はてなキーワード: 高橋とは
歯の再生医療については、そのうち実現する実現するって言われている割に一向に具体的な話を聞かず
自分が生きているうちにはもう無理かと思っていたけれど。
以前から噂だけはあった歯生え薬、
とうとう今年中に治験開始って事で、実現の目が見えてきたのが本当に嬉しい
とにかく歯についてはちゃんと歯磨きしろとかフロス使えとか定期検診受けろとか、そればっかりが言われてきた
生まれつき歯がない、先天性無歯症の人の存在が無視されている。
生活習慣病一般に対する自己責任論はそれなりに批判されても、歯については当然のようで自己責任論で語る人が多すぎるんだよ。
自分は30過ぎて初めて、奥歯の一本が乳歯ですと言われ、本当に心の底から絶望した
「歯科医としての夢」欠如歯が再生する“歯生え薬”の治験を9月に開始…虫歯で失った歯にも応用できるか聞いた
https://news.yahoo.co.jp/articles/b723982bffff20a202b3e02a12053d9ab7b8c3d6
北野病院の高橋克・歯科口腔外科主任部長によると、先天性無歯症全体では発症率が全人口の1%と言われているため、日本には患者が120万人いると推計している。
幼少期から歯が欠如しているとオーラルフレイル(歯・口腔の虚弱)となり、成長期の長期にわたり生活に支障をきたすという。
今回治験を進める“歯生え薬”とは、永久歯や第3生歯などの歯の芽(歯の原器)に作用し、歯を再生することができるものだという。
新NISA関連で、自称経済評論家ってろくでもない金融商品しか勧めていない
https://president.jp/articles/-/82373
https://president.jp/articles/-/68919?page=1
https://news.yahoo.co.jp/articles/0f0edbb45d3eeeae7c84bfbbabb8af2e6ba2a53c
https://president.jp/articles/-/80987
低成長で低利率の日本に投資させようとする上念と高橋、古典的な説教口調で投資自体を否定する森永と萩原。
こいつら自分に都合の良い金融商品を売ろうとする証券会社や銀行の営業員と変わらん。
高橋と上念は財務省や自民党が雇い主の営業マンと思った方が良いし、森永と荻原は投資ではなくケチケチ生活の専門家である。
もういっそ男は男の医師、女は女の医師、いない側はやらないでいいじゃん
どうせ男女差別って言い出すんだろうけど
そもそも小児科医をしたがる女性医師なんてろくにいない現実すら知らなさそうだしそれ言ったら男女差別してるからだとかまた見当違いのこと喚きだすだろうけどバカは放置するしかない
男女それぞれの校医がいるべきだとはぼくも思います。
思いますが、実際には十分な人数の女医さんもいないし十分な人数の小児科医もいない。
男性医師が、「わたし校医やります!」と言う女性医師から無理やり仕事を奪っていると思っているのでしょうか。… https://t.co/6AruyrmBmL— カエル先生・高橋宏和 (@hirokatz) May 22, 2024
この小稿は、愚痴を言う人はアドバイスを求めておらず、話を聞いていて欲しいだけなんだ、という状況について意見するものです。
まずおかしいのは、愚痴を聞く側の人権を無視しているということだ。
愚痴を言う側は、相手を強制的に黙らせて、相手の思考を停止させ、ただ話を効くマシンとして使役している。
おまえそれカントの前でできんの?
改めて考えて欲しい。
相手に対し、「黙れ・考えるな・意見を言うな・ただ私の話を聞け」としているのは恐ろしいことではないか。
まずそこを考えて欲しい。愚痴を言う人はそうしたある種の傲慢さを持っている。
そしてそんな高度なことは、きっとお金を払って占い師やコンサルティングやスナックのママその他夜のお店の人にするべきではないか。
じゃあお前は愚痴を言わないのか?
