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2013-08-18

パシフィック・リム眠い

パシフィック・リムを見てきた。

本来なら言うことはない。夏らしい平凡なポップコーン映画だった。

ただ、ネットの一部界隈では、映画監督姑息イメージ戦略にアテられたのかなんなのか、過大評価すぎるものが多く見えるので、細々と感想を書き連ねてみる。

パシフィック・リム怪獣大図鑑

映画監督が円谷ファンを自称しているらしいので、円谷のビデオソフトで例えると、パシフィック・リムは、怪獣大図鑑みたいなもの。(ウルトラマン戦闘シーンのみを編集したプロモーションビデオ

怪獣が暴れる映像のために他の全ては下敷きか犠牲になってる。ひたすら怪獣、巨大ロボ、衝突、破壊、爆発の繰り返し。

それらのアクションシーンには、見どころが沢山ある。細部までしっかり意味ありげにデザインされたロボットの造型。重量感。一進一退の攻防が次から次へと展開する。

人達を集めて、談笑しながら見るのなら、かなりいい作品だと思った。

ただ、それ一辺倒なので真剣に見るのには向いていない。映画館など黙って鑑賞せざるを得ない環境だと、ワンパターン過ぎて睡眠誘導になりかねない。

間というものが皆無だ。心を落ち着けて、さあこれから山場だぞ!というシーンなど無く、パチンコ屋にいるような騒々しさが延々と続く。

終わってみれば、心に残るもの特に何もない。

ウルトラマンとは違って、テーマ性は薄い。ドリフトというシステムで取って付けたようなお題目はあったものの、じーんと心に響くものではなかった。

怪獣個性がない

円谷ファンを自称する監督だが、本作に登場する怪獣には円谷作品のような多様性は一切ない。

全部クローンであるという設定と、欧米説得力の問題でああなったのかもしれないけれど、どれも土気色に水色の体液でカラーリングが一緒で、形態には差異があるものの、画面の暗さとそれに溶け込む暗い色のせいで大した差を見いだせない。

最終決戦には3体もの怪獣と同時に戦うことになるのだけど、そのときにはもうどれがどれかわからない状態になってしまった。

最後真打ちとして登場した3体目は、カテゴリー5(今までは4止まりだったのだろう、未知のタイプだ!と司令部が騒いでいた)と呼ばれていて、さぞスゴイ奴が出てくるのだろうと思ったら、気持ち大きいだけに感じる上に、乱戦してるうちに見せ場もなくボロボロになってしまった。

何のために盛り上げたんだ!

最終決戦のほうがしょぼい

本作では上記のように戦闘シーンに特化した結果、オリジナル作品にも関わらず原作ダイジェストを見ているような忙しなさを抱えることになったが、その対価として、大ボリューム戦闘シーンを2回もこなしている。

ただひたすらカッチョイイロボとでかい怪獣の戦いを表現したいというのなら、間違っていない選択だと思った。

ただ、なんで最後舞台を海底にしちゃったんだろう。

海底に開かれた次元の扉を閉じるために、主人公たちのロボットは海底を歩いて進み、そこを守る怪獣最後の決戦を繰り広げるのだけど・・・

深海なので画面が暗く、水中なので動きは鈍い。敵が3体でてくるものの、暗さと没個性が相まってただごちゃごちゃ戦っているだけという印象。

地上での戦いだけで良かったのではないか。前半のほうが凄く感じただけに鈍い上に乱戦でグレードダウンした感のある最終決戦は、視聴者にとっても集中力限界との戦いだった。

日本人キャラ差し込んだ弊害

マーケティングの一環なのかなんなのか、監督日本に対する愛情の現れなのかはわからないけれど、本作には日本人俳優メインヒロイン役として参加する。

現代ヒロインを演じた菊池さんのほうは、海外俳優に混じってなお遜色のない演技をしていた。吹き替えだと声が林原めぐみだし、かわいい

ただ、問題は子供時代回想シーンで。芦田さんという日本屈指の子俳優が演じたのだけれど・・・

最初フォローとして、泣きながら逃げるだけな上に、実在しないCG相手というハードルの高い演技であったろうことは言っておくとして。

ロングカットをほぼ彼女一人でやらせるのは荷が重かった。

日本トップクラスの子役と言えど、いざ洋画にでてみると、世界の子俳優の足元にも及ばないのだなということがわかる。

最後斜陽を背負うイェーガーを見上げる場面になると、お遊戯感が炸裂する。

”眩しくて顔に手をかざす”という行為感覚を理解していないのだろう。あのシーンだけ、最近ありがちなCGギトギトのダサい邦画を見ている気分になった。

ポップコーン映画として

全体的に見て、僕はこの映画は好きだ。

映像はやっぱりすごいとおもったし、音の使い方も凄く良かった。

主人公機が画面中央に現れるときには決まって「デューン」というジングルみたいな物が入るのだけれど、あれのお陰で暗くごちゃごちゃした画面でも、すぐに主人公機だ!カッケー!という気分を呼び起こしてくれるので凄く乗りやすかった。

ビデオを借りてきて家で見るのなら、下手な名作系の映画よりも満足感を得られる内容だろうと思う。

でも、最近ネットで見られるレビューのたぐいは、流行に流されて一辺倒になっている雰囲気がある。

まりに勢いがありすぎて、この映画面白く無いやつはわかってないという上から目線めいたものも見受けられる始末。

本作はそこまでのものじゃない。ただ映像がかっこいいだけの、ポップコーン映画だ。

この映画を見て満足感が得られなかったとしても、当然と思えることは上に書いたように沢山ある。

おそらく、監督は円谷作品のファンということを大々的にアピールしていたことが出火元のひとつであるように思うのだけれど、

それで釣られた人たちは、この映画を見終わって果たしてどう思うだろう。

環境汚染だとか、人類が力を合わせるだとか、円谷っぽいお題目かいつまんではいた。

でも、それだけだ。自分には、監督は一体円谷作品の何を見ていたんだ?としか思えなかった。

2013-06-05

セックス描写のない小説を紹介してほしい

2chNAVERまとめサイトを見ていて、

海外小説だったら「悪童日記

日本小説だったら「疾走」あたりが

紹介されているのを見ると何となく胸の内に苦いものが走る。

前者は、バター犬で

後者は、二次性徴

でしょう。

何かその描写の部分だけですごく体力持ってかれる気がする。

ハローサマーグッドバイ』って表紙の女の子可愛い小説があるのだけど、

よし、今日はこれを読もうと、がっちがちに決めて、

やっぱりNAVERで知った喫茶店で日曜の午後をずっと過ごしていたら、

落ちの前の方で、あの可愛い女の子ゴルゴ13?の女性みたいな心の声を上げるので

脱力して、本を閉じて帰ってしまった。

帰りしなの電車で改めて最後まで読んですごく後悔したのだけど、

あれは訳者が悪い!

