はてなキーワード: 風のうわさとは
30代メンヘラ(発達障害・鬱)だが、タイトルで終わってる話をたまには吐き出させてくれ
当時インターネットを介して、実際に遭ったことが無い女性と付き合っていた。
遠距離恋愛としてその時は付き合っていた。
その子の名前を「ユカリ」とでもしておこう。(たんに今この増田を書いている時に聞いてるBGMがCOALTAR OF THE DEEPERSなだけなのだが。Yukari Telepathは名盤だ。)
その時の僕は「ユカリ」のことが好きだった。「ユカリ」のために関東の大学を選び、上京しようとしていた。
ーー上京する前後のことだったか。「ユカリ」が、僕と「ユカリ」が所属していたコミュニティの男ら多数とセックスしていた。
向こうから別れを切り出され、「ユカリ」と恋愛関係は終わった。
今となっては「付き合っていた」が本当なのかは分からない。
ただ僕は「ユカリ」のことが好きだった。
上京してからも「ユカリ」と遊ぶことはあった。セックスもした。ただそこに恋愛感情はあったのかは分からない。
その後の「ユカリ」の話はあまり知らないが、風のうわさでは別のコミュニティでも同じようなサークルクラッシュを繰り返した後に、更に別のコミュニティに所属していた人間と結婚して出産した後、数年後「ユカリ」とその人間は離婚したようだ。
僕は常に「ユカリ」に対して不幸になってほしいと思ってたし、離婚に対して「ざまあみろ」とは思ったが、自殺する時は「ユカリ」の周りの人間に危害を加えてから死のうかなとは思っていた。ただの妄想でしか無いのだが。
人のことを深く(「深く」というのも定義が難しいのだけれども、インターネット上に公開していない以上の私生活を「深く」としておこう)知るのも怖い。
このままメンヘラをこじらせながら、そのまま死ぬしか無いんだろう。
「理解のある彼くん」のような銀の弾丸は男に対しては存在しない。
「理解のある彼くん」のメンヘラ男性版は「中原岬」なんだろうか。そんなものは存在しない。架空の人物だ。
「救われたい」とは思う。救いを求めるぐらいは全人類が求めても良い権利だろう。
「救い」が何なのかは分からない。社会的成功?自分への全肯定してくれる存在?恋愛への恐怖を取り除いてくれる存在?
そんな存在はあるのだろうか。あったとしても自分へ向けてくれるのだろうか。
増田みたいな場所にしか吐き出すことも出来ないのも難しい問題なんだろう。
恋愛が怖い話なんて誰に出来るんだ?話をしたところで何がある?話をした相手が"絶対に"救ってくれる?「救い」とは何なんだ?
腹痛持ちであり1日3回の排便と30回のガチ放屁が日常化している。
在宅ワーク時代はそれで問題がなかったので1年ほど好き放題に屁をこいて過ごしていた。
だが久しぶりに社会に出てみると、どうも社会の人間は私ほど頻繁に屁をこかないし屁も臭くないらしい。
私の腹に内蔵されたオナラガチャの排出率はR「オナラ臭」すかしっぺ×40%SR「ウンコ臭」すかしっぺ×10%SSR「食ってないのに大蒜と韮の匂い」すかしっぺ×5%LEGEND「Klaxon」爆音放屁×1%の有情ガチャであり職場で毎日無料10連しているので多くの人間が私の屁の被害にあっている。
回さなければいいというのは確かなのだが、ガチの腹痛持ちが屁をこかないというのは強烈な腹痛のリスクもあるし、下手に貯めれば爆音放屁の排出率が上がるリスクを抱えてしまう。
熟考のすえトイレまで我慢してこくという必殺技を覚えたのだが、これはただでさえ多いトイレの頻度と相まってトイレ行き過ぎ人間として弄られるようになってしまった。
トイレ行き過ぎならまだいいのだが、普通に屁こき星人として扱われているらしいという風のうわさもなきにしあらずだ。
民はどうしているのだろうか……人々は屁を腹に抱えたまま日々を過ごし人知れず苦しんでいるのだろうか。
