子議員は厚生労働副大臣でした。
三月にやってたAP1/4キャンペーンを見て、前々から気になっていたFate/Grand Orderを始めてみた。箇条書きで感想を書く。
・Fateシリーズに触れるのは初めて。最初の方は知らない用語や前提が大量に出てきてポカーンだったが、なんかわかったふりするくらいはできるようになった。そして聖杯とか神とかの詳しい話が出てくるたびにポカーンってなる。
・現在7章の終盤ラスト2節くらい。令呪使ってでもごり押しでクリアするつもりなので、1部クリアは遠くないはず。
・世界史の弱さが悔やまれる。「あ、あの人は伝説の○○!?」(誰だろう…)
・キャスターの何でもあり感。クラスが思いつかなかったらキャスターにしとけみたいな風潮がある。ポケモンでいえば水タイプくらい多い気がする。
・ライダーとは何なのか。なぜお前がライダーなのか。調べれば調べるほどこじつけ感がすごい。
・クイックが弱い。アサシンならセーフ。それ以外のクラスには外れカードでしかない。
・キャラがみんな魅力的なので、ストーリーはやっててそこそこ楽しい。
・本当に魅力的なキャラしかいないので推しキャラって感じにはならない。みんなよし。というかあんまり「婦長ーーー!!好きだーーーー!」とか言ってるとガチャの沼に飲まれる気しかしない。
・サポートのLv100ヘラクレスが強すぎる。マシュ+ヘラクレス+レベル1でもうこのままクリアするわ。もう6章で難易度上がってからこれしか使ってない。
・もう推しキャラはヘラクレスって言ってもいいかも。ヘラクレスかっこいい。自分のヘラクレスもレベルが上がり次第、聖杯使うつもりだ。ヘラクレスイケメン。この気持ち、恋かもしれない。俺男だけど。
・イベントは一応一通り素材集まるまでやったけど、これ苦痛だ。やった方が相当得なのはわかるけど、ちゃんとやると拘束時間がえぐい。ゲームは一日一時間って知らないのか。
・ログインは1日2回程度で済むので、ゆるゆるやるなら拘束時間はそんなに多くない。無料でストーリー楽しんで、ならめっちゃいいゲームだと思う。
・そんなわけでストーリーはヘラクレスごり押しで来たけど、やり込むときつそうだなあ。一部クリアした瞬間にやめるかもしれない。1.5部以降も楽しい?
チンポコの話を書いておくべきだと思った。
突如としてチンポコにニキビみたいなものができた。思春期の中学生にできるみたいなやつが亜空間から誕生した。チンポコの左サイドだ。この位置にニキビができると空力的にまずい。性病か何かだろうと考えもしたが、感染経路がサウナくらいしか思いつかない。不安だ。どうしても不安だ。
これがやはり普通のニキビで、おでこにできたニキビは想いニキビ、チンポコのは重いニキビ、とでも言えたら人生も楽しいのだろうけど、とにかく不安だった。このままボコボコとニキビが増殖していって最後にポンの顔が出てきたらどうしよう、泣きながら潰す羽目になったらどうしよう。夜も眠れなかった。結構寝た。
いきなり性病科の医師はハードルが高いと思った。渋谷辺りの首都高から見える「性病科」とちょっとホラーっぽいフォントの見える病院に行こうと思ったが、そのまま余命宣告とかされたら恥ずかしいし、なにより結構普通なことだったら恥ずかしい。
女の子同士は、「よしこおっぱいおおきいー」「もう!」と更衣室で性的な話に花が咲くかもしれないが、男同士はあまり「隆則、ちんぽこでかい」と揉みあったりはしない。他人のチンポコがどうなってるのかあずかり知らないところがある。
もし、結構日常的にちんぽこにニキビができるとしたら? 僕が知らないだけで当たり前であったとしたら、ただ性病科にちんぽこを見せつけに行っただけの人だ。「あれで自信あるのから見せに来たのかしら」などと婦長に笑われたら目も当てられない。
セミプロに見せたらどうだろうか。そう思った。早い話がピンサロだ。
ピンサロの女の子たちはもしかしたらチュロスよりチンポコを見ているかもしれない。もしこれが深刻な病ならすぐにでも異変に気が付くだろう。そしてサービス中止となり、僕はたたき出されるだろう。ただ、それは撤退ではない。敗走ではない。価値ある前進なのだ。そこで初めて病院に行く決意ができる。