なんか古かったし、もっと軟着陸できなかったのか。

木を見て森をみないことはないし、確かにどれも面白いお話ではあるのだけど、

予見していないとストレスが残ってしまう。

から、いっそ最初からセックス描写なんてなければいい。

話は変わるけど、私の母と妹は、ディズニーなどの海外ドラマが好きだ。

記憶に新しい三年前は、アグリ・ベティーをずっと見ていた。

親子でいつもソファに並んで、見てた。

「なんで、そんなに海外ドラマばかり見るの?」

妹が化粧室に立った際に、母に聞いてみた。

「今九時だしチャンネル回せば、邦画ドラマだってたくさんあるのに」

ディズニードラマってベッド(シーン)がないんだよね。

 だから安心して見られる。」

面白いよ、一緒に見てみない?座って座って。」

その後戻ってきた妹と母に左右を塞がれて

強制的にドラマの鑑賞会をやらされた。

青い入れ歯やメキシコ系って設定がものしかったし、

普通に面白かった。

黒幕は、事故の末に性転換を受けた元男性、今女性という

設定なのに、色物キャラのわりに健全な美しさだった。

昔のドラマでいえば、フルハウスもそんな感じだったと思う。

あんな大家族なのに、そういう描写がなくて、ふつーに爽やかだった。

あのドラマを良く読んでいた時は知る由もなかったけど。

ところで自分が好きな漫画家

大石まさるさんとあずまきよひこさんがいらっしゃるのだけど、

同じ共通点を持っていた二人の、これは乱暴な言い方だけど似たような日常系作品のうち、

「おいでませり」は残念だけど三巻で終わってしまい、「よつばと!」は今も続いてる。

自分パンツマンが理由だと思う。

一人は微妙な年頃のぱんつばっか描いて、

こけたら、宮崎駿みたいにあけっぴろげにしてる。

話は好きなんだけど、ジャジャムさまのぱんつはもういいや。

もう一人は中年男性パンツマンだ。

よつばちゃんのぱんつは見たことない。

それでやらしい、やらしくないかなんだけど、

よつばとのとーちゃんにそういうのを感じた事は今までない。

しろ笑って何度でも読んでしまう。

確か、将棋の人が苦笑まじりに自分キャラの服のトーンが

父ちゃんと被ったって言ってたのも、

父ちゃんのぱんつは対象外だからじゃないかな。

そんな次第です。

セックス描写とぱんつ描写がなくて、居間であけっぴろげに読んでいても

恥ずかしくない小説などございましたら、紹介してください。

. 。○ (十二国紀の新作(yom yom既出じゃないよね)が7月に出るみたいだけど、

   そういえば、こんな感じで安心して読めたんだった)

2012-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20120725175839

邦画を見た時に「去勢されてる感じ」を受けるんだけど、原因はそこなのかな。

登場人物たちの攻撃性があまりにも薄められすぎて気持ち悪いと感じることがたまにある。

2012-05-19

SEX AND THE CITYを模する日本ドラマ映画の滑稽さ

昨日金曜ロードショーにてSEX AND THE CITY2が放送されていた。

この映画ドラマ放送の時代からリッチ独立した女性生き方を主軸として作成されている。

そのエッセンスとして、ブランドの服や靴と、彼らを取り巻く男性とのキワドイシーンが登場する。

女性は「おしとやかであること」や「純粋無垢であること」が求められていた既存メディア新しい風を吹かせたのが10年前。

その風は全世界にブームを巻き起こし、映画第2作製作へと至った。

日本でも現在このドラマを模した民放ドラマが放送されていたが、いまいちハマらない。

セレブ感を出そうとしている努力は認めるが、結果がともなわない。まるで小さな子供お姫様ごっこを見ているような滑稽さである

日本でいわゆる「セレブリティドラマがはやらない理由が二つある。

ひとつアメリカに比べ、そのような「煌びやか」で「豪華絢爛」で「はちゃめちゃ」な生活を送っている人口が絶対的に少なく、

そのような人がメディア露出する機会も少ないからだ。

それはハリウッド映画の中で生け花や禅を行う外国人俳優の演技と似たようなものがある。

日本の裕福層の生活を模したドラマや裕福層の人のドキュメンタリー制作するならまだしも、

完全にアメリカの生活のイミテイトであれば、違和感が生じるのは当たり前である

日本では邦画幸せのパン」や「うどん」のように日本独特の雰囲気をしっかりと掴んだ作品が一番受け入れられやすいと思う。

二つ目の理由は、日本アメリカ人口年齢の分布の違いである。

アメリカでは現在でも若い人口が増え続けており(2030年以降は生産年齢人口は減ると想定されているが)

若い人に受け入れられること=ヒットという方程式がいまだ確立されている。

日本ではメディアは「若い人にウケるものを作っているが、

もうすでにそれがヒット作(金)を生み出さないことに気づいていない。

なぜなら今お金を持っているのは、そして多数派は団塊の世代やそれよりも上の高齢者であるからだ。

日本の文化にもそぐわない、ターゲット層が薄い、そんな作品を一生懸命作る日本メディアのこれから不安に感じる。

2012-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20120411091450

日本アニメだって文化的背景がない、無国籍的なものがバカ売れしてるんでしょ。ワンピースとかNARUTOとか。

NARUTO日本の文化っぽいように見えるが、作者が洋画ファンなことからも明らかなように、あれは間違いなく「アメリカ人が考えるニンジャ」を描いてる。

別に三橋某なんかどうでもいいけど

文化的背景がある」ってのは「民族モチーフを出していく」って意味じゃないと思うが…。


日本アニメ漫画の「文化的背景」を論ずるなら

近世だけに絞っても手塚以降の歴史ボリュームを知らないといけないし

もっと言えば江戸時代、更に言えば平安時代ぐらいか日本人はあんなんばっかりやってきた。

ポンチ絵の文化ラノベ文化もね。


「背景」ってのはそういうこと。

それを下敷きに、アウトプットするものの”ガワ”が和風でも洋風でも無国籍風でも

それはただの「風」であって「文化的背景」とは関係ない。

もうわかるでしょ?


例えを日本以外にしてもいいよ。

ハリウッドがどこの国を舞台映画撮ったってそれはハリウッド映画でありハリウッド文化だよね?

