はてなキーワード: 美食とは
電気仕掛けの絵箱に据え付けられた振動増幅器がそんな言葉を繰り返す。
遠くの空から飛んできた電気の波が、海の底から流れ込んできた光の束が、カロリーがいかに健康に害をなすかを諳んじるようになり幾星霜。
健康飲料とは体からカロリーを追い出す飲み物の事となり、健康食品とは食物繊維やミネラルの含有量に対してカロリーが低い合成食品の名前となった。
種族を問わずあらゆる動植物が反映するか滅びるかを決めるのは安定したカロリー確保の如何であった。
穀物による人類の奴隷化と、人類による動物の家畜化が同時進行するうちに、人類の中から一握りの貴族が生まれた。
貴族達は美食を追い求める中ですでに食べたものを吐き出す術を身につける。
より美味いものをより沢山食べるためにカロリーを悪として捨てる時代がゆっくりと幕を開けた。
それから幾度も王が変わり帝が変わり、平民がカロリーを毒と扱う時代が訪れた。
その時代は遠い昔に過ぎ去った
新幹線の中でこの旅行記を書いて、ふと現在位置をチェックすると、もう九州に入っていた。
乗車時間については聞いていたが、やはり驚くべき速さで、下関も関門海峡も気付かずに通り過ぎてしまった。
また、速さ以外の感じるのは乗り心地の良さだ。
高速バスはもちろんのこと、国内線の航空機を比較対象に含めても、この余裕と安心感は飛び抜けている。
北海道新幹線は時間と費用で航空機と勝負になるのかという議論があるが、新幹線に乗っての感触は「札幌まで延伸すれば、これは勝負になる。
13:27
人生で初めての九州、博多駅 新幹線の到着ホームは空気が暖かかった。
同じ日本でも、ここまで南に来ればやはり気温が少し違うらしい。
博多の駅を降り、駅ビルを歩いていると目に飛び込んでくる福岡ソフトバンクホークスのタイアップキャンペーン。
昨日まで、水族館ですら広島カープ関連の掲示をたびたび見てきたので、日本シリーズのタイムリーさもあって面白かった。
それにしても、駅ビルから繋がるフードコートで、すでに豚骨スープの匂いがする。
フードコートを前にしているから当然なのだが、なんだか「ほれ、食ってけ食ってけ」という食べ物の圧が強い。
美味い。
民泊自体初めてだったし、宿泊施設から離れた事務所でチェックインの手続きをするのも初めてなので「施設や手続きでハードコアな面がある宿だったらどうしよう」と少し不安になる。
少しだけ所在に迷った末にたどり着いたチェックイン事務所は、想像していたような「マンションの一室で鍵を渡される」という怪しげなものではなく、スマホ用アイテム売り場の様な今風のスペースで、20代前半と思しきスタッフがPC画面やスマホを覗いてチェックイン手続きについて説明するライトな雰囲気だった。
重苦しさもない代わりに重厚さも感じられない空間に、逆の意味で不安になる。
チェックインについて説明してくれたのは、小柄でマッシュな金髪の青年だった。
ホテルマンの職業的柔和さのカケラもない伏し目がちの説明に「大丈夫かな?」と一瞬訝しんだが、説明に不明瞭な点はなかった。
と、自分のすぐ隣で、別の宿泊客に対して、スタッフが早口の韓国語で宿泊システムを捲し立てている(様に聞こえる)。
ネイティヴでないとあり得ない流暢さだ。
民泊の宿は外国人に人気の様だが、そうか、この宿は運営も韓国人スタッフによるものなのかもしれない。
金髪の彼も実は韓国人であるというなら、日本語の説明に職業的ニュアンスがなくても何となく納得だ。本当のところはわからないが。
ともかくこれ以上は宿に行ってみないとわからない。
スマホで決済を済ませた後、彼から鍵の扱い方や諸々の注意をきき「はい、よろしくお願いします」という別に意図したわけではないが実に日本的な挨拶をして部屋に向かった。
