はてなキーワード: 聡明とは
元増田の意見は「ポルノにも、悪影響の度合いがあるのに、その影響度合いが議論されずに一律でR-18になってる」という事ですよ。
ポルノの悪影響は痴漢やレイプ、ドラッグなどの社会的に危険な行為も含まれますし、妊娠のリスクや衛生リスクなどを度外視した身体的に危険な行為も含まれますよ。
「ポルノにもレイヤがあるのに、現状はポルノという一点で括られている事。そして子供がポルノを求めた場合にはドラッグもレイプも中だしもコンドームを付けたセックスもペッティングもヌードも全部に同じようにアクセスできてしまう事」
これを問題にしてるんですよ。
子供が「異性の裸を見たい」と望んでポルノコンテンツにアクセスしたら、そこにはもう中だしセックスの動画が転がってるわけですよ。それが問題なんですよ。
これだと意味がないって話ですよ。問題を理解できてないのはあなたのほうですよ。
今のような単なる「一律のポルノ禁止」じゃ意味ないんですよ。子供には性欲があるんですよ。だから子供はレーティングを飛び越えてしまうんです。そしてそこにはドラッグもレイプも中だしもヌードも同じようにアクセスできるんですよ。現状「ポルノにアクセスする/しない」という構造でしか作られてなくて、「ポルノにアクセスする」を選んでしまったら、もうそこには子供を守る構造がないんですよ。
だから、ワンクッションとして「子供がアクセスしても安全なポルノ」を子供たちと一緒に決めましょうよ。子供の性欲がある前提のデザインを考えましょうよ。子供にも性欲があることを認めて、それを尊重しましょうよ。
そりゃ子供の妊娠は問題ですよ。でもそれを理由にポルノを一律禁止するんじゃ意味ないんですよ。ポルノを禁止するのは結果として子供を守らないって元増田は言ってるんですよ。
子供は性欲があるからポルノにアクセスするんですよ。あなたが禁止してもネットでポルノコンテンツにアクセスしますよ。ネットを禁止したら友達から雑誌を借りますよ。ポルノを見せてくれる大人と連絡を取る事だってあり得ますよ。
「私が書いていないことで人を馬鹿にするのは失礼」と批判する前に、書かれてることを読みましょうよ。
あなたのような人が大人の面して、元増田みたいな聡明な子を馬鹿にしてるの、はっきり言って恥ずかしいですよ。あなたみたいな大人が「ポルノは危険だから禁止」って言っても子供は「また子供だからダメって言ってるよ」くらいにしか思いませんよ。子供を、年齢にかかわらず人をリスペクトしましょうよ。人の意見を尊重しましょうよ。抑えつけるんじゃなくて尊重して、子供を守ることについて子供と一緒に考えましょうよ。
ごきげんよう皆の衆。
あんな繊細な料理そこらへんの野山を駆けてる野生の豚に作らせても失敗せんやろと思ったそこの貴方!
甘いですね、我々は豚以下の存在なんです。そのへんをよくわきまえてください。
聡明な方は初見で気づいたかもしれませんが、スライスチーズであることが肝なんです。
思い出してください? ウインナーは迂闊にチンすると爆ぜますね?
それを防ぐのが上に被さるように配置されたチーズ。まさに繊細。
おうちにピザ用のシュレッドチーズしかありませんわ、オホホ、とか言いながら優雅にチンすると死にます。
まだ時間を少なめにして慎重にチンするのでしたら首の皮一枚で、いやウィンの皮一枚でつながってる可能性も無きにしもあらずですけれども。
ちなみに罪に合うのは酒と思われがちですが違います。
いいじゃないですか。パンで酔っても。
どうせ罪を作ろうとしてる時点でもう前後不覚なんですよ。
お分かりになりましたか?
