はてなキーワード: 拘置所とは
横からになっちゃうけど私がおもうに今はコンビニバイトだけどがんばればよくなる可能性に期待がもてるのと
犯罪による損失が現状より大きいと想像するからじゃないかなとおもうんだ
実際過酷な労働で少ない収入を得ることより罪のほうが楽だとかその方法を知った方は簡単な罪で拘置所や刑務所の出入りを繰り返している例があるみたいなんだけど
その実情を私は知らないので想像なのだけど予測と経験値じゃないかな
実質担保となる保証なしに予測に価値を置くというのは金融派生商品としてもありえるものだよね オプションとかデリバティブとかいわれるものだったりとか
そういう意味で一生コンビニバイト以上にはならない何億円かせいでも大発明しても歴史に名を残しても時給1100円だったら
そりゃ万引きで拘置所にはいったほうがいいかもっておもうかもしれないなあとはおもうかな
同居していた長男(当時生後5か月),妻(当時24歳)及び義母(妻の実母,
当時50歳)の3名を殺害し,その後,長男の死体を土中に遺棄したという殺人,
死体遺棄の事案で死刑判決を受けていた奥本章寛死刑囚(宮崎拘置所に収容中)
について,両親らがしていた最高裁への再審請求が認められ,最高裁は13日,
最高裁第一小法廷は,再審開始決定の理由として「被告が殺害した妻や義母や
長男が事件当時発狂していて社会的秩序を害するおそれが高い状況にあり,自ら
の人間としての尊厳を確保する為に3人を殺害せざるを得なかった社会的事情が新規
に認められ,被告人についてより軽い罪を認めるべき新たな証拠が発見された可能性
があるとして,再審請求は刑訴法435条6号の場合に該当し,適法」と判断,奥本章寛
板橋区にあるのだが、『板橋区 シェアハウス』で検索しても検索結果に出てこない。
そんでもって先日、住人同士のトラブル(婉曲的な表現)があった。
ムチ打ち、小指の骨折をした者が出たらしい。
そんな馬鹿な話はない。
喧嘩程度の『傷害事件』でムショにブチ込まれるのなら、今頃ブタ箱建設ラッシュでブタノミクスである。
おそらく警察にドナドナされた加害者は留置場で絞られたあと、追い出されただろう。
この世の最底辺たちが集まる我がシェアハウスで、『警察、検察、留置場、拘置所、逮捕、起訴』の違いが分かるのはたぶん私だけである。
東京に神が集結していて世界と共同して研究や仕事をしているからこんな豊かな生活があるわけで、どういう外形をとっているにせよ、この豊作を破壊するような奴は純粋な殺人鬼であって死ぬべき。で、そういう殺人鬼が実際にどこそこの組織に身を潜めている。こいつらの存在が不問に附されていること自体が理解できない。
こいつらはまともな人間であろうが外人だろうが見境なく人殺しをしようとしている狂人そのものであって良い目的があってそれをやっているわけでもない犯罪者そのものだし、こういう生が平気でその辺に生えていること自体が問題。
正義感のある者は早くこの鬼畜どもを殺しに行けよ。具体的には警察や拘置所や刑務所や裁判所の中にそういう奴がいるってことはみんな察知してんだろ。
昔、検事を刺したという面白い事件があったが、警官を刺したとか判事を刺したという事件は中々聞かない。検事を刺したジジイは純粋にすごいが、全国各地で、偽の検事判事、警官、刑務官、拘置所職員などのキチガイを殺す事件があってもいい。
昨今では忌み嫌われる長文で、たいして面白くもない内容なので誰も読まないだろうが、それでいい。
軽く自己紹介。精神科病棟で働きはじめて一年になろうとしている。看護助手の契約社員。今年で21歳になった。
一浪して合格した、世間的には難関と認識されている、都内の有名私立大学()を半年で退学して、今の職場に入った。高卒資格なしで将来食っていけるか不安なので、不況でも食いっぱぐれないと聞く、看護師を目指そうと今は考えている。それ以前はコンビニのアルバイトと日雇いの倉庫作業くらいしかしたことがなかった。退学した理由はくだらない。授業に出席せず、単位取得における必須出席率(三分の二)に満たなかったので、留年がほぼ確定していたからである。受験当初から志望校などなく、勉強もさほどせず、たまたま合格した大学にとりあえず入ったという塩梅で、絶対に卒業しなければならないという意志もなかった。中流家庭で経済的には比較的恵まれていたので、仮に努力さえすれば(一般的な大学生にとってはそれは努力ではなく普通のことなのだろうが)一留したとしても卒業はできたはずである。まったく親不孝な息子である。