ラストサムライ』は邦画じゃないよ、日本ネタにしたハリウッド映画だよ。


本物の忍者もっと地味で暗くてネガティブイメージがある。

日本人はそういう忍者を好むのだけど、アメリカ人は「理解不能」だから

カッコイイ一部分だけ切り出して「Oh! NINJA!」とか騒ぐ。

本物の忍者

見たんかい

どこの里のもんだよw

君の脳にボンヤリと詰まってる「本物の忍者イメージ

山田風太郎作品が元ネタすらわからない馬鹿の手で水割りされた末に

なんか劣悪な漫画を通して君にインストールされてるだけだと思うよ。


繰り返しになるが、

別に三橋ナントカに賛同するわけじゃないからね。そいつの文読んでないし。

でも君は色々不勉強すぎるし頭が悪すぎると思う。

若い人なんだろうけどさあ…


あ、誰に似てるのかわかった。

肩に力入っててグルグル考えてるけど圧倒的にモノを知らないこの感じ

青二才の人だ。

2012-03-02

それは「サブカル」を間違ってるよ

http://anond.hatelabo.jp/20120302003939

元の語源では確かに、漫画アニメはsubcultureだったけど、

それって何十年も前の用法なんだ。


今は「サブカル」って言ったとき漫画アニメは指さない。

というかどんな趣味を持っててもsubculture、”社会の外れ者”ってほどの扱いではなくなったよね今って。

かつてはもっともっと、mainでない趣味を持つ人間自動的に強烈に被差別民だったけど。

既に「サブカル」って言葉は役目を終えた。


じゃあ現代に「サブカル」を自称してるのはどんな人達かって言うと、

趣味の為に心ならずも社会から疎外されちゃう人」ではなく

「自らの自意識の為に社会からの疎外を必要とする人」になった。

別の言い方するなら「パンクロック」っていうか(これは”時代遅れ”って意味も兼ねてる)。



で本題、

周りでそういうサブカル趣味みたいのが増えてきてさ、

ということだけど、

その友達たちは「サブカル」を自称してた?

それとも漫画アニメ見てるだけ?

ここは君が友達趣味を合わせる上で大事なとこだからよく思い出して欲しい。


もし後者なら、

それはただの「オタク趣味」で「サブカル趣味」じゃないよ。

その場合は彼等と話や趣味を合わせる上で

東浩紀とか大塚英志とかの評論

なんか読む必要は全くない。

クソ面白くないよねそいつらの話。誰だってそうだよ。

漫画アニメを楽しむためにはそんなの全然必要ない。


だけどもし前者、

友達たちが「サブカル」を自称するサブカルごっこにはまってるなら

彼等と話や趣味を合わせる上で、

つまんないオッサンのクソつまんない評論読むのは必須課題になってくる。

サブカル」は前述の通り、人と違うことや苦しいことを敢行するの自体もアイデンティティなので

面白くない評論家の話を読み込んだり、面白くないクソ作品ばっかり見たりするのは重要な課業。


もっと詳しく紹介すれば、

昨今それなりの「サブカル者」を自負する人はアニメよりも映画を見てるよ。

現代はアニメ漫画より映画のほうが圧倒的にクソ作品が多いので。

単館上映のクソ映画カルト映画はしごしては、

「とても面白かった」と言い張ったり、

クソだとわかってる邦画をわざわざ見に行っては、

「こんなにクソだった!でも見ちゃった!」って自慢しあったりする。


彼等「サブカルパンクロッカーの目から見れば

今日漫画アニメなんて完全にセルアウトした堕落の象徴で、

そんなもん絶対に「サブカル」だとは認めないし、

むしろ彼らはアニメオタクに対しては一般人以上の憎悪と蔑視を持ってる。


要するに元増田はまず

アニオタ道を模索したいのかサブカル道を模索したいのか

そこを自分の中で明確にすべき。

全然のものなので。

2011-12-25

今すぐ消えろ!日本カルチャーシーンを「残念」にした戦犯タイプ

ハロー

聖おにいさんオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。

http://anond.hatelabo.jp/20081210172325

とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。

http://anond.hatelabo.jp/20091216230059

このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!

http://anond.hatelabo.jp/20111224192828

を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。

「かわいそうだね?」

って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞ネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。

はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大自分直視できないのかねえ。

「格好をつけないことで、格好をつけている」

「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」

やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。

ぼくはきみたちの断末魔叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。

ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。

これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。

きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。

では、いきますよー。

映画秘宝

ボンクラ」なんていう安っぽい価値観連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスター宇多丸町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。

「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。

中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。

自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚フンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。

彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸ラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。

そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画ポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。

この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフル宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画町山智浩キラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画ネタにしているのを見たことあるよ」でも可。

伊集院光

人生大切なことは、すべて伊集院光ラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。

映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャー必死に否定してくる。「最近アニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。

自分中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画アニメ伊集院が褒めるものけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。

映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットMP3音源違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメ自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。

「人見知りなのは感性が鋭いからだ!」

バイト面接で受からないのは、感性が鋭いからだ!」

住民税を滞納しているのは、感性が鋭いからだ!」

もうなんでもあり。

こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛自己肯定は。

ビレバン

ある意味一番病気かもしれない。

「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽ自分必死デコレートしようと頑張っている。ビレバン下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分ビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。

こういう奴がセンスいいと思われたい一心カルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画悲惨犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。

なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍マリオネットたち。

こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。

さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。

もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。

つぶやき批評家

そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆

はてブツイッターなどの安全からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。

文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ

大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。

このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報いかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。

以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性大事」という間違った教育と、「作品の解釈受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。

確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。

ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督紀里谷和明か、小説家岩崎夏海くらいか

特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代クリエイターズバイブルだね、この本は。

みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽ自分直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。

2011-09-20

この間までレンタルビデオ屋でアルバイトしてた

追記

携帯で朝方にだらだら書いたやつに、反響があって驚いた。

単純なお願いだけど、タンブラーとかへの転載やめて。増田まとめとかもあるみたいだけど、それも勘弁して。

理由は特には無くてなんか嫌だからって理由だけだから、まぁ別にされたらされたでいいんだけども。

ただその時はお願いしたって無駄なもんはある!って1つ勉強になるだけだから

追記2

タンブラー転載されて、それが転載されまくってたっぽい……まぁ、そんなもんですよね……

以下、本文。

ちょっと韓国ドラマについてのお話。率直に言うと、儲けの観点から見て、レンタルビデオから立場から言えば、テレビ韓国ドラマ流すのはもう大歓迎。むしろ、じゃんじゃんやれ!って具合。以下、理由を話す。

これを書く動機。

うちのお店は、割と中堅くらいの大きさで、レンタルビデオの割合としては、韓国ドラマ3:洋画4:邦画2:アニメ1くらいの店で、結構からそんな感じでやっていた。

増えたり減ったりはしたけども、割合的には大幅に変わる事はなく、大体こんな感じ。

だったんだけども、この前、俺が辞める前なんだけど急に、韓国ドラマばっかりで、なんだか嫌だ。洋画をもっと仕入れろ!みたいな意見が投書箱やら、アンケートやらで見られるようになった。だいぶ前から比率は変わっていなかったのに。

