はてなキーワード: グラフとは
どちらも組み合わせ最適化問題向けであり、東芝は専用回路で量子コンピュータ並みの性能を実現。専用回路を20nm世代のFPGAに実装した場合、4096変数の全結合(約800万結合、有向グラフなどでは約1600万個の相互作用パラメーター)という規模の組み合わせ最適化問題を扱える。同問題の1種である最大カット(MAX-CUT)問題について、4000変数の問題の近似解を0.21ミリ秒で得られる。
一方グーグルは世界最先端のスパコンでも1万年かかる難しい計算問題を、約16億分の1の3分20秒で解くことができたとしている。比較要素が完全におかしいがどっちがすごいのだろうか。
あと睡眠の質に点数が付くみたいで、
初めてにして54点という高得点をいきなり叩き出した次第なのよね。
残念なことに54点満点中54点というわけではなく、
ここは当たり前だの100点中54点ってわけ。
こればっかりは就寝中の演技なのでどうにもならないけど、
ってもうそんなヒーローインタビュー長いわ!ってみんなが言っちゃいそうなほど、
睡眠の質に関しては語れるわよ!
まあ精度は分からないけど、
目安として深い眠り浅い眠りレム睡眠という、
最近睡眠欲がたまらなく強まってる私にとってはいいおもちゃかも知れないわ。
以前活動量計と言う名の万歩計または歩数計というものを持って使ってみてたんだけど、
データを取るのが面倒くさくて、
それにいつも変わらない日常の毎日だと決まって歩数もだいたい予想できちゃったりなんかするから
離席してスマホと離れて接続が切断されても意識すること無く無意識を意識するほど、
いちいちセッツアンドリリースしなくていいのも便利よね。
洋食屋に行ってなんだかミックスフライ定食のフライの仕上がりはイマイチ残念なんだけど
タルタルソースで誤魔化されてるような気もしないでも無いような、
凄い進歩だわっと素直に思っちゃったのよ。
うふふ。
トマトジュースだけにしてみました。
昼軽めにしようかしらと思ってやまない感じよ。
そう思ってたら、
皮ごと使えるレモンが大量入荷してたので、
お好みで少しハチミツもインしちゃってもいいわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
前提
なんとかいう弁護士が何を相応しくないと感じるのは人によって幅があるし
個人的に疑問に思ったのが2点
1に関しては少なくとも件の弁護士に決定する権限があるとは思えないし、当然自分にもない
法律とか判例とか調べればなにか近い事例やヒントになりそうなものはあるかもしれないけど
自分にはそんな知識はないし労力も甚大そうなのでどうにもならない
結局、排斥する人も擁護する人も無関心な人も、なんとなく世間の雰囲気を読みながら決めるしかないんじゃないか?
2は流石に男性向けの作品なのは明白だとして「献血の男女比には偏りがあるのでは?」と別の疑問が浮かんだ
疑問を裏付けるような答えの探し方だとは思うが「献血 男女比」で検索して出てきたのが、日本赤十字社のグラフで見る献血事業ってやつ
自殺した児童生徒 最多の332人 昭和63年度以降で | NHKニュース
この記事で文部科学省の発表で、自殺の6割の原因が不明ということで多くのブクマカが異議を唱えている。
いじめ問題は皆が注目し、よくニュースになるので自殺の原因はいじめだろうというバイアスを持っている人は多いが、実際の自殺の原因は文部科学省の統計ではなく、厚生労働省や警視庁の統計を見れば分かる。
この朝日の記事を見ても分かるが、実際の自殺の原因は「親子関係の不和」、「学友との不和」、「学業不振」が多く、いじめが原因で自殺する人は多くない。
https://www.asahi.com/articles/ASM6F323JM6FUTFK005.html
もちろん統計に現れないイジメもあるだろうが、それ以上に他の原因で自殺する人が多いのだ。
特に近年小中高生の自殺が増加しているのは「脱ゆとり」教育のためである。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG28H6D_Y6A120C1CR8000/
遊ぶ時間が減り、勉強する時間や成績について悩む時間が増えストレスを感じ自殺する小中高生が増加しているのだ。
また児童生徒の自殺者数のグラフは、平成25年度以降に高等学校通信制課程の生徒の自殺が加わっている。NHKの記事では説明されていない事に留意したい。