だから前段のような極論を言える。
仕事のことは仕事で解決するべきだ。仕事の愚痴は直接その愚痴の根源を解決しない。
ただこれは、私が恵まれているからそんなことを言えるだけなのかも知れない。
仕事はある程度裁量があるし、周囲に恵まれており問題点を仕事の中で解決できる。
それは最初のパラグラフで書いた通り、相手を隷属させる構造が嫌だからだ。
だから相手から愚痴を言われても絶対に自分の意見を言うようにしている。
失敗も多かったが、愚痴を言う相手にウザがられない回答というものがある。
答えはない。その人の状況による。高校国語の問題の、その応用の先にある感じだ。
私の自由意志で相手に合うコメントをしても相手を嫌がらせない。
そんな文言がある。
まあこれが私の自由意志がどうかは難しいところがある。
ニック・チェイター 著、高橋達二・長谷川珈訳『心はこうして創られる「即興する脳」の心理学 』(講談社選書メチエ、2012)であった議論だ。
結局相手に合わせているに過ぎないのかも知れない。
自分が思う美乳とは、吉永このみ、本多そら、三上悠亜、高橋しょう子になる。
これまでライブチャットで100人以上の女性を見てきたが、美乳かどうかは脱いでみなければ分からないなと思うようになった。
プロフィール画像では下着姿だったり、着衣で美乳に見えると思ったが、脱いでみると、自分の思う美乳ではないということを何度か経験した。
美巨乳と呼ばれる女性グラビアアイドルや女性タレント、女優などのInstagramや写真集の写真も見ているが、本当に美乳なのかは脱いでみなければ分からないなと思っている。
女性タレントF.M.とか、元アイドルのS.Y.、現役アイドルのT、女性グラビアアイドルのY、女優のT.M、女優のI.H.、女性アナウンサーのN.A.とか、美乳あるいは美巨乳と呼ばれているようだが、本当に美乳なのかは脱いでみなければ分からないなと思っている。
出来の悪い高橋まつりって感じ
竹中を擁護するつもりは毛頭ないが、Webで拾ってきたものを貼っておく。
「派遣の拡大は、厚労省がやったこと」
竹中 いえ、そこが間違ってるんですよ。厚生労働省がやったんです。私は1990年くらいからずっとやってるし、小泉(純一郎)内閣の10年以上前からやっているし、現実にそういう働き方をしたいという人が多い。ついでに言うと、派遣は全労働者のわずか2%です。
ワイドショー的な議論だと、「派遣は悪いことである、それをやったのが竹中である」みたいなことを平気で言いますけども。これもう100回ぐらい、そうじゃないって説明したんですけど、みんなもう面白おかしく言ってるだけです。
もう一つ、やはり地方創生はすごく重要なテーマになってきています。ご存じのように、パソナは2020年9月から本社機能の一部を淡路島に置いていますけれど、そうした地方創生の基本的な方向について意見を言っていました。
はてな匿名ダイアリーのユーザーを増田と呼ぶのがなんかめっちゃ嫌いで、普通に私は増田じゃなく◯◯なんですけど……って言いたくなる
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
赤:松[崎]颯樹@京都19
緑:耕納喜隆@千葉38
・01 ほや
・03 山口(市
・04 橋本環奈 はしもとかんな
・05 [概算]オッズ
・06 [すべて]イタリア オーストリア ドイツ フランス リヒテンシュタイン
・07 『ぼっち・ざ・ろっく!』
・08 パピヨン
・10 [近似値]62
・13 13(世紀
・14 『Get Wild』
・15 [3択]11(人
・18 [2択]上 院
・19 ジャン・ポール・ベルモンド
・22 『この世界の片隅に』
・23 [3択]44(回
・25 『展覧会の絵』
・26e 合資(会社
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・01 [あるチームの名前]福岡ソフトバンクホークス
・03 毛細血管
・05 静岡(県
・06 ティファニー
・07 [3択]山田裕貴 やまだゆうき
・08 長打(率
・13 [すべて]バレンティン 村上宗隆 王貞治 ローズ カブレラ
・15 あんぱん
・16 友近 ともちか
・18 ビアンキ
・22 四(段
・24 [AC]『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
・25 デンマーク
・26 [3択]25
・27 松陰寺太勇 しょういんじたいゆう
・29e テキサス(ヒット
2/2週目
ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 王林 おうりん
・04 上杉謙信 うえすぎけんしん
・07 優里 ゆうり
・08 雨穴 うけつ
・09 [近似値]72,047(人
・14 鶴竜 かくりゅう
・15 寒(の戻り かん
・16 ハシヤスメ・アツコ
・21 博覧強記 はくらんきょうき
・26 [3択]2.5
・27 馳星周 はせせいしゅう
