この老人ホームで働くようになって何年くらいになるだろう。
新人の教育係なども任されるようになった職員の増田は、夜勤の報告を受けながらぼんやりと考えていた。
夜勤明けの新人職員のハテナが、身を乗り出すような感じで元気よく報告してくる。
増田は少し身を引くような感じで、答える。
「ああ、また徘徊していたのかな。」
認知症で移動には車椅子を使っている女性入居者のKさんは、以前から時々夜間に所内をうろうろすることがあった。
「そうなんです。真夜中に部屋をでて、隣の部屋のドアを開けてのぞき、次はその隣みたいに、全部の部屋をまわってるんです。
それが終わるといったん自分の部屋にもどるんですが、少しするとまた出てくるんです。」
「ああ。」
ハテナの話はだいたい過去の事例と一致する。深夜の徘徊といっても自分で部屋にもどるし、害は無いとして
放置されてきた。人手の足りなさを言い訳に、緊急度が低い案件はどうしても後回しになる。
「明け方に起きていた入居者の人にドアを開けるなと怒鳴られたりもしていて、どうにかならないでしょうか。」
しかしハテナは気になるようだ。入居者同士のトラブルが増えても困るし、できるものなら何とかした方がいいだろうか。
その日の休憩時間に、増田は所長のもとを訪ねた。自分が新人のころからお世話になっている、人生の大先輩だ。
いつもの日当たりのいい椅子で休んでいる所長に、そっと声をかけると、起きていたようで返事が返ってくる。
「ああ、増田君か。何かあったのかな。」
増田は夜間に徘徊するKさんのことや、何とかできないかと心配している新人のハテナのことなども話す。
「ハテナ君は昨日が始めての夜勤だったかな。見回りしてる所はみかけたよ。」
所長は少し考えていたが、ある策を増田に授けてくれた。これまで何度も増田の相談に答えてくれた所長の頭脳の冴えは、
いまだに健在だった。フィクションの安楽椅子探偵が実在したら、ああいう人なのだろうなといつものように思う。
そして次の夜勤の前の日に、ハテナに所長の策を説明する増田であった。
「すごいです、増田先輩。ばっちりでした。」
夜勤明けなのにどうしてこんなに元気なのかと不思議なくらいのハテナは、開口一番にそう言った。
「そうなんだ。良かったね。」
「私が部屋から出てきたKさんに、婦長、一緒に巡視に行かせてくださいと言うと、よろこんで承知してもらえました。」
ハテナの話は続く。
「それから一通りまわったあとに、あとは私がやりますので婦長はお休みくださいといったら了解してもらえました。そのままお休みになったようです。」
「それは良かったね。Kさんは現役のころに看護婦をしていたみたいなので、その頃を思い出されてたのかもしれないね。」
看護婦の話は所長から聞いた受け売りだ。入所者の過去は、原則として職員には未公開だ。
「そうなんですか。それにしても先輩はすごいです。」
「いや。そうだ、ちょっと一緒に来てくれるかな。」
このままだとハテナに誤解されそうだったので、増田は所長のことを話すことにした。移動中に簡単に説明して、所長のいつもの場所に連れて行ったのだが。
「お休みのようですね。」
ハテナが言うとおり、所長は安楽椅子で気持ちよさそうに眠っていた。
「挨拶は、また今度にしよう。」
「わかりました。そういえば、」
と何かを思いついたかのようにたずねて来た。
「所長は現役の頃に、何をされてたんでしょう。探偵さんですかね?」
「さあ、どうなんだろう。今度調子がいい時に本人に聞いてみるよ。」
入居者の過去を知らない増田としては、そう答えることしかできなかった。
ネタ元:「認知症のお婆さんの深夜徘徊を工夫で改善出来た話→「俺は認知症になったら無限にパワポで紙芝居作るんだろうな…」 - Togetter」
>>入所者の過去は、原則として職員には未公開 違和感
この老人ホームに来てから何年くらいになるだろう。 「Kさんの徘徊の話なのですが……」 若手であるハテナの相談を受けながら、増田はぼんやりと考えていた。 一通り話が終わる...