わたしが働いているのは比較的症状が安定した患者が療養する慢性期病棟である。患者の平均年齢は65歳くらいで、ほぼ全員が統合失調症の患者である。平均入院年数は約15年である。医学的知識に乏しいので統合失調症とは何かといった説明はしないが、約100人に1が罹患するとされている疾患である。自分の身近に統合失調症を患った者がいても珍しいことではない。事実、わたしの身内にも罹患者がいる。距離的に頻繁に会うことはできず、ほとんど疎遠であるが自分と年齢が近いこともあり気にかけている。
慢性期の開放病棟とは言え、当然ながらそれは院内における開放という意味であって、自由に院外に出られるという意味ではない。あたりまえのことだ。また患者各々の処遇によって、院内開放の認められる患者とそうでないものがいる。前者は全体の三割ほどだろうか。それ以外の患者は看護師同伴での外出の外は、ほぼ365日病棟内で過ごすことになる。彼らの生活は異常なほどに規則正しいものになっている。規定の時間に起床を促され、看護スタッフの監視(長年にわたる薬の服用がもとで嚥下に問題がある患者が多く、誤嚥で窒息する恐れがあるため)のもと朝食を済ませ、その日が入浴日であれば風呂に入るよう半ば強引(彼らは清潔観念が乏しく風呂嫌いが多い)に促され、昼食を食べ、自主参加ではあるが作業療法に参加し、夕食を済ませる。食後は各々に処方された抗精神病薬を服用し、就寝前には看護用語でVDSと呼ばれる就寝前薬を服用し消灯、就寝となる。もちろん彼ら全員がすんなりと眠ってくれるわけではないので、必要に応じて追加薬として眠剤をさらに服用させる。それでも睡眠ゼロ時間で朝をむかえる患者もいるが。
規則正しい生活が健康を保つ秘訣であるとは言われるが、物事がすべて規則的に進む環境に長く置かれれば、精神的に健康な人間でも何らかの精神症状を示すようになるのじゃないかと思う。何事も適度にやることが大切である。仮に自分が彼ら患者と同じ生活をしてみるとなれば、1ヶ月も耐え切れないのではないか。
普通の人から見れば異常な規則的生活を強いられているばかりでなく、彼らはプライベート空間を与えられていない。病室は4人1部屋の総室であり、ベッドにはカーテンが備え付けられはいるが、必要とあればスタッフが遠慮無く開けるのでプライバシーの確保としては機能しない。唯一例外として挙げられるとすれば個室トイレであるが、それでも外側から簡単に鍵を開けられる。もちろん理由はある。ここは精神科である。患者を1人にするのはリスクが伴う。その最悪のリスクが患者が病棟内で自殺するというケースだ。自殺するのに銃もロープも包丁も必要ない。タオルやシーツ1枚で十分である。首を吊る必要もなく頸動脈を絞めれば尻をついた体勢でも逝ける。患者に希死念慮の疑いがあれば、保護室と呼ばれる個室で隔離し、常時モニターで観察する。必要であれば拘束帯で手足、体幹を拘束する。それは仕方のないことであると個人的にも思う。そのようなことがあれば直ぐに訴訟になり、病院だけでなく医師、看護師、資格を有していない看護助手も裁判にかけられるのである。人間が外部との接触なく常に1人きりで長時間過ごすことに耐えられないのは、拘置所などにおけるSolitary Confinementが精神に及ぼす悪影響を鑑みれば明らかであるが、それでも生活の中に1人の時間を設けることは精神の安定にとって非常に重要なことである。