侍はピンサロの前に立った。
固い決意とは裏腹にピンサロの看板はピンク色でぷよぷよしたフォントだった。今日は私服デーらしい。
入店すると待合室みたいな場所に通された。何人か先客がいて、まるで死刑を施行される前の人のようにうなだれて座ったいた。なぜだろうか、覇気がない。
全員が全員、チンポコにニキビができたわけでもなかろうに、なんでピンサロの待合室はあんなにもバツが悪そうなのか。もっと快活にみんなでフットサルをするくらいに勢いでもいいんじゃないか。そう思う僕も、バツが悪そうに、バイク仲間が事故した時の病院待合室みたいな感覚で待った。
きっと誰もがチンポコにニキビみたいなバツの悪さを抱えている。ピンサロに来るとはそういうことだ。誰もがここでは大人しくなるしかない。フットサルなんてとんでもない。
トイレから声がした。同時にドアを蹴破りそうな勢いでオッサンが飛び出してきた。マジックだったらすごくビックリするシーンだ。マジックじゃなくてもびっくりする。
ヘモグロビンの代わりにストロングゼロ(ダブルシークワーサー)が流れていそうなオッサンはウンコが流れないことに御立腹ですごい怒っていた。開け放たれたトイレからは禍々しいオーラが溢れ出していた。
謝るピンサロボーイに、しゅぽしゅぽやるやつ持って駆けつけるピンサロボーイ、一通り暴れたオッサンは「ゲンが悪いから帰るわ」と吐き捨てて帰っていった。お金と割引券を返却してもらってた。
僕はそんな彼を見て、チンポコにニキビなんてなんて小さいことで悩んでいたんだろう、そう思った。ピンサロではなく病院に行くべきである。そう思った。なので僕も帰ることにした。返金はしてもらえなかった。
昨日の夜、中絶手術を受けた。
経済的に幸せに育てるのが難しいこと、お互い同棲だけで結婚してないことから中絶を選択した。
手術の日までは悪阻もひどく、少し動いただけですぐ疲労してしまったり仕事もなかなかこなせなかった。
中絶という最低な選択を取ったけれど、手術日までの間だけでも名前を付けて可愛がろうとしていた。
エゴだけど。
当日、術前術後のベッドで彼に付き添ってもらえるかと思っていたが病院川に拒否され、彼には病院外で待って貰うことになった。
私は昔から相当なビビリで病院が苦手なので、かなり不安感があったが、子供も一緒だと思うと頑張るしかないという気持ちになった。
分娩台に乗せられ、右腕に注射をされた。
駐車をされている中、左隣でおばちゃんの婦長さんが「二度とこんなことやっちゃだめよ。」
と言っていた。
私は「もう一度妊娠することは可能ですか」と聞いた。
婦長さんは「出来るわよ。ちゃんといい人と巡り会って、恋愛をして結婚して、それから子供三人ぐらい産んでね。その時はうちの病院に来てね。」と言った。
怖かったので彼の顔や、家族の顔を一人ずつ思い出していた。
貧血で倒れるときに似た感覚で、注射後すぐ手がしびれ、耳が遠くなり意識が無くなった。
真っ白な景色の中、親戚一同、死んだはずのおじいちゃんやおばあちゃんも勢揃いしていた。
私の名前を呼んでたくさんの愛情を貰い、すごくふわふわした気持ちになれた。
皆揃ってるから彼を紹介しなきゃ!行こう!と彼の手を引いたところで目が覚めた。
意識は戻ったが体がまだ動かず、なんとかしてスマホを取り彼に連絡した。
後から見返すと日本語がうてておらず、さらに途中で時間が飛んでいたので連絡中何度もまた寝ていたのだろう。
お腹の痛みはあまりなく、元々生理痛がひどい私にとってはどうってことない痛みだった。
診察を受けるため着替え、歩いて診察室に向かおうとしたが、尋常じゃない吐き気と動かない体に驚いた。
看護師さんは「麻酔きいてなかったからいっぱい投与したからねぇ」と言っていた。
診察でお医者さんにふらふらしながら「すみません。ありがとうございました。申し訳ないです。」と言ったが無視された。
その後は彼にタクシーを呼んでもらい、起きあがると気持ち悪かったのでアパートの三階まで恥ずかしながらお姫様だっこで持ち上げてもらい、全部の世話をして貰った。
そして眠りに落ち、目が覚めて今に至る。