宿に到着し、実物をみて驚いた。
事務所での説明で聞いてはいたが、部屋はロフト付きワンルームで、バストイレ別、キッチンや洗濯機まである。
1泊当たりは9,500円ほど。
昨夜の宿に比べれば2.8倍ほどのお値段だが、貸与された空間は5倍はあり、リラックス感については比較にならない。
いや、前の宿が悪いというより、今まで体験した全ての宿泊施設の中でも次元が違う気楽さと安心感だ。
民泊について色々法的な難しさもあり、ここもそう言ったところにクリアなのかどうかは分からないが、この宿泊スタイルの需要の存在については確信めいた感覚を持った。
17:00
宿でシャワーを浴びた後、食事をする為に最寄りの繁華街、天神に向かう。
宿泊施設とはいえ民家なので住宅街にあり、駅までやや遠いのだが、全く問題は感じない。
降り立った天神駅前は、仕事帰りのOLやビジネスマン、学生で賑わっていた。
天神では、BRUTUS 2018 7/15号 「福岡の正解」のレコメンドに従って、魚定食の「味の正福」で夕食を取ることにした。
少し探した後にたどり着いたそこは、写真では厳粛な料亭の如き写りようだったが、実際は素朴で親しみやすい小ぢんまりとした店だった。
写真にまさに写っていたカウンターに案内され、「銀だらみりん定食」を頼む。
広島、博多では「機会あらば食ってやる」という気持ちで旅立ったが、地域名物巡りでありがちな炭水化物攻勢にやや疲れてもいた為、柔らかで滋味深い魚定食は有り難かった。
と、しばらく銀だらを突いていると、カウンターのなかで忙しく動き回る大将が、女性客の料理の味に関する素朴な疑問に、料理工程のコツを講釈する形で答え始めた。
曰く、だし巻き玉子は水分を入れすぎると調理が難しくなること、ふんわり仕上げる為に弱火はほぼ使わない事、返す時に卵の破れを防ぐ為に火を止めるなり遠ざけるなりした方が確実である事。
いい事を聞いてしまった。
今後活用していこう。
味の正福を出て、夜の天神の街でもう少しグルメを探そうかとも一瞬思ったが、まだ19:00前とはいえ魚定食で丁度いい具合に腹も膨らんだし、初日のバス移動で悪化させたのか以前に痛打した肘が痛んできたので、ドトールで少しだけ甘いものを食べながらこの旅行記を書いた後、宿に戻ることにした。
半端な時間なので、夜遅くにまた腹が空きそうではあったが、コンビニによってカップ麺でも買えば大丈夫だろう。
旅行にいってホテルでカップ麺を食べるというのはどうも侘しい感じがしないでもないのだが、何故かそれが行われるのがワンルームの部屋だと、むしろ癒しのリラックスタイムの様に思える。
ひととき緊張感からも解放されて、明日また、思う様 福岡の姿をこの目で確かめよう。
ホテルの日々が素晴らしいものだったとは言え、そのまま10時間あまりラウンジでぼうっとするのも退屈だ。
昨日訪れたH.I.Sのホーチミン支店にまた行って、素っ気ない日本人スタッフに勧められたお土産、バインミーラスクを買おう。
ホテルを出て地図を確認すると、残り少ない旅のタスク、チェーを食べられる店がすぐ近くだった。
そうだ、行けるなら行っておこう。
店のあるベンタイン市場を再び訪れた。
広大で複雑なベンタイン市場で、目当ての店を見つけられず、別のお店のお姉さんにスマホを見せて尋ねると、すぐ背後を指さされた。
店のおばさんにメニューを手渡され、指差し注文すると、おじさんに手招きされて、プラスチックの赤いベンチを指さされた。
座ってまてという事らしい。
いい歳をして、疲れて来ると頬に掌をあてて首を傾げる癖があるのだが、おじさんはそれを観てマネして笑った。
