昨日、中学生の姪のおチビと本屋に行ってきた。お互いに買いたい本があり、それを見付けた後、特に目的も決めずに活字のコーナーを眺め歩いた。
あぁこれ気になる、とひとりごちる姪に、買ってみたら? と言うと、お小遣いには限界がね、と苦笑《にがわら》った。その言葉で自分の若い頃を思い出し、そうだね中学生の時は私も迷いながら買っていたよ、と笑って返した。そのうち図書カードをあげたいな、と思った。
帰り道、私は運転席、姪は助手席で、買ってあげたサーティワンのアイスクリームを頬張る姪を時折横目に見ながら、取り留めもない話をした。大雑把に言うと、人生について、みたいな流れになっていた。姪は姪なりに、話を聞いてくれていたようで、時折頷いたり、どうなんだろう? と首を傾げたりしていた。
私の悪癖の中に、会話の中に心惹かれるキーワードを見付けると、前後を遠慮なく無視してそちらに舵を切ってしまう、と言うのがある。それは誰と話している時も例外なくそうで、自分でそれに気付けないと、会話している間中、延々と何度となく脱線を繰り返す。最終的に起点を見失い、結局何を言いたかったのかを忘れてしまう。
自分がそう言う性質《たち》だと気付けたのは、聡明な年上の友人が指摘してくれたからだった。話が違う方に行っているよ、とある日窘めてくれた。その時までそれを知らずに来たから、とても驚いたのを覚えている。
そして、教えてくれた事に感謝の気持ちが生まれたけれど、未だにその癖《へき》の修正方法は分かっていない。
昨日もそれは変わらずで、暫く話した後、全く違う方向に話がいってしまっている事に気付いた。気付いて、とても深い後悔をした。
今みたいに、話の途中で脱線しちゃう事が、私はすごく多いの。ちゃんと考えて話しているんだけど、どうしてもそうなってしまう。今も、話がとっ散らかったよね。ごめんね。
素直に謝った。姪は、少し考える間を作ってから、うんそう言う感じだった、と私の横でちょっと笑ったらしかった。
話、どこ行くんだろう? ってちょっとびっくりしたけど、大丈夫。
笑い声交じりにそう言ってくれた姪に、瞬く間に申し訳なさを感じ、その気遣いと優しさに心満たされるのを感じた。
私は姪の親ではないし、きっともうすぐ離れて暮らす様になる。
彼女に残せるものなんてなんにもないし、ある日にふわっとその目の前から消える事の出来る存在である事を願うほどだ。
ただ敢えて姪に伝え教えてやれる事があるのなら、私は私の人生の欠片を語って聞かせ、だから私のようにはなってはいけないよ、と伝えたい。