以前までは起きた瞬間悪阻が酷かったのだが、今は全くなく、お腹の痛みだけがある。
妊娠発覚から術前日までに三キロ増えていた体重が、さっきは二キロ落ちていた。
言い方がおかしいかもしれないが軽い。
これで本当に子供が亡くなってしまうのか、あの幸せな夢を見ている間に私の子供は辛い思いをして死んでいったのかと思うと変な気分になる。
よくわからない。
先日、私の祖母が亡くなった。85歳だった。
祖母との思い出といえば、私が生まれてから成人するまでのおよそ20年間、元旦に直系の親族一同とともに正月祝いを行っていたことを思い出す。正月祝いと言っても、細田守の「サマーウォーズ」に描かれるがごとき祝祭的な性格のものというよりは、近況報告を兼ねて親族同士で気を使いあう儀礼的な色彩のつよいものであった。
祖母には一人の息子と三人の娘がおり、息子が一番年長、その下に長女、次女、三女と続く女風上の一家で、この末娘が私の母である。四名とその家族が毎年元旦に祖母のいる実家へ帰省していたわけだが、態々そのような古臭い集まりを続けていた理由は簡単で、いずれの親族も実家から車で1時間以内の場所に住んでおり、集合するのが容易だったためである。
長男は、礼儀正しく気の優しい人で、奥方とも仲睦まじいが、子宝には恵まれなかった。長女は結婚してすぐ最初の孫――――私のいとこに当たる娘を産み、次女もまた結婚後すぐに娘を一人もうけたので、祖母からすれば、自身の若いうちから孫を抱いて可愛がる楽しみを得ることが出来た。私が生まれたのは次女の娘よりも5年ほど遅れてのことだったが、あとから母に聞いたところによれば、祖母にとっては初めての男の孫であったから、幼少時の猫可愛がりは尋常ではなかったということだった。現在を見てみれば、いい年をして結婚もせず、祖母の期待に沿う形には成長できなかったのだが。
私に遅れて妹と弟がそれぞれ誕生したが、正月にはこれらが皆、映画のように広い日本家屋などではなく、昭和のごく平均的な一軒屋に集まるわけだから、私たち孫の小さいころの祖母は片付けや食事作りなどにてんやわんやで、忙しそうに家中を動き回っていた。
生前における祖母と祖父のおしどり夫婦ぶりは母や親戚から伝え聞いているが、その足取りは大抵のものではなかった。
大正生まれの祖父は、呉服屋の息子で自らも商店を営んでおり、利発聡明と専ら評判の若者であったが、当時の男性としては体は丈夫なほうではなかった。そのためかは定かではないが、第二次大戦時もなかなか徴兵されることはなく、結局日本が敗戦する直前になって突如として徴兵されることとなったという。
終戦後、祖父は無事帰還したものの、兵役の最中に肺結核を患っており、生業である商売もままならず、しばらくは寝たきりの生活を余儀なくされた。戦後の結核治療の確立から一命はとりとめたものの、後遺症か定かではないが、原因不明の発熱と咳に生涯悩まされることとなり、商店の経営にも難渋した。
祖母は、看護学校を卒業していたが(戦中、従軍看護婦になることを希望していたのかもしれない)、卒業後すぐに祖父と結婚したことから、看護婦となることはなく、祖父の徴兵後は夫に代わって商店を切り盛りしていた。しかし、祖父の体調不良もあって戦後いよいよ先行きが怪しくなり、結局私の母が生まれて5年後に閉店したという。
その後の祖母は、しばらく職を転々とした後、昭和42年ごろ、某市の市立病院の看護婦となる。祖母にとっては、高校以来の看護業であり苦労は並大抵ではなかったというが、持ち前の剛毅さと天性の快活な性格にナースは天職であったようで、中途採用者としては異例の副婦長の地位まで昇進したという。60歳で定年した後も、市内の私立病院に嘱託職員として居場所を得、4人の子供を成人させ、病の夫を支え続けた。
しかし、その祖父も私が5歳のときに癌で帰らぬ人となる。確かではないが、病室で遺族が泣き伏せる中、祖母は一度も涙を見せなかったと幼いころの私は記憶している。
祖母との最後の思い出らしい思い出は、一昨年の夏のものである。