こっちも笑う。
程なくカラフルなチェーが運ばれてきた。
スプーンですくうと、ココナツミルクの中からグミの様に色取り取りな正体の分からないものが出てきた。
大した苦労もなく辿り着いたH.I.Sのラウンジで一休みしながらこの旅行記を書いていると、ベトナム人スタッフに若い日本人スタッフが近づいて、なにやらレクチャーを始めた。
「すいません」の使い所に関する話らしい。
確かに日本人を象徴する様でいて、いろんな場面でそれぞれ違う運用をされるよく分からないフレーズだ。
結構長い間話は続いたが、ベトナム人スタッフはしっかり腹落ちしてない様だった。
まあまあ一息つけたし、旅行記を書いていると時間も過ぎて行ったので、バインミーラスクと、追加で缶入りクッキーを買ってホテルに戻る事にした。
途中、昨日スマホでしか撮れなかった中央郵便局とサイゴン大教会 with マリア様をカメラで撮る。
ホテルへの道すがら、ホーチミンでもう一つの近代商業ビル、ビンコムセンターを覗いてみる。
昨日見たサイゴンセンターのシャツよりはお安いが、ホーチミンにおいてはファストファッションの値段ではない。
そう言えば、平日の昼だというのに、地べたに座った若者が辺りにはいて、一度は声をかけられた。
本屋を物色したのち、もう少し気になる建物もあったが、海外の一人旅で軽々しく予定を変えないというのは鉄則だ。
ファミリーマートで運よく見つけた雑誌を買い、ホテルに戻った。
約束通りホテルに戻った後、朝に教えられた2Fのラウンジに向かう。
一瞬止められるかと思ったが、そんな事はなかった。
ただ、2Fに行ってもラウンジはない。
そう言えばスパが利用できるという様なことを言われたが、荷物をどうしようとか、湯冷めしそうとか思って、プールサイドに行くことにした。
プールサイドバーでは、お兄さんとお姉さんが笑顔で迎えてくれる。
バーカウンター前のテーブルに陣取り、マンゴーで香りづけされたグリーンティを頼んだ。
フレーバーについてお兄さんが念押ししたのは、自分が日本人だと分かったからかも知れない。
問題ない。
そういうのが良かったから。
とうとう雨には当たらなかったな。
これは勝ったのか負けたのか。
ファミマで買ってきた雑誌を眺めていると、プールの水面に幾つもの同心円が広がる。
すぐに雨足が強くなり始めた。
What a thing!
なんて事だ!
ベトナムの事など大して知らなかった時からあった、あのビジョンそのままに、俺は今、お茶を飲みながら雨の水面を観ている!
完璧だ。
こっちの勝手な感動をよそに、雨足はますます強くなり、スコールの様相を呈してきて、これは言い訳できないくらい完全な夕立だ。
「夕立もきっと来るだろう」
予言はまたしても実現する事になった。
移動しながら大声で笑った。
海辺の砂浜に一人寝転がる4,000年に一度の美少女は、イントロでビーチパラソルの下から立ち上がる。
場面が変わって様々な仲間が次々に現れ、共に歌い、踊る。
画面の中ではやがて曲も終盤に差し掛かり、片や画面の外では雨足が弱くなり始める。
画面に目を戻すと、アウトロで、長い黒髪の予言者はまた独り、青空の下、晴れやかな表情でフレームの外に駆け出して行った。
完敗だ。
原作ゲームで触れられるアイドルがPであるプレイヤーつまり俺に向けてくれる台詞は俺がどう思おうが勝手なのだが。
その思うことに「他人との認識の違い」がある、と引っかかる事が増えてきた。
というのはSNSの二次創作や同人を見ていてもそう思うことが増えてきた(勿論個人の認識あるいは理解不足というのもあるだろうが)気がするためだ。
