映画そのものの感想というよりも、映画を通して広がった考察ゲームに対しての感想みたいになってしまうが、私が言いたいことを一言で終わらせるならコレになる。つまり以下はその補足説明であり蛇足だ。
映像の奥から「表現したかった感情」を引き上げるために、元ネタとなった事象そのものを言い当てようとするのは正しい過程ではない。
それはまた別のゲームであり、通常の考察と同じ枠組みでやるようなことじゃないはずだ。
眞人が自分を傷つけることによって周囲をコントロールしたことについて、宮崎駿の引退詐欺が元ネタであるかどうかを推理することに深い意味はない。
そもそも「人間には誰しもそういった悪意がある」というのは、別にアニメ映画の監督だけに限らない普遍的な出来事であるというのは落ち着いて考えれば分かることだ。
巨大な塔が存在し、その支配者は老いて後継者を探しているという話について、ジブリの内情をモチーフにしていると言い切れる要素はどこにもない。
アニメ業界全体の話かもしれないし、昭和から平成まで続いてきた価値観が変わりつつあるという話なのかも知れない。
作品が何を語ろうとしているのかを考えるときの補助線として造り手の実情を考えるのはいいのだが、「答え合わせが出来ない以上は試し書きの補助線でしかない」ことはちゃんと意識するべきだ。
元ネタ探しをしても仕方がないとは言ったが、物語からメッセージを受け取ることを完全に拒否するのも間違っていると思う。
多くの物語はそこに寓話性があり、造り手なりの思うところがあって語られている。
たとえその始まりが「戦闘機をカッコよく飛ばしたい」「戦車を戦わせたい」のような画作りを主目的としたものであっても、その中で人間を動かしていくうちに「戦争の悲惨さを描こう」「戦いを通じて育まれる友情を描こう」といった方向性が生まれてくるものだ。
実際の所、それらは多くの場合祈りのようなもので「勇気を持てば道が拓けると信じたい」「本質を見抜けないものは失敗して欲しい」「誠実であるものが救われて欲しい」といった願いの共有に近い。
時にはそこから反転して「でも現実はそうじゃないよ」「悪い奴ほどよく眠るんだよ」といった嘆きが語られることもある。
物語が一貫性を持つためにはそういった精神的支柱が必要なのだ。
「大いなる力には大いなる責任が伴う」という支柱がなければスパイダーマンはスパイダーマン足り得ないのである。
それを受け取ることを拒否すれば、鑑賞者の頭の中で物語を崩れないように積み上げていくのはとたんに難しくなる。
このタイトルに過剰反応して「うわーお説教だ―」となっている人をちょこちょこ見かける。
名前の元ネタとなった本もそうだったし、この作品もまたそうなのだと感じる。
そしてその答はなんでもいいんだと思う。
主人公は「汚れ無きものを時間をかけて積み上げることは理想かも知れないけど、そうはならないから清濁併せ呑んで生きていく」と決断した。
無数の有象無象が生きる世界を見て回った後に、詐欺師のような友人を引き連れてそう宣言したたことで物語の方向性が確定した。
より理想的な世界を求めた大叔父の夢は壊れてしまったが、その夢を実現する手段に辿り着けなかっただけで夢を持ったことそのものが間違いだった訳ではないのだろう。
インコの王は本質を見つめることを理解しないまま大雑把なことをして塔を壊してしまったが、それでも塔の外でデカイインコとしてそれなりに暮らしていくのだろう。
自分の理想通りに生きられるかは分からないけど、決断が迫られるときは来るから自分なりの準備はちゃんとしておいた方がいい、でも出来なかったからと言って何もかもがお終いではないよというぐらいの感じか。
何が元ネタだったかを考慮するのではなく、描かれようとしてた哲学が何だったのかを考えていくのならば。
自分の気持ちをがむしゃらに伝えれば、まだ生きている母親を取り戻すことは出来た。
必死に頑張ったけど、もう死んでしまった母は取り戻せなかった。
アオサギとは敵同士のようでもあったけど、最後には友人になれた。