そんなことより私はどうしたらいいのか。
もう3年以上の前の事だけど、もしかしたら今でもお前は俺を恨んでるかもしれない。
お前は秘密主義だった。けど一緒に居るのが楽しくてさ、何度一緒にオールして朝マックしたっけな。
高嶺のなんちゃらって曲のPVに出てた子にそっくりな、色白な子だった。ダンスが上手かった。
お前がSに惚れてたことを知ったのは、俺があの子を抱いてからだった。
別に抱こうとしてた訳じゃない。たまたま飲んで、たまたま終電逃して、たまたま泊めたら抱くことになった。それだけなんだ。
別に好きでもなんでもなくてさ、イビキが煩くて口の臭いただの女子大生だったよ。
お前にとっての理想の子は、俺にとってはどうでもいい女の一人だった。
せめてちゃんと付き合って「俺はこの子と真剣に交際してる」と言えたら良かったんだろうけど、それも言えなかった。
だってただのセフレだったかから。どうしても好きになれなかった。
勿論お前は気付いちゃって、俺とは絶交してさ、Sとも疎遠になってさ、みんな一人になっちまった。ままならねぇな。
お前の方がずっと人として素晴らしいのにさ、なんであの子は俺じゃなきゃダメで、俺はあの子じゃダメだったんだろう。
俺はお前じゃないとダメだったのにさ。
なんだかんだ同じ職場で付き合うってのはトイレ以外四六時中一緒にいるわけで
最初はいつも一緒ってので良かったけど、1ヶ月過ぎてくらいからお互い仕事がしづらくなって別れた
その後、お互い異動で別々の部署になって、一緒に仕事することもなく、
〇〇さんが〇〇の件がんばってたみたいだよ、とか風のうわさで聞く程度だった。
それが、今年になってから元彼女のいる部署と仕事をすることになったのだけれど、
元彼女と付き合ってた頃のことを思い出すと、仕事ができる子という印象があったわけだが
どうにも今いる部署ではポンコツのようで、部長陣からも名指しでできない人として
扱われていて、〇〇には気をつけろよと言ってくる始末
実際に仕事でやり取りをしてみると、
数年前のことなど何もなかったかのようにコミュニケーションはとれる。
チームワークを築けないというダメさだけが際立って、ポンコツ認定されている。
どうしてこうなっちゃったんだろうなと思いつつも、
付き合ってた相手だから、付き合っていた当時は仕事の中身までみることなく、
外見だけで頑張ってると色眼鏡で見てしまっていたのかもしれない。
そういうことだったんだろうなと妙に納得している。
ワイぐらいになるともう受けられなくなるけどな。
外資で働いて早10年、社内公用語が英語だから英語は生きるために(文字通り)使わないといけない。
会議では当然英語で議論するし、社内でのやり取りも英文だ。上手なのか下手なのかは知らんが、とりあえず何とかやってる。
ここでTOEICなんか受けてみろよ、履歴書にTOEIC 何点って書かないといけなくなっちゃうだろ。
日常の業務が忙しい中、安易に受けて残念な点数でも取ってみなよ。
テストの点数がいいだけで英語が共通語となった世界でサバイバルしていない人が上に見えてしまう。
風のうわさにTOEICなんて韓国と日本くらいしか受ける人がいない国際試験の顔をした超ローカル試験と聞いたけれど、本当だろうか。
成人式に行ってきた。
たくさんの元同級生と再会することができた。
皆それぞれ成長していて、普段ドライな俺も、思わず涙が出そうになった。
さて、俺には一人厄介な敵がいた。
そいつは俺と同じくらいの運動神経で、部活のレギュラー枠を奪い合って以来、こちらを目の敵にしてくるようになった。
住んでいる家は結構近い。子供会も一緒、部活も一緒、分団も一緒。
仲良しだった友達が突然、嫌がらせをしてくるようになってきたときの気持ち、想像つく?
