はてなキーワード: 黒沢明とは
Q.ファーストコンタクトを扱った映画を列挙して。
A.ファーストコンタクトを扱った映画は、SFジャンルの代表的なテーマの一つです。以下にいくつかの例を挙げてみます。
「2001年宇宙の旅」(1968年) - スタンリー・キューブリック監督の名作で、異星人とのファーストコンタクトを扱ったSF映画の代表格として知られています。
「E.T.」(1982年)- スティーブン・スピルバーグ監督の名作で、地球外生命体と少年エリオットとの交流を描いたヒット作です。
「コンタクト」(1997年)- ジョディ・フォスター主演のSF映画で、異星人とのファーストコンタクトを扱った作品です。
「インデペンデンス・デイ」(1996年)- ローランド・エメリッヒ監督のヒット作で、地球外生命体の襲来と人類との戦いを描いた映画です。
「ワープロ」(1999年)- アキラ・クロサワ監督の作品で、異星人とのファーストコンタクトを通じて人間の心理を描いた映画です。
「アライバル」(2016年)- ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の作品で、謎の異星船が地球に降り立ったことから始まる、異星人とのファーストコンタクトを描いた映画です。
これらは、ファーストコンタクトを扱った映画の中でも代表的なものの一部です。
A.「ワープロ」は、1999年に公開された日本のSF映画です。監督は黒沢明(クレジットは「アキラ・クロサワ」として表記)で、主演は松隆子とリリー・フランキーが務めています。
この映画は、異星人とのファーストコンタクトを描いたSF作品で、異星人が送ってきた謎の文字を解読するため、主人公の女性研究者が「ワープロ」を使って翻訳を進めていくというストーリーです。
映画は、SF映画としては珍しく、異星人との接触シーンがなく、翻訳作業に主眼が置かれています。また、黒沢明監督の晩年作品であり、映像や音響に重厚なものが多く、哲学的な要素も含まれています。
ハリウッドと日本なんてパクりパクラれが最も激しい関係だから。
ジョージルーカスは日本の黒沢明の時代劇のようなチャンバラ映画が撮りたくてスターウォーズを撮った。だから「ジェダイ」っていうのは時代劇の「時代」をもじってるんだよね。
それまで映画で(ハリウッド映画じゃなくても)あんなに剣をぴゅんぴゅん振り回して戦うのなんて日本の時代劇しかなかったわけ。だから「ジェダイの復讐」の冒頭で砂漠を歩くR2D2とC3POってのは「隠し砦の3悪人」の冒頭と同じシーンなんだね。
で、この剣がレーザーになってるやつすげーいいじゃんということで「機動戦士ガンダム」にはビームサーベルというのが登場する。
「宇宙刑事ギャバン」もレーザーブレードという名前であの剣をパクるんだけど、その宇宙刑事ギャバンは「ロボコップ」というハリウッドのパクり作品を生む。ロボコップはライダーマンも混じってるんだけど。
ということがとんでもない数あって、その辺をまとめて「パクりの系譜」を書いた本もある。
http://img01.hamazo.tv/usr/iij/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8F%EF%BC%92.jpg
最近の洋ゲー和ゲー論争やその周辺をみていると、そんな気になる。
http://www.eiren.org/toukei/data.html
これをみてほしい。映画の興行収入データの推移。かつて、映画は娯楽の王様だった。スクリーンの数は今の何倍もあった。黒沢、小津、溝口と世界的な評価を受ける監督がひしめいていた。世界的にも映画大国だった。
ところが、テレビの普及もあってスクリーンが急減する。70年代くらいからは入場者数も減っていく。単価の上昇もあって収入は増えるが、結局80年代に入り収入も減り、90年代には完全に下火になる。
一方で洋邦比率もみてみると、50年代60年代はまさに邦画全盛期だったが、70年代に逆転し始めて、90年代には何とも洋画が70%近くになる。僕はこの頃高校から大学で過ごしていたが、周囲の雰囲気を見ても「邦画なんて見るものじゃない」だった。この頃の人に映画について聞いてみると、好きな映画はことごとく洋画でしょう。個別の推移を見ると、飛び抜けて収入を稼ぐ邦画があるものの、全体としては洋画が中心。
例えば、入場者数が最低を記録した96年前後の洋邦比率はを見ると、
というもの。
実際の中身をみてみると、
という感じ。
なんてものだった。まさに今のJRPG批判と一緒。