昨日、中学生の姪のおチビと本屋に行ってきた。お互いに買いたい本があり、それを見付けた後、特に目的も決めずに活字のコーナーを眺め歩いた。
あぁこれ気になる、とひとりごちる姪に、買ってみたら? と言うと、お小遣いには限界がね、と苦笑《にがわら》った。その言葉で自分の若い頃を思い出し、そうだね中学生の時は私も迷いながら買っていたよ、と笑って返した。そのうち図書カードをあげたいな、と思った。
帰り道、私は運転席、姪は助手席で、買ってあげたサーティワンのアイスクリームを頬張る姪を時折横目に見ながら、取り留めもない話をした。大雑把に言うと、人生について、みたいな流れになっていた。姪は姪なりに、話を聞いてくれていたようで、時折頷いたり、どうなんだろう? と首を傾げたりしていた。
私の悪癖の中に、会話の中に心惹かれるキーワードを見付けると、前後を遠慮なく無視してそちらに舵を切ってしまう、と言うのがある。それは誰と話している時も例外なくそうで、自分でそれに気付けないと、会話している間中、延々と何度となく脱線を繰り返す。最終的に起点を見失い、結局何を言いたかったのかを忘れてしまう。
自分がそう言う性質《たち》だと気付けたのは、聡明な年上の友人が指摘してくれたからだった。話が違う方に行っているよ、とある日窘めてくれた。その時までそれを知らずに来たから、とても驚いたのを覚えている。
そして、教えてくれた事に感謝の気持ちが生まれたけれど、未だにその癖《へき》の修正方法は分かっていない。
昨日もそれは変わらずで、暫く話した後、全く違う方向に話がいってしまっている事に気付いた。気付いて、とても深い後悔をした。
今みたいに、話の途中で脱線しちゃう事が、私はすごく多いの。ちゃんと考えて話しているんだけど、どうしてもそうなってしまう。今も、話がとっ散らかったよね。ごめんね。
素直に謝った。姪は、少し考える間を作ってから、うんそう言う感じだった、と私の横でちょっと笑ったらしかった。
話、どこ行くんだろう? ってちょっとびっくりしたけど、大丈夫。
笑い声交じりにそう言ってくれた姪に、瞬く間に申し訳なさを感じ、その気遣いと優しさに心満たされるのを感じた。
私は姪の親ではないし、きっともうすぐ離れて暮らす様になる。
彼女に残せるものなんてなんにもないし、ある日にふわっとその目の前から消える事の出来る存在である事を願うほどだ。
ただ敢えて姪に伝え教えてやれる事があるのなら、私は私の人生の欠片を語って聞かせ、だから私のようにはなってはいけないよ、と伝えたい。
『早生まれの不利は大人になっても続く』という見出しの記事が最近話題になっていた。
高校入試の偏差値や所得にも影響しているという記事で、統計的に3月と4月で偏差値が約4.5違うというものだった。
6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長が109センチ。趣味はスーパーファミコンとドラゴンボールZのビデオ視聴。
好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。
すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校に不安を持っていた。
ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。
小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。
小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分は勉強が嫌いかも。という感覚だった。)
そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。
今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字の計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。
5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。
しかし学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生がクラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが
職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラスの勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。
当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。
そんなことを考えるものだから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。
体育。一番小さいサイズの体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。
夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。
学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。
今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。
ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。
顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。
恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。
得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。
もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。
そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と
割り算プリントにデタラメな数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミングで先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。
考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。
小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。
国語は漢字の覚えが悪く、社会科も47都道府県がいつまでも覚えられなくて居残りをした。
音楽も練習したつもりだったリコーダーのドレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術も風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。
4年生から始めたスイミングスクールの甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。
中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。
中学には水泳部に所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。
(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)
中学の運動会が自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。
1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。
夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。
毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。
夏組に割り振られた6月生まれはガッツポーズをして喜び、その学年の生まれの割合から冬組に割り振られた10月生まれは先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月生まれか4月生まれかの確認しあいっこが始まる。
秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。
秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。
運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらめムードの冬組がうなだれていた。
中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。
ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。
今から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。
きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)
高校は公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制の高校でマイペースにプリントを進め、コツコツとDTPデザインの勉強をした。
高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強をSkypeしながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。
通信制の高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。
正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。
もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては
適切な学習環境が必要なのではないか、と当事者の自分は思った。
ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生は自分と同じ誕生日の美しい先生だった。
聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。
すべての個人が賢明であろうとしなければ民主主義はポピュリズムに飲まれる衆愚によって破綻するから、俺はすべての人間に冷静かつリテラシーの高い振る舞いを習得してもらいたい。まずはインターネット上における深い呼吸術を身に着けてほしいのだ。キリッ。
そして何より、大きすぎる組織や人物というのは、得てして失敗するものなのだ。失敗したとしても、それを見つめる群衆一人ひとりが聡明であれば大きな問題にはならない。一番小回りが効くのは個人であり、個人という単位がすべての防波堤になっているのだ。個人のレベルで健全性が保たれている社会は頑強だ。だから有名人を叩くより、個人に釘を刺してみせる方が俺は有意義だと思う。
金儲けしたいヤツか目立ちたがりしか立候補しないから選挙で国が良くなるわけないんだよ。
一方国民も立候補者に銭ゲバと自分より無能なヤツしかいないことが分かっているくせに、自分の生活が大変とかお金ないとかどうせ勝てないとか言い訳して立候補もせず、とりあえず(無能しかいないけど)選挙に行こうとしか言わない無責任なヤツばっか。
結局みんな自分のことしか考えてないから国が良くなるはずがない。
そんなこと分かりきってるのに未だに国が、国が、って文句言ったりあてにしてる意味がわからない。
