はてなキーワード: ジンクスとは
俺がテレビの電源を消す前に必ずしていることだ。
なぜ、そんなことをするかって?
さあ、俺にも分からない。
お気に入りの番組が10チャンネルにあるからだとか、テレビをつけたとき大音量にやられないためだとか、後から捻り出した理由で無理やり納得させることはできるだろう。
けれど、あえて言葉にするなら「なんとなく」としか言いようがない。
だが、その「なんとなく」を、案外バカにできる人は少ないんじゃないだろうか。
むしろ、そういうものに“何らかの法則”を見出したがる人だっている。
法則って言葉が大仰に感じるなら、ジンクスだとかルーティンだとか、しっくりくる言葉に変換すればいい。
大事なのは、俺たちは“そういうもの”を時に信じて、優先し、生きようとするってことだ。
その日も、なんて事のない平日だった。
強いて違いをあげるならば、俺は近年まれに見る「学校へ行くのがダルいモード」になっていた。
俺の心と身体が、まだ半分ほど夏休みに取り残されているのだろう。
それに加えて、かったるい選択科目がある日。
億劫なのも止む無しだ。
しかし、それにつけても倦怠感がしつこい。
いつもなら顔を洗って、歯を磨く頃にはシャキっとするものだが、未だ気だるさが抜け切らなかった。
いっそのこと風邪でもひいているのなら話は早いのだが、そういうわけでもないから厄介だ。
テレビから流れるニュースは大脳を揺らし続ける割に、まるで記憶に残ろうとしない。
ただ左上に表示される時刻だけは俺を囃し立てた。
一瞬、「サボタージュ」という言葉が脳裏をよぎるが、首を振って思いを断ち切る。
番組では十二星座の占いがやっていたが、自分の運勢を確認するまでもなく画面を消した。
占いなんて真に受けちゃいないが、もし今日の運勢が最悪だった場合、足取りが重くなる可能性は否定できない。
いずれにしろ学校に行くんだから、それならば重荷は減らすべきだ。
俺は未練なんて初めからなかったかのように、スタスタと部屋を出て行った。
チャンネルを10に、音量を10にしていなかったことに気づいたのは、バス停についてからだった。
このとき重要なのが、表向きに言っていることが必ずしも本音とは限らないということだ。
故に真っ向から反論しても実は無意味であることがインターネットではまれによくある。
「女さんは萌えアニメにさんざんポリコレ棍棒を振るってきたんだ」
これは嘘だ。
では本音は?
「女オタクの台頭に危機感を感じている」というのが萌えオタの偽ざる本音だろう。
数々の状況証拠が娯楽作品のターゲットが萌えオタから女オタクへシフトしていることを示す。
このままいけば萌えオタ向け作品はなくなって女オタク向け作品ばかりが世間に溢れてしまう。
それだけは、なんとしても阻止しなければならない。
どうして、このようなことになってしまったのだろうか?
萌えオタがよく口にしていた理屈に「硬派厨は口は出すが金は出さない」というものがある。
しかし萌えオタ向け作品において、シリアス展開が採用されることはよくあることだ。
それならば萌えオタが金を払わないから罰としてシリアス展開が差し込まれているとでも?
業界にそうしたジンクスがあるから萌えキャラであったりシリアス展開であったりが採用されるのだ。
ともあれ「硬派厨は口は出すが金は出さない」という理屈を採用するのであれば「萌えオタは口は出すが金は出さない」という理屈もまた成り立つ。
言い換えると「萌えオタより女オタクのほうが金払いが良い」だ。
新しいジンクスによって古いジンクスが更新され萌えオタは時代の流れに取り残される。
シリーズ物は硬派から萌えにシフトすワンオフは除く。る一方で、萌えから硬派へのシフトはほぼない。
これと同じ構図が今後は
の間で起こるようになるだろう。
今後、一部の萌えオタ向け作品は女オタク向けにシフトしていくだろう。
萌えオタと女オタクとでは例えばアイドルや偉人など趣味の領域が被っているのだ。
反対に「割の良さ」の差から女オタク向け作品から萌えオタ向け作品へのシフトは起こらない。
そのため萌えオタは「萌えオタは女オタク向け作品にケチをつけてないのに、なんで女オタクは萌えオタ向け作品にケチをつけてくるのか?」と困惑することとなるだろう。
ところで、萌えオタと女オタクの金払いの差はどこから生まれるのか?