そいつは大して勉強できるわけではなかったが、人を扇動するのがうまかった。
あることないこと言われたよ。それを信頼する方もどうかと思うけど。
信頼できる友達を何人も失った。
結局俺は部活を辞めて、生徒会活動に舵を切った。意外と楽しかったけどね。
高校は別々のところに進学することになった。
ようやく解放される、そう思うと清々した。
それから五年。
駅で顔を見かけることはあったけど(何しろ近所だ)、遠くの高校に行っていた俺は、ほとんど彼と交流することがなかった。
それは大学に上がっても同じだった。
まー正直調子に乗りまくってたね、内心では。
でも、医学部を盾にイキるほどみっともないことはない。
成人式当日。
いつもの通りはぐらかしていたが、隣にいた友人がこう言った。
「こいつ医学部なんだよ」
途端に周りの態度が豹変。
特にマイルドヤンキー予備軍の女子ね。例のあいつとグルになって、さんざん俺を陰キャってdisってたはずなのに。
先生も同性も異性も、目をキラキラさせて、医学部の生活を聞いてくるんだ。
悪い気はしなかったし、正直面白かったね。
文字通り褒め殺しって感じだった。
そして、あいつも近づいてきた。
「写真撮ろう」「久しぶり」「元気してた?」
そんな言葉は期待してなかったけど、どういう反応してくるか楽しみだった部分はある。
それ以上に驚いたことがある。
かつてあれほど憎かった奴が、全然怖くなかったんだ。
自信は人を変えるんだなって思ったよ。
結局そいつと話をすることはなく、会場をあとにした。
多分一生関わらないんだろうなー、そんなことを思いながら、今この文章を書いている。
何が言いたかったのかというと、努力すればするほど自分を武装できるってこと。
勉強でもいいし、スポーツでもいい。頑張っていい結果を得ることができれば、必ず将来役に立つ。
受験生の皆、とりあえず共通テスト応援してる。全力出してくれよな。
ワンチャン俺みたいに逆転できるかもしれないぞ!
[追記]
分団というのは分団登校の略称で、小学校へ行く時に一緒に行動する班みたいなもの。
東京にはこういう仕組みないのかな?
あと、勝手に悲しい結末匂わせないでw
まあ信じるか信じないかはあなた次第って感じでお願いします。
初めに言っておくとこれは性根ド腐れザコ創作マンのお気持ち表明増田です
読みてー奴だけ着いて来な!ヒャウィゴッ
====
事の発端は数年前にさかのぼる。私は創作畑的な界隈の端っこで活動していた。
いくらぼかしてもわかる人にはわかるだろうが、いわゆる「うちの子」的な概念とそれに付随するいろんな形のデータをネットに放出するタイプの創作だ。
私もいろんな人の作成した「うちの子」を借りてなんかいろいろやっていた。とても楽しかった。
人が人なら黒歴史かもしれないが私はめちゃくちゃ自分の創作大好きマンなので全然今でも楽しかったなぁと思っている。
なんならその数年前の作品は今でもたまに見返すし、楽しそうだなぁこいつと微笑む余裕さえある。自分の創作大好きマンの懐は深い。
が、自分の創作大好きマンの創作はしかし、基本鳴かず飛ばすだった。
これは「うちの子」的な概念の創作をしたことがある人なら大体わかってもらえると思うんだが、他人に「うちの子」を好いてもらえる快感ったらない。
もちろん基本はアタシが誰より一番!一番好きよ!てなもんで常にラムのラブソングな訳なんだが、このラムは同担歓迎だからあたるがモテてたら最後列彼氏面で腕組んで静かにうなづくタイプ。
サンキュー、いいだろ、うちのあたる……。もっと良いとこあるんスようちのあたる。ちょっと待ってね今用意するから、あたるの新衣装!
そんな感じ。つまり、誰かに推してもらえるとこっちも捗るわけだ。
今はどうなんだかいまいちわからんが、私がその界隈にいた当時、そこは別に広い界隈じゃなかった。
とはいえ全員顔見知り限界集落みたいな界隈でもなかったので、もちろん超絶人気の鉄板アイドルみたいな「うちの子」もいればそうじゃない草の根みたいなやつもいた。
うちのあたるはどちらかといえば草の根タイプだった。学芸会でも石ころの役を任される方だった。
それに関してはまぁ、別に良いと思ってた。少なくとも当時は。
超絶人気の鉄板アイドルのいわゆる「親御さん」は、それに見合うだけの労力も支払っていたし、努力をたくさんしていたし、普通に推せた。
学芸会でなんの役ももらえないような「うちの子」だって何人もいたような規模の界隈であることは確かなので、なんなら石ころでももらえるんじゃん!やったなおめぇ!って思っていた。
まぁ、うちのあたるも頑張ってるんでね…わかる人が分かってればいいんだっちゃ……っつって。うちのあたるが主役をやれる劇はうちのリビングでやればいいんだから。
あたる!今日はなにやる?!シンデレラ?!よーし!お前がシンデレラだ!