はてなに自己防衛おじさんのこと知らない人はいないと思うけど、最後は自己防衛おじさんの聡明なお言葉で締めようと思う。
「お金いっぱい欲しいんだったらさ、年金あてにしちゃだめじゃない」
「だから国なんかあてにしちゃだめよ」
小6の時に痴漢に遭った。
静かな住宅街で人通りはない。
蝉の声に混じって、背後からバイクのドッドッドッという音が聞こえてくる。
私の歩く速度と同じぐらいの速度のバイク。
近くでバイクを停めようとしているのかな?と思っていたが、視界の左端にバイクが入りこんできた。
さすがに違和感を覚えて隣を見たら、バイクに乗った20代と思しき男性が私の左胸をもみゅっと揉んだ。
驚きのあまり声も出ず、バイクが前方のY字路の右の方に走り去っていくのを呆然と眺める。
とにかく学校に行かなくては、と歩き始めてしばらくすると、今度はY字路の左の方から痴漢がこちらへ向かってくるのが見えた。
走って逃げても追いつかれるしどうしようどうすればと考えているうちに、痴漢は私の真正面にバイクを停め、私の胸にまたしても手を伸ばしてきた。
私はその手を払う。痴漢はまた手を伸ばしてくる。また払う、払う、払う、払う、払う…それを何度繰り返したかわからない。
鋼の錬金術師で、真理の扉から這い出てくる無数の手に”持っていかれる”シーンがあるけれど、この時の痴漢の手はまさにそんな感じだった。
どうしてそんなに胸が揉みたいのか、訳が分からなかった。
執着心が怖かった。
手が汗ばんでいる。
日差しがきつい。
木陰の葉っぱの模様が手の甲に浮かぶ。
蝉の声がうるさい。
震えながらも「やめろ!」と大きな声で叫んだら、痴漢はY字路の下の方へと逃げ去っていった。
机の上に置いてあった筆箱をわざと落とされたり、貸した消しゴムを全部使っちゃったと言って返してくれなかったり、通りすがりに肩をぶつけてきたり。
半年が過ぎたあたりで席替えがあり、彼の隣の席になってしまった。
他の子と席をトレードしているところを見かけたから、偶然ではない。
授業中もしつこく絡まれて最悪だったが、近くの席の女子が彼の発言に本気で怒ってくれて、その後彼は担任の先生にも叱られていた。
それからは関わることがほぼなくなったが、また別の男子による好きな子いじめに遭った。
ひとつひとつは些細なことだったが、さすがに半年以上続くと心がじわじわやられていく。
これが好きという感情によるものなら、一生誰にも好きになってほしくないと心の底から思った。
学年が変わる頃には、男性に性的感情はおろか恋愛感情を抱かれることすら嫌になってしまっていた。
学校の近くによく出没した、携帯電話を耳に当てながら自分の性器をいじっていたお兄さん。
電車で隣に座って寝たふりをしながら、膝上の鞄の下から手を伸ばして私の太腿を触ったおじさん。
自転車に乗って、下半身を露出させながら話しかけてきたお兄さん。
久々に会った時に急に胸を触ってきて、「小さいな」と言った親戚のおじさん。
男性だけが死ぬウイルスや毒が発明されないかなとか、男性全員の性器を刈り取って回りたいとか、とにかくこの世の男性全員死ねと思っていた。
男性に好かれないための弛まぬ努力を続け、私の中学・高校生活は終わった。
当時の私は人間がこの世をどう解釈してきたのかに興味があり、哲学や宗教、その他ジャンル問わずいろんな本を読みあさっていた。
男友達ができた要因はいくつかあるが、仏教思想に触れて精神的に落ち着いたことが大きい。
私に痴漢してきた男が、実際にその報いを受けるかどうかは重要ではない。
そう信じることで、自分以外の何かに託すことで、憎しみを手元に置いておかなくても済むのだ。
自分で裁かなくてもいいと気付いてからは、男性を攻撃する気持ちが薄れていった。
そして男友達のおかげで、私は男性に対する偏見や固定観念を少しずつ捨てることができた。
彼と将来の夢を語り合ったことを今でも覚えている。
それでも、駄目だった。
季節が一巡して、彼が私に恋愛感情を抱いていると知ってからの、拒絶反応はすさまじかった。
彼と姿かたちが似ている人を見かけるだけで、怖くて気持ち悪くて息が止まる。
これは男嫌いじゃなくて男性恐怖症なんだ、とその時になってやっと気付いた。
彼と直接話をすることはとてもできなかったので、手紙をしたためた。
昔痴漢に遭ったこと、男性に恋愛対象として見られることが怖いこと、これは私の問題で彼は何も悪くないこと、彼の幸せを願っていること、これから私は1人で生きていくだろうこと。
そうしたら手紙でお返事が来た。
私を責める言葉はひとつもなく、最初から最後まで優しさにあふれていた。
私の過去と現在を受け止めて、真っ暗な未来に蝋燭を灯してくれるような。
『これから先、笑って、泣いて、怒って、楽しんで、可能性は誰にでも平等だと思う。現実はこんなだけど、先は分からないよ。』
本当に誰よりも、私自身よりも信頼できる人だった。
だからこそ、それでも駄目だった、という事実が重くのしかかった。
大学を卒業してからは、夢だった職に就いて仕事に没頭している。
今では性別に囚われずに、人と関われるようになったと思う。
初対面の男性に対しては目が泳ぐこともあるけれど。
恋愛感情を抱かれても告白されても、もう男性に対して気持ち悪いとは感じない。
同じ気持ちになれなくてただ申し訳ないと思う、自分の変化に驚いた。
今でも、背後からバイクのドッドッドッという音が聞こえてくると、呼吸が乱れる。
自動販売機やポスト、誰かの家の前を通りがかる時などに、極稀にそういう場面に遭遇する。
その度に鞄を胸に抱えてやり過ごしては、私はまだ大丈夫ではないと思い知るのだ。
痴漢に遭うよりも前、好きな男の子とポケモン交換をして笑っていた私は、どこに行ってしまったのだろう。
私の中にあるはずの恋愛感情は、眠っているのか壊れてしまったのか、分からない。
それを自然なことだと信じて疑わない人たちは、さも不思議そうな顔で「結婚する気はないの?」と聞いてくる。
それ以前の段階で躓いてしまった私には、その選択肢すら頭に浮かぶことはない。
胸ぐらい揉ましてあげればいいじゃないか。
男女問わずそう言う人をこの目で見てきた。
それが生きる知恵だとでも言いたいのだろうか?