これはカード全所持・コミュなど全数確認済みのキャラでもそう思うことはある。
勿論「カード未所持・イベント登場頻度・コミュやカードに触れる機会があまりない」という理由により(勿論個人の努力もあるだろうが)理解が及ばないアイドルというのはどうしても存在する。自分の場合だが。
ただそこまでくるとこれはもう、他人の見せてくれる物はダイレクトマーケティング資料以外一切信用するな、あるいはそれですら間違っている可能性があるから自分で見ろ、という前提を置いたほうがいいのかもしれないが。
というか何を信じれば良いのかって。Pである自分の手の届く範囲で自分に向けてくれているアイドルの台詞を見て思ったことを考えるのが一番正しいんだろう。当たり前だが。
ただ二次創作などで発信する側は、「アイドルが好きだから」という理由以外にも「その方が面白いから」という理由で意図的にやっているところも沢山あるだろう。というかそうでなければエロ系など成立しない事も多いか。
キャラと台詞考えてるバンナムも、明確に「このキャラはこういうキャラです!」という意図を持って台詞を設定しているとは思う。
(ただし意図しない方向に行った受け止められ方を「その方が儲かるから」という理由で放置してないだろうな、と思うことはある)
そういう意味では結局他人より自分で見るしかないのかもしれないが。
話は少々変わるが、特にスターライトステージはモバゲー版での出来事があったようなないような色々やり直したような立ち位置変わったような…このへんは自分にはよくわからんところがある。
しかしモバゲー版もシナリオで理解不能なことをやっているとは思うのは過去に『公演』系イベントでもあった。いや美食公演の話じゃない。天魔の乱の方の戦国公演(の終盤の展開)と怪盗公演だ。特に後者は登場キャラのカードイラストが素敵なのは当たり前にしても、シナリオについて褒めている人を見たことがない。自分もあるキャラが違和感があるぐらいの前半の動き方と、周囲がそれを気にしながら動いているのは流石に見ていて面白くなかった。開発側からしてみれば必要だったことなのかもしれないが。
一方好きなのはディアリースターナイトと魔界公演シリーズとこの間のお絵かき勇者。というかきらりんロボ以降はハズレがないと思う。ユニットコレクションで見やすくなったし、敵ユニットの台詞も含めて見ることで色々と世界も広がる。きらりんロボのリトルヒーローシリーズはすごく上手い使い方だと思ったし、ディアリースターナイトはコラボとキャラ配置をすごく上手くやったと(俺は)思うし、魔界公演は…今年は帰ってこないかなと思うぐらい毎年見たい。『空想公演 おえかき勇者と凍れるお姫様』はホントにいい話だから見てくれ。イベントメモリーで見られるから。
というかシンデレラガールズは今間違いなくテキストが面白いから見ないのは勿体無いと間違いなく思う。
しかしその面白いと思っている上で、他人との理解の違いを感じたのなら。
疲れてるから休んだほうが良いのかもしれない。
親記事(https://anond.hatelabo.jp/20170916200823)の続報である。
ここ数ヶ月で、父との関係が良好になってきた。私がニコニコと笑顔で対応するようになったので、父も機嫌がよく、実家に帰省した時の雰囲気は和やかだ。──表面的には。
今の私は、父に対して笑顔で酌が出来る。もちろん自分の食べ物を取られても怒らず、それどころか「もう一つ食べる?」と勧めたりする。父の誕生日には、美味しいと評判の清酒を持って行った。母には陰で「体に悪い」と叱られたが、当の父は理解ある娘だと大喜びしているのだから問題はないだろう。
酒も美食も過ぎれば毒。そう思えば、自ずと笑みが顔に貼り付く。