ホームビデオ撮っとく?!ヒュウ!ダーリンが一番輝いてるっちゃ!
そんな風なスタンスで、まぁ数年、楽しくやっていた。
その界隈から離れたのは、普通に別ジャンルでの活動が忙しくなってしまったからだ。
ただ楽しかったことは覚えているし、本当にたまに風のうわさでうちのあたるがよその家の発表会に出させてもらったという話を聞くこともあったので、気が向いたらそちらの界隈のアカウントを覗くようにしていた。
(「親」が活動していなくてもその「子」を借りるということは全然ある界隈だし、すくなくともうちのあたるに関しては好きにしてくれと表明していた)
ある日、そのアカウントの方にリプライが届いていた。どうやらうちのあたるを発表しているページに不備が出ていたらしい。
メンテナンスもしていなかったからそんなこともあらぁなと改修した。ついでに、界隈を離れたころに気づいてずっと手を入れたかった部分もすこし修正してうちのあたるを発表しなおした。
まだこの子を必要としてくれる人もいるんだなぁと本当にうれしかった。
ご連絡ありがとうございました。これからもうちの子をどうぞよろしくお願いしますとメッセージを添えて改修の旨をお知らせした。
しばらくして、どんなもんかなと連絡をくれた人の様子をうかがいに行ったら、見事に燃え上がってた。
燃え上がってたって言葉には齟齬がある。なんか一人で燃えてた。ショックを受けて意気消沈したあと、一週回って燃え上がってる感じだった。
えっマジで何事????なんかうちのあたるの話してる????何????修正できてなかった???
慌てて確認する。ちゃんとできてる。オッケー今日もダーリン輝いてるっちゃ。
趣味の良い事じゃない気がしたから嫌だったんだけど、気になるのでその人のツイートを激さかのぼった。
どうやらお知らせした私の態度があまりにも事務的だったことが事の発端らしい。
「私はこの子をこんなに愛しているのに、生みの親に愛されてない」「なんてかわいそう」「こんなお情けで更新されるしかないなんて」
「今回の対応でこれからさき絶対に供給がないことを思い知らされた」「これから先この子を扱っていく自信がない」
というようなことをここ数日呟いているらしかった。
「かわいそう」ってなんだ。
かわいそうなのか?うちのあたるは。
「生みの親に愛されてない」のか?うちのあたるは。
数年放置していた「うちの子」だ。確かには端から見れば愛がないように見えるのかもしれない。
でも、私のつくった子だ。これだけは絶対に言える。私が一から作って、命を吹き込んだ子だ。アタシが誰より一番だ。
何で「愛してない」なんて言われなきゃいけないんだ。何が「かわいそう」なんだ。
じゃあなんで数年前、私があたると二人でリビングでやっていた劇を見に来てくれなかったんだ。
あなたがあの時「最高のシンデレラじゃん」って言ってくれたら、手拍子の一つでもしてくれたら今だってあたるのシンデレラドレス作ってたかもしんないじゃん。
シンデレラどころか赤ずきんコスだって第二形態だってタキシードだって作ってたかもしんないじゃん。
おんなじ場所にいたはずなのに、あの時あなたはこっちを見向きもしてなかったじゃん。
それを今更好きだとかだいじにしてほしいだとか言われたって困るがな。
ってことでもやもやしてたんだけど。
「近所の店の閉店が決まってから、本の絶版が決まってから、『好きだった』なんて言ったって無駄」みたいなツイートが別のアカウントのTLで回ってきて、なるほどこういう気持ちね!って思った。
『報われなかった子が・店が・本がかわいそう』なんて、何にもしてないまっさらの手をかざして、泥だらけになって頑張ってた人の目の前で言ったって本当に無駄なんだな!びっくりした。
つまりそういうことです。ここまで付き合ってくれた増田一同、好きなものにはリアルタイムで好きって言っておけよ!