ただただ痴漢にとって都合がいいだけで、私やあなたを救いもしないのに。
これは胸とか尻とか、体の部位の問題ではない。
許可なく体を触ってもいい、自分の好きにしてもいい存在と見なされることが、どうしようもなく耐えがたいだけだ。
その手が今、偶然にも私に伸ばされていないだけだ。
自分で選んだ覚えもない人間という種に生まれて、人間扱いをされたりされなかったりする。
こんな馬鹿げた話があるか。
私も人間だ。
それだけのことがどうして難しい。
いっそ心ない畜生ならよかった。
命すらなくてもよかった。
私が痴漢に遭ったことも、私が生まれたことも、この世に溢れるたくさんの嘘のひとつなら、どんなにかよかっただろうに。
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この文章は性犯罪の被害者へのセカンドレイプが、今ほど問題視されていない頃(とはいっても数年前)に書きました。
当時投稿しなかった理由は、エイプリルフールに投稿しようと思っていたのに、エイプリルフールまでに書き終わらなかったからです。
次の年にはすっかり忘れていて、最近蝉の声を聞いて存在を思い出しました。
読み直していたら涙が出てきたので、もうこのまま当時の文章のまま、えいやっと投稿します。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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結局この人はどうしたいんだろう?どうなりたいんだろう?
どんな人にも、あの時こうしていたら、あの時ああしていなければ、などの過去のたらればがある(あった)と思います。
私の場合、最も頭の中で繰り返したたらればが、小6の時に痴漢に遭わなければ、だったのです。
でも時間は不可逆で、その願いが叶うことはないのだから、どこかで現実を受け入れる必要があります。
そのための行為が文章に一切合切吐き出すというもので、内容は自分が思っていた以上にどろどろしたものでした。
こんなの毒状態で生きてきたようなものじゃないか?と半ば呆れました。
増田に投稿したのは、客観的な意見を聞いてみたかったからです。
この文章は私にとっては私の半生ですが、結局主観でしかありません。
結果としていろんなコメントをいただけて、自分を見つめ直す良い機会になりました。
私は穏やかに暮らしていきたいです。そう言葉にした時に、今の暮らしはまさに穏やかじゃないか?と思いました。
今日は観葉植物の植え替えをして、ちょっと掃除機をかけて、ごはんを食べながら姫様拷問の時間です(ギャグ漫画です)の最新話を読んで、昼寝をして、仕事関係の勉強をして、この追記を書いています。
今は自粛中なので、時機を見てカウンセリングに行ってみようかなと思います。
学生の頃はお金がなくて、その選択肢が浮かんでは消えていました。
2人目も女の子だったから、増田ちゃんが生まれた時お父さんはパチンコに行っていた、と母から何回か恨み言を聞かされていました。
二次性徴が始まった頃、自分が父の望んだ男の子ではなく女の子であるという現実を突きつけられ、自分の性別をうまく受け入れられませんでした。
そんな折に痴漢に遭ったので、余計にショックが大きかったのでしょう。
余談ですが、私が高校生の頃、姉からブスというあだ名で呼ばれていました。おい、ブス!みたいな感じです。
母からお見合いの打診を受けたことをきっかけに家を出ましたが、まず家に問題があったなと今改めて思います。
因果応報でググってみましたが、確かに自分の都合のいいように独自解釈して歪めていますね。
少なくとも自己責任と同じように、他人に対して向ける言葉ではないと思いました。
ご指摘ありがとうございました!