これを飲んで、好きなだけ食べて、一日も早く死んでくれ。
父は金だけは持っている人だから、介護資金の不安がないのがありがたい。体を壊してさっさと施設に入ってくれれば私も母も楽になるし、ぽっくり死んでくれればそれがベストである。
父に理解されたい、愛されたいと思っていた頃、私はいつも悲しい気持ちで、父はいつも不機嫌だった。せめて体くらいは大切にして欲しくて、私が薄味の料理を作る度、父は「まずい」「老人扱いするな」と文句を言ったものだ。
だが私が愛されることを諦め、愛する努力もやめ、開き直って「早く死ね」と念じ始めた途端、関係が良くなったのは皮肉である。愛や思いやりは基本的に素晴らしいが、私と父との関係改善においては邪魔でしかなかったらしい。
父に酒を勧める度、姪にだけは悪いことをしていると思う。幼い彼女から見れば、酔っぱらって大声で笑う祖父は怪物以外の何物でもないだろう。私も同じ怪物に怯えていたことがあるから、それが分かる。妹が仕事以外で酒を飲まない男性を伴侶に選んだのは偶然ではあるまい。
姪の為にも、年末の帰省の際のお土産は奮発しようと思う。今から百貨店のカタログで目星をつけ始めてしまうくらいには楽しみだ。酒と肉と、あとはケーキくらい買っていこう。
例えば、
生まれてこのかた、
どこで売ってるかすら見たこともなく、
且つ生の状態でも食べたことないトゲトゲの謎果物のドライフルーツとか
そういう系のざっくりひっくるめて、
食べ慣れてない得体の知らない、
トゲトゲ謎系も含め高級食材ってあるじゃない。
それ食べるとき、
どうどう?なんて感想を問われるけど
もう、ここまで迫られたら、
美味しいと言わざるを得ない包囲網!
これ美味しいよって言われても、
苦手なんだなぁーとも言えない包囲網!
もう、レインボーブリッジを封鎖して包囲するどころではないわよね。
迫り来る味の偏差値!
高級すぎて、もう何も分からない感じ。
言葉が出ないわ。
とりあえず美味い!
トップバリュ最高!
味の決め手は昆布だし!
続きはウエブで!
って贈ってくれた相手に言って
全部それを、
本当は言いたい自分の気持ちを世間のSNSの流れに代弁させるような感じでワンクッション入れ
台詞みたいに語るように語りかけ
あたかもそこが唯一のボケしろであるかのようでもあるハッシュタグにして投稿しておけばいい世界。
そうコンテンツとは、
シャンパンタワーの頂点のグラスに注がれたシャンパンはグラスからこぼれても良いことを初めて知ったあの日の夜のように。
夕べ杉の梢に明るく光る星一つ見付けました。
キラリと頬をつたう流れる涙一筋。
あ~こわ!
美食恐ろしいわっ!
朝昼晩とにかけて、
夜は小食にすると
なんか調子がいいような気がするわ。
やっぱり夜の食べることは身体に負荷が掛かるわ。
そんな朝美味しい
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
無銭飲食、タダでコスメ入手、タダで旅行招待など大して有名でもないのに人気ブロガーと称して、自腹をきらないで乞食しているブロガーたちです。企業もよくこんなひとたちにお金払うよな。飲食店は乞食ブロガーたちをタダ飯に招待して食べログによい点数つけてもらっているので、食べログの点数なんてあてにならないよ。
ほとんどの乞食ブロガーが無料ブログのアメブロ。広告がウザくて読みにくいったらありゃしない。
乞食ブロガーのアクセス数あげたくないのでリンクは貼らずブログ名だけをさらしていきます。これらのブログの食レポ、レビュー、旅日記などはほとんどが企業からの依頼や招待なので、当てになりません。ご注意を!
