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2022-11-17

「すずめの戸締まり」を観たら要石で後ろから頭を殴られた

新海誠の新作映画、「すずめの戸締まり」を観てきた。これがどうにも周囲の人間に話がしづらいというか、未視聴の人に「どうだった?」と聞かれたときに応えづらい、しかし観た所感、体験だけは誰かと共有したい気持ちがすごくあるので書く。

この作品について語る上では、この映画が何を主軸に据えているかは避けて通れない。なので多少のネタバレ有りということは承知の上で一読されたい。

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この文章現在30代、11年前は20代前半だった人物が書いている。

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本作のあらすじを簡潔に書く。

九州に住む主人公少女すずめが旅の青年草太と出会う。草太は日本中廃墟にある「後ろ戸」と呼ばれる扉を締めて回る「締め師」だ。すずめはその草太との出会いをきっかけに後ろ戸の脇に埋めてある「要石(かなめいし)」と呼ばれる石を抜いてしまい、その結果後ろ戸が開き、中から現れる巨大なミミズ地震を起こしてしまう。(椅子になる呪いなどについてはここで書きたいことではないので省く。)

抜かれた要石は「ダイジン」という名前の猫になり、登場人物たちはダイジンを追う過程東北被災地を訪れることになる。

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これは2011年3月11日日本列島を襲った未曾有の災害東日本大震災を主軸に据えた映画だ。

いきなりテーマについて述べるが、「この映画が何を描いているか」は本作エピローグで草太の口からわかりやすい形で語られている。

「人々が失ったものへの無念、悲しみが忘れられ軽くなったところに後ろ戸は開く。」

一度しか観ていないので正確なセリフではないが、このような趣旨言葉が語られる。

「後ろ戸」とは現し世(現実)と常世(とこよ・霊界のような場所)を繋ぐ扉であり、そこが開くと扉から巨大なミミズが現れ(このミミズは締め師である草太、主人公のすずめにしか視認できない)、空から地上に落ちることで地震を起こす。

後ろ戸は廃墟にあるものだが、廃墟であるが故に、その地での災厄の記憶、失われたものへの想いは風化していく。そこには要石という石が埋めてあり、再び扉が開き災害が起こらないよう守っているのだ。

この映画は我々が体験してきた被災記憶が風化されないよう、呼び起こすような映画だ。そして未視聴の人に説明をするのが難しいのもそのためだ。

映画館に足を運んだとき自分は事前情報を全く入れずに行った。そして何となく映画を観始め、巨大ミミズ地震を起こし、物語舞台神戸へ移ったところで「おや」と思い、オープンカー首都高を経由して東北道へ向かい始めたところで確信に変わり、そして気付かされた。「忘れていた」と。

忘れていたわけではない。事実としてはまだ記憶に新しい。ただし映画の中で鳴り響く緊急放送津波で一掃された土地、そういったもの映画の中での情報感触は、普段触れる情報とは全く異なったレベル自分記憶を呼び起こすものだった。その点に関しては映画スタッフ美術演出の面々に感服させられた。

からこそ、「東日本大震災のその後の物語だ」ということすら知らずに観るべきだ。なのにここにこんなことを書いていることについては矛盾にもほどがあるのだが。それでも、あのはっとする体験は代えがたいものだったように思う。

その点からまずこの映画の良かったのは、テイザーや物語冒頭でわかりやす過ぎる形でテーマを明かさない点だ(それでも屋根の上に船が乗っているのだけれど)。これも意図した演出なのだろう。

これが少しでも YouTube予告編で明かされていようものなら、こんなに「観てよかった」と思うことはなかっただろう。

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この作品について語る上で、村上春樹短編集「神の子どもたちはみな踊る」、特にその中の一編「かえるくん、東京を救う」を避けては通れない。

こんな話だ。

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東京で働くうだつの上がらない銀行員中年男性が、ある日かえる出会い(「かえるくん」、とかえるくんは指を立てて訂正した)、かえるくんと共に地下に眠る巨大ミミズと闘い巨大地震を阻止する。その後男性は病室のベッドで目を覚ますが、傍らには闘いでボロボロになったかえるくんがいる。ふと気がつくとかえるくんの身体からボトボトミミズが現れ、男性身体ミミズに飲み込まれたところで、男性はその夢から覚める。

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こんなに似通えば嫌でも取り挙げたくなる。

この小説1995年日本で起きた阪神淡路大震災を柱に据えた小説である

1995年オウム真理教による地下鉄サリン事件と立て続けに起こり、日本安全神話が崩れた年だ。

作者である村上春樹は、この年を経て、地下鉄サリン事件関係者被害者へのインタビューを行い、「アンダーグラウンド」という書籍をまとめ、普段我々が当たり前と感じて暮らしているこの社会他者との関係性、足元の地面ですら、ありとあらゆるものが決して確かなものではないという危うさを看破し、小説への考え方について「デタッチメントからコミットメントへの転換があった」と語っている。簡潔に述べるが様々な関係性を一旦切り離して書くのではなく、コミット、深く関わっていく姿勢への移行だ。