私に痴漢した男性も、誰かにやられたダメージを私に返したのでしょうね。
男友達が私を許してくれた時に、私も私に痴漢した男性のことを許そうと思えました。
でも本当に許せているのか、今も自信はありません。
何百とスターが付いたとしても、そのスターを付けている人たちに、罵詈雑言ばかりのユーザーや、事実に基づかないor確認しないユーザー、党派性で動いている(党派性だけで機械的にスターを付けている)ユーザーが多いと、むしろそういう人たちから支持を集めているのかと思って、嬉しくないし、悲しい気持ちになってしまう。
一方で、わずか少数のスターであっても、聡明なコメントの多いユーザー、対象によってブレずに一貫して事実ベースで発言しているユーザー、客観的で冷静なコメントをしているユーザーからスターが付いていると、とても嬉しく感じる。
まず、以下の文書では「インセルから卒業する(しようとする)」事を仮に「良い事」だと定義します。
さて、今回あなたは不幸にも顔面偏差値が40以下のいわゆる「不細工」として生まれてきてしまいました。
両親の仲は悪く、あまり頭もよくありません。悲しい事に人に自慢できるちょっとした特技すら身に付けられませんでした。
同世代の異性からは邪険に扱われながらもすくすくと育ち、気がつけば30歳の誕生日を迎えます。
次第に、周囲とのコミュニケーションや恋愛を卒なくこなす同性や異性への不満を募らせます。
そんな中、あなたはインターネット上で強くシンパシーを感じるコミュニティに出会います。
そこでは恋愛やルッキズムに批判的なリーダーを中心として、異性に対する誹謗中傷が渦巻いていました。
あなたはコミュニティに向けて「今までずっと感じていたが、周囲から共感を得られなかった事」を吐露すると、想像以上の温かい同調が返ってきました。
今まで感じた事のない、未知の欲求が強く満たされるのを感じます。
あなたはついに精神的な拠り所、「居場所」と「仲間」を見つけたのです!
よかったですね。
しかし、あなたはここからこのコミュニティを卒業しなければいけません。
唯一無二の「居場所」を失うかもしれません。
あるいは、コミュニティに所属しつつ、「仲間」を裏切る形で影でコソコソ努力をするのか?
そんな度胸があったらもっとマシな人生を送れていたかもしれませんね。
とはいえ、同世代の異性や同性とは既に覆せないほどのビハインドが付いているのが分かります。
さて、ここからあなたが「インセル」コミュニティを効率的に卒業するために必要なものは一体何でしょうか?
答えはCMの後で!
はてなでも時折話題となる、マッドサイエンティストを崇拝し独自の道を歩み続けるアーティストである。
また、ツイ恥とは平沢進(以下「師匠」という。)が使う用語でTwitterへの投稿のことである。
師匠は水曜を除く毎日21時から22時にツイ恥と投下するのだが、昨日投下したのは以下の1つだけである。
https://twitter.com/hirasawa/status/1280471625805119489
URLを開きたくない方向けに説明すると、リゾート地らしい場所で夕焼け空と共に師匠の後ろ姿が写された写真である。
その後間もなく、この撮影場所が沖縄のリゾートホテルだとファン(以下「馬の骨」という。)によって特定された。
自分はこのツイ恥を受け、えもいわれぬ不安感と不快感に苛まれた。
新型コロナウイルスで世界中が騒がれる中、時期こそ不明だが旅行写真を上げるということ。
しかもそれが県をまたぎ、あまつさえ沖縄という離島のものであること。
(馬の骨なら既知であるが補足すると、師匠は先日無観客ライブを終えたばかりで、過去の例だとライブの後に国内逃亡と称してタイに旅だったり、近年では沖縄に旅だったりしていた)
もしかしたらこれは過去の写真かも知れないが、それなら何故そう書かないのか。
馬の骨の様子(表だった範囲)を観測すると、やれやれ師匠を擁護するような意見、自信の都合の良いように解釈した意見ばかりで疲弊した。
自分は「宛城でもしたいのか?」と不安でいっぱいだったが、そのように考える馬の骨は(表向きには)皆無らしい。
多数の馬の骨の感性が正しく、自分はそれこそ恐怖に包まれすぎているのだろうか。
それとも、やはり自分は正しく、師匠の行動及び馬の骨の賞賛・擁護はおかしいのだろうか。
本来いちファンとして無用にさらすような行為はしたくなかったが、不安感と不快感が強すぎて夢にまで見てしまったので、はてなの聡明な意見が聞きたく投稿することとなった。
ツイ恥のリプライに自分と同じ意見が埋もれていないか眺めてみたら、市中での目撃証言ありとのリプライがあった。
そのリプライを信じるなら少なくともここ数日で沖縄に行った、或いは今滞在していることが確定となる。
師匠は関東在住であり、新型コロナウイルスの感染が日に日に増えている中、堂々と沖縄に旅行に行けるのはどういう神経なのか、自分には到底理解が及ばない。
でも、自分のような人間には理解できないからこその師匠なのだろう。
この旅行は到底褒められたものではないと自分は思うが、それでも旅行を後押しするきらきらとしたリプライが並んでいるのが現実だ。やはり自分の方が異端なのだろうか。
その是非は置いておいて、新型コロナウイルス感染拡大地域から旅行してきた師匠を受け入れたであろう沖縄市民がどういう気持ちなのかは純粋に気になる。
ほんとにこの80〜90年代通学電車痴漢被害があまりにも過酷で当たり前だったことを考えるとだな、日常的に出勤前や帰宅前に見知らぬ子どもに性加害したり、それを見て見ぬ振りしたりして、平気で職場や家庭で「普通の人」をやってた男性が相当数いた/いるってことに思い当たって戦慄しますね。
https://twitter.com/account_kkojima/status/1274852733527494659
これが否もあるとはいえ、賛もある賛否両論になるって日本やばくない?