一日の中で病棟が最も活気にあふれるのは3時のおやつの時間である。患者は小学生の小遣いほどの小銭を握りしめて、病院に併設された売店へと向かう。わたしも幼少時代、同じように手汗にまみれた小銭を握りしめ駄菓子屋へ足を運んだ記憶があるが、自分より2回り以上年齢を重ねた彼らが喜びと興奮の面持ちで売店に赴くのである。もちろん離院されては困るのでスタッフ同伴である。なかには1時間も2時間も前から「○○さん、おかし」とこちらが辟易とするほど頻回に訪ねてくる患者もいる。そのたびに「△△さん、時計見てください。今何時ですか?3時まで待ってくださいね」と説明する。しかし時間を把握することができないのか、理解に乏しいのか、その後にわたって同じやりとりが何度となく繰り返される。そしておやつの時間が近づくと、患者は詰所(ナースステーション)に詰めかけて「かいもの、かいもの」の大合唱がはじまる。入社して形式的な研修を終え、病棟で働きはじめた初日、その光景を目の当たりにし、「これはなにごとか、いったい今から何が始まるんだ」と誇張なしで思ったものである。一度に売店へ連れていけるいけるのは、多くて5名である。それに対して2名の看護スタッフが同伴する。離院のリスクが高い患者はマン・ツー・マンで対応しなければならないので、業務の都合上、最後に後回しにしざるをえない。この対応に納得のいかない患者は時としてもの凄い険相でこちらを睨みつけたりもするが、申し訳ないが待って頂く。いざ売店へとたどり着くと、患者は菓子の並ぶ棚を物色し、各々お気に入りの菓子や飲み物(十中八九コーラである)を買うのだが、彼らの選択肢はさほど多くはない。金銭的な問題もあるが、誤嚥のリスクが高い菓子類(特にパンや、硬いもの)は遠慮してもらう。病棟へ戻り、スタッフの目の届く範囲のテーブルで購入した菓子を食べるのだが、彼らの食べる、飲むの早さは尋常ではない。これは食事においても同じである。コーラを飲み干す早さは、ハイキングウォーキングのQちゃんにも引けをとらないだろう。
余談だがこの病棟にはデイルームに自動販売機が1つ設置されているのだが、患者が選ぶのは常にコーラである。コーラの横に並ぶ水やお茶などを患者が買う場面を見た試しがない。聞くところによるとこの傾向はこの病棟(病院)に特異なものではないらしい。特にかくコーラの消費量が半端ではないのである。1日になんども業者がコーラの補充に来る。仮に1日のコーラ販売数が最も多い自販機であったとしても驚かないだろう。
ここで少しOT活動(作業療法)について触れておきたい。その内容ではなく病院経営の観点から見た作業療法である。わたしは不勉強で参加者1人あたりの診療報酬がいくらで、具体的に自分の働いてる病棟で月あたりどれほどの利益が出ているのかといったデータは知らないのだが、現状でも結構な額の利益を稼ぎだしているようなのである。しかしそれ自体はなんら問題ではない。病院も利益を出さないかぎり存続が危ぶまれるわけであり、それは結果として直接的に患者の不利益になるので致し方無いだろう。しかし病院経営者としては、さらなる診療報酬の増収を求めて参加者の今まで以上に増やすことを病棟にプレッシャーをかけてくる。だが経営的観点からのみ作業療法を考えるのは、本末転倒であり、本来の作業療法の意義を見失いやしないだろうか。普段活動意欲の乏しい患者たちの他者と交流する機会の場を提供したり、同じことの繰り返しである日常に些細でも刺激や楽しみを見出させ、活動意欲の向上を目指す。わたしは作業療法士ではないので専門的な知識はないが、研修のとき作業療法士からそのような目的を聞かされた記憶がある。作業療法は任意参加である。もちろん参加したほうが治療的には望ましいことは間違いないが、患者自身が活動に対して主体的にならなければ効果は期待できない。仮に活動に参加しない患者には売店へ行かせない等のやり方で、強制的に参加を促したところで継続しないのは明らかで、それ以前に患者自身の金でおかしを買わせないとなると人権侵害である。ある患者は「おもしろくないから、わたしはいいよ」と参加を断り続けている。確かにプログラムがマンネリ化していることは否めない。病院の作業療法士が仕事に対して不真面目であるからではない。みな限られた予算のなかで真面目に患者のことを思い必死でやっている。要は作業療法で得た診療報酬はどこに還元されているのかという話なのである。言うまでもなく、参加をしぶっている患者に対して毎日声掛けしている現場スタッフには還元されない。それは別にいい。しかしOT部門への予算を増やす、給料面で還元するなど多少はできないのだろうかと常々感じている。慢性期病棟でほとんどの患者は退院が見込めないため、患者を金づるにし作業療法による診療報酬で利益を出そうとう考えなのだろうか。これは完全なる愚痴である。