自分「私のコミットは見ました?この現象は私の担当範囲外の部分であり、私の修正によるバグではないです」
A「Bさんに確認したところ、Bさんのバグではないと言ってる。だから直してください」
自分「あの、Bさんが違うと言ったからといって、それで自分が原因となる理由がわからないのですが……。
まぁいいです。調査はしましょう。但し、私が原因でなかった場合は、私が原因だとした理由を徹底的に追求しますね」
(調査後)
自分「過去に検出できていなかったバグで、ここをこうすれば再現しますし、この箇所をこのように修正すれば直ります。強いて言えばBさんの担当範囲ですね。
さて、私が原因だとした理由について徹底的に教えて頂きたく」
自分「……、(ため息)」
無能なAさんは元気かなぁ。何もできないまま歳だけ取りたくないもんだな。自戒自戒。
ところどころ端折ったが、Aさんはどうやら常識的に物事を考えているらしいことが分かった。
自分としてはどちらでもよく、ただ論理的に考えて欲しいだけなのだが。
世も末だな。
家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。
「死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足で学校に行って、
眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。
そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、
ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。
次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。
高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身の無力感に苛まれていた。
次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、
たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちからも厄介者のような扱いを受けていた。
そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、
「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。
どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分が死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、
それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。
暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。
翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。
遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、
拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。
まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。
確かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。
冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
「自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、
しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物を咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。
結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。
真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。
一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学で一人ぼっちになってしまったのだ。
そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。
最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大な希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在が可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。
あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。
私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、
そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった
素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚だけが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。
路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。
裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。
一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。
離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。
ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学を卒業することができた。