氏はこのコミットメントについては、「日の光も届かない深い井戸の底へ降りていき、その中で手を取り合うような行為」というような言葉表現している。光の一切届かない暗闇、自身身体と周囲の空気現実と非現実境界曖昧になる。死に近い場所だ。

人の日常生活では感知し得ない深い場所心理、そういった部分で他者と手を取り合うこと。自分は氏の言うコミットメントをそのように捉えている。村上春樹はそのような時を経て2000年にこの小説を描き下ろした。

翻って本題の映画はどうだろう。いつも地の底に潜んでいる「地震を起こすミミズ」というモチーフ、すずめが自身ルーツである過去と向き合い、草太と再開を果たした、井戸の底のように現実霊界境界が危うくなる「常世」。何から何までが一対一対応というわけではないものの、通ずる部分があるように思えてならない。

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神の子どもたちはみな踊る」は善悪二元論ではなく陰陽論の物語集だ。

太極図、という白と黒勾玉が互いに合わさって円を作っている図を見たことがあるだろうか。

こんなのだ

白黒互いの勾玉の中心に、相反する色の小さな点が存在する。

善悪明暗などの世の中の事象は二分に切り分けられるわけでなく、互いにグラデーションにように折り重なり、それぞれが互いに内在し合うものである、という考え方であり、太極図はそれを表しているように読み取れる。

太極図について、ちょうど三角関数を学んだとき単位円の中で動径をθに合わせて回したように、円を描くように眺めると良い。

日が暮れるように、徐々に陽に陰が重なっていく。やがて陽がすべて陰に飲み込まれるが、その陰の中心には陽が内在する。

かえるくん、東京を救う」の最後のシーンはまさにそれだ。主人公ミミズを飲み込み、それを夢として目を覚ますが、ちょうど「夢でしかない」くらいの点となって主人公の中に静かに存在する。

この小説中の作品に関して言えば「かえるくん、東京を救う」に限ったことではない。

宗教二世を描いた表題作神の子どもたちはみな踊る」にせよ、バンコクホテル神戸に住む男の存在を思う研究者女性にせよ、海辺焚き火にあたる男女にせよ、自身の中には消して割り切ることのできないもの存在し、それですら目を背けることはできない自分自身なのだ

その点でいえば、主人公すずめを育て上げながらも苦悩を抱えたまま中年期を迎えた叔母や、キャラクターが極端に振れるダイジンのあの姿に、どうしても自分勾玉の形を照らし合わせたくなってしまう。

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映画自体の話に戻す。

我々が当たり前のように立っているこの足元、地面というのは確かなものではない。しかし一方でそれをある程度信頼した上で営んでいかなければならない生活がある。するとその表層上の信頼感によってその奥底にはら危険性をつい忘れてしまう。

東京都心の上空を巨大ミミズが覆い、今にも落ちて地震を起こそうとする。そこで一瞬ミミズ描写が消える。ミミズはすずめと草太にしか見えていないのだ。ずごごごご、と地震前兆のような地鳴りが響いてきそうな予感を、スクリーン越しに観ている我々は感じるが、作中の街ゆく人々はそれに気付かず日常生活を送っている。

そこの描写が本当に良かった。地震はいつもこうやって突然にしかやってこないんだ。そう思わされる。知ってはいるがいつも忘れている。今日この映画館に足を運んだ俺だってそうだった。そう思い知らされる。

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少し自分語りをする。ここは読み飛ばされても差し支えない。

東日本大震災の発災当時、自分東北地方からは離れた実家の部屋で揺れを感じていた。

2回目の大学4年生だったと思う。その年度も卒業の見通しは立たず、試しにやってみた就職活動も上手くいかず(リーマンショック直後の年だ)、大学にも足が向かず、鬱々とした日を過ごしていた。

インターネットに張り付いて、東北地方や東京情報をひたすら追っていた。津波が町の何もかもを薙ぎ払っていく様子が全国に衝撃を与え、日が暮れるに差し掛かり日本全体が絶望に飲まれていくような空気を感じたように記憶している。

当時地元から離れた東京で働いている友人が数名いた。幸いにも彼らに大きな怪我はなく、交通機関による帰宅が困難となり、渋谷から半日かけて家まで歩いた、などという話を聞いた。

日本は強かった。余裕がない中でもそれぞれが自助共助に取り組み、生きながらえようとしていた。各大手企業にしても、サントリー被災地飲料水を発送し、ソフトバンク公衆 Wi-Fi無償開放した。当時流行っていた Ustream では日本若者NHK による被災状況の中継をカメラ撮影して流し、その行為の是非について当時の NHK Twitter 担当者自身責任判断でそれを認め、情報共有を助けた。Evernote有償の容量無制限サービス日本人に向け一時無償提供を行った。