一個目の記事と最後の記事しか見れてないのでもしその言及があったら申し訳ないのだが、サムソン氏には是非「ポジ種ヤバ交尾」について書いて欲しかった。
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm42438042
これは一部のハッテン場にある現象…ではないという事か。ごく一部にそういうハッテン場があると私は理解していたが。根拠も何もない話で申し訳ないが、性病を移し合う事を目的とするセックスというのは男女間で成立するとは思えず(その点についてお互いに合意するというのが男女では不可能に近いのではないかと思う。どちらかが強引に強いるという形式しか想像し得ない)、そういう意味で興味をそそられる。
また、浅田彰の類稀な(と思う)論評『同性愛はいまだにタブーか』に引用されている、"パーリアの栄光"という表現とも、このポジ種ヤバ交尾は響き合っているような気がして、個人的にとても気になる現象だった。
嫁と子どもを連れて実家に帰るのだが、うちの子どもは(私の)兄の部屋によく行く。漫画が目当てだ。
兄は実家暮らしであり、子ども時代から同じ部屋を使い続けている。部屋には漫画がたくさんある。
子がどんな漫画を読んでいるかはわからなかったが、正月にそれを確かめることになった。
うちの子ども(小学校の中学年)が兄の部屋から、ストーブのある居間へと漫画を持ち帰って読んでいたのだ。
『聖闘士星矢』だった。よりにもよって。
当方、暴力的なコンテンツが嫌いである。単純にグロ耐性がないのもあるが、今の時代は暴力的なコンテンツを子どもに見せたくないのもある。子どもに買い与える漫画やアニメも選んできたつもりだ。
ニチアサだと、プリキュアは見せているが、仮面ライダーは見せていない。仮面ライダーの時間はニュース番組に切り替える。
いま子どもが読んでるのは、わりと序盤の方だった。自分が小学生の頃、二~三巻のあたりだったか、けっこうバトルが盛り上がっている中、戦闘シーンがいっぱいあって、その中で……ウルフの那智が鳳凰幻魔拳で五体バラバラになってしまうシーンとか、内臓や首の切断面などの絵に、「うぇっ…」となって吐いてしまった。
今、うちの子どもが読んでる本は、まさに当時、小学生の頃の自分が手に取っていた巻だった。
その場ですぐ、子に伝えたよ。「その巻を読んだら終わりにしなさい。その漫画はね、将来のあなたにとって毒になるんだよ。後悔するよ」って。
子はブスッとした様子だったけど、「もう二度とここに来ないよ」と伝えると、しぶしぶな様子だった。聞いたところ、兄がこの本を勧めたようだった。しかも、もう全巻の半分以上を読んでいるらしい。
その場(居間)にいた兄をにらみつけると、目が泳いでいた。今の時代、(80年代の)聖闘士星矢が有害なコンテンツであることをわかっているみたいだった。「兄さん。一応は社会福祉の仕事をしてるんだろ。こんな暴力的なものを子供に推奨して、それでいいと思ってるの」って、夜にあった飲みの場で、オブラートに包まないで伝えたよ。
妻の方は、特にコメントはないようだった。私の味方をするわけでもなく、兄の味方をするわけでもない。当たり障りのないことをずっと言っていた。「漫画くらい自由に……」とはいうが、これは教育上の重大な問題である。
それで思い出した。以前、うちの子と同じ小学校の子が遊びに来てる時、子がこんなことを叫んでいた。
「ガキどもよ。お前たちに今から引導を渡してやる。おとなしく餓鬼界へ落ちたまえ!オーーーーム!天魔降伏!」
みたいな寸劇をやってるのを思い出した。当時は「そんな漫画が流行ってるのかな……」と思っていたが、今思えば、あれは間違いなく、おとめ座(ヴァルゴ)のシャカの必殺技だった。
いや、悪い描写ばかりじゃないのはわかってる。星矢にはギャグもバトルも熱血もあって、当時は割と楽しく読んでたかな。うろ覚えだけど。
でも、小学生の頃の自分はたしか、10巻のあたりでギブアップしたんだった。みずがめ座(アクエリアス)のカミュと、キグナス氷河が師弟で決着をつけるシーンがあった。心が繋がった師弟同士で殺し合いをして、最後は両方とも相打ちで死んでしまうんだよな。その直後に読むのをやめた。
当時の俺は泣いた。なんでこんなことになるんだって。作者は鬼ではないかと感じた。展開があまりに鬼畜すぎる。それ以来、聖闘士星矢は読んでいない。本屋とかインターネットでチラッと見ることはあったが、それくらいだった。
今の時代って、昔に比べれば人権が尊重される時代だろう。だったら、これからの時代に適合できるように、子どもにはそういう書籍を読ませたい。人生の奴に立つ必読本を読んでもらいたい。
具体的には、子が中学生~高校生くらいになったら、「二コマコス倫理学」「論語」「完全なる経営」「道は開ける」「現代政治の思想と行動」「百年の孤独」「わたしを離さないで」「枯木灘」といった名著を読ませたい。
漫画だったら、「火の鳥」とか「プラネテス」とか「家栽の人」などを推奨する。現在進行形だったら、「君たちはどう生きるか」を読ませてる。
あと、これは少し前なのだが、息子が私のパソコンで、ニコニコ動画で高橋邦子のゲーム作品を見ているのを確かめた後は、ブラウザの接続設定をいじってログインできないようにした。高橋邦子の作品群は、基本的に反人権である。現代社会に生きる子どもに見せたくない。