真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟に入院していると風のうわさで聞いた。
気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。
私は死ねなかった、自分の長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。
それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。
家のすぐ隣に出来たゴルフ練習場の明かりが眩しくて、眠れない夜が続いた時だ。
「死にたい」という明確な気持ちがあったと言うよりは、明日もこのまま寝不足で学校に行って、
眠くてぼんやりとしているところを先生に怒られて、というのを続けるぐらいなら、いっそこのまま消えてしまったらいいのにと願っていた。
そうやって暗いイメージが湧き出しては止めることが出来ず、幼少の自分には長すぎる苦痛な夜の時間から抜け出したくて、
ベッドに横になったままできる限り精一杯長く息を止めるのを繰り返し「うっかり窒息死してしまえたら」と子供じみた自殺未遂を試み続けていた。
次に死にたくなったのは高校2年生の時だった。
高2病とも言われるような、人生を斜に構えて無気力に過ごしては自身の無力感に苛まれていた。
次第に学校もやや不登校気味になり、気が付けば「皆が真面目に勉強している中でフラフラ遊んでいる」というレッテルを貼られ、
たまに教室に顔を出そうものならクラスメートだけでなく教員たちからも厄介者のような扱いを受けていた。
そんな時、家の薬箱から母親が昔飲んでいたらしい薬局の袋に入った睡眠導入剤を見つけた私は、
「これをたくさん飲んだら死んでしまえるかもしれない」と袋に入っていた束になったシートから錠剤を全て取り出して震える手で飲み干した。
どくんどくんといつもより大きな鼓動を打つ心臓が、自分が死ぬかもしれないという不安と緊張と少しの期待のせいなのか、
それとも単純に薬の副作用だったのかは分からないけれど、私は暴れる心臓の音が家族に聞こえないように自室の中で布団に包まっていた。
暗闇の中で止めどなくほろほろと溢れる涙を流しながら、その時を待っていた、そして私の意識は途絶えた。
翌日、私は何事も無かったかのように、いつも起きる時間よりもだいぶ早くに目が覚めた。
遺書も残さず、数少ない仲の良い友人にも何も言わずに突発的に試みた自殺未遂だったけれど、
拍子抜けすると同時に、あれこれ残したりせずにして良かったと安堵していた。
まだ誰も目覚めていないキッチンに行って水を一杯飲んで、違和感を覚えた。
確かめるように冷蔵庫に入っていたオレンジジュースを飲む、味覚が無くなっていた。
冷汗が止まらず、ただただ「どうしよう」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
「自殺しようとして薬を沢山飲んだら味覚が無くなってしまった」などということを誰かに相談する訳にもいかず、
しばらくは生きた心地がしないまま、味のしない食べ物を咀嚼するのはまるで砂や泥を食べている気分で、誰にも気づかれないように胃に押し込むことにひどく苦労した。
結局、三日も経たない内に味覚は元に戻るのだけれど、この時に「次に死ぬなら確実に死ななければいけない」と心に誓ったのだった。
真面目な学生では無かったけれど、なんとなく大丈夫だろうと思っていた淡い期待はあっさりと裏切られてしまった。
一応サークルには所属していたけれど、ほとんど活動に参加していなかった私は、文字通り大学で一人ぼっちになってしまったのだ。
そんな私の唯一の心の拠り所はSNSの顔も知らない友人たち、その中でもとりわけ"メンヘラ"とカテゴライズされるような人々との交流だった。
最初は寂しさを埋めるためのアイテムだったはずが、尊大な希死念慮に苛まれて生きるダメな人たちの存在が可視化されることは私の良くない考えを加速させていった。
あの頃を思い返すと、死にたかった、というよりも、いつ死んでもよかった、というのが正しかった。
私は名前も知らないおかしな人たちと浴びるように酒を飲むことも、サイケデリックな色をした「海外製」とだけ言われた錠剤をスナック菓子のように口へ放り込むことも、
そのまま外に飛び出して狂ったように遊びまわることも、怖いと思うことは何一つなかった
素面でいたくなかった、誰かと過ごしているようで、感覚だけが宙に浮かび、幻覚の中を彷徨って倒れこみ、自分を取り囲む影と会話して過ごした。
路上はもちろん、駅の医務室や知らない人の家で目覚めることも日常茶飯事だった。
裸で目覚めて隣で眠る見知らぬ人を起こさないようにベッドを抜け出し、最低限の服と荷物だけ持って逃げ出したこともあった。
一方で大学がある日は真面目に授業を受けていた。
離脱症状でガタガタと震えながら、倒れないように机に噛り付いて授業を受ける様は正しく狂人だったと思う。
ただ「死のうと思えばいつでも死ねる」ということが確かな心の支えになって、私は人より一年だけ多く掛けて大学を卒業することができた。
真っ先に死ぬと思われていた私を残して、大学時代の悪友たちは4人が亡くなり、2人は隔離病棟に入院していると風のうわさで聞いた。
気がつけば30歳を目前としている、生きてしまった、生き延びてしまった。
私は死ねなかった、自分の長所や得意なものというのは思い浮かばないが、死ぬことは特別下手なようだった。
それどころか真っ当に就職して、結婚し、子供にも恵まれた、人は私のこと見て「幸せだね」と言うようになった。
なんでも通勤では外の目が気になるのでマスクつけているが、本当はそれすらも抵抗あるようだ.
「マスクは効果がない」論を早くから掲げ、当初からマスク着用に否定的だった.
彼は経済マッチョ的な考え方を持ち、いわゆる永江一石氏のシンパだ.
永江氏と同様 緊急事態宣言のときでも「コロナはインフルより弱い」「世間はコロナに騒ぎすぎ」という考えが支柱となっている.
彼の意見とは違う立場を取る私はこれに危機感を持ち 数ヶ月自主的にリモートワークを続けているのだが
風のうわさによれば彼もついにコロナにかかってしまった(らしい)
今まで感染症は自己責任ではないという考え方だったが 今回のことを機に考えが変わった.
限られた貴重な医療リソースを「反コロナ脳」の不届き者に割くのは実にもったいないので
機械学習必要なしって言う人多いけど「解決しましたかorしませんでしたか」ボタンが押されたとか、さらに別の質問を入力して答えを見つけようとした(提示されたQ&Aが良くなかった)という行動履歴をとっておいて、Q&Aを提示するモデルの更新をする予定で、そこに機械学習を使うんじゃないの?