これはもう、恐らくムーブメントなんだと思う。テレビだけじゃなくて、余波は確実にレンタルビデオにまで来ている。

しかし、レンタルビデオ屋の側から言えば、韓国ドラマはすげぇ儲かる。

なぜなら、金持っているお姉様方がメインターゲットであり、尚且つ、そのお姉様方はインターネットというものを知らないからだ。あと、巻数の長さ。これはほんと、すごいよ。1つの作品だよ。1つの作品で10巻を超えるのが当たり前となりつつあるんだよ。韓国ドラマ。5巻のものだと、あぁ短いね、珍しいなあって感じるくらい。100巻近いのが出たときはこんなの借りる人いるの?完走する人いるの?って感じたもんだけど、いや、これがいるんだよ。恐ろしいことにしかも、割と普通に

まり、1巻を貸し出して、お客がそれを面白いと感じたら、ずっと借りるわけ。それが20巻でも、50巻でも。そうしたら、そりゃ儲かるよね。店側とすれば。もちろん、外れれば痛いんだけども、今のところはそこまで外れないねぇ。

お姉様方はインターネットを知らないっていうのは、つまりね。暇つぶしの手段が少ねえのよ。家にいたら、自分趣味か、テレビ見るくらいしかないわけ。んで、テレビ韓国ドラマやっていたら、続きが気になったりするし、この俳優かっこイイ!とかなったりするし、毎週毎週見れたりするわけじゃないから、その分を補おうとしてレンタルしたりするわけ。お姉様方は、録画の仕方もわからない人とか結構いるのよ、マジで

もちろん、インターネット違法アップロードされた動画を見ることもねえから、作品を見るには、テレビを見るか、借りるかしか無いわけよ。熱狂的な人は買うんだろうけどさ。でも、全20巻のもの買うかな?ちょっと俺は躊躇する。

あとは、まぁお姉様方は、ほら。金持ってんのよ。だから、まぁ、金に余裕がある。時間に余裕がある。ドラマでも見るか。ってなったら、見るんじゃないかなぁ。なんでわざわざ韓国ドラマ?って疑問はあるかもしれないけど、俺も韓国ドラマを見たことがないからそこらへんはわかんない。ただ、イケメンってのが多くて、お姉様方が、特定の俳優が出ている作品をまとめてレンタルすることが多かったのは事実としてあげておく。

まり、何が言いたいかというと、結局世の中ただし、イケメンに限るってわけですよ。えぇ。

2011-08-23

http://anond.hatelabo.jp/20110823184302

ハリウッド映画とか洋ゲーみたいなもんでしょ。

ハイリスクハイリターンで、半端なく金をかけて、高クオリティに仕上げる。

あんなのアメリカしか出来ないよ。

ただ、一方で邦画や和ゲーみたいにチープ感があったほうが落ち着けるし面白い、という人もいるので、

単純にクオリティが高いほうが良い、金がかかってるほうが良い、というわけでもない。

2011-08-16

フジテレビが批判されるべきたったつの理由

この世から消えるべき3つのもの

 この世から排除されるべきものは3つありますひとつレストランを選ぶときに、「何でもいいっていったけど、ラーメンは嫌」というクソ女。

 二つ目は、サービス残業しまくって後輩を帰りづらくしている3年上の田畑センパイ。3つ目が韓流デモに参加している暇人です

 韓流デモに参加している人の理屈は、ほとんどが見当はずれか、見当違いですフジテレビ韓流を押すことには、合理的な理由も正当性もあるのです

なぜなら安いか

 韓国コンテンツフジテレビが流す理由はいたってシンプルです

 なぜなら、安いから。大御所芸能人一人のギャラで一時間ドラマが簡単に買えます

 さらに、ドラマには30話近いシリーズも多い。一度顧客を掴むと、最終話まで安定した視聴率を稼ぐことができるのです

 テレビ局にとってこれほど美味しいコンテンツはないのですね。

 だからマッチポンプ的に人気を釣り上げて、利益を生み出すようにする。この戦略お金のないテレビ局にとって、とても合理的な方法です

外国コンテンツを流してはいけない?

 

 「公共の電波なのに外国コンテンツを流すな」という批判はもめちゃくちゃです

 なぜなら、その理屈適用すると、日曜ロードショールーキーズ劇場版のようなゲロ以下の邦画で埋め尽くされてしまからです

 当たり前ですが、外国コンテンツを流してはいけない理由はどこにもありません。 アメリカコンテンツがよくて韓国がだめなのは 「要するに俺が嫌いだから」でしょう。

 しかし、「俺が嫌いだから」は正当な批判ではありません。

 たしかに、アメリカコンテンツ面白さと比べて、韓国イマイチな印象があります。私もそう感じますしかし、実際楽しんでいるおばちゃんがいるのです

 

 僕らの主観で、彼女たちの楽しみを奪うべきではありません。

有害ものを流してはいけない?

 韓流批判論者の中には「公共の電波なのだから選別されたコンテンツを配信するべきだ。したがって、韓流を放映するべきではない」

 という批判をする人もいます

 しかし、「どのコンテンツが有益か」という議論は非常に難しいものです

 たとえば、私にはくだらないバラエティの方がよほど有害に見えます

 でも、どこかのPTAのおばちゃんが「めちゃイケ有害だ。いじめの原因だ。だから放送するな」と主張すれば「それはおかしい。テメーの価値観押し付けるな」と反論するでしょう。

 そもそも「何が有害か」を個人の主観で語るべきではないかです

 主観有害無害を決めるのは、青少年育成条例のような恣意的な判断を招きます。見たい人がいて、法的に問題なければ、コンテンツは自由に流すべきです

 だから、「韓流は有益でないからやめるべき」という論理おかしいのですね。だって、少なくとも楽しんでみている人がいるのですから。それは視聴率を見れば明らかです

 楽しんでいる人がいるのに「俺が価値を感じない。したがって、やめるべきだ」というロジックは傲慢以外の何者でもないでしょう。

 

でも、公平性は考えてよね。

 では、フジテレビが批判される唯一の理由とはなんでしょうか。単純に言えば「マスメディアとしての公平性がかけているから」 この一点です

 

 この点については、フジテレビは批判されるべきです

 

 テレビは100%民間のものではありません。なぜなら、税金電波設備に使われているし、テレビ局ビジネスは「地上波デジタル対応テレビ」という名の人頭税なしには存在できないかです