イジメによる自殺は非常にセンセーショナルでニュースになり多くの人の目に留まるが、実際は「家庭内の不和」や「学業によるストレス」で自殺する若者が多いのだ。
ネットで軽く検索した結果と、小学生でもできる算数で計算した結果なので、細かい突込みは勘弁して。
数字たくさん表に出てるのに、議論に使われてないなーと思ったのでやってみた。
【結論】
八ッ場ダムは無茶苦茶効いていた可能性が高い。なかったら伊勢崎(以北)はあぶなかった。ダムが空でよかった。
https://news.livedoor.com/article/detail/17229861/
>国土交通省の発表では、八ツ場ダムには11日午前2時から13日午前5時の間に約7500万立方メートルの水が流入した。
ここからざっくり計算すると、この間にダムが止めていた流量は7000m3/sくらい。
https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/tone-2.pdf
>基本高水のピーク流量は、各基準地点における確率流量と観測史上最大流量のいずれか大きい方を採用し、八斗島地点 22,000 m3/s,(中略)と決定した。
八ッ場ダムの止めていた流量は、八斗島(伊勢崎市)地点のピーク流量に対して30%に相当する。インパクトは大きい。
なお八斗島地点では、12日23時に4.07mの最高水位を記録している。
ここで、八ッ場ダムの止めた水量が八斗島地点でどのくらいのインパクトを持つか見積もってみる。
上記ページの川の断面図から、氾濫危険水位時の川幅は1000m、水位は10mくらい。
川の断面積を(断面形状を三角形と仮定して)求めると5000m2。
12日深夜、上記水位4.07mから氾濫危険水位4.8mまでの余裕部分に流せる水量は、
(断面がほぼ長方形となる部分なので)730m2。ここを流れが4m/sで流れるとして、2920m3/sとなる。
この時間に、2-5時に八ッ場ダムが止めていた水量である7000m3/sが利根川に加わると、氾濫危険水位に達していた可能性は高い。
(止めていた水量は、上記地点では水位上昇にして1.75m相当となる)
八ッ場ダムへの流入を見積もった時間帯と、利根川の最高水位の時間帯が異なるので直接比較はできないが、インパクトがない、などということはあり得ないんじゃない?
毎日パワーポイントと格闘し、Webでは嫌われる役所の詰め込み型の資料を作成してる。
非効率だと世間からは言われるのだが、仕事で求められるのだから仕方ない。
用意されているのは、4GBのノートパソコンと、OfficeとSharePoint。
Outlookでメールでやり取りするのかと言われるだろうが仕方ない。slack使えないんだ。
python、jupyter、scikit-learn、pandas、Numpy、scipy、OpenCV、Dask、PyMCあたりは取り組んで特に問題なくこなせたが、
仕事と結びつかない。ラズベリーパイやArduinoも制御できるが仕事に結びつかない。
matplotlibやseabornで出版に耐えうるグラフが描けるといわれてるが、
主張したい棒以外を灰色にし、アクセントカラーは最小限にして、でも議論ができるように数字は入れる必要がある。
フィッティングカーブもCERNのROOTほどではないし。(ROOTも古臭いが)
何より色の調整がめんどくさい…。いやどっちにしろ仕事には使えないが…。
通ってたコンピュータ系専門学校では、1年生は基礎的な事を勉強する。それこそPCの電源の付け方からだ。
そんな中、とあるデータから表とグラフを手描きで作成する課題が出された。
パソコンの経験がある生徒は「表計算ソフトがあるのに、わざわざ手描きなんて全くの無駄」と不満を言った。
しかしこの課題の意図は、一見無意味な文字・数字の羅列から意味のある「情報」へと視覚化する表現方法を学ぶことだった。
「手描きも出来ないのに、Excel使っても良いのができない」とは講師の談。
デキる人は手描きだろうが関係ないが、大学へも行けない偏差値の連中が多い(多かっただろうなぁ)生徒を叩き込むには、いい課題だったと思う。
AmazonとGoogleが強いのは、アフィリエイトや広告でお金をばらまいている点にある。
お金を直接配るのは駄目で、数値をグラフで見せて、もっと工夫する方法があるというのを示す。
人間最初から成功するのはハマらないので、工夫したら伸びる経験をすればよい。