自然言語処理関係は分野が違うのでrecurrent neural networkとかいう何かが流行りというのを風のうわさに聞いた程度
学習データは自分が手動で入力して作成する前提 ユーザーからの入力された質問データを利用して絶えず学習し続ける的な機能はなし
その戦いのステージは小さな教室の中、放課後の部室、行きつけのゲーセン。
相手となるのはせいぜいが数十人や数百人程度で、そのうちの数十人や数百人はそもそもそんな争いには最初から興味がなく、せいぜい10人程度を相手取るだけでよかった。
どんなに負けても10位や50位ぐらいの二桁台には居座れた。
天網恢恢疎にして漏らさず、ネットは世界をこれでもかとつなぎ無数の蛸壺を作りながらもその蛸壺同士すら繋いでしまった。
いまや扉をガッチリと閉めたシェルターにでも潜りでもしなければ、六次の隔たりを超えて世界中にいる無数のライバルと競い合う運命がどこからでも待ち構えているのだ。
今や廃人である事に求められるのは数万や数十万を相手取ることだ。
エントリーも予選も終わって、その上で数万、数十万のアカウントが己の廃人っぷりをアピールしあう中で生き延びなければならんのだ。
恐ろしいことだ。
その中で二桁台、三桁台に立つ連中の化物っぷりときたら……。
今流行りのyoutuberの中にはネットやゲームにどっぷり浸りすぎて、廃人でない人生の部分が生きるのにギリギリ最低限必要な分だけ残されているのかすら怪しい連中がウヨウヨいる。
そんな奴らでさえ、このインターネッツで繰り広げられる黙示録的蠱毒(ファイナルバトルロイヤル)の中では四桁台に食らいつくだけでも必死なのではなかろうか。
恐ろしい時代だ。
負け組、廃人、人生オワタといった類のネガティブアイデンティティすら容易にクライシスされていく時代が来た。
この世界で、アイデンティティを維持するためにある分野で他人より優れようとするのは凡人にとっては狂気の沙汰にしかなりえない。
ならばどのようにして己の存在価値を守るのか。
その方法に一つだけ心当たりがある。
遠い昔に風のうわさに聞いた程度なのだが、どうやら自分の人生をありのままに受け入れて、今そこでその人生を生きている事を拠り所に出来るらしい。
そのためには、自分の両親を肯定し、周りにいる人間との縁を大切にし、自分が今日まで生きてきた日々は嘘偽りなく自分の人生そのものだったと認めればいいようだ。
嘘か真か、人より優れ何らかの形で己が役に立つか目立つかすることによってアイデンティティを得るのは裏技だとすら言いはる人間にもあったことがある。
にわかには信じられないが、凡人である我々が己の凡人性を認めざるを得なくなった以上は、この俗説を信じるしか無いのやも知れぬ。
みなさんはコップの水を目の前の人間にぶちまけたことがありますか?
わたしは一度だけあります。土下座している人に向かって、そのとき持っていたコップの水を全部勢いよくぶちまけました。うわっ、ますますドラマみたいだなと思いました。
すなわち、わたしには「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた経験」があります。稀有な経験だと思いますが、リアルで話すと絶対に引かれるので、致し方なく匿名ダイアリーに書いています。
どうしてそんなことをしたのか?