何とか就職が決まり、自分の車を手に入れた私は、何を思ったか一人で先祖の墓を参りたいと考え、祖母に親類の墓地の場所を尋ねに行った。その前の年、私の父が母と離婚しており、20年続いていた正月の集まりは中止されてしまっていた。祖母の顔を見るのは、同年の冬、祖母が初期の癌を患っていることが判明し、見舞いに訪れた病院以来であったと思う。これは治療により完治し、祖母は実家で一人暮らしを再開していた。
唐突に尋ねてきた孫に、祖母はメロンを振舞ってくれた。墓地の場所を教えてもらい、私はひとり車を走らせる。天気は伸びぬけるような快晴であった。セミが絶息の声を漏らして、草だらけの殺風景な墓所に風情を齎していた。確か、わざわざ花を携えて行ったと記憶している。
墓めぐりが終わって、私はもう一度祖母の自宅を訪ねた。最近腰が痛くて食器の片付けに苦労するというので、洗物を手伝い台所の片づけをした。年季の入った炊事場の汚れを見ると、正月に走り回りながらおせち料理を拵えてくれた、祖母の苦労が感じられるようだった。帰り際に、祖父の眠る仏壇へ線香を立てた。
帰り際、私を何事か心配そうに見つめながら、祖母は言った。
「私はもう、長くない。私が死んだら、後のことは頼む」
私は、何を言っているの、おばあちゃんは癌になったって死なない人でしょう、と言った。豪快な祖母のしおらしい一面を見て、私は意外に思いつつ、やや後ろ髪を引かれながら岐路に着いた。
その2週間後、祖母は脳梗塞で倒れた。
以後の祖母の容態は、芳しいものではなかった。脳梗塞からただちに生命の危機には至らなかったが、脳の神経が一部破壊されてしまったことから、記憶の維持に支障が生じ、軽度のアルツハイマーの様相を呈していた。また、翌年の冬、恐れていた癌の再発が認められた。
近年の病床の不足から、祖母は短期間の転院を繰り返し、結局地元の病院(かつて勤務していた病院ではない)に落ち着いた。最後に会ったのは、今年の5月ごろであったと思う。もう、私の顔はあまり分からなくなった様子であったが、お見舞いに来てくれているのはわかっているようで、こちらが手を振ると童子のように身振りで返してくれた。黒かった御髪はすっかり白くなり、顔も痩せて、さながらどこぞの聖人のようでもあった。母は週に一度見舞いに行っていたが、亡くなる前日までは、元気に呼びかけに応えており、当日は眠るように安らかに逝ってしまわれたという。
通夜には、上述した親族はもちろん、各地に散らばっていた祖母の兄弟の他、長女の娘の息子と次女の娘の娘、つまり祖母にとっては曾孫に当たる二人も参列した。二人とも終始、お経が退屈で帰りたいとぼやいていたが、赤ん坊のときにまだ健全だった祖母に抱かれたことは記憶にないのだろう。
私にとっては従甥・従姪にあたる二人の相手をしながら、私はかつてこうして祖母の実家で遊んでいた時代のことを思い出していた。辛櫃の前をずいぶん騒がしくしてしまったが、生涯をかけて一家を守ってきた祖母にとっては、たぶんこの光景が一番望んでいたことであったのだろう。
おばあちゃん、生前は本当にお世話になりました。
看護師をしているが、最近病棟に立て続けに面倒な患者が入ってきている。面倒な患者というのは所謂モンスターペイシェントというやつである。なんと5人くらいいる。毎日どうでもいい用事で呼びつけられ怒鳴られほんとにやってらんないので彼らの共通点をしたためておく。ちなみに病棟は急性期の内科病棟で、癌の患者が多い。
1.ルールを守らない
病室で携帯を使う、夜中でも電気を消さない。指摘すると「特別に許可されたんだよ」と烈火の如く怒る。医師が注意すると「うっかりしてた」「看護師が使っていいと言った」「前の病院は良かったから」等言い訳や嘘をつく。
2.同室患者と揉める
同室患者に聞こえるように悪口を言う、同室者の悪口を書いたメモを婦長に提出する。内容は「おやつを食べている音が嫌」「面会者の声が気になる」など。本人も守れていないものが多い。また上記のクレームを夜中に看護師を呼びつけて大声でまくし立てたりするので、同室患者はみんな不眠。
3.立場が弱そうな者に当たる