まるで就職氷河期世代をディストピアのようだったと盛って話す連中がネットには多いが
グラフを見ればわかるが
1.氷河期は今と比べて極端に悪かったわけではない
2.というかむしろバブルの遺産があったから平均的にみると今よりいい
3.大卒の有効求人倍率が最終的に1を切ったのは2000年(氷河期の一番悪かったとき)のみ
けっきょく5%を超えなかったことと整合的だと思うしキャリアアップや転職もしなかったからこの世代だけ金が減ってるっていうのも理由としてこの世代が単なる無能だからで説明できる
これって実際ホントに正しいことだったんだね
参考
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO03816520Q6A620C1TZD000/
ふと生まれ育った町の情景を夢で見て、多少思うところがあったので気持ちを書き留めようと思う。
静かな入り江から小さな漁船が海の彼方へ消えゆくような、そんな夢だった。
最近よく見かける「田舎で非知識階層に囲まれて育ったけど、地元に馴染めずなんだかんだで都会に出てきて過去やホームタウンを思い返すたびに多少絶望する」という散文的な自分語りであることを先に断っておく。
ただの個人の経験であり、エスノグラフィのようなものだと思って読んでもらえれば嬉しい。
確かに「東京の人間が想像することも出来ないような社会」が日本のどこかには必ずあって、学ばないことが規範と化して社会が再生産されているということ。
名古屋まで電車で1時間半以上、文化的な施設といえば聞いたことのない演歌歌手がたまに来る小さな市民ホールと、小さな本屋が2軒あった。
2軒の本屋は万引きの被害額が大きすぎて自分が町を出た後に潰れた(跡地はセレモニーホールという名の葬式場になった)。
1時間に一本しか電車のこない駅から伸びるメーンストリートで今でも開いている店は、年金暮らしの年寄りが趣味でやっている畳屋と宝くじ屋しか無かった。
街中でスーツ姿の人は見たことがほとんどなかったし、そもそも人が出歩いている記憶すらない。
高卒で一度も町から出たことのない母親は、漁師を相手にする場末のスナックで働いて自分を育てた。
同じ町で漁師をしていた父親はフィリピンパブで出会ったフィリピーナに入れ込んで、小学2年生くらいの頃に母親と離婚した。
それより前には「キミの父親は不倫をしているんだ」と小学校の同級生の母親から聞かされた。
相手は近所に住んでいた太ったおばさんだったので、あんなデブとなぜだろうとその時は疑問に思ったけどすぐに忘れた。
最後に父親と会ったのは、父親が家を出て半年後くらいに小遣いをやるからと呼び出された紫煙で視界の悪い雀荘だったと記憶している。
その後は行方不明で、風の噂では今はマニラに住んでいるらしい。
こんな家庭環境は、東京の自分が属するコミュニティでは聞かない。
なぜそんなことにわざわざ触れたかというと、自分の家庭は何も特別ではなく、周囲を見渡せば程度の差はあれどどこもそんなものだったから。
親が大卒の同級生なんてクラスに1割も居たかという感じだったし、自分が通った地元の中学校には200人くらい同級生が居たがそのうち大学に進んだのは20人くらい。
自分は博士まで進んだが、マスターレベルですら聞いたことがない。
あとで詳しく触れるが、そもそも勉強をするとか考えること自体を忌避するという一貫したスタイルがあらゆる局面で通底していた。
さて、シングルマザーの家庭はクラスに3割は居たし、両親が揃っていても母親・父親違いの兄弟姉妹が居るなんて話も珍しくない。
親世代の職業は漁業か水産加工、町工場、自動車修理で、小中学校教諭や公務員の子息は格の違いを醸し出すスーパーエリートの家庭扱いだったし、家も小綺麗だった。
スーパーエリート以外は、トタンの壁が海風で茶色く錆びて、汲み取り式のトイレから伸びる煙突の先がクルクル風で回っている文化住宅か、古民家カフェを思いきりボロボロにしたような都内なら廃屋だと思われるような家に住んでいた。
町工場に勤めている人たちで指が無くなったなんて話もよく聞いたし、どこそこの家が生活保護受給とかという話もよく聞いた。
クラスメートが学校を翌日休む理由が、その前に起こした暴力事件で家裁に呼び出されているからとかもよくある話だった。
そんな彼らが余暇にすることといえば、スナックかフィリピンパブ、ギャンブル、セックスくらいしか聞いた限り思いつかない。