 さらに、彼らは根拠のない電波の独占を続けていますデジタル放送ならば、もっと局が増えるべきですしかし、「公共性の担保」を理由に新規業者を排除しています

 テレビ局理屈に従うならば、「テレビ局は公共性を持つがゆえに、電波を独占できる」ということになるでしょう。

 したがって、公共性はテレビ局が「マス」メディアであるための絶対の条件になります

 で、韓流案件は「公共性=公平性」があるのか。

 その日に来日した韓流スターを、その日に「今、大ブーム」と報道するのは正しいのか。

 正しくないでしょう。なぜなら、事実を歪めているかです

 広告代理店をつかってサクラをよびこんで、ブームを演出することは「公平な報道」とはいえません。

 現実はどうあれ、マスメディアは公平性、公共性を第一にするべきです

 面白くなければテレビではない以上に、公平性がなければテレビではありません。

 韓流ブームの報道には、客観的な態度がかけています。公平性の欠如において、フジテレビは批判されるべきです

『嫌なら見るな』が通用しない理由

 岡村隆史さんが「韓流が嫌なら見なければいいのだ」と述べています

 しかし、その理屈おかしいのです

 フジテレビが批判されるのは、「韓流を流しているから」ではなくて、「韓流を扱う態度に公平性がかけるからです

 だから、「嫌なら見るな」は何の反論にもなっていません。

 そもそも冗談のように安い電波料でインフラを使用して、新規業者を排除しているテレビ局が「嫌なら見るな」はおかしい。

 なぜなら、 「嫌だから他を見る」選択肢を潰しているのですから

 さらにいえば、顧客が商品から離れているのに「嫌なら見るな」というロジックは素晴らしすぎます。売れなくなったときに「それは顧客馬鹿からだ」という企業はおそかれはやかれ、ダメになるものですテレビ局顧客意識のなさはちょっとイケメンすぐる。

 別にデモなんかしなくても、中からぐずぐずと腐っていくので、放おっておいたらいかがでしょうか。

 腐りゆくうんこを前にした時のいちばん合理的な戦略は、黙って目の前を通り過ぎることです

結論

 フジテレビグリーミクシーネトウヨ共倒れ希望であります

2011-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20110808112416

少なくとも映画世界では邦画クオリティ韓国映画にとっくに抜かれてるよ。

K-POPだってダンスクオリティ素人ぽさを売りにしてる日本アイドルより上だと思うけど。

そういうのに目をつぶって見下そうとするのは見てて恥ずかしいからやめて欲しい。

2011-07-08

柴田大輔・映画監督まとめ(2)

続きです

僕は柴田大輔さんの映画はまっているわけですが、周りの人はなかなか理解してくれません。。。トホホ・・・

まあ、地味で個性的なので当然かもしれませんが、このブログでは、柴田大輔論を含め、気軽に日記でも書いていこうと思っています

最近は、暑い日が続いていますが、何とか耐えている今日この頃です

おそらく監督炎天下の中、撮影に走り回っているのでは?と思っていますが、早く新作が見てみたいものです

DVDの予約も入れないといけないし、なんだかバタバタしていますが、柴田監督の作品を見るのを楽しみにしているのです

もっともCMが先だったので、映画だけでなく、広告作品やCM結構見ていますよ。お気に入りだらけなんです^^

さて、いっちょ行きますか!

それでは、今日サイト紹介です

さらば愛しの大統領

http://cinema-j.com/houga/?taxonomy=post_tag&term=%E6%9F%B4%E7%94%B0%E5%A4%A7%E8%BC%94

主役の大統領暗殺犯を追う二人の刑事――すぐキレる血の気の多い早川刑事宮川大輔美人にめっぽう弱い番場刑事ケンドーコバヤシ・・・

バカバカしいことを大真面目に!『さらば愛しの大統領柴田大輔監督世界のナベアツインタビュー

http://cinetri.jp/interview/saraba_interview/

監督は「3でアホになる」という衝撃のギャグを世に送り出し、放送作家としても活躍する世界のナベアツと、NOVAウサギジョージアなどのCMを手掛けてきたクリエイター柴田大輔・・・

世界のナベアツ長編映画監督デビュー大阪府独立国家を宣言!? の疑問

http://aromacan.blog118.fc2.com/blog-entry-2108.html

ナベアツは「柴田大輔監督と共に、邦画史上『最もポップコーンコーラに合う映画』を完成させることが出来ました。更には、・・・

さらば愛しの大統領映画作品紹介

http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=10597

CM界で常に新しいものを贈り出す柴田大輔が世界のナベアツとタッグを組み、「これは映画なのか!?」と、これまでの映画体験を覆すほどの、とことん「笑い」を追求したオリジナル作品を作り上げた。・・・

柴田大輔 研究してみた日記

http://blog.goo.ne.jp/tanmen_daisuki

フォトジャーナリスト柴田大輔さんは、2007年エクアドルに暮らすアワ民族を中心としたコロンビア難民グループ出会い、彼らと交流を深めながら、難民としての困難な状況だけでなく・・・

柴田大輔(かずさDNA研究所室長)の公演にて・・・21世紀バイオテクノロジー時代であると云われている。

医学の分野では、ヒトのゲノム塩基配列の解読が進められており、全体の概略が2000年6月に発表された。

この成果は、新たな医薬品の開発・・・

柴田大輔のページ

http://www.kazusa.or.jp/gene-f3/shibata/

かずさDNA研究所植物遺伝子第2研究室室長 柴田大輔、何を研究している?、何を研究してきた?、講演など・・・

2011-05-11

アマゾンガンツレビューで一番参考になった~~を読んでて思ったんだけど

邦画もここまできたか」ってスゲー言葉だよね

2010-12-01

テレビ東京視聴率が本格的に悲惨なことになっている

テレビ東京視聴率が本格的に悲惨なことになっている

市場主義を喧伝してるテレビ局が、

まっさきに市場から撤退すべきな皮肉

テレビ東京視聴率 2010/11/25(木)

*0.*% 05:10-05:40 TX__ てれとshop Morning

*0.4% 05:45-06:00 TX__ Newsモーニングサテライト1部

*0.6% 06:00-06:40 TX__ Newsモーニングサテライト2部

*0.7% 06:45-07:05 TX__ おはスタ1部

*1.7% 07:05-07:30 TX__ おはスタ2部

*1.1% 07:30-08:00 TX__ たまごっち!

*0.4% 08:04-08:56 TX__ ものスタMOVE

*0.6% 09:00-09:27 TX__ E morning1部

*0.5% 09:27-11:00 TX__ E morning2部

*0.7% 11:00-11:25 TX__ E morning3部

*1.1% 11:30-12:25 TX__ グッドチャンネル韓国ドラマフルハウス

*0.1% 12:30-13:25 TX__ 7スタBratch!