■『コダワリの女のひとりごと』
■! Buen viaje!(ブエン ビアーへ)旅と猫
■(暫定)DUST BOX
■ジョニーラブの綺麗への道
■だりあのブログ
搾取され続けて金も希望もない今の若者達マジやばいな。ちょっと会って話したらもう価値観が全然違う。子孫を残そうとか長生きしようとかまったく思ってない。だから将来のこととか、自分らの力で変え難い世の中の面倒な事とか一切スルーして今を楽しもうとしてる。中年以降の健康のこととか考えてないから毎日好きなもん食ってる、趣味も家族もない奴は相対的に余った金で成人病まっしぐらの美食してるし、趣味に金かけてる奴はコンビニやジャンクフードばかり食ってる。こいつら40ぐらいで死ぬ気だぞ、たぶん病気で早死にするか自殺。上の世代より先に死ぬ、この世の仕打ちから逃げるかのように。若者達の意識はもう変えられないから、もう手遅れ。上の世代は老後の面倒を下の世代から見てはもらえないぞ。覚悟しとけ。
◇消費の2極化が進んでいることは確かで、日常消費に関しては特徴がない、良心的でもわかりにくい店は淘汰されていく傾向にある。
通好みの「あそこは材料もよくて腕も確かなんだけど、わかる人だけわかる」店はつぶれていってる。
一方SNSに対応してて情報発信リーダーみたいな人が「あたしここのカレーパン好きなんだよねー」「あたしもあたしも!今日売り切れだった涙」
みたいなことになっているところは残ってる。
◇外食なんかは流通の進歩なんかで昔より良くなっていると感じることもある。
たぶん大阪市内だと世界中でも類をみないくらいの和食・中華・フレンチ・スイーツなど美食めぐりがまあまあお手頃な価格でできる。
靱公園の周辺とか中津界隈とか空堀界隈とか天満とか裏なんばとか泉佐野とか箕面とかそこそこの値段で楽しいとこ沢山ある。
これは女子がグルメ業界に一定のお金を落としているから維持されているのだと思う。
◇紳士服に関していえば困り感が少なくなった。つまり、ワイシャツ・ネクタイに関してはいまでも定期的にそれなりにお金を使う人がいて中級市場が維持されてる。最近ベトナム縫製なんかの品質も上がったし、阪急のヒトヨシとか価格縫製生地デザインがまあまあなのも出てきたし。
ただ、ネクタイに関しては最近買いやすくなったのが危険な香りがする。定価で売れ残るからセール時期でも簡単に買えてしまうのだ。
◇いま困ってるのが靴。ABCマートとジョンロブとかエドワードグリーンとかの間がリーガルとスコッチグレインくらいしかない。
リーガルは名前が通っているが値段の割に品質感がない。コールハーンなんかも最近価格対品質感で釣り合わないなと思うことが増えた。
http://anond.hatelabo.jp/20140507012359
などを読んで、思ったことを書く。
●一応スペック:
・おれ:宮廷退学(般教すらロクに取れなかったので中退とすら自称できない)
・妻:そこそこの私大卒
で、妻の稼ぎは全額「現在と未来の教育費(子供の塾代や学費)」に回っている。
「自分の遊びや美食に使う金はあっても子供の勉強に使う金はない」
人が世の中にはたいへん多いらしい。
そんな具合なのに、何かというと「●●さんのお子さんは勉強ができて羨ましい」とか抜かすわけだ。
放っておいても勝手に勉強して賢くなる奴も絶無ではない。たまにはそんな奴もいる。
でも例外だ。
うちの子供みたいに塾に行かせて勉強させて、それで成績が上がるというのが大方ではないか?
当然だが金はかかる。
親が勉強を見てやれば金はかからないはずだが、いかんせん、誰に似たのか親の言うことは聞かない。
結局、教育に金や手間をかけるかどうか、というのは大きな「壁」の1つなんだろうな。
Victory!ファミリーマートがフォアグラ入り弁当の販売中止を発表!