わたしは今まで目的も夢もなく堕落的に生きてきたので、それゆえか「生きがい」だとか「なぜ人は生きなければいけないのか」といった面と向かって口にするのは恥ずかしい問題だが、漠然と考えてきた。
いままでは、どちらかと言えば普遍的な命題として考えていたのだが、統合失調症を身内に持つものとして、同じ疾患の患者と毎日のように接触を持ち、「彼らに生きがい、あるいは生きる目的があるとすれば、それはなにか」といった具体的な疑問に変遷していった。
ある患者に病棟での生活で一番楽しいことはなんですか、と尋ねたところ「(部屋の窓から)道をみること」という答えが返ってきた。わたしから見れば、そんな些細なことが彼女にとって一番楽しいことなのである。別の患者は「婚約者と結婚して二人で暮らすこと」だと言う。彼には婚約者もいなければ彼女もいない。すべて妄想なのである。しかし誰が「あなたの言ってることは妄想によるものですよ」などと否定できるだろうか。このような閉鎖的な環境で長年生きていれば、自分で虚構の世界をつくりあげてそれにすがって生きていくしかないのではないかと個人的には思う。
精神疾患に対して偏見を持っている者は多くいるだろう。わたし自身も実際に今の職場で働き始めるまで偏見を持っていただろうし、今も偏見はあるだろう。偏見というものは概して無意識のうちに身体に染み付いているものであって、「わたしは○○に対して偏見はありません」などと平気で言う人々は疑ってかかったほうがいい。自分のなかに偏見があることを自覚し、それを少しでも減らしいくことしか我々にはできない。ちなみに今までこの文章は、一つの精神病院にたった一年しか勤めていない人間が書いたものなので多分にいろいろなバイアスがかかっていることだろう。
(追記)
ここで、わたしは実際のところ統合失調症の患者です、つい先日退院しました、と書けば結構な釣りになるのだろうが、残念ながらそうではない。
上記の文章を読まれたかたは、鬱屈した患者たちの姿を想像されるかもしれない。彼ら患者たちは、閉鎖的な環境で長期間に渡る入院生活を余儀なくされている。憐れむべき現実だろう。病棟に飾られた造花の紅葉では秋の匂いを感じさせてはくれない。夏が過ぎ去った後の秋風の涼しさを感じることもできない。しかし患者たちの表情は思いのほか明るく柔和である。無論、ついさっきまでニコニコとしていた患者が、いまにも殴りかからんばかりの表情に急変することは多々あるのだが。概して、彼らは彼らなりに現在の環境に適応し、楽しみを見つけながら生活している。
彼らは退院することなく死ぬまで病院で過ごすことになるのだろうか。慢性期病棟に長期間入院する患者の退院が難しいことは言うまでもない。特に高齢者となると退院後の受け入れ先が限られてくる。また患者自身が退院したいという意欲に乏しいという場合もある。それもそうだろう。入院生活が十数年にも及ぶとなると、社会復帰をためらうのも無理もない。病棟の五十代のある患者は精神症状もほとんど見られず、一見して彼が精神障害者であるとは思えない。人当たりの良いハゲのおじさんといった風貌である。精神保健福祉士が先頭に立って、退院実現を図ろうと粘り強く退院促進をすすめている。退院後は病院のデイケアを利用してもらう計画である。それでも普段多弁である彼は、退院という言葉を聞くとそっぽを向いて耳を貸さない。
『ショーシャンクの空に』という映画がある。有名な映画なので観たことのある人も多いだろう。そのなかでモーガン・フリーマン演ずる囚人レッドがこんなことを言う。
「あの塀を見てみろ。はじめは憎らしく見えるだろうが、しだいにそれに慣れ、しまいには依存するようになる」