そこには「買い支える」という意識の差を指摘することができる。
貧困JKがワンピースの公式コラボカフェへ通うことが「無駄遣い」とバッシングされたのだ。
男オタクと女オタクの「意識」の差があぶり出された好例と言えよう。
どういうことか説明しよう。
萌えオタには「面白ければ細けえことはいいんだよ」という意識がある。
この萌えオタ特有の「粋と感じたら金を払う」という意識が悪い方向に作用しているのだ。
かつて萌えオタが硬派厨に言っていた「硬派厨は口は出すが金は出さない」という言葉が今では「萌えオタは口は出すが金は出さない」というふうにブーメランとなって帰ってきたのだ。
ついでに、これは私見だが萌えオタより女オタクのほうがある意味では格上の存在だ。
萌えオタは性癖などとイキっているが一般的には擬人化・美少女化といった工程を必要とする。
一方で女オタクはどうやらそのような脳内変換(「俺にはこれがこう見えているのだが?」的なイキリ)を必ずしも必要としない様子なのだ。
今後、萌えオタ向けが女オタク向けへとシフトしていくと見てほぼ間違いないだろう。
だが、それは悪いことなのか?
ロボットプロレスを真面目にやる、美少女動物園を真面目にやる、イケメンパラダイスを真面目にやる……、ということをやればいいのだ。
何事も中途半端は良くない。
イケメンとはなにか?
パラダイスとはなにか?
ロボットプロレスや美少女動物園と同等以上に困難な問いかけである。
イケメンパラダイスの意味を真剣に考えた上で表現すれば、きっと名作を生み出すことができる。
時流を受容せよ。
結局のところ萌えオタは女オタクの存在自体が気に食わないのだ。
娯楽産業が萌えオタの相手をしていたのは割の良い仕事だったからだ。
ほかになにかもっと割の良い仕事が見つかれば、そのなにかに乗り換えるのは当然だ。
この渇望の差があるうちは女オタクのほうが勢いにおいて勝っていると見て間違いないだろう。
しかし、やがては女オタクも舌が肥えてきて、グルメ的要求を繰り返すようになる。
かつての萌えオタがそうであったようにだ。
「俺達/私達を馬鹿にしているのか?こんなものでは満足できないぞ!」
今、萌えオタがその渦中にあるように。
「ジンクスは傍観者の論理」は、一般にはまだ知られていないけれど、私の中で有名な格言のひとつ。
ジンクスとなる事象自体は、「カツ丼」と「勝つ」を掛けるような言葉遊びなど、考えてみれば勝負に直接繋がらない非論理的なものばかりだが、
一方でそのジンクスが形成される過程には、ちゃんとした「論理」がある。
そしてそれは、その勝負に直接関わることの無い「傍観者」が生み出す論理なのだ。
その意味では、非論理的であるはずのジンクスは、まさに論理的に形成されたものなのだ。
まず、当たり前のことだが、勝負というものには、その勝負に関わる「当事者」と、
その周りに多数の「傍観者」が居ることに注意する。
スポーツではプレイヤーとサポーターたち、受験では受験生とその親、といったケースがわかりやすいだろう。
勝負がだんだんと近づくにつれ、傍観者は当事者と同様、来るべき勝負に対してだんだんと真剣になるわけだが、勝負にあたってあることに気づく。
すなわち、傍観者はいくら当事者のことを想っていても、その勝負に直接介在できないことに気づき、苦しむのだ。
まあ、端から見れば至極当たり前のことなんだが、真剣になるほど自分も勝負に乗った気分になってしまうというのは、
サポーターを見ても、受験生の親を見ても、その興奮した様子を見るに十分有り得る事例だろう。
だから、傍観者はいつか、その当事者とのギャップに苦しむことになるのだ。
先の例で言えば、サポーターはプレイヤーのプレイスタイルに、親は受験生の勉強方法に、あれこれ口を出してしまう。
なので、傍観者は十分なアドバイスができず、それは大きく的外れにもなる(アドバイス罪!)。
そのため、先に挙げた傍観者の苦しみは、その勝負に直接関わるアドバイスをすることでは一切解決しない。