つまり、性加害者だけじゃなく、それに気づいて見て見ぬ振りをした"男"はもう「普通の人」ではないって主張してる。
男性は他の男性が犯す罪への責任を負う必要は無いなんてのは前提以前の話。じゃあ見て見ぬ振りした他の女性は?
日常的に出勤前や帰宅前に見知らぬ子どもに加害したり、それを見て見ぬ振りしたりして、平気で職場や家庭で「普通の人」をやってた黒人が相当数いた/いるってことに思い当たって戦慄しますね。
もしいまこんな発言したら社会的に死を迎えるレベルの発言だよ。
児童虐待に於いて最も難しいプロセスは、児童本人に「自分は虐待されているのだ」ということを認めさせることだと言います。
虐待というのは、客観的な証明が難しく、畢竟当人がどう感じるかが全てという側面がありますので、裏を返せば、思い込もうと思えばいくらでも思い込めるのです。「自分は虐待などされていない」と。
「愛されていなかった訳ではない」「自分の態度が悪かったのだからある程度は仕方がない」「こんなことはよくあることだし、もっと酷い事例と比べれば大したことではない」などなど。
そうやって思い込むことで、自分の精神を守ろうとするのは已む無きことです。
そう思い込めれば幸いな誤解の中で生きることも可能ですが、自分が虐待されていたという事実を直視するのは、猛烈な惨めさに襲われるだけで、何の救いにもならず解決もないからです。
しかし、そのような自己欺瞞は往々にして精神の失調という形で現れることがあります、あなたの場合はフラッシュバックなどでしょうか。
あなたは、聡明なるかな、そのような己の認知に疑問を抱き、他人に己の状況を客観的に説明してみせました、その解決法として「父を許す必要があるだろう」という憶測を交えて。
つまり、あなたには現状を変化させようという意志があるということです、他人に頼ってまで。これはポジティブなことです。
また、ところどころ自虐的ながらも己の過去を客観的に記述出来るようになるまでには、それなりの月日が経っているのだろうと憶測します。つまりあなたは精神的にも大人であるということです。
以上を踏まえて申し上げますが、あなたに必要なことは、まず父を許すことの前に、自分が虐待されていたということをお認めになることなのです。
お気づきでしょうが、あなたのお父様が幼き日のあなたにした仕打ちは、それはそれは酷いことです。
そして幼いあなたは、何も悪くありません。
あの日、トイレで壁をジッと見つめて涙を目に溜めていたあなた。その子を受容してあげてください。手を差し伸べてください。「あなた(私)は何も悪くなかったんだ」と。
それが出来るのは、あなたしかいないのです。大人になって見聞を広げ、社会性を身に着け、自分のことを客観視出来るようになりつつあるあなたにしか。
信頼できる友人、恋人などいれば、助けを求めるのも良いでしょう。カウンセリングも良いかもしれません。
それさえ出来れば、その後お父様を許そうが許すまいが、それはどうでも良いことです。