今ではウクライナ戦争真っ只中のロシアプーチン大統領の「ありったけの物資を今すぐ日本に送れ」の大号令のもとに支援を行い、アメリカ軍作戦名 Operation TOMODACHI を実行し日本に対し援助活動を行った。

しかった。社会の一員として何かを為せている人たちが立派に見えて仕方なかったし、事実立派であった。大混乱で帰宅避難がやっとという友人たちでさえ、懸命に行動している姿が眩しく、自分が情けなくなった。俺は何をやっているんだ、と。

あれが人生の転機になった。転んでばかりの青年期、気持ちも前を向かず、ただただわがままばかりでいつも誰かのせいにしてばかりだった生活と、ようやく決別することができた。まずは目の前の事を片付けて四の五の言わずに働けと、アレがしたいコレはしたくないではなくどんなに小さく些細でも社会の中の一コマとして人のために出来ることをせよ、と自分に言い聞かせた。

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東日本大震災から11年。

働き始め、転居をし、新しい人間関係を築き、仕事もも若さでは乗り切れない年になりつつもやり甲斐を感じながら生活をしている。

10年間生きていると色々なことがある。見聞きしたもの体験した記憶は、古いものから後ろに流され色褪せていく。

あの頃自分が感じた、鮮明ではなくなった様々を、しかし、劇場唐突に思い出させられた。「お前はあの時どうだった、今はどうだ」と。

そこに前述の草太のセリフだ。2011年東北地方に向けて自分が抱いた思い。それが忘れられ軽くなっていたところに、この映画は重さを再度伝える石となって自分にのし掛かったのだった。

あの時あの日本社会全体の空気感を体験した人が、今観るのに本当に良い映画だった。難解すぎず、わかりやすく、無駄がない。

新海誠の新作となれば中高生大勢観るのだろう。ただ時間が経つのも早いもので、今の高校生でも発災当時は5,6歳だ。そういった世代災害の恐怖を知る目的ならば「東京マグニチュード8.0」辺りを見ればよい。良い作品だ。

もしあなたが「君の名は。」や「天気の子」のような純度の高い恋愛ファンタジーを、あるいは「秒速5センチメートル」のようないじらしい恋愛アニメを期待するならば、この映画は応じない。

この映画はあの時を生き、その後を生きてきた人へ向けた作品だ。そしてそういう人たちとこんな風に、観た後の感想を共有したい。

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これで最後だ。

東北地方に差し掛かったところで、ドライバーの「綺麗なところだ」というセリフに対し被災であるすずめは「綺麗?ここが?」と無感情な様子で返す。

遠くで震災を感じていただけの自分のような人間と、実際に被害に見舞われ大切な人や物、土地を失った人との間には、やはり件に対する感じ方にはどうしようもなく深い断絶があると思う。

やり切れない想いに対しては哀悼の意を持たざるを得ない。その上で、外野から眺めていただけの立場に立ったこ文章不快に感じる部分があれば、そのような人がいれば、謝罪したい。しかしながら今のところこれが、11年経った今、この映画を観て自分の感じた率直なところだ。