若そうな看護師とか看護助手をわざわざ呼びつけて「お前は看護師失格だ」「優しさが足りない」などとよくわからない罵詈雑言を浴びせる。物を投げつける。強そうなおばちゃん看護師とか婦長とか医師には言わない。特に医師には必ずと言っていいほど媚びる。先生が来てくれただけで元気100倍です!とか。だから罵詈雑言は浴びせるが、「上を呼んでこい!」とは絶対に言わない。ちなみに若い看護師への暴言は大体廊下まで聞こえており同室患者にも筒抜けであることが多い。
4.かまってほしいアピールと自分こんなに頑張ってるよアピール
歩けるのに車椅子に乗りたがる。車椅子に移る時は必ず「辛い…」「痛い…」と言い、「支え方がなってない」等と文句を言う。歩けるなら歩いて下さいと言うと「病人を歩かせるのか!死んだら訴えるからな!」とキレる。そんなに歩けないならトイレはお部屋に置きましょうかと提案すると「寝たきりにする気か!がんばって車椅子に乗っているのに!」とキレる。結果1時間から30分おきにゆっくりゆっくり車椅子に移りトイレに移り文句を言い用を足し文句を言い車椅子に移り…激しく手がかかる。そういうのが他にも薬とかごはんとか検査とか諸々である。うんざり。
男女比はまあ個人個人の問題だから出しにくいにせよ、うちの病棟は男が多い気がする。痛がったり、かまってほしがったり、仕方なく話聞いてたら「さみしくて…」とか言い出すのは男性。女性でめんどくさい人は何人か見たけど、手首切ったり号泣したり、すでに精神科の既往がある場合ばっかりだった。女性は同じ女だから看護師に甘いところもあるのかもしれない。こういうややこしくて面倒くさい患者を見てると、入院も集団生活を送れる人じゃないとできないんだなあとつくづく思う。あと人のこと「お前の優しさは上辺だけ取り繕った偽物だ」とか驚きの罵倒しといて、後で「本当は自分にだけ特別優しくしてほしくてそんなこと言った」とか言うのほんとやめてほしいと思う。なんかもう屈折しすぎて私のような小娘にはついていけません。あー増田に書いたらすっきりした。なんか改行とかむちゃくちゃですいませんでした。
http://anond.hatelabo.jp/20090216221825
これを見た日にこういう内容を書くとは。
とりあえずブームになってるようなのでこの波に乗るしかない、と書いたら誤解されるだろうけどしったこっちゃない。
何を言わなくても似非メンヘラだと言われ、何か言っても似非メンヘラだと言われるのだから。
同じ阿呆なら踊らにゃそんそんじゃないけど、私の場合は文字にしたり口に出すことで辛うじて発散できるからこうして打っている。
ちなみに普通の発散方法だと発散できない。わがままと取られるだろうが、自分がいいと思った物以外は全てストレスに変わる。
端的に言えば0か100、いや200にも500にもなるだろう。だから避難されるだろが、それを承知で記す。
しかし初めて増田に書き込む内容がこれとは…。予想はしていたが思ったより早かった、そして空前の鬱ブーム。
私の体験談が参考になるかわからないが、何気なく書けるここに便乗し、思いのまま書く。まとまっていないものが出来るだろう。
これを機に理由もなく叩いているネット弁慶の否精神疾患派は心を入れ替えて欲しいし、似非メンヘラは溶けて無くなればいいと思う。
私は去年の夏に鬱病と診断された。それに伴い帰省を余儀なくされ、退社せざるを得なくなった。
したがってもちろん転医した。が、この医者が少々困った人だった。
初めて受診したときはカウンセラーが一時間かけて私の話を聞いてくれた。
紹介状(診断書だが)のおかげかスムースに事は運んだ。
類は友を呼ぶのか同じ病の人とネットを経由して連絡を取り合うようになった。
私はその友人から病気について質問し、また答えを貰った(友人の方が病歴が長い)。
そうして医者と上手く付き合う方法を訊いたし、よくなりたいと出来る限りの努力をした。
ある日、不規則な生活からどうしても抜け出せないと相談すると、医者が薬をくれると友は言った。
心配な私は何度も訪ねたが、症状をよく訴えれば貰えると教えてくれた。簡単だと言った。
後日私は病院へ赴いた。医者にはいつものように生活の事を訊かれた。