確かに、成人した兄がいる同級生の家に遊びに行った時には、真昼間から居間で同級生の兄と派手な格好をした若い女性がセックスをしていたし、パチンコ屋には毎朝人が並んでいた。
ギャンブルはパチンコか電話で投票する競馬が主流だったが、甲子園の季節になると地元の暴力団が元締めをする高校野球賭博も流行っていた。
暴力団は偽ブランド品も売りさばいていて、軽自動車にスウェット姿だけど鞄は高級ブランド(偽物)という出で立ちの女性をよく見かけたものである。
まぁこんな感じでつらつらと思いつくまま挙げてみたが、自分の身の回りで溢れていたのは、キーワードでいえば貧困、性、暴力、ギャンブルだった。
そもそも大人たちがそんなスタイルだったので、子供達も似たような社会をフラクタル図形のように構成していた。
小学校の頃には駄菓子屋やコンビニでの万引きが横行していて、後に刑務所に入るような子供たちはその時代からすでに盗んだタバコを吸って、やっぱり盗んだバイクに乗っていた。
暴走族(ゾク)に入って大人たちを殴ったり大怪我するほどのゾク同士の喧嘩をする中学生たちが小学生のヒーローで、ゲリ便が出る時のような音を撒き散らすバイクに皆憧れていた。
そんな時に暴力的な彼らは、異質な存在を排除することが大好きで、異質とみなされた同級生は徹底的に排除された。
小学6年生のとき、教室に入ったらメガネをかけている子が素っ裸で椅子に縛り付けられて頭にバケツを被らされていた。
メガネは弱いものの象徴で、勉強や議論をするような人間は排除の対象だった。
文革かって感じ。
反対に、野球が上手いか、足が早いか、ケンカが強ければヒエラルキーの上部に君臨できる。
動物的に強弱を判別できることがそのままヒエラルキーの源となっていたし、意思の合意は感情とその時の雰囲気で決まっていた。
そして中学生になると、今度は成績が良い人が排除の対象となる。
真夏に水を飲まずに走りこんで泣きながら試合に負ける部活に打ち込むことがすべてに勝り、もしくは非行に走ることがある種の中学生らしさであるというコンセンサスを伴って正当化されていた。
授業中には廊下を自転車が走り、思い出した頃に校庭に暴走族や野良犬があらわれる。
トイレにはタバコの吸い殻が落ちているし、たまに窓ガラスは割られていた。
教師はたまに殴られたり、殴り返したり、車を壊されたりしていた。
一方で登校している生徒にとっては、校則はフーコーのパノプティコンも真っ青な規律を自動化させるもので、髪型は男子は坊主、女子は肩まで。
他にも細かい校則がたくさんあって、破れば容赦無く教員から殴られる世界だったし、皆が一緒であることを望んでいたので、逸脱すれば容赦無く告げ口されていた。
校則を破らなくても、目立てば排除の対象になりうるので、いつしか自分も誰かが見張っていると意識して、いかに溶け込むかを重視するようになっていた。
そして積極的に学んだり考えることが嘲笑の対象であったので、そこでもやはりセックスをしたことがあるかとか、バイクの知識があるかとか、そういう分かりやすい尺度でヒエラルキーが構成されていた。
授業中に教師から指名されて小難しい答えを言ったり、発音記号通りに英単語を発音しようものなら3日は真似をされてイジられるのは御多分に洩れず自分の地元も同じだった。
テスト期間は早く帰れるので皆喜んで下校後に遊ぶレベルの勉強に対する姿勢で、将来は男子は工業高校、女子は商業高校に通ってそのあとのことは何も考えないのが一般的だった。
ここまでは自分がライブで触れた15歳くらいまでの環境の話で、せいぜい15年くらい前の話だ。
はっきり言えば、そのような環境はまっぴら御免だし、そんなところで自分の子供を育てたくはない。
さて、経緯は知らないが、自分は幼稚園の頃にIQテストを受けた。
そのあとに、あなたの息子は知能指数が高いから相応の教育を受けさせてあげてくださいと園長先生から母親はコメントをもらったらしい。
大学のことすらよく知らない専門学校卒の母親だったが、自分を都内か海外の全寮制の学校に小学生のうちから預けようとした。
だが、当時の自分はこともあろうに泣き叫んで拒み、結局は地元に残ることを選んだ。
当時のことはよく覚えていて、理由は友達と離れたくなかったから。
その時に知りうる限りの世界を取り上げられることに対する極端な不安が何よりも勝っていて、母親は息子の気持ちを優しくも汲み取って折れた。
小学校に上がった時、小1か小2くらいの頃から、本を読み始めた。その頃に三島由紀夫や島崎藤村やら、古い作品から新しい作品まで縦横無尽に慣れ親しんだ。