またしばらく経ったら観に行ってみようと思う。

2022-10-15

43歳です。

大学受験の時に暗記というアプローチを毛嫌いしていました。

考えることを大事にすれば、暗記に頼らなくてもなどと考えていた記憶がありますが、あの頃に使っていた考え方のパターンはもうおおむね忘れてしまいました。

いろんなことがうろ覚えの彼方なのに、さらに時をさかのぼった子供のころに視聴した、NHK教育番組オープニングテーマなんかをやけにはっきり覚えていたりします。


「なりたいな、なれるかな、なりたいけれど足りないな、知恵も力も足りないな、でも今すぐなりたい!回れよ地球、はたらく人になりたいな」


自分のこういう記憶力の在り方が気持ち悪いと思いながら、だんだん愛せる年齢に差し掛かってきました。

はたらくふりはしているけれど、はたらけているかは定かじゃない。足りないものはずっと足りないまま。

そんな気持ちにはお構いなしに、それでも地球は回っていて、コペルニクス的驚きとかとくに伴いません。

三角関数加法定理は、語呂合わせの雰囲気だけを残して忘れてしまいました。

コスモスは咲きましたか。またそんな季節が訪れています

2022-09-29

数IIの三角関数あん面白くない問題

数IIの三角関数微積分は出て来ない。高校によっては加法定理まで習わず終わる所も珍しくないようだ

加法定理微積分抜きだと三角関数面白い部分半分以上スポイルされてるようなもんだ

そういう意味では数IIの三角関数までしかやってない人達三角関数やる事に異を唱えていた気持ちも1割くらいは理解出来る

今年フィールズ賞をとった数学者数学実用的な部分や分かりやすい教え方もいいが

それ以上に数学面白さを伝えないとダメだと訴えていた

やっぱり微積分まで含めて三角関数を学んだ人達、いや大学フーリエ変換オイラーの等式を知った人達

そうでない人達じゃ三角関数への意識全然違うよなぁ…どうしたもんか

2022-09-07

九九や比率はさすがに日常生活で使うだろ

三角関数は使わない人生だとしても

スーパーで「お得サイズ」が本当にお得かどうかもわからないじゃん


しろからない人がいるから、お得じゃないお得サイズが売ってるのか

anond:20220907135605

流石に九九は間違えないけど、三角関数加法定理とかは覚えてない(毎回ググるか導出する)。

2022-08-19

よくπが宇宙の真理だの虚数がこの世の本質の一端だとかいう奴がいるけどな

量子力学の数式でもなんでもそうだが別にこの世は「数式」によって動いているわけではないということだ

それは順序が逆で、この宇宙物理によくあてはまる式としてそういったもの見出しているに過ぎない

ある意味いろんな式に円周率とかなんだかというのは人間の知性の限界だと思う。三角関数微積から導出した式が最も物理に適合してるとは暫定的ものに過ぎないわけだ。

もっと現実の動きによくあてはまる式を異世界人は知っていて、それには円周率が出て来る余地なんてないかもしれない。虚数もな。

2022-08-17

anond:20220816014148

理学部助教をやっている。社会人ドクターを取った後大学に戻った。

幼さを感じた。

増田は、頭というか論理的考える力は高いんだろうが、この内容は身勝手すぎる話だ。まぁつまり小学生のような幼さを感じる。自分のことしか考えられない幼さを前提にすれば、まぁ筋は通っているだろう。

結局言っていることは小学生夏休みの宿題に対して「これなんの役に立つの?」って言ってるのと変わらない。

日本大学なら18以上だよね?成人しているのだから、何が役に立つのかどうか、何をやるのかどうかは自分判断せねばならない。

卒論が役に立たないというのならば、大学を辞めれば良い。そうすれば、研究なんてやらなくて済む。その代わり内定は無くなるかもしれないけどな。増田はそれが嫌だから、いやいや卒論を書いている、だから、こんな文章が出てくるのだろう。しかし、世の中はそんなに都合良くはできていない。

卒論をやって就職をするか。卒論をやめて就職しないか。その二択を判断しろ、という話だ。自分の納得できる選択肢がないから『おかしい』というのは、あまりに幼くないか

お金を稼ぐために、自分には不要に思える仕事をやらなきゃいけないことなんて沢山ある。自分不要だと思っても、本当は必要だったり、本当に不要しか思えないものもある(上司プライドのせいで増えた仕事とかね)。その度に、教授に言ったように、そういう文句上司取引先に言うのか?そんな必要はない。今後の仕事につながる人間関係と、その仕事にかかる手間を天秤にかけて、やるかやらないか判断すればいいだけだ。というか、本当に不要なら、やらなくても問題は起きないだろう。

自分が何をやるかは自分で決定しないと、他人のせいになってしまう。この場合自分の欲しい選択肢を与えてくれない教授や、大学のせいにしている。しかし、他人のせいにするのは楽だけど、自分人生無責任だ。

もちろん制度に不満があって、それを変えようとしている人は世の中に沢山いる。現状追認大人の証などというつもりは全くない。だから増田学長学部長に掛け合って、何らかの資格取得や、技術の開発を卒論に相当する単位としてくれるよう嘆願しているというなら応援する(当然教授1人にゲームの例え話をするのとレベルが違うのはわかるよね?)。

それから卒論について。

大学教員としては、基本的に専門知識学生に与え、その知識ちゃん学生の中で有機的に結合し、能力として発揮できる状態になっていれば、大卒と言えると思う。授業の勉強だけしても、それぞれがつながっていて、かつ意味がある形で使える必要がある。微積線形があって初めて、微分方程式関数解析ができる。その積み重ねだけではダメで、それらを使って何ができる人なのか?というのが大事だ。個別知識だけなら本を読めば良くて大学全然必要ない。何ができるかを確認するために卒論がある。

何ができるか?を問われているので、アイデアが既にあれば、それに必要なだけの知識さえあれば良い。アイデアもなく、b3までに知識を得てこなかった人は、当然それを発揮する場である卒論には苦労する。

それを踏まえて、数学科では普通卒論はない(研究できるレベルの最新の数学をやるにはb4では難しい)から自分修論経験を語る。

修論経験社会人になって生きたか?というと、スキル的な意味では怪しい(研究職なら直接役に立つだろうが)。アナリスト記者など、文章経験を役に立たせている人はいるだろう。また、コンサルマーケティングなど自分アイデアpdcaで回す必要がある職の人も役に立つだろう。しかし、一般化できるとはとても思えない。