これまでは「調子が良くなっている気がする」、とか「薬はたまに忘れるが一応飲んでいる」と言っていた。
私の悪い癖だ。病気の癖に頑張って良い振りをしていた。でないと見捨てられる気がして恐かった。
だが、この日は完全に医者の言うことを鵜呑みにせず、少々反論した。反論と言うよりはありのままを話した。
「最近不規則から抜け出せない」、「眠れない、今日も寝ていない」、「感情が抑えられないときが頻繁にあり、その度友に迷惑をかけてしまう」などだ。
睡眠薬は貰っていたが、これが効かない、眠れやしない。しかも眠れる時に限って効き過ぎる、半日はざらに眠る。
そういう事を訴えたが、医者は「生活リズムを調整しては?」、「睡眠薬の量を増やしましょう」とだけ言った。
時間を割いて、臭くてごちゃごちゃして苛々する待合室に長時間待たされて、出来る限り頑張った結果がこれだった。
しかし、医者の言うことは聞いておこう、そう思い私は溜飲を下げ医者の言うとおり努力した。
それから三ヶ月が経った。未だ感情のコントロールは上手くいかず、友人達には迷惑をかけてしまう。寂しくて常時死にそうだ。
当たり前のようにみたく眠れない。正確には身体が悲鳴を上げるまでは眠気が来ても瞬時に消えてしまう。
布団に横になろうにもいろいろな妄想が頭に浮かんで恐くなる。結局一番疲れないで時間を潰せるネットに手を出す。非常に悪循環だ。
薬が欲しかった。ネットで見た情報にはいろいろな薬があった。それが処方された人もたくさんいた。羨ましかった。
もちろん友人もその一人だった。再度友人に指示を仰いだ。するとアピールが足りない、もう少し訴えたら貰える、との事だった。
そうか、自分は病人だから後ろめたいと思わず素直に言えばいいのか、そう訊くと友人はそうだと言ってくれた。
そして今日病院へ行ってきた。出来る限りの力で、前回よりも、前々回よりも訴えた。
しかし「言われたとおりに薬を飲まない私が悪い」、だとか相変わらず、「もう少し様子を見よう」と仏頂面。
私もいよいよ堪忍袋の緒が切れた。「言われたとおりに出来ないから訴えている」、
「心が落ち着かない、気が狂ってしまう」そういう事を同様しながら言った。
兎に角おかしくなる、というような事をただただ訴えた。すると医者は呆れた顔をしながら深くため息をついた。
私はいよいよ違った展開になるかと内心期待した。しかし医者は顔を変えただけで言うことは同じだった。
ただ同じ言葉を言う。調子を変えて、少し強めに言う。まるで私は機械と話しているようだった。
いくら病気といえど私だって数年人間をやっているつもりだ。話が通じない相手と話はしたくない。
とりあえずはい、と答えた。目はしばらく合わせなかった、会わせたくなかった。
何も見たくなかった。いっそ倒れてしまいたかった。電源ボタンでもついていればいいのに。
椅子でも蹴飛ばしたい気分だったがそんな気力はもちろんあるわけない。
その場はいつも一礼して退室するのだが今日はしなかった。だって人と話していないから。
処方された薬は受け取らなかった。お金を払うのがばからしい。医者を変えて別の薬を貰おうと決めた。
その話を受付ですると仕事の遅い受付は婦長を呼んだ。しばらくすると婦長が飛んできた。
私を心配していると言うよりは銭勘定の心配をしているような目で私をみて色々と訊いてきた。
何が気に入らないとかどうとか、苛々してよく覚えていない。しかし私が急いでいるというのに長々と喋る女だった。
結局時間をめいっぱい取った後私はようやく解放され、診察代だけを払い帰宅した。
この話は別段特別なものじゃない。よくある話だ。現に私は今回二度目の再発なのだが、一度目も何度か転医している。
ちなみに一度目は落ち着いたからいいものの、その医者にはもう関わりたくない。
一度目は軽かったのか、友人や家族に助けてもらったと思っているくらいだ。だから今回だってすごく恐かった。
その事を前もって伝えてあるのに私の心はたやすく踏みにじられてしまった。こういう事を少なからず精神疾患は経験している。
これでもまだ弱者を槍玉に挙げて叩きたいのだろうか?それもこれも似非メンヘラの性なのだろうが、奴らは真性の○○すぎて話にならない。
