2020-09-18

[] #88-1「マスダの法則

チャンネル10にして、音量も10にする。

俺がテレビの電源を消す前に必ずしていることだ。

なぜ、そんなことをするかって?

さあ、俺にも分からない。

お気に入り番組10チャンネルにあるからだとか、テレビをつけたとき大音量にやられないためだとか、後から捻り出した理由で無理やり納得させることはできるだろう。

けれど、あえて言葉にするなら「なんとなく」としか言いようがない。

だが、その「なんとなく」を、案外バカにできる人は少ないんじゃないだろうか。

しろ、そういうものに“何らかの法則”を見出したがる人だっている。

法則って言葉が大仰に感じるなら、ジンクスだとかルーティンだとか、しっくりくる言葉に変換すればいい。

大事なのは、俺たちは“そういうもの”を時に信じて、優先し、生きようとするってことだ。


…………

その日も、なんて事のない平日だった。

いつも通り学校はあるし、登校時間も同じだ。

強いて違いをあげるならば、俺は近年まれに見る「学校へ行くのがダルいモード」になっていた。

夏休み明けから間もない時期だったからな。

俺の心と身体が、まだ半分ほど夏休みに取り残されているのだろう。

それに加えて、かったるい選択科目がある日。

しかも一番ダレやすい5時限目ときた。

昼飯後に、あのシマウマ教師の声を聴くのは魂が磨耗する。

億劫なのも止む無しだ。

しかし、それにつけても倦怠感がしつこい。

いつもなら顔を洗って、歯を磨く頃にはシャキっとするものだが、未だ気だるさが抜け切らなかった。

いっそのこと風邪でもひいているのなら話は早いのだが、そういうわけでもないから厄介だ。

テレビから流れるニュース大脳を揺らし続ける割に、まるで記憶に残ろうとしない。

ただ左上に表示される時刻だけは俺を囃し立てた。

そろそろ出る準備をしないと遅刻してしまう。

一瞬、「サボタージュ」という言葉脳裏をよぎるが、首を振って思いを断ち切る。

本来サボタージュってのは、労働者の正当な抗議だ。

個人的な怠けを正当化するための言葉じゃない。

俺はゆっくりと立ち上がると、テレビリモコンを手に取る。

番組では十二星座占いがやっていたが、自分運勢確認するまでもなく画面を消した。

占いなんて真に受けちゃいないが、もし今日運勢が最悪だった場合、足取りが重くなる可能性は否定できない。

いずれにしろ学校に行くんだから、それならば重荷は減らすべきだ。

俺は未練なんて初めからなかったかのように、スタスタと部屋を出て行った。

チャンネル10に、音量を10にしていなかったことに気づいたのは、バス停についてからだった。

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