から増田の言うことは増田目線では正しい。文系に行くから行列は要らない!とか、一生コンビニ店員でやってくから三角関数は要らない!言われたら、そうですか、と言わざるを得ない。

しか大学は上で書いたような学生養成することが目的であって、就職先で役に立つようなことは想定していない。そういう社会的要請があるのもわかるし、それに阿った判断をして卒論を無くしたりしている大学があることも認識しているが、社会で「一般に」活躍できる人材を輩出したい!と思ってるわけではない。もちろん、資格系や職業人が教授をやるケースなど、その分野で活躍する人材を輩出したいという研究室は存在するが、社会人として役に立つ教育ではなく専門家養成目的としている。

一般化できない以上、大学で学んだことをどう人生に生かすのかは、学生次第だ。学生が、自分判断で、自分の将来に役に立ちそうな大学学部研究室を選ぶのだ。

大学提供するプログラムは上の観点設計されている。自分人生必要かは人によって違うということを認識する必要がある。その中で、そのプログラムでは、多くの学生にとって卒論が、教育上の能力の判定として役に立ってきたからこそ、必修として存在し続けているのだ。教育する側には役に立ってるかもしれない、という視点に立ってみて欲しい。能力の鍛え方が足りない者を大卒として認定するわけにはいかないんだ。

2022-08-13

anond:20220813210138

三角関数要らない勢って二次関数も使わんからいらんって言いそうやで

2022-08-11

anond:20220811155617

マジでこれ

難しいのは研究職とか論文チェックが必要レベル業務だけだから

 

ただまぁ研究職じゃないんでテキトーでいいよってだけでまったく算数数学がいらないわけじゃないけどな

土建業現場仕事同じく必要になったタイミング勉強すれば事足りるけど

三角関数の時も同じこと言ったわ

https://anond.hatelabo.jp/20220519093118

2022-08-03

新海アニメ隠蔽したものアイヌヒロイン政治性&塔の大きさ

新海誠2004年に「雲のむこう、約束の場所」という映画製作している。

本論では、この映画から政治性が巧みに隠蔽され、特にアイヌ民族が消えてしまっていることを論じる。

また、新海誠のネーミングにおける問題点をいくつか指摘する。

雲のむこう、約束の場所」のあらすじ

北海道ソ連(作中ではユニオン)に占領された世界藤沢浩紀と白川拓也はそこに建造された不思議な塔まで、自作飛行機密航することを夢見ていた。その秘密がふとしたこと同級生沢渡佐由理に露見してしまうが、彼女は二人の共犯者となり、いつか彼女も塔まで連れて行ってもらうことを約束する。しかし、彼女は突如姿を消し、飛行機の話もそれっきりになってしまう。

三年後、拓也は塔の破壊を企てる反ユニオン組織ウィルタ解放戦線に内通しつつ軍属研究し、塔の秘密を探っていた。塔の目的並行世界観測による高度な未来予測であった。そして、塔の設計であるエクスン・ツキノエには孫娘がおり、その孫娘たる沢渡佐由理が原因不明の奇病で三年間眠り続けていると知る。

一方、東京に出た浩紀は、佐由理の夢に悩まされていた。そんななかで彼女痕跡を追い、かつて入院していた病院にたどり着くと、突如佐由理と浩紀は夢の世界で心を通い合わせる。浩紀は佐由理を救うには三年前の約束を果たさねばならないと悟る。

だが、拓也側の研究の成果により、佐由理は眠り続けていることで塔からの並行宇宙浸食を防いでいると明らかになる。彼女が目覚めれば、この世界はあっという間に浸食されるだろう。

浩紀は青森に戻り、拓也と再会する。浩紀は拓也に「ヴェラシーラに佐由理を乗せ、塔に連れていくことで佐由理は目覚める」と伝え、協力を求める。佐由理の目覚めによりこの宇宙消失を恐れる拓也は、一度は協力を拒絶する。しか葛藤の末、佐由理を軍の病院から連れ出してきた。浩紀は佐由理を後部座席に乗せ、米ソ開戦直前でヴェラシーラを発進させる。

緊張が極限に達した米ソは開戦し、その混乱の中で浩紀はヴェラシーラを飛ばす。塔の傍で目を覚まし、涙を流す佐由理。浩紀はウィルタ解放戦線に託された爆弾を投下し、塔を壊して宇宙消失を食い止める。

佐由理は目を覚ました。しかし、目覚めと共に浩紀に対する思いは消えてしまっていた。

ウィルタ解放戦線

さて、先ほど述べたように、作中では日本ソ連の侵攻によって南北に分断されている。そして作中のテロ組織は(南北統一のため?)北海道の塔を破壊することを目的としている。