最初の印象に引きずられてずっとアオサギといがみ合っていたらこうはならなかっただろう。
でもアオサギがその気持ちに応えてくれたのは嘴の穴を埋める木を直した後からだ。
本当にアレは偶然の出来事で、もしも最初からピッタリ嵌っていたらアオサギは本当に飛び立っていたんじゃないだろうか。
たまたまもう一度作り直して貰おうとしたことが、あの二人が友人になるまでの最後の一押し分の時間を与えたように見えた。
あの友情は偶然の産物でもあるし、同時に二人の意志によるものでもある。
自分の意志で変えられるものと変えられないものがこの世界にはあるが、もしも手に入れたいものがあるなら諦めずに進まないいといけない。
「それは宮崎駿が結果を出した人間だから言えることなんだよ」と言いたい気持ちはあるにはあるんだが、結果を出している人間の口から聞かないと受け入れにくい言葉でもあるなと。
作品をどう解釈していいか迷ったとき、元ネタを探せばいいんだという風潮がいつからか生まれていた。
それはエヴァンゲリオンの解体新書が日本中で書かれ出してからいよいよ熱病のように広まったように思う。
特に最近は庵野監督が何かと話題になったので、作品の考察とは元ネタ探しであるという考えはオタク業界において根強い。
それは一つのゲームとして面白くはあるんだけど、考察とはそういうものであるとは思わないでほしいんだよな。
まして単に感想を述べたいだけなのに元ネタ探しをする必要があるなんて勘違いは絶対にしないでほしい。
世の中にある物語の95%は元ネタなんて探さなくてもストーリーの背骨さえ見いだせれば話の内容はなんとなく分かるように出来ている。
確かに途中で話が変な方向に向かうことはあるけど、展開の矛盾だとかご都合主義だとかの野次を飛ばしたい気持ちを抑えて、大筋自体を素直に受け入れれば自ずとそれは見えてくるように思う。
考証ぶったクイズごっこや、食通ぶった矛盾探しばかりしてないで、まずは物語を素直に楽しんで欲しい。
『君たちはどう生きるか』の感想を見ているとついついそう感じてしまう。
完全に同意だ メタファークイズ正解不正解とか言いあってる奴らは本当にくだらない 異なる解釈が成り立つことはそのメタファーが豊かであることの証左に過ぎないのに
メタファーはあくまでメタファーでしかなくそれを通して切り取られた普遍的なモノが何かが大事なんだよね。 小中高で12年美術や現代国語について教えてこれを学べてない人だらけ...
よくこんなわかりやすく書けるね……
ほんとそれな 俺なんて同じような問題意識持ってても「岡田斗司夫みたいな奴らばっか増えてウゼエ」しかいえないのに
プロの解説者が元ネタ(自称)を根拠に「深い」解釈を開陳するのに憧れて真似したがる人たちがいるけど、 作品の解釈は、敢えて甲乙つけるなら、作品で与えられた情報と想定読者が...
「作者の気持ちを答えなさい」 そういう教育を受けてきた大人が社会の大半を占めている現状、読書感想文がそうなるのは否めない だから作る側はいつか国語の教科書にあったその風...
これには共感する。 映画の外の元ネタ探しや、イマジナリー宮崎駿のメッセージを読み取ること、ましてや闇雲に部分的なメタファーを読み解くことではなく、作品の構造と描写から読...
いいこと言ってる気がする。「面白かった」「楽しかった」みたいな感情に素直な感想は誰しもあるはずで、そこを素直にアウトプットしたっていいと思う。 色々想像を膨らませたり分...
これこそが「どう生きるか」だなあ。 素直な気持ちで作品を鑑賞して、まずは作品単体で受け止められるか。 識者ぶったクイズゲームに取り込まれてあーでもないこーでもないと自家中...
これが伸びずにクイズごっこが伸びてるんだからやるせない気持ちになるな
あー分かると思いながら読んでた 素直な感想を見たい、この気持ちを分かち合いたい みたいな気持ちで検索したら、深読みと否定的な意見ばかりで食傷気味。そんなスピード感要らな...