相手が土下座という、およそ非現実的な謝罪方法を選択したとき、わたしは強い危機感を覚えました。彼の必死さが怖ろしく、一方で、ここで舐められたら終わりだと思いました。わたしが相手を絶対に赦さないことをはっきり示し、復縁を諦めさせる必要があると感じました。
伝統的には土下座をしている相手を踏みつける方法もありますが(ドラマとかで)、現実にそれをやると犯罪なので、とっさに手に持っていたコップの水をぶちまけました。水は弧を描いて、土下座をしている相手の後頭部と背中を濡らしました。
厳密に言えば、これも暴行罪に該当する可能性がありますが、場所が自宅のリビングで相手はパジャマ姿だったので、万が一、被害届を出されても警察は動かないだろうと考えました。
相手は、土下座して謝っている最中に水をかけられるという完全に異常な状況であるにもかかわらず、特に驚く様子もなく、か細い声で「ごめんなさい。本当に反省してる。許してほしい。」と言いました。
わたしはここが正念場だと思ったので、普段は出さない大きな声で「うるさい。早く出て行け。視界に入るだけで不愉快だ。」というようなことを言いました。その夜はさすがに眠れませんでした。
その日に至るまでの3カ月間、彼はほぼ一日おきに「とても反省している。愛しているのは君だけだ。君を失ったら生きていけない。なんでもするからやり直すチャンスをくれ。」といった内容のポエムメールを送ってきていたのですが、その夜を境にピタリと止み、2週間ほどで荷物をまとめて出て行きました。
彼が去ったあと、がらんとした部屋のテーブルの上に記入押印済の離婚届と一緒に四つ折りにされた便箋が置いてあり、確か「君と暮らした10年間、とてもしあわせだった。本当にありがとう。傷つけてごめんなさい。」というようなことが書いてありました。
わたしはそれを読んだあと、すぐに鋏で細く切って他のゴミと一緒にマンションのゴミ捨て場に持って行きました。
部屋に戻って靴を脱いだ瞬間、ああ本当に一人になってしまったんだなという実感が湧いてきて、涙が溢れて止まらなくなり、床にうずくまって、文字通りわんわんと泣きました。
離婚したことについて後悔はなかったのに、それでも10年の歳月はあまりにも長く、喪失感は大きく、どうしようもなくてわんわん泣きました。
それからの一年は、これまでの人生で最もつらい期間でした。一番つらかったのは、人を信用できなくなったことです。わたしはおろかだったので、10年も一緒にいた相手が病的な嘘つきであることを見抜けなかったのです。客観的な証拠により相手が膨大な嘘をついていたことが分かった後は、誰も彼もが嘘つきに見えました。
周囲の人からは、なんであんなにいい人と離婚したのか、もったいないと責められたり、浮気は男の甲斐性だ、許せない女のほうが悪いと説教されたりしました。
離婚後も相手からは「元気にしてる?君のことをとても心配している。落ち着いたらまた会えないかな。」といった内容のメールがときどき来ていたのですが、返信せずに削除していました。
最近連絡がないなと思った矢先に、「ご報告」という妙にかしこまった表題のメールが届いて、開けてみると「結婚(再婚)することになりました。相手は妊娠しています。」といったことが神妙なトーンで書いてありました。彼が出て行ってから半年も経っていませんでした。
彼の再婚相手は、複数人いた浮気相手の誰でもなくて、わたしもよく知っている、ほんの数日前に一緒に食事をした女性でした。わたしは彼女を友人だと思っていました。お酒がとても好きなはずなのに、その日はガス入りの水しか飲まなかったので、体調が悪いのかなと少し心配していたのです。ああ、なるほど、妊娠していたからアルコールを飲まなかったのかと妙にスッキリ腑に落ちました。
わたしは、「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた」瞬間が一連の出来事のクライマックスだと思い込んでいたので、まだ続きがあるなんて想定外でした。事実は小説より奇なりとはこのことかと思いました。
そして、ようやく治り始めた傷口に乱暴に塩をすり込むようなことをした彼らを強く憎みました。彼らを憎んでも自分を損なうだけだと頭では分かっているのに、感情がコントロールできなくて、四六時中、彼らがしたことについて考え、彼らが不幸になるように願いました。そのときには、もうわんわん泣く余裕もありませんでした。
彼が出て行ってから一年くらい経ったある日、気が付くとすべては過去になっていました。時折、激しい憎しみの名残が発作のようにやってくるのですが、それも長くは続かなくなりました。ただ、不倫や浮気を美化する内容のドラマや小説に強い嫌悪を感じるようになりました。
彼らが不幸になったかも知りません。子どもは無事に生まれたらしいと風のうわさに聞きました。それでよかったと思います。わたしの見ている前で、彼らが不幸にならなくて本当によかった。
さっき「離婚して、わんわん泣ける女になりたかった。」というタイトルの記事を読んだら、一連の記憶がフラッシュバックしてつらくなったので、気持ちを静めるためにこれを書きました。
自分の経験に照らすと、記事中できれいごとを言っている元夫は嘘つきで、本当は慰謝料を払わずに離婚して他の女性と再婚したいだけなのではないかと感じましたが、そんな風にうがった考えを持つことは人を幸せにしません。