2013-08-12

痴漢冤罪の立証はこのままほぼ不可能なままでいいのか?

俺はダメだと思ってる。

推定無罪観点から捜査を進めるべきだと思うし、何より痴漢をしてないのに“した”と無理矢理認めさせられるのは如何ともし難い屈辱だ。

警察は何に置いても被害者女性の味方だけど、先に言うと現行犯逮捕でないから、痴漢したと容疑を掛けられた時点では犯罪者ではない。

その犯罪者の可能性があるだけの人間を“罪を認めるまで拘置所で21日間抑留”するのは人権問題に当たらないのか?と思う。

弁護士を呼んだ場合でも、多かれ少なかれ示談させる方向に向かわせようとするので痴漢容疑者にとってはきわめて厳しい状況が続く。

しかしたら無実かもしれない人一人の人生破綻してしまうかもしれないのに、警察弁護士司法社会の見る目が痴漢の有無関係なく厳しいのは異常だと思う。

そしていざ裁判になると司法痴漢容疑者の有無を聞かず99.999%で有罪としてしまうのだから司法社会および民主主義社会とは思えない杜撰さだ。

本来、司法というのは公的な立場から公平に裁く事を目的とする場のはずなのに、痴漢案件については物的証拠および状況証拠を判断材料にせず、ヒアリング等でまとめた調書のみで

この容疑者を裁こうというのだから旧態依然魔女裁判だと言える。

裁判員制度痴漢事件のようなヒアリングのみの判断材料の元では明らかに不公平な中での判断となる。

結局は人の感情論というあいまいな判断基準の元に裁定が下されるのだから痴漢容疑者の心理状態は計り知れないほどの緊張と疲労困憊を味わう事になるし、

裁判員の方もこれで合ってたのか、実は冤罪者を罪に陥れるんじゃないかという恐怖もあって適切に判断する事が出来ない。

まして女性は同じ女性である痴漢被害者に同情し容疑者を敵視するのは明らかだし、男性無駄正義感でもって容疑者を叩こうと考えるはずだ。

これでは推定有罪かつ有罪100%だと有識者から非難されるのも当然だと思う。

では痴漢冤罪の立証は不可能か?というと、仮に立証が可能だったとしても、司法というのは一度下した判決を覆すのは司法を否定することになるといったチャチなプライドから

何の脈絡もなくただ規則だ規定だとかで棄却しがちだ。

なので、感情論で決められる痴漢事件というのは、きわめて後進的というか痴漢事件における判断というのが状況証拠もないというのは異常だと思う。

からこそ、痴漢冤罪についてはもっと議論されるべきだと考える。

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