わたしは退院をしぶる彼を見て、長期入院している精神科の患者も似たような心境の変遷をたどるのかもしれないと考えることがある。ホームレスと違い、入院していれば働かなくとも毎日腹を満たすことができる。そのかわり自由は制限されるが、ときとして自由は重荷にもなりうるのである。しかし彼は年齢的にまだ中年であり、やりたいことも多々あるだろう。彼が恐怖心を断ち切り、入院生活に終止符を打つことを願っている。ダメだったら戻ってくればいいいのである。
精神科で働いてわかったことは、統合失調症という人格は存在しないという当たり前の事実である。彼らには統合失調症という共通項があるにしても、性格も精神症状も皆異なる。それがこの疾患のおもしろいところと言うと語弊があるかもしれない。しかし患者と日々接するのは、うんざりするどころか楽しいのである。たまに患者にヤクザ口調で怒声を浴びたり、軽く殴られたりもするが、病気のせいだと考えれば、それも仕事だと思える。頓服薬を服用して落ち着いた患者は、自ら「さっきはごめん」と謝ってくる。わたしは「べつに気にしないでいい」と答えるだけである。
最後に、ある六十代の患者さんは「葬式ないよね?」と頻回にスタッフに尋ねる。彼女が「姉さん」と呼んでいる妹さんが死ぬという妄想があるようで、妹の葬式はないかと確認しているのである。とりわけ、わたしに対して尋ねてくる。恐らくはわたしが坊主頭で、彼女に坊さんと呼ばれているからであろう。わたしが実際に坊さんではないことは理解している様で、ある時冗談で、「○○さん(彼女)が死んだら、葬式は僕に任せて下さいね」と言うと、彼女は笑った。ブラックジョークを理解するだけのユーモア精神のある患者さんである。
ろくでなし子さんが逮捕される前に教えてあげたかった女子留置生活TIP 「http://anond.hatelabo.jp/20140716042957」で留置所生活を思い出した。
もう済んだことだからそれにはあーだこーだ言うつもりはないけど、留置所の生活は色々な意味で本当に糞だったので、ココに書きたいと思う。
まず入る前に荷物すべてを色々調べられて、リスト化される。
カード類とかをたくさん持ってる場合、これに時間かかって入るまでが大変。
そんで留置所内で自殺とかできないように、紐とかボタンが付いてない服に着替える。
借りることもできるけど臭い。
基本着れるのが許されるのはスウェットとジャージ、Tシャツだけだと思ってくれれば分かりやすいと思う。
あ、そうそう着替える前にケツになんか入れてないか、全裸で四股踏まされた。
これが一番屈辱的だったのを覚えてる。
それから着替えて、手錠付けて、腰縄付けてリードのようにして檻の中へ。
檻と呼ぶにふさわしい、鉄格子の扉の部屋。
○房というようにいくつかの房に分かれてて、1房につき4畳ちょっとで4人が定数。
入ったのは冬だったけど、暖房が付いててずっと適温だった。
年末とかだとわざと入ろうとして無銭飲食する輩がいるらしい。
あったかくて飯も出るからそういうホームレスには最適だなと確かに思った。
先に三人、先客がいたので自己紹介をした。
僕の場合、とっても気さくな拘置所の常連(再犯数回)が一人いたので、制度やルールについて色々聞けた。
自弁っていって弁当に所持金使って追加できるよーとか。
お金なければ担当弁護士にキャッシュカード渡しておろしてきてもらえるよー(もちろん暗証番号を教える羽目になる)とか。
面会は一日一回だよーとか。
あとは、弁護士は面会に含まれないよーとか。
自分の逮捕内容についても、「その場合、だいたい○円ぐらいで示談できるよー」とか。
そうそう、↓このへんは行く署によってルールが若干違うらしい。
・「運動」って実は塀に囲まれた所で「爪切る」か「煙草を吸う」ための時間
・風呂は週2回
・土日はラジオが流れてる。
ニュースとか流れないように番組管理されてるし、新聞は切り抜かれる。
外でどんな事が起きてるかは全く分からない。
あ、そうそう。
注意されたこともあった。
暑いから「ちょっと窓開けて」って鉄格子の向こうにある窓を開ける様に頼んだら
「規則なんで」って言って全く応じなかった。
脱走防止かね?