どう考えても、当事者の方がその知見は豊富なため、傍観者のアドバイスは役立ちも感謝さえもされないからだ。
それゆえ、傍観者のアドバイスはその勝負本体とは全く異なるフィールドに持ち込まれることになる。
「ジンクス」というのは、まさにこの場面で発生する。
すなわち、勝負本体とは全く異なるフィールドで、勝負にコミットするようなアドバイスを目指すのが、「ジンクス」の在り方なのである。
そもそも、勝負本体とフィールドが異なる以上、そのアドバイスは勝負に真に必要なものではあり得ない。
「落ちる」「滑る」という言葉を避けて受験に滑らないようにする、みたいなくだらない言葉遊びに頼るしかない。
以上をまとめれば、「ジンクス」は、傍観者が当事者に何もしてあげられない苦しみから、言葉遊びなりに頼ることで生まれてきたものだと言える。
だからこそ、その苦しみを解消しようとする心の働きとして、「ジンクス」というものは傍観者にとってまさに「論理的」なのである。
言葉遊びに頼ることで、傍観者の苦しみは論理的に昇華されるのである。
さらに、勝負の当事者も「ジンクス」による恩恵を得ることができる。
それは、その迷信でしかないとわかっている「ジンクス」に従っておくことで、傍観者の親切心を満足させて、
代わりに、傍観者からの余計なアドバイス(プレイスタイルだの勉強方法だの)を一切聞かなくて済むからだ。
つまり、傍観者の余計な心配を「ジンクス」という無駄な方向に向けておくことで、当事者は肝心の勝負に雑音無く集中することができる。
それこそ、お遊びでしかない「ジンクス」が、勝負に真剣に取り組まなくてはいけない当事者に好まれる本当の理由であろう。
だから、その「ジンクス」の中身が非論理的かどうかの議論などは全く的外れなのだ。
そんなことは当事者が一番よく知っている。
非論理性など心の底からどうでもよく、傍観者の親切心に対するデコイとして発現すれば、「ジンクス」の機能として十分なのである。
その点では、これまた、当事者にとっても「ジンクス」に従うことは論理的なのであり、
「ジンクス」という傍観者の論理は、こうしてめでたく、当事者の役立つものになれた。
まあ逆に言えば、この傍観者と当事者との共犯関係こそ、言葉遊びでしかない「ジンクス」を今の時代にものさばらせている理由とも言えよう。
最近、私オタクじゃないかも的な話をよく気がすが、オタを自任するのってそんなに大事なのか。
思春期の真っただ中を過ごした15年前は、深夜アニメ見てるなんて言ったらイジメられてしまう殺伐とした雰囲気だったよ。学校に.hackのクリアファイルを持ってた子が、酷いイジリを受けるって地獄でしょう。
深夜アニメとの出会いは、今では考えられないほどに貧弱だったインターネットが舞台だったけな。
すっかり衰退してしまったけれど、昔はアニメのキャプチャをアホほど張り付けて、「むふーたまらん」みたいな感想を書きつけてるブログがたくさんあった気がする。実家暮らしの少年には、それが唯一のソースであり夢の世界への希望でなくて何だろう。神無月の巫女は百合の英才教育教材。
だから、深夜アニメ=えっちなキャラ=表に出してはイケないモノとして思春期男子には突き刺さったし、いまでも変わらない。DOAの霞がいまだに3D化して生き残っているのに衝撃を受けている。
当時は個人サイトでえっちな二次創作イラストが発表されてて、それで満たされてたっけな。同人誌はサンプルの1ページを使ってて、フルでアップされてるやつにはたどり着けなかった気がする。
大学生になって、実家を出てアニメとエロ漫画を見まくったけど、オタクの友人にも打ち明けなかった。
今でもアニメは見てるし、多少キャラについて知っているけど、オタクではないのかなって。興味の中心は「かわいい女の子キャラ」なわけで、あまり他人と語り合うこともできないしな。