そりゃあさ、あれらは高橋邦子が中学生~高校生くらいの時に作った作品だから、アンチヒューマニズム的な作風になるのはしょうがないかもしれないが、あの人はもう50代が近いわけだろう。きっと今では、ヒューマニズムに溢れた作品を創造してるよ。あの人なら。たぶん。
時代にあった漫画作品というのがあると思う。聖闘士星矢は、自分が生まれる前の作品である。
あの時代だと、世間の往来では暴力を行使するのが当たり前だったという。口汚い言葉はもちろんだし、性風俗も今よりヤバかったと聞く。そんな殺伐とした時代なら、ああいう作品が流行るのもわかる。
しかし、今は人権と多様性の時代である。暴力的なコンテンツは流行らない。存在自体が許されなくなる時代もやってくるだろう。コンビニエンスストアに、エロ漫画とか反社系の雑誌が置けなくなっているみたいに。
しかし、悩むところではある。世の中には、今でも暴力性のある行為をする連中がいる。そんな連中への耐性がゼロなのはまずい。
一つ目だが、子どもがまだ小学校に入る前に、南武線か中央線のどちらかに乗っていた。その車両では、3人の半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていたのだ。お酒も飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車である。
あまりにうるさかった。自分達のほかに乗っていた乗客も彼らを気にしている様子だった。そしてある時だった、半グレどもの1人が、「やってやる、あいつは○す!」と大声を出したところで、車両を移ろうかと思った。が、必然的に半グレ達の前を通ることになる。
迷っていると、付近に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がって、別の車両の方に歩いて行った。その人は、私やほかの乗客に視線で合図を送っていた。「この車両は離れた方がいい」というメッセージだった。そして、多くの人は別の車両に移っていったのだが……。
いつの間にか、半グレ風の男の1人と、スーツ姿の男性がにらみ合いになっていた。視線をバチバチとやりあっていたが、やがて半グレは元の席に帰って行った。だが、そいつは、スーツ姿の男性が座っていた席に向かって痰唾を吐き出したのだ。何度も。
私は勇気ある彼のところを通り過ぎる時、「ありがとうございました」と伝えた。子どもは何もわかってない様子だったが、それでも会釈をさせた。
二つ目だが、私がまだ学生の頃、新宿で一番大きいクラブ(踊る方)で学生仲間と楽しんでいると、ガラの悪そうな人たちが来て、仲間の1人を無理やりにステージ付近まで連れていったのだ。一体、何が起きているかわからなかった。その人たちは、ステージの上まで仲間を引きずっていくと……クラブの客が見ている前で、堂々とリンチを始めた。殴ったり蹴ったりしていた。
「やばい!」と思って、クラブにいたスタッフに声をかけたが、見て見ぬふりだった。入口付近にいた馴染みの警備スタッフに声をかけて助けを求めると、こんなことを言ってた。
「あの連中は、やめとけ。お前らの父ちゃんが言っても聞かねえぞ。慶應のボンボン学生にはいい勉強だったな。わからないけど、悪いことしたんだろ?」
といった返答で、とにかく助ける気がないのはわかった。
※その学生仲間は、女癖が確かに悪かった。相当悪かったよ。でも、ここまですることはないだろうと思った。あの時、私にもっと勇気があれば、外に出て警察を呼べたのかもしれない。
東京都内ですらこういうことがあるのだから、ある程度は暴力性にも慣れさせた方がいいのかもしれない。だがしかし、漫画やアニメに影響されて、人権感覚を無くしてもらっては困る。難しいところだ。
内田樹が触れているように、日本は「立ち帰るべき初期設定」(注1)がない国である。立ち返るべき初期設定がないということは、現行のルールを自発的に、外部からのイベントなしに、変更しにくいということでもある。何かがおかしいと感じられていても「平穏」である限り、そのルールは維持される。仮にその「平穏」がル・グウィンの書いた「理想都市オメラス」のような平穏であってもだ。「立ち返るべき初期設定」がないから、そのルールの良しあしを判断できないのだ。官僚機構は、自らに課せられたルールを忠実に守る。それが官僚機構の役目だからだ。官僚機構に自発的な変革は期待できないし、期待してはいけない。期待するとすれば、政治家と国民の、そして、外部からのイベントになる。
さて、ルールの再考のきっかけとなる、外部からのイベントの一つが、「人の死」である。ブラック企業対策のきっかけになったのは、高橋まつりさんの死だったし、統一教会対策に動き出したのは安倍晋三元首相の死がきっかけだった。でも、この2つはもともと国民の側にある程度の不満が溜まっていたからこそ、一人の死でここまで動いた。では、もし、国民と政治の側が致命的な選択肢を選んでいるにもかかわらず、その致命さに気づいておらず、不満も持っていなかったら?