そこで、「ウィルタ解放戦線」という名称問題になる。ウィルタというのは北海道ではなく、サハリン樺太)の先住民族名前なのだ。確かにウィルタ北海道に数名居住していたが、北海道解放を願うなら、「アイヌ解放戦線」とならなければ筋が通らない。

アイヌ民族言及することによる政治問題を避けるために事実を歪曲させたのではないかと疑われる。樺太開放も目標としていたと仮定すれば、考えられなくもないが……。

ヒロイン出自について

祖父名前、エクスン・ツキノエは、日本話者にとっては異質な響きを持つ。また、ロシア語風でもない。元々新海誠は多少いい加減なネーミングを行うことがあるので、深い意味はないだろうと思って数年間はこの名前に注目してこなかった。しかし、私がたまたまアイヌ民族に関する書籍を読んでいたとき、ツキノエは国後島アイヌ首長の名であると知った。同様のことを述べたツイートがあったが、現在は消えてしまっている。

そこでエクスンとはどういう意味かというと、ここによれば「向こうへ」という意味らしい。「沢渡」という姓はここに由来している可能性がある。

http://tommy1949.world.coocan.jp/aynudictionary.htm

肯定されたテロリズム

浩紀はラストで単身ヴェラシーラに乗り、北海道中央部にそびえる塔を破壊する。すべては佐由理の目を覚ますためであり、並行世界が流れ込んでくるリスクを引き受けてのことだった。

しかし、実はまこと政治性の強い作品であるSFっぽさと感傷的な恋愛描写がまぶされているが、描かれているのは間違いなく世界を変える(少なくとも一国の軍事施設破壊し、地域パワーバランス崩壊させる)テロリズムである。米ソ開戦中の混乱に乗じてのことであり、もしも両国責任なすあいを始めたらと考えると恐ろしい。

新海誠がこの件についてどの程度自覚的であったかは疑問である。どちらかといえば気分的なものプロットを作っており、作品政治性についてはあまり深く考えていなかったのではないか

実際、朝鮮半島ドイツの分断に伴う深刻さは、出会えなくなった家族言及されることもあるが目立った悲痛さはなく、この作品では過去の背景に退いている。

米ソ戦のなかで時に死体が降ってくる場面はあるけれども……?

余談、「ヴェラシーラ」とは何語か?

作中では「ヴェラシーラ」とは「白い翼」の意味だと説明されていた。

はじめ、自分はこの言葉スペイン語だと思っていた。つまり、Bella Cielaだ。アルゼンチン方言ではbをvで発音することがあるらしいし。しかしよく調べてみると、スペイン語語順活用の形としてはおかしい(当時のウェブ翻訳は今と比べてずっと貧弱だったし、単語の原形で検索するしかなかった)。

そこで、ロシア語ではないかと思い、いろいろなつづりを試みた。すると、「白い」は「белый」ベリイ、「力」で「сила」シラとなり、それっぽい。ソ連にいる祖父がいるのだから彼女ロシア語知識があったとしてもおかしくはない。意味は「白い力」になるが、「白い翼」には十分近い。ベラルーシの「ベラ」が白なので、そこから取った可能性もある(同じことを言っているページを見つけた)

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216740382

ただし、これもまた活用問題がある。「白い力」はロシア語では「белая сила」ベラヤ・シラとなる。それに、よく考えればbとvの音の混同が起こっている。

もっとも、「星を追う子ども」では潜っても呼吸できる水を「ヴィータクア」、世界の果てを「フィニステラ」とラテン語としては語順が逆の形で名づけているので、そのあたりはいい加減なようだ(それぞれアクア・ヴィタエ、テラフィニス標準的ラテン語の形である)。

また、同作の中では深い意味もなくセフィロトの樹が引用され、シャクナ・ヴィマーナやケツァルコアトルなど無関係神話コラージュ的に用いられている。その背景には明確な思想を読み取ることはできなかった。

結論

雲のむこう、約束の場所」では感傷的なまでに甘い思春期の心情を描いてみせた。一方で、この作品はかなり政治的な危うさをはらんでもいた。危うさの一つはテロリズム肯定であり、もう一つはプロットに入り込んでいるはずのアイヌ民族存在を背景に退かせたことであった。後者に関しては少なくとも筆者の知る範囲について、ヒロインアイヌ民族クォーターであることに言及した資料は見当たらなかった(註:とあるウェブサイトで、佐由理は恐山かどこかの巫女家系だという初期設定に言及したところがあった。興味深いのでここにリンクを貼るhttp://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/anime/promisedplace2.html)。

しかし、2004年には許された描写だったが、ゴールデンカムイなどで正確なアイヌ描写が出てきた2020年代にあってはどうだろうか?