女の子キャラ目当てで(包み隠さず言えば性欲で)、情報を集めてる。本編でどういうキャラか全然しらないけど、やたら二次創作で女装にさせられてるとか、そういう部分だけ知ってる。FGOだったら刑部姫、ブラダマンテ、アルトリアとか好き。艦これだったら、摩耶、高雄、霞なんかが良いです。アズレンだったら、愛宕、赤城、フォーミダブル、Z28が良いと思う。
直近だとプリコネがソシャゲアニメの「初見勢を見捨てて残念」というジンクスを破ってて、強くてやさしいペコちゃんがめちゃかわいいと思う。ロードムービー的な進行テンポも心地いい。
だけど、オタクの必修的なジョジョ、ドラゴンボール、仮面ライダーやプリキュアにも興味が持てないし、ゲームに面白さを感じないのでソシャゲを含めゲームは一切やってない。
vtuberはキャラの見た目を切り離してかわいいとか言ってはいけない風潮があって、アバターものなので、得るものがない気がしてチラリとチェックにとどめている。バイノーラルマイクに向かって耳舐めする動画はたまに見てる。中身は全然知らないが、マリン船長と白神フブキはキャラデがすごく魅力的だ。
結局のところ、アニメの話をしても性欲駄々洩れのギトギトおじさんとしてしか熱く語れないので、オタクでも何でもないのかなあ。
ここまで書いて気づいたことがある。ときどきエロコンテンツに信じられない熱量でキモい文章をブチ込むおじさんがいるけど、そういうのってこうやって生成されていくんだなってさ。
おはヨーグルトグラノーラてんこ盛り!ヘイおまち!ってオヤジ!ヨーグルトの器に親指入ってるって親指!って二度見しそうなほど美味しそうな朝食のヨーグルトグラノーラを平らげたところなんだけど、
丼に髪の毛が入ってたり、
親指が入ってたり、
結構いま飲食店運のバイオリズムのグラフは最悪かも知れないわ。
しかも立て続けによ立て続けに。
でもさ、
親指ならまあまだ馴染みのある通い詰めたお店の女将や大将のなら許せちゃえそうなものの、
知らない人の親指が入ってたら、
なんか引くわー。
そんでもってから揚げ失敗って。
まあ別のお店の別の日の話しなんだけど、
立て続けに続くわよねーって相変わらす自分で思っちゃったし、
失敗したから作り直すんで、って正直者かって思っちゃったわ。
から揚げのお店は良いんだけど、
髪と親指のお店は同じお店で、
ちょっと切り替えて気分上げていきたいわね!
ティータイムには、
可愛いコンビニスイーツの苺のピンクのクリームが入ったイチゴ味のしないシュークリームでも食べることにするわ。
うふふ。
たまには左足から履いてみようかしら?って流れを変えたいわ。
ストロベリーがセールで安かったからストロベリーウォーラーよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元増田です
トラバやブコメでたくさんの修学旅行回をおすすめしてもらえてすごく嬉しい ありがとうございます
教えてもらったものこれから読む楽しみができてほくほくしてる 読むぞーー!ってなっている
「わたモテ」は「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」で合ってるかな
(少女漫画に略称が同じになる「私がモテてどうすんだ」というのがあります※旅行回あり)
2巻まではたぶん読んだけどその後の面白そうな展開をおすすめしてもらえてよかった、ぜったい読みます
「スマイルプリキュア!」もそんなに楽しいのかー!と思ってめちゃくちゃ気になる
私のプリキュアはYes!プリキュア5で止まってるのでそろそろ更新したい
「とめはねっ!」「古見さんはコミュ症です」のおすすめコメント読んで、
その人物それぞれの特性や得意、能力がいつもと違う場所で発揮されたりそれを見ることで友達の新たな一面を知ったり見方が変わったり信頼が深まったり
ふだん交流のそんなにない子とちょっとしたことがきっかけで関係を深めたりするところを見るのも修学旅行回の醍醐味だなって改めて思いました