http://www.hopeforanimals.org/topics_detail6/id=274
この団体の強烈さも燃焼補助材となって、ネットを中心に大きな話題となった。ここではその生産に係る倫理性は論じない。「そもそもフォアグラは不味くないか?」という問題提起をしたい。
私は今まで一度も美味しいと思えるフォアグラを食べたことがない。
美味しんぼ1巻では、フォアグラを美食の王として崇める食通達に、フォアグラよりも美味しいアンコウの肝を食べさせて、軽薄な食通を叩きのめす話がある。人工的に作った病気のガチョウの肝であるフォアグラは、大自然の中で育ったアンコウの肝に劣るという理由付けには同意しないが(自然だから美味い、人工だから不味いというのはおかしい)、フォアグラよりもアンキモのほうが美味しいという結論には大いに納得したものである。
予断であるが、1巻から6巻くらいまでの美味しんぼは本当に面白い。触れるものすべて斬り付ける山岡、可愛い栗太、傍若無人そのものの雄山などキャラクターに魅力がある。内容も濃い。名作と言って過言ではない。10巻以降からこじつけや薀蓄の垂れ流しが増え始め、農薬と化学調味料や大メーカーを叩くワンパターンがエスカレートし(初期のうちは30年近く前であり、現代よりも状況が酷かったので、同意できる部分はある)、雄山は最初の設定をなしにして神格化され、栗田は顔も台詞も説教くさくなり、ストーリーが希薄となって物語の魅力が落ちていく。10巻まででも90話、ネタ切れもやむなしであり仕方ないかと思う。最近久しぶりに100巻前後の単行本を読んでみた。衝撃を受けたという感想以外はあえて書かないが、山岡栗田の結婚あたりで引き際があったのではと強く思う。
話が脱線しすぎた。フォアグラである。自分が「美味しいフォアグラ」を食べたことがないだけではないかとも疑ってみた。そういう落差の食べ物はある。例えば天ぷら。安いものや和食のコースに入っているようなものは、わざわざ食材を不味くして食べていると思わざるを得ないものが結構あるが、昼なら5千円、夜なら1万円だして定評のある専門店に行って食べる天ぷらは本当に美味しい。勿論もっとずっと安くて美味しいてんぷら屋もある。そこで、一時期、ミシュラン星付フレンチなどに行く機会に、フォアグラがあった場合は必ずフォアグラを選ぶというルールを自分に課してみた。私のような一介のリーマンが星付フレンチに行く機会など当たり前だがそうあるものではない。多くの美味しそうな他メニューを横目に毎回フォアグラを注文し、そして幻滅した。
鮮度の問題か、とも思った。件の美味しんぼでも、アンキモに劣る理由のひとつとして、日本で取れるアンキモとフランスから空輸することになるフォアグラの鮮度の差を上げている。そこで、今思えば本当にもったいなかったと思うのだが、貴重なパリ旅行や出張の機会に張り込んで星付きあるいは口コミの良いレストランに行く際もフォアグラを頼むようにした。そして、やはり毎回幻滅した。きちんとしたレストランのものほど味の透明度が上がるのだが、結局脂っこすぎて油分をそのまま食べさせられているような気分がある。最高の生クリームを飲んだら美味いかと言われたらスプーン1杯なら美味いと思うが、それ以上はいやだ。同様にフォアグラも角砂糖1個分ならまあ美味しいかもしれない。
食べ物の美味い不味いは、最終的には個人の好みであるが、その以前にはある程度普遍的に美味い不味いがあると私は考える。そしてフォアグラはかなり過大評価されていると思う。フランス人だとだいぶ味覚が違うのかもしれないし、脂耐性がそもそも違うのかもしれないが、少なくとも日本人の間ではかなりの過大評価だと断言したい。有難がられるのは珍味としての珍しさゆえで、同じ脂っぽい食べ物なら霜降り肉や大トロのほうが美味しいし、珍味大国の日本で有難がられるほどのものではないと思われる。その意味では日本のマツタケも過大評価であるが、マツタケがたいしておいしくないというのは、日本人の中では結構一般的な認識になってきたと思う。
今回の弁当中止はビックリしたが、味に関して言えば、おそらく食べられなかったことをガッカリする必要はないだろう。話題性でどうしても食べたければファミレス行けば食べられるしね。