*1.6% 13:30-15:30 TX__ 午後のロードショー・庶民派邦画特集赤い文化住宅の初子

*0.9% 15:35-16:00 TX__ NEWS FINE1部

*1.0% 16:00-16:52 TX__ レディス4

*0.7% 16:52-17:20 TX__ NEWS FINE2部

*0.3% 17:20-17:30 TX__ 太陽と緑の健やかタイム

*0.4% 17:30-18:00 TX__ 爆丸アンコール

*2.1% 18:00-18:30 TX__ ソウルイーターリピートショー

*3.6% 18:30-19:00 TX__ ピラメキーノ

*3.5% 19:00-19:58 TX__ NARUTO疾風伝

*7.3% 19:58-21:48 TX__ 空から日本を見てみよう

*4.3% 22:00-22:54 TX__ カンブリア宮殿

*3.6% 23:00-23:58 TX__ ワールドビジネスサテライト

*3.2% 23:58-24:53 TX__ バラエティ7neosports/くだまき八兵衛

*1.4% 25:00-25:30 TX__ 美女学

*0.8% 25:30-25:45 TX__ Tokyoマヨカラ!

*0.*% 25:45-26:15 TX__ MAKE UP REVOLUTION

*0.*% 26:15-26:45 TX__ 伝説の勇者の伝説

*0.1% 26:45-27:00 TX__ A×A

*0.3% 27:05-27:35 TX__ 良品セレクション

*0.*% 27:40-28:35 TX__ てれとshop

2010-08-15

CASSHERN~なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 単に、紀里谷和明監督への嫉妬か、妬み・嫉み・恨みなのか。

 しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督リアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。

 つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。

  CASSHERNは、人間感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)

 CASSHERNクリティカルさというのは、そう、ブライセリフに集約されている。

「つまり、憎しみとは、人間也!」

 さらに、キャシャーンキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味モノローグを語っている。

人間の性は、悪だ(人間性悪説

人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)

 これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説ベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。

 しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間

「憎しみとは、人間也!」

 というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画テーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。

 このテーマを容認できない人にとっては、監督独善、ということになるのだろう。

 

 さて、この映画は、キリスト教的な救世主の受難を描いている。

 伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。

 しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。

 しかもキャシャーン抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこ映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。

 最後に鉄也は戦場で犯した自らの罪業を認識して、懺悔する。

 が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。

 では、鉄也の懺悔無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画テーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズ「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。

 さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエスキリスト物語を髣髴とさせる。

 だから、キリスト教圏では、この映画日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。

 過去に、日本アニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジ救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジ人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。

 もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオ誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。

 ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画ひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。

 80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹逮捕ホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画システムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画とりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。

 無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というそ姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的プロレスファンは旧来のプロレスシステム破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。

 従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターカリスマ化していく作品としては、「最強伝説黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。

 すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。

 僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERN賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。

 そしてこの映画テーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。

 このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的能力が皆無なので……。

(04/5/1 本田

2010-07-23

本当に恋愛ってセールスに必須なのかね

昨年、洋画邦画ひっくるめて興行成績1位はルーキーズ

ご存知の通り、男同士の熱いぶつかりあいと友情だけで出来ていて恋愛蚊帳の外

キスセックスレイプ妊娠堕胎も出てこないけど多くの人が熱心に見てお金を払った。


恋愛が売れる」とか

恋愛を入れないでモノ作るのは危険」だとかは

そういうのしか作れなくなった能力の低い思考硬直者のたわ言であって

実際はもうみんな恋愛要素なんてウンザリ食傷してるんじゃないだろうか?


個人的にも恋愛なんかよりは男の諍いや和解や友情の方がよほど胸に迫るのだけど。

家族愛なんかでもいい。

他に幾らでも感情に訴えてセールスも稼げる要素はある。

馬鹿と無能が恋愛恋愛、もう大して売れてもいなくなっても

他のこと出来ないから恋愛恋愛

2010-03-20

ttp://twitter.com/esehara/status/1146297949

地方から美大へと入学するために上京して、憧れの映画監督握手しただけでドキドキするような女の子が、同じ美大で実家東京女の子サブカル有名人とどれだけ寝たか自慢をされて、自尊心が引き裂かれて何かが覚醒し、マシンガンを片手に颯爽と東京サブカル破壊して回る映画邦画界には必要。

2010-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20100310135937

で、その頃の洋画の大作に匹敵するくらい

国内で売れてる洋ゲーってある?

逆に、邦画全盛時代、

マリオゼルダ程度でも

海外に行って売れた邦画ってある?

http://anond.hatelabo.jp/20100310140051

うん、それは知っているよ。00年代に入ってようやく持ち直したんだよ。それまでの邦画イメージって、どんなだったか覚えている?

そのうち日本ゲーム業界映画業界のようになるのではないだろうか

最近洋ゲー和ゲー論争やその周辺をみていると、そんな気になる。

http://www.eiren.org/toukei/data.html

これをみてほしい。映画の興行収入データの推移。かつて、映画は娯楽の王様だった。スクリーンの数は今の何倍もあった。黒沢、小津、溝口と世界的な評価を受ける監督がひしめいていた。世界的にも映画大国だった。

ところが、テレビの普及もあってスクリーンが急減する。70年代くらいからは入場者数も減っていく。単価の上昇もあって収入は増えるが、結局80年代に入り収入も減り、90年代には完全に下火になる。

一方で洋邦比率もみてみると、50年代60年代はまさに邦画全盛期だったが、70年代に逆転し始めて、90年代には何とも洋画が70%近くになる。僕はこの頃高校から大学で過ごしていたが、周囲の雰囲気を見ても「邦画なんて見るものじゃない」だった。この頃の人に映画について聞いてみると、好きな映画はことごとく洋画でしょう。個別の推移を見ると、飛び抜けて収入を稼ぐ邦画があるものの、全体としては洋画が中心。

例えば、入場者数が最低を記録した96年前後の洋邦比率はを見ると、

  • 1994 邦40.1 洋59.9
  • 1995 邦37.0 洋63.0
  • 1996 邦36.3 洋63.7
  • 1997 邦41.5 洋58.5
  • 1998 邦30.2 洋69.8

というもの。

実際の中身をみてみると、

という感じ。

その頃の邦画イメージなんて

なんてものだった。まさに今のJRPG批判と一緒。

あと10年もすれば、日本におけるゲームなんて「わざわざ一万も二万もする、ゲームしかできない機械なんて買わない、スマートフォンで良い」「和ゲーはありきたりでつまんない」「洋ゲーの派手な演出の方がなんだかんだで金かかっているし、面白い」という評判になって、ゲームをやるとしたら「とりあえず任天堂」か「洋ゲーローカライズ待ち」なんてことになるかもしれない。

だから、まさに映画70年代から80年代差し掛かっている今この時点で上を目指せないゲーム会社は、早晩ダメになるし、日本市場のためにも良くない。今は、宮本茂黒沢明堀井雄二小津安二郎でいてくれるけど、その後継者日本海外で成果をあげられなくなったら、衰退して、ジリ貧になるね。海外指向を非難するユーザーらも同罪。別につまらないゲームは無理にやらなくてもいいけど、非難するのは意味がない。