「あずまんが大王」は読んでたはずなんだけど、修学旅行回の覚えがないということはその巻まで到達してなかったんだろうか(なおよみちゃん派)(よみちゃんはかわいい)
アニメでも修学旅行回があるみたいだからこれを機に両方改めて見てみたいと思います ところでアニメは音楽がすっごくよかった
グリーンウッドは手元にあるので今晩から久々に少しずつ読み返そうかなと 「スプリガン」も絶対に読むすごく面白そう
>河原和音『高校デビュー』を挙げようと思ったら同作者さん『修学旅行』って短編も描いてたっけ
河原和音先生作品もいいですね…修学旅行関係ないんだけど、私は「天晴(てんせい)」がとても好きです
おもしろいよね…すごく好き
>僕は文化祭回が好き。
私も好き いいよね それぞれの学校でかなりやることが違ってたりへんなジンクスがあったり踊ったりあれこれの展開が見られて楽しい
夢路行という現在はレディース誌で活躍してる作家さんがかつて少女誌で描いていた文化祭の描写がすごくいいです
画面も静かで淡々としてるけどちゃんときらきらしててすごく大事な時間が流れてる感じがあっていい
太めというレベルでない本当に太った女の子が主人公の恋物語の短編「踊りましょうか」、
それと龍のうろこを飲んでしまった女の子の話の中編「荻の原日記」の文化祭描写が特にとても楽しそうでいい
>とりあえずやっとくかーみたいなのも多くて当たりはずれ大きくね 文化祭で劇中劇やるよりはましだが
確かに当たりはずれはある
「彼氏彼女の事情」は念入りな修学旅行回(長い)とストーリーに関わる念入りな文化祭の劇中劇(とても長い)のダブルコンボがある「当たり」のほう
>糞みたいなハプニングとサービスシーン見せられるだけだろ何が面白いんだと思って読んだら、
出てくる作品群に走馬灯みたいに情景が浮かんできて涙出た。ありがとう増田。週末、吉野朔実読み返そう。
「修学旅行回」と聞いて想起される内容がその人の観測範囲というか普段読んでいる漫画のジャンルで結構違うものなのかな、
というのは今回すごく感じて一概に分けられないけれどおおまかに少女漫画
(そのうちでもラブコメとそうでないもの・掲載誌のカラーによってかなり内容が違う)と少年漫画(これも掲載誌によるだろうか)では
物語を構成する要素が相当異なるのだろうな、という風に思った 確かにテンプレのハプニングやラッキースケベ展開の多いもの、イベント消化回的なものも相当数あって
同じようなものをたくさん読めば確かにだんだん飽き飽きしてくるのかも それでもやっぱりどこかに「特別」な要素があってそういうものを見つけながら読むのがすごく好き
私は今まで読んだ少年漫画では、ゆうきまさみ作品以外では「エンジェル伝説」をすごく愛しているんだけど、すごく時間経過の範囲の短い作品で
あれに修学旅行回はなかった あったらどんなかなあ…読んでみたかったな、といまでも想像したりします
吉野朔実の「記憶の技法」は楽しい、という方面ではない修学旅行回かつひとつのある「旅」の漫画として大傑作で
あの内容をよく一冊分の紙幅でできるものだと読むたび惚れ惚れするサスペンスフルだけどすごく静かな一編で
少女漫画、女性作家に興味のない人にも一度読んでみてもらいたいです 吉野朔実作品はとてもとても良い(お好きな方がいてすごく嬉しい)
あと書ききれなかった部分では修学旅行ではないけれど旅のある作品として猫十字社「小さなお茶会」があった
夫婦生活は幸せそのものだけれど突然どうしても一人になりたくなって汽車にのって赤い屋根の家がいくつか連続していたらそこでおりよう、とか
列車のなかの物売りの描写とか駅でのお茶とか自分たちでつくるおみやげの特別さとか細やかなところがすごく心にひっかかってくるかわいいきれいな作品
星野架名「青い銀河の夜明け」は地球をなくした高校生たちが自分たちの身ひとつ校舎を宇宙船にして自分たちの未来を探して宇宙を飛び回って旅するSF