参考になるのは、前世紀において、日本はアジアに対して行った侵略戦争である。日中戦争開始当時、そのことを間違っていると考えた国民は少数派だった。みずからの選択肢が誤っていると判断して無条件降伏するまで、多くの人が亡くなった。特に、戦争末期になって戦没者の数は急激に増える。全戦没者のうち9割を占めると言われる。最終的に、東京大空襲、沖縄戦、ソ連の侵攻、原爆投下にいたる。死者は軍人・軍属、民間人合わせて240万人〜310万人とも言われる。当時の総人口を7500万人とすると、3.2〜4.1%にあたる。それだけの犠牲者が出た段階で、ようやく政府は終戦を決断した。
さて、今現在、日本は、戦時下にある。それはCOVID-19との戦争である。互いに殺し殺されるという関係では、戦争も公衆衛生もたいして変わりがない。違うのは、ウイルスには意志も戦争遂行の責任者もない点である。歴史は繰り返さないが韻を踏むという。すでにその兆候は見えている。
・責任者の不在
5類の意向により、政府は感染対策を民間に丸投げし、積極的な感染対策を取らなくなった。
一方、民間は民間で、上の指示がない限り積極的に感染防止対策を行わない。結果、誰が責任者かわからないまま、だらだらと戦争は続いている。
すくなくとも、戦争が始まってからの数年間の動きは素晴らしかった。しかし、それらは、現場や民間の努力によるものであり、長続きはしなかった。
中国や米国の実力を見誤ったように、コロナウイルスの実力を甘く見積もる。「ただの風邪」という言説はその最たるものである。しかし、実際にはコロナウイルスは想定よりも厄介なウイルスである。心臓疾患や認知障害をはじめとする様々な疾患を引き起こし、感染性も高く、免疫逃避性も高い。繰り返し感染するごとに、後遺症を発症する確率もあがってゆく。
脱マスク、診療報酬の削減、ワクチンの任意接種化で、全数把握の取り止め、無料検査事業の終了、患者の届け出の把握など、わざと自らのリソースを削減する。
これらの結果、戦争開始当初は、現場の奮闘と戦術でうまくいくが、戦略の無さとリソースの不足でやがて負ける。いくら、指揮命令系統を強化しても意味がない。負ける理由は戦略の不足であり、決断の不足であり、思想の欠如であり、「立ち帰るべき初期設定」の欠如だからだ。幸か不幸か、戦争相手はウイルスであり、どこかに大本営があるわけではない。現場で戦う個々人に対し、リソースを潤沢に供給し、支援し、戦い続けられば、少なくとも五分五分には持ち込めるだろう。マスクを着用させ、手洗いを励行させ、ワクチンを接種させ、その代金を支援し、発熱外来やコロナ病床を提供する医療機関を資金面で支援し、ワクチンを製造し、備蓄し、抗原検査キットを配布させれば戦い続けることはできるであろう。しかし、緊縮財政の名のもとにそのリソースを絞ってしまった。
おそらく、前戦争におけるミッドウェー海戦に相当するものは、コロナウイルス感染症の5類移行である。あれをきっかけに潮目が変わった。明らかに、社会はコロナウイルス感染症は警戒しなくて良いというメッセージと受け取った。テレビでは、「コロナ明け」という単語が飛び交い、マスクをつけなくなり、飲み会に繰り出し、満員電車は復活し、学校では積極的に脱マスクが推進されている。ウイルスは弱毒化どころか、ますますその凶悪な性質が明らかになっているというのに。
やがて、免疫が弱体化して感染症が蔓延し、または、再感染でロングCOVIDが蔓延し、人がバタバタ死に始め、国民がおかしいと気づくまでこの状況は変わらないであろう。どのくらいの人が死ぬだろうか。前大戦では総人口の3.2〜4.1%であったことを思い出してほしい。2024年現在の日本の人口を1億2000万人とすると、死者数は、384〜492万人に及ぶ。そこまでの死者を出して、ようやく国民と政府は、自らの選択肢が間違っていると気づくであろう。