最近筆者は新海作品からは遠ざかっている。映像が十分雄弁なのに、台詞説明しすぎてしまうからだ。あるいは加齢による感受性の変化かもしれない。あるいは、この感傷マゾから「卒業」しようと自分鼓舞たからかもしれない。本稿を書いているうちに、少し懐かしいような苦しいような気分を思い出しかけた。

おまけ、塔の大きさに関する推定

作中では、北海道建設された塔が東京からも(かなりの高さで)見える描写がある。しかし、それにしては塔が細すぎやしないだろうか? 以下、視聴当時にした計算抜粋する。

塔が経っていたのが北海道中央部都心から道央まで凡そ1000kmはある。

かなりいい加減な推定だが、視力1.0を有するとは視角60秒の二点を見分ける能力があるということだ。つまり空気による散乱だの屈折だのを度外視すれば、主人公がそれだけの視力があると仮定することで塔の直径を算出できる。それにウィキペディアによれば大きく見えるとき金星がこれくらいの視角だそうだ。塔が自ら光っているわけではないだろうし、このくらいの値でいいだろう。映像を見てもそのくらいだったし。

sinθ=tanθ=θ(ラジアン)の近似を用いると、都心から道央まで凡そ1000kmはあるので1000km×(2π)×(1°/360°)×(1′/60′)= 290.8m程の直径が必要になる。荒っぽい計算だが、作中のヴェラシーラとの比較から見てもそこまでずれていない。ただ、空気があることからはるかに太いと考えたほうがいい。北海道全体が映るシーンでも塔はしっかりと見えていたし、直感的にも300m程度の太さの道央物体都心から見えるとは考えにくい。

なお、仰角は30°はあろうかという様子であった。三角関数で考えれば577.3km以上の高さだ。地球の自転の影響でこれだけの構造物は大きくたわむことであろう。ソビエト連邦にそれだけの物資があったかどうか。一応ユニオンは全共産圏統合した国家だそうだし、この世界では宇宙開発の代わりに並行宇宙研究されているとすれば、なんとかなる……かな?

2022-07-10

田舎には驚くべき馬鹿がまだまだいる

花火でなつかしい思い出になった話。

自分底辺高校出身で、

女性民度・知性レベルもかなり低い場所で育った。

今となってはネットが発達し、KKOとなったことで、

「驚くべき馬鹿女性」には遭遇する機会が減った。

というよりスルースキルを身に着けた。

先日、花火大会を放送している生放送があった。

https://live.nicovideo.jp/watch/lv337653576

ここで1時間の間、小中学生?と思われる女性が、

花火も見ずにインスタやその他の、「驚くべき無意味」な話題を、

えんえんとしているのを知った。

視聴者コメントも「消えろ」「うるせえんだよバカ女」などと、

当然のような感想ばかりだった。

「うちの姉貴が、毎晩やってたくだらない長電話の話思い出す」

などといったコメントもあり、

そういえば、高校時代に驚くべき馬鹿女が同級生に何人もいたな、

と思い出すことになった。

なにせ英語のbe動詞が覚えられない。数学三角関数が覚えられない。

女性は頭がいいものだと思っていただけに、当時はショックであった。

KKOになり、おそらく若ければ彼女たちの親くらいの年齢になれただろうが、

しか自分と同年代の親が、またこのようなバカを量産したと思うと、

なにか、時代によって進化しない人間哀愁を感じる。

歴史は繰り返すというか。

自分の周りは民度が上がって、知識技術が上がったと感じていても、

決して全員がそうではない、昭和平成のままの人々もいるのだと気づいた。

2022-07-02

豚肉生食についての記事が上がってたから読んだ

記事内で生焼け状態で食べたとして何もなかったのは加工流通段階でめちゃくちゃしっかりした衛生管理をしてるからと書かれてあり、そういうの知らなかったので反省しないとなと思った

やっぱり体験から教訓って生まれるじゃないですか

BBQとか焼肉とかさ、雑な調理でも平気なのは健康から平気なんだと思ってたけど、本当はそうじゃなく、裏でちゃんと俺たちのために仕事してくれてる人がいるからだったんだよね

そのへんどこかで誰かが、スーパーとかで張り紙があったり教育として教えがないと、俺みたいに知らずに勘違いして生きてるバカも他にいるんじゃないかなと

前に三角関数が何の意味になるの?みたいな話あったけど、世の中は知らなくても過ごせるけど本当は知っといた方がいい知識があるよというのが多すぎるんじゃないの?とふと思った