窓の外に宇宙があって茶道室で布団敷いてそこで寝る、みたいな画面が楽しい 星野架名作品はいいぞ 絵もかわいいです
これ、言っちゃ悪いとは思うんだけれど、「表現の自由が左翼の専売じゃなくなった」からなんだよね。
もっと言うと、「ヘイトスピーチ反対」とか「こんな許せない表現は規制すべき」のほうが票になると思って舵を切っちゃった。
当時、2010年代前半には表現の自由反対イシューを唱えると、落ちるってジンクスがあった。全員落ちた。
だから、「表現の自由は票にならない」と思って投げ捨てたんだよね。
実際には、宝の山だったんだけれど。
票をきちんとまとめるための努力をしなかった。
表現規制反対一本槍の候補はいないし、むしろ「漫画を守る」というイシューはうけが悪いと思って熱心に語ることを避けてたケースも多い。
オタク票は実際にはかなりあったのに、「その存在を統一化し損ねて、しかも自民にとられた結果」
だよね。
「溜池通信」に取り上げられている「ハイマン氏の懸念」に対する吉崎氏のコメントについて、足元で思うところをいい加減にメモ。
①「中国の成長鈍化」
あるとは思うけど、足元人民元安が結構進んでて、国内の景気対策と合わせてそれがある程度下支えする部分も多少ありそう。中国にはまだそれなりに成長余力があると思うので、多少のturmoilはあるにせよ、この1年で急に危機に陥るということもないのでは。(「来年にはついに恐慌になる」とは昔から言われてるけど。)
普通にみんなそう思ってると思うし、実際そういう面もあると思うけど、今の流れは米の選挙対策みたいな面もあり、米の現政権的には今は期待値を下げとく地合いということか。来年の夏前にはさすがに米側からなんとかし始めるのでは。そうすると、その頃には主導権がやや中国に移っていくのかもしれない。
③「逆イールド」
アメリカ時間一昨日くらいから基本ずっと米2年債と10年債の逆イールドが続いてたけど、ついに市場で大きく材料視されることはなかった。まあ昔と違って今のイールドカーブは基本的にフラット過ぎるし、流動性も溢れてるので、逆イールドのジンクスがどこまで現実的かよくわからず。あと、長期金利は利下げ織り込みといっても低すぎるので、その線からみてもやや異様との声も。主要債券市場が軒並みマイナス金利に沈む中で、イールドハント目的に無理して金利がプラス圏の超長期債を買ってる傾向はありそう。
④「香港」
香港側はもともとはよく言われてるのと別の意味での対本土対策として法案を進めようとしてた面もあるはずで、本土側は本土側で、香港の蘋果日報では北戴河会議での駆け引きやプレッシャーの話とかいろいろ出てたみたいではあるけど、正直今ここで出て行って火種を大きくするよりはほとぼりが冷めるのを待ってる感じなのでは。その割に長引いてきてるけど、他国のあれやこれやが現地でいろいろを煽っていたりしないかどうか。
⑤「No Deal Brexit」
8月に入って以降、もうほぼみんなそのつもりですよね。議会の休会も前から言われてたし。欧州主要国だとドイツがやや融和的とみられてるくらいか。欧州はほんのりと態度軟化してると言ってる人も見かける。
もともと五つ星と同盟が組んでた時点で極左と極右が組んでるように見える、違和感ある連立だったわけで、両者が連立を解消して五つ星とPDが連立を組みなおす可能性ありとのニュースが流れたときにはむしろ市場は好感してた。欧州時間昨日の連立協議はキャンセルになったみたいだけど、そのあとPD側はコンテ首相容認との報道も出ていたような。連立組み換えが成立するなら政局はむしろ安定しそうとさえ言えるのでは。これを書いてる時点ではまだ正式な合意のヘッドラインは流れてない。
上記に入ってないネタだと、ドイツの景気の先行きに対する注目度は比較的高そう。米中問題とも直結してるし。ただこれは、ドイツには財政出動余力があるのでなんとかするでしょうということかもしれない。