色々自由が奪われてたし、飯もまずかったので、出て速攻でメシ食いに行ったけど、
拘置所の静かな生活に慣れてしまって、うるさすぎて落ち着かなかった。
あと、家でTVを見た時はずーっとみとれちゃいましたね。
軽い浦島太郎状態。
僕は拘置所の中にいた人とか、検察に行った時(検察には範囲内の別の署からも集まる)に色々な人から話を聞いた。
大体は「なんで捕まったの?」みたいな話。
組織窃盗だと疑われてしまった無実のおじいちゃん(窃盗物だと知らずに置き場所を提供する連絡を仲介してしまった)とか、
女の子が自分の部屋に来たから手を出したら親告されて捕まったとか。
無実のおじいちゃんは半年ぐらい拘置所生活してるって言ってた。
組織ぐるみの犯行を疑われた場合、捜査に時間がかかるから、拘束期間も長くなるんだって。
警備会社かなんかの社長をやってたこともあって、柔道も何段とか言ってたな。
どっちかっていえば警察よりっていうか、超善良な人で、道徳的にもすごくしっかりしたモラルのある人だった。
最後まで僕の事件や他の留置者を気づかってくれて、落ち込みそうになると冗談いったり、時に親身に話を聞いてくれたり。
とてもとても優しい人だった。
その人はよくため息交じりに言ってた。「人生、何がおこるかわかりませんよ」って。
出ていく日も一緒だった。僕は裁判所なので彼は検察で先に車を降りた。
僕の隣に座っていた彼は、手錠されて腰縄を引っ張られながら、最後に立つ際に僕の膝を叩いて
「幸せになってください」
って言ってくれた。僕は涙を必死にこらえながら鉄格子が貼られた車窓から外を見た。
こんな人にこんな生活させるなんて、本当に警察はどうかしてるって思ったのを覚えてる。
すごく強烈に記憶に残ってる。
話戻って。
拘置所での暮らしは朝は6時に起床、点呼取って、房毎に布団しまって、房の掃き掃除と拭き掃除。
「洗面」で歯磨きと洗顔とかして、あとは朝飯。
出る時は僕の場合、略式起訴だったので裁判所いって、軽く読みあげて、
色々な人の話を聞いて分かったのは「一般の倫理観的な罪」は犯してないのに捕まるのも珍しくないから、
お財布の金は大目が良い、には賛成☆
「ろくでなし子さんが逮捕される前に教えてあげたかった女子留置生活TIP」(http://anond.hatelabo.jp/20140716042957)がバズってたので乗っかる
まずタイトルの留置所というのは俗称で、正しくは留置施設。各警察署の中にある。
僕が知ってるのは都内区部の某警察署だけど3階くらいにあったかな。
外から見て鉄格子がはまってる階があればそこに留置施設がある。
現行犯でも礼状逮捕でも、ひとまず管轄の警察署に連行されて、両手の指紋と掌紋をデータベースに登録されて、ベルトやその他持ち物没収された後に分厚い鉄のドアを隔てた向こう側に閉じ込められる。
法律上は逮捕から48時間は警察が勾留(閉じ込めておく)する事ができる。
そのいわゆる48で出る人もいるし、有罪にできそうな人、あるいは警察に敵視された人などは検察に勾留延長申請されて10日延長を2回まで、トータルで22日間まではわりと簡単に勾留される。
検察が有罪にできる自信を持てる容疑なら起訴されてさらに数ヶ月は閉じ込められるけど、自信がなければ釈放される。
日本の有罪率が高いのは、有罪にできる人しか起訴されないから。
よほど危険人物や具合の悪い人以外は4人から6人くらいで一つの房に入る。
いちおう挨拶するけど、極限に狭くて長い時間一緒に過ごすから基本的に皆気を遣う。
ちなみに彼はその時点で2ヶ月以上入ってたと聞いた。(半年くらいだったかも)
本来起訴されて裁判が始まったら未決囚として拘置所という別の施設に移されるはずなんだが、拘置所の定員が一杯だったりすると留置施設にそのまま置かれたりする。
代用監獄と言われるゆえん。
最初に番号を付けられる。
留置施設の中では名前でなく番号で呼ばれるので、激しく尊厳を傷つけられる。
有罪確定どころか起訴前でさえ閉じ込められて番号で呼ばれるという暴力。
まるでお前は社会のゴミクズだと言われているような気になるし、そうする事で自白させやすいし冤罪だって作りやすい。
起床は6時くらい、番号で点呼があって、掃除して、洗顔歯磨きして朝食。
メニューは安い民宿の食事みたいな感じで、特に悪くないけど量は少なめ。