私も多くの人に傷つけられた。職がないとニートと言われ、病気だと言うと恥ずかしくないのかと言われ、認めろ甘えだ、と罵られた。
病気じゃないときの記憶はもちろんある。その時と今を比較して、出来なくなった事を説明すると病気だったらそんな判断は出来ないとも言われた。
何か見えない敵と戦っているのだろうが、私にその鬱憤をぶつけられても困る。挙げ句俺だって苦しい、だからお前も頑張れ、とも。一体何様なんだろうか。
世代的にも様々な教育を受けた者が知り合いに大勢いる。だがどの世代も人の握りの人間しか私を理解してくれない。
そんなもやもやを抱いて日々を生きてきたが今回の記事や、他の某ブログで鬱病の記事を見て、そして今日の出来事でこれを書くに至った。
感情のコントロールが訊かない癖に、それにまかせて書き殴っているため少々矛盾が生じていることをここで詫びる。
だが食わず嫌いで精神疾患を判断するのは止めて欲しい。それこそ自分は大人だと思う人、自分のレヴェルが高いと思い、同じ水準を求める人は特に。
自分の目で見て、耳で聴いてから判断して欲しい。自分が大人なら、高いレヴェルなら簡単なはずだろう?
明日は我が身かも知れない。自分でなくとも家族、恋人、親友がなるかも知れない。それでもあなたは弱者に鞭を打ち続けるのだろうか?
誤解しないで欲しいのは優しくして欲しいという事じゃない。理解して欲しいのだ。病気であること、正常でない自分に苦しんでいることを。
昔の記憶はある。その違いにとても悲しくなるし憂うし自分を責めるし怒る。でも立派な人間なのだ。
勿論似非はわからずこれらをしているわけだから私は彼らを許さざるを得ない。
私たちは極端に言うと別の生き物と思ってもらうのが良い。男と女のように、同類ではあるが同質でない、それが精神疾患だ。
だから常識は通用しない。とっても疲れるし、面倒だ。自分まで気が狂いそうになって、嫌になってその人の首を絞めたくなるだろう。
私も病気になる前はそういう人と接する機会があったから、そちら側だったから気持ちは痛いほどわかる。
だが自分が正常だと思ってこちら側を卑下するのなら、大人だと思うのなら、せめて私たちを理解してからにして欲しい。
わからないのなら素直にわからないと認めて欲しい。私たちはは幽霊ではない。実際に生きている。血も通っている。ものも考える。
四六時中考えろと言わない。けど最近精神疾患について過剰すぎるほどの暴言を浴びるし、見かける。
アダルトチルドレンが増えた証拠なのだろうが、少し多すぎる気がする。私はこんな状況を危惧している。
よりよい未来のために、素晴らしい人間関係の為に、長くまとまっていないが、何か感じるものがあれば一瞬でもいいから考えて欲しい。
あと似非メンヘラは本当溶けて無くなればいいから。法律で賠償請求したいくらい。そのお金で医療費充実させたい。
まともな癖に異常なふりをするな大馬鹿者。
新人ナースも秋を迎えるころには古株になって、浮気がばれると病棟の全職員が敵に回るので、浮気も命がけになる、という意味。
“うり”も“なすび”もやさいだが、同じつるにはならない。人生失いたくなかったら、土下座してでも認知は避けよ、という意味。
茄子の花は、一つの無駄花もなく、すべて結実すると言われている。ナースと浮気するときには、だからよくよく気をつけないとえらいことになるという意味。
そのまま
そう思っている奴が、たいていドツボにはまって抜けられなくなる。
ナースのお腹が膨らんだとき、病棟にはたいてい、それを素直に喜べない奴がいる、という意味。
一年中出回っている茄子も、年の終わり頃にはみんな知りあいになって、うわさ話が一気に広がる。冬以降のナースは、新人の頃とは別の生き物に化けるので、浮気するなら年内が勝負、という意味。
三里四方、つまり勤務場所から半径12キロメートル以内に住んでいるナースと浮気すると、長生きできないという意味。
同じ病院で二度浮気すると、もう医局からも見放されるから気をつけろ、という意味。
浮気がばれてどうしようもなくなったとき、最後の手段として古株の婦長さんに相談すると、案外何とかしてくれるものだ、という意味。