早朝に登校して空いた時間や、ジャンケンで負けて押し付けられた図書委員の時間、図書室でひたすら本を読んだ。
そのうちに、自分が生活する社会と根本的に異なる社会、つまり学び、考えることが重要であるという社会が存在することを知った。
哲学や思想系の本はもちろんのこと、西洋美術の画集や建築の写真集に心を揺さぶられたし、マーラーのCDを初めて聞いた時の感動は死ぬまで忘れないと思う。
めちゃイケを好むふりをして、自分は加藤周一の羊の歌に感銘を受けて、とりあえず東大に行こうと中学の頃には考えていた。
そして周囲に迎合しつつも高校に進んだ。いわゆる地方の公立トップ校だった。
他にも理由はあったと思うが、中3の時には成績が良いという理由でものを隠されたり上履きにガムが入っていたこともあった。
入学から1ヶ月もしないうちに、明らかに新たな社会、社会階層に自分は組み込まれたと自覚した。
同級生の親の職業は、医者、弁護士、会計士、大企業の社員ばかりだった。
誕生日には名古屋のデパートの上層階のレストランだったり、どこぞで伊勢海老を食べるだのとそんな話もたまに聞いた(成金的な家はあまり無かったけど)。
彼らの親は旧帝国大学出身はざらにいたし、兄が東大、今はオックスフォードに留学中とかそんな話も当たり前にあった。
幼い頃からピアノやバイオリン、書道、バレエ、スイミングなんかをやっているのがマジョリティだったし、週末に美術館やコンサートホールに足を運んだという話も決してレアな話ではなかった。
彼らと出会ってとかく感動したのは、好きだった本や芸術の話を初めてリアルの人間とできたことだった。
そして何より彼らは、自身の解釈や、見解を示してくれたし、自分のくだらない議論にも向き合ってくれた。
もちろん性やギャンブル、暴力、ワンピースの話もたまにはあったが、それ自体を享受するだけでなく、思考の対象としても話題を取り上げることががあった。
高校以来、自分は学び、思考する人しか存在しないかのように振る舞う社会に身を置き続けている。
今にして思えば、もっと早く外の世界に出た方が良かったのではと素直に思う。
なぜなら、受動的に与えられたその社会が自分のすべてだったから。
母親が母親であるように、生まれ育った社会は生まれ育った社会であって、代替がきかない。
自分はたまたま、自分が立っていた社会と違う社会を知りうるきっかけを子供の頃に得たから今があるのであって、その機を逃せば一生地元に居ただろう。
なぜなら、考えることや知ることを拒むことが規範となる社会では、外の世界があるということ自体を知りようがないのだから。
自分は考えることも、こうして頭の整理をすることも好きだ。
パチンコの新台や、友達の奥さんが不倫をして旦那が相手と殴り合いの喧嘩をしたとか、そういう動物的な話題を「それ自体」をただ消費する社会に少なくとも自分は興味がない。
もちろん、そういった社会(自分が経験したような)を否定する理由はどこにもない。
ただ、自分が故郷を捨てたように、その社会に残るのは、その社会に適応しきった人々である。
有り体にいえば、将来の選択肢の存在すら意識できないのが自分の体験した社会であり、どのような選択肢があるのか獲得しようする営みそのものが封建的に否定される強い構造を伴っている。
だからこそ、自分の田舎はいつまでも同じ姿を留めることに成功しているのだと思う。
もちろん、その社会自体が恐ろしいぬるま湯であり、外には異なる社会が存在することを予期している人も稀にはいることだろう。
幼い息子を外の世界に出そうと考えた母がそうだったように、おそらくそれに気付いた時に自身を好転させるにはあまりにも遅い場合が大半であると自分は思う。
そして、自分は今更何があったとしても、地元の彼らと交流することはできないし、するつもりは一切ない。
母はもう二度と戻ってくるな、お前の居場所はもうここにはないと電話口でことあるごとに言う。
一方で、開成や筑駒から東大に進んだ都内組は何も捨てることなく、安定的に自分が望んだ社会を享受してその上に今も生活を営んでいる。
それは誰でもそうであるように、最後の最後に拠り所となり得る自らの地域的なアイデンティティをきちんと持っているということである。
自分は依拠すべき地域(地元)を自己実現と引き換えに失ったのであって、願わくば我が子には地元を与えるか、もしくは地元がなかったとしてもサバルタンとなり得ない思想的な土台を築いて欲しいものである。