その後運動と髭剃りの時間がたしか15分くらい、房ごとに交代で10畳くらいの狭いスペースで過ごす。
取り調べある人は取り調べ、または裁判所や検察に行く人は行く、行かない人は貸本を読んだり差し入れの本を読んだりして過ごす。
刑事の取り調べはうんざりするけど、窓から外が見えると嬉しい。
出たらマックに行きたいとずっと思って過ごしてた。
12時くらいに昼食。
昼食だけは自弁といって、留置係に現金を預けている人はそのお金で特定のお店から缶の飲物やお弁当を買って、普通の食事に追加できる。
缶の飲物は目の前で開けられてお椀についで渡される。
僕の知ってる留置施設では、昼食は食パン4枚とジャムとマーガリン、それにゼリーみたいなもの。それだけ。
知ってる限り20日くらいは続いたから今でも毎日それかもしれない。
午後も取り調べある人、裁判、検察の調べ、または実況見分など人それぞれの過ごし方。全部他人が決めるんだけど。
夕食はたしか5時くらい、掃除して就寝は9時くらいだったと思うけど、少し蛍光灯が暗くなるだけでかなり明るい。
これが一番つらかった。
明るい中で寝なければいけないし、毛布を被ったりうつ伏せで顔が見えなくしてると留置係の警察官に注意される。
常に留置者の顔が確認できないと駄目らしく、その状態で寝るのはつらい。
外に出て一番嬉しかったのは寝る時に真っ暗にできる事。
暗闇で寝られるのは幸せ。
僕は20日ちょっとで出たけど、あれ以上あそこにいたら人間性が歪むと思う。
警察や国家を憎み反社会的活動家になるか、誇りを失って利己的犯罪者性向になるか。
自分自身も含めて、ぼくの周りの悪人はみんなやつが犯人だとわかってた。
合理的に説明出来る根拠なんてないし、感覚的なもの。悪人には悪人がわかる。
良い人にはわからないとおもう。
操作担当者はよほど自信があったんだと思う。悪人捕まえることに特化した選抜訓練されてるから。
でも説明することは難しい。IT犯罪の立証が想像以上に難しいことがわかったのが今回の成果。
ゆうちゃんは自分より頭の良い人たちが右往左往してるの見て気持ちよくなっちゃったんだと思う。
彼は自己分析でサイコパスって言ってたけど、それでもまだ中途半端に良心が残っていて、エンディングは自分が逮捕されることずっとイメージしてたんだと思う。よくわかる。
真っ黒だったらあんなことしないよ。
佐藤弁護士もにゃん語使いもほんと良い人なんだなってことがわかったし、広告にもなったし、良かったと思う。
今回おもしろかったのは、オウム上祐もそうだったけど、本人話してるの見てるうちに犯人じゃないかも?と思ってしまう怖さ。
上祐の場合話がうまかった、で納得してたけどそうじゃない。
拘置所とか刑務所に入ってみればよくわかるけど、悪党はべつに我々と同じなんですよ。
極めて普通の人。
だからそういう人たち見てると、ああ、かわいそうに病気なんだなって思う。
病気なんですよ。
数年前のこと、このぐらいの時期の平日に元彼女で、一緒にバンドをしていた子から電話がかかってきた。
別れてからもバンド活動はしていて、彼女はシンガーだったので月に2、3回はライブやら、練習で会っていた(別れてから肉体関係は無し)
家もお互い、都内一人暮らしで、隣りの駅で近かったため、月に一回ぐらいは居酒屋で呑んだりしていた。
そんな彼女からの電話も、そうそう珍しくないのだが、その時は少し面倒だった。
面倒だった理由は、
・バンド活動があまりうまく行ってなかった。(毎年アルバムをインディーで1枚リリースしてたがこの年は予定がなかった)
・金も無いし、休みもなくいらいらしていた。(普段はサラリーマン)
今考えると、その時自分は軽く鬱だった気がする。
サラリーマンでバンドマンとはいえ、本気で音楽活動をずっとしていた。
とにかく自分のことでいっぱいいっぱいだったのを覚えている。
会話の内容は、
・寂しくて、ぬいぐるみを買った。(ぬいぐるみを買うような性格ではないのに)
そんなような、かまって欲しいという内容だった。
それに対して私は
みたいな内容で、突き放すように切ってしまった。
電話を切った後、邪険にしてしまったことを少し悔いながら、メールを送った。
内容は、週末ライブの予定だったため、3日後のスタジオ練習忘れんなよ!というメールだった。
いつもならすぐ返信がすぐ来るはずだが、その日は返信がこなっかった。
もう寝てしまったのか?
怒っているのか?