個人的な感覚では、iPhoneゲームが既にそうなっている。一部の大手が既存の資産を投入しているけど、やっぱりアメリカ会社で作ったゲームの方がよくできている。日本発もそれなりだけど、続けるだけのモチベーションのあるものが少ない。「日本ではiPhone市場が...」なんて言っている間にアメリカ発、場合によっては中国韓国発のゲームがどんどん質を向上させている。収益方法も無料スタートでその後利益をあげる仕組みも整っている。Facebookとか使って利用者を根付かせる方法も確立している。

これで仮にiPhoneがもっと普及して、市場として本腰入れたいと思った頃には、とっくに参入余地がなくなっているよ。まあ、既に日本でも100万台とは言われているけど。

なんで、ゲーム会社クリエイター、そして利用者も今の日本ゲーム業界が置かれている時代をもうちょっと自覚するべき。まあ、もしかすると、もう遅いのかもしれないけどね。

2010-03-05

2010 第33回 日本アカデミー賞

空気人形」のペ・ドゥナよかったんだけどなー。

まあ、他の主演女優賞の映画みてないからなんともいえないんだけど。

個人的によかった去年公開された邦画は「ディアドクター」、「空気人形」、「愛のむきだし」あたりです。

サマーウォーズ」はまだみてないよ。

みんとねー。

【受賞者一覧】

◆最優秀作品賞:『沈まぬ太陽

◆最優秀アニメーション作品賞:『サマーウォーズ』(細田守監督

◆最優秀監督賞:木村大作『劒岳 点の記』

◆最優秀主演男優賞:渡辺謙沈まぬ太陽

◆最優秀主演女優賞:松たか子/『ヴィヨンの妻桜桃タンポポ~』

◆最優秀助演男優賞:香川照之/『劒岳 点の記』

◆最優秀助演女優賞:余貴美子:『ディア・ドクター

◆最優秀脚本賞:西川美和/『ディア・ドクター

◆最優秀音楽賞:池辺晋一郎/『劒岳 点の記』

◆最優秀撮影賞:木村大作/『劒岳 点の記』

◆最優秀照明賞:川辺隆之/『劒岳 点の記』

◆最優秀美術賞:種田陽平・矢内京子/『ヴィヨンの妻桜桃タンポポ~』

◆最優秀録音賞:斉藤禎一・石寺健一/『劒岳 点の記』

◆最優秀編集賞:新井孝夫/『沈まぬ太陽

新人俳優賞:

岡田将生/『ホノカアボーイ』『僕の初恋をキミに捧ぐ』『重力ピエロ

水嶋ヒロ/『ドロップ

溝端淳平/『赤い糸

渡辺大知/『色即ぜねれいしょん

榮倉奈々/『余命1か月の花嫁

志田未来/『誰も守ってくれない

平愛梨/『20世紀少年<第2章>最後の希望』、『20世紀少年<最終章>ぼくらの旗』

◆最優秀外国作品賞:『グラン・トリノ』(配給:ワーナー・ブラザース映画

◆協会特別賞:羽田澄子(記録映画作家)、帆苅幸雄音響効果)、松下潔(背景)、松田孝(衣装

会長特別賞:故 中岡源権(照明)、故 松林宗惠(監督)、故 村木与四郎(美術

会長功労賞:三國連太郎西田敏行/『釣りバカ日誌シリーズ

◆協会栄誉賞:故 森繁久彌俳優

◆話題賞俳優部門:綾瀬はるか/『おっぱいバレー

◆話題賞作品部門:『アマルフィ 女神の報酬

2010-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20100125221824

逆じゃないよ。邦画が見られるようになったのはテレビ局主導でCMバンバン打つようになったから。

現に年間ランキングを見れば、上位に入る邦画はぜんぶテレビドラマ劇場版テレビ局出資映画

ちょっとは調べてからモノを言うように。はてなってこういう「自分論理的に考えられてる」って思い込んでるアホが多すぎる。

お前がいくら人生刻んだって常に死を覚悟して生きてる俺にはとうてい適わないよ。

それとも完膚なきまでに論破されたのがそんなに悔しかったのか?

日本人洋画を観なくなったたった一つの理由

世界でもっとも注目されている日本人プロデューサー

だとか自称する一瀬隆重とかいう人間ブログでアホを晒してたので引用する。

スタジオジブリ雑誌「熱風」の取材を受ける。テーマは「日本人はなぜアメリカ映画を観なくなったのか」。

シネコン普及によって映画館お茶の間化したこと、日本映画を金儲けの道具にできる方法を見つけたことでテレビ局芸能プロダクション映画シフトしたこと、アメリカ映画の企画が保守的になりすぎて飽きられてしまったこと、日本映画バブルスパイラルによってアメリカ映画の切り捨てに拍車がかかったことなど、いろんな原因が複合的に絡み合っているのだが、そのひとつインターネットによって情報が(多くの間違ったものを含めて)氾濫していることではないか。実体験することの意味が薄れ、人は何でも知っているつもりになっている。過多に情報が流れているものやすぐに手に入るものでない限り、好奇心を持たなくなってしまった。


浅田彰も言うようにシンプルに語れる問題を婉曲的に長々と語るのはアホのすることなのでアホで合っている。

日本人はなぜアメリカ映画を観なくなったのか」だって?

こんなの一言で片付けられる。「洋画より邦画CMが増えたから」。以上。

一瀬くん、キミは大したことない人間なので映画界のためにも今すぐキミが今請け負っている仕事を全部私に譲りなさい。

2009-12-25

お笑いオタがまた発狂してて意味がよくわからん

M-1決勝で笑い飯が、チンポジネタを披露したことに何か意味を見出そうとしてる連中は病気か?

笑い飯は面白いよ、2002年の初登場時の衝撃は凄まじかったし、2003年の前年を踏まえた上での進化は凄かった。

今年の鳥人ネタセンセーショナルを巻き起こして、みんな大好きだし、僕も好きだし、あの紳助も100点をつけた。

みんな笑った、お笑いオタも笑った、お笑いがよくわかんない人は首をかしげたかもしれないけど、それはしょうがない。

漫才やら芸人さんってのは、お笑い好きの連中が見て喜ぶジャンルの娯楽なんだから。

そして、そういうのを見て喜ぶ層ってのが結構いて、まぁそういう人らのために番組が作られるくらいにはマスなんだから。

で、笑い飯の二個目のネタがあんまり振るわなかったことに対して色々と意見がある人がいるらしい。


いやさ、普通にあんまりよろしくないネタ披露してちょっと滑って優勝できなかった、以上の意味あんの?