あと10年もすれば、日本におけるゲームなんて「わざわざ一万も二万もする、ゲームしかできない機械なんて買わない、スマートフォンで良い」「和ゲーはありきたりでつまんない」「洋ゲーの派手な演出の方がなんだかんだで金かかっているし、面白い」という評判になって、ゲームをやるとしたら「とりあえず任天堂」か「洋ゲーのローカライズ待ち」なんてことになるかもしれない。
だから、まさに映画の70年代から80年代に差し掛かっている今この時点で上を目指せないゲーム会社は、早晩ダメになるし、日本の市場のためにも良くない。今は、宮本茂が黒沢明、堀井雄二が小津安二郎でいてくれるけど、その後継者が日本、海外で成果をあげられなくなったら、衰退して、ジリ貧になるね。海外指向を非難するユーザーらも同罪。別につまらないゲームは無理にやらなくてもいいけど、非難するのは意味がない。
個人的な感覚では、iPhoneゲームが既にそうなっている。一部の大手が既存の資産を投入しているけど、やっぱりアメリカの会社で作ったゲームの方がよくできている。日本発もそれなりだけど、続けるだけのモチベーションのあるものが少ない。「日本ではiPhone市場が...」なんて言っている間にアメリカ発、場合によっては中国、韓国発のゲームがどんどん質を向上させている。収益方法も無料でスタートでその後利益をあげる仕組みも整っている。Facebookとか使って利用者を根付かせる方法も確立している。
これで仮にiPhoneがもっと普及して、市場として本腰入れたいと思った頃には、とっくに参入余地がなくなっているよ。まあ、既に日本でも100万台とは言われているけど。
なんで、ゲーム会社、クリエイター、そして利用者も今の日本のゲーム業界が置かれている時代をもうちょっと自覚するべき。まあ、もしかすると、もう遅いのかもしれないけどね。
大学の授業で、映画論を学んでいたんだが、そこで先生がよく問いかけていたのは、
青春時代から20歳あたりまでのピークを頂点に下り坂に入る山形なのか、
もしくは生まれた瞬間から下り坂なのか、ということだった。
(イメージ図を入れようと思ったんだが、いろんな壁に阻まれて断念)
これが主題ってわけじゃなかったんだが、こうした考え方も踏まえて
デイヴィッド・フィンチャーの「ファイトクラブ」とか「ゲーム」、
デイヴィッド・リンチの「ワイルド・アット・ハート」とかいろいろ観た。
(きょう公開のフィンチャーの「ベンジャミン・バトン」なんか、まさにドンピシャなテーマ)
自分なんかは、華やかな青春時代を経験したわけでもなく、色恋沙汰に現を抜かしたわけでもなくて
人生のピークって言われてもいまいちピンとこなかった。だからか、自分の経験でいえば人生平坦、
もしくは、自分の苦手分野をつぶしていくっていう後ろ向きな前進みたいな生き方からゆるやかな
上り坂なんじゃないかと思っている。
授業を受けていて思ったのは、人生お先真っ暗な人生観がメジャーな考え方なのか?ということだ。
先生の個性が大いに発揮されていた点も影響あるだろうが、その映画を観た後の学生から寄せられるエッセイも
どれも暗澹たる思いを滲ませた文章が並べられていたんだが、多くの人は人生は下るものだと思ってるのか?
そうした思いを持ちつつ授業を受けていたわけだが、まあ、そんなの個人の感じ方の問題であって自分が
どう思うって主張したところでなんもならないんで、特に何もせず放っておいた。
で、なんで今この文章を書いているかっていうと、今さっき父ちゃんがテレビで黒沢明の「七人の侍」の
ラスト場面を観てて、
「この終わり方がすごい。洋画(「荒野の七人」しかり)では、真似できない黒沢のすごさだ。」
みたいなことを言ってて、はっと思ったからなんだ。(ちょっと乱暴だけど洋画=ハリウッド映画な)
「そうだ、洋画はいつも尻すぼみなんだ」
と、ひとりごちたわけなんだ。
けど、黒沢的なすごさとは全く違った凄さで、ある意味投げ出した感じの終わり方なんだ。
もちろん、それだけで映画全体の評価にする気は毛頭ないんだが、なんかあまりにも最後が雑だなあと
気付かされたんだよな。どこがどうなんだっていう解説はめんどくさいからしないんだが、
映画を観たことある人は、「ああ、あれね」と思ってもらえるんじゃないかと思う。
で、それがどうしたって・・・?
自分でもいろいろ考えて書いてたうちに、よう分からんようになってしまったんだが、
要はカタルシスとかドラマチック要素を求めすぎる現代社会の風潮と、
ピーク型とか下り坂型人生観に、なんか類似性があるんじゃないかなあってこと。
へー( ゚д゚)