翌日になっても返信は来ない、電話してもでない。
またその翌日になっても返信は来ない、電話してもでない。
これはおかしい・・病気でもしてるのか?と心配になり、会社終わりで直接彼女の家に向かった。
以前、付き合って間もない頃、突然彼女と連絡がとれなくなったことがあった。
理由は薬物で警察に捕まり、拘置所にいたから、ということがあったのだが。
さすがに、今回はそれは無いだろうと思っていた。
向かう電車の中、もしかしたらという不安に駆られ、駅に着いた時には確信に近いものに変わっていた。
彼女の家についたのは、既に19時過ぎぐらいだったと思う。
2階にある彼女の部屋を外から見ると、煌々と明かりがついていた。
と思いながら、最上階に大家が住んでいることを知っていたので、事情を説明し部屋を空けてもらった。
中に入ると、すぐキッチンで、ドアの先が彼女のいる部屋だった。
ドアを開けようとすると、重くて開けられない。
何か邪魔してる感じだった。
私が来たのを知って、会いたくないから、わざと中からドアを押してるのであれば、どんなにいいだろうか。
と思いながら強引に部屋に入った。
中は、エアコンがびんびんに効いていて、肌寒いぐらいの温度で、彼女はドアのノブにタオルを掛け、首を吊って死んでいた。
その後、大家が警察、救急車を呼び、私は彼女の母親、バンド仲間、近所の友人を呼んだ。
私と、母親と、彼女の親友の女友達に宛てて、「ごめんなさい」という内容だった。
10年の間に、出会ってすぐに付き合いだし、5年同棲し、別れて2年、別々に一人暮らしをしていた。
別れてからはお互いに、別の彼氏・彼女ができたり別れたりしていた。
それをつまみに二人で呑んだりしていた。
自殺する1ヶ月2ヶ月前ぐらいに、二人で呑んだときに、私と結婚したいと、酔っ払いながらも本気で言ってきた。
一度、酔っぱらいながら私にヘッドバットしながら、お前だけ幸せにはさせねぇぞ!
と、ふざけてるのか、本気なのかわからないテンションでのやりとりもあったりしたのを思い出す。
彼女は、末っ子で寂しがり屋のAB型、ひっこみじあんだが、なぜかシンガーで大酒飲み。
仕事が終わると、帰宅中に缶ビールを飲みながら帰るぐらいで、アルコール依存症だったと思う。
リストカットや未遂などの実績はなく、とにかく酒をよく飲む人だった。
事後、彼女と結婚していればこんなことにならなかったのに・・・と後悔したり。
結婚しても同棲で一度失敗しているのにうまく行くわけがない・・・と納得したり。
こんな十字架背をわせやがって!むかつく!!!と憤慨してみたり。
音楽活動はほとんどやらず、地道にサラリーマンに専念している。
忘れようとは思うが、完全に忘れるのは不可能。(第一発見者だし)
俺はダメだと思ってる。
推定無罪の観点から捜査を進めるべきだと思うし、何より痴漢をしてないのに“した”と無理矢理認めさせられるのは如何ともし難い屈辱だ。
警察は何に置いても被害者女性の味方だけど、先に言うと現行犯逮捕でないから、痴漢したと容疑を掛けられた時点では犯罪者ではない。
その犯罪者の可能性があるだけの人間を“罪を認めるまで拘置所で21日間抑留”するのは人権問題に当たらないのか?と思う。
弁護士を呼んだ場合でも、多かれ少なかれ示談させる方向に向かわせようとするので痴漢容疑者にとってはきわめて厳しい状況が続く。
もしかしたら無実かもしれない人一人の人生が破綻してしまうかもしれないのに、警察や弁護士、司法や社会の見る目が痴漢の有無関係なく厳しいのは異常だと思う。
そしていざ裁判になると司法は痴漢容疑者の有無を聞かず99.999%で有罪としてしまうのだから、司法社会および民主主義社会とは思えない杜撰さだ。
本来、司法というのは公的な立場から公平に裁く事を目的とする場のはずなのに、痴漢案件については物的証拠および状況証拠を判断材料にせず、ヒアリング等でまとめた調書のみで
この容疑者を裁こうというのだから、旧態依然の魔女裁判だと言える。
裁判員制度も痴漢事件のようなヒアリングのみの判断材料の元では明らかに不公平な中での判断となる。
結局は人の感情論というあいまいな判断基準の元に裁定が下されるのだから、痴漢容疑者の心理状態は計り知れないほどの緊張と疲労困憊を味わう事になるし、
裁判員の方もこれで合ってたのか、実は冤罪者を罪に陥れるんじゃないかという恐怖もあって適切に判断する事が出来ない。
まして女性は同じ女性である痴漢被害者に同情し容疑者を敵視するのは明らかだし、男性は無駄な正義感でもって容疑者を叩こうと考えるはずだ。
これでは推定有罪かつ有罪100%だと有識者から非難されるのも当然だと思う。
では痴漢冤罪の立証は不可能か?というと、仮に立証が可能だったとしても、司法というのは一度下した判決を覆すのは司法を否定することになるといったチャチなプライドから、
なので、感情論で決められる痴漢事件というのは、きわめて後進的というか痴漢事件における判断というのが状況証拠もないというのは異常だと思う。