実はM-1とは、一番面白いお笑いを決める場ではなく、競技であったのだ!!!

とか、いまさら指摘して悦に入ってどうすんの?

そもそも4分ルールって時点で、ナイツの本気のネタは封印されるわけだし

さらに言えばコント主体のグループはその土壌にすら立てないんだし、

ってかMって漫才のMだし、結成して10年以内(色々抜け道はあるらしいが)のコンビが、4分漫才して

審査員達をいかに満足させるか、ってのは決まり切ってる話じゃなかったの?


日本で一番面白い人間を決めまショーじゃないのは、M-1第一回大会からしてそうでしょ。

あくまで4分間の漫才で、その日一番あの歴々たる審査員が一番納得する漫才する人らを決めましょう、じゃん。


そこを意図的に混同してんのか、わざと馬鹿の振りして無視してんのか知らんけど

「俺が面白いと思ったコンビあるいはグループがトップじゃないのはおかしい!」って

屁理屈こねくりまわして、自分自身のセンスをどうにか肯定させたがる人間はなんなの?


そういう人らがどうすりゃ満足して納得すんのかわかんない。

ついに究極的に、客観的には面白かったパンクブーブー、とか言い出すし。

それってすごい大衆的に面白くて、みんなが笑った素晴らしいコンビ、って意味でしかないと思うんだけど。


まぁさ、こういった個人の主観が介入しまくる、あるいみ芸術的なジャンルを100点制で点数つけることに対する異議

みたいのはわからんでもないのよ

オリンピックフィギュアって、芸術点とかいう素人には解りづらい範囲で採点されてて納得できない!みたいな


でもさ、そこはもう「そういうもんだ」って納得するしかないじゃん

それ言い出したら、究極的には、国民投票しかなくなるけど

それしたらしたで「単なる人気投票」とかまたケチつけるわけでしょ。


M-1は、とりあえず大衆が納得する程度には説得力のある「審査員」が、100点満点方式で点数をつけて優劣を競う競技である、

というのは、第一回大会地方素人共が暴走したクッソみたいな審査で迷走していた、ってのをぬかせば

共通しているわけで、そこに今さら鬼の首とった様に文句つけて

ニッチお笑い通ぶってる連中がケチつけてもしょうがないと思うんだけどねぇ。


お笑い通は、お笑いに詳しいだろうし、人一倍お笑いを愛してるんだと思うよ(とはいえ、M-1以外漫才を見ない、とか偉そうに宣言してた馬鹿もいるけど)

でもさ、それはもうメジャーな視線じゃないって理解しようよ

オリコンランキングにいちいち文句つけてる洋楽オタか、

あるいは邦画にいちいちケチつけないと気が済まない、ハリウッド信者みたいなズレを感じずにはいられんわけよ。


だからってパンクブーブーメジャー売れっ子になって、笑い飯が評価されないかつったらそうでもないわけでしょ。

君らお笑いオタの、俺ってば本物を愛してるから、って連中に愛されてるならいいじゃん

お前ら本物好きが、本物が超メジャーになって、馬鹿オモチャ(笑)になるのが耐えられんのかよ、って思うわ


笑い飯信者は、笑い飯が(信者的に)適切な評価を受けて、はんにゃや一時期のオリラジみたいになっても、また文句言うんだろ

どこの番組に行ってもMCに「ほなら、あのWボケやってみてーなw」って振られて、軽くネタやるみたいな状況にしたいんかっての

それはそれで、お笑いオタとしちゃ許せないんだろ?

ほんとめんどくせぇ病気だなぁ、と思うわ


亀田人気に文句言う長谷川ファンみたいな状況が、自分らも一番居心地いいって知ってるはずなのになぁ

アングラー(笑)で、俺だけが知ってる!俺たちの笑い飯!がどうなら満足すんの?

メジャーになって、知りもしない歌手バンドと絡む笑い飯が見たいの?

鬼の首とったように「見たいです!」とかレスポンスするやつがいそうだなぁw

本気でわからん。僕も笑い飯好きだからこそわからん。どうすりゃ満足なんだろう

あと、俺の語彙の貧弱さっぷりもすごいな、と読み返して思ったがどうでもいいや。山ちゃんにはなれないなぁ





※12/27の、誰も読まないだろうけどの追記。(どーせはてぶって好き勝手捨てコメするだけの場所なんだろ)

後出しジャンケン乙、って言われるのはもう分かり切ってるけど

同じ穴の狢だの、野暮だの、見えない敵云々だのは、ようわかる。

お笑いを語る、って時点でそういう土俵に立っちゃうわけだもんな。

「単純に笑えよ!」といいながら、お互い小理屈をこねくり回す、と。

笑えといいながら、笑わずに真面目ぶって、なんか人文崩れみたいな文章をこねくり回すしょうもなさね。

解るんだよ、それは。アホヅラさげてばっかみたいにアハハ、アハハって笑うのが大正解、ってのはわかるよ。

ただ、立脚点が違うよ。

相手は、つまんなかったもんを「面白いと思え!これが正解だ!!」つってて

僕は、つまんなかったもんを「つまんなかったよね」つってるだけ

その、つまる・つまらないの定義は知らんけど、僕は別に正解を求めてるわけじゃないし好きにすりゃいいよ

見えない敵がどーとか、おっしゃってた人がいらっしゃいますけれども

スゲェ単純に、チンポジネタ笑い飯がしかけたことに意味見出したがるヤツが「敵」だよ。

あれを当人らが面白がってたに違いないから、俺と一緒にみんなもあのチンポジネタを評価しろ!ってヤツが「敵」だよ

だって、あれつまんなかったもん。

俺にセンスないの?でも、あれつまんなかったよ?全然笑えなかったし。

笑い飯自体が俺に合わないとか?

でも、鳥人ネタは超おもしろかったと思うけど?

なんか文句あんの?俺に笑いのセンスがないとか?

そこまで、あなたに心配して貰う必要ないんだけどなぁ。

鳥人ネタの面白さはようわかったよ、凄いね笑い飯って。

でもさ、二本目のネタいまいちだったじゃん。なんかあんまり笑えなかったよ

あ、やっぱり、審査員もそういう評価なんだ。あー、よかった、俺も間違ってなかった。

笑い飯はすげぇ面白いネタも持ってるけど、残念ながら、決勝じゃネタチョイスミスって、失敗したんだなぁ。

また来年以降がんばってくれるといいなぁ。なぁ

ってんだけど、これ、なんか間違ってるの?

ま、お笑いオタでお笑い愛に満ちてる人らは頑張って僕らを啓蒙してくださいよ。

尖っててセンシティブクールお笑い世界が訪れるとよいですね。

その時には、逆に僕が危険思想の持ち主として、牢獄に繋がれる運命なんでしょうけどねw

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