じゃあ知っといた方がいい知識って何ですか?って聞かれると分かりませんとしか今は答えられないけどさ

本当、バカでも一生を終えられる素晴らしい仕組みのこの世の中はすごいね

2022-06-15

anond:20220615004110

大多数の高校生にとって三角関数なんて一生使わないんだからそれより金融経済教育を〜とか言ってた藤巻健太くんとかもいたしなあ。

2022-06-07

文系数学って微妙だよね

文系理系というか高校数学を途中まで勉強する人達最後まで勉強する人達という区分けなんだけど

最後まで勉強するなら微積分しっかり出来るようになれで済むんだが

最後まで勉強しない人達はどこまでを勉強する範囲にすればいいんだろうな

中学数学くらいで終わるなら二次方程式しっかり出来るようになるくらいでいい

高校数学勉強するけど中途半端で終わる人達をどうすればいいか問題なんだ

その中途半端人達への教育が失敗すると三角関数を目の敵にし始めるんだ

ホントどこら辺までを勉強する範囲にすりゃいいんや…指導要領の変遷を見ると考えてる人達めっちゃ悩んでるのが伺える

2022-06-02

現代数学では小学校算数にすら三角関数

ここ100年ほどの数学のやり方だと小学校レベルの「角度が全部60度の三角形は三辺の長さも等しい」程度の命題すら

三角関数やそれに類する概念定義した上で角度を定義するか

または通常より複雑な公理系を用いた上で角度等を定義しなければいけないと言うのはあんまり世間では意識されてない気がする。

いやぶっちゃけ意識する必要はない。どっかの議員に賛成する訳では決してないが

現代数学スタイルなんて殆ど人達にとって学ばなきゃいけない物では無いのは確かだと思う。

ただいっちょ前に数学に関しての哲学的な要素について口挟みたい奴がはてなかにもいるけど

だったらせめてこの程度の現代数学の特徴くらいは分かっておくべきではあるとは思う。

同じ端点を持つ2つの半直線の間の角度を定義するには、現代数学では合同変換を用いる。

片方の半直線がもう一方の半直線に移されるような合同変換を求め、その変換のパラメーターの一つを角度として採用する訳だ。

この合同変換を行列として定義した時、行列の要素に三角関数が現れる。

から2つの半直線の間の角度やその後に2つの線分の間の角度を考えられるような状況では、三角関数は既に分かってるのが普通ななのだ

現代数学では三角関数定義するかそれ以上に複雑なやり方を使わなければ、3つの頂点の角度が全て60度の三角形すら定義出来ないのである

それ以上に複雑なやり方についても書くつもりだったが、増田の余白はそれを書くには狭すぎるので割愛する。

現代数学というのはとっても厄介な物ですね。

anond:20220602135303

評判の店をいくつか覚えるって三角関数覚えるより楽な作業やん

2022-06-01

ちゃぶ台ひっくり返すような質問してくるやつ嫌い

会社からオンラインセミナーに放り込まれているわけだが

一緒に授業受けてる奴にめんどくさいのがいる

 

そいつちゃぶ台返し質問ばっかしてる。

例えるなら、

三角関数公式の授業をやってる時に「そもそもなんで三角形がこの世に存在してるんですか?」

みたいな感じの質問を連発してよく授業を止める

 

そんな質問は授業中の時間で終わるわけがないので後で個人的講師に聞きに行けよ。うぜえ!!

2022-05-30

三角三角うるせえんだよ

三角形秘密を教えてあげないだとか

三角関数必要性だとか

三角食べが太りやすいだとか

三角三角うるせえんだよお前ら

2022-05-27

進学校における教師いじめ

自分が通っていた中高一貫学校では生徒が生徒にするいじめより

生徒が教師にするいじめの方がずっとひどかった気がする

それは暴力や持ち物の盗難・破損を生じるものでは無かったけど(そんな事する奴がいたら即停学・退学だし)

クラス全員で特定教師嫌がらせをして申し訳無かったと思う

普通学級崩壊といえる私語だけでなくわざと教師の答えられない質問を何度もぶつけたり

教師の教える事の矛盾点を見つけてクラス全員で指摘したりとか

あと「授業を受けなくてもいいんだぞ」って言ったときは堂々と図書室へ自習しに行った奴らもいた

当然授業は殆ど成立しないのでその科目が得意な奴によるテスト対策も行っていた

点数が取れている限りは学年主任も何も文句言わないかクラスでそれだけは頑張った人がいたと思う

結局生徒が生徒を標的にするのは問題だが

好かれてない教師が標的にされるのは学校としても進学実績に響かなければOKってドライさがあったのだろう

とても酷い話である

以上、某三角関数議員のいた学校お話でした

2022-05-26

政治に不満があるのに消去法で自民しかない

少子化対策税金どうにかしてほしいんだが、AV禁止三角関数廃止も困るから自民しかない

野党、クセがありすぎんだろ…

[]「三角関数よりも金融経済を学ぶべき」

5月17日日本維新の会所属の藤巻健太衆議院議員が、財務金融委員会で「三角関数よりも金融経済を学ぶべき」と議論したことTwitterで報告。

三角関数金融とも深く結びついていることや、藤巻健太議員数学知識に乏しいのではないかと疑われる発言を連発したことなどから、多くの批判を浴びた。

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